診療日記(2005, 6, 13 更新)


この日記は、医院での診療の様子をお伝えするものです。ホームページを見て、受診した患者さんから、日頃の診察の様子や、医者がどんなことを考えているかがわかると、受診する時の参考になるということで、このコーナーを開設しました。



6月X日

随分昔のことになるけれど、薬を大量に飲んで、自殺未遂をした患者さんがいました。
知らせを聞いて、病院に駆けつけたのですが、本人は昏睡状態で、まったく反応を示しません。
心配そうに病室に付き添っている家族のそばに立って、わたしはしばらく無言のまま、彼の顔を見ていました。
一言もしゃべらず、病室を離れました。
その患者さんが、意識を取り戻して始めていった言葉が、「先生が来ていたでしょう。」だったと聞きました。
昏睡状態の中で、どうしてわかったのだろう。
それほど、助けを求めているんだなあと、痛いくらいの思いがしました。

後日談は、その患者さんは、半年ほどしたら、別の病院に変わってしまったということです。
理由は、「近所の病院が便利だから。」
たぶん、その患者さんは新しい病院でも、きっとすばらしい主治医を発見しただろうt思います。
素直に主治医を信じられる人は、どこでも信ずるに足る医者を発見できるだろうと思います。

こころから医者に感謝を述べられる患者さんは、回復も早くて、
すぐに来られなくなるのが一般です。



6月X日

言葉を全くしゃべらない人に会いに行きました。
顔を見ると、咳き込んで、緊張がひどいようです。
いろいろしゃべり掛けても、まったく落ち着きません。
どうしたものかなあと考えてみて、ふとその人の手をとりました。
すると、すっと咳が止まりました。
相手の手がこちらになじんでくるのを感じました。

精神科の病棟で仕事をしているときは、こんな体験ばっかりだったなあと思いました。
久しぶりの体験です。
診療所で仕事ばかりしていると、精神科医の腕が鈍るなあとちょっと感じました。



5月X日

アカデミー賞を取った『ミリオンダラー・ベイビー』を見ました。
クリント・イーストウッドが渋い演技ですねえ。
主演のヒラリー・スワンクを良いし、モーガン・フリーマンも味がある。
アカデミー賞を取るのも、当然なのかも。
一般公開は28日からですかね。
是非ご覧になると良いです。
深みのある映画です。
おすすめ。

クリント・イーストウッドはアイルランド系なのかなあ。
知っている人教えて下さい。

5月X日

私は出勤は自転車でのことが多い。
雨が降らなければ、基本的に自転車を利用している。
ある時、夜道をたどって家路を急いでいると、暗闇から、箒を握った男性がヌッと現れて「お帰りなさい。」とつぶやいた。
お帰りなさいと言われるほど、近所のことでもないので、何かの間違い、たぶん人間違いだと思った。
ところが、それから1週間おきぐらいに、その男性、と言ってもおじいさんという感じなのだが、その男性から「お帰り。」と言われるようになってしまった。
午後8時頃なので、たまたま道路の掃除をしていたとも考えにくい。
おまけにそこらあたりは街灯も少なく、暗闇に近い。
どういうことなのか、不明だけれど、お帰りと言ってくれる人が現れたのである。
もう20年ぐらい自転車で走っている道なのに、突如、どういうことでそうなったのか。
生きていると、不思議なことがあるものです。



5月X日

医院が手狭になっていたので、転居を考えていましたが、このたび、近くの紫竹上梅ノ木町17−5に引っ越しすることになりました。
今日は、元の医院での最後の日となりました。
長年住み慣れた場所を移動すると言うことは、どうしても寂しさが残るものです。
最後はBGMで蛍の光を流して、みんなで合唱して終わりました。
移転のため、5月19日と20日は休診いたします。
21日からは新しい場所で、再出発いたします。
皆さん、よろしくお願いします。



5月X日

次のような新聞記事を見付けました。

<全盲男性>医師国家試験に合格…臨床研修、門戸開かず

 全盲者として全国2人目の医師国家試験合格者となった茨城県ひたちなか市の大里晃弘さん(50)の臨床研修を受け入れる病院が見つからない。研修の履修診療科が増えたこともあり、視覚障害者の研修に対応できる病院がないためだ。医師法では、診療行為をするには2年以上の臨床研修が必要。大里さんは「このままでは、夢だった精神科医になれない」と頭を抱える。厚生労働省も「制度の“谷間”といえる。相談に乗りたい」と欠陥を認め、対応に乗り出す構えだ。【土屋渓】
 大里さんは東京医科歯科大在学中に視力が低下し始め、82年に同大を卒業して数年で全盲になった。当時、視覚障害は医師の「絶対的欠格条項」に該当。医師国家試験を受けられず、マッサージ師の資格を取って生計を立てた。01年の医師法改正で点字でも受験できるようになったため、大里さんは問題集をボランティアに読んでもらって点字パソコンで書き取るなどし、3度目の挑戦で今年合格した。
 昨秋から臨床研修の受け入れ病院を探している。医学部生は全国約1000カ所の「臨床研修指定病院」と大学付属病院から研修先を選ぶ。選考試験を受け、医師国家試験を受ける前年秋には内定するのが普通という。
 大里さんは昨秋、母校に電話で「研修を受けられないか」と相談したが、点字の選考試験もなくあきらめた。問い合わせた民間病院数カ所も「視覚障害者への特別な配慮はしていない」。現在は、県を通して受け入れ病院を探しているという。
 厚労省によると、03年に全盲で初めて医師国家試験に合格した男性は、既に臨床研修を終えて関西の大学病院に勤務中。しかし、当時は内科など一つで済んだ履修診療科が04年度開始分から計7診療科に増え、ハードルが一段と高くなった。
 同省は「視覚障害者が健常者と同様に7診療科の臨床研修を受けるのは無理がある。現制度は視覚障害者の履修を想定していない。専門家の意見によっては見直しも必要」と話す。大里さんは「国家試験に合格しても臨床研修ができなくては何にもならない。何らかの配慮をしてほしい」と訴えている。
 ◇例外規定も必要
 ▽医事評論家の水野肇さんの話 率直に言って、医師の仕事の中には、目の不自由な人にはできない分野はある。しかし、精神科は可能だと思う。国家試験に合格して基礎的能力は持っているわけだから、臨床研修について、何らかの例外規定を設けるべきではないか。このままでは、ハンディキャップを克服して国家試験に合格した人を裏切ることになってしまう恐れがある。

(毎日新聞) - 5月13日16時20分更新

精神科医は視力がなくてもやれるのか。
ちょっと考えると、難しいようにも思います。
たとえば、相手の心理を把握するのに、その人の表情の変化をつかむということは、とても重要だと感じます。
しかし、目の見えない人は、相手の声の微妙な変化を聞き取って、相手の心理を把握できるという話を聞いたことがあります。
視覚の問題を、別の感覚が補うということなのでしょう。
その場合は、一般の精神科医の依拠している診断感覚、治療感覚とはまた別の感覚が開発されていくのかもしれません。




5月X日

この連休は、井上靖文学の原点である、沼津市や伊豆湯の島を訪ねてみました。
そこでの印象はまた別の機会にしますが、ついでに寄ってみた千本松原でみつけた石をご紹介します。

千本松原は、富士山から流れ出た岩石が砕かれて、丸い石となって海岸に敷き詰められています。
その中には、色々な石があるのですが、ラッキーリングと呼ばれる円の形の模様がついたものがあるのです。
そういう石を探してみたのですけれど、写真のような石を見付けました。
禅宗のお坊さんが描く円相に似ていますね。
自然が描いた円相ですね。
よく見ると、お坊さんの描いたものより味があるような。
自然の力は偉大ですねえ。





5月X日

連休なので、ひさしぶりにホームページのリラックスコーナーのまぐまぐ通信を更新した。
メールの中から、当該部分を抽出して編集するのにも、結構時間がかかってしまう。
最初のころは、まぐまぐ通信のなかの笑い話がおもしろくて、笑いながら更新していたけれど、
4年目になると、内容的にもややマンネリ化して、時間をかけて更新するのも退屈になってしまう。
それでも、まあ、笑いは元気のもとだと思って、やっているのですけど。
最近ちょっと、このコーナーを読んでいる人がどれくらいいるのか疑問になることもある。
読者のみなさんいかがでしょうか。


5月X日

山本真理さんからのメールで、障害者自立支援法の資料を教えてもらいました。

厚生労働省による年金の級別人数資料も含まれています。
http://popup.tok2.com/home2/nagano2/050428nekin.htm

最近、障害年金の等級や障害者手帳の等級が変更になることが多いと思っていましたが、
事実その通りだったのです。
障害者手帳の診断書など、前回と同じ内容だと、必ず等級が軽くなります。
実に、おかしな話です。
障害には悪化と改善しかないというとらえ方です。
現状維持は改善と見なすのでから、あまりひどい決めつけです。


4月X日

今日は、電車で移動中に空を見ると、五色の雲が見えました。
慶雲とか瑞雲とよばれる現象です。
早速、携帯のカメラで撮りました。
見にくいとは思いますが、ご覧下さい。
ビルの上の方に横に虹のようにかすかに見えます。
本当はもっと鮮やかだったのですが、残念です。
巻雲の縁に沿って見えています。

これと同じ現象を、ずいぶん前に、
ブータンを旅行したときに見ました。

珍しいと思ったのですが、調べてみると、実際は良くある現象みたいです。







4月X日

精神保健福祉法32条関連で、高槻市議会の決議を入手しました。
ご紹介します。
京都市にも、こういう動きが出ると良いのですが。

大阪府高槻市議会の意見書
   
  
「障害者自立支援法」に関する意見書
国は、本年2月10日「障害者利実支援法」を第162回国会に上程し、その成立を目指している。本法案は、現行支援費制度の応能負担野考え方を一変し、障害者に対する福祉サービスや公費負担医療について、利用者から10%の定率負担を求めることがその根幹となっている。
こうした負担が障害者及びその家族に与える影響はきわめて深刻であり、これまでのノーマライゼーションの理念のもとに自立と社会参加を進めてきた障害者施策を大きく後退させることも懸念される。
しかも障害者施策を根底から変革しようというこの動きは、昨年10月に「今後の障害者保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)」が示され障害当事者との協議もほとんど行われないまま、実施に移されようとしており、福祉の最先端である市町村において非常な混乱をもたらしかねない。
したがって、国においては障害者の暮らしを守り、自立と社会参加のこれまでの施策を後退させることのないよう、拙速な定率負担の導入については障害当事者、関係者、地方自治体との十分な協議を行うよう、強く要望する、以上、地方自治体法第99条の規定により意見書を提出する。
   平成17年 3月24日
                                           高槻市議会



4月X日

ホームページの更新が少ないとの声がこのごろ届くようになりました。
頑張って更新していくようにします。
よろしく。

昔、病院に勤めていた時の話です。ある患者さんがこう言いました。
「先生も良く回復しましたねえ。」
私は思わず聞きました。
「と言いますと。」
「先生もここに入院していたんでしょう。だから、よく回復したなあと思って。」
「いや、入院していませんが。」
「ウソでしょ。入院してたんでしょう。」
「そういうことはないですが。」
「入院していたことがあるから、こんなに患者のことがわかるんでしょ。」
「う〜ん。」

こう言うときは、返事に困りますねえ。
入院していなかったという事実を強調しても、相手の求めるものに答えたことにならないし。
しかし、事実と違うことを述べても意味はないし。




3月X日

ある患者さんが私を見て、こう言いました。
「先生は、小泉首相に似ていますねえ。髪型がそっくりです。」
私は答えました。
「ありがたいけど、私はあまり小泉首相が好きじゃないのですよ。」
患者さんは言いました。
「これは失礼しました。」
それから2週間ほどして、患者さんはまた言いました。
「先生は、小泉首相に似ていますねえ。髪型がそっくりです。」
私は答えました。
「あの〜。私はあまり小泉首相が好きじゃないのですよ。」
患者さんは言いました。
「ああ、そうでしたね。」
それから2週間ほどして、患者さんはまた言いました。
「先生は、小泉首相に似ていますねえ。髪型がそっくりです。」
私は考えました。
う〜む。
この人はいったい何が言いたいのだ。



3月X日

公費負担制度の縮小に対しては、いろんな批判が出ています。
私自身の経験でも、医療費が無料であると言うことで、やっと治療にこぎ着けたという例は少なくありません。患者さんの中には、自分の病気を受け入れられない例も多いです。
病気と思われるだけでもいやなのに、さらにお金まで出さないといけない。
それなら、治療など遠慮しますという場合は、意外と多いと思います。
自分だけ我慢しておけばよいだろうという話になります。
さらに問題なのは、家族が病気に理解がない場合です。
精神的な疾患を、本人のわがまま、根性の不足、甘え、といった風にとらえている家族は少なくありません。
医療費を出して欲しいと患者さんが要請しても、協力は得られません。
当然、治療中断になってしまうでしょう。
そういうことの結果、生み出される社会的不利益がどれくらいか、予想することは難しいでしょう。
しかし、確実に存在することは、どういう精神科医でも断言できると思います。
現実の精神医療に身を置く者にとって常識とすら考えるられることを、制度の不均衡という形式を重視して、無視することは実に危うい行動です。




3月X日

インターネットのホームページに下記のニュースがありました。


<精神障害者団体>公費負担削減反対の署名21万分提出

 精神障害者の外来通院治療について、厚生労働省が自己負担割合を現行の一律5%から、所得に応じて1〜3割に引き上げる方針を示している問題で、精神障害者団体が11日、公費負担削減に反対する21万3156人分の署名を厚労省に提出した。引き上げは今国会で審議予定の「障害者自立支援法案」に盛り込まれている。(毎日新聞)



医院でも、この署名には協力しました。
できるだけ、今後も協力していきたいと考えています。
また、この署名とは別に、厚生労働省にメールで意見を起こっています。



3月X日

ある患者さんは、私が死んでしまったら、自分はどうなるのか心配でならないと言います。
なんとかしてくれ、不安でしょうがないというのです。
私ほど信頼できる医者はいないというのです。
色々考えていましたが、良い考えがありません。
それで、とうとうこう言いました。
「私が死んだら、幽霊になって出てきて、治療してあげます。幽霊だから、治療費は取りませんから。」
それを聞いて、患者さんは納得してくれました。
「そうですか、幽霊になって診てくれる。そうですか。」
それから、その患者さんは、私が死んでからどうなるかという不安を訴えなくなりました。

生きている間だけでなく、自分が死んでからだってあなたを治療します。
普通だったら、気持ち悪いと言うでしょうね。

ときどきは、なくなってしまった患者さんを思い出して、
呼びかけていることもありますから、相手が死んでしまっても治療している場合があるでしょう。
医者も死んで、患者も死んで、それでもどこかの世界で、二人の間に治療が進行していくということもあるのではないでしょうか。



3月X日

この日記に書いた、「南セントレア市」という地名はなくなりましたね。
住民投票の結果ですが、市長だとか市議会議員などの感覚が住民とずれているのでしょう。
そもそも合併自体がなくなったのですから、おかしな話です。



3月X日

医学部の学生になって、はじめての外来実習に出たときのことです。
内科の外来で、初めて受診した患者さんの診察をしました。
20代の新婚一ヶ月目の男性が患者さんでした。
会社の集団検診で、大きな病院で診てもらいなさいと指示されて受診したというのです。
身体の診察のとき、鎖骨の上に硬いリンパ腺が触れました。
それはウイルヒョーの転移と呼ばれている胃ガンの転移です。
この年齢では、すでに手遅れでしょう。
分担して診察当たっていた私たち学生は、深刻な表情をしてしまったと思います。
患者さんは、私たちを見て、何の疑いもなく、「あはは、どうしたんですか。早くやってください。」と言いました。
その時、私は医者になるというのは、こういうことをこれから体験していくということなのだなあと思いました。
とてつもないものの前に、無力なまま立たされるということです。
いろいろと難しい患者さんを受け持ったときに、そのころのことを思い出します。



2月X日

今日は、久しぶりに医院のホームページを見てみましたら、何カ所かリンク切れの部分がありました。
時々注意をして見るようにしているのですが、ファイルの更新の時などに、不注意でリンク切れになるようです。

皆様お気づきの点がありましたら、メールでお知らせ下さい。



2月X日

 厚生労働省のHPに、2月16日、「障害者自立支援法案について」が掲載されました。要綱には、「自立支援医療(公費負担医療)」という表現が取られています。ちょっと前までは、福祉サービスという言葉が基本だったのに、今では、自立が前提のような雰囲気です。平成14年から始まった「居宅生活支援事業」も十分行き渡っていないのに、あまりに乱暴なやり方ですね。
医院では、通院患者さんの意見を募って、適宜、厚生労働省へ抗議のメールを送っていく予定です。

野人観察日記といHPを見付けました。ご参考まで。



2月X日

ある日の診察風景。

Aさん。
「先生! 
 私は、残業があるような職場には勤められません。
やはり、定刻に始まって、ちゃんと定刻に終わる職場でないと駄目です。
労働時間が決まっていないと駄目なのです。
どういう職場が向いているでしょうか。」

私 「うーん。帝国ホテルはどうかな。」

Aさん「????」



2月X日

障害者自立支援法に関する報道が少しずつ出ています。
紹介させて頂きます。

社会人必読の闘病&癒し追求記録?(2005年1月18日) 「32条改悪進行状況」

全日本難聴者・中途失聴者団体連合会事務局ニュース(2005年1月25日) 「第24回社会保障審議会障害者部会開催」

全日本難聴者・中途失聴者団体連合会事務局ニュース(2005年1月31日) 「自民党障害者問題特別委員会結論を出す」

朝日新聞(2005年2月10日) 
「障害者自立支援法案を閣議決定 今国会提出へ」

毎日新聞(2005年2月13日) 
「障害者自立支援法:今国会に提出 新法の背景と課題」



2チャンネルの掲示板・反対運動の動向です。【廃止】32条廃止反対運動情報【反対】

32条改悪反対のホームページ  
32crusader


== ・32条見直し作業に反対するブログ・リンク集・ ==




衆参両厚生労働委員会の委員へ抗議のメールを送るためのメールアドレス集もあります。ご利用ください。




2月X日

障害者の自立支援法という言葉が欺瞞的だと書きましたが、最近、愛知県美浜町と南知多町の合併によって生まれる新しい市の名前に、「南セントレア市」という名前が候補になっていると知ってびっくりした。
どうして、日本の地名に意味不明のカタカナが使われるのか。
日本人は、カタカナがかっこいいとでも思っているのか。
何やらアメリカ風であると、進歩的でおしゃれだと思うのか。
言語感覚がおかしいとしか言いようがない。
実になげかわしいというか、日本人は日本文化を恥じるようになっているのだろうか。
こんな風潮を知ると、今後は治療場面で、英語だとか、カタカナを使うのをやめようかなと思ってしまう。
日本人のこころを理解するのに、一度アメリカの概念をくぐらないといけないなんて、どうかしています。




2月X日

今日の報道によると、障害者自立支援法案が閣議決定されたという。
地域で暮らす精神障害者にとっては、精神保健福祉法32条の改悪としか思えません。
自己負担分の拡大で、実質的には医療抑制をはかるものでしょう。
あるいは、公的医療保険から精神障害を分離して、将来的に介護保険との合体をねらったものと言えましょう。
一番影響が高いのは、デイケア、ナイトケアなどの地域サポートでしょう。
精神科への入院は、短期間しか認められない傾向です。
過去、長期入院の弊害が大きかったのは事実ですが、今度は理由の遺憾を問わず、短期入院一点張りです。
地域で暮らしていくには、今後社会資源が使いづらくなっていくでしょう。
結局、家に引きこもるか、無理でも就労するしかないという方向に全体が向かっているようです。
無理矢理の社会参加が、どういう結果を生むかは、容易に想像できます。
障害者自身への負担増と、病状の悪化、周囲の人々への苦痛をもたらすだけでしょう。
そうした性格を持つ改悪法案が、「障害者自立支援法」という名前なのですからびっくりです。
自分の財布から医療費を出すと言うことが、「自立」で、それを推し進めるのが、「自立支援」というのですから、おそろしい話です。
ところがおかしいことに、自己負担の基準は障害者自身の収入にではなく、所帯全体の収入なのですから、障害者が家族への依存度を高めることになっても、とても自立を進めるものではありません。
耳障りの良い「自立」などという言葉を使うのは、本当に欺瞞的です。
つかさき医院でも、反対の署名に取り組んでいます。



1月X日


精神神経学会の就労問題に取り組む委員会に参加しました。
以前から、精神神経学会の各種委員会には参加していたのですが、
最近は多忙のため、なかなか参加できず、申し訳ない限りです。
今回は、この春に学会の総会で、就労支援のシンポジウムが行われるので、
その打ち合わせの作業が中心でした。
精神障害者の就労支援については、全社会的取り組みは遅れています。
大きな問題は、精神障害者の就労支援が、身体・知的障害者の就労支援をモデルにしており、
精神障害の特殊性が十分配慮されていない点です。
これは、精神医療の側からの発言が弱いことも原因しています。
精神障害者の就労支援にあっては、労働という側面、福祉という側面、医療的な配慮という側面があり、それらがかみ合っていかないとうまくいきません。
労働者という側面だけでは、医療的な働きかけが抜けてしまう。
医療という視点で、リハビリテーションということのみを強調すると、
報酬を手にして初めて労働であるという観点がなくなる。
また、福祉的裏付けがないと、経営的に困難になる。
それぞれ、単独では解決できません。
行政が、縦割りであること、総合的視点を持つ人が少ないこと、障害者自身の発言が弱いことなどが、問題でしょう。
なかなか一朝一夕には変わりませんが、総合的視点の必要性を訴えていくことが大事だと、改めて確認したような次第です。




1月X日


今日は休日なので、インターネットで色々と情報を見ています。
スマトラ沖地震の情報をホームページで見ていて、被災者の記録を発見しました。
すごい話です。
本当に色々なことを考えてしまいました。
是非みなさん、直接読んでみてください。

スリランカ津波被害者の手記

「津波より怖い日本大使館!」という一節がありました。
外務省は何をしてるのかと考えてしまいます。

モルジブで被災した人のblog

嘆き@日本のマスコミの無能ぶり。
嘆きA日本人の危機意識・互助精神の無さ。など。



1月X日

ホームページのキリ番ですが、70000番目の人は、わからずじまいでした。
これまでは、名乗り出てもらったのですが、今回は、ご自分でもお気づきではなかったのでしょう。
80000番目の方は、是非ご連絡下さい。
キリ番がなければ、前後賞でも、もっともキリ番に近い人に、賞品を差し上げます。



1月X日


医院のデイケアでは、年に何度か、イベントの際に、デイケアルームにデコレーションをします。
この前も、色紙で鎖を作って、壁に飾りました。
メンバーはこの色紙の鎖を「わっか」と読んでいます。

いつも、60代という年齢をものともせず、お化粧をばっちり決めているAさんも、イベントの前に鎖作りに余念がありませんでした。
傍らでは、30代のBさんが、ソファーに寝ころんで、ぼんやりしています。
Aさんは横目でそれを何度もチラチラと見ていましたが、やがて、ちょっと非難がましく、「Bさん、貴方もわっか作りして!」と言いました。
するとBさんは、「私は、もともと若いですから、若作りなんかしませんよ。」と答えました。
Aさんは「????」


1月X日

 昨年末から、精神科通院医療費の公費負担制度の見直しが報道されています。
 12月14日に行われた、
第22回社会保障審議会障害者部会で、厚生労働省の案が明らかにされたからだと思います。
その案によれば、遠からず、一定以上の収入のある家庭で暮らす精神障害者は、自己負担を三割にするとのことです。
 デイケア利用者の平均的医療費から言うと、月4.5万円の負担となります。
ナイトケアを利用している人では、さらに負担が増えますから、障害年金の月額より多くなってしまう場合も出てくるでしょう。
 一定以上の収入のある家庭に暮らす人にとっては、現行の医療サービスは極めて利用しにくいものとなるでしょう。
 医療的援助を受ければ、状態が改善することがわかっていながら、医療を受けるより、引きこもっていた方が、家族への負担が軽くなると言うのは、本末転倒でしょう。
 今回の案では、2〜3年の間は、経過措置を行って、調整するようですが、こういう案が出されると、新たにデイケアを開設しようとする動きは極めて制限されたものになるでしょう。
 そもそも、精神医療を視覚障害、聴覚障害、肢体不自由、内部障害 等が対象の更生医療、育成医療と並列して、不公平是正という議論をすることも、うなずけません。
 障害の意味や、医療の意味が違うと感じられます。おそらく政治的な紆余曲折を経て、落としどころがあるのでしょうが、これ以上、精神科のリハビリテーションを医療の範囲で拡大したくないという意図は明らかだと思います。
 障害者への対策を考えるに際して、介護保険の導入が当分見込めないと言うところから、出ているのでしょうが、十分な国民的議論をせずに、制度を動かすことで、政策的な誘導をはかる態度は、極めて疑問を感じます。
 医療費負担を、心配しないでも生きて行くには、そんな負担など気にならないくらいの高額所得者になるか、生活保護世帯になるしかないのだとしたら、恐ろしいことです。



日本精神神経科診療所協会 32条改悪に関する決議も参考に。


ネット上で、反対運動の署名簿もダウンロードできます。
団体の呼びかけの内容もご紹介しておきます。

<以下、引用>

署名呼びかけ団体/ 全国ピア・サポートネットワーク() NPO法人こらーるたいとう大阪精神障害者連絡会(ぼちぼちクラブ)、福岡県精神障害者連絡会 熊本県精神障害者団体連合会、大阪精神障害者家族会連合会   (2004126日現在) 

なにが問題か?

1.精神科通院は「一般的な疾病」になったのか?:実態の背景についての認識不足

→今回の公費医療負担見直しの背景として、「精神科通院公費の対象者が急増し、一般的な疾病になった」と政府は説明している。確かに精神疾患を持つ人が増えたことは事実だが、果たして地域での精神障害者に対する偏見のまなざしや差別はなくなったか?病院の敷地内に囲い込まれてきた人は減ったのか? 治療薬が見つかりながらも、長年、退院させず社会的入院を約10万人近く生み出し生きる力をそぎとってきた、国の責任は、何ら明らかにされていない。

2.所得保障と地域サービスが不十分なのに医療負担だけ一般並にすることの問題点

→精神障害者は医療費を払うのが嫌だ、と言っている訳ではない。だが、精神障害者の中には年金と作業所の工賃のみで暮らしている人が多くいる。月額6万数千円の基礎年金だけで家賃や食事代や様々な日用品費をまかなっている人も多い。そういった人々に対する所得保障が何ら検討されていない。また、多くの精神障害者が地域で安心して暮らすための福祉サービスの拠点も、他障害に比べて遥かに少ない。そんな現状の中、負担のみを一般並にすることは、多くの精神障害者にとって生活破壊につながる。

3.32条の歴史的必要性について

→そもそも公費負担は強制入院の解除後、地域で医療につなぐための社会防衛システムとして作り出された。そして、32条利用者は、保健所からの訪問や監視を受けてきた。一方、我が国の精神科医療は36万床と世界的にも類のない大きな病床を持つに至っている。病院の敷地の中しか歩けない処遇を多くの人が強いられ、生活能力をそぎ落としてきた。退院後も地域で生活していく自信を取り戻すことすら大変な現状である。そうした環境にある精神障害者が、孤立しないために、通院公費負担制度は必要不可欠な唯一の実質的な補償であった。

4.32条の削減よりも、まず改革すべきは精神病床の大幅削減。順番がちがう。

→イギリスやスウェーデンは日本の人口比に換算して7〜8万床のベッドしかない。一方、日本では約7万床の削減すら、10年かけてやっと、という実態。不必要な措置入院の長期化の実態など、改革すべき点は多くある。ニーズ調査では地域に受け皿さえ在れば退院可能性のある患者が入院患者の全体の半数を占めているとの報告があった。財源の話ならまず半減させることの方を急務とすべきではないか。

5.グランドデザインの成立過程は「まず財源削減ありき」で、あるべき障害者福祉像の議論がない。

→公費負担を継続するかどうかの基準として、「重度で継続して医療費負担の発生する者」をGAF30という線で引いている。このGAFとは、精神科医が診断の場面で使う、統計学に基づいた「機能の全体的評定尺度」であり、本人の生活実感に基づく尺度ではない。このGAF30というラインは、外来通院をしている人の中では、ごくごく例外的な重傷の人に特化しようとしており、問題である。本当に医療が必要な人達、地域で友人もなく引きこもっている人達などの声なき声がつぶされようとしている。GAF30の基準で考える、ということは、使える対象者を激減させること以外に目的が見て取れない。

6.肉親の扶養義務の強化につながる

→この見直し案の中で厚生労働省は、成人した障害者本人の収入のみに基づく支援のあり方を否定し、生計を一にする家族の扶養義務を打ち出している。この姿勢は、障害者や子ども、老人など働いていない人の面倒は家族がみることが前提とした議論である。国際障害者年以降、厚生労働省が障害者と一緒になって積み上げてきたはずの、障害者福祉の成果に逆行している。

 グランドデザインでは扶養義務や保護者責任をいつまでも実質的に背負わされ、家族による精神障害者殺しや自殺、再入院が継続することにつながる。

7.利用者主体の原則はどこに?

→精神科の薬を飲みつつ、症状と二人三脚で、自分なりの地域での暮らしを彩りゆたかにつくりだそうとして、各人が各地で歩んできた。1984年の宇都宮病院事件以来、世界的に批判されて、ようやく重い腰を上げた精神障害者への福祉施策。それらの成果が、「カネがない」のひとことで否定されていく。今回の問題の根底には、サービス利用者本人の意思を聞く姿勢(形だけでなく、本心)がない。

 精神障害を抱える本人にとっては、通院医療費は地域での福祉サービスと同等の重みを持つ、大事なサービスで、この生きづらい精神障害者への偏見の拡がりの中にあって、唯一の国家補償であった。

これを医療保険の尺度のみで考え、「生計を一にする者」の収入により削減対象を広げるということは、精神障害者本人の主体性を奪うこととなる。

「私達抜きで、私達のことは、なにも決めないで!」

 <引用終わり>



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