この日記は、医院での診療の様子をお伝えするものです。ホームページを見て、受診した患者さんから、日頃の診察の様子や、医者がどんなことを考えているかがわかると、受診する時の参考になるということで、このコーナーを開設しました。かなり、面倒なので反響が乏しければ、消滅する場合もあります。悪しからず。
12月X日
湯浅誠の『反貧困』という本を読みました。
この本の中に書いてある、5つの排除ですが、ここに書いてあることは、精神障害者が体験してきたことに他なりません。
精神障害者への援助ということに携わってきて、結局そのような排除にあらがってきたのだと思います。
1、教育からの排除
2、雇用からの排除
3、家族からの排除
4、公的福祉からの排除
5、自分自身からの排除
それと同じ状況に、いまワーキングプアーと呼ばれるような人達が落とし込まれているのです。
そればかりではなく、現在正職員として働いている人々も、きっかけさえあれば、いつそういう状況に陥るか、
全く保障がないのです。
この本に書いてある、「溜め」という考え方は、精神障害者への関わりで最も重視されてきた視点だと思います。
生活保護をとるための工夫なども、精神科の医療に係わってきたものにとっては、常識的な工夫でしょう。
それが、普通の仕事をして、普通の生活をしていると思っている人にとっても、必要な知識になるかもしれないということは、
恐ろしいことだと思います。
今年度の大佛次郎論壇賞を受賞したとのことです。
本人の受賞の言葉は
「大変光栄ですが、私は論壇の人間ではありませんので、複雑な気持ちもあります。私が受賞したのは、論壇の社会的メッセージ力が落ちているからでしょう。研究を長く続け、専門的な知識がある人たちに、もっとメッセージを発してもらいたいと思います。」
というものでした。
多くの人達に読んでもらいたいと思います。
12月X日
今日は、小澤勲先生を偲ぶ会が京都グランビアホテルであったので、参加しました。
小澤先生というと、岩波新書の『痴呆を生きるということ』や『認知症とは何か』などで有名ですが、団塊の世代の精神科医の中では、児童精神医学からの出発が印象に残っています。
1970年前後の精神神経学会では、闘志として、論客として、光を放っていました。
学会総会などで、先生が「発言!」と言って手をあげると、誰もが振り返り、その内容に手を握って聞き入るという雰囲気がありました。
ともかく、発言が理路整然として、しゃべる言葉をそのままテープから起こしたら、校正しなくてもちゃんと文章としてなりたっていると言われていました。
そういう人が改革の旗手になったのでは、論破される人はたまったものではないでしょう。
その当時の、教授会の一員や同級生の中には、未だに傷ついている人もあるでしょう。
その先生が、病院の改革・開放化運動から、老人の認知症へと力点を移動させていった本当の理由はわかりませんが、老人の世界に行き着いて、思う存分、関わりとその言語的表現の場を得られたことは、良かったと思います。
小澤先生の能力からすれば、本当は大学の教授となって、後進の精神科医をのびのびと指導することができていれば、もっともふさわしかったと思います。
しかし、先生は、そういうことを全く希望しておられませんでした。
考えてみると、もし先生が、そういう道をたどれば、かって批判されたり、論破されたりした人々がよってたかって、足を引っ張って、仕事の妨害をしただろうと思います。
たぶん、先生もそれを予想して、あくまでも臨床家の道を進まれたのでしょう。
大学院をボイコットして、大学教官への道を捨ててしまったことは、先生にとっては、大した問題ではないかも知れませんが、後ろから仰ぎ見るような立場の人間からすると、とても残念に思えます。
先生が、最後には種智院大学の教授になって、学生に向けてご自分の理想を語られたことは、例え数年のことであったにしても、良かったと思います。
私が初めて先生と会ったのは、洛南病院へ見学に行った時です。
大学で研修したいと思っていると話すと、大学などで研修なんか出来ない、早く病院に出るのが一番だと叱られました。
最後に会ったのは、先生の講演会を医院で開いた時で、その時は先生はすでに癌の療養中でした。
集まった人に「若い人達に、これから頑張ってもらいたいです。」と私が言ったところ、「君は私より若いのに、何を言っているんだね。」と叱られました。
それが、直接お話しした最後です。
最初と最後が、叱られ体験の人ですね。
偲ぶ会は先生のそれぞれの時代の証言者が、登場して話をするという形式でした。
私としては、精神病院の改革運動の話をもっと聞きたかったですが、発言が少なく、残念でした。
統合失調症については、自閉症論、認知症論にくらべると、まとまった論文が書かれずじまいだったように思います。
それと、小澤先生が、70歳という年齢で亡くなられたことに、ため息が出るような思いの人が多いように感じました。
肺ガンの発見と、その後の闘病生活へのいたわりが強く語られていました。
小澤先生を頼りにしていた人々にとって、癌の発症と言うことは衝撃的で、たとえ闘病生活が6年あったとしても、先生が亡くなって1ヶ月という時間では、とてもその事態を受け止められないということでしょう。
偲ぶ会の最後の方に瀬戸内寂聴さんが話をされました。
淡々とした中にも思いのこもった、良いお話でした。
12月X日
先日紹介した、『まちの病院がなくなる!?』という本を読みました。
結局、医療費を上げなければ、どうしようもないという事だけは言えます。
しかし、国あげての医療費削減の声ですから、そんな話が実現するとは思えません。
竹槍でB29と戦おうとした国なのですから、精神論で行くところまで行くのでしょうか。
12月X日
裁判員制度の抽選結果が送られているようですが、私のとこには来ていないので、抽選に当たらなかったのでしょう。
医師のブログには、辞退の方法などが書かれています。
一人経営の商店などは辞退できるらしいです。
開業医も、一人経営の商店みたいなものです。
今日、受診した患者さんから、「裁判員の通知がありました。病気療養中なのに、とてもやれません。」
との事でした。
ご本人の選択ですから、何とも言えませんが。
80歳の認知症の人にも送れてきたという話を聞きました。
こんな制度がうまくいくのでしょうか。???
11月X日
HPの更新が遅れて、お便りコーナーも未掲載のメールが貯まってしまいました。
忙しいなあと思っていると、すぐにこれです。
しかたがないような、申し訳ないような。
せいぜい、努力することにいたします。
さて、最近話題の麻生総理の漢字の読み間違いが、ネットで話題になっていますね。
正しい読み あそう読み
・有無: うむ ゆうむ
・措置: そち しょち
・踏襲: とうしゅう ふしゅう http://jp.youtube.com/watch?v=r6DrKUiGKuw
(再度間違うw) http://jp.youtube.com/watch?v=0AuehQwKKf4
・詳細: しょうさい ようさい http://jp.youtube.com/watch?v=WDpwjCUDtKI
・前場: ぜんば まえば
・頻繁: ひんぱん はんざつ
・未曽有: みぞう みぞゆう
・物見遊山: ものみゆさん ものみゆうざん
・実体経済: じったいけいざい じつぶつけいざい
・思惑: おもわく しわく
・低迷: ていめい ていまい
・順風満帆: じゅんぷうまんぱん じゅんぽうまんぽ
・破綻: はたん はじょう
・焦眉: しょうび しゅうび
・詰めて つめて つめめて http://jp.youtube.com/watch?v=WDpwjCUDtKI
やはり、総理大臣になると、色々な人が関心を持つのですね。
安部総理はKY(=空気読めない。)だったけど、麻生総理はKY(=漢字読めない。)らしいです。
漢字が読めなくても、総理大臣ですから適切な政策を打ち出せば良いのですが。
そこんところはどうなんでしょうね。
麻生総理は指摘に対して「そうですか。単なる読み間違い」と答えているそうです。
11月X日
2008年11月13日22時7分 (朝日新聞)
脳出血を起こした妊婦が東京都内の病院で受け入れを断られ、死亡した問題について、二階経済産業相が「医師のモラル」と発言し、医師らの団体などが反発している。
二階氏は13日の参院厚生労働委員会で、経産省幹部にコメントを代読させる形で謝罪し、発言を撤回した。
二階氏は舛添厚生労働相との10日の会談で、「何よりもやっぱり医者のモラルの問題だ。
(医療界に)入った以上は忙しいだの人が足りないだのは言い訳に過ぎない。
しっかりしてもらわないといけない」と話した。
この発言に、勤務医らでつくる全国医師連盟は12日、「勉強不足で事実の誤認がある」と反発。
日本医師会も「不用意な発言で心外。考えを改めていただきたい」との声明を出した。
13日には市民団体からの抗議が寄せられた。
二階氏は同委員会に「医療に携わる皆様に誤解を与えたことをおわび申し上げ、発言を撤回します」とのコメントを出した。
(コメント)
現在の医療問題が、心がけだけで改善するという認識を大臣クラスの人が持っているのでは、
とても、状況の改善など望めませんね。
11月X日
次のような本をネットで見つけました。
まだ読んでませんが、ご参考までに。
地域医療の崩壊というのも、そのうち精神科領域にまで進んでくるという予感がします。
医療者誰もが、責任をもって、医療に携われない日が来ることを恐れます。
産科や小児科のことだけではないと感じてなりません。
アマゾンでは書評もたくさんありますので、参考にしてください。
11月X日
最近は医療崩壊のニュースがマスコミに良く取り上げられています。
実際、ひどいことになっていると思います。
http://mric.tanaka.md/
上記のブログは時々見ています。
現場の意見が比較的良く載っているので参考になります。
幾ら医療に携わっているとしても、医療全体の見取り図をつかむと言うことはなかなかに困難です。
自分の観察が、一部の誇張なのか、全体の象徴的表現なのか、判断しにくいものです。
医療崩壊は、精神科分野にも起こっていると思います。
ここでは、入院治療のありかたについて触れておきます。
一つは、あまりにも短期入院が強調されすぎています。
入院する前から、「入院期間は2週間です。」と通告され、本当に退院させられてしまうケースが多い。
診療所など診ていると、入院の判断をするのはかなり事態が深刻な状態である場合になります。
治療していても、把握できていない問題が背後にあって、状態の悪化をまねいている可能性があるのに、
最初から短期入院というのは、どうでしょうか。
結局、背景が十分把握できないのに、表面的症状が修まれば退院では、いつの時点でその人の問題をとらえられるでしょうか。
不完全なまま、経過することになってしまいます。
過去の精神病院が、無意味に入院期間をのばしていたのは批判されるべきですが、何でも早ければ良いと言うわけではないでしょう。
もう一つは、入院中の問題行為に対する対応です。
現在の精神科への入院は本人の希望による任意入院が推奨されています。
つまり、自分で自覚して入院するということです。
そのことに努力するのは良いのですが、本人が退院を希望するとすぐに退院させる傾向が出ています。
もちろん、患者さんが自分の病状を十分自覚して入院を決定し、一方で退院を決定するのなら良いのですが。
入院中に、問題行動を起こすと、すぐに退院となってしまう場合が見られます。
入院中に、勝手に外出したから退院とか、暴力をふるったから退院、自殺未遂があったから退院。
病院の指示に従わないのは、入院生活に納得していない証拠だから、退院したいのだろうという議論です。
精神症状が悪化して、退院を希望しても退院させてしまう。
患者さんの方も、結構それで納得している人もいます。
長い目で見ると、病状がこじれる人もいます。
それで、これは医療者の治療責任の放棄ではないかと思います。
これも医療崩壊の一つだと思うこともあります。
ところが、案外それで、うまく行く人がいるのです。
時代が変わっているのでしょうか。
私などは自分が古いタイプの精神科医なのだなあと思ってしまいます。
10月X日
更新が少ないと、おしかりを受けました。
株価暴落の話のリクエストですが、勉強しないとわかりません。
今日は、無責任なリンクでお茶を濁します。
英語のお得意な人は原文でどうぞ。
9月X日
ある患者さんが就職したものの、うまくいかずに退職しました。
私「病気から回復したと思って、焦ってはだめですね。
ゆっくり行くのが良いですよ。
昔から言うじゃないですか『あわてる乞食はもらいが少ない。』とね。
ゆっくりしていると、意外なおまけがあったりするものですよ。」
患者さん「先生。私は乞食ですか。」
私「乞食じゃないですよ。
これはことわざです。
つまり、ど〜んとしているのがよいということなんですよ。
人間というのは、得意なことがあると、どんどん得意技をやってしまうので、失敗を重ねることがあるのです。
あなたは、頑張るのが得意だから、すぐ頑張っちゃうね。
もっと、ゆったりが良いよ。
得意なことをやりすぎると、失敗しやすのですよ。
カッパの川流れなんて言うでしょう。」
患者さん「先生。私はカッパですか。」
私「カッパじゃないですよ。
これはことわざです。
得意だと思っていると、油断すると言うことですね。
猿も木から落ちるというのと同じです。
患者さん「先生。私は猿ですか。乞食はまだ人間だったのに。」
9月X日
今日は、依頼されて講演会に行きました。
精神科医療の実情のような話です。
話し終わって質問の時間になりました。
ある人が手をあげて、「私は先生の診療所に通っていましたが、なかなか良くならず、薬をやめようと思って、ゴミ箱に捨てました。すると、だんだん調子が良くなって、今ではすっかり元気です。これも先生のおかげです。」
とおっしゃいました。
「う〜ん。」これにはどう反応してよいのかわかりません。
「ともかく、良くなってよかったですね。」と答えましたが。
講演会というのは、びっくりするような質問が出たりするので、油断がなりません。
9月X日
五木寛之と香山リカの対談『鬱の力』という本を読みました。
「僕の聞いたいちばんおかしかった話は、ある店に入ったら四十歳のホステスが来たので、『こん店、年寄りばっかりじゃね』と
言ったら、『二十歳の女の子が二人来たと思えばよかたい』って」
という部分に一番笑いました。
一カ所でも、おもしろければ、読む価値のある本ですね。
9月X日
精神科というと、どうしても自殺という問題が絡んできます。
私も、若い頃は、「生きていたくないのですが、どうしたらよいのでしょう。」などと、深刻に聞かれると、
「貴方は一人で生きているわけではないよ。貴方が気づいていないとしても、沢山の人とつながっているんだよ。」
などと説得したものものです。
まあ、そういう説得が感動を生んだことはなくて、話している途中に、突然立ち上がって、部屋を出て行く患者さんがいたり、
こちらの顔をじっと見て、「先生って。割合負け惜しみがきついのですね。」などと言われてしまい、説得はやめました。
最近の説明は、
「貴方は信じないかも知れないけど、地獄というものがあってね、自殺したりすると地獄に落ちます。
すると鬼が出てきて、血の池地獄へ放り込まれたり、針の山へ追い立てられたりするのです。
本当に怖いよ。自殺はやめた方が良いです。」
と言っています。
私の診察を受けている人は、そういう話になると、たぶんお寒い落ちがあるのだろうと、
期待と不安にかられるのですが、何もないことがわかると、
「そんなの迷信ですよ。」と返事があるので、
「そうでないという証拠はないでしょう。」と答えると、それ以上言う人はいません。
「貴方が生きている方が良いという証明はできませんが、私は貴方に生きていて欲しいです。」
9月X日
数日前の報道に次のようなものがありました。
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<裁判員制度>参加者の「心のケア」に電話相談…概算要求
8月30日21時39分配信 毎日新聞
来年5月スタートの裁判員制度で最高裁は、審理に参加した裁判員の「心のケア」のため、24時間態勢の無料電話相談窓口設置を決めた。心理カウンセリングの専門業者に委託する予定で、来年度予算の概算要求に約900万円を盛り込んだ。
裁判員は証拠として凶器や遺体の写真を見る場合もあるほか、有罪や無罪、量刑を決めるため責任も重く、裁判後に精神の変調を来す可能性もある。最高裁は、陪審制を採用するオーストラリアの州をモデルに「心のケア」プログラムを計画。電話窓口で専門の相談員がアドバイスし、必要があれば臨床心理士や医療機関を紹介する。
概算要求にはこのほか、裁判員に審理や評議の感想、改善点などを尋ねるアンケートの実施経費として約6000万円を計上。選ばれなかった候補者にも選任手続きについての意見や感想などを尋ね、制度の検証に活用する。
一方、来年度に裁判員と裁判員候補者に支払う日当は約20億円、宿泊費を含む旅費は計約12億円と算定した。1年間の対象事件を約3600件、1事件につき候補者約60人が裁判所に来ると見込み、平均審理期間は4日間として見積もった。広報も含めた裁判員制度関連全体では約69億円を来年度予算で要求し、今年度当初予算より53%増となった。【北村和巳】
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国が勝手に抽選で裁判員を選んで、見たくもない写真を見せて、心理的に不安定になったら
電話相談するなんて、ひどい話です。
裁判員制度を実施するなら、まず、代議士や高級官僚、裁判官の犯罪を対象にするべきと思います。
どうして、死刑を求刑するような可能性のある、刑事事件を選択するのでしょう。
汚職で代議士の建てた豪邸、およびその調度品、高級官僚の利用したノーパンしゃぶしゃぶのホステスの容姿、
裁判官の盗んだ女性下着の写真などを、ワイドショーより先に見られるのであれば、裁判員の中には納得する人もいるだろうし、
まずは、電話相談の必要もないと思うのですが、いかがでしょうか。
8月X日
患者さんから、「私の父や兄は死んでからどこにいるのでしょう。」と聞かれた。
「そうですね。たぶん隣の部屋にいると思います。」
「そんなことを言っても、ドアを開けてもいないじゃないですか。」
「貴方が、ドアを開けた瞬間に一つ向こうの部屋に隠れるんですよ。」
「そんな馬鹿な。」
「天国にいるとか、お墓の下にいるとか考えるより、隣の部屋でそっと見ていてくれると考えた方が、
安心じゃないかなあ。」
7月X日
医院に出入りするお薬屋さんの営業の方を紹介しましたら、ある方が、参加しているバスケットボールのチームを取り上げて欲しいという申し出がありました。
この方も、同業の営業の担当者です。
バスケットボールの社会人チームということになります。
チームメンバーの募集という事らしいです。
ただし、練習が高槻のコートということですから、京都の方は少し遠いかも。
とりあえず、ユニホームだけご紹介しておきます。
背景が板のようですが、実は医院の診察机です。
ばっと、広げられて、どんなもんだい!という感じでした。
ご本人の影像は、あまりハンサムすぎて、女性からの問い合わせが殺到するでしょうから、
見合わせますとのことでした。
商品の影像はなくて、包み紙だけですね。
7月X日
引用始まり=================
精神鑑定は公判前1回、責任能力結論出さず…裁判員制で原案
来年5月に始まる裁判員制度に向け、被告の責任能力に関する精神鑑定のあり方を検討した最高裁の研究報告の原案が1日、明らかになった。
裁判の長期化を防ぐ目的から、原則として、鑑定は公判に入ってからは行わないようにするほか、鑑定結果が裁判員の判断に必要以上の影響を与えるのを避けるため、責任能力の有無などの結論には踏み込まないよう求めている。
最高裁は今秋までに、現場の裁判官の意見も踏まえ正式な研究報告をまとめ、裁判員裁判の新たな指針として活用してもらう方針だ。
刑法は、被告が犯行当時、精神障害によって刑事責任能力がない状態(心神喪失)なら無罪、責任能力が著しく低下した状態(心神耗弱)なら刑を軽くすると定めている。
警察庁の統計によると、裁判員制度の対象事件のうち、殺人、放火事件(年間計約1000件)の容疑者の約1割は精神障害、またはその疑いがあるとされる。
従来は、公判開始後に裁判所が精神科医に鑑定を依頼するため、例えば、「幼女連続誘拐殺人事件」の宮崎勤・元死刑囚の公判のように、最初の鑑定意見を不服とした側から再鑑定が請求され、審理が長期化することがしばしばあった。
また、鑑定医は精神障害についての医学的判断にとどまらず、責任能力があったかどうかという結論にまで言及するケースが多く、鑑定意見と実際の判決が食い違うこともあった。
東京・渋谷の夫殺害事件では、鑑定意見が三橋歌織被告(33)(控訴中)を「心神喪失状態」としたのに対し、東京地裁判決(4月)は完全な責任能力を認め、懲役15年とした。
こうした精神鑑定の運用だと、裁判員に負担がかかり、わかりにくいことから、最高裁の研究チームが新たな運用方法を検討。
まず、鑑定を実施する時期は公判前とし、公判開始後の鑑定は極めて例外的な場合を除き認めないとした。
公判前整理手続きで、裁判所が検察、弁護側双方の意見を取り入れ、鑑定人を選ぶ。
鑑定結果の示し方については、精神医学の専門家が責任能力の有無に明確に言及すると、裁判員に対する影響が極めて大きいと指摘。
犯行時の精神状態や精神障害が犯行に与えた影響など、医学的な所見の報告にとどめ、「心神喪失」などの法律判断を結論として示さないよう求めた。
また、起訴前に検察側が2〜3か月かけて鑑定を行った場合は、弁護側から問題が指摘されない限り、起訴後に新たな鑑定を行う必要はないとしている。
(2008年7月2日03時04分 読売新聞)
引用終了================
(コメント)
精神鑑定には色々な問題があるけれど、裁判員制度の導入によって、問題が単純化されて処理されるおそれを感ずる。
「精神医学の専門家が責任能力の有無に明確に言及すると、裁判員に対する影響が極めて大きい」とは言うものの、現実はそう簡単には動いていない。
判決はその社会的な影響を検討しながら、出されているのが現実だ。
精神科医の判断が、そのまま判決につながるということはありえない。
そもそも、犯行時の精神状態を事後的に想定することには、種々の無理がある。
それを何とか判定しているのが実情で、専門的な検討を経た結果が、一般の人に理解しにくいのは当然だろう。
そこをわかりやすくすると言っても、そんなことが可能なのか疑問に思う。
精神科医が「「心神喪失」などの法律判断を結論として示」してきたのは、裁判官が鑑定書を読んだだけでは、何のことかわからないので、結論を簡潔に表すために付記されてきたものだ。
その付記を取りやめるというのは、素人の裁判員の方がが法律専門家の判事を越えた、専門的な判断を持てると言うことになる。
あまりに乱暴な考え方だ。
精神医学の歴史には精神鑑定が大きな役割を果たしてきている。
診断一つによって、被告人の運命が決まるとすれば、その診断に厳密さが求められることになり、診断技術も磨かれてきたという歴史がある。
もし、精神科医の診断が、参考資料の一つとされ、一般人の常識が判断基準ということになれば、精神科医の専門性も求められなくなり、長期的には精神科医の診断技術も、当然のこととして低下してしまうだろう。
このことの不利益は、裁判の迅速化で得られる利益より大きいと思える。