京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)データベース


(1993年12月号 掲載)

就学についてのおしゃべり会報告

久々のおしゃべり会で、課題が“就学”という事でもあり、15名のお母さん方が集まって下さいました。この日は、お父さん方はもっぱら子守りに勤しんで下さいまして本当にありがとうございました。

来年の春には入学を迎える子供を持つお母さんや、現在もうすでに育成学級や普通学級に通わせているお母さんが入り交じっての熱のこもったコミュニケーションの場となりました。

主な内容を箇条書きにしてみます。
  • 入学前に、行きたい学校の様子をよく調べて、できれば適就を受ける前に 見学に行ったほうが良い。(小1・育成)
  • 身辺自立ができていないので普通学級へ入学させるのは不安なのだが‥。(年長)
  • 地域の学校には育成学級があるが、できれば普通学級に入れたい。(年長)
  • 現在通っている育成学級は児童10名に対して担任が2名なので、あまり 手をかけてもらえない。(小1・育成)
  • 入学前、排泄のことが心配だったが、今のところ、ほとんど問題はない。(小1・普通)
  • 入学当初は教室から抜け出したりして担任の先生や教務主任の先生にお世話になったりしていたが、この頃は一応、机に向かっているようだ。(小1・普通)
  • クラスの父兄との関係も大事だと思う。最初のクラス懇談会の時に担任が父兄の前で話をしてくれた。(小1・普通)
  • 地域の学校はマンモス校で育成学級がなく、受入れ体制ができていないので、となりの学校の育成学級へ通っている。高学年になってくると、担任も忙しくて、なかなか交流をしてもらえない。(小4・育成)
  • 京都市の場合、育成学級へ通いながら学童保育を受けると学童保育所へ毎月24,500円の補助金がおりる。加配の先生を依頼する場合の足しにしたりできて使い道は自由であるが、それを越える費用は親の負担となる。(小1・育成)
  • 長岡京市の場合は、全小学校に学童保育所があり、6年生まで通えて必要な加配の先生もつけてくれる。京都市の学童保育は3年生までである。(年長)
  • 入学前は親の気持ちがしっかり確立するまで、少しでも多く情報を得て、話し合いをするべきである。入学後は、子供の様子を見ながら、ある程度の柔軟性をもって常に考えていくほうが良いと思う。(小4・育成)
以上のような話がつぎつぎに飛びかい、あっという間に2時間が過ぎていきました。
参加して下さったお父さん、お母さん、ありがとうございました。

(1993年10月号 掲載)

小学校へ入学して
沢野しげ子   
 美希が長岡第八小学校へ入学して半年が過ぎました。
先日は運動会がありました。リズム、40m走、玉入れ、応援合戦と、どれもみんなと一緒に美希なりにがんばり、最後まで楽しく参加できたこと、親としては感激の一日でした。そして、美希の「やったよ」という自慢気な顔を見て、普通学級へ入れてよかったと思っています。

 1年前の今ごろ、普通学級へ入れることを決めて、学校との何回かの話し合いに臨んだものの、本当にこれでいいのか、美希にとって一番いい場所はどこなのかと迷いが出たのも確かです。でも地域の障害児学級を見学し、人数(3人)や指導のし方、普通学級との交流の状況などを考えると、どうしても障害児学級には入れる気にはなれませんでした。
 普通学級に入ることによって、美希にとってはしんどいことばかりかもしれません。でも、やってみなければ、どうなるかはわからないし、きっと楽しいこともみつかるだろうし、たくさんの中でいろんな経験をすることによって得るものは大きいし、生きていく力になると思いました。

 学校側(校長)は、表面的にはおだやかな口調ですが、なんとか障害児学級へ入れたいと考えていることは、こちらにもしっかりと伝わってきました。でも、最終的には親の意志が通るので、一応普通学級ということで落ち着きました。

 4月、5月は美希も環境が変わり、落ち着きがなく、何度も教室を出て行ったり、おしっこの失敗などが続きました。でも、学校へは毎日元気に行ってくれます。朝は、登校班の6年のお姉さちゃん3人をむかえに行きます。お姉ちゃん達も美希が来るまで家の中で待っていてくれます。こうしないとすねてしまうので、自然とそうしてくれるようになりました。4年の兄も、教室まで気をつけて見ていてくれているようです。私は、しばらくの間、門まで送って行ったのですが、今は、そこまでも行かなくてもいいようになり、帰りは友達と一緒に帰ってくるようになりました。地域の人達にも、いろいろ助けてもらっています。

 最近は、よく友達が遊びに来てくれるようになりました。学校では、中間休みの終わりのチャイムが鳴っても教室へなかなかもどってこなかったりもしているようですが、美希はマイペースで楽しく学校へ行っています。

 学校側は、基本的には障害児学級へという考えなので、入学後も3回呼び出され、できないことを取り上げては障害児学級へ勧めますが、評価のし方が親とはちがうので、話しはいつも平行線です。
担任の先生は、クラスの子供と美希の間にたって、いろんな面でパイプ役になって下さっているので、それはうれしく思っています。でも、もう少し視点を変えて見てもらえたら、美希のいろんな面がもっとわかってもらえるのにと思うこともあり、家での様子、親からみてできるようになったことなど、どんなことでも連絡帳に書いていこうと思っています。

 私自身がしんどくなったり、腹が立ったり、これでいいのかと悩んだりもしますが、美希が笑顔で帰ってくる姿に励まされています。
これからも、いろんな問題が出てくると思いますが、美希の状態を見ながら、その都度、どうしたらいいのかを考えていきたいと思っています。

(1993年10月号 掲載)

恵里衣の学校
奥野昭美   
 私の娘、恵里衣は現在、京都教育大学教育学部附属京都小学校の障害児学級3年に在籍しています。ダウン症をはじめ、発達に遅れのある子をもつ親なら皆、我が子の就学先を迷われることが多かれ少なかれあることと思いますが、私たち夫婦はなぜか、恵里衣が2、3才の頃から附属にあこがれ、是非に、と考えていました。恵里衣には6年生になる兄と、幼稚園年長組の妹がいますが、この兄がたまたま恵里衣よりも3年先に附属に合格し私も保護者として内部の様子をいろいろ知るようになり、恵里衣をこの学校に通わせてやりたい、という思いは益々募りました。

 1・2年時のお兄ちゃんのクラスに交流に入ったのが、たまたま女の子のダウンちゃんでした。彼は入学以来、自然に仲間の中に遅れをもつ子もいて、しかもそれが自分の妹と同じ障害だということで「ダウン症」と私たちがことばで説明するのでは到底おぼつかないほどのことを学びとってくれました。

 附属の「に組」(障害児学級)には1年から6年まで、現在14名が在籍しています。交流に入る同学年の普通学級が、い・ろ・はと3クラスあるので、基本的には各学年3名が定員なのですが、学年によっては2名しかいない年もあります。入学に際しては、普通クラス同様入学検定なるものがあり、毎年11月に行われます。何を基準に選ばれるかは定かではありませんが、学校側としては「6年卒業時までに自主通学が可能になると見込まれる者」と明記しています。
 受験者数は毎年いろいろで、今の高学年の子たちは10〜20倍という高倍率でしたが、恵里衣の場合、4名受験で2名合格の2倍でした。最近は遅れをもつ子どもたちが、地域の普通学級への入学を望まれる保護者が増え、附属の受験者数が減っているのも、その影響かなという気がします。

 さて、念願かなっての入学後、まずクリアーしなければならないのは、登下校の問題です。幸い、私たちの住んでいる大将軍からは、バス1本で、乗ってしまえば15分ほどの距離ですから通学経路は単純そのもの。基本的には保護者が付いてバスの系統・乗降・マナーなどを教えます。恵里衣の場合、就学前に文字・数字に関して何も教えていなくて、果たして自分の乗るバスの系統や降りるバス停を覚えられるのだろうか・・という不安がありましたが、そんなものは無用の心配でした。
 私は常々、学習というものは、机の上でするよりも日常生活の中での体験・経験を通していろいろ学びとっていくことが本来の姿だと思っているのですが、文字も数字も知らなかった恵里衣が、ほんの2〜3ケ月で自分のバスの系統を覚え、バス停の名前、降車ボタンを押すタイミングetc.あっという間に身につけました。でもバス車内では、いろいろハプニングがあるので、念には念をいれて、2年生の1学期まで一緒に登下校につきました。その次の段階では、本人には一人でがんばって通学していることにして、私は車でバスを追いかけ、先まわりしてバス停でちゃんと降りてくるのを確認すると、また先に学校へ行って車から降り、忍者よろしく隠れて恵里衣の様子をフォロー&チェックしました。
そして、2年生の3学期後半からは、いよいよ全くの単独通学で毎日元気に通っています。

 現在、に組の担任教官は4名で、14名の児童を3グループ(ほぼ学年別)に分け、日常の細かいカリキュラムは、このグループ毎に3つの教室に別れて学習しています。朝の会や体育、その他お誕生会や校外学習、「生活」の時間のお料理などは、クラス全体で取り組み、「課題別学習」という授業では学年にこだわらず、同じレベルの小グループに分かれ、文字・ことば・数などを学習する、というきめ細かい対応がなされています。
 また、附属では体力作りを重視され、体力のある子もない子もそれぞれの自分の力に応じてがんばれるよう指導されており、基本的に毎日ある体育では、スケボーレースやゲームなど取り入れながら体を動かし、週に一度の「校外学習」の時間には午前中いっぱいを使って西賀茂の舟山もしくは船岡山へ上り、体力をつけています。

 普通学級との交流としては、日常では給食と掃除に入り、遠足も交流学級で行きます。入学前には、この程度の交流でお友だちになったり、仲間意識をもってもらえるのかしら、とやや不安がありましたが、それもいらぬ心配でした。恵里衣はしっかりクラスの一員として受け入れてもらっています。2年終了時、クラス替えを前にしたお別れ会では、あふれる感涙を止めることができなかったほどです。また、運動会・学芸会では、各交流学級の一員としても出場し、そのうえに組独自の出し物もやりますので、練習は結構ハードですが、恵里衣はがんばってこなしてくれています。

 附属へ通うことによって生じるマイナス点として、地域の中にお友だちができない、ということがありますので、恵里衣は入学と同時に地域の学童保育に通わせていただいています。おかげで夏休みなどは盛りだくさんの行事で、充実した日々を過ごすことができ、お友だちもたくさんできました。ただ学童に関しては、3年生で卒業なので、来年度以降のことについては、今後考えていかねばならない課題だと思っています。

 就学先については、いくつかの選択肢があり、どれが正しくて、どれが間違っている、というものではないと思っています。それぞれの親が我が子にとって、どういう道を選ぶのがベストか、ということをよく考えに考えて選ばれた道なら、やはりそれがその子にとってベストなのではないか、と思います。恵里衣の場合は附属というとても恵まれた環境においてお兄ちゃんと3年間、同じ学校で過ごせたこと、そして私たち両親が学校をとても信頼していて、担任とも何でも話せて、とても良い関係であり続けられていること・・本当にラッキーだったと思いますし、これでよかったと心からそう思っています。

(1993年10月号 掲載)

就学について
木村真理子(父)   
 我家の長女真理子は、昭和60年−あの阪神タイガースが優勝したあの年−11月14日に2480gの未熟児として生まれ、まもなく満8歳になろうとしています。
現在、京都市立南太秦小学校2年2組40名のクラスの一員として毎日元気に、そして楽しく友達と一緒に通学をしています。
と書くと、何もかもが順調に成長しているように思われますが、それは大きな間違いで、いろいろと間題は山のようにありました!

 実家近くの産院で産まれた真理子は、予定通りに退院という訳にはいかず、一週間後京都第一日赤に転院となりました。数日後「涙の宣告」が先生よりあり、それこそ絶望の谷へと転がり落ちる自分たちの姿が見えました。「なぜ、なぜなんだ?」という思いで、「誰も知らないところへ親子で逃げ出したい…」当時は、そんな心境でした。ミルクの飲みが悪いため、『鼻注』を余儀なくされ、それは小さな体には、余りにも痛々しかったことを昨日の事のように思い出されます。鼻注によりミルクを与えるため、半年後に退院してからも毎回と言っていいほど全量戻し、いつになったら口から飲んだり食べたりできるのだろうかと随分と悩みました。

 しかし月日が少しづつ心の傷を癒してくれ、なによりも妻が冷静に事実を受け止め「この子を何としても育てよう!」という強い意志を発揮してくれた事が私にとっても救われる思いでした。

 3歳になってやっと、口から摂取できるようになり鼻注から開放されました!! 担当医から母子通園施設『こぐま園』を紹介され、文字通り藁にもすがる思いで門を叩いた次第です。ちょっとしたことですぐ発熱し、遅れながらも通いました。その甲斐があって『こぐま園』の勧めと我々の強力な要望で、嵯蛾野保育所に入所することができました。初めての健常児との団体生活で不安な面はたくさんありましたが、そこは子供同士の事、すぐ仲良くなり周りにうまく溶け込んでくれました。

 小学校入学に際し、『トライアングル』の諸先輩がたの意見も参考にし、早くから普通学級にぜひとも、と考えていろいろな面談に臨みました。理由は真理子も健常児と何等変わりのない普通の子供であって、たまたまいくつかのハンデキャップを持っているだけに過ぎないと判断したからです。本人が嫌と言うまでは、できる限り刺激のある環境に置いてやりたかったからです。
 しかし、どの進路がベストかどうか断言できませんが、幼児期から各方面に顔を出し、その子にとって最適と思われる進路を見出す努力をする以外にないと思う今日この頃です!

(1993年10月号 掲載)

就学について
高平福治   
 子供たち3人揃って同じ小学校へ通わせたい。
有香(現在小学3年生・普通学級)を保育園へ入れた時から、ずっと思い続けていた事が今春、次男が入学して実現しましだ。(それぞれl年、3年、5年に在学)

 有香の就学については普通か障害児学級かの選択でかなり心は揺れ動きました。普通学級に入れたいと早くから決めていたものの−本来校には障害児学級が無い−いざ決断の時期になると、あれこれ考え悩みました。

基本的には次の事を念頭において有香の就学を考えていたと思います。
 (1)地域の中で育てていきたいとの親の思い。
 (2)クラスの中に1人や2人変わった子供がいても当たり前と言う考え。
 (3)彼女の持ち前の明るさとパワーは多くの友達の中で育って来た。
 (4)学習についていけなくても楽しんで学校へ通えるか。
  (孤立しないか、クラスの中で自分のポジションを確保出来るか)
 (5)兄は有香が同じ学校に行く事をどう感じているか。

 個々の事柄についてここでは述べませんが、私の気持ちを非常に軽くしてくれたのは、母親の質問に対する兄の答えでした。
「有香ちゃん、お話も上手く出来ないけど、学校へいってお友達が出来るやろか」
「大丈夫、有香は千人に一人のダウン症やし、みんな変わった子には興味があるし周りに集まって来るわ」

 入学後の様子については、4月はまだ学習も少なく保育園の延長に近い状況。5月頃からは本格的に学習が始まり1校時(45分)机に座っているのが苦痛な状態が続いた様に思います。だだ7月からプールが始まり、それを楽しみに何とか1学期を終えました。そして2学期からは元気に通学を始めました。今3年生になり学習面(授業がわからない)から少し壁にぶっかっている様に思えます。

 就学のスタートを普通学級、障害児学級、養護学校の何れでするかは、子供自身の状態、地域の環境、両親の考え方等で違ってくるのは当然と思いますが、これだけは共通して言えると思います。

 就学に関する情報を得る機会を出来る限り活用し、両親が子供の進路についてのコンセンサスが得られるまで充分に話し合いをすること(自分自身の反省を込めて)。

 そして、一番大事なのは、親がベストだと思った進路を貫く事だと思います。誰よりも子供の事を知っているのは親だから……。

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