★★壁ぬけ★★

よく聞く体外離脱中の特徴の一つに「壁ぬけ」がある。私も何度も体験したが、普通に壁を通りぬけるだけでなく、「幻体」の腕だけを壁の向こう側へ突き出すようなこともできる。

では「幻体」は、「幻視」として見えている物体に対して、すべて素通りして触わることができないのかといえば、そうではない。

たとえば私はよく「壁ぬけ」に失敗する。壁に勢いよく体当たりしても、「ガツン」という衝撃の感覚とともに「幻体」が壁に跳ね返されてしまうことが多いのだ。

そういうわけで、家の外に出る場合は「壁ぬけ」しないで窓や扉から出ることが多いのだが、その時、窓が閉まっていれば「幻体」の手で窓をスライドさせるし、扉が閉まっていれば「幻体」の手でドアノブを掴んで扉を開ける。カギが掛かっていれば「幻体」の指で外す。

つまり、基本的に「幻視」で見えているモノは何でも触われるし、触わった感覚である「幻触」が存在する。そして、閉まっている窓や扉を開けることができるというように、「幻体」の取った行動に対して、その結果がまた「幻視」や「幻触」によって現れるのだ。

こうなると逆に、何でも触われるのならどうして「壁ぬけ」できるのだと言われそうだが、じつは「幻触」の感覚は長時間は現れないのである。

たとえば「幻視」で見えている扉を開けるためにドアノブを掴めば、ドアノブの形状と固さを「幻触」で感じることができるが、いつまでもドアノブを掴んでいると、次第に形状や固さが感じられなくなり、ついには「幻触」は消えてしまう。

「壁ぬけ」も同じで、勢いよく体当たりすれば壁に跳ね返されるが、ゆっくり壁に手をつけば、次第に壁の固さは感じられなくなり、ついには壁など存在しないかのように通りぬけることも可能になるのだ。

 
★★空を飛ぶ★★

「壁ぬけ」と並んで体外離脱中の特徴でよく知られているのが「空中飛行」である。

空を飛びたいという人類の夢を手軽にかなえてくれる「空中飛行」は、私にとっても体外離脱中の大きな楽しみである。まるでアニメに登場する超人ように、「幻体」一つでどこへでも飛んで行くことができるのだ。

しかし、まったく自由自在に空を飛べるというわけではない。「幻体」はどこまでも高く高く上昇できるわけではなく、たいていの場合、一度に上昇できる高さは10〜20メートルぐらいで、いったん上昇しきってしまうと、後は少しづつ降下しながら進むしかなく、飛行スピードも、歩くよりは速いが走るよりは遅いという程度である。

それは「空中飛行」というより、重力の少ない世界でかろやかな大ジャンプをしているような感覚と言った方がいいかもしれない。これは私だけの感覚ではなく、体外離脱体験者の多くが同様のことを言っている。

したがって、上昇限度以上の高所に行きたいときは、より高所の足場(より高い建築物の屋根など)への大ジャンプ移動を繰り返し、少しづつ上昇して行くしかない。

では、どうして体外離脱中の「空中飛行」において、「幻体」は上昇し続けることができず、スピードも速くないのだろうか。

それは、私たちが何の推進力もなしに、カラダ一つで空を飛ぶというイメージを持っていないからだと思われる。

たとえば、地上を歩くのなら、「足を動かす」「手を振る」というように具体的に何をしたらいいかが明確であるが、「空中飛行」に関しては実体験がないだけに、何をしたら前に進み、どうしたら上昇できるのか、というようなイメージが皆無である。

したがって、地上を蹴るなり窓枠を蹴るなりして空中に飛び出した後、何の推進力も持たない「幻体」が、重力の影響でゆっくり降下して行くというイメージを私たちが持つことは自然なことであり、そのイメージをもとにした「空中飛行」の「幻覚」を、私たちは体験しているのだと推測できる。

では「幻体」が上昇し続けるのは不可能なのかと言えばそうではない。降下するのがイメージの産物なら、上昇するのもイメージの持ち方で何とでもなるのだ。

たとえば、ある体外離脱中、私は自宅のすぐ近くの高台に建っている高層マンションの屋上に行ってみたくなった。屋上から自宅周辺の景色を観たくなったのだ。

しかし当然その高さまでイッキに上昇するのは無理である。私は自宅の2階の窓から飛び出した後、まず電柱から延びる電線に飛びつき、両手で電線を掴むと、グイッと素早く引き付け、その反動でさらに上昇することができた。

しかしまだまだマンションの屋上にはほど遠かったので、今度は空中を平泳ぎの格好で泳ぎ始めた。これは私が空中を上昇するためによく使う手段なのだが、空中といえども水の中のようにスイスイ泳ぐことができ、まさに平泳ぎのイメージどおりに空中を進むことができるのだ。

しかしこの平泳ぎには大きな欠点があった。それは「幻体」の手や足を大きく動かさなければならないことである。「幻体」の手足を大きく動かすと、眠っている現実のカラダの手足の感覚を呼び起こしてしまい、「幻体」が現実のカラダに戻されてしまうのだ。

この時も、やはり屋上に到達する前に現実のカラダの感覚が現れ始め、そのまま平泳ぎを続けると現実のカラダに戻されてしまうため、平泳ぎを止めざるを得なくなった。

そこで次に私が考えたのは上昇気流を使うことだった。都会に住む鳥は、高層ビルに発生する上昇気流を利用して空高く舞い上がる、というようなことをどこかで聞きかじっていたからだ。

案の定、マンションの下の方から突き上げてくる強烈な上昇気流に乗って私は上昇し続けることに成功した。あまりにも強烈な上昇気流だったため、私は屋上にうまく降りることができず、マンションをはるか眼下に見下ろすほどに上昇してしまったのだが、もちろん当初の目的である「高所から景色を眺めたい」という望みは達成された。

このように、私は「電線の反動」「平泳ぎ」「上昇気流」というイメージを使い、見事に上昇し続けることができた。しかし、これはあくまで私のイメージである。よく体外離脱体験をするという私の知人は、「ウルトラセブンが空を飛ぶ時の格好」をすれば、自由自在に空を飛べるそうだし、自分が納得できる「空を飛ぶためのイメージ」さえあれば、どんなイメージでもいいのである。

 
★★友人との接触★★

「幻体(げんたい)」の章でも少し触れたが、私は体外離脱中に友人との接触を何度も試みている。当時はまだ、体外離脱が「幻覚」でなく、「幽体」が離脱する現象だと考えていたので、「現実」に体外離脱の足跡を残して体外離脱の証拠にしたかったからだ。

一番近い友人の家でも5〜600mは離れているので、体外離脱中としては異例の長距離移動であるが、おもしろいことに、「誰それに会いたい」と思いながら移動していると、いつの間にか会いたいと思った友人の家の前や部屋の中に移動していた。

体外離脱中の移動スピードがあまり速くないことは前章でも書いたが、ちんたらちんたら道路沿いに飛んで行かなくても、会いたい友人のことを思い浮かべるだけで距離に関係なく移動することができたのだ。

おかげで近所の友人だけでなく、京都在住の私が遠く離れた東京の友人に会いに行くこともできたのだが、もちろんそれは私の「幻覚」の中の出来事であり、それが体外離脱の証拠になることはなかった。

私の体外離脱体験の裏付けをとることについては友人たちも協力的だったので、離脱中に友人宅に行った時は、現実のカラダに戻るとすぐに友人宅に電話をし、その内容を逐一報告したのだが、離脱中の状況が現実の状況と一致したことは全くなかったのである。

たとえば東京の友人宅においても、私が見た部屋の間取りや家具の配置などは現実とは全く違っていた。私は東京の友人宅には一度も訪問したことはなかったので、「脳」の記憶からその部屋の「幻視」を再現することができなかったのだろう。

また友人たちとは体外離脱中によく会話もしたが、会話の内容はもちろん、会ったことを肯定されたことすらなかった。ただ私も友人に電話で確認を取るまでもなく、うすうす幻覚であることは気付いていた。「幻視と幻聴」の章に書いた「金縛り中に現れた友人」の幻覚と、感覚が同じだったからだ。

こうして、体外離脱が「幽体離脱」した現象であるとの証拠を得られなかった代わりに、体外離脱が「幻覚」であるとの証拠を得た私は、次なる行動にでたのである。

 
★★最大の楽しみ★★

「体外離脱が幻覚なら何をしてもいいんだ!」と考えた私が次にしたことは、「幻覚」の女性を襲って無理矢理エッチすることだった。

現実世界では人権やモラルを考えれば絶対してはならない行為だが、「幻覚」の中なら誰からも非難されることはない。私は体外離脱をするたびに、道路を歩いている女性や、知らない家の中の女性を襲い始めた。

「幻覚」といえども襲われた女性は激しく暴れて抵抗する。その際、殴られたり蹴られたりする感覚もあるし(痛くはない)、手でブラウスを引き裂く感覚や、ショーツを降ろす時のゴムの伸びる感覚まである。そして女性たちは一様に恐怖と屈辱と侮蔑のまなざしを私に投げつけるのである。

あまりのリアルさに、私は本当は夢遊病者で、「現実に女性を襲っているのでは……」と考え、現実に戻ってから足の裏を触わって、砂がついてないか確かめたことも何度かあった。

ところで、私が女性を襲うのは、現実では絶対にできない行為が楽しいということもあったが、最も大きな理由は別にあった。じつは体外離脱中のSEXは、現実のSEXなどカスに思えるほど気持ちがいいのである。

いちおうピストン摩擦運動の「幻触」はあるが、その気持ちよさはピストン摩擦部分だけにとどまらず、全身を包む快感の嵐とでも言うべきモノで、延々と終わらない射精が続いている状態と言えば、男性諸氏にはわかってもらえるだろうか。

現実に戻ってからも、熱い風呂から出て来た直後のようにカラダが火照り、興奮状態が持続しているので、しばらくは再び眠ろうと思っても無理なほどである。

ではどうして体外離脱中のSEXは、現実のSEX以上の快感が得られるのであろうか。これは私の推測だが、体外離脱中のSEXにおいては、現実のSEX以上に「エンドルフィン」などの「脳内麻薬」が大量に出ているのだと考えられる。

「REM睡眠中は、脳内の神経伝達物質が多量に分泌される」という話を私は聞いたことがある。「REM睡眠」といえば、「入眠時REM睡眠」に代表されるように、まさに金縛りを起こす要因であり体外離脱中の睡眠パターンである。体外離脱中に性的興奮をすることで、神経伝達物質であるエンドルフィンなどの脳内麻薬が大量に分泌されてもおかしくはない。

現実のSEXにおいても、気乗りがしないSEXは全然気持ちよくないように、脳内麻薬が分泌されないと、どんなにピストン摩擦運動を繰り返しても快感は得られない。しかし体外離脱中のSEXにおいては、無理矢理エッチするという(私にとって)メチャクチャ興奮する状況に加え、脳内の神経伝達物質を多量に分泌するREM睡眠中ということが、脳内麻薬の分泌に拍車をかけているのではないのだろうか。

もちろんこの説は、「脳」について詳しい知識があるわけでもない私が、聞きかじった知識を元に仮定した憶測の域を出ない推測であるが、これだけは真実であると言えることがある。それは、体外離脱中のSEXはホントにモノ凄い快楽であり、そしてこれこそが、「楽しい体外離脱」というタイトルのゆえんなのだ。

 
★★イメージコントロール★★

さて、壁をぬけ、空を飛び、エッチもできる体外離脱であるが、「楽しい体外離脱」をするためには、してはならないことが二つある。一つはマイナスのイメージを持つことだ。たとえばこんなことがあった。

まさにこれから女性のショーツを脱がそうとしている時、ふと「このショーツのゴム固そうだな……」と思ったばっかりに、女性のショーツは強固なゴムでがっちりカラダに張り付き、私はショーツに指をかけることさえできなくなった。

まさにこれからボーイッシュな女性とエッチしようとしている時、ふと「もしかしたら男かも……」と思ったばっかりに、ひきちぎったショーツの下から私のよりも立派なイチモツが現れた。

このように、ふと抱いたイメージがカタチある幻覚になり、さあこれから楽しもうと思っている人間にとっては致命的なダメージとなる。だから体外離脱中は決してマイナス思考のイメージをしてはいけないのだ。

「驚異の幻覚」の章に書いた「不気味な老人」も、じつはマイナスイメージの産物であった。そのときの金縛りは布団の上から押さえつけられるような感じだったので、ほんの一瞬、「布団の上に爺さんが乗ってたらイヤだな……」という考えが脳裏をよぎったのである。

なぜ「爺さん」なのかというと、子供のとき読んだ恐怖マンガに、就寝中に気味の悪い爺さんが布団の上に現れ「うえぇぇぇ〜」と血を吐くシーンがあり、どうもそのことが強い印象として心の奥底に残っていたようなのだ。

ところで、「空を飛ぶ」の章でマンションの屋上に行くために「電線の反動」「平泳ぎ」「上昇気流」のイメージを使ったと書いたが、これはプラスのイメージである。このように、イメージはうまく使えば体外離脱をより楽しいモノにできるのだが、どちらかというと幻覚は不安や恐怖といったマイナスイメージに反応しやすく、イメージのコントロールは容易ではない。

「空中飛行」においても、少しでも「あそこまでは飛べない」とか「落ちそう……」とか考えれば、やっぱりその通りになるし、「壁ぬけ」の章に書いたように、私がよく「壁ぬけ」に失敗するのも、「幻覚といえども、こんなリアルな壁を通りぬけられるのだろうか……」と考えてしまうからだ。

「楽しい体外離脱」をするためには、常に体外離脱が「幻覚」であることを自覚し、「幻覚なのだから何でもできるはずだ」という、強いプラスのイメージを持ち続けることが必要である。

 
★★体外離脱の限界★★

「楽しい体外離脱」をするために「してはならないこと」のもう一つは、幻覚に意識を集中しすぎることである。

たとえば、さあこれからエッチしようと押し倒した女性がとても美人だったので、その顔をしげしげ眺めていると顔が崩れてブスになったことがあった。これは「幻視」に意識を集中しすぎたためである。

このようなことは女性の顔に限ったことではなく、部屋の中の情景においても屋外の風景においても同じである。同じ場所、同じモノを見続けると、ハッキリ見えるどころか、視界が不鮮明になったり、暗くなったり、見ていたモノ が違うモノになったりする。

それは「幻触」においても同じである。「幻触」に意識を集中しすぎると、その感覚がアバウトになり、いずれは消えてしまう。「壁ぬけ」の章で「幻触の感覚は長時間は現れない」と書いたのも、そのためである。

だから女性のカラダの同じ箇所ばかりを愛撫するのもよくない。「幻触」が消えてしまい、女性のカラダが溶けたかのように感じてしまうからだ。もちろん他の感覚である「幻聴」「幻味」「幻嗅」についても、意識を集中しすぎてはいけないことは同じである。

幻覚に意識を集中しすぎてはいけない理由はそれだけではない。幻覚に意識を集中しすぎると、現実のカラダの方がその意識に答えてしまい、感覚が現実のカラダに戻されてしまうという理由もある。

たとえば、女性の***を手の指で撫で回すというような繊細さが要求される行為では、極度に指の「幻触」に意識を集中させるため、現実のカラダの指の「触覚」をも呼び起こしてしまう。

つまり、「幻体」の指を動かそうとすると、現実のカラダの指までもが動きそうになり、もし現実のカラダの指が少しでも動いたら、その時点で体外離脱は終了してしまうのだ。

基本的に、感覚に敏感な手の指や、頭に近い箇所の触覚ほど現実のカラダの感覚を呼び起こしやすく、特に舌は指よりも敏感で頭にも近いため、女性の***をナメるという私の大好きな行為が、わずか数秒で現実の舌の感覚を呼び起こしてしまうのは残念至極である。

ただし、いったん現実のカラダの感覚が呼び起こされても、行為を中断し、使用中の感覚を数秒間ニュートラルな状態にすれば、感覚を「幻体」に戻すこともできる。これは「楽しい体外離脱」をするためには絶対必要なテクニックである。

このように、体外離脱がどんなにリアルな「幻覚」であるといっても、さすがに長時間の意識の集中に耐えられるほど確固たる感覚を得ることはできないようである。しかし逆に考えれば、その確固たる感覚があれば、もう何ら「現実」と変わるところはないと言っても過言ではない。

とにかく、「長い時間、同じ箇所を見ない」「長い時間、同じ箇所を触わらない」というように、幻覚に意識を集中しすぎないように心がければ、じゅうぶんに「楽しい体外離脱」を満喫できるのだ。
 

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