等伯蔵三同人説 峰村穂高
等伯の作品を意外な所で発見した。その作品は根津美術館所蔵「牡丹猫図」(図5)で、蔵三の印がありその画家の作ということになっている。しかしその特徴は等伯と名乗る以前の信春のものである。この作品は大きな画面から切り取られたような絵であり、正方形に近い紙を継いでいる点も不自然で切り取られた時の後捺しとも考えられる。しかし蔵三筆ボストン美術館瀟湘八景図の岩皴は等伯と近似し、蔵三筆根津美術館山水図は信春筆山市晴嵐図と様式が近似する。瀟湘八景図は楊月筆梅澤記念館四季山水図との近似が指摘されているがこの楊月作品を一部改造して根津本とは別の蔵三山水図が作られ今度はそれが等伯等観寺山水図に組込まれている。等伯はこの楊月作品を元にして禅林寺波濤図探梅騎驢図などを作ったと考えられ、楊月の一つの作品から蔵三等伯作品が次々と作られ発展する経緯が窺える。また蔵三芙容図も智積院禅林寺の長谷川派の作品と近似する点もあり、等伯と蔵三を同一画家と考え信春印使用前に蔵三印を使用したという結論となった。くわしくは次回に報告することとして今回は牡丹猫図を検証する。
驚いたように蝶を見上げる一瞬を見事にとらえて緊張感があり、尻尾は静止しているにもかかわらず神経がかよって猫独特の尾の動きを感じさせ、等伯らしい生命力があふれているとともに観察眼の鋭さも感じさせる。肉の薄い額から後頭部胴体と体毛の下の肉の厚みの変化まで的確に描写し、いかにも猫らしい手ざわりを感じさせ、つかむと背骨がありそうでまた耳はパリッとした薄い感覚が良く出ている。これ程デッサン力のある画家は室町桃山時代、等伯以外見たことがない。等伯は信春時代から写実を重んじて成慶院武田信玄像など生命感と実在感を持った見事なデッサン力を誇っており、すでに日本を代表する素描家となっている。もともとある図様を借用したのかもしれないが、頭を大きくデフォルメし図様や図案化した形にデッサンをあてはめるうまさ、精密な描写毛や皮膚の下の肉や骨心理と精神まで描き出すのは、武田信玄像と共通しこれを描けるのは等伯のみである。毛の模様も立体感が感じられるように巧みに配され、造形的に美しくポーズは猫らしく丸まって愛らしく描いていながら、頭を大きくデフォルメすることによって表情を見やすくするとともに、造型的に威風堂々として存在感をアピールしている。表情は、風にたなびく牡丹の香りを受けて気分が良く蝶と花を見つめる少年のような水々しさと愛らしさがあり、希望に満ちてすがすがしい。牡丹は明の花弁図を基本としているため形式化してはいるが、的確なデッサンを反映し天にのび上がり風にたなびく生命の躍動を感じさせ、たなびく茎と葉のしなやかさ、線の流れるリズムの良さはシャープな造形感覚とともに爽快感を感じさせ、センスの良さがうかがえる。この猫の図様は等伯本法寺仏涅槃図に出てくる猫(図11)と全く同じポーズと毛の模様であり、涅槃図のため目をとじているだけで同じ図を用いている。信春妙成寺仏涅槃図の猫も左右逆転しているが、ポーズは同じで模様も近似し各時代を通して使っていたようである。涅槃図と違い毛は見事なデッサンにもとづく細密描写であるが、武田信玄像など信春時代の肖像画の毛の表情にはよく見られ得意としている。岩の表現は信春妙覚寺花鳥図屏風の岩(図13 牡丹猫図岩 図12)と輪郭線と皴法が筆致まで酷似しており、信春様式といえる。花鳥図と比べ岩の輪郭線が中途半端なため、形態は不明瞭でぎこちない立体表現であり、皴法の重ね方は強引さが目立ち未熟であり、花鳥図と信春霊泉寺十六羅漢図の皴法が堂々とした筆致であるのに対し、今だ雄大さが見られずこのタイプの岩の表現としては最も早い時期のものと思われる。蝶(図9)は信春恵比須大黒花鳥図三幅対の内芍薬蝶蟻図(以下芍薬図 図7)とほとんど同じ図様であり、描写は酷似している。牡丹の幹は信春海棠に雀図(図10)と線描と筆致が近似し、花やつぼみは芍薬図に近い。描線画の筆者を特定するのに最も重要な点は、書と同じく言わば絵を描く時の筆蹟である。描く物の形態または手本があれば、それに合わせて線はでき上がるはずなのであるが、写す画家の筆癖によってラインが出来上がってしまうことが多く、その特徴が現われていれば筆者を割り出すことが出来る。牡丹の花を描く時、線が複雑に書のように屈曲を繰返すため筆者の特徴が顕著に現われやすい。牡丹猫図と芍薬図の花弁はその点酷似しており、芍薬の花弁(図1、2)が根元の方から緩やかなS字を描いて、その先が三つばかり膨らみまた窪みS字を繰返す様は、牡丹猫図(図4、6)と近似し、その他の花弁の先のふくらみぐあいも近似している。海北友松の妙心寺花弁図(図8)霊洞院松に牡丹図は、共に花弁のS字部は信春蔵三よりゆったりとして、先端部の膨らみは半円形近くなり総じて丸みをおびて弾力があり同じ特徴が現われており、それと比べ信春蔵三はシャープな形を生み出しており、他の画家と比べても酷似している。これは筆癖によって生まれる形の違いではあるが、弟子などが忠実に描けば近いものが出来上がることもあり、この違いは様式の違いと言えるのでまず信春蔵三は様式の一致を見るのである。様式的に同じ物としては、信春妙覚寺花鳥図の開きかけた薔薇は、等伯が師と仰ぐ等春の花鳥人物図貼付屏風とほとんど同図で様式の一致を見るが、線の微妙な屈曲は異なって別の筆者の特徴が現われているが全く違う花を描く信春の薔薇と芍薬そして蔵三の牡丹は、花弁の膨らみが近似しているのである。丁寧に模写をすれば同じ曲線を再現できるが筆勢は失われてしまう。蔵三の牡丹と信春の芍薬の花弁の線は躍動に満ちた運筆で屈曲は酷似している。次に智積院障壁画との比較であるがこの花は胡粉を薄くぬった上に下描きをしてその上にまた胡粉を盛り上げて描き起こしているが剥落して下描きが見えている所があり葉は墨で描いた線を残してその内を顔料で埋めているので描き起しはなく葉脈は描き起している。ただし葉が木の幹などに重なる所は輪郭を描き起しており補筆もあるので要注意である。松に秋草図(以下秋草図)のむくげと芙蓉(図3)松に黄蜀葵楓図の鶏頭の各花弁の下描きは等伯大徳寺那迦犀那尊者像の座っている敷物の蓮の葉状の部分が花弁と同様に描かれておりそれと酷似する部分がありそれらは芍薬図牡丹猫図と酷似する所がある。また智積院以上三図の菊花は花弁の形態が牡丹などと合わないので比較できないが逆に葉の形が花弁と同様の曲線で描かれ筆癖が一致しているので同筆と判断できる。以上は等伯芍薬図尊者像との筆癖の一致により等伯直筆と断言できる。智積院その他菊花の花弁の下描きは以上三図は同筆で流麗な描写で等伯の可能性高く楓図の全ての下描きと幹の描き起しも等伯に近似するも遠い所はなく技量も高いので等伯直筆と思うのだが秋草図黄蜀葵図の葉は明らかに等伯と別筆と思える所がある。菊の葉以外でも等伯が描いた所はあると思うがまだ検討中である。この両図の松の下描きは見えないのだがその形態と姿が萎縮していない所から等伯と思うが全ての描き起しは別筆であろう。松に立葵図の立葵の花は等伯に近いが線描が角ばる特徴が顕著に現われ等伯の下絵に基づいて別の筆者が描いたことがわかる。この図の菊は他図と酷似しているものの筆勢弱々しく等伯の下絵に基づく別筆で立葵より繊細で丁寧忠実に写しておりさらに別の筆者と思われる。その他松と菖蒲、主な岩など等伯下絵らしい所もあるが別人の下絵に基づくと思われる所が多くまた下描き描き起しは手を入れてはいない。牡丹猫図は等伯の花弁と比べても芍薬図に最も近く長谷川派をはじめ他の画家とは比較にならない程酷似している。花弁の筆到は蔵三牡丹より信春芍薬と妙覚寺花鳥図またそれより智積院の方が弾力が強い感じではあるが等伯の筆致は総じて晩年にむけて弾力を強める傾向がありそれを示していると思われ同一筆者の範囲内として問題はないであろうしこの順序がおよその製作順と見てよかろう。牡丹猫図の葉の筆致も芍薬図と近似しているが描写は丁寧でかなり謹直な筆致でありそれに比べ妙覚寺花鳥図海堂に省図芍薬図の花弁はのびのびとした描線で自由な筆意が見られ手馴れた感がありそれは牧谿を学んだ際枯木猿猴図へ到る手馴れた筆致への移行と同様であり牡丹猫図はその点からも信春時代の花弁表現と比べても早い時期と思われる。なお今回信春牧馬図との厳密な比較はできなかった。岩の表現が十六羅漢以前と先に述べたが七尾の霊寺の所蔵であり等伯が七尾の出身であることから他の七尾の仏画と共にこの地で描かれたと思われるので牡丹猫図も上京以前登戸地方での製作と考えられる。原形をとどめていない可能性があるのが残念だが等伯作品としてもなかなかの佳作であり日本の動物画の中でも屈指の描写力を誇っている。この作品は無名ながら足を止めて見入る人展示を一通り見終わってからわざわざもどってまた見に来る人が多くすでに隠れた人気がある。等伯筆となれば画家に対する思い入れも加わりまた見る気持ちも変わって面白いであろう。大の等伯ファンの私にとってこの発見はうれしい限りである。