京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2014年10月号 掲載)
フリーダちたるのイタリア・アルプス滞在記
― 決断から入学まで ―

 
 娘(8歳小学2年生)はこの秋、父親の国イタリアの小学校に通っております。父親に子どもを任せ、数ヶ月過ごさせる予定です。以下はここに至るまでの事情と、学校の様子です。海外のインクルーシブ実践の一例としてご報告します。
 
●わが家の事情
 我が家は国際遠距離別居婚です。もともと私は子どもに二つの言語を教える気はなく、日本語をどこまで話せるようになるのかわからないのに、二つ目の言語など混乱させるだけと思っていました。娘には母語である日本語をしっかり身につけてもらうことこそが大事で、父親も定期的に来るし、イタリアへは時々連れて行くだけで、十分だと考えていました。それが小学校に入学して半年ほどした頃、娘の語彙力や発音が飛躍的に伸び、私と会話らしいものが成立するようになりました。すると父親にはそれがわからないですし、パパ大好きな娘も自分の言ったことに反応してくれない父親に傷ついた顔をします。そんなところを目の当たりにして初めて、リスクがあっても娘に、父親の文化や言語を今から体験させていかないと、後付けは難しいのかもしれないと思い始めました。特に私は高齢です。もしもの時には父親が娘を支えて行くのに、その時になってからでは遅いのです。
 
 前置きが長くなりましたが、娘が日本で小学校生活にも慣れ、二年生になった今年、9月からの3ヶ月間、イタリアの小学校に通うというプロジェクトを実行することになりました。
 
●環境
 父親が住むのは、イタリアの北東部オーストリアと接した南チロル州です。イタリア語とドイツ語とラディーノ語が公用語の自治県です。そのために、小学校はイタリア語で教える学校とドイツ語の学校があります。父親の母語はドイツ語がですが、私は全くできないので、3人のスムーズなコミュニケーションと、将来こちらで福祉や医療サービスを受けるかもしれないと考えて、イタリア語を少しでも理解できるように、越境になりますが街中のイタリア語校に入学させることにしました。
 
 住民票がない娘、イタリア語がわからず、さらに障害があり、しかも1年のうち数ヶ月ずつ在校したいという私たちの希望は、かなり無理があると思うのですが、父親は手探りでいくつかの公立、私立(モンテッソーリ、シュタイナーなどオルタネーティブスクール)小学校を見学して希望を固めて行きました。入学を決めた学校は、イタリア語校とドイツ語校が同じ校舎の中にあるというこの街でも珍しい公立小学校です。所在地は街の中心から少し離れた住宅街、鉄道線路や工場もある下町と言った感じです。今年度のイタリア語校の一年生は単級17人、娘も含めて5人くらい人種の違う児童がいます。ドイツ語校の一年生も目測ですが、16、7人。ランチタイムやお昼休みは混じり合って過ごすようです。この少人数でありながら多様な人種や言語が内在している学校が、娘を特別視することなく受け入れてくれるのではと考えたのです。
 
●支援
 こちらは完全インクルーシブで、支援級や支援校はありません。その代わり支援員つけていただけるとは聞いていたのですが、そのための事前面接ができていません。ハラハラしましたが学校が始まる直前に担当される支援員ご本人から直接連絡があり、担任、宗教、ドイツ語の先生と、支援員の先生お二人の全部で5人の先生とミーティングをしていただけました。
 
 まず時間割は月から木まで、7:50に始まり16:00に下校。金曜日のみ給食後の14時下校。そして娘を担当する支援員さんはふたり合わせて25・5時間/週ということでした。娘は当面、支援員がつく時間だけ登校し、支援が終わる時刻に下校するということになりました。だいたい朝から給食後までです。水曜だけは午後に体育があるので、登校時刻を9時45分にして、16時に下校です。登校を全日遅らせて16時下校というのも可能でしたが、それだと娘が子どもたちの中に入って行くのが難しくなるかなと思い、朝のスタートは皆と一緒に、とお願いしました。これで試行していって、今後またミーティングをし、支援員なしで二人の先生がついている科目などで残られそうな授業を増やすことも可能と言われました。
 
 支援員は日本のように学校に配属されて、それを分け合うのではなく、確実に支援が届くように子どもに配置されるというのはとてもありがたいです。今回の我が家のような例はレアケースだとは思いますが、当該児童が入院したり、また家庭の事情で転居したりはあるでしょう。いつも思うことですが、イタリアは色々面倒なことも多いですが、対応がフレキシブルで、何のために誰のためにということをブレさせないです。(ただし、本当に面倒なこと、時間のかかることも多いんです。)
 
●学校
 いよいよ学校が始まりました。6月生まれの娘はこちらではこの9月から三年生。すると二学年下ということになりますが、体格的にはちょうど同じくらい。こちらは児童の送り迎えが原則で、登校も下校時も必ず先生と保護者が確実に引き渡すこととなっています。朝は玄関前で集合して、担任が迎えに来て校舎に並んで入ります。支援員さんが、私に任せてちょうだいって感じで連れて行くので、授業は見ていません。玄関に常に門番がいて出入りは管理されています。初日に、一年生全員に、下着から上下の洋服靴下まで替えを持ってくることも言い渡されました。トイレに丸ごと落として詰まらせてしまうというハプニングがあったそうで、トイレットペーパーは毎回先生が必要分手渡しするともおっしゃいました。教室に洗面台があるので、手洗いの徹底は教室で見ますとのこと。後ろの方にはマットを敷いて絵本が並べてあり、休息のコーナーと書いた場所があります。これって日本では支援級にはあるけれど、通常級にはないですね。一年生全員を特別支援対象ととらえているなあと思います。
 
 他に目立った違いは、一年生からドイツ語、宗教(道徳のような内容)、英語、体育、音楽などは専門の先生が授業をされます。ドイツ語の授業は週5時間あるのですが、この先生が他にも社会や算数(だったかな?)などかなりの時間数を、担任と一緒に教えるということでした。日本でいう副担任のような感じでしょうか。また、朝の始まりが早く、給食が13時と遅いので、毎日おやつを持参です。これも違いますね。
 
●これから
 イタリアの学校生活が始まり、給食も始まり、本人は私たちが思う以上にしんどい状況をがんばっていると思います。幸いなことに、住居地は自然がいっぱいで、父親の飼い猫たちも疲れを癒してくれていると思います。ゴロゴロの山路(世界遺産のドロミテ渓谷)をトレッキングすると嫌がらずに歩きますし、そこから見える風景に感激しています。私が帰国した今、そばにジャパニーズスピーカーが全くいなくなるストレスが心配ですが、電話やスカイプなど駆使して乗り切っていければと思っています。
 
 娘の帰国予定は11月。不安で不安でしょうがないのですが、そして二年生にしてようやく定着し始めた日本語の読み書きや語彙、数の概念が消えてしまいそう、スイミング教室ではせっかくクロールもでき始めたのに、とグズグズと残念に思うこともいっぱいなのですが、それ以上のものを、そして彼女にとっては必要なものを身につけて帰ってくれると信じて、今は夫に託そうと思います。
 

(赤松フリーダ千福・母 玉女)



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