京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2003年10月号 掲載)
「家族のこと、障害のこと、社会のこと」

−合宿でこんなこと考えていました−

立命館大学社会学研究科  中根成寿

 トライアングルの皆様、こんにちは。今回は9月の13日から14日に京北町で行われた合宿で見たこと聞いたことからまた少しだけ書かせて頂きます。

 以前の原稿の最後にちょっとだけ書いたのですが、僕はある障害をもつ子の父親の会で勉強させて頂いています。特に、成人期以降についての親の関わり方、父親の役割について考えています。

 そんなわけで今回のテーマにこの二つを選びました。一つは「父親の視線、父親の言葉」について、二つ目は「子どもの成長に伴ってでてくる課題」についてです。

 毎年の恒例ですが、一日目の日程が全部終わった後、みんなで車座になって近況報告や今抱えている疑問について話をしています。合宿の中で僕が唯一「ケンキューシャ」モードに切り替わる時間です。年々父親の参加が増えてきていて、僕としても興味津々です。この時間だけはノートを片手にメモをとってお話を聴いています。今年は昨年のノートと見比べながらお話を聴きました。そのときあることに気づきました。
 お父さんのお話の中に「子どものことはあとで妻がしゃべりますので…」というフレーズが何度も出てくるのです。確かにその後、母親が子どものことを詳しく話してくださいます。ただ…僕、個人的にはお父さん個人がお子さんのこと、家族全体のことなどをどんな風に考えているのかもっと聴きたいなぁと思ってしまいます。

 たとえ同じ現実を見ていても立場によってその見え方は様々です。男性である父親と、女性である母親、子どもの同じ仕草を見ても、考えることがちょっとずつ違っていると思います。その「ずれ」を発見することはとても大事なことのように思います。前の会報に「子どもの手元を見るともどかしくなるけど、子どもの目を見るとその真剣さにびっくりしますよ」という素敵なフレーズがありました。一方の親は子どもの手元を見て不安になってしまったときにも、もう一方の親は目の真剣さに気づくかもしれません。こうした「視点の違い」を多く見つけるために、自分なりの言葉で子どもについて、家族について話すことはきっと新しい発見をもたらすはずです。

 僕のであった障害をもつ子どもの父親の方がこんな話をしてくださいました。「若い頃、子どもができてすぐの頃は、とにかく妻を支えよう、稼ぐもん稼いでこようと、考えてました。妻があの大変な子の世話に集中できる環境を用意しようと必死でしたね。でもそれでは状況はいっこうに好転しなかった。である時、『俺が子ども見とくから買い物にでも行ってきたらどうだ』って言ったら妻の表情が何年かぶりに緩んだんですよ。そのときにやっと、『ああ、大事なのはかみさんを支えることじゃなくて、世話や気持ちを共有することなんだ』と気づきましたね。」

 「どんなにがんばっても母親には勝てない」という言葉もお父さんからよく聞きます。でも家族の中に母親が二人いる必要はないと思います。それぞれにできることがあって、それぞれの関わり方があって、それぞれの視点があっていいと思います。

 そして二つ目のテーマ、成長に伴ってでてくる課題について、です。
 子どもが大きくなるにつれて、親子の関係にとどまらず、友達、教師、ボランティア、ガイドヘルプ、勤め先の同僚、上司など、子どもの世界が広がっていきます。いわば家族を取り巻く社会が広がっていくことになります。もしも古いタイプの障害者家族ならば、親子関係だけでその広がりが止まってしまいます。しかし、今はもうそんな時代ではなく、障害をもつ人々の社会は家族以外の関係にも大きく広がっています。

 …以前の僕ならここで「脱家族」の方向へ話をもっていったのでしょうが、最近はちょっとずつ考え方が変わってきました。日本の家族介護、家族依存の福祉体制は十分に批判される必要があります。しかし、「家族依存→脱家族」という単純な移行が果たして正解なのだろうか、と考えるようになってきました。このあたりはまだまだ学術的な業界でも周りで叩いてもらう必要がありますが、僕の考え方は家族依存と脱家族の間、ふたつのグラデーションの領域の可能性がもっと議論されていい、と思っています。つまり親だけがケアする、親が全くケアしない、のではなくて、先ほどあげた人々の中に親もいる、という構図です。この場合のケアというのは直接的な関わりだけはなく、心配する、サービスが適切に受けられているか見守るという広い意味も含みます。これを僕はケアの社会化とは違った位置づけ、「ケアの社会的分有」と名付けました。この考え方の背景にあるのは「どこまで行っても親子は親子」という現実です。どこまでいっても親と子であることを切断することはできない、否定することはできないのではないかという思いです。もちろん脱家族の主張に時代的政治的意義があったことも否定しません。

 では、その「分有」に向けて親の役割とは何でしょうか。僕にはまだはっきりとはわかりませんが、まず言えるのは伊藤先生がおっしゃっていた自分の子どもの課題、家族の課題を「とっても具体的に」想像してみることではないでしょうか。「自分らしく」「元気で」という目的ではちょっとおおざっぱすぎますね。学校を卒業した後、平日はどんな場所で過ごすのか、休日の楽しみ方などを具体的に話し合って考えてみてはどうでしょう。イメージが具体的になると、身につけるべきことがでてくるでしょう。週末をガイドヘルプの人と過ごすなら、家族や友達以外とのおつきあいの仕方を覚えなくてはいけません。お金の使い方、電車の乗り方などです。そのためにはまず、現在の課題、数年後の課題、10年後の課題を想像してみる必要があります。もちろん、そのときの子どもの姿だけではなくて、親自身の姿も想像することが大事です。

 伊藤先生とお話をしていてとてもびっくりしたのですが、支援費制度、脱施設重視の今の社会でも、施設でとても悲しい生活を送っている人々がまだまだいるようです。自分の子どもを施設に入れたい、と考える親や少ないでしょうがある時家族でケアできなくなって(親の老いなど)、気付いた時には施設しか選択肢が残っていなかったというのが実情のようです。

 家族依存と脱家族のあいだ、という課題をもう少し考え続けたいと思います。それではまた次回に。

中根成寿(naruhisa@pob.org
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