神経症の患者さんと家族の方に

 

                       つかさき医院

 

1,悪循環を断つ

 

 神経症という病気については、色々な学説があり、その考え方も統一されていません。ただ言えることは、不安が症状の中心にあるということです。この不安は、身体的原因(疲労、身体疾患、更年期など年齢的なこと)と心理的原因(過去に体験したことに原因する心のしこり)、社会的原因(対人関係の困難、家族関係、仕事の負担や行き詰まりなど)がからんで起こるものです。そして多くの場合は、一つの原因が他の原因を刺激するという悪循環に陥っています。これらの原因の一つがゆるむと、症状も軽くなっていきます。単純に言えば、「充分眠れば良くなる」「リラックスできれば、なんとかなる」ということです。そのための一番簡単な方法は、安定剤の使用です。薬で不安が取れるのではなく、症状がひどくなる悪循環をゆるめると考えて下さい。

 

2,意味のある悩みもある。

 

 

すべての心理的不安や緊張が病的なものであるわけではありません。入学試験の前日は誰でも不安で緊張しますし、試験に失敗すれば、がっかりもします。その程度があまりにひどいと日常生活にも影響が出ます。自分では当然の不安だと思っても、安定剤が効くという場合は、その程度が普通のレベルを越えていたと言うことができます。逆に安定剤を飲んでも眠くなるだけだったり、フラフラしたり、副作用が強く出すぎる時には、現在の症状に何か意味がないかを考えて見て下さい。

 

症状を無理矢理に取ってしまうことに、抵抗が現れているのかもしれません。心の動きを強引に変えることはたいがいの場合正しいことではありません。

 

3,治る準備ができていないと治らない。

 

 機が熟するということがありますが、病気が治る時にもそういうことが言えます。特に心の病気にあてはまります。治ることが正しいとき、チャンスが来た時に、心の病気は自然に治ると言ってもよいのです。神経症の人は、症状があってもなかなか治療を受けようとはしません。また、普通の人でも必ず一つや二つの神経症的症状は持っています。

 治療を開始するということが、治りはじめの最初の出来事であるということもあります。

 

4,棒ほど願って、針ほどかなう。

 

 神経症の人は、引っ込み思案、つつましく希望を自分で制限してしまうことが多いです。そのため、自分の心の習慣がなかなか変えられません。先に、心、身体、社会関係の間の悪循環について述べましたが、神経症の人は心の動きそのものが悪循環に陥りやすい傾向を持っています。つまり心の習慣が作り出した、心の動きの悪循環からのがれられないのです。そのためには、「棒ほど願って、針ほどかなう」ということを知る必要があります。

 大きな希望を持っても実現することはわずかです。どうせ実現しないのなら、小さなことを考えようとするのではなく、より大きな希望を持てば、実現することも少しずつ大きくなるだろうと考えて下さい。つまり、心の動きが変わることにチャレンジするのです。

 

5,人間はそんなに急には変わらない。

 

 心の動きの悪循環を変えると言っても、そんなに急に変えられるものではありません。できることから少しずつ変えていくしかありません。そのために重要なことは、自分の心の悪循環に具体的に気づいていくことです。また、それを急に変えようとしないことです。

 「あ・・・自分にはこんなところがあるな。」とか、「また同じ心のクセが出た」と気づいていくと、いつの間にか自然に心の習慣は変わっていくものです。

 

6,わからないうちに治っているのがよい。

 

 

心の病気はバンソウコウをはがすように急にパッと治るということはありませんし、そういう治り方は逆に再燃しやすいということもあります。手のひらを返すというようなことではよくないのです。 ゆっくりと治っていくと、めったなことでは元に戻りません。目立たず、自分では変化がわからような治り方がよいのだと考えて下さい。症状が治らない、治らないと思っていて、いつのまにか気にならなくなっているというのが理想的です。

 よいクスリに出会った、よい治療者を見つけた、自分の心がけを変えたのがよかった、周囲の支えがよかった、等々。そういう感想を持っている間は、まだ本当ではありません。本当に良くなったときは、「なんだかよくわからないけれど、いつのまにか自分は治っていたのだ」と気づくものなのです。

 

7,本当に治るのは、治療が終わってから。

 

 

治ったら治療をやめようと思っていると、いつまでも治療をやめられません。治療は症状のひどい時の、支えにすぎないと思って下さい。

 機が熟せば、知らない内に治っているのです。

 

8,治る勇気を

 

 人間は慣れ親しんだ習慣をそんなに急には変えられません。自分では変えたいと思っていても、いざとなると尻込みしてしまうことは珍しくありません。たとえそれが病気の症状であってもです。どうなるかわからないことより、よくわかっている苦痛のほうがまだましだという受け止め方もあります。病気が治ったときに、なんとも言えない寂しさを感ずる人もあります。

 病気が治ると言うことは、新しい習慣を受け入れるということです。つまり、新しい生き方に自分をさらしていくことになります。そのために必要なことは、実は勇気です。治る勇気、あたらしい出発を受け入れる勇気、それができた程度に応じて、病気は治っていくのです。

 望みは高く、努力はゆっくりと、なにより揺るぎない勇気を。健康は、そういう人にいつの間にかやってきているでしょう。

 

                     (1998,5,3作成)


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