京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報
(1997年10月号 掲載)
合宿に参加して
会員O
今年で3回目の参加でした。
京北町山の家は、昨年が初めてであり、山道のドライブも初体験でした。美しい北山杉の山並も存分に心に刻んでの道のりでした。そして、今年も・・・。
というのは表向き。今回も秘かに心の支えにと思っていた6年生の長女が、どうしても行きたくないと言い出したのです。4年生の長男(これがダウン症の子です。Aと言いまして、仕切る事で非常に有名になってしまっています。)を助手席に。この子でもいれば、にぎやかしになるかと気持ちを奮い立たせて出発してみたものの、途中、昼食を終え再び出発したとたん、グーグー寝ているではありませんか。しかし、拾う神はおられました。幸か不幸か、一台のトラックが私の前を走り、周山を過ぎた辺りまで比較的ゆっくりと運転してくれて、これで後続の車への言い理由ができたと、一人納得していた次第です。
今年は特に課題も持たず参加したものですから、Aがボラさんと思う存分遊べたらいいかと考えていました。
子どもから大人まで総勢60名余りがくらす中では様々な場面や人の表情がありました。
調理で指に傷した子をみんなで心配したり(順調に回復しているとのことで何よりです。)いつも馴じみにくくて泣いている子に名前を呼び掛けたら、泣き止んでくれた事の喜び、Aがお兄ちゃんたちと汗いっぱいに遊んでいる姿を見たり、昨年迄は子どもにかかりっ切りだったお母さんが、やっと御飯作りに参加出来たとうれしそうに話している姿等々。みんなが一つの家族になった様にさえ思えました。そして、メインイベントの夜の懇親会では、各々の溢れる思いでいっぱいでした。この時間だけに車を走らせてこられたお母さんもいました。
生まれたばかりの子どもへの思い、母子通園の指導者への怒り、普通学級の担任との関係、学校給食の指導から家庭内での責任の持ち方まで、等々。話は尽きませんが、時間とビールが底を尽いてしまうのです。こんなひととき、日々時間に流されてマンネリ化している体の細胞が活発になってくるのは私だけでしょうか。
Aも1、2年は普通学級ですごしました。たくさんのクラスメイトもいました。だけど、先生と最後まで相入る事が出来なかった事で、育成学級に変わりました。が、どこの場面でもAはAらしく過ごすと信じていますし、又、その事が目に見えない力となるものだと思っています。新めて、我が子を考える事ができました。
最後に、汗だくで子どもたちに彼ら彼女らなりに接してくれたボランティアさん、身の置き場を捜す父たちを取りまとめてくれた高平父、スマップを心の支えに高平母、数々の福祉に奔走している佐々木さん、調子の悪さを圧しての木村さん、来られなかったけど蔭で支えてくださっただろう近藤さん、子どもの為ならどこへだって自転車でかけつけてしまう福田さん、そして初めて若いダンナを披露してくれたパワー島崎、忙しすぎる伊藤先生。みんなダウン症の子を持ち、又かかわる人たちです。ありがとうございました。
というのが、今年の合宿の思い出でした。帰りの道のりも行きと同様、車が動き出すやいなや、スースーと寝息たてるA。2時間後、車が止まると同時に「着いた?」
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