京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2005年10月号 掲載)
にんぷいろいろ日記(その5)

こてらさちこ

 「オニババ化する女性たち」という本で話題になった三砂ちづるさんの言葉。
『妊娠すること、出産すること、子どもを育てること、は“人生が思い通りにならないこと”を学ぶこと』
出産予定日の数日前に友人からその言葉を聞き、何だか心が落ち着いていくのを感じた。その通りだなあ・・としみじみ思った。結果が思い通りになるかどうかではなく、その過程で自分ができることをやったかどうかなんだと・・。

 出産予定日を過ぎて2日後・・。父ちゃんが明日からお盆休み、という日、赤ちゃんはまるで父ちゃんの休みを待っていたかのように陣痛が始まった。今のうち、あきととほっこりしたくて、家の前でシャボン玉をして遊んだ。シャボン玉を追いかけて大喜びのあきと。やっぱりあきとの笑顔は最高だ。妊娠中しんどい時も、どれほどこの笑顔に救われたことだろう。

 そして夕方、気分もソワソワしてきて、今のうちに夕食を食べておくことにした。あきとも何か予感しているのか、私のお腹を指さして何か言ったり、お腹をさすったりする。父ちゃんに連絡し、早く帰るように言った。父ちゃんが帰ってから陣痛の間隔をはかってもらうと、7〜15分くらい。助産婦さんに連絡してみた。そろそろ病院へ行きましょう・・とのこと。自宅出産の予定だが、陣痛が始まってからお産の前に病院へ抗生剤の点滴をうちに行くことになっていた。分娩時の赤ちゃんへの細菌感染を防ぐためのものだとか。もし、病院にいる間に陣痛が強くなって動けなくなったら、そのまま病院で産むことになるので、ドキドキしていた。早めに行って自宅へ戻りたかった。自宅出産を引き受けてくれているその助産婦さんと病院で待ちあわせ。父ちゃんとあきとと3人でタクシーに乗り病院へ向かう。もうすぐ赤ちゃんに会えると思うとうれしくて、3人共コーフンしていた。

 病院へ着いて点滴しだすと、急に病人になったようで、少し気分も冷めていく。病院でも大声で叫び大はしゃぎなのはあきと!! 「し〜っ!! 静かに・・」と言うと、そのまねをした後、わざと「あ゛あ゛〜っ!!」と叫んで喜んでいる・・。あきれながらも、そんなあきとを見てだんだんリラックスする(笑)。無事、点滴を終え家に戻ったのが夜10時半ごろ。

 しばらくお風呂に入れないことを思って、今のうち!とお風呂に入り、居間にお産のための布団を1枚しく。もう、家にも戻れたし、お風呂も入ったし、父ちゃんもあきとも助産婦さんもいる!! もう安心。でも、まだ強い陣痛はこない・・。そこで一眠りすることにした。そして痛みで寝られなくなったのが夜中の1時ごろ。もう一人の助産婦さんも到着し、2人に足や腰をさすってもらったりしながら陣痛のときを過ごす。今回のお産を引き受けてくれたのは、あきとのお産のときにもお世話になった助産婦さん。その助産婦さんの手当がとても気持ちよくて、手を当ててもらうと痛みが和らぐのだ。陣痛の間中、何時間でも寄り添い、手を当ててくれる。私はその温かい手が忘れられなくて、今回もその人にお産をお願いしたのかもしれない(笑)。そして、あきとの産後入院中、ダウン症だとわかり泣きながら不安をさらけだす私を、いっしょに涙して受けとめてくれた人・・。
その助産婦さんがいれば、自宅で産むことの不安はなかった。

 その日は夜中じゅうずっと雷がゴロゴロ鳴り、稲妻がピカピカ光るただならぬ雰囲気の夜だった。少し外が白んできた頃・・陣痛は最高潮。痛い・・痛くて痛くて、力んでしまって、もうヘトヘトだった。陣痛の合間には気絶したかのように深い眠けがおそう・・そのくり返し。リラックスすればするほど楽になるはずなんだけど、痛くて全身から冷や汗が出る。もうフラフラだった。どれくらい時間がたっているのか、目を開けても視覚からは何も感じられない・・。“もう限界だ〜”と心はくじけそうになるけれど、体はくじけるわけにはいかない(笑)。私の体は勝手に動いていた。急にうんこをしたいような、きばりたい気持ちになってきて、きばる。もう、うんこでも何でもでてしまえ〜っ!という気分。父ちゃんの背中につかまり(父ちゃんに言わせるとモノスゴイ 力でつねられていた、そうだが)四つんばいでひたすらいきんだ。
 そして・・会陰が熱くなってくる瞬間!あ〜っこの感覚!! あきとの時にもあったこの感覚。産まれる〜っっ!! 次の瞬間、ぷりんっと赤ちゃんの頭がでた。それからはあっという間だった。元気な産声が聞こえる・・・神秘的な瞬間だった。

 ちょうどその頃・・。隣の部屋でグースカ寝ていたあきとも、何かを感じたのか起きてきて身をのりだして様子をうかがっていた。すぐに父ちゃんがあきとを連れてきてくれた。私の足元には、まだ胎脂や羊水にまみれ、太いへその緒で私とつながっている赤ちゃんがいる。私の心は“ありがとう・・ありがとう・・よう頑張ったなあ、ようきたなあ・・”と叫んでいた。どれくらい時間がたったのか、意識ももうろうとしていて、はっきり覚えてない。足元にいる、ふにゃふにゃの生温かい、ヌルッとした赤ちゃんを抱き上げると、あきとがパチパチ手をたたいて喜んでいた。赤ちゃんの顔をのぞきこみ、うれしそうに笑っている父ちゃんとあきと。ああ・・私はこの瞬間が欲しかったんだ、と気づいた。今までいろんなお産を思い描いたり、家で産むことや病院で産むことなどいろいろ考えてみたけど、ただ、この喜びにみちあふれたこの瞬間を望んでいただけなんだ・・。

 しばらくしゃがんでいる間に、胎盤もヌルンっとでてきた。出血も多かった。
赤ちゃんと胎盤と長〜いへその緒と、羊水と・・これが全部私のお腹に入っていたのかと改めてびっくり。(そりゃお腹パンパンになるわけだ) へその緒がついたまま、こわごわ抱っこ。しばらく後、父ちゃんがへその緒をカット。私の体から離れていった赤ちゃんがみんなに抱っこされている。あきともうれしそうに抱っこしている。ほんと、無事うまれてよかった!!

 そして数10分後、まだヌルっとした赤ちゃんに初めておっぱいをあげる瞬間。
ドキドキ・・おっぱいはでるだろうか・・赤ちゃんは飲んでくれるだろうか・・。赤ちゃんの口元に乳首をさしだすと・・パクッとくわえ、ちゅーちゅー吸っている!! あぁ・・ありがとう。また、うれしいおっぱい生活のスタートだ!! (あっ・・また酒は当分・・ケーキもしばらくおあづけか・・笑)

 無事、自宅出産できたのは、たくさんの人の支えがあったから。父ちゃん、あきと、助産婦さん、病院のサポート、友人たち・・いろんな人にお世話になった。たくさんの人たちに支えられて生きているという幸せをかみしめる。
 妊娠中は、妊婦にとっての3悪行事の1つ、引っこしもしたし、夫婦ゲンカも一杯した(笑)。私なりに必死だった・・父ちゃんもあきともそれは同じ。赤ちゃんの生まれてこようとする、いのちそのものの強さに、ただただ感謝するばかり。

 自宅で産むということは、生まれた瞬間から自宅での赤ちゃんのいる暮らしが始まる。まるっきり動けない私と、赤ちゃん、そそて動きまわっていたずらし放題のあきと、と3人を相手に、お盆休みの4日間奮闘した父ちゃん。妊娠してから、お産・・産後の1ケ月の家族それぞれの奮闘はこれからの私たちの支えになるだろう。
 赤ちゃんはやっぱりこの時を選んで生まれてきたんだ。

 そして、我が家の新しい家族の誕生をいっしょに喜んでくれる人がたくさんいたことが本当に幸せだった・・。あきとのお産、2人目の今回のお産・・2人の命の誕生で、私はたくさんのことを学び、たくさんの人に出会うことだげきた。
生まれてくれて ありがとう・・

 

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