この日記は、医院での診療の様子をお伝えするものです。ホームページを見て、受診した患者さんから、日頃の診察の様子や、医者がどんなことを考えているかがわかると、受診する時の参考になるということで、このコーナーを開設しました。
12月X日
インターネットの情報というのは、本当に玉石混交です。
こまめに見ると、商業雑誌などに載ってもおかしくないような良質な情報もあります。
9月11日のテロ以後、読んでいるメールマガジンに次のようなものがあります。
なかなか良い内容が読めます。
おすすめします。
○「新世紀へようこそ」
これは 作家・池澤夏樹のデイリー・メール・コラムです。
米同時多発テロ以降、世界はどこへ行こうとしているのか。
池澤夏樹が日々の思考を綴ります。
http://www.impala.co.jp/oomm/index_i.html
○JMM [Japan Mail Media]
これは、作家・村上龍が編集長をしているメール・メディアです。
世界中に散らばっている、日本人から情報が寄せられる、バーチャル・シンクタンクを構成しています。
http://jmm.cogen.co.jp/
12月X日
診察室はほとんどの場合が、私と患者さんだけなので、そこで起こることには、どちらかに原因があることになります。
色々なことがおこりますが、例えば臭いがあります。
患者さんが入ってきて、診察室に香水の臭いがすると、これは直前に診察を受けていた女性のせいだと考えるでしょう。
ところが、別の臭いの場合はちょっと変わってきます。
ある患者さんの診察が終わって、湿布薬の臭いが残っていました。
次の人は、診察室にはいると、「先生。ぎっくり腰ですか?」と聞きました。
そこには二人の人しかいないですからね。
ある患者さんは、診察室を出る時に、ブーとおならをしました。
患者さんは居なくなって、においだけが残った。
そこへすぐに次の患者さんが入ってきた。
そして、「先生。おならしたでしょう。」
こういうのは、否定しても嘘くさいし、肯定するのもしにくいし。
困りますね。
12月X日
今日は、80代のおばあさんの話を聞きました。
といっても、ぼけてしまったおばあさんの話なのです。
しゃべっているうちに、自分は40代だと言ったり、90代だと言ったり、次々変わってしまって、本当のところ自分を何歳だと思っているのかわかりません。
ところが、40代と言っているときは40代の気分で、90代の時は90代の気分のようです。
裁縫という言葉をしゃべると、自分の40代のころを思い出すか、「どんなものでも頼まれたらやりますよ。もう40だけどね」となり、病院という言葉をしゃべると、「もうお迎えが来ますから」となる。その場その場で、言葉から連想されるものに影響されて、自分の年齢が変わるものらしい。
最初は、ぼけの症状だなあと思っていましたが、ずっと聞いていると、自分自身もそんな気分でものを考えたり、感じたりしているのかもしれないなあと思いました。
色々な連想が浮かんでは消えて、その中にただよっているのかもしれません。
時々、ふと現実に戻るので、自分は正常だと思っているけれど、生きている感覚というのは、どこか夢みたいなところがあるものかもしれません。
12月X日
ウイルスメールで破壊されていましたメーラーも何とか、心ある方のご指導で回復いたしました。
パソコン回復で踊るポンポコリンの気分です。
おじさんが踊るより、女性の踊る姿がよいでしょうね。
それにしてもウイルスというのはやっかいなものですねえ。
5〜6人の方から、ウイルスメールを送ったというお詫びがきましたが、やってきたメールの数はその十倍以上ですね。
一日で、20通近くを削除した日もありました。
いったい、どんな人のアドレス帳に私のアドレスが入っていたことか。
というようなことで、今回は、クリスマスも近づいたので、クリスマスツリーの画像をお送りします。
今回もやっぱり診療日記じゃないねえ。ごめんなさい。
12月X日
このごろの日記は、診療のことがほとんど書いてないとお叱りを受けました。パソコンのことばかりだというのです。ある患者さんが、「先生は本やパソコンが好きでしょう」と言いましたが、その真意は、「だから、私の話をまじめに聞いていない」ということでした。パソコンなどに興味を持っているのでは、おたくなんだろうと思われてもしょうがないのかなあ。好奇心がどうしても動いてしまうのですが、これはやっぱりお宅現象なんだろうかなあ。
それと療養のアイデア集を作ったので、そっちに関心が向かっているところもあるのでしょうか。皆さんの反響があると、調子が変わるんじゃないかとも思います。ウイルス騒ぎで、おたよりのメールも激減しています。では、よろしく。
12月X日
最近はウイルスが蔓延して、毎日やってくるメールの大半がウイルス付きというすさまじさです。中身を見ないで、どんどん削除しています。件名のないもの、「Re」だけしかないもの。発信者が不明で、添付ファイルのついているものは、削除するのが安全でしょう。そういうことで、メールをいただいても、ご返事できない場合があるかもしれません。悪しからず、ご了解ください。
11月X日
WindowXPが発売され、それにあわせてパソコンを入れ替えました。最初は得意になっていたのですが、色々不都合が出てきています。まず、プリンターやビデオソフトが使えなくなったことです。その後、プリンターはドライバーをダウンロードして使えるようになりましたが、ビデオ編集ソフトは結局使えないことがわかりました。その後、画像ソフトにも不都合があることがわかりました。JPEGやGIFは読めても、BMPの読み込みが出来ないソフトがあることがわかりました。
もっと困ったのは、OUTLOOKというメーラーで文字化けが起こることです。私がメールを送ると、送信者アドレスが困ったことに、途中で化けてしまうことです。そのため私からのメールに対して「返信」でメールを送ると、そのメールは宛先不明で発信者に戻ってしまうのです。その他にも、私の出したメールがどこか行方不明になっているケースがかなりあるようなのです。受信者が私のメールを待っていなければ、着いていないことにもきづかないでしょうから、その数はわかりません。現在は、OUTLOOKを使わず、他のメーラーを使っていますが、アドレス帳が使えないなど、かなり不自由です。便利に思えるパソコンですが、思わぬ事で不自由をしています。
他にも不都合があるのかもしれません。こういうことは、Window95から98に、次にWindow meへと変わったときには体験していないので、不都合だなあと思います。
ただ、WindowXPにしてから、フリーズが減ったことは事実です。また、固まってもアプリケーションを一つずつ閉じていけるので、レセットボタンを押すことがなくなったのは、進歩だなあと思ってはいますが。ともかく、新しいものにすぐ飛びつくのは、やはり考え物なんでしょうかね。
11月X日
11月14日、ハートピア京都というところで、京都精神保健福祉協会の主催のこころの健康づくり大会・京都2001という集まりがあり、私もシンポジストとして参加した。発言を終わって、聴衆の席に座って、演台を見ると、横の壁に緊急用のパネルがあった。緊急事態になるとパネルの電気がついて、聴衆に知らせる事になっているらしい。そのパネルが赤のバックに白抜きで、「火事です」と書いてあった。火事になったら、このパネルに電気がつくのかと思うと、なんと周到なと思ったけれど、電気をつけるより、緊急放送したほうがよいのではないかなあとも思った。それにしても、使う可能性があるのかどうかわからないけれど、「火事です」というパネルがあるというのは、心強いなあと感動した。
11月X日
新しいコーナーを作って、私の考えに合わない人は受診してもしょうがないと言うような表現を使ったので、患者さんから「先生も患者が増えて、選別を始めたのですか」と聞かれた。別にそういうわけではないが、あまり医療に過大な期待を抱いてほしくないと感じるこのごろなのでしょう。
人間だって「なんだかよくわからないけど、なんとなく好きなのです。」という二人の方が長続きして、理路整然と相手を褒める人たちは長続きしないように思いますが、いかがでしょうか。治療というものもそういう感じで、「何となく、あの先生がよい」という程度の関係の方が、うまくいくのではないでしょうか。
11月X日
最近OfficeXPというソフトが出たので、買って自分のパソコンに入れてみたら、パソコンが急に動かなくなった。電源が落ちないので、毎回強制終了ということで手間がかかってしょうがない。おまけに「リソースが足りません」という表示が出て、フリーズしてしまう。メモリーが足りないのかと500MBに増やしてみたけれど、効果なし。結局、WindowsXPが出た機会に、買い換えることにした。
それで新しいパソコンにデータやソフトを入れ替えたが、しょっちゅうやることっではないので、手間がかかってしょうがない。いろいろと移す途中で、データが消えたり、操作ミスが起こったり、いらいらすること限りなし。ソフトの入れ替えでも、「デジタル署名がなされていません。」と表示され、インストールできなかったりする。
結局、プリンターとビデオ編集ソフトは使えないことがわかった。でも、これってひどいよね。家具を買ったら、知らないうちに家を買い換えないといけなくなったみたいでね。
それとメールのデータの一部が消失。私宛にメールを出しても、返事が来なければ、そのせいだとお考えください。
11月X日
メールで相談される方が週に2〜3人はありますが、最近の傾向は間違って、中身がないままメールを送られる方が時々あること。メールを開けると、真っ白で、これは何だと思ってしまうのです。かといって、わざわざ、中身は何ですかと質問するのも、自分で自分の仕事を増やすような感じなので、しておりません。本文がなくて、添付ファイルだけの場合は、問答無用で削除しています。一度ウイルスにやられてから、添付ファイルは、信用できる人からのもの以外は見ないことにしています。添付ファイルを開けたら、花火がぼんぼんと上がって、こりゃ何だと思ったら、ウイルスだったのです。
メールをくださるときは、本文をお忘れなく。
11月X日
診療とは関係ありませんが、アフガニスタン情勢がやはり気になります。
アメリカの空爆が始まった頃は、すぐにもタリバン政権が崩壊するかのように報道されていましたが、最近の情報は反タリバン派の指導者が次々と暗殺、処刑されている話ばかり。アメリカの情報戦略が失敗していることを示していると思います。そもそもタリバンはアメリカのCIAの援助を受けていたことがあるというのですから、アメリカの情報管理の主観主義、ご都合主義は否定しようがありません。
そんなアメリカが、「テロの側に立つのか、テロと戦うのか」という選択を迫るのは、自分たちの失敗のごまかしじゃないかと思います。政治選択の当否を、道徳的正否とすり替えているからです。
日本が自衛隊を派遣したいというのも、自分たちの独自の判断と言うより、国際世論からの孤立を怖れる行動だと感じられます。しかし、この国際世論というのが、アメリカの情報操作の結果だとしたら、怖いことです。
なんだか太平洋戦争中にアメリカの強制収容所にとじこめられた日本人二世が、自分たちもアメリカ人であることを証明するために、イタリア戦線に日本人部隊として出征したみたいな感じです。
本当は、何故アメリカが失敗したのかを考えることが大事なことだと思います。そして、日本は何をすべきだったのか、そして、日本はこれから何をするべきなのかを考えることでしょう。
10月X日
医学生の時に教えてもらったことで、医者になってから、あれは間違いだったと気づくこともある。その一つに、アゴのはずれた人を治すと、患者が「あははは」と笑うという話があった。ところが、アゴのはずれたのを治して、患者が「あははは」と笑ったことがない。これはおかしいなあ、何故なんだろうと考えていて、あれは大学の先生が間違っていたのだろうかなあと思った。それであるとき、患者さんに、アゴの整復が終わってから、これこれしかじかと説明して、「一度患者さんに笑ってもらわないと、安心できない気分なんです。」と、お願いして笑ってもらうことにした。その患者さんは、お安いご用と笑ってくれた。「あははは!」と。
それから、そっとつぶやいた。「あの、先生。またはずれました。」
10月X日
医院を開設して、受診する患者さんの中に、性的な外傷体験の患者さんが多いのに本当に驚いてしまった。受診する女性の中の、2〜3%は明らかに、そういう体験の影響のもとに、医院を訪れている。はっきりと訴えない人を含めると10%ぐらいにはなるのではないだろうか。これは驚くべき数字だと思う。多重人格と呼ばれるような状態の患者も決してまれではない。
精神病院に勤務しているころは、そういう体験を持った女性がいるだろうとは思っていたが、ごく例外的なものだと思っていた。まして、多重人格などという症状は、一生に一度か二度しかお目にかかれないものと思っていた。ところが現実はそういう想像をはるかに超えたものだった。
では、そういう人にどう対応していったらよいのか。それがなかなかむつかしい。色々と工夫してみているが、今の時点でともかくも言えることは、こうした人々が例外的な存在ではなく、心を病む人のことを考えるなら、避けて通れない問題だということである。そして、女性の問題というより、女性や男性の区別を越えた、人間全体の心の問題だということである。
10月X日
この連休は、医院の職員慰安旅行でした。一泊2日で上高地、乗鞍などをまわりました。天候も良く、視界良好。北アルプスの山々を心ゆくまで眺めることができました。
宿泊は、平湯温泉でした。宴会は他のグループと一緒でしたが、カラオケで盛り上がりましたね。他のグループのおじさんが「奥飛騨慕情」を歌い出したのですが、声が出ないで、調子が合いません。「誰か、助けて」という叫びに、思わず出動。私のリードでおじさんも声が出始めました。終わってから、「いつもは声が出るのに、今日は出なかった。やっぱり日焼けすると声が出るようになるのかなあ。」
何のこっちゃ。!?
9月X日
私が医学生であったころ。ある日の臨床実習に外来患者としてやってきたのが、小学校の同級生だった。診断は、予後不良の貧血だった。10年ぶりぐらいで会ったのに、再会がそんなことでとてもショックだった。私は単なる学生だったので、診断結果を伝えるわけではなかった。それでも、おろおろした気分だった。
これも学生のころの話だけれど、眼科の実習で、学生同士がお互いの眼底を調べる練習をしていた。するとある同級生が、先生を呼んで、「彼の眼底におかしなものが見えます。」と言った。その場で先生が調べて、網膜色素変性症であると診断した。視力が段々低下して、やがて見えなくなる病気である。実習中に、同級生の中からそういう病気が発見されて、たまらない気持ちがした。
医学生になって白衣などを着ると、自分は病気を治す側、患者は治される側と単純に感ずる部分もあっただろう。そういう図式が、実習で患者に接するとすぐに壊れてしまった。
私が精神科医になったときは、身体の病気に対しては、そういう区別がないとは思っていたものの、心の病気にはどうではないような気がしていた。ところがそんな区別などないという当然のことを、精神科医になってしばらくして、実際に経験する事になっていった。
病気というものは、本当に怖ろしいものだなあと感ずるようになったのは、そんな経験をするようになってからである。しかし、怖ろしさを感ずるのと平行して、病気との距離が小さくなっていった。日常の当たり前のことになっていったとも言える。
中年に入ると、死というものに対してもそういう感じを持つ。そういう距離の少なさが、病気や死というものを扱うときの自由さにつながればよいのだけれど。
9月X日
ニューヨークのテロから10日以上がたって、マスコミの論調もアフガンへの報復攻撃の話に移っているようです。マスコミの報道にそって考えていると、何だか自分の思考も発展していっているような気がしますが、それらは所詮外から与えられたものであって、自分で探し出した情報ではありません。インターネットの掲示板などで交換される意見も、ほとんどがそうしたレベルのものです。
こうした大事件が起こると、私たち庶民が知りうることは本当はとても操作されたものだと思います。とても全体像などはつかめないでしょう。しかし、何かをつかみたい、納得したいと思うのも正直なところ当たり前のことだと思います。私もインターネットを通じて、色々な情報に触れてみました。そして、今のところ感じているのは、次のような映像が伝えてくるものを考えの基礎にして、そこから離れないようにしたいということです。私たちのほとんどは、国会議員でもないし、テレビ討論会のレギュラーでもありません。そういう事実から離れないようにしたいです。
この写真は貿易センタービルから非常階段を使って、避難するところの写真です。階段を下りていく人をかき分けて、消防士が昇っていきます。その後の事態を考えると、この消防士はおそらく亡くなっていることでしょう。黙って職務をはたす人と、それを不安そうに見守る人、これがその時点で起こっていたことです。
ハドソン川を距てて、燃え上がる貿易センタービルを見つめる人たち。成すすべもなく、見守っています。この人達は、ビルの状況を理解していたでしょうか。ただごとならざる雰囲気はあったかもしれませんが、遠く離れた場所で、飛行機がビルに突っ込む映像ばかりを見せられていた人たちが考えているより、避難は十分行われていると考えていたのではないでしょうか。
今後どんなことが起こるかはわかりません。どんなことが起こるにせよ、10年後、私たちはみんな、今回の事態をこんな風に対岸の火事としか理解できていなかった自分を発見するでしょう。
これは行方不明者の掲示板です。それぞれの人の顔はよくわかりませんが、それでもそれぞれの人には、それぞれの人生があっただろうということがわかります。それらをひとくくりにして、6000人の犠牲者といった風にはしたくないです。これらの人がすべて、報復を望むだろかと考えると、そういうことはないでしょう。では、それぞれの人は何を望むでしょうか。そこを想像するのが、人間の知恵だろうし、思いやりだと思います。
こうした大事件に出会うと、早く何かを知りたい、結論を出したいと思うものでしょう。しかし、事態の全体を把握することは、むつかしく、その原因を追及することも困難でしょう。現場に近づけば近づくほど、目の前のことに振り回されているだけだと思います。それが私たちのありのままの姿だと思います。
私はその混乱、茫然自失から簡単に離れない方がよいと思っています。先日、精神科医の専門性はなんだろうと書きましたが、こうした打撃や困惑に心を開いておくこともその一つかも知れないと思います。そうでないと、いざ当事者に直接出会ったとき、何も理解できない、そして共感できない自分を発見するからです。
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9月X日
精神科医というものは、医者と言ってもどこか本物ではないという気分が残る。私なども、最初の十年ぐらいは、自分は医者と言えるのかなあと不安な毎日でした。一番の心配は、身体の病気の誤診でした。それで、虫垂炎を自分の手で見つけられると、少しは自信がつくかなあと思っておりました。虫垂炎を三件見つけたとき、少し自信がでました。
三人目の患者を見つけた時、まず内科の先生に見てもらったところ、単なる便秘でしょうと言われ、それでも心配で外科の先生に見てもらいました。すると「これは立派な虫垂炎です。今すぐ手術しましょう。」と言われました。内科医でも見落とすのなら、精神科医が見落とすことがあっても不思議はないと安心(?)しました。それと、やはり専門家は違うなあと思った次第です。
ところで、精神科の専門性を示すものはなんでしょうか。考えたけれども簡単には思いつきませんでした。むつかしいですね。
9月X日
ニューヨークの世界貿易センタービルのテロ事件以後、テレビに釘付けの毎日でした。深夜2時や3時まで起きているのですから、何時の間にやら身体もガタガタになってきました。やっと特集番組も減って、正常な生活に戻ったところです。と言ったとたんに、ビデオデッキが故障、テープが巻き込まれて、ビデオが取り出せないという珍事。レンタルビデオなので、返すこともできず、取り出すのに大変でした。結局は、ビデオデッキを処分することになりました。
さて、話戻って、今回の事件には本当に驚きました。まず、頼んでもいないのに、携帯電話が変な音を立てて、画面を見ると「緊急情報」の表示。「世界貿易センタービルに飛行機が激突」とのこと、何のこっちゃと思っているとまたまた、「緊急情報」。今度は「ペンタゴンが炎上中」。それで仕事よりこっちとテレビのスイッチを入れてからは、もう目を離せず、その時以後、仕事時間以外はずっと見続けでした。
最初に思ったのは、阪神大震災での破壊された町の景色ですね。その記憶が思い出されて、ずっと続いていました。それと、緊急時の医療関係者の仕事ぶりでしょうか。現場はさぞかし大変だろうなと思いました。
以前、アメリカの看護婦さんの書いた、ルポルタージュを読みました。看護現場からの報告というもので、現場に密着した本音の報告でとても印象に残りました。(エコー・ヘロン著、中井京子訳、「命のカルテ」、集英社文庫、2000)
その中に、オクラホマの連邦ビル爆破事件の後、病院救急部の看護婦の活動を描いたものがありました。それを読んでいると、アメリカの人のボランティア精神というものを感じました。ボランティアですっと身体が動く感覚でしょうか。そういうものを感じていると、アメリカの一面があの摩天楼だとしたら、別の一面に草の根からの自発的な、人々のつながりを作り出す力があることを感じます。テロリストは、摩天楼を壊すことはできても、そうした人々の心のありようを破壊はできないと思います。
その本に中に、爆破事件の後の救急部は、まず運び出された第一派の患者搬送が終わったら、より重症の患者の搬送があるだろうと緊張して待っていたら、いつまでたっても第2派の搬送はなかったと書いてありました。そういう爆破テロでは、死ぬか生きるか、重症で搬送される患者はあまり発生しないというのです。今度の事件でも、救急患者が予想以上に少なかったということです。その場の判断で、生き延びるなどということはほとんどないのでしょう。炎上するビルから助けをもとめて、タオルを振る人の映像が何度もテレビに流されましたが、たまらない思いがしました。
事件以後、テレビをずっと見ていたのですが、新しい情報がほとんどなく、同じ映像の繰り返しでした。ニュース解説も同じ話の焼き直しのような感じでした。こんな時こそ、インターネットといろいろのぞいたのですが、やはりアメリカの情報が充実しています。アメリカのYAHOOには、ニュース写真やビデオのコーナーなどがあり、解説付きの写真が今回の事件に関するものだけでも、1800枚ほどが公開されています。それを見ていくと、アメリカの事件の受け止め方が立体的に感じられて、日本のテレビ報道などから受ける印象とは、かなり違ったものになると思います。被害者の写真も多数紹介されています。それらの人の笑顔を見ていると、簡単に報復をと叫ぶ気持ちにはなりません。CNNやBBCの報道ビデオなども見ることができます。
掲示板も色々見ましたが、匿名性の高い板は内容的にレベルが低いです。なんらかの統制がないと、情報の質を維持することがむつかしいのだと思います。そういう点で、毎日新聞のご意見コーナは、投書欄みたい感じですが、投稿者が多彩で、勉強になりました。特に、アメリカ在住の人の意見からは、アメリカの庶民の様子が伝わってきて、価値が高いです。ニューヨークに住んでいる人、留学している人,出張中の人などの報告は、他ではなかなか触れることのできない情報だと思います。沖縄出身の海兵隊員の意見も読めました。また、この事件に関する疑惑指摘もあり、考えさせられました。
日本での反応は、あまりにも「日本での豊かで安全な生活」というものの維持に、重点が行きすぎのように思えます。情報が管理されている印象が強いですし、内容も平板な感じがします。自分なりに工夫して、多面的で、柔軟な見方を、持ち続けたいものです。
9月X日
このごろアメリカのテレビドラマの「ER」に熱中しています。レンタルビデオからまとめて借りて、一日3〜5本を見ています。嗜癖みたいなものですね。
(このごろビデオ屋が安くなって、古いビデオは一週間借りても90から100円なので、5〜6本借りても、それほど負担とは思えない。即日返却なら30円ぐらいです。)
緊急処置室のあの乗りがなんともおもしろいというか、わくわくします。精神科というのは、ああいったテキパキとした動きとは無縁です。スローモーション映画のようなものでしょうか。
それでも病院勤務の時は身体疾患もあり、蘇生術をやることもまれではありませんでした。心マッサージとか、挿管も手がけていました。内科の当直をしたこともあり、結構医者らしいこともやっていたのです。死亡診断書を一晩に二枚書いたり、なんてこともありました。
開業してからは、身体疾患の重症もなく、死亡確認などの行為からは無縁となりました。それで、「ER」を見ると、そういう過ぎ去り日々をちょっと思い出して、感慨にふけるのですね。
ビデオでは、患者と医者の関係がドラマの中心になったり、医者相互の関係がそうなったり、色々と変わって、飽きさせません。
でも、ドラマの上とは言え、アメリカ人というのは、自分の感情をちゃんと言語化して交流させるものなんだなあと思う。あんなに、しゃれた会話をアメリカ人はいつもやっているのかなあと考えたりする。
私も治療を介して、欧米人と接することがあるが、確かに言語化への意志は強いように思う。しかし、逆に言語化されないことは無視するような感じがして、余韻がないというか、余裕がないというか、味気ない思いがすることもある。
9月X日
待合室に公衆電話を設置してあるけれど、最近患者さんから「電話に100円玉がつかえますと書いてあるけれど、つかえるのならちゃんと落ちるようにしてください」と言われた。なるほど、引っかかってつかえるのは困る。しかし、普通「つかえます」と書いてあれば、使用可能だという風に理解するものではないかなあと思った。それにしても日本語はむつかしい。「つかえる」が「使えない」なら、「つかえません」は「使える」ことになる。
昔、梅棹忠夫がひらがなタイプライターを勧めたことがあったが、日本語は同音異義語が多くて、あまり普及しなかった。ワープロなんてものが想像もされなかったころのことだ。
8月X日
外来をしていて一番気を使うのは、待ち時間や診察時間の不公平だ。なるべく待ち時間は短く、診察時間は十分にというのが理想だが、なかなかそうはいかない。新患が立て続けにあると、5分違いで最初の人の診察はすぐで、終わりの人は待ち時間2時間ということもありうる。
診察時間はなくてもよいから、早くクスリをもらいたいという人もあるし、どれだけ待っても納得できるまで話したいという人もある。そういう人が、無秩序にやってくるのだから、すべての人に満足してもらうということは難しい。それでも、できるだけ全体が統一性をもって動いているようにしたい。
注意を払っていて、それで全体の流れが自然なものになると、診察が終わったときにそれなりの満足感がある。ところが、途中までうまく行っていたのに、急に乱気流に飲み込まれたりすると、実にイライラしてしまう。あまり乱れると、あきらめて逆に落ち着いたりする。
不思議なものだが、その日の診察のようすというものは、ある種の一貫性があって、トラブルが起きるときは、次々と色々なことが起こるし、何もないときは不思議に何もない。新患というのも、不思議に重なることがある。こういう流れを読めないと、手足が六本ずつあってもまだ足りないと言う事態になってしまう。
そういうことで、診察をしていて、サーフィン気分になっている時もあるのです。
8月X日
お坊さんからメールが届いて、精神科医とお坊さんがどこが違うかという質問がありました。
以下、私の考えです。
ある人(No1)が、自分の話を5分間聞いたら大きな生きた鯛を一匹差し上げますと言った。
別の人(No2)が、私は一日かけて、鯛の釣り方を教えてあげますと言った。
次の人(No3)は、一月かけて、近くの海で自由自在に鯛を釣れるようにしてあげましょうと言った。
その次の人(No4)は、三年かけて、あらゆる海でどんな季節でも天候でも、自由自在に鯛を釣れるようにしてあげると言った。
次に、10年かけて、あらゆる魚を釣れるようにしてあげるという人(No5)が現れた。
そして最後に、自分の手に入れた、あらゆる極意を惜しげもなく人に教えて、後悔しないような人間になる方法を、30年かけて伝授しますという人(No6)が出てきた。
精神科医のやろうとしていることは、No3のようなことです。もしかしたらNo4のようなことをしている人もいるかも知れないし、No2程度の実用性をねらっている人もあるかも知れない。場合によれば、No1で十分だと患者から言われることもあります。「わかったようなお説教はせずに、医者はよく眠れるクスリだけ出していれば良いんですよ」という具合ですね。
ところで、宗教者の考えていることは、No5かNo6なのであって、精神科医の考えていることとはレベルが違うのです。
せっかく宗教者になったのに、No4とかNo3とかにずり落ちそうな人を見ると、がっかりしますね。「私はあらゆる極意を惜しげもなく人に教えて、後悔しないような人間です」と言っても、だれからも信じてもらえないので、「惜しげもなく鯛を配」ろうとして、これから鯛の釣り方を勉強すると言うのじゃねえ。
歴史的に見ると、偉大な宗教者はNo1からNo6までを、一つの行為で一挙に実現してしまう人だったのだと思います。そういうのは真似をしようとしても、とても無理ですから、せめて自分の求められているものに精進するしかありませんね。
8月X日
毎年、この季節になるとご厄介になっているのが、下鴨神社の古本市。日頃入手困難な本を割安で買えるので、一日ねばって見ています。夕立がいつ来るかいつ来るかと心配しながら、ウロウロするのもスリルがあって良いものです。
一番おもしろいのが、100円コーナーです。こまめに見ると、掘り出し物がありますね。以前、鈴木大拙の書き込みのある「臨済録」の復刻版を見つけたことがありました。
今年は、100円コーナーで、ラファエルの「災害の襲うとき」、クロッパーの「ロールシャッハ・テクニック入門」、安克昌の「心の傷を癒すということ」などを買いました。クロッパーの本は河合隼雄の訳でまだ読んでいないもの。他の2冊は、だれかにあげるためのもの。それにしても、みすずの本が100円とはねえ。
8月X日
毎日猛暑が続いております。みなさまお元気でしょうか。暑中お見舞い申し上げます。
医院の新患の調査をしましたら、最近の受診者の内、45%程度がインターネットで医院を検索された方でした。インターネットの力はすごいものですね。
しかし、インターネットでの検索が、電話帳での検索以上の情報を読者に与えているかどうかはわかりません。
インターネット上の情報は本当に玉石混淆で、石の方が圧倒的に多いです。当医院のホームページも内容の向上に努力していきたいと考えていますので、皆さんからの積極的なご批判、ご注文をお願いしたいと思っています。
暑さの折り、お身体にお気を付け下さい。
7月X日
何かというとすぐ被害的になって、嘆いてばかりいる人がいて、面接中もその話ばかり。あまりにそういう話ばかりなので、とうとう怒ってしまって、「そんなことで嘆いてばかりいては、どんなことでも悲劇の主人公になる理由になってしまうではありませんか。」と言って、真面目な顔をして「こんな色の黒い人間に生まれてくるぐらいなら、死んだ方がよかった」とつぶやいて見せた。すると、とたんに「色が黒いぐらいでなんですか。私なんかは・・・・」とはじめたので、「色が黒くて何が得をするというのですか」と叫んでしまった。私が叫んだので、相手は「アッ」と固まってしまった。
今日、自転車で並木道を走っていると、セミが飛んできて、私のほっぺたに止まろうとした。私は手で振り払ってなんとか、セミが止まるのを防いだ。しばらくして、私の色が黒いので、セミが木の幹と間違えたらしいことがわかった。それで、私が「色が黒くて何が得をするのか」と叫んだのは誤りだったと思った。色が黒いと、セミが止まってくれることがある。今度患者さんに会ったら、謝らないといけないなあ。しかし、木の幹にあの鉄のストローみたいなのを刺して、樹液を吸うのだから、間違って首にあのストローが刺さったら命を失う可能性があるかも知れないなあ。
7月X日
精神科医の所へ来ると、人生への励ましや応援歌が聴けると思っている人がいる。特に、カウンセリングを期待してくる人にそういう人がいる。
しかし、カウンセリングというものは、そういう励ましを与えるものではない。そういうものは、当人の友人だとか家族が十分に提供しているものであって、それでもどうにもならないので、相談機関や医療機関を訪れるものだと思う。
カウンセリングを受けたからと言って、人生の苦痛や悩みが減るわけではない。ただ、悪循環的な思考が減るとか、意味のないこだわりからいくぶん自由になるだけのことである。それもかなりの時間を必要とする。そんなに簡単にことは運ばないし、簡単に得られたものは、逆に簡単に失われてしまう。
カウンセリングでは、その人の生きていくための智慧を、話し合いながら生み出していく事になる。あくまでも智慧を生み出すのは、相談に来た人なのであって、カウンセラーがお説教して、智慧を伝えたり、注入したりするものではない。そんなことはできないのである。カウンセラーは単なる話し相手、相談相手にすぎない。根気よく話していくと、知らない内に当人にそういう智慧が涌いてくる。そういうことを理想としているし、ねらってもいる。本当にうまく行くと、カウンセラーなんて何の役にも立たなかったと言って去っていくことになる。
そのあたりを誤解して、相談したのに元気をもらえなかったと苦情を言う人がいる。できることなら、そういう元気のかたまりを手元に持っていて、ぱっぱと分配できたらよいなあと思うが、そういうことはできないのである。
7月X日
ずいぶん以前のことだけれど、東洋医学のグループで旅行をしたことがある。その時、私が医者だとわかった瞬間に、和やかな雰囲気が変わって、急に刺々しくなってしまった。その後も、うち解けた感じがなくなって、ずーと違和感が残ってしまった。東洋医学に関心を持つ人の中には、西洋医学の医療に傷つけられたり、失望を感じた人が多いようだ。それぞれ色々な経験をしているのだろう。だから、医者と聞いただけで、その嫌な体験を思い出して、見るのも嫌になってしまうということなのだろう。旅行の後半は、何故自分がそんな目に会わなければいけないのだと不満に思った。八つ当たりじゃないかと。
しかし、時がたってみると、それらの人々の体験にわからないながらも、同情を感ずるようになった。その体験の内容は知りようがないけれど、医療が人を傷つけたり、嫌な体験を生んだりしていることには、心していかないといけないなあと思うようになった。まあ、それだけ医療の限界や無力を感ずる機会が多くなったのだろう。