京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2017年10月号 掲載)
「ダウン症の症状が改善」報道について

佐々木和子

 2017年9月5日付け各新聞報道について、内容があまりに不明確な上、過剰に刺激的な記載の仕方に憤りを禁じえません。この治療は胎児を対象にしており、その為には胎児がダウン症である確定診断(羊水検査)が妊婦に必要です。今までは確定診断で中絶9割の報道をしておきながら、今度は胎児治療という。本当にそうなのでしょうか。
 
 また、服用する妊婦さんへの影響にも言及していません。今、現在生活しているダウン症の人たちと、その家族を振り回すのもいい加減にしてほしいと思っています。が、様々な情報について、まず、正確に知ることが必要と思い、会員で専門家の巽さんに今回の報道について詳しい原稿をお願いしました。参考にしてください。
 
 親の会は今、生活している子どもが、元気に、より豊かに、権利を踏みにじられることのない社会を目指して活動していく、そのことに、これからも力を注いでいきたいと思っています。
 

「ダウン症の症状が改善」報道の解説

巽 純子

 2017年9月5日に、「ダウン症の症状改善物質を発見」(朝日新聞)、「ダウン症脳発達を促す物質」(京都新聞)、「ダウン症:原因、抑制化合物」(毎日新聞)、「ダウン症改善する化合物」(読売新聞)と各社がこぞってダウン症を治療する化合物ができたかのような記事を掲載しました。この報道に皆さんの中にはうちの子のダウン症が治るかもしれないと期待を抱かれた方もあるでしょう。
 そのような誤解を解くためにもまずは、21番染色体が3本あることがどうしてダウン症の症状につながるのか、京大の萩原先生たちのグループが何をやったのかを解説していきたいと思います。
 
【基礎知識】図1に示すのは、21番染色体の模式図です。下の方にDSCR(ダウン症候群決定領域)ということころがあります。DSCRにある遺伝子数はおよそ30で21番染色体全体の約1/7です。ダウン症の知的障害発症に関わっていると考えられている領域です。この中にDYRK1AとDSCR1という遺伝子があります。DYRK1Aは、タンパク質にリン酸をくっつけることによって、そのタンパク質を活性化したり(働きを活発にする)、不活化したり(働かなくする)する遺伝子です。DSCR1は、さまざまなリン酸化酵素の働きを抑えるタンパク質を作っている遺伝子です。これらの遺伝子のターゲットとなっているのは、胎児期にさかんに細胞増殖を促しているタンパク質群です。この二つの遺伝子は、通常の人は2個ずつ持っていますが、ダウン症の人は3ずつ持っています。ダウン症の人はDYRK1Aが多いため不活性型のタンパク質が多くなります(つまり、働かない型のタンパク質が多くなる)。また、ダウン症の人はDSCR1も通常の人より1個多いので、不活性型タンパク質(働かないタンパク質)にリン酸をくっつけて活性型(働くよう)にする力も弱いのです。すなわち、この2個の遺伝子が作るタンパク質の量が通常よりも多いため、細胞増殖を促すタンパク質を働かなくしているという結果になります。脳組織が作られる胎児期で細胞増殖に関わるタンパク質を活性化しないため(働くようにしないため)、神経細胞で作られている大脳皮質の厚みが薄くなったり、頭部のサイズが小さくなったりすると思われます。知的障害までに至る道筋はあきらかにはなっていませんが、胎児期には脳の神経細胞が活発に増殖している時期であるため、現在のところ、これらの2つの遺伝子がダウン症の知的発達と関係しているだろうと考えられています。
 
【萩原先生たちの論文】今回の研究では神経幹細胞(神経細胞のもととなる細胞)の増殖を指標として、いろいろな薬剤(化合物)をスクリーニングしたら、ある一つの化合物が、DYRK1Aが作るたんぱく質の強力な阻害剤だとわかったそうです。それを、ダウン症モデルマウス細胞とダウン症の人から作ったiPS細胞に作用させると、うまく細胞増殖を回復させたのです。この薬剤をALGERNON (アルジャーノン;「アルジャーノンに花束を」からとった)と名付けました。ALGERNONが個体レベルでも効果を示すかどうかを見るため、成体のダウン症モデルマウスに10日間投与したところ、海馬(脳の記憶や空間学習能力に関わる脳の器官)の歯状回の神経再生が回復したとのことです。
 
 さらに妊娠10〜15日目(マウス胎児では中枢神経系形成期にあたる)の妊娠マウスに経口投与すると、胎児の大脳皮質(新皮質)の層が厚くなって、正常マウスに近くなっていた、さらに胎児期に投与したマウスを出生させて、行動実験を行うと記憶行動(空間記憶)が回復したということです。もともとDSと正常マウスには無条件の恐怖反応(本能的恐怖)には差がないのですが、一度経験した恐怖(条件付き恐怖)については、ダウン症マウスでは恐怖記憶の定着が少なく、すぐ忘れてしまうようです。今回の研究ではこの条件付き恐怖反応が改善できたということらしいです。迷路学習においても改善が見られたとのこと。つまり、記憶が改善したということでしょう。ダウン症モデルマウスへの投与は、妊娠10日目から妊娠15日目だけで、出生したマウスには与えていません。
 
 そこで、彼らは、この薬剤はダウン症胎児の治療に使うことができるかもしれないと言っています。現在、出生前にダウン症とわかると中絶が選択される例が多いが、治療の道が開かれると考えられるとのことです。
 
【懸念】ALGERNONの副作用は小さいように書いてありますが、私の考えでは何とも言えないと思っています。以前、ダウン症モデルマウスでは、がんの発生が少なくなるという報告がありましたが、これは細胞増殖が不活発ということによるのではないかと考えられています。したがって、細胞増殖を盛んにするとがんの罹患率もアップするのではないかと思えます。果たして妊婦さんが経口摂取して安全でしょうか?投与したダウン症モデルマウスは、親もダウン症モデルマウス、子もダウン症モデルマウスです。つまり、染色体がトリソミー(3本)状態ではなく、遺伝子組み換えで人間の21番染色体にある遺伝子部分を重複して持たせて遺伝子量を増やしています。経口的に飲んでいるマウスもDSなので、細胞増殖しても問題ないかもしれませんが、人の場合、ダウン症の子を孕んでいるのは、通常の染色体をもつ人です。がんリスクを上げるかもしれませんね。人に適用するにはさらなる安全性の検証が必要でしょう。
 
 また、マウスの妊娠10日は、ヒトでは大体24週くらいになると思います。15日は36週くらいだと思います。ただし、マウスとヒトでは組織によって発生のスピードが異なるので、これが必ずしも中枢神経系の発生にピッタリではありません。
 
 なお、この論文で使っているダウン症モデルマウスはTs1Cje DSモデルマウスです。人間の21番に当たる染色体はマウスでは16番染色体であり、この一部を重複して持っているマウスです。人間の21番にある遺伝子のうち70%ほどを重複して持っていますが、人間の21番染色体に含まれるすべての遺伝子をトリソミー状態で持っているわけではありません。 たった1つの遺伝子から作られるタンパク質だけを抑えてもダウン症のすべての症状が治るものではありません。顔貌や心臓疾患、筋肉低緊張といったものは別の遺伝子も絡んでいると思われます。
 
 ただし、神経細胞だけに作用するなら、ほかの疾患に応用が可能ではないでしょうか。アルツハイマーとか脊髄小脳変性症など神経細胞が減っていく疾患に応用可能かもしれません。そういう意味では画期的な薬剤です。
 
【私の娘祐希について】彼女が賢くなることはいいのか?世間が分かるゆえに顔貌への自己否定、周りからの差別を敏感に感じ取り、辛くなるのではないか、と思います。私は彼女の素晴らしい笑顔が失われるのは嫌です。親のエゴかな〜?
 

親の会を作り、出生前診断のことが繰り返し報道される中で、「ダウン症が治ってほしい?」と話したり、考えたことがあります。私は、元治からあまりに多くの事を学び、人と繋がり、ダウン症と診断された時には想像できなかった豊な生活を過ごしているのは、元治が立派なダウン症だったからだと思っています。全ての人が、ありのままに、ともに生活できる社会を目指していきたいと思います。

〔佐々木和子〕


研究者たちは『改善物質』と言いますが、なにを持って改善なのか、その価値観は私と大きくズレてるようです。 私の個人的な見解ですが、人はトータル的なバランスで成り立っているので、突出してひとつの部分だけ無理やりイジると全てが崩れてくると思うのです。 娘を見ていても、今のままが自然で、いい塩梅で愛すべき存在なのです。

〔高平恵子〕


 

会報No.192のindexへもどる
会報バックナンバーのindexへもどる

homeへもどる