『いのち響きあう』に関して

 

 思春期のころ、愛のないセックスからも子供が産まれてくるということにどうしても納得がいかなかった。愛があるからこそ、人間はセックスするのだろうし、愛の中からこそ、子供は生み出されるのだと信じたかったからだ。

 しかし、生きていて色々なことを体験すると、愛の伴うセックスからしか子供が産まれないのなら、とっくの昔に人類は滅んでいただろうと思うようになった。愛というのは、そんなに簡単に成立するものではない。そういう困難な資格が必要だとしたら、妊娠する女性も受胎能力のある男性もめったにいないと思うようになった。愛がなくても子供ができるからこそ、人類は継続して生きてこれたのだと思う。

 子供は愛の中から産まれてくるのだと思っていたけれど、やがて愛の中からではなく、愛へ向けて生まれてくるのだと思うようになった。それは愛の結果なのではなく、愛の原因、愛への願い、愛への出発だと思うのだ。

 愛が人間の最高の精神の現れだとしたら、そしてそれによってのみ新たな生命が生み出されるのだとしたら、愛から遠いはずの動物や植物にさえ新たな生命が宿るのは何故かがわからなくなってしまう。しかし、それが愛に向かってのものだと考えれば、簡単に解決がつく。愛が、すべての生けるものの願いだとしたら、すべてが明らかになるだろう。

 愛のない性交渉の中からも子供ができるのは、性交渉そのものが愛を目指すものであるからだろう。子供のことをよく「愛の結晶」と呼ぶが、もしそうなら、愛のない性交渉からでも子供の生まれる説明ができない。子供は「愛の結晶」なのではなく、「愛へ向かう願いの結晶」なのだ。愛はいのちそのものの願いでもある。

 

 ある日、動物園でクジャクが羽を広げているのを見たことがある。クジャクの檻の側にたくさんの人がその様子を見ていた。雄のクジャクがお尻の羽を優雅に広げて、ときどきその羽をふるわせる。扇形に広げると、半径が1メートル以上もあるかと思える羽が、ザワザワと揺さぶられる。そして、クジャクは回転するように動く。そのお尻には、一対の羽箒のように形に並んだ羽があって、まるでおいでおいでをするような形で動く。しばらくそうして、クジャクはまた回転して、羽をふるわせる。クジャクはそうやって、何回転もして、美しい羽を見物人に見せていた。

 最初は、クジャクの美しい羽を見ていた人々も、その行動をしばらく見ているうちに、クジャクの行動は、人間に見せるためのものではなく、側にいる雌に見せているものだとわかってきた。雄が羽を広げたり、それをふるわせたりするのは、雌を刺激して交尾を迫っているらしいのだ。ところが、その羽を見ているのはもっぱら人間ばかりで、肝心の雌の方は、あまり関心がないらしい。雄が羽をふるわせると、一瞬驚いたような様子なのに、雄がお尻を向けて、羽をワサワサさせると、まるで夢からさめたように、あるぬ方向をみて、地べたに落ちているゴミなどをつついたりしている。雄が真剣にせまっているようすなのに、雌のほうはまったく乗り気ではないようだ。

 クジャクの羽の美しさを見て、そのうえで雄の真剣な迫り方を見ていた人々の中に、だんだん何とかならないのかという思いがつのってきた。雄が、ひとしきり羽をふるわせて、雌の方がそれを見て陶然となった様子になると、雄は回れ右とをする。そして、お尻の羽を動かす。ところが、あの蛇の目のようなクジャクの尾羽が視野から消えると、雌は関係ない方向へ歩いていったりする。そのたびに、見物の中から、声にならない吐息のようなものが出た。どうも観客は、雄に肩入れして、なんとか交尾をさせたいと思い出したのだ。そのうち、「ア〜」とか「それ」と言う声が出るようになってしまった。

 誰もその場を立ち去らない。そうして、何度かの「ア〜」や「うん」の声の後に、ついに雄が雌に乗りかかった。それが本当に交尾なのかどうかわからないけれど、観客の中から、思わず拍手が起こった。中年のおばさんだった。みんながやれやれと思った。実際、私もそう思ったのである。ああよかったと。

 しかし、その場を離れて、よくよく考えてみると、嫌がる雌に雄が無理矢理挑みかかって、それが受け入れられたからと言って、拍手するというのはどうだろうか。これが人間の世界だったらどうなるだろう。あの雄は、痴漢かストーカーみたいなもので、雌は性犯罪の被害者かセクハラの被害者だろう。ちっともめでたくもないし、拍手なんかしたら、それこそどんな風に言われるかわかったものじゃない。

 ところが、その時、見物していた人の中で、雌がかわいそうだと思った人はいないのじゃないなかろうか。相手が、人間じゃないからそう思うのか、それだけではなくて、雄の行動の中に生命あるのもの純粋な衝動が見えたからだと思う。本能の持つけなげさのようなものがあったのだ。人間の世界では、そういうものが純粋に表現されるようなことはないし、たとえあったとしても、そういうものとして受け止められることもないだろう。人間はそれだけ、色々な制約のもとで生活しているからである。しかし、その制約を越えた時に、生命あるものは生命のやむにやまれる衝動を受け止める力を持っているのだと思う。

 

 医学生だったころ、何度か出産の場面に立ち会ったことがある。そのときの感慨は、とても大きなものだった。人間が生まれる、いのちが生まれることの感激というものだった。産道を通って、生み出されてばかりの赤ちゃんは青白くて、動くこともない肉のかたまりだった。粘液と血液にまみれて、汚物のようですらある。しかし、その一瞬後、ギャーという声とともに呼吸が開始されると、見る見る皮膚はピンクに変化し、手足が動かされて、これ以上にいのちを表現するものがないような存在へと変身する。まるで、朝日が昇った瞬間に地上のあるゆるものが輝き出すのと同じことだ。

 赤ちゃんが産まれた瞬間に、産室の主人公が母親から、赤ちゃんに変わってしまう。医者や看護婦の態度もそうだし、母親の態度もそうなってしまう。それだけではなく、部屋の空気が変化してしまう。子供を産む部屋から、子供の産まれた部屋へ変わる。

 その変化は、瀕死の患者の救命に成功した瞬間に似ている。一つの病室が、人が死んだかもしれない部屋から、いのちの救われた部屋に変わる。その一瞬の飛躍が部屋の空気の中に充満する。時の一点に凝縮する。すべてが生まれ変わったようになる。それは良かったとか悪かったとか言う以前の感慨だ。誰のものでもない深い吐息が流れる。いのちが生まれることにはそんな作用を周囲に引き起こす力があるのだ。

 生まれてきた子供がどんな運命をこれからたどるのか。どんな境遇の家庭が待っているのか。あるいは、事故や病気や災難がおそってくるのか。また、子供自身が周囲に嫌われたり、迷惑と思われる人間となるかどうか、そんなことはわからない。しかし、産声とともに、その皮膚の色が輝く色に変化していく時の感激は、どんなことが待っていようと、いのちが生まれることはいいことなのだという思いを引き出す。少なくとも私にはそうだった。

 いのちが生まれてくる時の力には、私たちが寄ってたかっていろいろ意義付けするレッテルをすべて引き剥がして、その彼方へ向かって私たちを連れていく力がある。私は生まれてきたものが、「子供」なり「赤ちゃん」という風に、名前をつけられるようなものではないと思った。それは、名付けようもないいのちそのものだからだ。もしかしたら、この地球にはじめて生命が誕生した時の感激を、私たちは再体験しているのかもしれない。

 

 学生の時に出産に立ち会ったけれど、その後はそんな風に出産に立ち会ったことはない。自分の子供の産まれたときも、その場面に立ち会っていない。上二人の子供は妻が故郷の実家に帰って生んだ。最後の子供だけが、京都の病院で生まれた。そのときも、私は産室に入らず、妻の入院していた病室で生まれるのを待っていた。

 3月3日が予定日で、私は仕事を休んで付き添っていた。妻は三人目の子供なので、それほど不安は感じていなかったようだ。「じゃあ、いってくるわ」と買い物にでも行くような様子で、病室を出た。私は、病室のソファーに座って本を読んでいた。そのとき読んでいた本は、蟻の社会学という内容の本で、私の仕事ともそのときの状況とも何の関係もないものだった。本を読みながら、ぼんやりしていた。そのうちに眠くなって、うとうととしていった。一人部屋の病室には私しかいなくて、暖房がきいた部屋には午後の日差しがさしこんでいた。起きていなければと思っていたのに、眠気がつのっていった。すべてが白い部屋に、包まれて意識がその白さに吸い取られていくかのようだった。

 気がつくと、「生まれたよ」と言って妻が運ばれてきた。私は自分が眠っている内に子供が産まれたので、子供はその眠りの世界からやってきたような感じがした。白い光の中に包まれて、そこから子供がやってきたようだった。生まれた子供の顔を見ても、人間の肉体か生まれ出たような気がしなかった。むしろ、どこか不思議な世界からやってきたような気がした。

 男性は自分の身体を通じて、自分の子供が産まれてくることを体験するわけではない。だから、自分の子供に対していつも何かの観念を介在させてしまうことになる。「本当に自分の子供なんだろうか」という疑問は、妻の貞操を疑うという疑問だけではない。自分のいのちが他のいのちと直結していることの不思議さである。

 私の中では、いつの間にか、白い光の中にまどろんでいたことと、子供が産まれたこととが結びついていった。子供はあの光の中からやってきたように思うまでになった。白い光に照らされた布団やカーテンの陰から、子供が産まれ出たように思う。もちろん、妻のお腹から生まれたことを疑うわけではないが、そのお腹の中に入る以前は、カーテンのひだひだの間にいたのではないかと。人間は死んでしまってから草葉の陰に行くという表現をするけれど、生まれる前もそんなところにいたのじゃないだろうか。それが、ひょっと生まれてくる。そして、またいつかそんなところに帰っていく。

 そんなことを感じていると、神話や伝説で、子供がとんでもないところから産まれてくるという話も、単なる不合理な話ではないと思えるようになった。桃太郎みたいに川から流れてきたり、西洋風にコウノトリが連れてくるというのもわかる気がする。子供がはるかかなたからやってくるということを、それらの話は示しているのだと思う。そのことを確かな出来事だと考えると、卵子と精子が結びついた時に新たな生命が作られるというような科学的な説明は、子供はコウノトリが連れてくるというのを迷信だというように、別な意味では一つの迷信にすぎないと思う。科学的という名の迷信である。

 

 ある女性の患者の面接をしていたときの体験を述べてみたい。その人は、不安発作があって、なんとか結婚式までに治したいと希望して受診した人だった。結婚式まで半年ほどしかなかった。すでに薬物療法も受けていて、めざましい効果も見られておらず、そんな短期間で治療が進むかどうか自信がもてなかった。しかし、患者本人の治療意欲が高いので、かなり密度の濃い面接を行うことができた。発作につながるような過去の体験も述べられたし、洞察と呼べるような気づきも見られた。何とか結婚式までに形をつけたいという本人の熱意があって、事態が進展していく様子がうかがえた。

 結婚式の1ヶ月前ぐらいには、発作も見られなくなった。最後まで残ったのは、高所恐怖で、新婚旅行の飛行機に乗れるかどうかという不安がなかなか取れなかった。それでも結婚式は無事にすませ、新婚旅行も予定通り海外へ行くことができた。

 そうして、結婚後、治療はもう必要ではないと言うことになって、面接は終了した。ところが、結婚して半年ぐらいして、彼女がもう一度診察にやってきた。どうしても不安の根っこのようなものが残っているというのである。特に、症状もないけれど、面接が必要だということで治療を再開した。

 今度も治療意欲が高く、積極的な姿勢が目立っていた。そうして、半年ほど面接を続けていて、ある日の面接のこと。彼女が「大変なことが起こりました」と述べた。「私は妊娠してしまったのです。おそろしいことです。ここに来る前に産婦人科に行って来たら、妊娠と言われたのです。こんなことは夫にも言えません」

 彼女は、自分には女性として魅力もないし、子供を産んだり育てたりする能力もないと考えていた。また、姉妹の結婚生活も幸せなものではなく、結婚に対して夢も希望も持っていないと言っていた。いつ失敗に終わるかもしれないので、子供もほしくないと言うのである。だから、妊娠を知ったとき、起こるはずがないと思っていたことが起こって、衝撃を受けたらしい。私の顔を見たとたん「大変なことが起こりました」と引きつった顔で述べたのも、そのせいだった。

 彼女が「おそろしいことです」と恐怖しているのに、私はそのときなぜか、彼女のお腹の中で妊娠している子供は、私の子供だと思ってしまった。それは直感的な判断だった。もちろん、生物学的にはそんなことはありえないのだが、そう思ってしまったのだ。彼女は、自分の妊娠がいかにおそろしい、あってはならないことかを述べ続けていた。4〜5分、そうやって事態へのいらだちを彼女は述べていた。私はそのとき「結婚しているのだから、妊娠するのは不思議はないでしょう」と言った。彼女は、「私だけは別なのです。あってはならないのです」と憤りに声を荒げた。私は、とぼけた声で「そうかなあ。あなたは、恐ろしいと言っているけど、顔は喜んでいるよ。本当は喜んでいるのでしょう」と言った。

 彼女は「先生がそんな人だとは知らなかった。なんて恐ろしいことを言うのですか。私のことをまったくわかっていない。」と椅子から立ち上がらんばかりに怒った。激怒したのである。そして、一層大きな声になった。ところが、しばらくして、彼女の声が急に小さくなった。それから、小さな声で「そうです。私は喜んでいるのです」と言った瞬間から、彼女の目からは、涙が止めどなく流れ出した。わたしはそのとき、彼女の治療が終わったと思った。彼女は、自分がが女性であることを受け入れようとしていなかった。そして、そのことに苦しんでいた。その彼女が自分のお腹にいる子供を受け入れると同時に、自分の女性性を受け入れたのである。その喜びの涙だった。

 私は、喜びのなかで、だからこそ私を必要としなくなった人を見て、感動していた。そして、ほんの少し前に、お腹のなかの子供は自分の子供だという思いは、消えてしまって、彼女と夫の子供であるという確信を持っていた。

 私はなぜそのとき、自分の子供だと思ったのか。彼女が自分の妊娠を告げたとき、中絶を考えていたことは疑いない。しかし、それに対する拒否も強かったと思う。結論を出す前に私のところにやってきたのである。言ってみれば、彼女の子供を産みたいという思いと、子供自身の生まれたいという思いが、私を動かして、彼女を挑発することになったのだと思う。その時私の中に動いた思いを一言で言えば、「お腹の子供は私の子供だ」ということだったのだと思う。私がそう思ったのは、彼女とのつきあいが、それなりの深さをもって続いたからだと思える。

 人間というのは誰であっても、別の人と深い出会いやつきあいをすれば、知らない内に二人の間に子供を産み出すものだと思う。それは見ることのできないものかもしれない。不可視の子供かもしれない。しかし、そういうことがあるのだと思う。よく、仕事や事業を開拓する場面の表現で、「○○の父」とか「○○の母」という言い回しをするが、そういう意味を持っているのではないだろうか。

 実際の子供という存在も、そんな父母の産み出した無数の子供の存在を飛び石のようにたどって、育っていくものではないだろうか。そして、そういう道案内がないと、たとえ生物学的に人間の子供として生まれても、生きていくことができないのではないだろうか。ネイテイブ・アメリカンの民族が、ヨーロッパからの移民に押されて、ある段階から急激に乳児死亡率が高くなって滅んでいったと言われている。オーストラリアのタスマニアン人はそう言った風にして、滅んでしまった。

 不可視の子供を産むのは、父母だけではない。あらゆる人が、それぞれに産み出している。男同士であろうと、女同士であろうと、年来差に関係なく、産み出している。また、私たち自身がそうやって産み出された子供達の姿をたどって生きてきた。育ってきた。そして、これからも生きていくと考えてみたい。

 

 うまくいった治療というものは、後に何の痕跡も残さないものだと言われることがある。精神分析治療でも、うまく行った場合には、治療を受けた側は、自分が何をしゃべったかをほとんど覚えていないという。患者が、治療者を名医だとかいい先生だと思ったりするこは、何らかの形で、治療の跡を残しているのだと言っていいだろう。ある意味で言えば、そういう感想が残るのは、理想的な姿ではないということになる。

 しかし、そのことは治療中も何の感情も起こらないと言うことではなく、そこで起こることがあまりに自然であるため、なんの抵抗も感慨も残らないと言うことである。ある場合には、とても深い感情が動かされても、当事者にはその場で起こる当然の感情であるととらえられて、そのことに十分にとけ込んで、また急速に離れることができるということである。

 治療者の理想というのは、過不足のない関わりと援助ができて、患者からは忘れ去られてしまう存在ということになるだろう。

 私も色々な人に関わって、面接の場面などで、急激に深い感情を引き起こされているのに、後にそれが尾を引かない場合があることに気づく。面接場面で、「この人は自分の子供ではないだろうか」と思ったり、「自分の父親としか思えない」と感じたりすることがある。ところが、次に会ったときには、そんな思いがまったくわかないのである。不思議なくらいに変化してしまう。そして、そういう人の治療は比較的にうまくいくのである。少なくとも、深い感情が動いて、それが後に残る人より、治療がうまくいくように思える。これは専門的には転移ということになる。

 一般には、転移が起こると治療は阻害されやすいと言われている。たとえば、治療者をあまりに高く評価したり、低く評価したりすると、治療が進まないとされている。ところが、それでは深い感情が急速に進んで、またそれから離れられる人が、治療的にうまくいくという説明がつきにくい。

 私は、このごろは逆に治療がうまくいかないのは、転移が不十分なところ止まるからではないかと考えるようになった。父親転移でも、それが深い転移になり、実際の父親よりも深い内的関係性にまで入れば、治療はうまくいくのではないかと思う。ところがそれが深まらず、現実の父親の像に影響されるので、治療が進まないのではないか。

 誤解を恐れずにもっと言えば、ある人を「自分の母親ではないか」と思ったとき、その人は実際に「自分の母親」なのである。生物学的に実際の母親であるとか言うことは別に、その時その人は「母親」なのである。そういう現象が人生を通じて一番起こりやすい人を、「本当の母親」と呼んだり理解したりしているだけのことである。だから血がつながっていない人のことを「あなたは本当の私の母です」と言ってみたり、ひどいことをする親に対して「それでも父親か」と罵ったりすることがあるのだ。

 そんな風に、自分の父母でもない人を、そう感じたり、子供でない人を子供と感ずることは少なくない。普通の場合はすぐに忘れてしまうのである。ところで、人間の社会とか人間の関係というものは、いつもそういう感情が淡くなったり、濃厚になったりしながら、漂っているものだと思う。そういうことが人間の社会へのなつかしさや、暖かな感情を生むのだと思う。

 人間の不幸のひとつは、そういう感情をいつでも取り出せる形にして保存しておきたいとか、確保しておきたいと考えるところにある。それも、特定の人間との関係の中に結びつけたいと考えるからである。

 

 いのちがいのちに呼びかける声を感じたり、いのちといのちが共鳴する響きを感じたりした時に、人は自分が愛を感じているのだと思う。人を愛していると思ったり、愛されていると思ったりする。そのとき、人は日頃できないような、思いがけない行動や決断をすることができる。勇気が出て、活力があふれてくる。しかし、そういう状態は永続しない。いつかは現実とぶつかり、時間の経過とともに色あせて行ってしまう。そうなると、愛と思っていた状態は消えてしまうので、人は「自分はもう愛していない」とか「もう愛されていない」と考えたり、感じたりする。それらは、ただいのちの響きが感じられなくなったということの別の表現であるにすぎない。

 人は電気をつけたり消したりするように、いのちの響きをつけたり消したりできるわけではない。いのちの響きは、それぞれの人間のはからいを越えた所からやってくるからだ。人はそれがやってきたときに、こわばりや抵抗を捨ててそれを受け入れ、消えていくときには、そのことに耐えることができるだけである。いのちの響きに包まれた時に、「これは自分がやっているのだ。自分はたいしたものだ」などと思いあがらず、それらから遠ざかって行くときも「自分は駄目になったのだ」とか「相手が不実になった。裏切った」と思わずにいられること。そのことが重要なのだ。そして、そのことは本当はとてもむつかしい。このむつかしさに答えることが、実は「愛する」ということなのだ。人を愛することはむつかしい。私たちはそれに挑戦するのだけれど、なかなか実現しない。いのちの響きに触れると言うことは、私たちが愛するということを学ぶための入り口にたったことを示している。

 人が生きていけるのも、人が生まれてくるのも、ほとんどがいのち自身の力によるものだと思う。愛がなくても子供が生まれてくるのは、そのためだ。しかし、いのちが輝くとき、その中には愛することへのヒントが与えられる。

 私たちが治療というものに携わっている時も、同じようなヒントが与えられることがある。それはいのちの持っている深さや豊かさに触れる瞬間でもある。

 私たちが社会の中にいて、歴史を共有しているということは、多くの人々の感じたそれらの体験を手渡されているということだ。そして、私たちが次の世代へ手渡していかねばならないということでもある。しかし、そこで伝えられのは、常に愛への予感であり、その体験の断片にすぎないのだと思う。

 

 私はこの文章を、森崎和江さんの最新著書『いのちが響きあう』(藤原書店)を読んで触発された所から書いた。森崎さんのメッセージに対して、私の心が響いた内容である。関連性のない展開もあるかもしれないが、本来人の思いが伝わるということは、そういうものではないかと思う。

 ここに書いたことは、私が最近開設した診療所に対する、私なりの考えが表現されているだろうと思う。具体的にこれからどのように動いていくかはわからないが、出発点での思いを記録しておきたいという考えもあって、この文章を書いた。読者の感想がいただけるとありがたい。


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