京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(1998年10月号 掲載)
講 演

                             
「楽しくなる子育ての話」(後編)

−山田真さんの講演のテープおこし−


 今のような状況の中で、なるべくプラス思考に生きるというか、いいかげんに生きるということは大事だと思います。いい加減とか手ぬきとかいうのは、すごく大事で、子どもについても、やはり基本的に手のかけすぎなのです。私は娘と共に生きてきて、障害を持った子どもの生きている状態を見てきて、障害を持っている子の日本での不幸(外国のことは良くわかりませんけれど)というのは、プライベートな時間だとかプライベートな空間を持ちえていないというか、ずーっと大人に見られていることだという気がするのです。

 例えば、障害をもっている子が学校へ行きますと、40人クラスでは、とても面倒が見られないし、1人でポツンと教室にいるだけで、それではかわいそうだ、もっと2人の子どもに1人の先生がいるような手厚い教育が出来るところがいいだろうと言われますよね。そうかなぁと思います。いつも子ども2人に先生が1人ついていると、たまらないのじゃないかな。1クラスの子どもの数が減るといいか、という議論が時々されます。今、40人学級って大変なんだけれども、40人で目が届かないから、授業中にさぼっていられる子どもも、20人になって目が届くと、しょっちゅう当てられるは、しょっちゅう「真っすぐ向いてろ」って言われる、要するに管理が倍になるのだったら、20人にならない方がいいということが子どもにとってあるのですよね。20人学級になって先生も楽になる、子どもも楽になるのだったらいいのだけれども、20人になったら勉強を進めるのが楽になるだけだったら、それは子どもにとっては決していいことではないでしょうね。

 特定の科目のある日は学校に行きたくないという不登校の子どもがいるのですが、特定の科目でもっとも多いのは何か? というのを、東京の佼成病院でカウンセラーをしている内田良子さんという方から聞いたのですが、何の科目だと思われますか? これは体育なのです。僕は日本教職員組合の全日教育研究集会の保健体育という所にもう10何年行っていて、そこは養護教諭と体育の先生とが合同で話をするのですが、そこで体育の先生にその事を言ったら、体育の先生がウッソーという感じになったのです。体育の先生は、学校は勉強ばかりするところだから体育は息抜きになっているだろうし、一番好きだろうと思っているのです。でも専科って以外に嫌われているのですね。なぜかというと数学の時間や国語の時間には聞いているような顔をして他のことをやってて時間をやりすごすことができます。ところが体育なんか、ボーとしていられません。いつも何かしていないといけません。専科の方がそういうことが多いのです。そういう意味では、子どもにとって、いつも大人の目があって、ずーっと見ていられるということがすごくしんどいことなのです。それでも健常な子どもは、そういう中でもどこかに居場所を作るのだと思うのです。いじめや自殺や他の子どもを殺した子どもという話が出てくると、そういう、ホッと出来る場所を持っていない、それでも子どもは必死になって自分の胸のうちを話す所を求めているということがあります。学校では保健室の先生がいい先生であれば、保健室がそういう所になると言われています。保健室は学校のオアシスだと言われていますが、そうすると他の所は砂漠か? という感じです。保健室では、そこで話したことは学校の中には広がっていかない、他の先生たちは伝わらない、あそこは評価をしない場所です。今は個性まで評価するといわれ、授業以外の行動にでも評価がされてしまうような時代だから、子どもにとって学校生活はほとんど日常のすべてが評価につながっているわけです。クラブをやっても、生徒会をやっても、何をやっても評価の対象になり、そうすると子どもにとって評価されない場所が非常に大事になって、だれが自分の話をちゃんと聞いてくれるかという、ホッと出来る場所をさがしているのです。そうやって子ども達はさがしているのですが、でもやはり、障害を持っている子どもは手厚い大人の保護管理下に置かれていて、自由というのは、ほとんどない気がします。

 だからいつも品行方正な生活で、悪いことができません。生活がオープンになっていて、大人がみんな知っているわけです。大勢の中で放っておかれるというのも1つの自由なのです。実際に普通学級へ行って、授業がわからなくて一人でポツンとしていても、結構、障害を持っている子が「学校いやだ」と言わないのは、ひょっとすると他のしんどい思いをしている子より楽なところがあるかもしれないと思ったりするのです。僕らは子ども達に対して保護的に扱ってきました。外国と日本では文化が違いますが、最近、欧米では日本の保護的な子育ての仕方を学ぼうというようになってきています。それはアメリカの子どもの問題というのは日本の子どもの問題の比じゃないくらい色々な問題をかかえていて、家族においても危機的状態にあると言われています。非常に自由な国だったはずなのに、最近は、すごく管理的な国に変わってきていますね。それで赤ちゃんの突然死などが問題になって、だいたい赤ちゃんの突然死は欧米と比べるとアジアはずっと少ないのです。これは何故だろうと考えて、アメリカなどで突然死の原因がいろいろ出てきて、まだいろいろな説が出てきていますから確定したわけではないのですが、今のところ、お母さんが喫煙しているとか、人工乳の方が母乳よりもいくらか多いとか、あるいはうつぶせ寝の方が突然死の率が高いということが出されています。そのアメリカなんかが注目しているは、日本ではだいたい赤ちゃんはいつも大人の視界の中に入っています。川の字で寝ているわけですが、やはり川の字で寝ているというのは欧米の考えでは信じられないというか、親の方はどういう生活をするのだという感じですよね。日本では伝統的にけなげに一緒に生活してきたと思います。子どもが5〜6人もいて1部屋で寝ている時代から、ちゃんと赤ちゃんなんか作ってきたのですから。かなりの努力がされてきたと思うのですが、英米の自立型の生活から言うと、信じられないのですよね。信じられないけれども、この突然死が少ないのは、ああやって寝ているからではないかと言われているのです。

 欧米では子どもを他の人に預けて、親が映画を見に行くとか、ご飯を食べに行くとかは当たり前のことですし、子どもは数ケ月で自分の部屋で寝るようになります。外国の育児書を見ると夜泣きなんてほとんど問題になっていません。夕方に泣く「宵泣き」というのはあるようですが、夜に泣いたって、部屋が違うから親は知らないのですね。さっきの話で「夜の間に咳をしていました」というのも、わからないですから、そういうことは問題にならないのです。それはある意味では親も子も自由な生き方で、そうすると子どもは早く自立すると言われてきました。でもやはり欧米ではそれも極端すぎたのではないかと反省していて、少し保護的になった方がいいかなとなってきています。そうすると日本は「それみろ、アジア型の子育てを欧米でも学んでいるじゃないか」と言うでしょうが、日本はやりすぎですよ。非常に保護的になっていて放っておくことができないのですね。欧米の保育園を見に行った保母さんから聞いたのですが、欧米の保母さんは部屋のすみっこでただ座って見ていて、子ども達は勝手に遊んでいるそうです。日本では、どうしても子どもがいると何かカリキュラムを作って、朝から晩までのスケジュールを作って、ご飯も1週間の献立を作ります。材料なんかを能率よく確保する為には1週間の献立を決めるのはいいのかもしれませんが、普通は食べたいものというのは、「今日はお天気がこんなだからこんなものが食べたい」とか変わってくるもので、普通家庭の生活はカリキュラムが決まっているわけではないと思いますよ。そういうのはその日の気分しだいで生きているのだと思うのです。本当は子ども達もそれが一番いいのです。気分しだいであるというか、遊びたくない時は遊ばない、最近は学校では休み時間は必ず外で遊ばなくてはいけないというので、寝ていたりすると外へ出されてしまうそうで、非常におかしいですよね。もし、みんなの子どもが外へ出たくないとか言うのであれば、何か外へ出たくない原因がクラスの中で起こっていると考えなければいけないし、いつも一人でポツンと部屋の中にいる子がいたら、他の子どもとの関係がどうなっているのかは一応考えなくてはいけないけれども、いつも外で遊んでいる子がたまたま今日は中にいたいと言って中にいたところで、それはどうということはありません。そんなに画一的にすることはないのですが、やはりその辺は非常に管理的になっているからだということです。

 そうすると、子どもにとってはとても重苦しいことです。自分一人の時間がない、一人の空間がないということは創造性のようなものを摘み取っているのじゃないかという気がしますね。一人で考える、自分で考えて何かをしていく事がすごくしにくくなっていると思うのです。子どもの権利条約とか、子どもの自己決定とかいわれるようになりましたけれども、やはり僕らは本当にその子の自己決定や子どもの権利がどういう所にあるかを、それ程、真剣に考えてはいないと思うのですね。

 毛利子来さんは、以前からずっと子どもの権利条約に関わってますが、例えば赤ちゃんが予防注射に来て、大泣きをしていやがっている時に強制的にやってもいいものかどうかということをまじめに考える人で、どうするかというと、するしかないでしょうけれど、一応心の中で「おまえにも自己決定権があって、いやなものはイヤと言っていいはずで、このイヤな注射をすることで熱を出したりすることがあるかもしれないけれども、今の所、おまえはまだ口がきけないので、申し訳ないけれど私達が勝手にやってしまうよ」とあやまりながらやるということです。でも幼児ぐらいになって、4〜5才の子どもが予防注射に来て、絶対にやらないと大さわぎをしていたら、毛利さんもやらないそうですし、私もなるべくやらないようにしています。お母さんは、せっかく休みをとって来たのに、こんな所でと思いますけれども、やはりそれは、それくらいがんばっているものは少し保留してやった方がいいのじゃないかと思います。いつも子どもが、自分がいくら拒否しても絶対に通らないんだ、いつも大人が勝ってに決めてしまうんだと思ってしまうのはとても怖いことで、だんだん大人になると、結局、強い人がいつも決めることで、いくら抵抗してもダメなんだとあきらめる人間になると思うのですね。

 松田道雄さんが自分が病院へ行った時の体験をもとにして病院とはこういう所だというのを書かれた本が昔ありまして、今は絶版になってしまって残念ですけれども、とにかく描写が本当に手にとるようにわかって、すごくおもしろい本なのです。医者が自分の方を見ないでカルテだけを見て、「どう?」と聞いたという。自分はこんなに年が違う人にこういう口の聞き方をされたことがないので、どぎまぎして、何か言おうと思ったことも言えなくなってしまったとか、看護婦さんは一方的に事を決めてしまうというか、「はい、次は何月何日の何時にどういう検査をしますから、朝ごはんを食べないで」とか、ポンポン言われて、およそこちらの都合を聞いてくれないとか、非常に細かく書いてあって、とてもおもしろいのです。松田道雄さんでもかなわないのですよね。医者の前では何も言わせない雰囲気になっていますよね。病院のカラクリがあって、薬を出したり検査をするというのも、かなり患者さんの口封じになっている所があるのですね。私も修業がだんだん出来てきて、なるべく患者さんには薬を出さない、検査をしないように、おしゃべりだけして終わりということがあるのですけれど、なんか終わらないのですよね。いくらでも話すことがあるというか‥‥。そのキリがなくなりそうになった時に、「はい薬」とか「はい検査」とか言うと、だいたい別室へ行くということになっているのです。それがないと、いつまでも診察室にいて、終わりがないんですね。

 これもアメリカなどでは、電話で予約をするということになっていますから、病院の待合室に20人も30人も待つということがありません。で、水ぼうそうもおたふくも、溶連菌感染症もみんな一緒の待合室で待って、うつし合うなんて事はあり得ないのです。そして、電話をして、すぐに来なければいけない人と、何時間後に来る人と、明日来る人とに振り分けをして、その順序で来るわけです。そのかわり一人に30分とか40分とか時間がとってあります。処方箋も違うのですよね。下痢で行くと、処方箋に何を食べさせるかとか、どれだけ水を飲ませるかといか書いてあるのですよ。日本では、処方箋というのは薬が書いてあるものとなってますね。処方というのが薬だと思っているのです。しかし、処方というのは、治し方の指示が処方であって薬ではないのです。下痢だったら本当は薬を飲ませなくてもいいのです。薬は飲ませないのが一番で、水分の補給だけで自然に止まってくるのを待つのが一番いいわけです。でも、日本人はやはり待つというのがたえられないものだから、パッと止まるように下痢止めを使います。そうすると O-157の感染のような場合、強い下痢止めを使うと毒素が外へ出なくなって、非常に重篤になってしまうということが実際にあったわけです。だから、だいたい自然に治るというのは、時間かかるのですから、その間、こういう事をしていればいいというのが書いてあるのが処方箋なのです。最近では運動処方というのがあるのですが、例えば糖尿病の人に1日どのぐらいの速さで何時間歩きなさいとか、これは歩く事が処方なのです。これは非常にすっきりしているのだけれども日本ではあまり納得がいかないというか、お医者さんに話だけしてもらって、お土産がないというか、薬とか、ちゃんともらうといいというか。それで子どもが薬づけになっていますよね。本当に便利にはなったのでしょうけれども。お薬も飲みやすくなったから、何日分か飲んでしまったという事故もあるのですね。昔は何日分かいっぺんに飲めるようなおいしい薬はなかったのです。鼻をつまんでいやいや飲むという、薬というのは本来、飲まないとどうなるというのを説明されて、しょうがないから飲んでいるものだったのですよね。それに、あの、色素だとか香料だとか甘味料だとかいうのは恐ろしいものです。無添加のものを毎日食べている人が、病院へ行って無添加の薬がもらえないのは悲しい話で、色素は、だいたい子どもが喜ぶからというのでピンク色とか黄色の薬が出ていますけれども、あれは悪名高い赤色何号とか黄色何号という有毒色素ですから、あれでアレルギーになってしまうことがあるのですよ。だから普通の風邪で行ったのに、その色素の薬を飲まされて、ぜんそくになったという笑えないような話がいっぱいあるのです。

 非常に過剰な医療になっているけれども、やはり病院へ行って言えないですね。すごい人がいまして、僕の知っている女性で、自分の子どもがぜんそくで病院に行ったのですが、「薬漬けはゆるさない」とか「過剰な医療は認めない」というゼッケンを前、後ろにつけて行ったという豪傑がいまして、そうしたら、すごく丁寧なもてなしだったそうです。そういう人を医者はこわがるのですよね。医者はこういう不退転な意思を持った人というか、何かあったら裁判するぞ、という気迫があふれている人は怖いです。だいたい、多少ミスがあっても、説得できてしまうとか、こっちのせいじゃないとそっちのミスだと言いくるめてしまえるものだと医者がなめている所があって、とにかく権威に弱いのですよ。医者というのは、本当に弱いものに強くて、強い者に弱い典型みたいなことろがあります。だから、みんながゼッケンをつけて行ったりすると、小児科も産婦人科も少しは良くなるかもしれません。

 今、一冊新しい本を書く予定でいるのですが、それは「育てにくい子の育て方」という本で、一般の育児書には育て易い子のことしか書いてないのですね。概ね大丈夫というか、そんな事は 100人に1人くらいしかないというので省略してある。しかし、その1人に当たることもある訳で、それは大変。「障害をもつ子のいるくらし」という本はもう書いてしまいました。「障害を持つ子」というのがあって、「健常」と言われる子がいるのでしょうが、もう1つ、たいしたことはないのだけれど親にとってとても苦になる子というのがあるわけです。すごく悩んでいて、隣には難病の子どもを育てているお母さんがいて、「うちの子に比べたらお宅なんかとんでもないわよ」と言われても、でもそういうものではなくて、それはやはり比較は出来ません。自分にとってはものすごく大変なことだという、抱えた物の大きさというのは客観的には判断できないことです。やはり子育ては基本的には、その時の大変さ、あとになって考えると、結構「な−んだ」っていう楽しい話なのだけれど、やっている最中はそんなに楽しいばかりではなく、キツイ事の方が多くて、時々楽しいということでしょうね。でも、その「時々、楽しい」というのを十分に楽しむには、いろいろな雑音に耳をかしてはいけません。基本的には生き方の問題だと思います。

 どういうふうに子どもを育てるかいとう育て方の問題ではなくて、お母さん、お父さんが自分の生き方をどうするかということだと思います。そうやって信じて生きている生き方が結果として子どもにとって良いか悪いかわかりません。しかし、だいたい世の中は右翼の子どもは左翼になるし、左翼の子どもは右翼になると言われていますね。お母さんが共働きで、うちにいなかった家の子どもは(うちの下の娘もそうですが)「いいお母さんになりたい」って言います。そうすると、その次の娘にあたる孫は、きっと「あのお母さんはしんどかったから、私はもっと管理しないお母さんになる」とか言って、そういう繰り返しだと思うのです。だから、親が思うようにはだいたい育っていきません。先の事はどうせわからないわけですから、今、どれだけノンビリ楽しい時間を持てるかということで、それには一人でやるのは大変で、いろいろな人と手を組んでいくことだと思います。お母さんもお父さんも一緒にやらなければいけないし、地域では相談出来る人がいっぱいいる方がいい。おばあちゃんも、もしいたら、おばあちゃんは自分の孫をみないで、隣の子どもの面倒をみるといいですね。お互いに交換するといいと思います。自分の孫だと目がくらんで、もう訳がわからなくなってしまって、何も正しいアドバイスが出来なくなってしまうのですね。お母さんより過保護になってしまうのです。今の世代のおばちゃんは、自分も過保護にされて生きてきた世代です。だから孫にも過保護になってしまうのです。おばあちゃんやおじいちゃんは地域で活用する方がいい。自分の子はみないで、他の子をみる為にボランティアに出掛けていくというような関係になるといいと思います。

 いずれにしても、地域でみんなで楽しく生きていくというネットワークを作って、色々な経験を生かしながら、それぞれの時代のそれぞれの文化の中での子育てがあるだろうし、それぞれの生き方があるわけですから、そういうものを作っていかれるといいな、と思います。



質疑応答
 
質問
 800円ではもったいない、いいお話を聞かせて頂いて大変楽しかったです。いくつかインプレッションが残っています。1つは、「待てない」という話なのです。私のところは共稼ぎですから子どもが病気になると待てないのです。早く治して早く保育園に連れて行って、早く職場に復帰しないといけない。今の日本では病気の子どもを預かってくれる所がないので大変困ります。 待たなきゃいけない時に保育園で預かってくれなければ、どうしたらいいでしょうか。やはり薬漬けにするしかないのでしょうか。
山田
 僕もつれあいが医者をしていて、つれあいの方も開業してます。だから自分達が休むのはすごく大変な事で、ひとには「あまり薬は飲ませるな」と言いますが、自分の子どもは薬をどんどん飲ませたりしていて・・・。アメリカの雑誌に子どもの中で一番不幸なのは小児科医の子どもだと書いてありました。我が家では息子が「お父さん、熱があって頭が痛いんだけれど」と来ると、「そこら辺から薬を持っていって勝手に飲め」とかいう、ひどい状態です。だから残念ながら、社会的に待てる状態にないということですね。子どもの病院の為に一日仕事を休んでクビになったという人が身近にいたりします。

 病児保育というのも保育園の体制からいってかなり大変で、実際には保育園の裏に小児科医が開業しているという地理的条件とかがないとうまく行かないですね。日本の保育園はスペースがないから色々な病気の子が一緒に寝ているしかないという状態で、本当の病児保育はできていません。だから保育園以外に病気の時に預かるような病児保育ママさんのような人が地域にいるとか、そういうようなことを作って行くしかないのかな。

 僕は、開園して22年位になる保育園の嘱託医をしていますが、そこは、保育園を卒園した人のお母さん達が預かり合いをしています。そして同時に不登校の子を預かるということもしていて、それは地域のネットワークとしてやっています。さっきのおばあちゃん達の活用というのもそうなのですが、おばあちゃん達もそういうことが出来ないかと思います。日本はボランティアがすごく少ないと言われていますね。お年寄りの介護のボランティアをみても、僕の所へくる患者さんで80才過ぎのおばあちゃんが70才代のおばあちゃんを介護をしたりしているのです。主婦層にあたる人のボランティアがすごく少ないです。専業主婦で自分の子どもだけみているというのは、すごくきつい事だから、外へ出る方がいい。そういう意味では仕事をしていないと保育園に行けないというのも変で、ボランティアをしていても保育園に行けるようになるべきだと思います。ボランティアをどれだけ活用できるかとうことがネックのような気がします。お年寄りでも、ゲートボールやカラオケで楽しむ人はそれでいいのですが、人づきあいが下手でうちにこもっている人などは、保育園にボランティアに行ってもらうと子どもに色々な事を教えたり出来ていいと思います。そういうことが出来てないので、みんなでこれは知恵を出し合っていきましょう。

 予防注射もそうですが、受けないでかかった方がいいと言うのだけど、働いていると、おたふくで1週間、水ぼうそうで1週間休むというのは大変なことですと言われます。それはそうだと思いますが、だけど予防接種としておすすめできるものではないというのがジレンマで、それは何とかしたいと考えています。ついでに言うと、受験だからというのでインフルエンザワクチンはきかなくてもやりたいという人がいたりして、受験の方が病気よりも大事というふうになってしまうのもどうかと思います。やはり医療がこうなってしまうには、なってしまうだけの背景というものを持っている。色々な社会の矛盾のしわよせがここに出てきていると思いますから、それはみんなで考えて解決して行かなければいけないと思います。
質問
 私の子どもはダウン症児で、今、普通学級に通っています。京都では永松記念教育センターという所で就学相談というのをやるのです。そこへ行って話をすると、「お母さん、これでいいと思っているのですか」というような脅迫を受けるのです。「この子がかわいそうだと思わないんですか。授業が全然わからないで教室にいるですよ」とかいうようなことを言われるのです。それでも私は「みんなと一緒がいいとこの子も思っているし、私も地域の中で育てたいと思っているから普通学級にやっているんだ」と言います。オーストラリアに行って聞いてきたのですが、実際にダウン症の子が統合教育で育てられて、週に5時間、アシスタントパーソンが付くという状況を見てきてということを話しますと、「ここは日本です!」。教育事情が違うとか、40人学級に1人しか先生がいないとか否定的なことばかり言われるわけです。ちっとも耳を傾けようという姿勢がないのです。学校長もそうです。それでいつもケンカしてきて、カッカくるんですが、先生はそういうことはなかったでしょうか。
山田
 ここにいる娘は、ついこの間、中学を卒業してから10年目にして高校を卒業しました。だから今は、ようやく学校との闘いを終えて一段落して、ホッとしたような、終わってみると淋しいような気分もあります。

 小学校入学以来、ずっとケンカをし続けてきました。こういう所へくるとこんなにしゃべっている僕ですが、学校へ行くと全然相手にされなくて、「お父さんもお母さんも医者だろうけど、親の意見は信用できないので別の医者の意見が聞きたい」と言われて、しょうがなく別に主治医を仕立てて、そちらへ話を聞きに行ってもらいました。その人は僕の後輩ですから、「先生が行くから、こんな話をしておいてくれよ」と言えば通じてしまうような仲なのに、学校は「他のお医者さんの意見を聞いて、大変安心しました」と言われました。高校へは1年間自主登校して、毎日、高校の庭まで行って帰ってくるということを1年間続けましたし、都の教育委員会へ行って深夜まで座り込んだこともありますし、色々な事をしてきました。

 やはり障害児だけじゃなく、色々な人が一緒にいるということに日本の社会は慣れていないのだと思います。それこそアメリカなんかは、日本人の子どもが何にも言葉ができなくても、明日からその学校へ行きたいと言うと行けるみたいな。普通、言葉が出来なくてかわいそうとか言うけれど、向こうは平気みたいですよね。日本だったら日本語ができるようになったらいらっしゃいという話になってしまうのだけれど、実は行っているから出来るようになるのであって、出来るように練習しても、なかなか出来るようにはならないのです。集団の中にいる為の訓練を沢山しておけば集団に入りやすいのではなくて、早くから集団に入っていれば、いつしか集団に慣れるようになる。外国人とつきあう練習を何年もかけて練習してるより、一緒に1日でも2日でも生活した方が早いというのと同じです。やはりそのことに慣れていないのだと思います。ほとんど日本人だけで構成している国なので、同じように教育されて、同じような考え方の人だけで能率よくやってきたから、能率が悪くなることや、ちょっとバランスがくずれるのがすごく怖いという、集団の心理みたいなものが働いていると思うのです。横並びをこわすのに一種の恐怖感がある。一方で、どこかで分けられてしまうと一生分けられてしまうというのを周りにいる人間は察知出来てしまうから、選択の段階で保育園に行くか、通園施設を選ぶかというのは、一生の選択になってしまうことがあります。いつも別の所でずっと生きていくか、いつも一緒の所で生きていくかという別線になってしまう。どちらを選んでも、しょっちゅうゴチャゴチャになっているのだったら、それほどの問題はないのですが、一度選んでしまうと、運命的にその線に乗ってしまう。しかも、子ども達の可能性にかけるのではなくて、周りに係わる人が、障害を持って生きるんだから、こういう方がいいんだというふうに決めてしまっているところがある。世の中というのは、そういうものではない。もっと人間はその都度、融通無碍(ゆうずうむげ)に生きていくものです。大学に行こうと思って生きてきたけど大学に行かないこともあるわけだし、色々な生き方を選んでいくわけですよね。障害児に対しては、そのレールに乗せてしまって、それが能率として非常にいいというので、色々とメリットが言われるのだけれど。

 僕は、今の日本の学校も教育も絶対良くないから、どこを選んでもよくないというのは確かだと思うので、ほとんどの健常な子どもが学校へ行ってつらい思いをしているのに、障害児だけがここへ行ったら幸せになりますよって言われるのは変だと思います。障害児に幸せな所があるのなら、健常児にも作ってほしいと思います。健常児にはつらい所でも耐えろと言っておいて、障害を持つ子だけには、こっちにもっといい所がありますって言われると、それは違う。隔離された場所におかれると、それはそれでやって行ける所もあります。僕は精神病院などにも嘱託医で行ったことがありますが、精神病院でも中では患者さんが結構自由にしている所もあります。でも、それは外へ出られないからなのです。地域が受入れないから地域に比べれば精神病院の方がいいという人がいるのです。それはとても悲しいことですね。本来的ではないわけです。シャバで生きていくとご飯が食べられないけれど、刑務所なら食べられるという人もいるかもしれない。でも、それはそこまで追い詰められての選択であって、そんなに密閉された場所であってもそこが天国になってしまうというのは開かれた所がないことの証明だと思います。

 面白いことに、障害を持っている子と健常な子とを比べると、障害を持っている子の方が不登校が少ないのです。いじめられると不登校になりますが、放っておかれるだけでは不登校にならないのです。だから、そういう意味では、ああいう中でも子ども達にとっては学校というのはいい所だと思いますし、娘も高校へ行って、大変でしたし、卒業するまで6年もかかりまして、1年生4回やりましたが、それでも、ものすごく楽しい高校生活を送っていました。 高校へ行ってみて分かったのですが、別に勉強がしたいわけではなくて、やはり同じ世代の子がピアスをしたらピアスをしたいとか、みんなポケベルを持ったら持ちたいとか、帰りに自動販売機で飲み物を飲んでみたいとか、当たり前にその年代の子がやる事がやりたいんですよね。障害をもっている子というのは、そういう子たちとは違う生き方をしている。だいたい大人が連れてどこかへ行くことになるので、子どもだけの集団で生活できる機会がすごく少ないと、やはり違う生活になってしまう。若い娘さんだったら、障害を持つ子も健常な子もおしゃれをして、そこら辺をブラブラして、誰かのオッカケでもしてというのが、当たり前の年代の生活だと思うのです。そういうことが障害を持っている子に、どこで保証されているかというと、されていなくて、ある集団の中でそれなりの幸せで生きて行くというのは、ちっとも世の中をよくしないし、そういう生き方をしていると外国人とか、部落の人達とか、日本の中にだってアイヌとか色々な民族的に違うと言われている人がいるわけで、そういう人たちに優しくなれないと思うのです。障害を持っている子の親がたまたま気付いて、切り開いているものというのは、決して障害を持っている子どもの為のものだけではないのであって、もっと広い所で切り開いているはずだと思うし、そういうふうに広がってくれないとつまらないと思っています。
質問
 うちの子も軽い知的障害があり、いつも悩むのは、この子に字を覚えてほしい、覚えたら世界が広がるという欲がつい出てしまって、今、普通学級に行っているのですが、普通学級の中で、この子に合った事を1つでも得てほしい、この子が関心のある事を1つでもしむけてほしいという思いがあります。しかしその反面、やはり「普通学級に置いてもらっている」という意識があって、先生に要求していくことが次々に出てくると、どこまで言っていいんだろうという遠慮もある。家では公文式をしているのですが、本人もそれをすることを楽しんでいることもあるのですが、やはり苦痛もあるし、それをどこまでガマンさせればいいかという兼ね合いがよく分からなくて、出来たら嬉しいし、どの子も学びたがっていると思うのですが、やはりこの子に学ばせることは苦痛を与えているのじゃないかという思いで悩むのです。

 「能力を高める」という言い方はおかしいのですが、子どもに対して社会に出るまでに何をさせてやりたいかというところで、いつも悩むのですが、この子に得るものは得させてやりたいという思いとの兼ね合いは、どの程度なのか悩むのですが、どのようにお考えでしょうか。
山田
 それはもう試行錯誤だと思います。それは障害児だけの問題ではないですね。普通、親が押しつけてドンドンやらせてある学校を目指すというのがはっきりしている人は別にして、子どもにとってこれが楽しいものかなと悩むような親にとっては、誰も共通することだと思うのです。やはり、何か覚えた方がいいだろうと思うし、出来ることがあった方がいいだろうと思うのは当たり前で、そこで子どもが本当に望んでいるものは何かとか、子どもの力は本当にどの辺かというのは、これはもう、いくらつきあっても分からないものだと思います。

 で、学校については、障害を持っている子に手が回る程、余裕のある所ではないのです。「学校改革」なんて文部省がいくら言っても改革されていないし、むしろ学校の先生の側で、学校を5日制にするというと、自分の科目を減らしたくないということで、先生が争われるみたいなんですね。本当に今教えていることの3分の2くらいに授業内容を思い切って減らしてしまったり、1週間の内2日くらいは何をしてもいいという、本当にゆとりみたいなものが出てこないと、もう先生は授業をこなすだけだし、各クラスで進度が比べられているようにな状態だし、だから、例えば、風邪が流行った時に、授業が遅れているクラスは多くの生徒が休んでいても学級閉鎖にならないとか、子ども達が言っているんですね。そういう余裕のない学校で、とても手が回らないと思います。だから、どうしても教育や学校のあり方は急いでかえなくてはいけないと思うし、それはみんなが声をあげていかないとダメだと思いますね。PTAなんかも本来的にはPTAが出来た外国では学校のチェック機関として作られているものみたいですね。でも日本のPTAは学校の協力機関になっている訳で、ほとんど下請けです。もっと物の言えるPTAになっていかないといけないし、そういう中で、心ある先生と、人権だとか、何だとかについて語って、どんどん変えていかないと、本当に大変なことになるという感じがします。
質問
 勉強のことなのですが、出来ない子はやはり親が一生懸命に教えなくてはついていけないでしょう? でも、子どもがやる気がないのに親がおしつけるというのは、やはりダメでしょうかね?(笑い)

 本人がその気になるまで放っておく方がいいのでしょうか。私は孫がいるのですが、子の時は失敗したのです。今、孫を見ていて、あれもこれもさせてやろうと思うのですが、それは押しつけになるのでしょうか。(笑い)
山田
 おとなから言えば、何が伝えたいかというか、子ども達にどういうおとなになってほしいかをはっきりさせることだと思うのです。僕なんかは子ども達に、ちゃんと自分で考えて自分の意見が言えるというふうになってほしい。自分はあまり子ども達に何も教育してきませんでした。うちはこの娘の下に2人いるのですが、息子はガスの配管工をやったり、パチンコ屋の店員をやったりして、今はフリーターみたいなもので、ちょっとどうするのか分からないのですが、でも見ていたら、とてもステキな人生なのですよ。僕やつれあいは本当に勉強だけをしてきた人生なのですが、本を読まないというのはこういう世界になるのかと思うような、非常にスカッとした世界なのです。ガスの配管工をやっていた時なんか、僕が仕事を終えて昼休みになって、息子は夜中からガスの配管やって汗みどろになって帰ってきて、シャワーをあびてさっぱりしていたりすると、「アッ、こいつ仕事したんだ。オレは仕事しているのかな」っていう感じになって、何か労働にすがすがしさを感じるというか、非常にメリハリがはっきりしているのですよね。仕事の時間と、それ以外の時間というのが。僕なんかズルズルしていて、いつが仕事の時間で、いつが自分の時間なんて分からないような生活をしていると、ああいう労働って、はっきりしているんだなぁと思います。

 昔はもっとスッキリした労働が多かったような気がします。だから楽しむ時は楽しめたし、労働に対する思い入れみたいなものも社会とか仕事とかに対する思い入れもあまりなくて、決められたものをキチンとこなすというぐらいのものですよね。それで、すごく楽しかった。一番下の娘は高校卒業して調理師の専門学校へ行っていますけれど、全然、受験も何も全くなく、一番上の子を高校へ入れる為に運動しただけで、あとの2人には何もしてきませんでしたが、すごくさわやかですね。お金はかからないし、気持ちはノンビリしているし、それに受験をしないと学校に対して何でも言えるのです。何もこわいものないですよね。高校なんか行かなくてもいいと思ったら中学で何でも出来るというか、だから、うちは一番下の娘は僕らの市内で始めて西暦入りの卒業証書を学校から持ってきました。校長が「それ位の事でしたら喜んでいたします。手書きで書きます!」と言うから「エエッ!」と思ったのですが。日の丸もおろしましたし、西暦もとりましたけれど、何もこわいものがないというか、何でもやれるんです。
質問
 聞き取れず
山田
 息子がパチンコ屋さんに就職する時に、親が医者だというとすごく疑われる。息子にしてみれば、逆にしんどい人生みたいです。こういう家に生まれると大変かなと思います。娘も専門学校の面接の時に、こんな学校でいいのかと言われたというのです。だから、それぞれのことはあるけれど、世の中、景気もどうなるか分からなくて、価値観も相対化してきて、どういう人生がこれから楽しく生きていける人生か分からない。僕はなにもエリートになることが必ずしもよくないとか、大きい会社に入っていれば安心できるとかいうものでもないと思えるようになったのは、少しいい事だと思います。大学が少し人気がなくなって、職人とか、職人志望とか、専門学校の希望者とか、多くなったみたいですね。そういうふうに相対化してきたのはいい事ではないかと思うから、やはりおとなとしては、何を伝えたいか、どういう子どもになってほしいかということだろうと思います。

 子どもは操作出来るものではないと思いますよね。操作出来たかと思うと、どこかで仕返しがくるから、思うようにいかない方が当たり前で、かえっていいのかもしれません。

司会
 ありがとうございました。 800円という値段の設定はちょっとミスったかなと思っています。ただ、本当にたくさんの人に聞いてほしいという思いがあり、先生には申し訳ないと思いながら 800円でしました(会場笑い)。でも、本当にそれが安かったと思って、たくさんのものを持って帰って頂ければ、企画した方としては、とても嬉しい事です。本当に子どもは今を生きているということをしっかりと私達もキモに命じて、そうすれば、きっと私達が自分でどういう生き方をするかというのが選んでいけると思いますし、そうなればきっと、とても楽に生きて行けると思いますし、言いたいことも言っていけると思います。

 今日のお話をしっかり胸にとめて、これからやって行きたいと思います。
 先生、ありがとうございました。(拍手)


会報No.78のindexへもどる