診療日記(2004, 12, 10 更新)


この日記は、医院での診療の様子をお伝えするものです。ホームページを見て、受診した患者さんから、日頃の診察の様子や、医者がどんなことを考えているかがわかると、受診する時の参考になるということで、このコーナーを開設しました。


12月X日

面接中に、泣き出す人が結構多い。
特に女性に多いです。
というか、男性はあまり泣きませんねえ。
ところで、そういう人のために、診察室にはテッシュペーパーを用意している。
しかし、自分からそのティッシュペーパーに手を伸ばす人は少ない。
面接に通う回数が増えて、遠慮がなくなってくると、「ちょっと借ります。」と言って、手を伸ばす人もいる。
しかし、最初のころは、そうもいかず、こちらが、さりげなくテッシュの箱を差し出すことになる。
そのタイミングが遅くて、涙がぼろぼろ出てからでは、気がきかないし、早すぎると、なんだか嫌みになる。
ところで、こちらがテッシュを差し出すと、自分のバックからテッシュを取り出す人が多い。
ハンカチを出す人も多い。
しかし、「ありがとうございます。」とテッシュの箱を手に取る人もすくなくない。
そのタイミングがうまくいくと、一仕事した感じになる。
次は、そのテッシュをいつ返してもらうかが問題になる。
診察が終わったとき、その場に残していくのも良いけれど、それなりの処理をすますという意味では、
テッシュの箱を返してもらうのが良いだろう。
しかし、このタイミングも結構難しい。
早く返してもらうと、泣き終わりなさいと言う意味になるし、
ほったらかしでは、処理されていない感じが残る。
この前は、患者さんが、テッシュの箱を抱きしめて、話がなかなか終わらず、
とうとう、そのまま診察室から出て行った人がいた。
返してくださいと言いそびれて、持って行かれてしまった。
ああ〜。と思ったけど、後の祭り。




12月X日

医院の外来患者さんから、医院の入居するビルに未明消防車が
出動したという話を聞いた。
(下の写真が、その時の状況ですとのこと)
結局、火災報知器の誤作動だったらしい。
もし、本当の火事だったら、ビルが放水されて、
一階に入居している、医院は水浸しになっていただろう。
誤作動だったからよかったものの、
本当の火事だったらと、それこそ大変だったと肝を冷やしました。
自分のところだけ、火の用心をしていれば良いだけではないので、
医院が通常の活動ができるのも、周囲の人のおかげがあるのだなあと
改めて感じました。




11月X日

今日は、久しぶりの良いお天気なので、紅葉を見に行きました。
京都は観光寺院に事欠きませんから。
ともかく大変な人です。
どこのお寺でも、観光タクシーの運転手さんが、お客を案内してきています。
いろいろと説明しているのを、横で聞いて、
「なるほど、そうだったのか。」
などと、一人で納得。
かなり、いじましいですねえ。



11月X日

11月の後半に入って、急に寒くなったためか、外来患者さんが減ってしまいました。
その分、時間がとれて、いつもより少し面接にかける時間が多くなりました。
そうしてみると、いつもは随分あせって面接しているなあと思います。
診察に満足していない患者さんも多いのではないかなあと感じています。
精神科医としては、それなりに時間をかけて面接ができて、
双方が充実した気持ちで面接を終えられるのが理想ですね。
日常が、ちょっと忙しすぎです。

それはそうと、診療日記を見ている患者さんは、
面接のはじまりに、「パソコンの調子はどうですか。」と聞く人が多いです。
なんだか、私が診察を受けている気分ですね。
返事は、「はあ、なんとか。」
「ネットで買ったような、安物のパソコンを使っているんじゃないですか。」
「はあ、すみません。」
なんだか、そういう感じですね。





10月X日

ある患者さんが、スタッフそれぞれから、オーラが出ていると言い出したらしい。
「○○さんは緑色、××さんは、紫色、△△さんは青」など、その内容をスタッフのAさんが伝えてくれた。
私はいったいどういう色なのか。
聞いてみると、Aさんは「先生は犬です。」とのこと。
犬って色なのかい?
ネズミは色かもしれないが。

当の患者さんに聞いてみた、「私が犬だというのはどういう意味ですか。犬という色があるんですかねえ。聞いたことないねえ。」
「先生だまされているのですよ。その話をしているときに、Aさんが『先生は犬だねえ。』と言ったので、『そうですねえ〜』と言っただけなのです。」そういうことかとAさんに聞いてみた。
すると「先生、だまされているのですよ。わたしがそういうこと言うわけがないでしょう。」
う〜ん。
誰を信じればいいのだ。
その話を聞いていた、スタッフのCさんが、「先生は何犬ですか。」と尋ねた。
「う〜ん。私は石川県出身ですが。」

そのとき、医院は しら〜 とした雰囲気に包まれたのでした。・・・・・



10月X日

このごろ診察に来られる方から、先生のパソコンはよく壊れますねえと、何人もの方から言われました。
我ながら、本当によく壊れますねえ。
データのバックアップをこまめに取るほかに対策はありませんねえ。
ところで最近、Knoppix というOSを知りました。
フリーでダウンロードできるのがうれしいです。
と言っても、容量が大きい(700MB程度)のでブロードバンドでないと苦しいですが。
そのデータをCDに焼いて、ブートするのです。
CD一枚に焼けるように作ってあります。
さて、knoppix の特徴は、CDからOSを立ち上げて、HDDの中身を読み取れることです。
おまけにデータの吸い出しまでできる。
これならWindows が立ち上がらなくなっても、CDからブートできれば、データの救済ができるというものです。
やったー。しかし、なかなかお話通りには行きませんねえ。
制限が色々とあって、それなりに大変です。
たとえばHDDがNTFSでフォーマットしてあると、書き込みができないとか。
メモリーの容量に制限があるとか。
まあ、四苦八苦して、外付けHDDにCドライブのデータをコピーできるところまで、何とかなりました。
めでたしめでたし。



10月X日


 精神障害者が経済的基盤を確立して、生活していくことは容易ではない。

単身者の場合には、生計を維持する方法がなければ、生活保護制度が利用できるが、家族と同居している者にとっては、世帯収入に制約があって、必ずしも利用できるとは限らない。

精神障害者の中には家族に経済的負担をかけながら、身を縮めるようにして暮らしている場合も多い。このように後ろめたい思いを抱えて生活している状況では、将来への希望も持ちにくく、治療の展望が開けない場合も出てくる。

 これに比べ、障害年金の制度は、世帯の収入に制限がないことや、本人に手渡されることで、家族への経済的負担を軽減させるという意味で、障害者自身の精神的負担を解消するものとなっている。

今から、20年ほど前までは、精神障害の障害年金を申請する場合は少なく、よほどの重症でない限り、申請されなかった。

また、申請者のほとんどは家族で、直接本人の手には渡らなかった。

介護者の経済的支援という性格で受け止められていた。重症の症状で入院している精神障害者の年金を、ほとんど面会にも来ない家族が、受け取っていて、本人に渡されることもなく、家族の生活費に当てられるという状況を見たりすると、障害年金の申請が家族からなされても、協力しようという意欲が湧かなかったのが実情であった。

その当時は、障害と疾病という区別も曖昧で、精神障害者として年金の対象となることを認めることは、治療者として治療不能であることを認めることになり、治療的敗北であるという意識も働いていた。

やがて開発されるかもしれない新たな治療法によって、回復の可能性のある患者を、回復の余地がない障害者として認めてもよいのか。
そういう疑問があったわけである。

 このような考え方に変化が起こったのは、1980年代であったと思う。

長期に精神病院に入院していた患者が、地域のアパートに退院して、単身生活を送ることが一般化したためである。

生活保護の申請が出来る患者は別として、家族からの仕送りに頼らなければならない場合、障害年金の受給をうけることが、退院促進に役立ったからである。

年金申請のための診断書を書く精神科医の立場にとっても、診断書作成が、どこかで患者の退院促進につながるのであれば、消極的態度を取っているわけにもいかない。

また、障害年金が、精神障害者本人に手渡されるようになったことも、大きな要素である。

このような流れの中で、退院を前提とした年金申請だけでなく、長期に入退院を繰り替えていている患者や、自宅で特に何をすることもなく、無為に過ごしていたような精神障害者も、年金申請を行うようになった。

自宅で、特に問題もなく過ごしていたように見えた障害者も、月に5万円程度の可処分所得を得ることによって、活動範囲が広がり、社会参加への大きな動機付けになっていった。

これまで、現状に満足しているように見えた人たちも、いざ現金を手にしてみると、買いたいものがあり、行きたい場所があった。やってみたいことも次々と現れるようになった。

親世代と同居している障害者にとって、自分独自の収入を得るという解放感には、大きなものがあった。その当時、年金受給の拡大と前後して、精神障害者の小規模作業所の開設が広がり、精神科診療所、病院のデイケアの拡大などともつながって、障害者の社会参加の窓口が大きく開かれたのである。

このようにして、障害年金制度は、精神障害者の生活に大きな影響を与え、その質的な深まりを支えるものとなっていった。

 精神障害者向けの年金制度は、基本的には統合失調症、躁うつ病など、狭義の精神疾患を対照としているが、生活のしずらさを抱えている患者は、狭義の精神疾患をわずらっている人ばかりではない。

精神病的な症状はないが、深刻な引きこもりや、パニック障害や強迫障害でも、重症な例になると、その生活のしずらさや看護の困難さは、精神疾患以上のものとなる場合もある。

そのような疾患に苦しむ人たちが、障害年金の申請を行うようになっていったのも、自然の勢いであった。

最初は、申請が受理されることも少なかったが、症状の実態に応じた処理がなされるようになり、それらの精神疾患にも障害年金の給付が行われるようになっていった。

強迫障害(症状は統合失調症レベルのものである)という注記をすることによって、申請が受理されていったのである。

このような結果、重症の症状を抱えた人々にも、統合失調症や躁うつ病などの人たちに見られたのと、同じような反応が見られたのである。

つまり、自宅にこもって、家族への経済的負担を軽減させるため、息を潜めて生きていたような人たちが、社会参加の意欲を見せだしたのである。

純粋に精神症状の結果だと思われていたような状態が、経済基盤や社会資源の変化によって、変わりうるものであることが、示されたと言える。

 ところが、ここ1〜2年の間に、障害年金の認定が、急激に厳しくなっているという印象がある。


背景には、年金財政の悪化があるのだろう。

以前であれば、ほとんど問題なく認定されていた、統合失調症の患者からの申請が不可となるようになった。

最初は、単なる偶然なのだろうと思っていたが、何人か重なると、そうとは言えなくなった。

また、これまでは注記を記載すれば受理されていた、神経症圏の疾患が一切認定されなくなった。窓口段階で、無理ですと言われるようになってしまった。

同じ状態像であっても、数年前であれば認定されていた人が、現在では認定されない。そういう状況が起こっている。

これまで、障害年金の受給という方法によって支えられていた、社会参加への道が閉ざされようとしている。

 経済的ゆとりのない家庭で暮らしている精神障害者は、単身世帯となって、生活保護を申請するのが現実的な選択となる。

障害年金の受給を受けながら、家族と同居というわけに行かない。

しかし、ここにはいくつかの問題がある。一つは家族の分解を促進するということである。

また一つは、障害年金の場合は、障害者が作業所などで保護的就労に付いた場合に、たとえわずかでも収入があれば、それがそのまま本人のものとなったのに、生活保護ではそうはいかないという点である。

作業所で働いて、月に8000円程度までは、作業所通所の諸費用ということで控除されるが、それ以上になると収入と認定されて、生活費支給の減額が行われるという事実がある。

つまり、生活保護を受給されている場合、一定以上働いても、収入が本人の手にわたらないのである。

このことは、障害者が就労に向けて努力しても、成果は精神的な喜びという形でしか手に入らないことを示す。

これでは、障害者の社会参加の意欲を支持することは難しいだろう。

しかし、今の制度ではやむえないことである。

 障害者の支援制度というものは、各種の制度が有機的に働いて、成果を生み出すものだと思える。

たとえ年金財政の厳しさがあるとしても、そのことを理由にして、障害年金受給者の制限をはかるということが、長期的に見て本当に国民の利益になるのかどうか、私は疑いを感じている。  





10月X日

9月末に、コンピューターが再度ダウン。
今度は、システムファイルが消滅しましたという指示が出て、まったく動かない。
マニュアル片手に復元を色々試みましたが、結局手に負えず。
OSの再インストールを試みましたが、今度はHDのスキャンの段階で、クラスターが壊れているということで、それもできず、新品のHDを付け替えることにしました。
データを入れていたDドライブは、別のデスクトップにHDを取り付けて、バックアップを取りました。
一月に二回も、ダウンするなんて、なんてこったいと思います。
でもwindows95の時代に、一日に3回もOSをインストールしたことがあったことを思い出して、ひとり慰めています。
メールが全部消えてしまったので、リラックスコーナーのまぐまぐ通信は、この夏の分はアップロードできません。
悪しからず。



9月X日

今日は、コンピュータのOSをアップデートをしたところ、再起動が自動化して、連続して止まらない。
色々試みたが、いかなる対処にも、ついにコンピューターは反応せず。
とうとう、OSの再インストールとなってしまいました。
ほとんどのデータはバックアップがとってあるけれども、メールだけは、やってなかったので、過去に送受信したメールのデータ、およびアドレスがすべて消えてしまった。
とういうわけで、私からのメールを期待している人は、とりあえずメールを送ってください。
その後、色々とソフトをインストールしましたが、USBをVer2にするカードの再インストールが必要だったり、大変でした。
一番の問題はスキャナが読み取れなくなったことです。
ドライバーを何度も出し入れしたけれど、結局だめでした。
どうなるのかなあ。
しょうがない、明日でもスキャナはノートパソコンに接続することにしよう。
というわけで、ほとんど丸二日ほど、無駄にしてしまいました。
ショックですねえ。



9月X日

私は診察の合間にコーヒーを飲むのを楽しみしている。
ところが、今日は飲み終わった後に、カップの底に黒くコーヒーが残るので、おかしいなと思ったら、底にはクリップが沈んでいた。
これはどうしたことだ。
コーヒーを入れてくれた人に、「ちょっと。ちょっと。」と注意すると、当人は恐縮して、「すみません。でも、私が入れたのではありませんよ。」
聞いていたスタッフの一人が、
「先生。怒らない!昔からコーヒーにクリップと言うじゃありませんか。」


が〜ん。

こんなお寒いギャグを言うスタッフがいたなんて。
私の出番がなくなる。
別のスタッフが、「先生。診療日記のネタができて良かったじゃないですか。
いつも鼻毛ネタではね。」

う〜む。



9月X日

ある日の診察風景。

「先生は地球の陸地が昔はひとつだった事を知っていますか?」
「大昔はそうだったらしいね。」
「今から56億年すると、今ばらばらになっている陸地が全部合わさって、また一つの陸地になるそうですよ。」
「それは知らなかったなあ。」
「そのころは、人間は滅んでいるそうですよ。」
「それはそうかもしれないなあ。」
「では、何が地球を支配していると思いますか。」
「さあ。」
「イカですよ。体重4tのイカが地球を支配するのです。」
「しかし、イカは海に住んでいるから、地球を支配するというのは大袈裟だなあ。」
「そのころには、イカも進化して、陸上に進出しているのです。」
「そりゃあ、無理でしょう。」
「56億年もあれば、何が起こっても不思議はありません。」
「4tのイカなら大きいなあ。」
「吸盤なんかも進化して、足の指みたいになっています。それでノッシノッシと歩くんです。」
「4tのイカなら高さは10mぐらいかなあ。」
「ロケットみたいですね。」
「そりゃあ、すごなあ。」
「そうですよ。地球って不思議なことばかりですねえ。すごいですね。」
「だけど、本当にそうなるのかねえ。」
「そうですよ。すごいですねえ。」

こんな診察していて良いのかなあ。
本人が納得しているから、「まっ、イ〜カ」





9月X日

医院の飲み会をしました。
アラビア風の居酒屋でした。
こちらの席が大声を出すと、となりの席の一団が、答えて大声を出したり、拍手をしたり。
ちょっと見ると、美女の一団。
カメラを向けると、みんなピースをしてくれました。
若いですねえ。
う〜ん。
でも、名前を聞いたら、教えてくれませんでした。
やっぱり。
面接技術のせいか?。








9月X日


外来の患者さんのアンケートを実施しています。
希望としては、診察時間が短いという方が多いです。
診察時間を長くすると、どうしても待ち時間が長くなります。
予約診療を希望される方もありますが、予約にすると、
急に相談したくなっても、融通性がないので時間が取れなくなってしまいます。
事態の急変に対応できなくなってしまいます。
また、予約制にすると、待たされる立場になると、今以上につらいことになるでしょう。
あまり、予約通りに診察が進まない感じです。
最近の患者さんの動向は、12時近くに受診される方が多いという傾向です。
不思議なことに、そういう傾向が強くなって、午前10時過ぎに一時的に待ち患者がゼロということもあります。
皆さん色々考えて、受診されるのですが、結果的に皆さん同じようなことを考えて、同じ時間帯に固まってしまうようです。




8月X日


この3月から外来患者さんの診察待ち時間の調査を始めました。
その結果が下の通りです。


2004年平均待ち時間

 平均待ち時間(分)
3月 35分48秒
4月 29分32秒
5月 36分09秒
6月 29分43秒
7月 32分31秒


平均時間ですから、待ち時間1分の人もいれば、一時間になる人もあります。
しかし、平均すれば、30分から40分の間と言うことでしょうか。
診察後、会計処理が終わるまでの時間が必要ですから、これだけの時間で終わるわけではありません。
まあ、全体としては1時間前後ということでしょうか。




8月X日

長年、親一人子一人で暮らしてこられた患者さんがありました。
親御さんが高齢で、寝たきりに状態が続いて、とうとう亡くなられました。
果たして一人で、暮らしていけるのか。兄弟が心配して、一緒に来院されました。
深刻な事態に、医院として、できるだけの努力を払うことを確認して、今後の予想される事態について、色々と想定して、その対応を話し合いました。長時間の重苦しい話し合いに、患者さんは一言も話をされませんでした。
最後に、私が患者さんに、「何か言い残していることはないですか。」と水をむけると、
患者さんは、「先生、鼻毛が出てます。」

う〜む。!!!!

人の心配をするより、自分のことを考えろという意味なのか。
それとも、話し合いの間中、そのことが気になって、発言できなかったのか。
その後、患者さんが一言もしゃべらないので、永久の謎です。



8月X日

今年は、8月13日から15日まで、お盆休みといたします。
毎年は、お盆に休みを取っても、どこもかしこも人で一杯で、
旅行をしようにも不便なので、夏休みをお盆からずらせていました。
今年は、お盆にお休みをとって、オリンピックをゆっくり観戦しようと言うもくろみです。

休み明けは、16日からです。
ではみなさん、ご迷惑をおかけすると思いますが、
どうぞよろしく。


8月X日

開院以来、勤務してきた上野みな子さんが、7月末で退職されました。
お別れ会は、ビアガーデンでした。
そこで、上野さんははしゃいで、元気いっぱい。
そんなに辞めるのがうれしいのかなあ。
いつもなら、カメラに冷たいまなざしを向けるのに、
今日のこの表情はどうでしょうか。





7月X日

私は年に数回ですが、座禅の会に参加しています。
この前参加してみて驚きました。
いつも20〜30人ぐらいしか参加がないのですが、今回は60〜70人もの参加なのです。
座禅なんておもしろくないのに、どうしてこんなに参加者が多いのか。
それだけ何かを求めている人が多いのか。
よくわかりませんが、異様な感じでしたね。

私は以前、色々な座禅会に顔を出してみましたが、熱心に座禅していた人でも、出家してお坊さんになった人はいません。
趣味でやるのと、プロでやるのとは全く違うのでしょう。
お寺にいて、お坊さんになると言っていて、途中で行方不明になった人は知っています。
そういうのを見ていると、修行というのは、なかなか大変なものだなあと思います。
お坊さんの修行は、カウンセラーの修行より遙かに大変です。
そういう感じでも、なかなか立派なお坊さんには巡り会いませんから、立派なカウンセラーとか精神科医に出会うのは、それは大変難しいことでしょうね。




7月X日

今日受診した患者さんは、かなり以前に私の医院に通院していた人ですが、医院が自宅から遠いので、近くの医療機関に転院した方でした。
何も連絡が無いままでしたので、そういうこととは知りませんでした。
最初その医院を受診したときに、私が処方している薬を見られて「この薬は強すぎる。減らしたら良いです。」と言われて、減らしたそうです。
ところが、だんだん調子が悪くなり、先生に相談したところ、「あなたは病気じゃないのですよ。」と薬を増やしてもらえず、とことん具合が悪くなって、私の所へ受診してきました。
医者というものは、患者から「前の先生はひどい先生でした。それに比べ、今の先生は違いますね。やっと納得できる先生に会えました。」などと言われると、「そうかなあ〜」と警戒しながらも、ついついその気になってしまいやすいものです。そういうことで、人肌脱ぐ気になって、実際うまくいくこともありますが、最後はどこか別の医院へ患者さんが受診して、「前の先生はひどいものでした。」と話の種になっている場合もあります。
自分以外の医者は、みんな名医だと思っていれば、そんな間違いを犯さなくて済みます。
でも、そんなことばかり考えていたら、まあ、元気は出ませんね。



7月X日

今日受診した患者さんは、お母さんと一緒の受診でした。
本人が言いました、。
「最近、とても調子が良いです。よく眠れて、気分もすっきりして、身体も動きやすいですし、何だか治ってきたみたいです。」
「なるほど。」
「でも、毎食の後薬を飲むと、それからしばらく、とても眠いのです。どうも薬が多いのではないでしょうか。できれば少し減らしてもらいたいのですが。どうでしょう。」
私は、少し警戒しながら、「薬を減らした方が良いのかなあ。」とつぶやきました。
そして、チラリとお母さんの方を見ました。
お母さんはニッコリしています。
「では、少し薬を減らしましょうか。」
もう一度、お母さんの顔を見ました。
お母さんはやっぱり、ニッコリしています。
症状が良くなって、安心しているようです。
「では、そうしましょう。」
薬を変更して、カルテに書き込みました。
患者さんは「ありがとうございます。」と頭を下げて、診察室を出ました。
お母さんも一緒に出ようとして、ちょっと立ち止まり、
「先に行ってて。ちょっと先生にお話があるから。」と患者さんを送り出しました。
もう一度、座り直して、お母さんは深刻な表情になりました。
「先生、このごろ調子が全く悪いのです。薬を増やしてください。」
私はびっくり。
「えっ!良くなっているのじゃないのですか。元気そうじゃないですか。」
「診察室の中だけですよ。家ではひどいものです。」
「でも、薬を減らすと言ってしまいましたよ。」
「そこを何とかして下さい。」
「だって、薬を減らすと言ったときに、お母さんはニッコリしてたじゃないですか。」
「あの子の前で、調子が悪いなんて言ったら、ぶったたかれますよ。」
「そんな無茶な。」
「先生なら、それくらい察して下さい。」
「う〜ん」 (そう来たか。)




7月X日

ひさしぶりに受診した患者さんとの話です。

「随分、受診がなかったけれど、お薬はどうしていたのですか?」

「以前、飲み忘れの薬があったからです。」

「薬を勝手に減らすのは良くないですねえ。それで、あとどれくらい残っているのですか?」

「はあ、2〜3人前ですね。」

「???」

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