大の大人が涙と鼻水で顔を泣き腫らす事など、そうそう有る事では無いと思いますが、私達の息子友大の誕生はそうさせるには十分な出来事でした。 正直言ってしばらくは喜べなかったし、むしろ乱暴な事を言うようですが、いっそこのまま人間社会の冷たさを知らずに天国に行ってくれた方が良いのではないかなどと思いました。が、今私の横で寝ている友大の顔を見ては、なんと無責任で可愛そうな事を思ってしまったのだろうと反省しています。 今年7月27日に友大は誕生し3日後には喜びとは一変して悲しみで落ち込んでしまった私達に一点の光を与えてくれたのが、某新聞に記載されていた障害関連のホームページのアドレスで、何もする気が起きなかった数週間後に始めて私達が起こした立ち直る為の第一歩がコンピューターの電源入れだったのです。 膨大なページの中からとにかく「ダウン」の三文字を見つけようと必死になって見ていく内に、トライアングルさんとの運命の出会いが待ち受けていたんです。 手招きされるようにページを開いたとたん、突き付けられる様に目に飛び込んで来たのが「天国の特別なこども」という詩でした。 先にも書いたように、生まれた我が子に対して育ってほしいと願うのではなく、逆に天国にいってくれた方が良いのではと思ってしまった私達にとっては衝撃的な詩でした。 「特別な命を授かったことに悲観し再び天国に帰ったほう方が良いのではなどと思うとは何事か このバカタレ共が!」と一括された様な思いと、「生まれおちるすべての命に対して永遠なる希望と優しさを持ちなさい」と教えられた思いに、こらえていた涙が一気に流れ落ち、パソコンの画面を前に恥ずかしながら2人で大泣きしてしまいました。今思うときっと凄い光景だったにちがいないでしょう。 時間が経つのも忘れむさぼる様にページに目をやり、全てのページを読み終わる頃には気持ちがとても楽になり「頑張ってこの子を育てていこう」と笑顔で言い合えたのを今でも鮮明に覚えています。 会った事も無い会員の皆さんの明るく前向きな姿勢がインターネットを通して、恰もパソコンから生え出た二本の腕に抱きしめられて「もう心配しないで、みんなここにいるから大丈夫だよ」と励まされた思いでした。 千葉県という遠距離ではありますが、希望がかない9月に正会員とさせて頂きタイミング良く9月26、27日の合宿にも初参加出来ました。 パソコンの画面から私達を抱きしめてくれた会員の皆さんは、寸分違わぬイメージ通りの方々で、その明るく優しい家族やボランティアのお兄さんお姉さんが見守る輪の中で、校庭を自由に飛び回る子供達。その純粋で綺麗な笑顔に魅せられている内に、いつの間にか幼い頃の私がその中にいた様な気がしました。山の家の合宿は大人も天使になれる所でした。合宿も無事終え再会を約束し解散。600km先の我が家に向かう車のエンジン音もとても軽やかに感じ、早く友大に会いたいと焦る気持ちを押さえながら家路に向かいました。心配事は山積みですが、明るい希望はもっと山積みです。しかも日に日に増して。 皆さん有り難うございました、そしてこれからもよろしくお願いします。 下鳥友大の父 浩一より |