シエスタ

  

 

                       vol.3 1999.2.15     

        発行 つかさき医院  京都市北区小山元町22-1プルジュール北山1F

                   (TEL)495-2346 (FAX)495-2356

                   (e-mail アドレス) bankyu@mbox.kyoto-inet.or.jp

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    熱帯魚のこと

                        院長 塚崎直樹

 

 年が改まってから、待合室に熱帯魚を飼うことにした。熱帯魚の飼育はむつかしいらしいので、まずは簡単そうなネオンテトラから飼うことにした。最初に熱帯魚屋さんへ行ったとき、水の調整や水草の配置など準備ができていないと、魚は売ってもらえないことを知った。水の温度調整でも数日かかるというのだから、思ったよりも手数がかかる。簡単に育てられるというネオンテトラですら、水槽に入れた日に3匹も死んでしまった。やはり環境の変化の影響を受けてしまったのだろう。

 数日すると、ネオンテトラはみんな元気に水槽の中を泳ぎ回っている。引っ越ししてきた時に比べると、泳ぎ方にもメリハリが出てきた。魚の中には痩せたのやお腹の出たのがいて、あれは便秘なのか、肥満なのか、それとも卵を持っているのかとみんなで議論している。

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 箱庭療法ではまず、植物が現れて、次ぎに動物、そして人間が出て、社会になると言う。医院では、昨年はプランターで花を作ったり、野菜を作ったりしていた。今年は熱帯魚を飼うことになった。箱庭療法なら、これから人間が現れて、色々と対立葛藤があって、その中から、一つの安定した社会が作られるということなのだろう。医院の状況は、やっと動物の入り口に入ったという所だろうか。

 一年目の診療所というのは、まだまだ出発点にすぎないだろう。水槽の熱帯魚を見ていると、狭い水槽なのに気にする様子もなく過ごしているなあと思う。医院の患者もまだ少ないけれど、まずはあせることなく、のんびりとやろうと思う。

 

  一度、デイケアに奈良のボランテイアグループ多夢さんがいらっしゃったことがあります。奈良を中心に、精神保健、医療の分野の市民講座を開いたり、実際に精神障害者の福祉施設などでボランテイア活動を活発に行っている元気印のボランテイアさん達です。以下のエッセイはその多夢で活躍中の学生ボランテイア、白井祐子さんから届きました。

 

 精神科ボランティア・・・?

                                白井祐子

 はじめまして。人間関係行動学なるものを専攻している卒業間近の大学生です。精神障害を抱える人達とその関係者に興味を持って、現在作業所についての卒論書きに苦しめられる毎日です。先日つかさき医院におじゃまして、サーターアンタギーをごちそうになったのが運のつき、「シエスタ」に登場させていただくご縁ができました。

 

 去年「おかえり」という精神病を扱った映画の上映会とシンポジウムに出かけたのがきっかけになって、「精神障害者」と呼ばれる人達の存在に気づき、イベントの企画をしたボランティアグループ“多夢”に出会いました。“多夢”は精神障害についてもっと多くの人に知ってもらおう、と上記のようなシンポジウムや市民学習会を企画したり、あっちこっち出かけて言いたい放題の元気なグループです。当初その強烈さやエネルギッシュな気に圧倒されていた初々しい頃を懐かしく思い出します。

 普通に生きていると作業所を訪ねることなどまずないし、「精神障害を抱えたAさん」にそうだと知って出会うこともない。20年間作業所の存在すら気付かない、あるいは興味を持ちづらい世界でした。大学の授業を聞いてこういうものらしいと決めつけて、間接的な知識だけでイメージを作りあげていた自分に、なんとも言えない後ろめたさを感じたのを覚えています。本の中の世界だった人が急に身近に迫ってきたような、いやーどうしよう、というのが正直な気持ちでした。

 

 はじめて作業所に「ボランティア」として入った時、自分のやってあげられることを探すのに夢中になっていました。この人達に自分がしてあげられることからしかそこに自分がいる価値を確認できなかったのでしょう。あの時何人かのメンバーさんの何気ない言葉をいま振り返って、とても大事なことを教わったなあと思います。

 その後いくつかの作業所を訪れていろんな人達のいろんなあり方に出会うなかで、すこしずつ自分がなにができるかということよりも、どれだけ自分がいい状態でその<場>に参加できるか、ということを大事にしたいと思うようになりました。作業所がだんだんと出かけるのが楽しみな場所になっていきました。

 

 私にとって、「精神障害者」になった人達と過ごす時間は、自分の新しい面を発見できる貴重な時間です。普段考えられないことを考えるきっかけになったり、無意識に持っている自分の構えやものの見方に気付いたり、これまで生きてきた世界では得られなかったことを学びつつあるところです。今一番のテーマは「自分を大切にすること」です。自分が納得のいく生き方を模索すること。人を見て自分が見えてくるというのは本当だなあと実感しています。

 逆に自分がボランティアとして何をしてるのか、と考えると答えにつまります。精神障害なるものがこの世界には存在していて、自分はその隣人となるかもしれない人達とどう付き合っていったらいいのか?という疑問をそのまま試行錯誤できる場がたまたまボランティアグループだったわけで、そこでいろんな人達と出会う機会をいただいているのだと考えています。“多夢”の活動に関わるのも、自分がやりたいことを探すのに都合がいいから、と見返りを確信して自分のために活動している人間だけど、そうやって興味を広げることがボランティアでもいいかなと思うようになりました。これから出会うであろう多くの人と素敵な関係が持てるような根っこになる力をつけたい、自分の生き様を磨いていきたい。そんな思いで精神科ボランティアなる分野にのめりこんでいるのではないかなあと思っています

 

 おかげさまでというか、喜んでいいのか、この一年間でいろんな変化がありました。例えば、「精神障害者」に理解ある地域住民になったこと、少なくともグループホーム建設に反対はしない。ウルトラ人見知りで対人恐怖だったのが、今でははじめて行った場所でねっころがって袋菓子を勝手に開けるくらいずーずーしくなったこと。自分のこり固まった考えやこうあるべき像から自由になりつつあること。

 通信の創刊号で「熟成させておいしくしていきたい」というコメントが載っていましたが、<場>も人間も同じだと思います。人間も(おいしくなれよー)、と愛情と関心と忍耐力を持って見守ってくれる環境と時間が必要です。現場で働いている皆様、どうぞ前途未知数の若者にうまくアミをかけて、気づき、試行錯誤できる<場>を提供下さい。なーんて思っている今日この頃です。乱文失礼しました。

 

 

 

  あの地震からもう4年・・・。

 

  4年目の冬を迎えて   〜神戸の町から〜

 

                    東灘こころのケアセンター 飯田 佳子

 

 阪神淡路大震災から4回目の冬を迎えた。この時期、あの震災を体験した人達は、ちょっとした刺激で当時の出来事を思い出す。肌が感じる外気の冷たさ、短くなった日照時間、六甲山から吹き下りてくる風の強さ・・・全身のあらゆる感覚が当時を覚えていて、その体に染みついた記憶は時がたってもなかなか薄れるものではない。そしてその記憶というのは震災当日以降の衝撃的な出来事だけではなく、震災の前、数週間の日常生活をもまとめて留まっているものらしい。年末から1月17日の記念日までの3〜4週間は、被災地の人達にとって、心の整理の大事な時期のようである。

 

 私が勤めている「こころのケアセンター」は、震災の年の平成7年6月に設置され、

被災者のこころの問題に幅広く対応してきた公的な相談機関である。そこにはいろいろな人が話しをしにやってくる。どの利用者も「話したい」という点では共通なので、我々の役目はまずは、「話しを聞くこと」になる。利用者の態度に合わせて我々の話しを聞く姿勢を臨機応変に変えていかないといけないところが難しい。しかし、この「話しをすること・聞いてもらうこと」が心の状態を健康に保つために非常に役立っていることのように思う。ここでは、震災後に「話しができる人がいない」と感じたために心の状態が悪化して我々のところを訪れたKさんを紹介し、「話しができること」の重要性について考えてみたい。

 

 Kさんは仕事を意欲的にこなしながら幅広い趣味を持つ、努力家で前向きな30代半ばの独身女性だった。友人も多く、震災前は特に問題もなく充実した日々を送っていた。彼女が「ここのケアセンター」にやってきたのは、震災後2年目の記念日も近い1月のよく晴れた寒い日だった。Kさんは震災の直後から今現在にいたるまでの苦しみを次のように語った。

  震災の時は、出勤前で、リビンググボードが「バーン」と大きな音を立てて倒れた。部屋の中はあらゆるものがぐちゃぐちゃで、趣味で集めていた陶器類など、大切なものがみんな駄目になってしまった。住んでいたマンションは壊れなかったが、周りの住宅は軒並み倒壊しており、死者も多数でたようだった。勤めている会社は大阪だったので、震災翌日から大阪の同僚の家やホテルに寝泊まりして、仕事に勢力を注いだ。職場では自分が中心になって震災後の処理業務をすることになった。その後、震災のあおりを受け会社は閉鎖となり職を失った。大阪で新しい仕事の話しがあったので、転職に伴い平成7年9月に神戸より大阪に転居した。神戸の友人からは「逃げた」と言われた。神戸に住んでいたときにはボランテイア活動をしていたが、転居後は神戸の人々のために役立つことができなくなり、罪悪感が募っていった。大阪の人々は神戸のことにはもう関心がなくなっており、地震後の大変さや心の苦しみを話しても「だいじょうぶ。たいしたことない。」と言われてしまう。信頼していた友達にときどき地震のことが思いだされて、胸の痛みや息のできない状態になることを話すと、「精神的 におかしいから病院に行ったら」と言われた。それからますますおかしくなっていった。今、周囲には自分の気持ちをわかってくれる人がいない。震災後、人間不信に陥り、人と関係を結ぶのに用心深くなってしまった。

 

 私は彼女の語る被災体験に圧倒されながらも、とにかく話しに耳を傾けた。そしてこの2年間の苦労をねぎらい、「日常レベルの体験を越える事態が起きたので、あの震災を体験した人以外には想像することができない。だから被災地以外の人には解らないのも、ある意味では仕方がないことなのかも。」と語りかけた。また、「今の症状や心の状態は大災害にあった人ならだれにでも起こりうるもの。心の回復のためには、頭に浮かぶ事柄、それにまつわる気持ちをわかってくれる人に話すのが役に立つ。同じ体験をした被災者同士なら分かり合える」と伝えると、Kさんは、「神戸の友達が部屋を貸すから一緒に住もうと言ってくれている。でも神戸に戻るのも恐い感じがする 。」と、決断しかねていることをうち明けた。「神戸に戻ることで、地震のときの記憶が恐怖心とともによみがえることは起こりうるけれど、地震の後遺症のせいであって、頭がおかしくなっているのではない。症状が一瞬悪くなる危険はあるが、被災体験を分かち合えるなかで暮らすのも一案。また、症状が悪くならないように転居はせず苦しいときに神戸の友人やこころのケアセンターに 話しをする方法もある。いまの自分にとって辛くないほうを選んでみては。」と伝えると、「友人と相談して考えてみます。」といってその日は帰っていった。

 

 その後Kさんは、神戸に戻ることを選び職場も神戸市内に見つけだした。はじめての来所のときから1年経ったころ、「地震のことは今でも時々思い出すが、一人でしのげるようになった。いろんなことがあって、自分の性格が変わってきた。今は地震前より自分が自分と仲良くなっている。」と言えるまでに回復していった。

 

 「話しをする」ということは、おそらく多くの人は、ストレス解消の手だてとして自然と身についているように思う。仕事のストレスは、職場の同僚といっぱい飲み屋で語り合うなど、時と場所と人を選んで「話す」ことで人は自然と心のバランスを取り戻しているように思う。日常生活で感じるストレスは、たいてい誰かしら似たような経験をしているので、似た境遇の人に話せば、共感してもらえるし、「私はこんな工夫をしてのりこえた」という体験に基づくアドバイスがもらえたりする。震災を体験した人も同様に、被災者同士が自分の苦労やしんどい気持ちを話しながら、心の問題をあえて意識しなくてもいつのまにか立ち直っている人は多い。ところがKさんのように不幸にして被災地外への転居を余儀なくされたり、周囲に安心して話ができる人間関係が得られなかったために、心の回復プロセスが日常生活の中でたどれなくなってしまった人も少なくない。彼らの多くは、「自分はおかしくなってしまったのではないか。このまま狂ってしまい社会から取り残されるのではないか。」という不安にさいなまれている。さらに周りの人が「いつまでも落ち込んでいたら駄目じゃないか。」と本人 にダメ人間のレッテルを貼る。この「自分の周りには、自分のことを理解してくれて応援してくれる人が誰もいない。」という孤立無援感が、何よりも人間の心を苦しめるものなのではないかと思う。

 この冬、Kさんからクリスマスカードが届いた。そこには、「もう地震のことは大丈夫だと思います。本当にありがとうございました。」と綴ってあった。私のこころには、安心感とうれしさのなかにちょっとした寂しさも入り交じった気持ちが湧いた。Kさんの立ち直りは、同時にKさんとの別れでもあるからである。

 

 付記:被災者のこころのケアについて報告するとき、いつも快く「自分のエピソードを役立てて下さい」と引き受けて下さるKさんに、この場を借りて、こころから感謝の意を表します。

 

 

 

 

  赤ん坊だったデイケアも今ではよちよち歩きくらいになってきました。(かな?!)

 その間、本当にいろんなことがありました。十何人の人が集まって場を動かしていくのだから当然のこと。さて今年はどんな年になるのでしょうか。

 

  今年の抱負

                         看護婦 北川美津子

 

 このデイケアも初めてのお正月を迎えた。

 今年は、昨年のデイケア祭やクリスマス会の取り組みを参考にしながら、それぞれのメンバーさん(デイケアを利用している患者さん)が、なるべくいろんな体験ができるようにしていきたいと思っている。いろんな体験をすることで、人との交流の仕方を工夫したり、自己の持ち味を生かしたり、時には新たな発見をすることにもつながり、視野や考えを広げる機会にもなると考えている。

 

 その方法としては、楽しみを見いだしながら、張りつめすぎず、時にはリラックス感も取り入れた、メリハリのあるプログラムを考えていくことにあると思う。

 具体的には、節々に季節を感じる行事を取り入れること(例えば、近いところでは、2月には節分、3月ではひな祭、4〜5月には花見や一周年記念祭などである)や、野外活動(散歩やスポーツを取り入れるなど)や、自由トークの場を積極的に取り入れていくことなどである。

 またその一方で、いつのまにかアットホームな雰囲気のデイケアになり、メンバーさんにとって、自宅以外のもうひとつの「お家」のようになっている。このデイケアの雰囲気も大切にしていきたいと思っている。そして、それは固定的なものでなく、流動的に状況にあわせて変化していくことを大切にしながら歩んでいきたい。

 また同時に他施設とのつながりが持てるような働きかけにも努力していきたい。

 本年もよろしくお願い致します。