いつの頃からだったろう。

 あの女性を意識するようになったのは。

 そうだ、あの夢を見てからだ。

 あの女性の夢、それからだ。

 その女性と一緒に神社を参詣する夢。

 その夢を見る前までは、その女性の事はそれほど意識をしていなかった。

 神聖な神社がでてくる夢が夢だけに、繁はその夢が正夢だと信じて疑わなかった。

 そしてあのような愚行に踊り出たのである。 その女性に一片の言付けを渡してしまったのだ。

 その日から繁は煩悶する毎日を送るようになった。

 繁のこの恋は成就しないだろう。

 本人もそれはわかっている。

 わかっているつもりなのである。

 繁に恋人のできる可能性は低い。

 物凄く低い。

 なぜなら彼は差別され忌み嫌われる者。

 忌み嫌われる存在だからだ。

 彼は精神障害者なのだから。

 繁は働いていない。

 障害年金を国からもらっている。

 そして二十八にもなるのに家族に養ってもらっている。

 そんな彼、繁の恋がどうして実ろうか。

 しかし哀しい事に人間は夢を追いかけるものである。

 繁は精神障害者であるが、その前に人間だ、人間なのである。

 精神障害者でも夢を追いかけてもいいはずである。

 たとえかなわぬ夢だとしても、夢を追いかける権利は精神障害者にもある、あっていいはずだ。

 それがつかの間の夢であろうとも。

 

 

 診察日、富永繁は精神病院に訪れた。

 今日は精神病の外来の受診日なのである。 主治医の診察を受けて薬をもらう。

 それが繁の場合、二週間毎に病院に通わなければならない。

 繁の主治医は評判がいいせいか受診日には待合室が外来の患者で一杯になる。

 精神病の患者の診察は患者によって診察時間が長短いろいろある。

 三分で診察が終わる患者もあれば一時間も診察が長引く患者もある。

 だから待合室で診察の順番を待つ時間なんて一時間やそこらざらなのだ。

 富永繁は窓口に診察券を出した。

 窓口に座っている女性がそうなのだ。

 夢に出てきた女性だ。

 「お願いします」

 「お待ちください」

 たおやかな声だが視線は繁に向けていない。 顔も繁に向いていない。

 言付けをわたす前はこうではなかった。

 顔をこっちに向けて微笑んでくれたものだ。 繁は彼女のその笑顔が好きだった。

 言付けをわたす前までは短い時間ではあったが彼女と楽しい三言四言の言葉を交わした言もあったのだ。

 しかし、今ではそれは強烈な拒否として反ってくるだけだ。

 過去が満たされた気分だっただけに、彼女のこの態度は繁の心に対して猛烈な苦悶を与えている。

 繁は診察券を出したあと待合室の椅子に座った。

 すでに外来患者の数は待合室の椅子をほとんど埋めている。

 診察で一時間以上待たされて薬局で四十分以上待たされる。

 診察日は病院で一日の半分が潰れてしまう。 そして気力体力を、この時間を待つということでものすごく消耗してしまう。

 それでなくても精神障害者は健常者よりも数倍も疲れやすいというのに。

 これでは病院に治療に行っているのか悪くしに行っているのかわからない。

 この病院のシステム、なんとかならないか、とおもわず思ってしまう茂るである。

 四十分以上待ったあと繁の診察の順番が来た。

 主治医との診察か会話かなんかよくわからない診察時間のあと、診察券と投薬の処方箋を窓口で受け取る。

 その時も彼女は繁に対してあの冷たい態度だ。

 診察に来るたびに冷たい態度を繁に対してとる彼女を繁は憎めない。

 だってしょうがないじゃないか、

 と繁は考える。

 病院は区別をはっきりつける場所である。 白衣と患者の区別を。

 病院から見ればそんなこと許される訳がない。

 まして繁は精神障害者である。

 一言で言えばキチガイである。

 入院経験も二度ある。

 太鼓判のキチガイである。

 そして生活能力もない。

 拒否されて当たり前なのだ。

 拒否されて当然なのだ。

 俺の恋はいつもかなわないなあ。

 繁は自嘲気味に考える。

 キチガイはキチガイの世界から抜け出せないのだなあ。

 最低だ、俺は、キチガイの俺は。

 繁はあの女性にもう二度と側に寄らないようにしようと考える。

 迷惑はかけたくないものなあ、彼女に。

 キチガイは寡黙になるしかないのかなあ、これではなんだか悲しいよ、そう想いながら薬局に処方箋を薬局に出した。

 ああ、これから四十分以上待たなければならないのか、なんだか疲れるなあ。

 精神障害者は疲れるよ。

 繁は後ろ姿はなんだか寂しげに見えるように自分で感じた。

                 おわり

(元に戻る)