この日記は、医院での診療の様子をお伝えするものです。ホームページを見て、受診した患者さんから、日頃の診察の様子や、医者がどんなことを考えているかがわかると、受診する時の参考になるということで、このコーナーを開設しました。かなり、面倒なので反響が乏しければ、消滅する場合もあります。悪しからず。
7月X日
引用始まり=================
精神鑑定は公判前1回、責任能力結論出さず…裁判員制で原案
来年5月に始まる裁判員制度に向け、被告の責任能力に関する精神鑑定のあり方を検討した最高裁の研究報告の原案が1日、明らかになった。
裁判の長期化を防ぐ目的から、原則として、鑑定は公判に入ってからは行わないようにするほか、鑑定結果が裁判員の判断に必要以上の影響を与えるのを避けるため、責任能力の有無などの結論には踏み込まないよう求めている。
最高裁は今秋までに、現場の裁判官の意見も踏まえ正式な研究報告をまとめ、裁判員裁判の新たな指針として活用してもらう方針だ。
刑法は、被告が犯行当時、精神障害によって刑事責任能力がない状態(心神喪失)なら無罪、責任能力が著しく低下した状態(心神耗弱)なら刑を軽くすると定めている。
警察庁の統計によると、裁判員制度の対象事件のうち、殺人、放火事件(年間計約1000件)の容疑者の約1割は精神障害、またはその疑いがあるとされる。
従来は、公判開始後に裁判所が精神科医に鑑定を依頼するため、例えば、「幼女連続誘拐殺人事件」の宮崎勤・元死刑囚の公判のように、最初の鑑定意見を不服とした側から再鑑定が請求され、審理が長期化することがしばしばあった。
また、鑑定医は精神障害についての医学的判断にとどまらず、責任能力があったかどうかという結論にまで言及するケースが多く、鑑定意見と実際の判決が食い違うこともあった。
東京・渋谷の夫殺害事件では、鑑定意見が三橋歌織被告(33)(控訴中)を「心神喪失状態」としたのに対し、東京地裁判決(4月)は完全な責任能力を認め、懲役15年とした。
こうした精神鑑定の運用だと、裁判員に負担がかかり、わかりにくいことから、最高裁の研究チームが新たな運用方法を検討。
まず、鑑定を実施する時期は公判前とし、公判開始後の鑑定は極めて例外的な場合を除き認めないとした。
公判前整理手続きで、裁判所が検察、弁護側双方の意見を取り入れ、鑑定人を選ぶ。
鑑定結果の示し方については、精神医学の専門家が責任能力の有無に明確に言及すると、裁判員に対する影響が極めて大きいと指摘。
犯行時の精神状態や精神障害が犯行に与えた影響など、医学的な所見の報告にとどめ、「心神喪失」などの法律判断を結論として示さないよう求めた。
また、起訴前に検察側が2〜3か月かけて鑑定を行った場合は、弁護側から問題が指摘されない限り、起訴後に新たな鑑定を行う必要はないとしている。
(2008年7月2日03時04分 読売新聞)
引用終了================
(コメント)
精神鑑定には色々な問題があるけれど、裁判員制度の導入によって、問題が単純化されて処理されるおそれを感ずる。
「精神医学の専門家が責任能力の有無に明確に言及すると、裁判員に対する影響が極めて大きい」とは言うものの、現実はそう簡単には動いていない。
判決はその社会的な影響を検討しながら、出されているのが現実だ。
精神科医の判断が、そのまま判決につながるということはありえない。
そもそも、犯行時の精神状態を事後的に想定することには、種々の無理がある。
それを何とか判定しているのが実情で、専門的な検討を経た結果が、一般の人に理解しにくいのは当然だろう。
そこをわかりやすくすると言っても、そんなことが可能なのか疑問に思う。
精神科医が「「心神喪失」などの法律判断を結論として示」してきたのは、裁判官が鑑定書を読んだだけでは、何のことかわからないので、結論を簡潔に表すために付記されてきたものだ。
その付記を取りやめるというのは、素人の裁判員の方がが法律専門家の判事を越えた、専門的な判断を持てると言うことになる。
あまりに乱暴な考え方だ。
精神医学の歴史には精神鑑定が大きな役割を果たしてきている。
診断一つによって、被告人の運命が決まるとすれば、その診断に厳密さが求められることになり、診断技術も磨かれてきたという歴史がある。
もし、精神科医の診断が、参考資料の一つとされ、一般人の常識が判断基準ということになれば、精神科医の専門性も求められなくなり、長期的には精神科医の診断技術も、当然のこととして低下してしまうだろう。
このことの不利益は、裁判の迅速化で得られる利益より大きいと思える。
6月X日
今日は、精神科診療所協会の総会と学術研究会に参加しました。
朝、9時から夕方5時まででした。
ランチョンセミナーというのが、あって昼ご飯を食べながら講義を聴くという趣向があり、
結局8時間休みなしに、講義を聴いていました。
昼の弁当代も参加費に含まれていて、ぼんやりしていると弁当を受け取ってしまい、
食べる場所は、会場しかない。
結局、講義を聴くしかないのです。
紙パックのお茶をストローで、すって。
ご飯がいつまでも消化しない感じ。
結構つらいものがあります。
今回のテーマは、発達障害、ひきこもり、ニート、うつ病、就労支援という感じです。
東京大学の玄田有史という先生が、「世の中のことをあまり暗く考えるのは、良くない。」という立場から、
志村けんの「だいじょうぶだ〜あ!」を評価しておられました。
医院のホームページに載っている私の似顔絵はふきだしに「だいじょうぶ」と書いてあります。
私も、前から志村派だったようです。
6月X日
外来の患者さんの中には、医院のホームページを読んでおられる方もあります。
この前、診察の時にその感想が出ました。
「最近、蛙の鳴き声の話が出ていましたね。
なかなか、よかったですね。
先生もたまには、まじめになることがあるのですね。」
「はあ〜。」
「まるで、精神科医みたいでしたよ。」
「う〜ん。」
6月X日
読者から、診療日記のつばめ食堂の写真が、出色の出来だとほめられました。
どこが良いのか。
私的には、桜の下で競馬新聞を読んでいるおじさんの写真も良いと思うのですが。
6月X日
映画「かもめ食堂」の事を書きましたら、この前外来の患者さんから、「『めがね』が好きだなんて、よほどの変人です。」と言われました。
そうかなあ。
変人かなあ。
何はともあれ、近所で「つばめ食堂」を発見しました。
この分だと、探せば「からす食堂」「すずめ食堂」もありそうですね。
5月X日
今日は出勤の途中に車から見た西の空に虹が出ていました。
おもわず、携帯でぱちり。
こんな地平線すれすれに虹が出るなんてねえ。
自分の目で見ないと信じられませんねえ。
5月X日
最近送られてきたある学会誌に三人の精神科医の話が載っていました。
小此木啓吾談「フロイトの背中に乗れば、フロイトより遠くが見える。」
なだいなだ談「フロイトの背中が邪魔して向こうが見えない。」
北杜夫談「フロイトの股の間から見れば、差し支えない。」
まあ、それぞれですねえ。
私はフロイトは文句なしに偉大だと思います。
生きていれば、会いたかった人ですね。
私の生まれたときには、もう亡くなっていましたから、会える可能性はありませんでしたね。
フロイトの弟子ですごいと思うのは、フェレンツィですね。
彼は、フロイトより先に亡くなっていますので、この人も会えませんでしたね。
会わぬが花ですかね。
5月X日
映画「めがね」について書いたところ、「かもめ食堂」を見ないとダメですよと言われました。
それで、さっそくビデオを借りてきてみたのですが、私にはどちらかという「めがね」の方がおもしろかったです。
なんと言っても、「めがね」の方が、ゆるゆるで、筋らしい筋もないし、おとぼけぶりがひどいですから。
最近見た「最高の人生の見つけ方」という映画で、ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマンの二人が死を前にして、
やりたいことをやるという話があるのですが、その中で一番美味しいコーヒーの話が出てきます。
Kopi Luwakuという豆の種類です。
それは、コーヒーの実を食べたジャコウネコの糞の中に残ったコーヒー豆をあつめて、コーヒーを入れるものです。
ジャコウネコが減っていて、糞を集めるのも大変なのだそうです。
豆450グラムが約2万円です。
(東京リッツ・カールトンホテルでは一杯5500円だとか)
ネコの糞から集めるという話をして、ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマンは一生一度の大笑いをします。
それと同じ話が「かもめ食堂」にもでてきますが、小林聡美、片桐はいりのふたりは、話ながらきわめて冷静にコーヒーを入れ続けます。
私としては、ジャック・ニコルソン達の大笑いの方が親しいですね。
4月X日
最近、光市の事件についてどう思うかと何人かの人に聴かれました。
正直に言ってよくわかりません。
大体、死刑にすべきだと主張する人の考えがよくわかりません。
世界の大勢は死刑廃止の方向なのに、どうして日本では死刑の基準を下げることが正当なのか
よくわかりません。
私もかって、冤罪事件の裁判に関わったことがありますが、間違う可能性がゼロではない裁判で、
死刑判決を出すことにどうしてもうなずけないものがあります。
そもそも裁判というものが、本当に正確な事実に基づくものなのでしょうか。
私も刑事事件の精神鑑定に関わったことがありますが、
被告が犯罪を犯したときの精神状態を正確に把握することは、どう見ても困難です。
困難を押して、鑑定を行ったとしても、その結果を裁判長がどう扱うかは、鑑定医の関与できる問題ではありません。
同じ精神状態であったとしても、行った行為の社会的影響が大きければ、厳しい刑を科せられるのは
一般的な傾向です。
軽い精神障害の状態でも、行った行為が取るに足らないものなら、起訴にもなりません。
重い精神障害の状態で行った行動であっても、その社会的影響が大きければ、責任能力を認めるような判決が出るものです。
そういう意味で言えば、裁判官も社会的な動向を見て、判決を出しています。
決して、精神医学的な事実だけに根拠を置いてはいません。
こんな精神状態の人を刑務所においてもしかたがないだろうと思える被告でも、
社会的に影響があると判断されれば、責任能力を認めて、刑に服させるのが普通です。
もちろん、厳密に法律に基づいて判断される場合もあるでしょうが、
法律を曲げてでも、社会的に容認されやすいような判断が下される場合もあるでしょう。
そう考えると、裁判の判決に法の正義が表現されると考えるのは、あまりにナイーブでしょう。
裁判官のいったいどれだけの人が、自分の下した判決が妥当であったかどうか、
追跡調査をしているでしょうか。
精神鑑定を行った精神科医についても、同じ事が言えます。
追跡調査などやっていないでしょう。
診断だけして、あとの経過を調べない医者の話を誰が信用するでしょうか。
裁判にしても、精神鑑定にしても、その場だけのつじつま合わせが多いと思います。
まあ、調べようとしても、個人情報保護法によって調べることは出来ないのですが。
被告には、厳しい反省を求めておきながら、自分たちの側は自己反省を促すシステムを作らない。
考えてみれば、恐ろしいことです。
4月X日
私がのんびりとビデオを見ている頃、
東京では、「医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟のシンポジウム。」
というものが行われていました。
要約をごらんください。
現在の日本の医療状況について、具体的な報告と提言がなされています。
本当に人ごとではありません。
どうか、真剣に眼を通してください。
Mixiでは、動画の配信もあるようですが、アクセス数が多いのか、
なかなかうまく視聴できません。
=====ごく一部だけ引用=======
桑江千鶴子・都立府中病院産婦人科部長の発言
「産婦人科医だけが年に180人くらいずつ減り続けている。
各地で産科崩壊も続いている。
どうしてこんなになり手がいなくて、せっかくなってもやめるのか。
24時間365日お産というものはあるのに、昼間だけ勤務が前提の定員になっているというのももちろんある。
それ以上に医療訴訟によって私たちは心を打ち砕かれている。
福島県立大野病院事件だけではない。
医療側からするとあまりに不当で対策の立てようもない判例がどんどん出ている。
そういう勤務で、どうやって続けていけと言えるのか。
日本の司法は国民感情に配慮しすぎだ。
生命という偉大な自然現象の前では、人間の貧弱な知識で何とかなることなど本当に少ない。
死亡や不幸な結果は絶対にゼロにならない。
ゼロにならないからといって逮捕するのか。
もし大野病院事件で加藤先生に有罪判決が出たら、うちの病院では分娩取扱いを中止するか、絶対に安全な数まで制限する」
涙声で桑江部長が言った途端に会場から雷のように拍手が湧き起こった。
妊婦を人質に取る発言とも言えるので、状況を知らない人に誤解されることを恐れるが
しかし誤解した人間が吊し上げでもしようものなら本当に辞めてしまうだろう。
やはり追い詰められると人は腹をくくるし
失うもののある人間は、腹をくくった人間に勝てない。
「女性医師が踏み止まってくれるよう、全体の労働環境整備をして、子供を生み育てることのできるようにしてほしい」
=====引用終了==========
4月X日
今日は、のんびりとビデオの『めがね』を見ました。
沖縄らしい土地の民宿の話なのですが、
とてもゆったりしたテンポの映画です。
筋はあってないようなもの。
ともかく、海をながめて、黄昏れてしまうお話です。
昔泊まった、沖縄の民宿を思い出しました。
波の音だけで、他はなんにもない。
ザザー。 ザザー。 ザザー。 ザザー。
ザザー。 ザザー。 ザザー。
ザザー。 ザザー。
ザザー。 ザザー。 ザザー。
まあ、そういう映画です。
お疲れの時に、ご覧ください。
4月X日
今度、医院にやってきたお薬屋さんは、すごく営業熱心です。
かって、医院のホームページに写真を載せた、営業さんに対抗して、
「私も載せてください。」との突撃面接があって、
今回、登場となりました。
前の女性が、ピース一つだったので、
今回は、二つということです。
でも、視線には、若干の緊張が見られます。
それにしても、意欲満々ですね。
会社の課長さん、ほめてあげてください。
4月X日
今日は、医院開設からちょうど10年になりました。
10年が長いようで短いようで。
それでも、時の流れを感じます。
最初の五年ほどはただ無我夢中でやってきました。
その後は、色々と問題を感じたり、限界を知ったりの毎日です。
これからの10年は、私自身の体力の衰えもあるので、無理はできなくなっていくでしょう。
本当の智恵を探していかないといけないと感じています。
4月X日
今日は、宗教学者?の鎌田東二さんが、京都大学の教授になるというお祝いの会があって、参加しました。
どうして参加することになったのか、不思議なのですが、ともかく偉い先生方の中に埋もれて、ひっそりとしていました。
鎌田さんと言えば、ホラ貝ですが、なかなかホラ貝の演奏はなくて、最後の最後に、それこそ満を持しての登場です。
私としては、この後にギターをかき鳴らしての絶唱「弁財天」の方が、迫力を感じました。
いやあ。たいした人ですね。
参加者の中に、懐かしい人を見つけて、思い出話もしました。
「シュタイナー医学が最高よ。勉強してよ!」と発破をかけられました。
前に会ったときは、「野生ゴリラが最高よ!」と言われていたので、
次に会うときは、なんと言われることか。
4月X日
今日は、久しぶりに気持ちよく晴れた日曜日で、銀閣寺近くの哲学の道へお花見に行きました。
ともかく大変な人でした。
2チャンネル的に言えば、人大杉ですね。
この写真は、人の流れが少し減ったときに撮りました。
とても、こんな状態では、哲学なんてできませんね。
右側のベンチに座っている男性は、一見すると、哲学してそうですが、
読んでいるのは、競馬新聞。
3月X日
ネットを見ていたら、アメリカの医学生の話が載っていました。
アメリカでは、学生に人気があるのは、意外にも「皮膚科、形成外科、耳鼻科
(一部は顔面の美容外科を行う)が最も人気が高く優秀な医学生が押し寄せている。」
なんだそうです。
「2006年の調査で、1週間の労働時間は皮膚科医40時間に対し、内科医は50時間であったが、
年収は内科医が191,525ドルに対し皮膚科医は390,274ドルで、
さらに美容治療医が皮膚癌治療医よりずっと収入が多い。」
らしいです。
美容整形なら、救急はないだろうし、特別な技術があれば、いくらでも料金をもらえる。
そういうことなんでしょうねえ。
医者になって、病気の人を助けたいとか、難病の治療を開発したいと考えたりするのは、
アメリカでは、もう、若い医者の本道では無くなったみたいですね。
日本は、何でもアメリカのまねをしているので、5年か10年したら日本もそうなってしまうのでしょうね。
3月X日
パソコンの不調を書いてしまったので、何人かの方から、アドバイスをいただきました。
色々やってみて、結局JWordというソフトがいけなかったようです。
アンインストールしようとしても、どうして良いかわからなかったのですが、
コントロールパネルから入って、アンインストールすれば良いだけでした。
メールの添付ファイルも開けるし、PowerPointのファイルも開けるようになりました。
めでたし、めでたし。
それにしても、かなりストレスが続きましたねえ。
3月X日
買ったばかりのパソコンの具合がおかしいので、メモリーを増やすことにしました。
最初は1Gだったので、これを4Gに取り替えました。これで動くだろうと思ったのですが、はやり反応は遅いです。
インターネットのホームページの立ち上がりは少し早くなりましたが、Power Pointが使えない。
ファイルが18Mbのものを開くのに5分以上立っても開けない。
そのうち、フリーズしてしまう状態。
買ったばかりで、プリインストールなのに、これは完全に欠陥ですね。
評判の悪いVistaは、やはり買うのじゃなかった。
次に買うときは、売れ残りか、中古のXPにすることにします。
3月X日
今日は、ウイングス京都で行われた『障害を楽しく生きよう トーク&ライブ』というイベントに参加しました。
障害者に理解を持つ八尋弁護士の講演と、早坂紗知&Minga meets・おおたか静流さんの演奏でした。
障害者の人たちも元気そうで、講演も歌も元気でした。