『こ・こ・ろのケア』ボランティア情報 

            京都 VOL.9 1995.8.28

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                  REPORT

     震災後の心のストレス相談センター解散記念ワークショップ報告

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 7月末で解散となった「震災後の心のストレス相談センター」の解散記念ワークショップが、8月5日〜6日、1泊2日の日程で、新神戸駅近くのホテル・ISAGOで行われました。参加者40名を越える盛況でした。まず報告の最初に、24時間の電話相談を計画し、活動拠点を設定し、半年間にわたって全国からのボランティアを受け入れてこられた、神戸精療クリニックの小林院長夫妻に、心からご苦労様でしたと述べたいと思います。

 1日目のレポートは、6人の報告者から行われました。報告の後に、神戸大学の中井先生等を含めた、参加者との討論が行われました。

 最初の、館山病院の植木良裕先生は、「災害時精神医療―初期活動と情報の伝達」と題して、1月29日からの5日間の電話相談の経験を報告されました。

 そのまとめは、以下の3点になります。

『1 電話カウンセリングで効果的なケース

  比較的(人的・物的)被害が軽微だが、家族に話しても受けとめてもらえず、あるい は、周囲の大変さに気後れして誰にも語れず、悶々として過ごしてきたようなケースで、 予想外に多い。恐怖感・無力感・孤立、疎遠感等を感情表出(多くは泣き出す)を伴っ て、話続けるケースが多く、受容・共感的に対応する事で最後には丁寧な感謝の意を表 明し、電話を終えることになる。ただし、睡眠障害が著しいケースでは、受療を勧める ことになる。

 2 何らかのフォローが必要なケース

  家族の被害・物の損壊・失職など喪失したものが大きく、抑欝的となりやすい。希死 念慮があれば、受療を強く勧めることになるが、軽欝状態であれば、症状の消長により、 再度の電話相談を勧める。

 3 即刻の治療を要し、具体的指示を要するケース

 自殺企図・精神運動興奮・躁状態等は救急治療が必要な旨説明し、具体的に受療機関 をセンターで指示。また、受療機関にコンタクトし、折り返し相談者に連絡し、受け入 れ可能と返事する事も必要。』

 「もっと災害時の救急医療が必要かと思っていたが、案外悩んで孤立している人が、電話で思いの丈を話すことで落ちつくということを経験して、精神病院にいる身にとって、新鮮な経験だった。」というコメントが印象に残りました。

 産業医学総合研究所の倉林るみい先生は、「ボランティアワーク―情報・公報・伝達・情報処理」を報告されました。ボランティアの受け入れ情報は、関西以外ではほとんど手に入らなかったこと、ボランティアに入る側は、情報がほしいのだけれど、実際は現場でも把握しきれていないこと等が指摘されました。

 小樽女子短大の渡辺誠先生の「電話相談にみられる変遷」は、相談の行われた26週間をそれぞれの週毎の特長を分析したものでした。その要点は、次の通りです。

『26週間の相談件数の変化をみてみると、震災から時間が経過していっても、多くのボランティア団体が撤収した4月以降を含めて、さほど大幅な減少傾向は認められないように思う。ただ、時間が経つに従って、こちらの広報活動によるマスメディアへの露出の影響が大きくなるようだ。

 内容的には、震災の直接的な影響によるPTSDに加えて、対人関係・住居・職業・経済等の問題の関与が徐々に増大してゆくとの印象があった。そして、特に20週を過ぎるあたり(6月半ば)からは、それらが複雑に絡まり合った深刻なケースが目立ちだしたように思う。それには、我慢していてこじらせてしまった、という面もあるのだろうか。あるいは、重篤なためになかなか表現できなかったのだろうか。

 尚、震災により、それまで潜在していた、家庭内等における対人関係上の問題が顕在化する、という傾向は、少なくても8週目(3月下旬)以降の時期全般に認められるのではないか』、ということでした。

 丸野クリニックの丸野陽一先生は、「神戸で得られた教訓―診療所レベルでどう生かされるか」と題し、今回の震災を生き残った診療所の役割を振り返り、神戸精療クリニックの活動の特徴をまとめられました。その上で、今後の対策として、次の点を指摘されました。

『1 地域の防災計画や、ネットワークへの参画(いずれ策定されるだろう);個人的動  きは限界と困難をもたらす。日頃から日精診など組織に参加しておく。

 2 カルテや、処方箋の保存、CPのバックアップ等災害直後の患者への迅速な対応を可  能にしておく。

 3 薬品の貯蔵。院内薬局や、調剤薬局には1〜2カ月のストックはある。院外処方の場  合、薬局からすぐに取り出せるような協力体制が必要。

 4 FAXはもちろん、パソコン通信・携帯電話の導入を図る。(将来は無線通信も。)

 5 有床診療所や、デイケア施設だけでなく、応援部隊を受け入れるような施設は届け  ておく。(防災計画の中で)

 6 PTSDの学習。』

 白梅女子短期大学の島田泉先生からは、「ボランティアアンケート中間報告」が行われました。これは、今回の電話相談のボランティアに参加したメンバーのアンケートを集約したもので、現在も作業中です。7月25日現在の回収状況は、DR.28名、CP.27名、PSW.4名、NS.11名、その他11名となっています。

 参加当初誰もが躁状態になったこと、地元に戻って欝気味になっていったこと等が指摘されました。何度もボランティアを続けることになった人(リピーター)の意味を問う声もありました。今後の完全集計が待たれます。

 不知火病院の徳永雄一郎先生の「災害時精神医療―今後に向けたネットワーク」では、「従来の病院精神医学が分裂病一辺倒になっていることから、視野を広げるチャンスになったのではないか」という指摘がありました。また、「神戸の市民は助け合っていて、冷静にふるまっていた。外国に比べPTSDの発生は少ないのではないか」との印象も語られました。

 その後は、懇親会に移り、それぞれのグループで、活発な意見の交換が行われました。

 2日目は、集団療法・アートセラピー・避難所のテーマで発表が行われました。当日の記録を紛失し、発表者の名前は不明です。しかし、印象に残った発言は、以下のようなものでした。

「PTSDの4分の3はよく治るが、4分の1は治りにくい。」

「日本人は設定した集団の中では、自己開示が難しい面をもっている。」

「集団療法と意識するのではなく、自然に集団が作られることを側面から援助する方法が一般にはやりやすい。」

「自分の得意な技法にこだわらず、求められている関わりをまず始めることが必要だ。需要のあるところで動く。」

「アートセラピーは、物を介在させること、やりとりに特徴がある。」

「表現を強制するとか、しないとかではなく、必要な人は自然によってくるものだ。」

「カルテを本人に持たせるということが、不信感をなくすことに役だった。」

「いつまで関われるのかを、最初に相手に告げる努力をすべき。」

「仮設住宅に入っていく試みとして、リラックスデイはとてもよかった。『心のケア』として構えるのではなく、一般的でオープンな関わりの一部に心理の専門職の目があるということはとても大きい。」

 以上、とても印象に残る2日間でした。全国から集まったメンバーのそれぞれの心に長く残ることでしょう。また、今後の活動の指針になる指摘もたくさんあったと思います。

 最後に、神戸精療クリニックの小林和先生がボランティアを支えた人々への御礼をのべられました。特に、ご主人の協力に感謝されたことばは、感動的でした。

(この稿のまとめに、藤信子先生のご協力をいただきました。)

 「震災・こころのホットライン24時間」緊急ボランティア募集のお知らせ

 以前からお知らせしていたように、精療クリニック「震災後の心のストレス相談センター」は、「こころのケアセンター」の委託を受け、来年3月末まで、「震災・心のホットライン24時間」と名称を変えて、活動を延長することになった。このため、引き続きボランティアを募集する。

活動内容:24時間対応の電話相談・余裕を見て、仮設住宅訪問。

求人内容:精神科医、臨床心理士、PSW、看護士等の精神医療専門家。

状況:精療クリニック内のソファー等での宿泊、入浴は銭湯(徒歩約10分)、食事はほ   とんど外食(便利、美味)。

   *食費程度の支援が「心のケアセンター」から支給される。

申込方法:以下の要件をFAX送信してください。

     1)氏名、性別、年齢、職種

     2)自宅住所、電話、FAX。

     3)勤務先、及び住所、電話。

     4)臨床の略歴。

     5)活動可能なタイムスケジュール。

連絡先:震災後の心のストレス相談センター

     078-333-1984 FAX 078-392-3960                  

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           日精診協支援センターウィークリーより

             連絡先は8月17日より移転。

    移転先:〒650 神戸市中央区三宮町2-10-7 グレス神戸7F 千島医院内

            078-393-0307 FAX 078-393-0308

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お詫びと訂正

 VOL.8でお知らせしました精療クリニック・「震災・心のホットライン24時間」の移転のお知らせは、上記の日精診支援センター移転の誤りでした。関係者の皆様にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

 

              避難所(待機所)の現況

 8月20日に、避難所への食糧配給が打ちきられ、神戸市内196箇所(6672人)の避難所(テント村は28箇所、約900人とのこと)も21日以降12箇所(東灘5、灘1、中央1、兵庫1、長田2、須磨2)の待機所に統合されることになった。待機所への移動はなかなか進まず、23日時点で548人が暮らしている。新たに設けられた「待機所」(収容規模2000人)は、体育館・公会堂等の公共施設で、学校は含まれておらず、避難所であるところも含まれている。各所によって、一人あたりのスペースが異なり(1畳から3畳)、5箇所はクーラーがない。75人に一つの流ししかなく、シャワーが100人に2つというところもある。

 神戸市は、年内にはこの待機所も解消したいとしているが、考え方としては、『居住先が決まらない被災者が、自立または空き仮設住宅に入居するまでの間、暫定的に生活する場として設ける』としており、@高齢者・障害者への対応A生活相談など援護の充実B福祉巡回相談の実施C健康巡回相談の実施Dボランティアセンターの活用の福祉サービスを待機所で実施するとしている。一方、被災者(兵庫県被災者連絡会議)は、この避難所解消に反対しており、独自に配食を予定している。

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        日本YMCA同盟課題別研修・ワークショップのお知らせ

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 日本YMCA同盟は、「市民社会と災害」をテーマに、ワークショップを開催する。これは、震災で活動した市民ボランティアや、市民団体のスタッフを対象に、「これからの市民社会を作っていくために、ボランティアや市民団体が、また一人一人ができることは何か、それを考え、実践していくための具体的なものの見方、感じ方や捉え方、人とのつながり方等を学ぶ」課題別研修です。ファシリテイターは、長尾文雄氏(大阪YMCA常議員・聖マーガレット生涯教育研究所講師・大阪女学院短期大学講師)、西村仁志(環境共育事務所カラーズ)、リソースとして、小沢昌甲氏(神戸YMCA西神戸センター)、鈴木実氏(ナイスハート基金)。

                   記

日程:1995年10月8日(日)〜10日(火)

場所:日本YMCA同盟東山荘

参加対象:公益団体でボランティアのコーディネイター・研修などを担当しているスタ     ッフ、あるいはボランティア、もしくはその希望者。(40歳前後まで。)

参加費:一般3万円、学生・ボランティア2万円

問い合わせ:環境教育・共育事務所カラーズ           

      〒603 左京区北白川大堂町45 п彦AX 075-781-7315

 

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                 作業所の現況

              ―御影倶楽部を訪問して―

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 8月18日に、灘区に疎開している精神障害者の共同作業所・御影倶楽部を訪問した。疎開場所は、阪神・西灘駅近くの野球場の西隅である。丁度、1日の作業が終わって、通所者の反省会を行っているところだった。その日の通所者は5人、指導員は3人だった。いつもは12〜3人の参加があるそうだが、暑さや、お盆直後のため、参加が少ないということ。現在の通所登録者は23人だという。

 所長の大橋さん、指導員の西川さん、上野さんからお話をうかがった。

 御影倶楽部は、元々は東灘区の青木にあったが、今回の震災で作業所が全壊し、5キロ程離れた隣の灘区に仮設の作業所が作られることになった。安田火災海上記念財団から提供された1200万円の資金で、西灘公園の一角に作られたのである。作業所は、真新しく、広々として快適な感じだった。震災後、神戸に医療支援に来ていた新潟の医療団のドーム型のテントの建っていた跡地に、その仮設作業所が作られた。ドーム型のテントは、新潟県の医療団が撤退する時、そのまま残していったので、しばらくそこを使用させてもらったが、テントは雨に弱く、風速30メートル以上では壊れるということで、長期使用はできそうにもなかった。事実、梅雨の間は、雨が入り込んで畳が腐ったり、大変だったようだ。資金のメドがついて、仮設作業所が作られ、入所は7月5日、開所は7月17日というから、現在は活動してようやく1カ月目である。

 青木にあった元の作業所は、木造2階4室だったが、狭いため、隣の木造アパートの1室を事務所として借りていたという。地震の時、その木造アパートが倒れて、作業所に崩れて来たため、作業所も全壊してしまったらしい。その木造アパートから死者2人が出たことから見ても、もし地震が日中であれば、押しつぶされた作業所の中で、犠牲者がでた可能性は極めて高いそうだ。

 通所者の中から、幸いにも地震の犠牲者はでなかった。ただし、自宅が全半壊した人が多く、3分の2近くの人が、避難所に入所せざるを得なかったそうだ。当初は、緊張しているためか、大きな変化もなかったが、ほぼ1カ月ぐらいしてから、調子を崩して、入院を余儀なくされる人も出てきた。結局4人が一時的に入院ということになった。通所者は、単身の人も多いので、作業所が唯一の人とのつながりの場、という人もある。指導員も被災者なので、作業所の再建も難しかったが、バイクでまわって連絡をとって、震災1カ月後に住吉川堤防で、初めて集まりをもった。ポットのお茶を飲んで、皆の安否を確認した。寒い日だった、という。4月からは、週に1回の集まりを持った。そして、5月の終わり頃からは、毎日の集まりを持つようにした。助成金の交付の関係で、毎日作業所活動を行っている、という実績も必要でもあった。しかし、集まる場所もないのに、活動をするというのだから、公園をぶらついたり、喫茶店へ行ったりは序の口で、他の作業所を訪問したり、水族館・ボーリングと活動の場の設定がたいへんだった。一番の問題は、行政の方針がちゃんと伝わってこず、不安が消えなかった ことだ、という。

 7月に仮設作業所ができて、集まる場所は確保されたが、2年後の移動を考えると、見通しが持てないという。元の作業所より、1200万円で建てた仮設作業所の方が、広くて立派なのはよいけれど、構造的に次の場所に移動できないらしく、次の作業所の土地・建物をどうするか、問題だという。「多分ここより条件の悪いところへ引っ越すことになるんでしょうね。」ということだ。

 一時避難所に入っていた通所者も、現在では全員仮設住宅その他に移っているが、作業所に通所が困難になってしまった人も多い。以前の通所手段は徒歩と自転車が大半だったが、現在はほとんど電車利用である。その交通費も馬鹿にならない。

 作業所の作業は、以前はお菓子の箱折と、タオルの袋入れの作業が中心だったが、業者が震災でつぶれてしまい、8月までは作業がなかった。ようやくボタン作りの作業が入ったが、作業に慣れないためもあり、以前の平均工賃が月に5〜6000円だったのに、現在は1000円足らずとのこと。それでも、作業が入ってから、通所者に元気が出たそうだ。 自治体の助成金は、昨年で、神戸市が年間460万円、兵庫県が380万円、国が100万円となっている。ただし、国の助成は不定期のものである。この予算では、常勤職員の1名採用が限界で、あとは1〜2名の非常勤職員でカバーして運営するしかないらしい。

今回の震災に際して、東京の作業所を中心として、たくさんの支援者がやってきて、潰れた作業所から書類や事務用品を掘り出してくれた。また、ドームのテントを利用していた頃には、1週間交代で、泊まり込みをしてくれたそうだ。しかし、常勤職員1名という神戸の作業所の実情では、とてもそんなゆとりはない。例えば、次にどこかで震災が合った場合、恩返しの意味で支援に行こうとしても、留守番の体制もなく、1週間も指導員が抜けるなんてとても無理だという。東京の作業所の状況を見ていて、地域格差の大きさに驚いたそうだ。

 震災後の経済的な支援は、中央競馬会から250万円、共同作業所の連合組織から50万円といった具合で寄せられていて、個人的にチャリティーコンサートでの収益金30万円程を送ってくれた人もある、という。それらの資金で、備品等を揃えたが、2年後の引っ越しを考えると、敷金・礼金等の貯金も必要で、楽ではない。現在のところ、共同作業所は法的な裏付けがないため、国からのまとまった経済的支援は全く行われなかった。

 以上、まとめてみると、震災後半年で、作業所は何とか動きがとれるようになってきているようだ。今後の計画には不透明な面はあるにしても、曲がりなりに本拠地を得て、やれやれというのが正直なところだろうか。作業所の指導員の皆さんにも、通所者の皆さんにも、ほっとした感じが見られた。そして、震災後の色々な支援活動が、作業所再建に力になってきたという実状も感じられた。

                                  (編集部)

 

 

 

 

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  日本精神病院協会企画・ヤンセン協和(株)提供のラジオたんぱ医学専門番組  

            「知っておきたいメンタルヘルス」

第4回「サンフランシスコの経験から」サンフランシスコ市衛生局精神保健部長

         レイコ・ホンマ・トゥルー(95年3月27日放送)

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 私は、サンフランシスコから、このたび阪神大震災ということで、来まして、そして心のケアの問題ということで、各地の皆さんとお話をしたんですけれども、このたび短波ラジオを通じまして、サンフランシスコ、またロスで経験しました心のケアというものが、日本でどの程度のことがこのたびの阪神大震災のこころのケアにあてはまるかということを少しだけお話させていただきます。

 サンフランシスコでおこりましたのは、1989年、そしてロスでおこりましたのは1994年、ロスでは同じ1月17日という日に震災があったのですけれども、そのときは私たち非常に大きな震災だと思っていたのですけれども、このたびの阪神大震災のスケールは、アメリカの経験とは本当に違って、大きな、本当に悲惨な状態で、TVや新聞で見ていたよりは想像以上に非常につらい心痛を感じました。

 そして、また皆さんたちが、アメリカではこのようなことがおこった時は、心のケアというものがすぐに起動するというふうにこちらのほうでは報道されておりますが、確かにそれはそうなんでございます。それが今、日本でそういうふうな心のケアということが問題になってくると、皆さんが認識を持たれているようでございますが、それにはどうすればいいのか、アメリカでやったことがどの程度日本で使われるのか、そんなことをよく皆様に聞かれますが、確かにアメリカでやってることが全部こちらで使えるということは絶対ございませんので、日本の文化・対人関係・また心理状態とか、いろいろなことによってだいぶ大きく違うと思うんですけれども、その中でアメリカでやっていること、また私たちがサンフランシスコ、またロスでやったことなどを少し話させていただきたいと思います。

 災害があると、私たちはすぐその翌日あたりに、もう精神保健チームを起動して、各地の避難所に派遣しながら、いろいろ被災者の心のケアを始めるというのが向こうのほうでは組織だっておりますけれども、それは過去25年間の間、アメリカで色々な災害救助システムが発展してきた訳で、そういうことができるわけなんですけれども、日本ではこれまでのところそういうふうな経験もなかったことですし、それにしましては、皆さんたち、わからないながらも精神保健関係の人達が非常に一生懸命努力して、なんとか自分達で考えながら救助にあたっていらっしゃるので、私たち自身、直接の場所を見せていただきまして、非常に感激いたしました。

 で、向こうで私たちが経験しましたことを言いますと、一番重点を置きましたのは、もちろん被災者の方たちにどうやって心のケアを援助するか、ということですけれども、その対象になりましたのが、もちろん精神病患者の方たち、それからアルコール中毒なんかを持っていらっしゃる方たちが一つの重点となったんですけれども、それ以上にもっともっと大幅な被災者の方に、いろいろな心の傷の問題がおこってくるという事が向こうでは理解されておりまして、その方たちのケアということをどうするか、という事に非常に重きを置いておりました。

 日本ではそれほど心の傷というものがおこらないかもしれない、ということがあるかもしれませんけれども、実際今阪神地帯をまわっておりまして、いろいろな心の問題がおこっているということを、私は実感いたしました。

 向こうの方でおこっている心の問題―一般市民の方たちで、色々な障害・ショックを感じていらっしゃる方―睡眠障害になったり、恐怖症に陥ったり、それから、色々な身体障害がおこっている、それは心の方からおこっている障害ということがたくさんありますけれども、そのことが精神異常ということではなくて、普通誰でもそれだけの心のショックがあった場合には、そういう症状が一時的におこるという事を一般の人に大きく理解を広めようと私たちは努力いたしました。それと同時に、こういうふうに災害ということの理解がよくいっていない人達、―例えば子どもたち、青少年ですね―その方達の間にも、私たちは色々な面で心の傷ができている、そしてそれが色々な面で子ども達の行動・症状にでてくるということが向こうでは受け入れられておりますけれども、日本でも、その傾向ができてきているようでございます。

 日本では、それほど強く子どもたちの方に心の傷ということがないのではないかという意見もあるかもしれません。けれど、このたび神戸大学の教授、学生さんたちと話し合う機会があったんですけれども、その時、神戸大学医学部小児科の先生たちがいらっしゃいまして、災害直後から各3箇所の幼稚園でお母さんたちにアンケートをいたしまして、140人のお母さんたちから子どもたちにどういうふうな現状がおこっているかというアンケートの回答を分析された結果を報告されていらっしゃいました。その報告によりますと、アメリカで子どもたちが経験している症状というものが、日本の子どもたちの中におこっている、ということがはっきりしてまいりました。

 その140人の子どもたちのなかで、非常に恐怖心が強くなって、一人でトイレに行けないことがある、と答えていらっしゃったお母さんが50%いらっしゃいました。

また、一人で眠れなくなった子どもたちもいた、ということを54.3%のお母さん方が報告なさっておられました。そして、余震がおこるということを非常に恐がっている子ども達がやっぱり50.7%、暗いところを極端に怖がるとか、いつも親と一緒にいたがるようになった、赤ん坊帰りの症状を報告していらしたお母さんがやっぱり40%位いらっしゃいました。そしてまた、知らない場所に行くのを極端に怖がるとか、わがままになった、ちょっとしたことですぐ泣くようになった、そういう報告をしていらっしゃるお母さん方もだいぶいらっしゃいました。そういうことが、子ども達が本当に自分自身の災害ということをコントロールできない、そして、大人たち、親たちよりもっとコントロールがない、ということで、ますます恐怖心が強くなるんです。けれども、そういうふうな恐怖心があったとしても、それは異常なことではない、ということですね。親たちは、子どもたちがもっともっと悪くなっていくかということをきっと心配なさると思うんですけれども、それは本当に親たち、周りの人達、教師・保育所の方とか、子ども達といろいろコンタクトをする人達が上手く扱えば、子どもたちは自然に心 の傷が治っていくということなんですけれども、そういうふうなことをいろいろなメディアを使って、一般市民の人達の常識・理解を広げていくということを私たちはやりました。そういうことは日本でも有意義なことではないか、と私は思っております。

 もう一つのグループで、非常に災害が多かった方、サンフランシスコ、ロスでもそうでしたけれども、阪神地方でも老人の方の被害が非常に多かった訳です。老人というのは、悲嘆に陥るいろんな原因があると思います。例えば、連れ合いが亡くなったとか、やっとローンを払い終わった家が一瞬の内に無くなったとか、今まで持っていた財産がほとんど無くなったとか、絶望的になられるご老人が多いと思います。そういう方たちに、できるだけの暖かい救いの手をさしのべてあげないと、自殺に陥ったりする人もいるし、そういう老人達のために、私たちは特に家庭訪問とかをいたしました。それは、カウンセリングとかじゃなくて、「どうしていらっしゃいますか」というふうに、できるだけ普通の、ヘルパーというんですか、精神の専門家ということじゃなくて、ご老人の現状がどうなっているかということ、精神面ばかりじゃなくて、他の面でもいろんな援助をしてあげるということの努力をいたしました。

 ですから、日本なんかでは、心のケア―精神保健とか、カウンセリングとか―にまだまだ根強い偏見がありますけれど、そういう時に、特にご老人なんかは恐怖を持たれると思いますので、精神保健関係の専門家でも、そういったことは余り表に打ち出さずにそういったご老人の世話をすることを強調しておりました。

 それから、このたびボランティアの活動が日本でも非常に大きくうたわれておりまして、色々な方―特に若い方、お年寄りの方なんかも全部色々やっていらっしゃいましたけれども、そういうボランティアとのグループの形態ということにも私たちは注目しておりました。と、いうのは、カウンセリングの専門家では無理だった、という訳ですから、(その形態を)やりました。

 そういう訳で、短い時間ではありましたけれども、日本で色々皆さんたちの理解が深まってきているという現状でございますので、我々がやった事の使えるところを皆さんに使っていただいて、そして、これから、もっと災害救助に関する心のケアということを強調していただき、そして、救済・救助の一翼である、と認めていただくことを希望しております。

 

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│ この情報誌は、当面本年10月末まで、月2回刊行を目標に発行していく予定です │

│送付を希望される方は、80円切手を下記の連絡先までお送りください。また、ボラ│

│ンティア情報をおもちの方は、情報を読んだ人が活動のイメージをもちやすいよう│

│に、なるべく簡潔な形にまとめてお送りください。              │

│     「『こころのケア』ボランティア情報・京都」宛          │

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■「こころのケア」ボランティア情報・京都では、10月までの郵送費・及び印刷費とし て約6万円が必要です。現金・不要な切手のカンパをお待ちしています。

●坂口扶仁子先生、カンパをありがとうございました。 

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