デ イ ケ ア と 僕

         

きもとけいし

 

 デイケアを利用し始めて半年以上になる。
当事者の僕にとってデイケアは数少ない僕の居場所の重要な一つである。
一週間のプログラムはなんやかやと決められているが、僕はそんなことお構いなしだ。

僕の利用のしかたはそんなふうである。デイケアの開院時間にぶらっと行く。
何をするのでもなくみんなとただただ、くだらない話をしてゲラゲラ笑っている。
時には院長も混ざって馬鹿ばなしに興じている。

僕のデイケアの利用の仕方はそこに形があって形が無いような利用の仕方である。
決められると利用の仕方が少し複雑になってしまう。当事者にとってはそこが利用の仕方の鍵である。
当事者があやふやなのでいいのではないだろうか。

もちろんここのデイケアはまだ産まれたばかりなので、これからのいろいろと試行錯誤を重ねて行くであろう。
みんなで作り上げて行くのであればデイケアはやはり形があって形が無いような感じが当事者の僕としてはいい。
水のようなデイケア。

絶える事なく流れ続けどんな形の容器にも収まってしまう。
物質の中で一番柔らかいのにそれは時間をかければ岩をも砕いてしまう。
それはちょっと夢みたいな事かな。ここがそんなデイケアになっ て欲しいと思う。話がずれました。

 当事者の僕が想うデイケアとは「居場所」「サロン」「人間形成の場」「治療の場」「レクリェーション」「情報交換」「安息」「昼寝」「エネルギーの交流」「異性と話す」「ファミコンする」「珈琲を飲む」「避難者」「人間性の訓練」などなど・・・。

 デイケアってだらだらしているだけみたいだけれどその底には人間の生きていくための基本的な力を養っていく居場所なのである。
社会の縮図であっていろいろと事件もおこる。
居場所には課題が付き物だ。
それを一つ一つクリアしていく事によって当事者は人間的に成長していく。

だからそういう意味ではデイケアはあくまでも居心地のいい場所ではない。
だからこそデイケアの意味がある。
それはどう取るかは当事者それぞれによって意見は違う。
そう考える。

 デイケアは毎日違う顔を持つ。
デイケアはその日に来院した顔ぶれによって千差万別。
当事者の組み合わせによっていろいろなデイケアのカラーがある。
そこをいいところだと僕は想う。

 

この文はあくまでもデイケアに触れた僕のあくまでも個人的な意見であって医院の考えではありません。

 そうなのです。
僕の理想の考えです。
勝手な事を言ってすいません。

「デイケアは当事者の為のデイケア」であって欲しい。
僕はそう考えます。
話が変になりましたがこれがデイケアに対する僕の触感です。では。




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