季刊  シ ェ ス タ

No.1

2000.6.20発行

      〒603ー8112 京都市北区小山元町22−1
      プルジュール北山 1F つかさき医院 
                    TEL (075)495-2346  FAX (075)495-2356
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(発刊のことば)

 つかさき医院の機関誌として、「シェスタ」を1998年の一年間発行してきました。その後、通信はデイケアメンバー主体のものとなりました。そのため、スタッフの表現の場として、この「季刊・シェスタ」を計画しました。しかし、原稿が思うように集まらず、思いがけずも予定を一年近く延ばしてしまいました。今回やっと発刊となった次第です。すずしろメンタルヘルスサービスの川上 高弘さんから原稿を提供していただいたので、なんとか内容のあるものになりました。次号は、是非ともスタッフの力作をと考えています。


 雪の核になるもの


塚崎 直樹

1. 作業所活動に参加して
 私が精神科の小規模作業所の活動に参加したのは、最初は精神障害者の社会復帰にいくらかでも力になれたらという思いからだった。やがて、その当時つとめていた病院の職員の中から、独自の作業所を作ろうという声が出て、深泥ヶ池の近くにYOUYOU館という作業所を立ち上げることになった。
 実際に作業所を作ることになって、まずは資金が必要になり、カンパをあらゆる所に頼んで回った。そして、実際の活動をするようになって、作業所運営のために、たくさんのボランティアの協力を必要とした。最初は、自治体からの助成金もなく、無償労働の提供者があって、なんとか作業所の実績を確保できたのである。そのために、ボランティアの協力なしでは、作業所の立ち上げは不可能だったと言える。しかし、作業所が助成金をもらうようになったからと言って、ボランティアの存在が不必要になったかというと、決してそうではなく、活動の幅を広げるためにも、一層不可欠の存在となっていった。
 私は、作業所活動に参加してしばらくは、ボランティアは協力者であると思って来た。自発的に障害者のために動き出した人々、障害者のもとへやってきた人々と考えていた。つまり、ボランティアが能動的立場で、障害者は支援を受ける受動的立場であると思っていたのである。
 ところが、色々な活動が積み重なるにつれて、ボランティアは障害者に引き寄せられてくる存在なのではないかと感ずるようになっていった。つまり、障害者は存在することによって周囲に影響を与え、その影響に動かされて、ボランティアが活動に参加してくると感ずるようになったのである。以前とは逆に障害者が能動的立場で、ボランティアは実は受動的立場なのではないかという受け止め方となったのである。
 最初、作業所を作ろうとしたときには、障害者が地域で出会う場所を作ろうとしていたのに、できあがってみると、障害者の存在によって、ボランティアとか一般の市民とかが相互に出会う場所になっていた。そういう風なことが言えるように思えるのだ。

2. 障害者は欠けたものか
 私が精神障害者に関わるようになった頃には、障害者は一般の人より力が劣る者、援助を要する者と思っていた。つまり、極端に言えば周囲に負担をかける者、迷惑をかける者というとらえ方だったと思う。
 障害者に関わる側は、援助を必要としている人に、自発的に援助を与える存在だと思っていた。ところが、この自発性というものが、しばしば周囲に疑いを生じさせるのである。そのために、ボランティア活動などに関心を持たない人からは、しばしば自己満足だとか、親切の押しつけをしているなどと言われて、そのたびに反発を感ずるのだが、時にはそういうことがあるかもしれないと思うこともあった。そういう見方が出てくる背景には、障害者を援助しようとする人が主体で、障害者は援助を受ける客体という前提が存在している。その上で問題があるとすれば、援助する側が自分たちの思いこみで援助をしてしまい、受ける側が求めてもいない援助をありがた迷惑で受け止めているという点である。これを解決する方法としては、両者の対等性をどう保証するかが問題だと思ってきた。つまりいかにして、障害者自身にとって必要で、適切な援助を、周囲が提供するかということがポイントなのである。
 私が障害者の医療や福祉に関心を持った頃には、このような吟味の必要性が色々と指摘されていた。
 しかし、その後、私は自分自身のけいけんから、もっと別の視点を持つようになった。1995年に阪神大震災の被災者への援助ボランティアに関わった時に、援助する側が援助されるという事実に気づくようになった。被災者へ援助活動を行っていると、自分たちの行動に対して、率直に感謝されたり、感謝されないでも十分な思いをもって受け止められたりすると、その事実がこちらを支えてくれたり、自分の存在そのものを深く肯定する働きを持っていることがわかってきた。このような事実は、援助する側が単に自己満足に陥っているということではない。もっと相互的な働きであると思う。ここから、障害者に関わることが持っている相互性ということを考えるようになった。
 
3. 赤ん坊の力
 私は、患者さんによく、マタイによる福音書6章を読んであげることがある。私はクリスチャンではないので、自己流の解釈かもしれないが、自己流のやりかたで努力することが、時には全く無効で、弊害しかないという話をするついでに、この部分を読むのである。
「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか。・・・・野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。そかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。」
 別に努力しなくても、神様はちゃんと計らってくださっているだろうというのである。仏教で言えば、自力から他力への転換を勧めているということにでもなろうか。
 この部分を読んで、本当にそんなことってあるだろうかという意見を言う人がいる。何でもあなた任せでそれで良いのだろうか。自分で努力せずに物事がうまくいくはずがないというのである。もちろん、なすべき努力を払わなくてよいと私も考えてはいない。しかし、そういう努力のあるなしにかかわらず、人間は何物かに支えられていると考えてみたいのだ。この文章を読んでみるのは、自分なりの努力にこだわっている人相手であることが多い。
 言ってみれば、無力と見えることが必ずしも無力ではないということであるし、無力な存在が逆に力を持つことがあるということである。
 駅のベンチに赤ちゃんが泣いていて、周りに人が誰もいなければ、どんな人でもどうしたのだろうと考えるだろう。抱き上げて、あやす人もあるだろう。そうでなくても、ともかく、駅員に知らせにいくだろう。赤ちゃんは何もしゃべらず、困っているとも助けてくれとも言わない。助けたからといって、お礼をしてくれるとも限らない。しかし、赤ちゃんを見た人はそうするだろう。つまり、赤ちゃんは何も語らずとも、周囲の人間をそういう風に動かしていくのである。そういう力を持っているのである。
 しゃべることもできず、立つことも歩くこともできないことが、逆に周りの人間を動かす力を持っているのである。赤ちゃんですらそうなのだから、まして、成長し、言葉も使え、思いを人に伝えられ人間がより一層の力で、周りの人を動かせるのは当然であろう。ただ、私たちはその潜在的な力を引き出せていないだけではないだろうか。そういう風に考えてみたい。

4. 人々を結びつける力
 人は利害関係で結びつく。思想や信条でも結びつくことがある。しかし、最も基本的なことは、親しみの感情や何となく行動をともにしたいと言うことにあるのではないだろうか。その基礎にあるのは、人間が共にあることを喜びたい、分かち合いたいという感情ではないだろうか。もちろん、日常生活においては、そんな曖昧な感情が表面に出てきて、行動を大きく規定すると言うことはあるまい。だが、何かの折りに、そんな感情が強く表れることもある。
 先にあげた駅のベンチに泣いている赤ちゃんの例で言うと、駅員がやってきて、どうしたものかと思案していると、周囲に人垣ができて、助けるでもなく、かといって単に見物しているわけでもない人々の集団がいつの間にかできるだろう。「どうしたんだろう」「なにがあったのか」「母親はどこだ」など、ささやくように情報が交換されるだろう。
 放置された赤ん坊という事実を前にして、人々は自分の中に生じたとまどいや不安を交流させあう。そのうち、その場を共有したという一体感のようなものも発生してくるだろう。そして、その一体感の中には、「自分たちも何か力にはなれないだろうか」、「この事態を解決できないだろうか」という思いが生まれてくると思う。
 赤ちゃんはただ泣いているだけなのに、周囲の人を動かして、場合によっては、それらの人々を具体的な行動をとるところにまで、導いていく。そして、そこから有効な行動が人々の協力によって、取られたならば、それに参加した人々には、ある種の満足感が生まれてくるだろう。赤ちゃんは何もしていないのに、周囲を動かして、場合によれば、それらの人々に貴重な体験をもたらすこともある。
 そこで現れたものは、人間の中にある、誰かを助けたい、誰かの役に立ちたいという、自然なこころの動きに形を与えて、人々の感情を具体的な表現に結晶するまでに促したという事実なのだ。
 障害者の援助に関わって、色々な人がボランティアで労力を提供してくれたり、金銭的な援助をしてくれるのを見ていると、障害者のために自分たちが何かをしているというより、障害者の存在によって、自分たちが人の力になりたいと知らず知らずに抱いている思いに、形を与えさせてもらっているのだと感ずる。

5. 雪の核になるもの
 赤ちゃんが産まれると、親戚の人たちがあつまってくる。病気になると友人がお見舞いに来る。老人の元には、色々な理由をつけて、人が顔をのぞかせる。多種多様な人々が、それぞれに行動をする。利害を離れて、動いている。たぶん健康で元気いっぱいの大人のもとにはそんなことは起こらない。
 弱い存在、病んだ存在が、周りの人々にそういう行動を促す。場合によれば、そうした人々を結びつける。作業所の活動に関わるようになって、そういうことを強く意識するようになった。
 障害者自身は、積極的に行動することを考えていないかもしれない。しかし、存在すること自身が周囲に影響を与えていく。私の友人に塩沢みどり、研一夫妻という方がおられる。長野市の飯縄高原で瞑想のためのスペースを開いている。その夫妻には、早穂理さんという娘さんがおられて、その娘さんは重度の障害者である。障害者を抱えた夫妻が、悩み、苦しみ、努力していく過程で、三人の周囲には多くの人が集うようになった。そこから瞑想のスペースが形作られて行った。言うならば、瞑想のスペースは早穂理さんの存在が周囲に与えた影響の中から生み出されてきたものである。障害者の存在にはそういう力がある。
 雪の結晶が作られるには、核になる微細な空気中のチリが必要だという。いくら湿度が高く、気温が低くても、核になるものがなければ、結晶は生まれない。健康な人々が、人の力になりたいと思っていても、それに形を与えるものがなければ、具体的な行動にはつながらない。障害者が健康な人に対して持つ異質な面が、人々を結びつける力になるのだと思う。それは障害者自身の持つ存在の力である。
 そういう力に促され、指示され、時には怒られながら自分たちは歩んでいるのだなあと今は思っている。


「街づくり、人づくり、暮らしづくり」


日本ヒューマンサポートネットワークすずしろメンタルヘルスサービス
                           川上 高弘

******* 私たちの活動が、いままで大切にしてきたこと *******

@ 病者や障害者としての当事者という視点よりも、グループの参加者全員の生活者としての当事者性を大切にすること(セルフヘルプ性)
A 機能的、部分的、科学的アプローチによるサービスよりも、総合的、社会学的人間学的アプローチによる市民的サービスを大切にすること(相互支援的関係性)
B 専門家による援助者としての出会いよりも、人として同じ目の高さの出会いと、すべての参加者の人としての尊厳を大切にすること(個別性に基づく自律性)
C 病気や障害の体験者を社会に適応させることよりも、だれもがのびのびできるこころある社会や人間関係の形成を大切にすること(創造的ソーシャルワーク)
D 特定の決め付けられた生活ではなく、あらゆる社会資源を使えるような知恵と力をつけることを大切にすること (エンパワーメント性)

 のびのびとした自分らしい生活を妨害するあらゆる要素(外的要素と内的要素)について私たちはもっと深く考え、そこからの解放を求め続ける姿勢を持つことはとても大切ではないかと思う。
 
 たとえ病気や障害の重さを理由にしても、専門家による、社会的常識的な規範の押し付けは、人間のいのちの尊厳を傷つけます。人生の主は、病気や障害でもなく、専門家や自分の安易な選択でもなく、自分自身のなかにある、成長してやまない自由な「こころ」と「いのち」。それにどのように忍耐強く添っていけるかということ、どのようにお互いにそのことに気づくかということが、私たちの活動においては第一の課題では?

 ――――  私たちが考える活動の方向性、根本理念 ―――――

(1)生活の場や空間の創造と提供:いままで作業所と呼ばれてきた空間は、限定された治療の場とか、機能的な医療活動の場ではありません。

私たちの活動は、医者の指示の元に仕事をし、活動をするのではなく、生活者の共同体(地域)として、生活者の知恵によって活動している場(コミュニティ)を提供しています。
また、さまざまな医療や福祉サービスは、一人ひとりが自分なりの幸せな生活を送るために、賢くうまく利用すべきものであると考えます。

(2)交流(コミュニケーション)の場の創造と提供:私たちのコミュニティは、狭い意味での「リハビリテーション」(訓練)の場ではありません。また狭い意味での「働く場」ではありません。

私たちが提供している場は、一人ひとりに固有な、充実したその人なりの生活の実現をするための、「コミュニケーション」(出会い・交流)の場です。地域生活における日常性を大切にした、地域での社会参加活動、地域生活充実のためのサポート活動であると考えます。結果的には、自ら望んだ人、周りから望まされた人にとっては、訓練の意味をもってくると思います。また、生活のひとつの形としてとして、自ら望む人にとっては、働く場の役割を持つこともあります。

(3)コミュニケーションの道具の創造と提供:私たちのコミュニティにおける「作業」は、作業療法や就業前訓練、お金儲けの道具ではありません。

「はばひろい活動・かかわりのあり方」のひとつ、コミュニケーションの道具のひとつとして「作業」を考えています。またフリースペース、憩いの場、自主製品製作、畑仕事、お店の経営、カルチャーセンターなどあらゆる活動が、すべてコミュニケーションの道具として、交流の場の中で自律生活の知恵と力を育てるものと考えます。またいわゆる「作業」は、お金を儲けることが第一の目的ではなく、まずは、生きる自信と自分自身とを人生を“儲ける”ことだと思います。つまり、経済的自立をめざすためにも、まず精神的自律をもたらすことが、とても大切であるということです。結果的には、経済的にも自立の道が開けてくると考えます。

(4)人と人としての出会いの場の創造と提供:私たちのコミュニティでは、患者や障害者として決めつけたつきあいや、ケアをするのではありません。

私たちは一人の「人」としてのありのままで市民的な関わりを大切にしていく場を創っています。いわゆる専門職による対象化したような関わりはそこにはありません。出会う人相互に自らの生き方を深めながら、新しい出会いを創造し、相互ケアを可能にする力を育てます。また、人として出会うために、何かをする(Doing)ことよりも、そこにいる(Being)、存在することが大切であると考え、個性の尊重とニーズの多様性、また、ありのままに安心して居られるために、柔軟に対応できる変幻自在なシステムを持つことなどが大切だと考えています。また、当事者という視点を生活者の視点から考え、病気や障害を体験した人だけを生活やサポートの当事者とは考えません。

(5)相互支援の中でお互いが豊かに育っていくために:私たちのコミュニティは、お互いの成長のために試行錯誤が自由にできる時間・空間・交流を保証したいと考えています。

つまり、ありのままの自分自身の存在が、まずは保証される場であること。新しい関係性を創っていく、自由な創造的な場であること。個人がとても大切されながら、グループ(コミュニティ)における相互支援が可能な活動の場であること。これらを目指したコミュニティ活動を行っています。{コミュニケーションシステム}

これは、コミュニケーションに基礎を置いた活動です。私たちはの活動は、一人ひとりの思いを大切にしながら、お互いの交流によって、「こころの自律」を促し、相互支援の力によって、お互いの生活がより豊かに出来るような関係性を創造していくコミュニケーションシステムに基づくコミュニティ活動です。

(6)誰もが自分らしくのびのびと生活できるために:私たちの活動は、在宅地域生活支援の拠点・地域交流センターを中心に、地域の中で展開しています。

私たちのコミュニティでは、障害者を健常者に近づけるとか、社会に適応させるといった考え方ではなく、むしろ誰もが暮らしやすい社会に変えていくこと、誰もがありのままに、のびのびと生きられる社会を創っていく活動であると考えています。{在宅支援サービス}

これは地域での生活そのものを支援する在宅生活支援活動です。私たちはこれらの活動が、いわゆる社会復帰リハビリテーション施設における「地域社会へ橋渡しする」サービスとは異なり、地域生活そのものを豊かに創造していくような在宅生活支援サービスであると考えます。(これは、これまで小規模作業所と呼ばれてきた活動の中から生まれてきた、在宅生活支援活動のひとつの新しい形です。)

(7)一人ひとりの「人」としての尊厳を徹底して大切にするために:私たちのコミュニティは、自分のことは自分ですることを保証したいと思っています。

私たちのコミュニティ活動においては、目の前にいる人の力(生命)を信じることからまず始めたいのです。一人ひとりの尊厳をそのまま受け止め、すべてを抱え込まない工夫をしながら、ほどよい関係をゆったりと育てていく場であると考えます。自己決定、自己責任をもって、当たり前に生きる一人の人として、自分を乗り越えながら自己実現していくために、日常生活におけるさまざまなサポートをしていく場を提供したいと思います。また、さまざまな理由があっても、一方的に生活を規定するようなシステムは、有益とは考えません。{ 自律支援サービス }

これは自律した市民活動のひとつです。私たちの活動はコミュニティ活動に参加する全ての人が、お互いの立場をこえて、一人ひとりが主人公として、自分らしく生き生きと暮らしながら、自分自身を育て、癒し、人との出会いによって、お互いを育て、癒しあえるような自律支援サービスであると考えます。

(8)誰もがのびのび自分らしく暮らせる社会を創るために:私たちのコミュニティは、自分たち一人ひとりの思いと自然な関わりと、新しい関係性の創造を大切にしています。

 私たちの活動においては、個人を最大限に尊重し、ありのままに地域で暮らすことの自由をできるだけ保証したいと考えます。そして、一人ひとりの思いを大切にしながら、のびのびとした関わりができるグループ、コミュニティ(街)を育て、人を、社会を育てていく場、創造的な場が、コミュニティであると考えます。{ コミュニティ・ソーシャルワーク }

これは地域に広げていく活動、新しい社会を創造していく活動です。私たちの活動は、地域で暮ら全ての人への関わりを大切にし、コミュニケーションの障害を乗り越え、誰もが自分らしく、豊かにのびのびと暮らしていけるような社会(人間関係)を創造していく活動です。

(9)コミュニティに参加する一人ひとりの希望や夢が実現できるために:私たちのコミュニティは、会員制クラブのような運営システムを持ち、自由な参加・利用契約に基づいた参加システムをもって、常に参加者全員に善をもたらすような活動を展開しています。

私たちのコミュニティは、かかわる人がだれでも適度に安心でき、ほどよい依存ができ、それでいて自律が促されるような場であるために、権威主義を排除して、一人ひとりに応じたバウンダリー(境界線、枠、膜)の柔軟なあり方の工夫をすることが、とても大切だと考えます。したがって、契約に基づく会員登録制や、グループが大切にしている考え方を育てられるような運営システムの枠組みが、常に変幻自在の「器」として創造できるように、柔軟な運営の「器」をもって活動しています。{ コミュニティオペレーションシステム }

(10)いきいきと自分らしく生きていけるために:さまざまな資源を駆使しながら、自由自在に生きる知恵と力を、忍耐深く育てていきます。自分の望みを深めつつ、コミュニティ活動を通して、真の出会いと希望の実現をもたらすような活動を展開しています。

生活権、幸福権、自由に生きる権利の保証は、公的責任を明確にすることも大切だと考えます。しかし、いくら公的に、法的に、制度的に、保証したとしても、自分たちが自ら不自由になっては、何にもならないし、人が生き生きと生きるためには、制度や法を生かすも殺すも使う人次第だと考えます。従って、制度や資源をうまく使うことができるように、お互いに力をつけていくことこそまずは大切だと考えます。{ コミュニティエンパワーメントシステム }

(1999年7月17日大阪で行われた全国精神障害者地域生活支援協議会総会での発表原稿に基づいています。)



『宗教と心理療法』


塚崎 直樹

1.願ったものは叶わない(???)副作用が大事
 主要な過程とはまたちがうところでおこる過程、副次的過程というか、副次的作用、そういうものがあるのではないか。それがものすごく大切なのではないかと思うんです。
 能率主義というのがあります。余計な作業を減らして、大事なことだけを一本にしぼってやっていけばうまくいくという考え方です。現代社会は、そういう合理的な考えに基づいて、少ないエネルギーでいかに能率よく短い時間でことを成すかが大事ということになっているんだけど、それが本当は大きなまちがいではないだろうか。
 私が医者になったばかりの頃は『精神障害者の社会復帰』というものを考えて、『社会復帰のためには仕事をさせるのが当然である』と、そういうことばかりやってきた。ところが、それはあまりうまくいかない。現在では以前の考え方からだいぶん横道にそれて、仕事をすることよりも人と一緒にいることとか、人と一緒にいて何もしないでぶらぶらしているほうが大事、そういう考え方を重視するようになっています。つまり、仕事を重視することによって、むしろ目標から遠ざかってしまうことがわかってきた。
 また、人間は言葉にすることが大事といわれてきました。精神科の治療でも、言葉にすることが最大の目的であると考えている人達がいます。しかし、言葉にすることにこだわってもうまくいかない。言葉の周囲にあるいろんな思いとか、感情とか、そういったものを大切に尊重していかなければ、うまくいかない。特に統合失調症の人の治療ではそうですね。
 心の動きだけでなく体の姿勢や手の動かし方なども含めて、言葉が出てくる元にあるものが大事です。そういうものを無視すると、言葉の持っている力そのものを失わせてしまうようなことにもなる。言葉を重視するのなら、逆に言葉以外のものを大切にしないといけない。
 治療していく際にも、大切にしていかなければならないと思うことは、言葉よりもイメージ、イメージよりもイメージの働く場所です。「イメージの働く場」というと、私にとっては面接室とか診察室とか名前がついてしまうのだけれど、その空間というのは、お互いの心と体が存在しているそのあり方そのものと言ってもよいのですね。面接室だからということで、その場所を特定の場にしていくのがよいわけじゃない。むしろそういう特殊性をなくしていくのが、僕らの仕事だろうと思っています。特殊な場を作ろうとすると逆に遠ざかってしまう。逆説ですね。
 私が自分の医院にデイケアをつくったとき、「どういう理念でこのデイケアを運営しているのですか」と聞かれました。そこで、医院で出している通信に、「私の医院は美男美女うぃ作るところです。」と書いたんです。美男美女をつくる過程で、もしかしたら、病気が治るかもしれない。病気を治そうと意気込んでいると、逆に治らない。美男美女を作るんだったら成功しても失敗しても、だれも大して怒らないでしょう。でも『主治医の顔見てたら、そんなことは実現しそうにない』なんて言う人もいましたがね。(笑)。これがねらいだってやると、失敗しちゃう。力みが出たり、無理がはたいたりする。ねらいじゃないものが成功するってことがあるんじゃないかな。
 宗教は神仏を大事にしますが、仏さんと神さんよりまわりの人間の方が大切なんじゃないだろうかと疑問が当然起こります。それはその通りなんですけど、周りの人間が大切だったら、周りの人間を大切にしたらだめなんですね。仏さんとか神さんを大事にしたらそのおこぼれ、副作用で、思いがけず周りの人が幸せになる、それが本当のことじゃないかなと思うんです。一番大事な事、願ったことは叶わないから、横目でちらっとみる。一番大事な事は横においておいて、かわりのものを大事にする。これが宗教の持っている知恵ですね。

2、最初のモタモタ、おたおたを忘れない
 精神的な病気をどういうふうに受け止めようかと悩んでいる患者さんの主治医となるときに、こちらの中にも同じような葛藤が起こります。その葛藤は非常に大事なものですね。精神科医がこの葛藤から無縁になると、臨床的な腕が落ちると思います。しかし、いつも患者と同じように心が揺れていたのでは、とても疲れるし、燃え尽きてしまうわけです。
 精神科医であるとか、臨床医であるというのはどういうことなのか、定義することはとても難しいけれど、10年間医者をしていても、「あの人は全然臨床家ではないわー」ってことをぱっと言われてしまうこともあるし、1、2年の経験でも「あの人は将来伸びるなぁ」と言われる人もいる。何がその境界になっているのかというと、明確に定義することはできない。けれど、境目はどこかにあるらしい。そこで、私も色々考えて見たわけなんですね。大事なことは、自分の限界ってことを本当に骨身に沁みて感じたか、それが、とても大きなことではないかなぁというふうに思っています。
 どんなに頑張っても、自殺する人は自殺する。そうなんだけど、いつもそんな風に断定してみて、それは本当なのかなぁという気持ちを拭い去ることは出来ないですね。もっと自分が有能だったら、あの人は死ななかったんじゃないかという気持ちが起こる。それと同時に、どんな有能でもやっぱり止められないんじゃないかなぁっていう両方の気持ちが常に交錯している。
 どれだけ頑張ってもねぇ、ついに自分の手の届かないところへ行ってしまう人がいるというか、最初から手が届かなかったかもしれんなぁ、という残念な、淋しい思いというか、己の限界を知る時というかな。一生懸命やってもダメな時もあるなぁということを、本当に身に沁みる。自分の一番の拠り所が傷つく。そして、その傷がまた自分の拠り所にもなっていく。そんな時に、自分が臨床家になったかもしれないなぁと思う。
 心理の人に接する機会があるのだけれど、心理の人の中には、そういう限界のわかってない人がいるんですね。患者に随分振り回されて大変な思いをするっていうのも、振り回されている人というは、やっぱり限界を認めたくない人。一生懸命やればなんとかなるんだという哲学で全部やろうとしている時に、足をすくわれちゃう。私みたいな名医はいないとか、治療所はいないと思った途端、とんでもない間違いをしてしまう。
 「プロだったらなんでも出来るんでないか」という気持ちを持つ人も多いと思うのだけれど、それとは全く逆で、出来ないことがあるということがわかるということが、ある意味では、プロなんですね。
 例えば、患者さんを受け持った時に、「先生、ちょっとだるいんですが…」「じゃあ薬飲んでみますか」というふうに、治療関係が出来るように思われるかもしれませんが、必ずしもそうではないんですね。本当にこの人とちゃんと関係を持って進んでいけるかなぁ、どうかなぁというのをお互いに確認していくには、ある程度時間が必要なんです。
 その人を、自分の患者として受け入れて、ともかく一緒にに生きていく、治っても治らなくてもいい、この人と病気というものを契機にしてつき合うことができて、声を交わすことが楽しみだ、喜びだ、そのついでに病気も治ったらええなぁ、と思う。『主治医患者関係』という言葉があって、私たちは初めて目の前に坐ったその人をどういうふうに治療していくかを考えしまうのだけれど、思った風になるかもしれないし、ならないかもしれない。ただそのプロセスを味わって、かみしめていくことが、とても大切なことのように思います。
 初心忘れるべからず。自分がこういう仕事を選んで、患者さんなり、利用者なりの前にたっておどおどしながら、どうしていいかわからないなあ、何を話しかけたら自分にはふさわしいんやろかということを考えながら、何か言う時でもとってつけた気がして困るなぁという気持ち。そういう気持ちがだんだん薄らいで、ごく自然にしゃべれるようになって、医者とか患者とか考えないで、「鳥が鳴いている、気持ちがいいねぇ」なんて、どうして話せるようになったんだろうという気持ち。その不思議さですね。そんな気持ちを自分の中に積み重ねていく。そして、新しい人と出会って関係を作って行く時に、その気持ちをいつも重ね合わせて味わえたらいいなぁと思っています。

3、愛を味わうこと
 ゲーテの言葉で、「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味は分からない」という言葉があります。『涙』は、悲しさか喜びか悔しさかは分かりませんけれど、深いそういう思い。『パンを食べる』というのは、自分の為すべきことをやるということかもしれません。生きるために必要最低限やらなきゃいけいないことをやるということかもしれません。いつもパンを食べているけれど、いつでも人生の味がするわけではない。深い思いと共にパンを味わうときに、人の生きることの意味がわかってくる。味わうことが出来る。
 現代というものは、ハリウッドの映画に象徴されるように、新しい筋とか新しい発見、新しい感情といった、あっと驚くというような新しいことが大切にされるわけですね。去年と同じ映画だったら、客は退屈しちゃうわけね。
 落語とか講談というのは、いつも同じ話をしているわけですね。ハリウッド映画の感覚からいったら、一回聞いたから聞く必要はないわけ。では、なぜ聴きに行くのか。同じ話しで落ちも決まっている。新しさではなく、自分なりの味わい方を深めるということにとても魅力がある。
 良寛さんの親戚に馬之助という人がいて、その人が放蕩息子だった。その家族が良寛さ
んに、「馬之助に説教してやってくれ」と頼むわけ。良寛さんは4日間だったか滞在していたが、何も言わない。いよいよ良寛さんが家に帰ることになって、馬之助に、「ちょっとわらじの紐を結んでくれ」と言った。馬之助がわらじの紐を結ぼうとすると、馬之助の手にぽつんと水滴が落ちた。見上げると良寛さんが涙ぐんでいる。そして、馬之助の目をじっと見る。その瞬間、馬之助は、雷に打たれてような感じがした。そして何も言わずに良寛さんはその家を去っていったんだけど、その時から馬之助は放蕩生活をやめた。
 良寛さんは、放蕩生活を止めさせようとしたわけではないのね。ただ、そういう生活をせざるを得ない心の荒びのようなものに、とても悲しさを覚えたのでしょう。この人に対して何も出来ない自分ていうものを感じていたら、自然に涙がこぼれた。良寛さんは、馬之助に共感したんだと思うのね。共感することによって、相手の感情、相手の生き方といったものを、全部受け止めた。受け止めるだけじゃなくて、良寛さんは、馬之助以上に馬之助の感じている空しさとか、生きることのがさがさした感じ、何をしても新鮮に感じられない、生きることの端々しさを失った悲しさみたいなものを感じたと思うの。それを、本人も知らない内に、涙によって表現した。それを見た馬之助は、「ああこの人は、自分以上に自分のことを分かってくれている、そういう人がいるんだ」と思ったときに、もうそんなことをする必要がなくなっちゃった。
 良寛さんは、馬之助以上に、馬之助の感じている感情を深く味わったんだと思うんです。僕らは、相手が100感じたらこちらが90ぐらい感じることを共感と言っているけれど、本当は、120感じることを、共感というのではないか。もし、本当に共感してくれる人がいたら、人間は絶対変わるんですね。これは病気の人と接していて思うことです。自分より深く感じている人がいたらものすごく助かる。
 子どもがお母さんのそばにいてほっとする理由はね、お母さんの方が、自分のおなかの中に、その経験をちゃんと持っていて、子どもが感じている以上のことを感じているから。抱きついて、「お母さんっ」って言った時に、「わかった、わかった。お前の感じるのはこの辺だろう」ってわかってもらうと、安心する。
 相手の感情以上のものを感じる努力を我々が持つならば、いろんなことが解決されていくだろうと思う。どうしてかというと、人間は自分の感情を感じているつもりだけれど、何かに妨げられて、感じられない部分があるんですね。その感じられない部分、あなたはこういうものが邪魔して本当の気持ちを素直に感じていないのではないかということを、メッセージとして伝えるということ。それがより深く感じているということの表現なんです。そのメッセージが伝わると、いろんなことが変わってきます。
 ここでまた、宗教の話しになるのですが、我々の共感する力、ものを感じる力、それを極限まで深く感じる存在として、神とか仏とかを設定しているのではないでしょうか。自分より物事を深く感じ取れる人がどこかにいる、そういう存在がどこかにあると設定して、物事を考えていくと、色々なことが変わってくる。我々の中に謙虚さというものを養うことは、大切なことです。自分より深く感じられる人がいるっていうだけで、我々は謙虚になれる。宗教にはそういう副産物があるんじゃないかなぁと思います。
 我々も患者さんと接していて、「苦しい」「悲しい」ってことを言われるんですけど、その人が感じているものより、本当に深いものを自分が感じていいるのかなぁということ、またそれを伝えて行くにはどうしたら良いのかぁということを考えるようにしています。そんなふうに考えると相手に対して優しくなれるというか、優しくなろうとする努力というのが芽生えてくるように思います。
 もう一度まとめてみますと、1、願ったことは叶わない。願わないことは叶う。一生懸命願うとますます叶わなくなる。2、この仕事に就いた時の最初のモタモタやおたおたを忘れない。モタモタやおたおたをどういう風に自分の中で消化していったかを、場面場面で振り返ることが出来たらすばらしい。3、愛を味わう。愛する能力は年をとるごとになくなって来るかもしれないが、味わうことには深まる。人から受け取るもの(愛)に感謝し味わう力を磨いていくことを、人生の一つの課題としてたててもいいのではないでしょうか。

(この原稿は1999年10月11日、八丈島の作業所『フェニックス』の主催で行われた「セルフヘルプわくわくワークショップ」での講演内容に基づいています。発表の場を提供していただいた、『フニックス』のみなさんに感謝いたします。)



「つかさき医院でボランティア活動をはじめて」 
 
                  ボランティア 高瀬 堅吉

 私がつかさき医院のデイケアに参加させてもらえるようになってから、もう二ヶ月が経ちました。「ぜひとも精神医療の現場を知りたい」という動機からはじめたこの活動ですが、ここでの活動は二ヶ月という短い期間でも、大きな影響を私に与えています。
 思い起こせば初めてここに来たのは三月下旬、つかさき先生に初めて会ってまず聞かれたことは「特技は?」でした。これといって自慢できるものもない私は「英語と・・それとコンピューターができます。」ととりあえず言いました。そして、事務長と北川さんから色々な話を聞いた後(といってもあまりに緊張していて何を話してもらったのか覚えてないんですが・・・)、北川さんが、「それじゃ、とりあえずメンバーの方々に会ってもらいましょうか。」とデイケアルームに案内してもらいました。もともと「デイケア」を知らなかった私は分らないままにデイケアルームに入り、とりあえずの自己紹介。若い方が多く、「私みたいなボランティアの方が結構いるなあ」と最初に思いました。ということで何も分らない私は不躾な質問のオンパレード。今思うとため息が出るほどの「第一印象の悪さ」、をみなさんに与えてしまった、これが私の「第一回つかさき医院」でした。「大丈夫かな」という不安を抱えつつ、「第二回つかさき医院」がやってきました。
 話はちょっと逸れますが、私は大学で心理学を専攻しています。これでも結構勤勉な方です(自分で言ってはいけませんね)。本ばかりで勉強してきた二年間でした。それがたたってか、頭でっかちな考え方でしか、人の「心」というものを捉えていなかった気がします。
 そのため「第二回つかさき医院」の時は、塚崎先生に「この病気はこれこれこういう理論で・・・」とか、「どういう理論でこれはこうなっているのでしょうか・・・」といった質問をたくさんしてしまいました。今考えると顔から火が出るくらい恥ずかしい質問をしたものだと反省しています。人の心は理論うんぬんで捉えられるほど単純なものではないですよね。帰る頃になって、そんな私に見かねた先生が渡してくれたのは先生が書いた本でした。それが私の「第二回つかさき医院」です。
 先生の書いた本は家に帰ってから直ぐに読み始めました。思えば今までの中で一番早く読んだ本だったのではないでしょうか(これはそれぐらいハマッテ読んだってことです)。読み終わってまず一言、「人の心ってこんな見方もあるんだ」というのが感想でした。おそらくそれからではないでしょうか、自分の中で自分でもわかるくらいの考え方の変化が始まったのは。次の「第三回つかさき医院」からはもっと自分の感じるままに活動していこうと決心したのもこの時です。
 そして、スポーツセンターでの活動、散歩、詩の朗読会と活動はその回数を重ねていき、現在に至ります。ざっとまとめた私のつかさき医院史はこんな感じですが、ここには書き表せないくらいたくさんの出来事がありました。数え上げたらきりがないんですが、あえて言うなら、メンバーさんとの何気ない会話、これは私にとってはとても大事です。会話の中や端々に、「ああ、そうか」とか「そういう見方もできるな」といった驚きがたくさんあります。私にとってはその会話一つひとつが勉強です。それに話はちょっと逸れますが、みなさんすごく優しいですね(お世辞じゃないですよ)。ほんとに、「なじめるかな?」っていう私の不安をメンバーさんたちはいっぺんに吹き飛ばしてくれました。メンバーさんだけでなく、スタッフの方々も新参者の私に丁寧に色々なことを教えてくれます。本当につかさき医院でボランティア活動ができることになってよかったと思っています。

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