『こ・こ・ろのケア』ボランティア情報 

           京都 VOL.10 1995.9.20

  

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                  REPORT.1

       日本精神神経診療所協会(日精診)のボランティア活動

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日精診の阪神震災・支援ボランティア活動について、担当の二條紀彦さんからお話をうかがった。二條さん自身は、5月22日から、日精診阪神震災支援センターの専従ボランティアとなったので、それ以前の活動については伝聞である。

 震災当時、二條さんは大阪の診療所に勤めていて、そこのDRと1月22日自転車で神戸にはいった。西宮、東灘、中央、長田と回って、診療所の再建の重要性を感じたという。支援センターができるまでは、中央、東灘の救護所でも支援活動を行っている。

 日精診の支援センターは、2月20日に開設され、主として地域の精神科診療所の再建支援の活動を行ってきたという。当初は、専従職員の奥平さん(CP)が中心となっていた。 5月20日までは、DRが不在となった明石神経科を借りて、地域の診療所に対する支援、更に土日は診療体制をとっていた。最初の3カ月で、DR60人を含め、200人程のボランティアが神戸を訪れた。二條さんもこの時、ほぼ1週間に1度の割りで支援にはいっていた。5月に明石診療所が再開となり、一応の活動を終えたが、更なる活動の持続が必要ということで、場所を保健医協会の一室に借り、6カ月間活動が延長されることになった。二條さんは、その活動に参加されるため、勤務中の診療所を退職し、ボランティアとして支援センターの専従となった。

 支援センターが毎週木曜日に発行している「支援センターウィークリー」には、活動の柱として「診療所、医療機関の訪問・中間報告の作成・ウィークリーの発行・情報収集」があげられている。「ウィークリー」は、2月以降ボランティアに参加してくれた、日精診傘下の診療所300箇所(岩手から長崎まで)にファックスで届けられている。

 神戸の精神科診療所の特徴は、神戸大学の黒丸元教授が、これからの精神科医療には診療所活動が不可欠と提起したのが始まりで、全国にも比較して多い42箇所の診療所が作られていた。地域的なばらつきが余りなく、開設されて時間の経っているところが多いので、(その分医者の平均年齢が高いが)患者を生活の場の地域と密着して把握していた。貸しビルの一角で診療を行うという、いわゆるビル診が少なかった。震災後、開業医は率先して、避難所まわりをして患者をチェックし、時には薬の配達をおこなったりもしていた。そうして、神戸市全体の精神科外来患者の約2万人は、短期間の間に実情把握が行われた。それに応じて、診療所が次々と再開していった。中には、震災を機会に引退しようとした医者もいたらしいが、壊れた医院へ行ってみると、自分の患者が薬をもらえるのを待っていたので、そのまま続けることになってしまったという場合もあるという。開業医は、比較的高齢者が多く、内科・歯科など診療設備に多額の投資を必要とする場合は、再開を断念するケースも全体の1割程度に昇っている。その点、精神科診療所は再開の困難は少ないと言える。現在、精神科診療所で仮診療 所は3箇所だけとのこと。ただし、半壊した4畳半のスペースで診療しているところもあるとか。

 神戸の診療所は、精神科診療所の経済的な基盤が不十分なところ、医者と看護婦または事務員という最低限の人員の活動で、その経営基礎を作ってきた。そのため、常勤PSWを採用しているところが少ないとか、地域のリハビリ活動との連携が少ないとかの問題点もある。そのような点の改善が必要なのだが、震災後の人口流出で、診療所の外来患者は8割程度に落ち込んでいて、新たな活動に踏み切れる余力を期待するのは無理なようだ。これからの点は、「心のケアセンター」の活動に期待されるところだが、今のところまだそこまで手が届いていないようだ。

 これらの働きを前提として、二條さんご自身がこの間の活動の中から感じたことを、次に述べてもらった。神戸は精神科診療所が多いので、外来患者の把握はうまくいった。しかし、より広く医療の対象をとった時、活動の限界がかなりはっきりしたのではないか。震災の避難者が、避難所から仮設住宅へと生活の場を変えていくのに沿って、支援が行われているかというと、とても不十分である。支援の形としてどういうものがあるのか、わからないままだ。当初、被災者を支援依存にしてはいけないとか、地元の機関に任すべきだということで、一応のまとまりがついたところで、ボランティアは引き上げたが、精神科医療では、もともと生活の場で見るとか、支援するとかいう考え方があるはずなのに、支援が救急医療モデルになりすぎているのではないか。仮設住宅は2年ということになっているが、おそらく仮設住宅は21世紀まで残るだろう。そこまで考えて対策が練られているかというと、そうは思えない。仮設住宅から、家を建ててでていく人、家を建てられない人、それぞれ支援の形は違うはずだ。そこで、支援というものの意味が問われている。所詮、後手になっている。既成のものの枠を 当てはめすぎではないか。

 避難所での死亡、震災による自殺がどれくらいあるのか。ちゃんとした調査もないようだ。それこそどういう支援が必要かを物語るデータなのに。苦情を言うばかりではしょうがない。自分達でできることだけでもやろう、と考えている。

 兵庫県精神神経診療所協会(兵精診)では、リサーチプロジェクト委員会を作って、震災後の精神科診療所医療の動態・震災後の新患の動態と傾向・休患、再来患者に見られた震災の影響を調査する計画をたてている。その調査には、二條さんも大きな関心を持っておられるようで、「調査をして意欲が涌いて来るようなものをやりたい。そして、そこから精神科のリハビリをどれだけ地域でやれるか、専門的なものより、地域が住みよいものとなることにつながるものをさぐっていきたい」とのことでした。

                                 (編集部N.T)

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                  REPORT.2

          「わんぱくサマーINささやま」報告・その1

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 この夏は、近畿各地の諸団体で被災地の児童を対象としたキャンプが多数開催されました。その中の一つに、神戸市教育委員会の後援を得て、全労済が「神戸復興計画」の一つとして主催し、京都の環境教育・共育事務所カラーズと環境市民が企画した「わんぱくサマーIN ささやま」があります。

 このキャンプは、現在緊急状態は脱しているが、夏のレジャーどころではない神戸市内の小学校高学年(主として灘区)を対象にして、8月20日から22日を第1期、22日から24日を第2期と区切り、各期間60名(計120名)が参加しました。

 場所は、兵庫県多紀郡篠山にある松下電器の保養施設である「ユニトピアささやま」が選ばれました。これは、普段仮設住宅や避難所で生活している児童に、キャンプのときくらい自然に恵まれた良い環境を提供したいという主催者側の配慮で選ばれたものです。スタッフは、主として京都YMCAの野外活動リーダーOBの有志を中心に、造形教育や環境教育のインストラクターとして活動している者、アメリカインディアンの研究者、そして「心のケアスタッフ」としてPSW1名(筆者)が参加しました。

 さて、本来野外活動においては、日常の環境を離れた自然環境のなかで小集団で活動する事(グループワーク)を方法として、概ね以下の3点の「関係づくり」が目標となります。

1 人と人との新しい関係づくり

  子どもたちが初めて会う人ともプログラムを媒介に 友達となれること。また、以 前から知っている人の知らなかった面とも出会うこと。

2 自分との新しい関係づくり

  一緒に活動する人達との相互作用を通じて、「自分の知らない自分」が引き出され る。いつもは気付いていない感性や心が動いていることに気付く。

3 自然との新しい関係づくり

  自然の営みをより深く感じ、知ることによって、今までの自然との関わりについて 見直す機会とする。

 今回のキャンプは、家族や友人、住居などさまざまなものを失った子ども達が対象であるため、子どもたちの「心と身体の癒し」がねらいに加わりました。

 参加者の事前の調査表を見ると、「キャンプに期待すること」の欄には、「(疎開して転校した)○○さんと一緒の部屋にしてください」というような子どもからの希望や、「今の神戸はほこりだらけで空気も悪く、通学路やまわりにきれいな物が全然見られない環境です。キャンプに行って自然の中でおもいっきり心も身体ものびのびさせてやってほしい。」という保護者からの希望が目につきます。また、事前の打ち合わせでPTSDについての学習も行い、スタッフ側にも震災でさまざまなものを失い、傷ついた心を持った子どもと活動を共にするのだ、という構えができました。

 さてキャンプで実際に子ども達と関わってみると、事前のスタッフ側の構えを裏切るように、子ども達は元気で、普通のキャンプと同じように楽しくプログラムに参加することができました。しかし、ふとした拍子に子ども達のおかれている過酷な状況が顔を出すことがあります。例えば、「今日おふろはいるの?」と子どもに聞かれたリーダーが、「もちろんはいるよ。大きなお風呂だよ。家のお風呂とどちらが大きいかなあ」と何の気なしに答えると、「今避難所に住んでるから家にお風呂ない」という答がかえってきたりするというようなことです。また、昼食のとき刺身を食べて、一人の女の子は、「お昼こんなの食べるの久しぶり」と言いました。筆者が、「いつも何食べてるの?」と聞くと、「ラーメン、ラ王。」と言います。その子は避難所で生活しているため、「お昼はそれしかくれない」そうです。(その配給も、避難所の解消に伴って8月22日で打ち切られると彼女は語っていましたが。)

 筆者も、稗田小学校の5年生の女の子と話しをしていて、一見元気そうに見える子どもの背後に、彼女が経験してきた様々な思いがあることが想像されました。具体的に女の子が語ったのは、以下のようなことです。

 「(参加者に稗田小の児童が多いと筆者が言ったことに対して)稗田小は避難所があるから狭い。テントの大きいのを避難所に貸しているから、学校の行事に使えない。

(「家どうもなかったんか?」という筆者の質問に対して)全部壊れてしもうた。もう平地になってる。兄ちゃんが来年受験やし、仮設にはいれへん。今おばあちゃんの3LDKに住んでる。仮設が当たってからは、お父さんは仕事と、荷物盗られたらあかんし、一人でそっちに住んでいる。仮設が当たるまでは、おばあちゃんのところの3LDKに一緒に住んでいた。6畳の部屋に、おばあちゃんと障害者の人、4畳におじいちゃん、もう一つの部屋に4人。家のなくなったところに新しい家建てるけど、たくさん家が建つので、前より狭くなる。前の家の玄関は6M位あった。(5歩くらい歩いて)ここからここまでが玄関やった。部屋の畳も、前の家は古い家やから、6畳でも今の10畳くらいあった。今度は前の家より狭くなるなあ。」

 このような事例に直接接して、心のケアスタッフとして筆者が考えたのは、「フツーのキャンプでいいんじゃない?」ということでした。すなわち、参加者にとって、事例にあったような被災地の状況は、被災後8カ月を経て日常のこととなっています。彼や彼女らが体験した喪失感、また現在の制限された環境は被災地外で生活しているスタッフにとって、計り知れないものであることが推測されます。が、そのことによって子ども達を特別視したり、意図的に被災の状況を聞き出したりすることはやめよう、とスタッフの共通理解を持ちました。むしろ、自然に囲まれたキャンプ地にいることそれ自体が既に治療的環境に身を置いていることになるのだから、ことさらにスタッフやリーダーが「傷ついた被災地の子ども」と構えることはないのではないかと考えました。

 もう一つは、「ケアワーカーは『保健室のおばさん』という存在でいいのではないか」ということです。もし身体や心の不調を訴える子どもが出た際には、休息する場としての「保健室」に面倒をみてくれる存在のワーカーが一人用意されていて、少し休んでまた活動に参加するスタンスを保つことにしました。

 以上のことから、参加したスタッフが個々に感じたのは以下のようなことです。

 

 「子どもは強靭な復元力をもっています」とある本に書かれていました。まさに1日目、子どもたちのエネルギーに驚き、彼らを「癒す」ということを意識し過ぎていたことに気付きました。2日目、豊かな自然の中で「共にいる」という援助の基本姿勢に立った時、子どもたちの心が少しづつ見えてきたように感じられました。子どもたち、そしてすばらしいスタッフたちに多くを学んだ3日間でした。(プログラムディレクター・K.Y)

 

 4泊5日と数にして表すと短い期間だったけれど、その間に日常生活ではとても経験できないほど多くのことを学ぶことができた。その中でも特に印象に残っていることがいくつかある。一つは、子どもたちが明るくて元気だったということ。時折会話の中に地震の話、現在の生活の話がでてきてどきっとしてしまうこともあったが、普段は子どもらしい元気さで走りまわっていた。そんな姿を見て、「かわいそうな子どもたち」といった奢った先入観を抱いていた自分が少し恥ずかしくなった。今の私にできることといったら、一歩離れたところから眺めて「癒してあげよう」「助けてあげよう」とすることではなく、ただ歩調を合わせて一緒に歩くことではないだろうか。

 また、同じように震災で苦しめられている子ども同士がことばで傷つけ合ってしまう、そんな場面に出会うこともあった。「相手の立場に立って考える」と口に出して言うのは簡単だけれども、実行するのはとても難しい。相手を思いやる心だけでなく、自分自身を愛し、思いやる心が必要になってくるのだろう。相手を傷つけてしまうような言葉を発する子ども自身も、苦しんでいるように思えた。

 もう一つ、印象に残ったなは、ネイティブアメリカンの伝統工芸品「ドリームキャッチャー」を作った時のこと。このドリームキャッチャーは、夜枕元に置いて寝るといい夢が見れるらしい。私の隣に座っていた、普段とても元気な子がしきりに「いい夢が見たいなー」と繰り返していた。彼女の願い事は、街が元通りに戻り、死んだ人が生き返ることだそうだ。

 今回キャンプに参加した子どもたちだけでなく、今尚震災で苦しんでいる方々が「いい夢」を見られる日の早く訪れることを心から願う。(キャンプリーダー・N.K)

 

 震災から7カ月が過ぎて、今回私は初めて神戸の子ども達と、生活と造形遊びを通じて2日間の時を共にしました。

 子ども達が各自「これを伝えたい!」と選んだ花や葉っぱや造形材料で、想像し、創造して、「夢中の無」の時を短時間でももてれば、と簡単なクラフトをしたのですが、予想を越えたオモシロイ、タノシイ、個性に富んだものができあがりました。

 そんな時間を過ごしていると、一見「震災なんて遠くに過ぎ去ったことだよ」と感じさせるほど子ども達は元気でした。でも、枕を並べて「地震のときどうしてた?」と、ここで友達になった女の子同士がその時の様子を小さな声で語り合ったり、「寝るとき絶対電気消したらイヤ!」とスーッと身体を寄せてきたり、目に見えない深い部分で恐怖感は今も、これからも根強く残っていることを実感しました。

 子ども達は、傷ついた思いや感情を、そしてあふれるパワーやエネルギーも、すべてゆったりと受けとめてくれる大きな器を持った人的環境や、自然環境がこれからますます必要であることを強く感じました。(造形教育担当スタッフ・K.N)

                                 (編集部M.O)

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    日精診協支援センターウィークリーより・避難所(待機所の現況)

    連絡先:〒650 神戸市中央区三宮町2-10-7 グレス神戸7F 千島医院内

            078-393-0307 FAX 078-393-0308

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 災害救助法に基づく避難所が「閉鎖」され、神戸市内12箇所に設けられた「待機所」への統合は、8月28日現在なかなか進んでいない。約2000人の収容規模に、28日現在634人の方が生活されており、また127箇所の避難所に2963人の方が生活を続けている。灘区の待機所のスポーツセンターは、収容規模が150人で、区内の避難所には長田区(1006人)に次いで多い828人がいる。避難所解消策として追加で建てられた仮設住宅も、立地条件の悪さで敬遠され、2000戸の空きがある。避難所に今だ多くの被災者が留まっているのは、仕事や通院とともに被災地での住宅事情の悪さ(低家賃の物件はない)が大きな背景となっている。尚、兵庫県被災者連絡会などは、8月30日〜9月5日まで独自に避難者調査(*求める仮設住宅の条件と、その理由・*避難生活の実態)を実施し、調査結果をまとめ、行政交渉にあたる予定。また、総ての避難所を回り、それぞれの実情に応じて救援物資の搬送をするとのこと。(NO.14、8月31日号)

 8月末現在11箇所の「待機所」に711人、116箇所の避難所に2567人、27箇所のテント村に725人の方が暮らしている。避難所から待機所に移った人は、300人程度に留まり、学校に残っている避難所は依然として1348人にのぼる。また、空きの仮設住宅の再斡旋2009戸の内、8割強が西区や北区、市外の遠隔地にあり、仕事・通院・子どもの教育等の理由で市街地に住居を、との避難者の要望の実現が難航しており、9月4日の再斡旋開始の初日で市街地の2Kタイプの仮設住宅はほぼ埋まったとのこと。なお、「北区・西区の空き仮設住宅を市街地に移転、建設する事を求める」請願(全神戸テント村会議・全神戸避難所連絡会が提出)は、市会民生保健委員会で審議されたが、賛成少数で不採択となった。

 

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                ボランティア募集!

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│       神戸YWCA救援センター (午前10時から午後6時)        │

│       連絡先:〒651 神戸市中央区上筒井通1-1-20          │

│        078-231-6201(代表)、078-251-5969(直通)        │

│           FAX 078-231-6692,078-231-5969            │

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 VOL.8に掲載した、神戸YWCA救援センターでは、ボランティアを以下の条件で継続して募集している。

1)活動時間

 毎日午前8時45分から午後6時までが活動時間の基本。

 

2)ボランティア活動内容

 A コーディネイター

 B 日常活動(10名/1日)

  お風呂、炊き出し(含む調理・配達)、情報処理、事務局、ワーク、リサーチ(週  4〜5日)。

*日常活動のターゲットは、テント生活者が中心。活動内容は、@日常生活の総合窓口(物質的援助中心)、Aお風呂にはいりに来てもらって話をする。現状では、全般的な活動の対象の中に、明らかに精神のケアが必要なケースがある。(例:アルコール依存、入浴後、話を始めたら止まらなくなる人など。)

 C 特別活動

  ☆仮設住宅訪問G:(自治会作りを目標とする)移動式お茶会/簡単な趣味の講習会

   (8名/1日)   日常生活支援(改造/買い物補佐等)

  ☆簡易住宅建設G:場所を設定して、簡易住宅を建設。(あるいは仮設住宅改造、テ   (8名/1日)   ントメンテ)

  ☆遠方仮設住宅訪問G:従来センターとの交流のあった方々の訪問、遠方仮設住宅の   (4名/1日)     リサーチ。

  ☆レクリエーションG:出張式の子どもの遊び班(紙芝居、人形劇)、高齢者の慰安   (6名/1日)    プログラム。

  ☆ボランティアケアG:滞在ボランティアのための講習・研修やオリエンテーション   (4名/1日)     の実施、食事等生活管理の指示(交代制)。

*この活動は、来年3月まで継続されるため、ボランティアは恒常的に必要。夏休み以降 参加人数は減少している。

 

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             当方で所持している参考資料

 コピー(1枚10円)・郵送実費で行います。希望される方はYOUYOU館へ返信用の封筒にあて先を明記して申し込んでください。 

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日本精神病院協会雑誌・1995 VOL.14 NO.7 特集「阪神・淡路大震災における精神医療」

 内容は、平成7年3月9日に開催された公開フォーラム「阪神大震災 心のケアを考える

―その実情報告と今後の対策―」のシンポジウムの報告、姫路市・高岡病院院長長尾卓夫氏の「兵庫県の震災時精神医療の状況」、兵庫県西宮保健所所長・北岡修氏の「阪神・淡路大震災における兵庫県西宮保健所の精神保健活動」(参考資料として、「精神科チーム(精神科救護所)活動報告付)。その他、福岡不知火病院院長・徳永雄一郎氏「阪神大震災とボランティア活動」、三重県立小児心療センターあすなろ学園園長清水將之氏、神戸市児童相談所医師・井出浩氏「大型災害と児童の精神保健」等。各論文には活動内容の統計資料多数。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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│ この情報誌は、当面本年10月末まで、月2回刊行を目標に発行していく予定です │

│送付を希望される方は、80円切手を下記の連絡先までお送りください。また、ボラ│

│ンティア情報をおもちの方は、情報を読んだ人が活動のイメージをもちやすいよう│

│に、なるべく簡潔な形にまとめてお送りください。              │

│     「『こころのケア』ボランティア情報・京都」宛          │

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●東美佐枝さん、切手のカンパをありがとうございました。

●9月の本誌の発行は当方の都合により、1回になりました。ご了承ください。

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