この日記は、医院での診療の様子をお伝えするものです。ホームページを見て、受診した患者さんから、日頃の診察の様子や、医者がどんなことを考えているかがわかると、受診する時の参考になるということで、このコーナーを開設しました。かなり、面倒なので反響が乏しければ、消滅する場合もあります。悪しからず。
12月X日
診療日記が更新されていないというおしかりの声がありました。
もう、一月以上になります。
反省。
というわけで、今日は診察室の一コマを。
最近猟銃所持の資格更新に精神科医の診断書が必要になったらしい。
そのために、医院を受診される方がある。
診察と言っても、別に症状があるわけではないので、雑談をして、おかしな所がなければ診断書を書いている。
雑談は、当然狩猟の話になるので、最近はシカ、猪、熊などの生態について知識を得ることができている。
まあ、感心したのは、動物が賢くなって罠にかかりにくくなった話。
それから、狩猟をする人が減っていて、あと、20〜30年もすると、絶滅するのではないかという話。
野生動物より先に狩猟者がいなくなると、動物の天下ですね。
世の中の変化というのはおもしろいものですね。
11月X日
精神科専門医のポイントが5年間で600点必要になっている。
最初の年は、あまり気にもしていなかったが、ポイントを稼ぐのがなかなか大変と気づいて、あわてだしたのは二年目。
それから努力して、来年10月の規定日まで1年ぐらいを残しているのに、この秋に720点まで獲得した。
やれやれというところです。
最初は、こんなポイントなど意味があるのかなと思っていたが、学会に出ていると、刺激されることや学ぶことも多く、まんざら無意味とも言えないなあと思う。
ポイント制は、学会参加者を増やす意味が多く、学会財政の安定に寄与することが大きいが、精神科医の質を最低限で保障する意味はあるだろう。
他にポイントが必要な資格として、産業医と芸術療法士を持っている。
産業医はあと二年の期限を前にして、充分のポイントがあるけれど、芸術療法士は毎年学会に参加しないといけないため、資格更新は不可能になってしまった。
ただし、精神科専門医の資格は、すべての精神科医が専門医制度の試験を終了するまで名乗っていけないことになっていて、まだ正式には公表できない。
試験に合格しましたというだけだ。
しかし、更新の準備はしなければいけないので、おかしな具合です。
10月X日
厚生労働省の来年度予算の概算要求に関して、@生活保護の母子加算の復活、G障害者自立支援法廃止に伴う財源措置、、等々の予算が、年末までの予算編成過程での要求という項目に入れられました。
(事項要求)ということらしいです。
私は予算関係については、素人なので、これがどういう意味かわかりません。
ただ、「藤井裕久財務相は16日の閣議後記者会見で、2010年度予算概算要求で金額を定めない「事項要求」を各省が盛り込んだことについて「断固査定する。ほとんど(実現)できないだろう」と述べ、予算編成過程では厳しい姿勢で臨む方針を明らかにした。」(時事)という報道を見ると、障害者自立支援法の廃止は、財政的裏付けがないため、実施できないという可能性を考えないわけにはいきません。
民主党!どうなっているのか。と思ってしまいます。
これが杞憂なら良いのですが。
10月X日
10月に連休に、瀬戸内海の三原にタコを食べに行きました。
改札口を出ると、すぐに真っ赤なタコが襲いかかって来ました。
単なる張りぼてですが、そういう雰囲気ですね。
ともかく、三原市はタコです。
夜、探し当てたお店に入りました。
タココースが、3700円でした。
最初に出た、タコの柔らか煮がおいしかったですね。
それからお作り、天ぷらとか色々続いて、最後はタコ飯でした。
食べ過ぎて、お腹が一杯になりました。
お店で聞くと、タコは9月が産卵期で、味が落ちるそうです。
秋から冬にかけてと、夏が美味しいらしいです。
10年ぐらい前から、三原市はタコの町になったみたいです。
それ以前は、タコのことなど、市民は関心が無かったみたいです。
今は、駅前通に、タコの幟が立ったり、遊歩道にタコの彫刻があったり、いやあもう、
タコ嫌いには、住めない町になっています。
家に帰ってから調べてみると、三原市には、「もみじまんじゅう」の中に「たこ」を入れて作った「たこもみじ」とか「たこパイ饅頭」「たこせん」
と言ったお菓子もあるらしいですが、タココースに満足して、購入しませんでした。
いや〜あ。何事も事前の準備が必要だと痛感しました。
なんでも、タコだるまもあるとか。
奥が深いですね。
しかし、たこ焼きの店はあまりありませんでした。
9月X日
面白い動画を見つけました。
もう充分に知られているんでしょうけど。
ちょっとご紹介。
オオカミとブタ
The PEN Story
こういう動画を見ると、私たちの経験している世界が本当は不連続体なのではないかと考えてしまいます。
本当は不連続体なのに、空白の部分を補って、連続体として知覚している、そういう風に認識している。
コマとコマとの間に空白がある。
コマが本当か、空白が本当か。
コマがあるから空白があり、空白があるからコマも成立する。
空白の間に、コンテキストが変わる。
モードが変わる。
これらの動画を見ると、そういうことに気づかされますねえ。
9月X日
民主党が障害者自立支援法をどう考えているのかを探していたら、
次のような文書がありました。
民主党【政策INDEX2009】障害者自立支援法を廃止し、新たに障がい者総合福祉法を制定
出典: 東京ぺディア
障害者自立支援法を廃止し、新たに障がい者総合福祉法を制定
わが国の障がい者施策を総合的かつ集中的に改革し、国連障害者権利条約の批准に必要な国内法の整備を行うために、内閣に「障がい者制度改革推進本部」を設置します。推進本部には、障がい当事者、有識者を含む委員会を設け、政策立案段階から障がい当事者が参画するようにします。そして、障がい者施策に関するモニタリング機関の設置、障がい者差別を禁止する法制度の構築、障がい者虐待を防止する法制度の確立、政治・選挙への参加の一層の確保、司法に係る手続における支援の拡充、インクルーシブ(共に生き共に学ぶ)教育への転換、所得の保障、移動の自由の権利保障、障がい者への医療支援の見直し、難病対策の法制化など障がい者が権利主体であることを明確にして、自己決定・自己選択の原則が保障されるよう制度改革を立案します。
障がい者等が当たり前に地域で暮らし、地域の一員として共に生活できる社会を目指します。障害者自立支援法により、利用料の負担増で障がい者の自立した生活が妨げられてしまったことから、福祉施策については、発達障害、高次脳機能障害、難病、内部障害なども対象として制度の谷間をなくすこと、障がい福祉サービスの利用者負担を応能負担とすること、サービス支給決定制度の見直しなどを行い、障害者自立支援法に代わる「障がい者総合福祉法(仮称)」を制定します。
また、障がい者福祉予算を拡充し、中小企業を含め障がい者雇用を促進します。精神障害者を中心とした社会的入院患者の社会復帰と地域生活の実現に向けて関連法制度の整備等を進めます。
(コメント)
方向性として、自民党とどこが違うのかよくわかりません。
見直しをするらしいことはわかりますが。
「障害者」という言葉を「障がい者」にするらしいですが、漢字をかなにするだけではなく、もっと名前も変えたらどうでしょうか。
「共生社会促進法」とか。それより「友愛社会実現法」とか「幸福社会実現法」でも良いか。だんだん「幸福の科学」に近づいていっているような。
結局、言葉だけ変えてもしょうがないですね。
政権が変わって、一番期待するのは、情報公開です。一度公開された情報を隠すことは出来ませんから。
高速道路の経済効果の調査をやっていないと言いながら、本当はやっていたというのは、役所は一体誰のための仕事をしているのか、わからなくなります。国民や国家のことを考えると言うより、自分たちの利権、利害関係を共有しているグループの利害を守っているだけではないでしょうか。一般国民は、調査能力がないのですから、官僚組織を信ずるしかないのです。情報を隠されたのでは、正しい判断を下せるわけがありません。
日本が中国と戦争していたときも、国は日本の朝鮮支配、中国支配がいかに割が合わないか調査していたのです。それを公表していれば、戦争に賛成する勢力は激減したでしょう。
9月X日
ネットの新聞記事でこういうのを見つけた。
<路上生活者>6割以上が精神疾患 池袋周辺で医師らが調査
9月2日15時2分配信 毎日新聞
路上生活者の6割以上がうつ病や統合失調症など何らかの精神疾患を抱えていることが、東京の池袋駅周辺で精神科医らが実施した実態調査で分かった。
国内でのこうした調査は初めて。
自殺願望を伴うケースも目立ち、調査に当たった医師は「精神疾患があると自力で路上生活から抜け出すのは困難。
状態に応じた支援や治療が必要だ」としている。【市川明代】
国立病院機構久里浜アルコール症センター(神奈川県横須賀市)の森川すいめい医師らが昨年末〜今年1月上旬、池袋駅周辺で路上生活者の支援に取り組むNPO法人「TENOHASI(てのはし)」(清野賢司事務局長)の協力を得て実施。駅1キロ圏内に寝泊まりする路上生活者約100人に協力を求め、応じた80人を診察した。
それによると、うつ病が40%、アルコール依存症が15%、統合失調症など幻覚や妄想のあるケースが15%。複数の症状を発症しているケースもあり、不安障害やPTSD(心的外傷後ストレス障害)なども含めると63%(50人)が何らかの精神疾患を抱えていた。
失業してうつ病になったり、疾患が原因で職に就けないなどの理由が考えられる。
重症者は調査に応じられないため、実際はより高い割合になるとみられる。
一方、約半数が「死んだほうがいい・死んでいたらよかった」などと考え、「自殺リスク」があることも判明した。路上生活歴は平均5年8カ月だったが、6カ月未満が20人で最も多く、森川医師は「公園や河川敷と異なり、家を無くしたばかりの路上生活者が多く、自殺につながりやすい」と懸念する。
森川医師によると、精神疾患を抱えると、
▽自分には生活保護を受ける権利がないと思い込む
▽自ら福祉事務所に相談に行けない
▽福祉事務所の職員と話がかみ合わない−−などの理由で路上生活から抜け出すのが困難になるという。
森川医師は「国は精神科病床の削減を進める方針で、精神疾患を抱える路上生活者が増える可能性もある。
専門性の高いケースワーカーの育成が急務」と指摘する。
調査メンバーは今後、路上生活者の中に数多く含まれるとされる発達障害や知的障害についても調べる。
◇【解説】新政権は早急に対策を
路上生活者の6割が精神疾患を抱えている実態を指摘した今回の調査は、国に支援策の見直しを迫るものだ。
国の最新調査(09年1月)では、全国の路上生活者数は前年比1.6%減の1万5759人。自治体の大半が日中に職員が目視で人数を数えているが、路上生活歴が短い場合、一見して分かりにくいうえ、深夜の駅周辺に寝場所を確保する傾向があり、「今の調査方法では実態がつかめない」との批判が出ている。
7月の完全失業率は過去最悪の5.7%を記録し、路上生活者がさらに増える可能性がある。
行政側の従来の路上生活者支援は、ケースワーカーが短時間面接し、一時保護施設にあっせんするなどして終わるケースが多かった。
しかし、短期間で一時的な支援では、精神疾患の有無を把握することは困難。
路上生活者を減らすためには、ケースワーカーが繰り返し当事者に接触し、必要に応じて医療につなげるシステムづくりが不可欠だ。
何よりもまず新政権は、路上生活者と精神疾患に関する全国規模の調査を行い、実態を把握する必要がある。【市川明代】
(コメント)
アメリカでは精神科病院のベット数が削減されると、それに伴ってホームレスが激増したと言われています。
かって、日本でも入院患者数を減らせという意見が出たときに、それではアメリカの二の前になると言って、
精神病院協会が反対の声を挙げて来ました。
しかし、小泉改革の流れの中で、退院促進という話になったとき、前のような反対の声は上がったような気がしません。
もちろん、精神科病院への長期入院は望ましくないです。
しかし、一方で入院するべき人がホームレスになってしまうのでは納得できません。
約半数が「死んだほうがいい・死んでいたらよかった」などと考え
というのはあまりに無惨な話ではないでしょうか。
9月X日
総選挙は民主党の大勝に終わりました。
医院を利用している患者さんの話題は、
民主党は選挙前までは、障害者自立支援法を廃止して、一割負担がなくなると言っていたのに、
マニフェストには明記していない。
どうなっているのだろうということでした。
民主党のホームページを見ましたが、よくわかりませんでした。
本当のところ、どうなんでしょうねえ。
8月X日
久しぶりで精神神経学会に参加しました。
神戸大学名誉教授の中井久夫先生の講演を聞きました。
「統合失調症の回復過程について」という演題でしたが
人生を締めくくるような、自叙伝みたいな内容でした
最初に「私はウイルス研究所を追い出されたので、精神科医になりました。
あのままウイルス研究所にいたらどうなっていたでしょうね」という話から始まりました。
聴衆は一瞬静まって、運命の巡り合わせに、不思議な気持ちを味わったようでした。
中井先生がそのままウイルス研究者になっていれば、私たちは中井先生の膨大な業績に出会うことができなかったのです。
それから、先生の青木病院での実践に話題は転じましたが、何とも言えないおとぼけの感じが残りました。
精神科医に時々見られる憤り、無理に何かを断定したがる癖、意味不明の自責感などとは無縁でした。
それから話は、自由連想のようになって、グリアの話とか、小脳の機能の話になって、時間切れとなりました。
最後に質問の時間になりましたが、質問を促しても、誰も質問しません。
先生の話の雰囲気を味わっていて、誰もそれに何かを付け加えようとしませんでした。
司会の山口先生が感謝状を渡す役になりました。
感謝状を読み上げていて、読めない漢字があって、中井先生が「どれどれ」と、読み方を教えて上げました。
なんともほほえましい、元教授と元助教授の姿でした。
中井先生は「今回の学会のテーマは『坂の上の雲』ですが、坂をのぼってみたら雲をつかむような話になりました。
『はたしてそうか』ということですね」と締めくくられました。
おとぼけのような、苦笑するような、ともかく「後は皆さんでよろしく」という雰囲気でした。
講演が終わって、演壇を去る中井先生に聴衆の拍手はいつまでも終わらず、中井先生も歩みを止めて、聴衆の思いを味わっているようでした。
実に良い時間でした。
8月X日
臨床には不思議なことがあります。
例えば薬の効き方ですが、色々と不思議な現象があります。
最近、抗精神病薬を少量うつ病の人に使うと、意外な効果が見られることが指摘されています。
私も前から試していましたが、エビ○○○という薬を使って見ると、これまでなかなか効果のなかった人に劇的な効果が見られています。
それで、今度は重症の状態が続いている人に使って見ました。
するとどうでしょう、一週間で別人のようです。
これはすごい。
「新しく使った薬が効果があったようですね」
「いやあ、本当に助かりました。
ところで、こう言っては何ですが。
実はあの薬、一回飲んだだけでその後は飲んでいないのです」
そうだったのか。
しかし、結果良ければそれで良いでしょう。
ところで、前の患者さんはそれにしても良く効いていたな。
それで、その患者さんが受診した時に、「あの薬は効いていましたね」と聞いてみた。
すると、「まあ、そうですけど。あの薬は一週間しか飲んでいないのです。実は、今は飲んでいないのです」
そうか、しかし、結果良ければそれで良いでしょう。
ところで、最初の患者さんは良く効いていたな。
それで、その患者さんが受診した時に、「あの薬は効いていましたね」と聞いてみた。
すると、「あの薬は一カ月しか飲んでいなくて、今は飲んでいないのです」
あれ。
誰も飲んでいないのか。
それにしても、劇的に効いたと思ったのに。
一回飲んだだけで良くなったのか。
そんな薬があるだろうか。
それにしても不思議なことだ。
8月X日
薬の名前は、カタカナなので、なかなか覚えにくい。
最近、私も記憶力が低下してきたので、新しい薬の名前を覚えることに困難を感じている。
ところが、そればかりでなく、よく使っている薬でも、間違えてしまうことがある。
特に、患者さんから、間違った名前を断定的に言われると、「あれ〜。そんな名前だったかなあ。記憶違いかなあ」と思うことがある。
そういう例をご紹介したい。
コンスタンという薬はたぶん、コンスタントという言葉から連想してつけられたなまえだろう。
だから、間違えても、「そらそうだ。間違えてもしかたがない。本当はコンスタンと言いたかったのでしょう」と同情的になる。
ダルメートをダルマガンと言った人があった。
錠剤を「丸」という意味で「ガン」というなら分かるけど、ダルメートはカプセルだ。
それでも、ダルマガンというと、効き目のありそうな気分がするかも知れない。
マシンガンみたいに、バ!バ!バ!と効果があがるとか。
ロヒプノールという薬がある。
これをロプヒノールと言われたことがあり、私もつられて「ロプヒノールですね」と言ってしまった。
他に、ロピフノールと言われたこともある。
ランドセンという薬ですが、良くあるのがランドルセン。
ランセドンなどと言われると、すぐ分かるけれど、ランドルセンなどと言われるとそうかなあと思ってしまうこともある。
ラルドセンなどと聞くと、ちょっと違うなあと思うけれど、正しい名前が想い出せなかったりする。
ランドセンは、アンデルセンとランドセルが言葉の響きに重なるところがあるので、ややこしくなってしまう。
ハルシオンのジェネリック品にミンザインという薬がある。
しばしば入眠剤に使われるので、「ミンザイ」という名前だと思ってしまう人がいる。
入眠剤を省略して「眠剤」と呼ぶことがあるので、ややこしい。
窓口などで、お薬の確認をしているときに、こういう問答があったりする。
「お薬の中にいつもの眠剤が入っていません」
「ちゃんと入っていますよ」
「いや、入っていない」
よく調べると、不眠時のミンザインが出されていなかったということだった。
まあ、そういう時は薬の名前にこだわらず、薬の色や形を確認すると、誤解が解けることがある。
こういう間違いをすると、薬の名前を付ける人も大変だろうなあと思う。
8月X日
一生の内に、一度は登りたいと思っていた富士山にお盆休みを利用して登って来ました。
ポイントは寒さ対策、耳栓、気を付けよう登り道より下り道です。
もう10年以上も本格的な山登りだとしたことがないので、果たして登り切れるか心配でした。
日程の関係で、夜行バス利用としたのですが、集合場所へ行ってみると、20代の若者ばかりで、びっくり。
中にはスカートの女性とか、キャスター付きのスーツケースの人もいて、こんな乗りなら何とかなるかと、思った。
東名高速が地震被害のため、中央高速経由で河口湖口へ向かう。
途中、双葉サービスエリアで朝食。
到着が午前5時。私の利用する富士宮口に付いたのが9時45分ごろ。
標高は2400メートルで寒い、霧で景色は見えず、小雨が降っている。
ここで、昼食を食べて、10時40分に出発した。
雨はやんでいたが、霧で風景は何も見えない。
降りてくる人に、「上は寒いよ、朝小雪が舞っていたよ」と言われた。
実際登っていて、雲がとぎれて太陽が出ると、Tシャツ一枚でも暑いのに、陽がかげると一瞬にして、ガスが湧いてきて、冷凍室の中に入ったように寒くなってしまう。
体温調整がむつかしく、服を脱いだり、羽織ったりの繰り返しだった。
途中、8合目あたりから、空気が薄くなって、3〜4歩歩いたら、ひと休みという登り方になった。
大体1合目登るのに1時間前後の割合で、目的地の9合5勺の小屋についたのが、16時10分。
最初、その日の内に山頂まで登って、お鉢巡りをしようと考えていたが、時間的に無理で取りやめた。
山小屋は布団が敷いてあって、一人の空間は、敷き布団半分弱。
そこにころがって、夕食を待っていた。
先についていた、男女3人一家の娘さんが、「こんなところに泊まるのは嫌だわ。私下の小屋に行くわ」と言い出した。
すると両親も「じゃあそうしよう」と下山することになった。
よほど雑魚寝が嫌だったのだろう。
3人が下山して15分ほどして、豪雨のように強い雨がひとしきり降ったので、心細かっただろうなと思ったりした。
食事はチェックイン順に10人ほどが、一緒に食べる。
メニューはカレー。
レトルトカレーですね。
量は少ないので、補助食があった方が安心だろう。
その分荷物は多くなるが。
さて、18時頃から布団に横になっていたが、気になったのが布団の位置。私にあてがわれた場所は、布団と布団の間に当たる。
どうも良くない予感がした。
やがて、それぞれに段々眠り始めるが、日頃の生活リズムから行くと、6時や7時に寝るのはとても無理。
いつもの生活なら、これからという時間だ。
それに、疲労感が強いというわけでもなかった。
眠りにくいなあと、寝返りをしながら工夫していると、早くも眠り始めた左の人が大きないびきをかきはじめる。
これはかなわんと左の人に背を向けて、ヤレヤレと思っていると、今度は右の人がより一層大きな音で、いびきをかき始める。
今度は右に背を向ける。
しばらくすると、げっぷが出始める。
これは体が冷えると、おこることがあるので、布団を見ると、何時の間にか、私は畳の上に横になっていた。
寝返りをくりかえしている内におしりの力で、布団を動かして、布団の間に横になっていたのだ。
これは「日本沈没」だと思った。
太平洋プレートとユーラシアプレートが離れ出して、日本が沈没してしまうという、小松左京のSFと同じことだなあ。
私は、あの小説の日本列島と同じ運命になってしまったのだ。
両方の布団を引っ張って、隙間を埋めようとしたが、すでに寝入っている2〜3人の男性の乗った布団を動かすことはできず、畳の上に寝ていると、段々と冷えてきてしまう。
何とうるさいいびきだろうと考えていると、ネットのブログに、山小屋はいびきがうるさいので耳栓は必需品と書いてあったことを思い出した。
登山用品を準備したときに、買い損なったのは、この耳栓と日焼け止め。
やっぱり必要だったのだ。
耳栓があれば、いびきが気にならず、日本沈没もしなかったのだ。
寝られないので、考えるともなしに、いびきを観察してみた。
結構おもしろい気づきがあった。
まず、いびきのタイプ。
息の出入りで音が出るタイプ。どちらかが主なもの。
ゴワーとか、ガオーというもの。
ゴワゴワゴワと響くもの。
風船を膨らませるような、ピューという音。
そして、どんな音も長時間続かず、途中で腰砕けのようになってしまう。
しばらくするとまた始まるという具合だけれど、同じタイプの音の再現ではない。
さらに観察を続けると、いびきの相互関係に気づく。
多人数の場合、いびきは同時多発型ではないらしいと言うことだ。
同時に沢山の人がガオー、ゴゴーとはならない。
モグラ叩き型であって、こっちのいびきが納まったら、あっちが始まるという具合である。
それも規則性がない。
いびきがかわない理由の一つには、この不規則性がある。
同じ音なら慣れるのに、リズムが不規則なので、慣れが生じないのだ。
終わったのかなと思うと、別のタイプが始まるので、頭が混乱する。
さらに詳細な観察を続けていくと、いびきは他人のいびきを抑制するという事がわかった。
ある人が大きな音でいびきをかくと、周囲2メートル程度の人はいびきが抑制される。
たとえば、誰かが夜中に眼をさまして、トイレに行くとか、リュックサックをごそごそすると、一時的にいびきが抑制される。
つまり全員が寝ながら、周囲の音を聞いていて、睡眠が浅くなると、いびきが抑制される。
だから、誰かが大きないびきをかくと、他の人は睡眠が浅くなるので、いびきが抑制されると考えられる。
いびきは睡眠の深さと関係があるだろうから、その音量はある種のリズムに乗っているだろう。
たぶん、サインカーブなどの単純な関数で表わされるようなものだろう。
ただ、それには多少の揺らぎがある。
ある人のいびきが次第に収束段階に入ると、次の人のいびきが準備段階に入る。
ゴワゴワゴワ〜、ゴワとなると、別ところで、ホワ〜と準備運動が始まる。
そこで、ゴワ、ゴ、・・・ワとなって、終了すると、ホワ、ホワワ、ホワホワ、ホワワワ〜と全面展開に移る。
ところが、ゴワ、ゴワ、ゴ、と終わると見せておいて、一拍おいて、ゴワゴワゴワワワ〜となってしまうと、ホワの人は、ほわ、ほわ、ホ、ホ、と尻すぼみになってしまう。
「もう終了かと思っていたのに、そうじゃなかったのですなあ。こりゃ失礼」みたいな感じ。
譲り合いの精神ですかなあ。
時には、いびき三番勝負みたいな感じで、「あくまでやるのか。やれるものならやってみろ」ということもあるけれど、まれで、たいがいはすぐに勝負が決まるようだ。
田圃で鳴いている蛙とか、林の中のヒグラシ、草むらの虫の声。そういうものは、一瞬すべてが鳴きやむということがある。
夕暮れ時の林の中で、ヒグラシが一瞬鳴き止むと、沈黙が一段と深まって、命の奥深さを感じさせる。
ところが、いびきにはこういう沈黙の一瞬を味わうというセンスがない。
いびきは、生命の深みに達していない。
我執の現れみたいである。
そういう観察を重ねた結果、いびき対策の決定版がわかった。
つまり誰より早く寝てしまうこと。
次に、いびきに類似した音を発生させれば、周囲の人間のいびきを抑制出来ると言うことである。
しかし、そうなると自分は眠れないことになるなあ。
結局ほとんど眠れないまま、午前1時半となった。
ここで、起床して、小屋のおばさんからお弁当をもらって、1時50分、山頂に向かって登りだした。
登山道には、5合目から登ってきた深夜登山の人達のヘッドランプが光の糸の続いている。
夜の9時や10時頃から登り始めた人達だろう。
見ると日本人は少なくて、外国人が多い。山小屋の代金の節約なのか。
そう言えば、山小屋に泊まっている人には外国人は少なかった。
およそ50分で山頂着。
富士浅間神社の山頂小屋のひさしの下には、何人もの人がうずくまって身体を丸くしてご来光を待っている。
風が強いので、風よけのせいだろう。
私は最高峰の剣が峰を目指すつもりだったが、そこからの道がわからない。
たぶん、昼間であれば、一目で道がわかるのだろうが、ヘッドランプの明かりでは見当がつかない。
下手に歩いて、深さ200メートルもあるという噴火口に落ちてはたまらない。
近くにいる人達に聞いても、知っている人がいない。ほとんどが初登山なのか。
剣が峰方向を見ると、ヘッドランプが揺れながら登っていくのが見えるので、登っている人はいる。
道がわからないので、奥の院の側でお弁当を食べることにした。
じっと坐ってみると、思ったより風が強い。
それでもお米を食べると、身体が温まって、元気が出た。
その時、黒人を含めた5人ぐらいの外国人が、剣が峰方面に向けて、歩き出した。
これまで、何人かの人がそうやって歩いて行くので、「剣が峰へ行くのですか」と聞いてみたが、「トイレを探しています」という人ばかりだったが、
今度の人達は自信ありげに歩いていくので、その後をついていった。
10メートルぐらい歩くと、そこに道があることが明らかだった。
一行の足取りは速く、ついて行けなくなった。
ドンドン歩いていくと、やがて泥の傾斜になった。
歩くたびに足がすべってしまう。
四つん這いになったら、手足ごとすべってしまう。
おまけに突風が強く、寒さで耳がちぎれるように痛い。
後から調べると、そこは「馬の背」という難所だった。
悪戦苦闘のすえに、そこを登り切ると、建築中の工事現場のようなところに出た。
階段をしばらく登ると、そこが剣が峰だった。
日本最高峰の石柱が立っていた。
20人ぐらいの人がご来光を待っていた。
3時40分。
ご来光まで1時間20分ぐらいあるが、東の空の一部は赤い光が一筋かかっていた。
これから一時間以上かけて、その光が段々と輝いていくのだろう。
山頂の記念撮影をしようと思ったが、聞こえてくるのは外国語ばかり。
それも英語ではなく、中国語やポルトガル語のような感じ。
暗い上に、外国語をしゃべっている人も東洋系の人が多いので、だれにシャッターを押してくれと聞いたら良いのかわからない。
しばらく様子を見ていて、日本人を見つけてシャッターを押して貰った。
どうして、こんなに外国人が多いのか。
富士山は外国人の関心を刺激するのかも知れない。
剣が峰の道を外国人に教えて貰ったように、日本のことを外国人に教えてもらわなければならない時代が来るのではないかと思った。
ご来光までの一時間あまり、東の空を見ながら立っていた。
この時にかなり身体が冷えたようだ。
何度かカメラを取り出して、その度ごとに手袋をとって、スイッチを動かしていたら左手の親指が痙攣を起こした。
寒さと疲労のせいだ。
しばらくマッサージをしていたら動き出したので、気にしなかったが、下山途中で影響が出てしまった。
油断大敵だ。
4時半ごろ、テレビカメラがやってきた。
それとツアーの一群。
ガイドが、「早くご来光を見る場所を確保して下さい」と声をかけて、要所要所が占領されてしまう。
山頂は、またたく間に人々にあふれた。
4時ごろには少しずつ明るくなっていたので、剣が峰への道もすぐに見つかっただろうから、3時半山小屋出発でも、剣が峰でご来光を見ることはできただろう。
良い場所は確保できなかったかもしれないが、寒さの中に立っている時間は減ったはずだ。
段取りの悪さが疲労を生んでしまったと後から思う。
やはり、もっと下調べをしておくべきだった。
ご来光は4時58分ごろ。
すぐに下山に入る。
奥の院はすでに開いていて、周りは縁日の神社のようなにぎわいだ。
やはり外国人が多い。
神社のそばの岩の上で、五星紅旗を振っている人がいる。
神官が二人、神社の前で君が代を斉唱していたが、唱和する人もいない。
外国人のパワーの方が圧倒的にすごい。
ご来光を見てから、神社に参拝する人で混雑しはじめたので、下山の道をたどることにした。
5時50分、河口湖口の下山口から、下山を始める。
下山道は、砂礫の道で、単調な下り道だ。砂と礫の組み合わせが色々と変わる。
下りの傾斜が微妙に変わる。
下山集合時間が10時で、下山には4時間かかると言われていたので、ぎりぎりの感じで、急いで降りるようにした。
砂礫の道なので、すべりやすい。足を取られて転びそうになる。
下りの勢いを押さえながら歩くので膝に負担がかかってしまう。
リズミカルに動こうとしても、、そういうわけにもいかない。
あまり休憩しなかったせいか、7合目あたりから、足が動かなくなった。
油断のせいだ。
ゆっくり歩いても、足が痛い。
身体を横にして、少しずつ動くが、それでも足の筋肉が痛い。
日頃使わない筋肉に負担がかかってしまったのだろう。
どんどん人が追い抜いていく。
とぼとぼとした感じで、足を引きずりながら6合目についた。
助かったのは、最後が緩やかな登り道だったこと。
これでやっと普通に歩けるようになった。
河口湖口についたのは9時17分。
やれやれというところ。
登りより下りが疲れると言うことを、しみじみと感じた。
いやあ、人生もそうかもしれない。
お互いに気をつけたいものだ。
今度の登山で印象に残ったのは、添乗員の女性。
営業的対応ではないが、かといって情緒的な関わりを武器にしているわけでもない。
淡々としているのに、誠実さが感じられるという人だった。
一番驚いたのが、金剛杖を持って歩いていく姿が、弘法大師に似ているのだ。
最初に見たときにびっくりした。
二度三度見ていて、やっぱりそうだと思った。
といっても、私は弘法大師に会ったことはないのだけれど、銅像などにある弘法大師の姿にそっくり。
それで、この人は人を助ける人だなあと思った。
人助けは望ましいことだけれど、人を助けるその人自身に人間的力量がないと、場合によれば災難になることもある。
力が無くても、運命によって人を助けてしまうこともあるからだ。
しかし、弘法大師に似ているなら、何とかなるだろう。
家に帰ってから、写真を整理したら、この人の後ろ姿が一枚だけあった。
生きていると色々なことがありますねえ。
8月X日
何時までも梅雨が明けないような感じで、いつのまにかお盆も近くなってしまいました。
台風が近づいているので、また雨が降っています。
今年のお米はどうなるか心配です。
もう十年以上前になりますが、長梅雨でその後に夏台風が続いてきて、雨ばかりでお米が取れず、とうとう外米を食べなければならなくなった年がありましたが、何だか似たような気候です。
皆様、お身体にお気を付け下さい。
医院は8月14日から16日までお盆休みとなります。
どうぞ、よろしくお願いします。
7月X日
連休を利用して、比叡山に登りました。
実際体力の衰えを感じました。
仕事ばっかりしていてアウトドアゼロですからね。
梅雨がまだ終わっていないのか、ともかく雨の合間を縫っての登山です。
山の中はこういう感じで、霧に包まれていました。
神秘的です。
人っ子一人いない、山道をいくと、何となく怖くなってきます。
その時。きゃーという叫びが・・・・というのはウソ。
見ると、登山道に打ち込まれている杭の上にヤカンが。
あれ。
500t程度の容量のもの。
蓋がない。
これは一体何か。
驚きのあまり写真を。
だれか、理由を教えて下さいと言っても、分かる人はいないでしょうね。
7月X日
暑さの毎日が続いています。
梅雨が明けたのか、まだなのか、とにかく暑いです。
7月X日
今日は医院から日帰り旅行に行きました。
貸し切りバスに乗って向かったのは、大阪の海遊館です。
海遊館で見たものは?
まず、水槽を磨いている作業員の姿ですね。
水族館の水槽にも苔が生えるでしょうから、掃除をしないといけないのでしょう。
その作業を始めてみました。
小さな吸盤で、水槽に身体を固定して、雑巾みたいなもので拭いていくのです。
アクアラング姿ですね。
上の方をエイが泳いでいます。
次のお魚の写真は、医院のスタッフKさんに似ているという噂になった魚です。
さて、似ているというのは誰でしょう?
さて、最後はクリオネの写真です。
まあ、巧く撮れたと思っていますが。
クリオネについてはここを見て下さい。
海遊館の後は、鶴橋で焼き肉を食べたのですが、
その映像は残念ながらありません。
食べるのに忙しくて・・・・・