京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2008年10月号 掲載)
7月27日 敦賀、気比の松原、海水浴報告

 子どもたちをボランティアさんに預けて、親たちは貸し切りサロンバスのうしろのサロンに陣どって、ビールやおやつひろげて、さっそく交流会(?)と思ったら、初参加のナオちゃんの里親、鶴丸さん御夫婦の話にすっかり釘づけになって、行きのバスではほとんど鶴丸さん御夫妻の「お話を聞く会」になってしまいました。朝ドラの「瞳」のドラマ展開も手伝って、「里親って?」「障がいを持つ子を預かるって・・?」とどんどん興味はひろがっていくけれど、鶴丸さんの話は、その想像をはるかにこえるものでした。笑ったり泣いたりしながら、うしろの席の親たちはボランティアさんたちのバスレクも耳に入らず、あっというまに気比の松原についてしまいました。

 午前中は思い思いに海に繰り出したのですが、昼食時間が近づいてきたあたりから雲行きがあやしくなってきたなぁと思ったら、突然の風と雨と砂が海岸からほとんど真横に飛んでくる「嵐」が一体何分続いたでしょうか。とにかくすごかったです。浜茶屋のカーテンを引き、ずぶぬれでそれを持っててくれたお父さんやボラさんたち。

 私はちょうどカレーとビールを両手に持った途端に嵐が来て、しばらくはただそのまま身動きできませんでした。(だって、カレー皿を手から離すと、飛んでいってしまう!)しばらくして、こわがっている近くの子どもを抱きかかえたけれど、浜にあった傘もテントも浮き輪もボートも、みーんな飛ばされていって、浜茶屋の屋根が飛ばされたら、ぬれた水着のまま、みんなバスに避難するしかないな、などと相談もしていました。30分程も続いたでしょうか。とにかく長かった・・。

 嵐の去った海岸に戻っていったのはトライアングルのメンバーだけ。他のお客さんたちはみんなもう、引き上げていきました。私たちはまだ帰れないのだ、スイカ割りがまっている!
あ〜んなに広々としたスイカ割りははじめてでした。

 「あの時の嵐を一緒に経験した」っていうだけで、ずーっと仲間意識を持ち続けられるような、そんな嵐でした。帰ってからのテレビニュースでは、同じ鶴賀の(多分そんなに離れていないだろう)イベント会場でテントにあおられて死者が出たと報じていました。
 無事に帰ってこれてよかった。あの嵐が昼食時じゃなく、みんなが海に入っている時間だったら・・・と思うと、今でもゾっとします。
 みんな、おつかれさまでした。(島崎)


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