診療日記(2000年12月28日更新)





この日記は、医院での診療の様子をお伝えするものです。ホームページを見て、受診した患者さんから、日頃の診察の様子や、医者がどんなことを考えているかがわかると、受診する時の参考になるということで、このコーナーを開設しました。かなり、面倒なので反響が乏しければ、消滅する場合もあります。悪しからず。

12月X日
 12月27日の朝日新聞に「公立校教員のわいせつ処分、最多115人――昨年度」という記事が載り、

《グラフ》 わいせつ行為で処分された教員と精神性疾患の休職者

が紹介してありました。よく見ると、わいせつ行為と精神疾患とが関連しているような書き方です。それで、次のような意見を朝日新聞に送りました。

上記記事に関して、意見を述べます。このグラフを見ると、あたかも精神障害とわいせつ行為とが関連しているかのように見えます。しかし、この二つが関連しているという根拠は示されていません。根拠なく、関連づけるようなデータを並べることは、軽率と言うしかありません。さもなければ、読者に一定の偏見を与える目的で書かれたものというしかありません。

私は、ある職場の精神障害者の休職者や復職者の相談に当たっていますが、それらの休職者のほとんどは、うつ病関連のもので、どう見てもわいせつ行為とは関連するものではありません。もし、関連づけるとしたら、職場のストレスの増加が、一方で精神障害の休職者を生み、他方で、わいせつ行為を生んでいるということではないでしょうか。ストレスと関連づけるとしたら、自殺、各種の生活習慣病、アルコール依存、交通事故、離婚などについても調査すべきでしょう。何故、精神障害とわいせつ行為だけをとりあげるのでしょうか。朝日新聞の見識を疑います。

日頃、精神障害者の社会復帰に努力しているものとしては、精神障害者への差別偏見の存在にこころ痛めることが多いです。なかでも、精神障害者を性的な変質行為をするものという思いこみが強いと思います。それらの偏見を助長するような報道は、確かな根拠に基づくものでない限り、報道機関は控えるべきものと思います。

以上感想を述べてみましたが、できれば、担当記者のご意見を伺いたいと思います。」

 
12月X日
 医院の待合室に何でもノートが置いてあります。診察を待つ間に、日頃の思いを綴る方も多いです。
 先日、ノートを見たスタッフから「先生大変ですよ。先生にすごい不信感を持っている患者さんがいます」と注意を受けたので、ノートを開いてみた。
 すると、こんなことが書いてあった。「DVは本当におそろしい。噂には聞いていたけれど、自分がその体験をすると、とても信じられない思いです。みなさん、DVには気をつけましょう。はじめ優しそうな顔をしているからと言って、安心してはいけません」
 内容にはなるほどと思いましたが、スタッフはどうもこのDV(domestic violence)をDr(doctor)のことだと思ったらしいです。そういえば、Vとrは似ていますね。


12月X日
 今年も残りわずかとなってきました。年末年始に向けて、処方21日分を出す人がいたりして、急にクスリが不足して、あわてたりしています。(一般に処方は14日分までしか出せませんが、年末年始だけは21日分出せることになっています)
 私は、親しい人との話の終わりには、「良いお年を!」というのを口癖にしています。この言葉を聞いたことのある人は、私と親しい関係です。もちろん、医院では診察の時には使いません。ということなのですが、段々年末が近づいて、自然に「良いお年を!」という言葉が口から出るようになってきて、なんだかとても落ち着きません。どうも、来年からはもっと違った口癖を開発したほうが良さそうです。
 それに、最近ではデイケアに来ている患者さんの中に、朝、私の顔を見ると、「あけましておめでとうございます!」と先制パンチをかけてくる人もいますからね。ウッと言葉につまりますね。


12月X日
 11月に京都精神保健福祉協会から、功労者として表彰された。表彰などということは生まれて初めて。その晴れ姿をデイケアのメンバー I さんにビデオに撮ってもらった。医院に帰ってから、みんなで録画を見た。会長から、表彰状をもらうとき、会長が私の名前を読み上げて、「塚崎直子さま」と言った。聞いていたメンバーから、「先生はやっぱり女だったのですね。」と笑い声が上がった。生きていると、色々なことがあるものですねえ。




11月X日
 20年ぶりに診察にやってきた患者さんから、「先生は以前に比べたら、ほとんどしゃべらなくなりましたねえ。」と言われた。考えてみると、医者になったころは、自分の医学知識を説明し、「正しい考え方」を伝えようと努力していた。しかし、医学知識ですむようなことはそんなに多くはないし、生き方や物の考え方には、本来万人に通用する正しさを求められるかどうかも疑わしい。それに、どんなに正しいことでも、人間は他人から教えられて、それを受け入れるものではない。自分で気づいたこと、納得したことしか受け入れないものだということもだんだん解ってきた。
 つまり、少し考えれば誰でもわかるような常識を、こちらがしゃべってみてもほとんど意味はないのである。一生懸命しゃべったという自己満足がこちらに残るくらいで、何の役にも立たない。逆に、自己満足する分、相手の話に耳を傾けなくなるのが落ちである。こちらが話すより、相手に話してもらった方がよい。相手がしゃべるのを邪魔をしないのが一番である。そう考え出して、だんだんしゃべらなくなったのだろう。
 数日前、ある患者さんと面接中、「先生は何を言っても、ただウンウンとうなずいているだけじゃないですか。少しは何か言ってください。」と言われた。私は、そのとき、心のそこから「うーん」とうなって、深くうなずいてしまった。




11月X日
 診察中、私は「クスリはどうしましょうかね」と聞くことがある。ある時など、「そんなことが私わかるのなら、医者にはかかりませんよ」と言われてしまった。
 私が医者になったころは、ともかく自分の手で処方内容を設計しないといけないと思っていたので、一度決めたら患者の意見など聞いてみようなどとは思わなかった。苦情が出ても、よほどでない限り聞かなかった。ところが、ある時、入院中の患者から、このクスリが私には合いませんと言われて驚いたことがあった。およそ、10種類ぐらいのクスリを飲んでいて、それも一度に口の中へ放り込んで飲ませるようにしていたのに、その中の一種類を指して、このクスリが合わないなんて、わかるわけがない。しかし、何となくそのクスリを変えてみたら、とたんに調子が良くなったという。どうして、合わないクスリがわかるのか。それも沢山クスリのなかから、識別するのか。しかし、そんなことが患者にはできるらしい。何度か、そういう経験をして、私の考えは変わってしまった。つまり、本人に聞くのが一番ということである。
 それから、私は「クスリをどうしましょうかね」などと平気で聞くようになった。そのほうが、クスリの調整がうまくいくことが多いのだ。口の中に放り込んで、気分が悪ければ、そのクスリは中止。後は、相談しながら、決めていく。そんなことをしたら、患者のペースにはまって、薬物依存を作ってしまうのではないかという心配もあったが、実際はそんなことも起こらないようだ。薬物依存になる傾向の人は、一緒に検討しようという姿勢が見られない。このクスリでないとダメですと強行に主張するので、すぐわかってしまう。そうなると、私も急にものわかりが悪くなって、「クスリはどうしましょうかね」などいう言葉など忘れて、そんなクスリは出せませんと主張するようになる。




11月X日
 朝、仕事へ出ようとすると、娘が突然「コンタクトレンズが無くなった」と騒ぎ出した。「これじゃ、学校へ行っても勉強できない」と大声を出す。えらいことだ、これから捜査活動に動員されるのか。時間制限にせまられながら、床にはいつくばるのか。
 精神科医の仕事というのは、ただ人の話を聞くだけのようなものだけど、いつも同じような心理状態で、面接に臨む必要があるので、コンディション調整もそれなりに大変である。朝の出がけに、一発食らうと、最初から不愉快になってしまう。面接の一人目から、「先生は、今日は、私のことを怒っているでしょう」などと言われると、後の面接はすべて調子がくるってしまう。「そんなことはありませんよ」などと言いつつ、こころは「どうしてコンタクトレンズなどを落とすのだ。くそ!」という状態であります。

 以前、精神科病院に勤めている頃、ある患者さんがめがねがなくなったと大騒ぎした。看護婦が一緒に探すが発見できない。だんだん興奮してきて、手に負えなくなった。しかたがないので、先生に相談しましょうと看護婦に連れられて、私の前にやってきた。そして、私の顔を見ると、「あっ!こんなところにあった」と私のかけているめがねをパッと取ってしまった。私はアッと思ったが、手遅れ。こういう一発は、もう打撃なんかではあません。まあ、そのあと一週間ぐらいは笑いが止まらない感じでした。



11月X日
 ずいぶん以前に、あまり望ましくない友人とつきあっている男性がいて、「治療を進める上で、あまり良いつき合いではないですね」と言っていたことがあった。その後、つき合いがうまくいかなくなり、がっかりした様子で、「これで先生の治療もうまくいきますね」と言った。わたしはしばらく考えたけれど、「私は別に治療がうまくいくことを考えているわけではありませんよ。あなたが幸せになってくれる方がうれしいですよ」と言ってしまった。瞬間的にこりゃまずいと思った。「私の幸せとはなんですか」とか「治療がうまくいかないのに、幸せになんかなれますか」と聞かれたら答えようがないなあと思ったからだ。彼は、「幸せなんて・・・」とつぶやいたので、ほっとした。
 どうして、あんなことを言ってしまったのか。自分の言葉でありながら、あとからその言葉を思い返すと不思議に思ってしまう。面接をしていて、そんなふうに、思わず言葉が出てしまうことがある。その言葉が大事なこともあるし、一時の思いつきのこともある。
 私にとって、精神科の治療とは、そんな言葉を心の中でころがしながら、その意味を考えるというのが、大事な作業の一つになっている。




10月X日
 朝、待合室を通ったら、患者さんの中から「先生、髪がはねていますよ。寝ぐせかな」という声がしました。だれかから、「はげている?失礼なことを言う人がいるなあ」と半分攻撃、半分揶揄するような声が出た。するとなだめるように「両方や」という声。見ると、事務長だった。
 以前、診察中に患者さんが手に持っていたノートを落としたので、拾ってあげたら、「先生、頭、はげてる」と言われたことがある。精神科の患者さんというのは、なかなかに正直な方が多いようです。


10月X日
 医院の相談メールには色々な相談がよせられています。今回は、その相談への回答をご紹介します。

相談の内容は、精神科入院歴のある場合、精神科医療に従事しても良いかどうかと言うものでした。

(回答)
メール拝見しました。
 内科の看護婦が、「私は肺炎で入院したことがあるのですが、内科の看護婦はできるでしょうか」などと質問するでしょうか。そんな人はいないでしょう。精神科であっても、同じことではないでしょうか。
 精神科に通院している患者の1〜2%は医療職です。私の医院では1.7%が医師です。職種を医療・福祉職に広げれば、7〜8%にはなるでしょう。
 精神科に入院したことが、その後の治療・看護の内容に反映されるのであれば、入院したことは貴重な経験であれこそすれ、決して汚点ではありません。どうか、ためらうことなく、自信をもってお仕事をなさってください。
 簡単ですが、ご返事とさせていただきます。

簡単すぎますが、精神科医療のしきいというものを考えさせられるテーマだったのでご紹介しました。



10月X日
 最近は、インターネットを利用して、医院を調べてから受診する人も増えている。初診の時の、受診経路の欄に丸をつけるとき、インターネットに丸をつける人が多いのだ。
 それで、当医院のホームページがどのように検索されているかを調べてみた。検索用のキーワードを調査したわけである。一番多いのが「うつ」「うつ病」だった。インターネットを利用して、医療機関を探す人の中には、うつ病の人が一番多いのかもしれない。その他のキーワードをながめてみて、とても理解できないキーワードがあった。こういう言葉から、どうしてうちの医院に到着するのだろうか。読者の智恵をかりたいところである。ともかくご紹介したい。

「退屈」・17件 (うつ病の改善の段階で退屈感が重要と書いているからか)
「暇つぶし」・13件 
「自分の価値」・7件 
「はげ」・6件 (はげは皮膚科でしょうね)
「スパスパ人間学」・5件 (これは何のことかわかりません)
「決断」・4件 (うつになると決断できなくなるからか)
「家族旅行」・4件 (うつの回復期に家族旅行がよいと述べているからか)
「 嫌いな人」・4件
「目が覚める」・3件
「話しかける」・3件
「家族を「する」家」・3件
「辞めさせ方」・2件 (たぶん医院のホームページは参考にならないでしょう)
「強くなる」・2件
「人生の無駄」・2件
「やりたいこと 見つける方法」・2件 (医院のページは参考になったでしょうか)
「馬鹿」・2件
「人に評価される」・1件
「取りすぎ」・1件 (何のことでしょうかね)
「話しかけられたくない」・1件
「あの時」・1件 (こんな言葉で検索する人もいるのですね)
「木の実ナナ」・1件 (私は木の実ナナとは関係ないと思いますが)
「家事」・1件
「禁忌である」・1件
「川の景色」・1件
「早く寝る」・1件
「やりたいこと 離婚」・1件 (ちょっと、穏やかではないですね)
「三ヶ月」・1件 (こんな言葉で検索する人もいるのですね)
「もう帰ろう」・1件 (こんな言葉で医院のホームページにつながってもしょうがないでしょうね)
「卒業します」・1件 
「取り返しのつかないもの3つ」・1件
「嫌いな人を遠ざける」・1件
「頼りになる人」・1件 (私もこの言葉で検索してみたい)
「黙」・1件
「いまだ」・1件 (それはいつですかと聞いてみたいですね)



10月X日
 今日は、新患の中に、色々な医院を回っている患者さんが二人もいた。一般には、医療機関をぐるぐる回るのは良くないとされている。事実、クスリを飲んで、そろそろ良くなっるかなあと思える頃に、患者の方から見切り発車みたいに、次の病院へ移ってしまうという人もある。しかし、一方でそこまでして、同じ先生に見てもらわなくても良いだろうと思える人もある。主治医へ義理立てしすぎなのだ。
 だけど、実際問題として、患者本人が医者を変わりたいと思ったときに、どちらの場合か判断することはむつかしいだろう。もっと、気楽に自分の今受けている治療が妥当なものかどうか、専門家に相談できるシステムがあっても良さそうなものだ。
 私は、保健所の嘱託医もしているので、保健所の場でそんな相談に出くわすことがある。しかし、医者を変わった方が良いと言うのは、余程の場合で、ほとんどは主治医との関係を調整した方が良いと考えて、助言することが多い。具体的には、いかに医者のプライドを傷つけず、患者の希望を伝えるかという、言い回しのアドバイスになることがほとんどである。
 私が、以前二つの病院に勤めていた頃のこと。A病院に入院させている患者が、主治医のやり方が気に入らないということで、外泊中にB病院の外来を受診した。そこで登場したのが、なんとA病院の主治医である私であった。私の顔を見るなり、患者は「先生、こんなところで何をしているのですか?」とびっくり。「いえ、ここでも働いているのです」「くそ。先回りしたな」



10月X日
 半年ぶりで受診したAさんは、診察の室のいすに座るなり、「先生もお腹が出てきましたね。いけませんね。もっと注意しないと。」とお腹をポンポンと叩いた。私は「おっしゃるとおりですね。このごろ運動不足で」と返すと、「やはり、心がけてやらないとねえ」と言われた。ややあって、「お薬はどうですか」と聞くと、「お腹の出たのに、クスリなんかありますか。運動と食事制限ですよ。」とのこと。「いえ、あなたのお薬ですよ。」「ああ、私の。こりゃ失礼」ということにはなった。
 私も医者に成り立てのころは、患者さんから苦情だとか、はたまた指導めいたことを言われると、心穏やかならぬものがあった。なにくそと、思わず力瘤が入ることもあった。
 最近は、自分も結構いいかげんだしなあという自覚が出てきて、あまり気にならなくなった。ありがたいアドバイスだと思うこともある。また、この人は世話好きな人なんだなあとか、そんなことを考えたりもする。
 この診療日記は、まずそんな話題から入ってみたい。




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