診療日記(2012年6月11日更新)





この日記は、医院での診療の様子をお伝えするものです。ホームページを見て、受診した患者さんから、日頃の診察の様子や、医者がどんなことを考えているかがわかると、受診する時の参考になるということで、このコーナーを開設しました。かなり、面倒なので反響が乏しければ、消滅する場合もあります。悪しからず。



6月X日


精神科医の集まりに行ったら、アンケートがあった。
医者にならなかったら何になったか。
答えの候補には、公務員、IT研究者、マネートレーダー、F1レーサーなどもあった。
何が何でも医療関係だというのもあった。
答えは、一番多いのが医療関係者。
2番目が料理人。
どうも、精神科医は職人タイプらしい。
科学者志向ではないようだ。
そのほか、アンケートが色々あったけれど、
私が選んだのは、すべて最大多数の意見だった。
つまり、考えが普通というか、凡庸と言うことなのだろう。


6月X日


次長課長・河本準一(37才)の母親生活保護受給問題が各方面で取り上げられています。
その報道をみてなのかどうか、「私たちは生きていてもよいですか」
「生活保護制度がなくなると、死ぬしかない」といった質問をする患者さんが増えました。
報道されている内容を簡単に説明してみるものの、生活保護制度がそのうちなくなるのではないかと
考えている患者さんもいる。
毎日、国会中継を見ていて、「いつ私などが死ねと言われるのかびくびくしています」
と語る患者さんもあります。
「そんなことはありませんよ」と説明をしていますが、
単なる誤解なのか、鋭い予感なのか、気力を奪われてしまいますね。


5月X日


連休を利用して福島県の第一原発付近の状況を見に行きました。
原発へ南の方から近づいて、制限一杯の20km地点、
広野町と楢葉町の境界付近です。



ここから先は一般車は通れません。
20km地点にあるのがJ・ヴィレッジです。
ここは、サッカーを全国民に親しんでももらうために、東京電力が出資して、
福島県楢葉町に作られた施設です。
天然芝のサッカーコートが11面もあり、至れり尽くせりの環境です。
東京電力が地域に提供した、世界に羽ばたく、夢のスペースということでした。
しかし、原発の事故後、施設は原発事故対策の前線基地として位置づけられ、
多数の作業員が宿泊し、自衛隊のヘリコプターもここを基地とした。
J・ヴィレッジは全面的に国の管轄下に置かれ、接収された形です。
現在は、宿泊職員は限定された少数で、いわき市のホテルなどに宿泊している作業員が、
ここでバスに乗り換え、現地に向かう中継基地になっています。
サッカーコートは、いわき市などから通う作業員のための駐車場になっています。




駐車スペースに使われていない部分は、資材置き場になっています。
コートの入り口も、作業現場風です。
本当に何か、強者どもが夢のあとです。

広野町は人影も少なく、本来の住人の5%程度が避難先から戻っているだけです。

原発に掛けた未来が崩れ去った、空白の大きさを感じさせられました。


次に、北から近づいてみました。
南相馬市の原発から10km地点です。

ここには、広野町のような悲壮感はありませんでした。
何しろ、検問の警察官を背景にして、記念撮影をしようとする
グループがいたのですから。

同じ被災地でも、その受け止め方が違います。
驚きでした。
二つの地点で比較すると、南相馬市の方が、
放射能の値が低いとは言えないようなのですが。






4月X日



再生可能エネルギーの講演会に行ったら、
日本の再生可能エネルギーの潜在量は、
現在の発電量の4倍ぐらいあるということだった。
最大の発電原は洋上風力発電なのだそうだ。
設備投資がどれくらかはわからないので、どの程度採算が取れるかはわからない。
詳しく質問すればよかったのだろうけど。
太陽光発電も、全電力の20%に持って行くことは可能だそうだ。
10年かけて、設備を作れば十分可能だとか。
設備には多額の費用はかかるものの、現在の電気料金に6〜7%の上乗せで、
十分まかなえるとか。
そういう話は初めて聞いた。
しかし、講演会場が200人は優に入れそうなのに、
参加者は20人以下だった。
どうも、多くの人の関心を引かないようだ。



4月X日


最近、健康保険基金からレセプトのチェックが厳しくなっている。
色々な薬が病名不適応でカットされている。
窓口で3割もらっても、残りの7割が戻ってこない。
ある程度そういうことが起こるのはしょうがない。
不注意や事務的ミスもある。
しかし、杓子定規の解釈もあって、びっくりすることもある。
レセプト審査がコンピュータ化して、反論が通らない。
薬の適応を考えると、複雑な病名は付けにくくなる。
精神科医の中では、この際病名を整理した方が良いという人もいる。
統合失調症とうつ状態、うつ病、てんかん、不眠症、パニック障害、社会不安障害、強迫性障害、認知症」
以外の病名はいらないという話もある。
下手に病名を付けると使える薬がなくなるというのだ。
いっそのこと、これらすべての病名を付けたらよいと言う人もある。
合併症だという理屈である。
医学は進歩しているはずなのに、観察や診断が粗雑になることを求められているとは、これはどうしたことだろう。



2月X日


本日は、デイケアのプログラムで「ラーメンの鉄人」という取り組みがあった。
昨日から、鶏ガラ+αの出しが煮込みに入り、特注の麺と、チャーシュー、煮卵の組み合わせ。
麺は製造元から、2分30秒というゆであげる時間の指定があった。




ヨーグルトのデザート付き。
調理師免許をもったスタッフがデイケアに入ってから、食生活のレベルは格段に向上した。
「いや〜。これでみんなメン喰いになっちゃうな。」というお寒いギャグも出た。
写真は、メンバーさんが撮ったものです。



2月X日


民主党が野党の時、衆議院議員選挙にのぞんで作られたマニュフェストには「障害者自立支援法」を廃止するということが明記されていた。
民主党が政権をとって、「障害者自立支援法」廃止を前提として、障害者のための新しい法律を立案する作業がはじまった。
そこには、障害者団体の人たちも参加を要請された。
中には、「障害者自立支援法」をめぐって、国を相手取って裁判を起こしている人たちもいた。
話し合いを始める以上、法的に争っている立場ではまずいということで、
訴えの取り下げを厚生労働省は要請した。
そういうことで、「障害者自立支援法」にからんでの訴えは取り下げられた
その後、議論は色々と進んでいったが、ここになっていよいよ法律の文案が煮詰まる段階で、
「障害者自立支援法」から「障害者生活総合支援法」に移行するということになったものの、
内容的にはほとんど変わらないことが明らかになってきた。
「障害者自立支援法」の廃止は、単なる名称の変更に過ぎなかったのか。
最初からそういう計画であったのであれば、「障害者自立支援法」の廃止という政策は、
裁判を取り下げさせるための見せかけだったことになる。

組織の信頼度に関して、昨年9月に公益財団法人新聞通信調査会が実施した世論調査によると、
「政党を信頼している」と回答したのはわずか12%、78%は「信頼しない」と回答した。
国会については、「信頼する」が20%、「信頼しない」が66%。
政府機関については、「信頼する」はわずか25%、「信頼しない」が57%。

さもありなんと思う次第だ。



2月X日


診療日記の更新がないとおしかりのメールをいただいた。
何やらあわただしく過ごしていると、ついつい更新があとまわしになってしまう。

今回は、毎日国会中継を見ている患者さんのお話を紹介したい。
一人暮らしで、毎日家でブラブラしている生活保護の患者さんが、することもないので、テレビで国会中継を見ている。
すると、生活保護の支給額を減らせとか、打ち切れという議論が多いので、いつ打ち切られるのか心配でならないというのだ。
「生活保護を打ち切れと言うのは、私たちに死ねというのでしょうか」と質問された。
「無駄な部分があるので、注意しろという議論でしょう」と答えたものの、何やら気になるものもある。
今日ネットを見てると、次のような記事が目に付いた。

「アメリカのリサーチ会社ピュー・リサーチセンターが2007年に世界47カ国を対象に行った世論調査で、「自力で生活できない人を政府が助ける必要はあるか」との問いに対し、日本では38%の人が助ける必要はないと回答したそうだ。
これは調査対象となった国の中でもっとも高く、欧州の先進国や中国、韓国などはいずれも10%前後だった。
伝統的に政府の介入を嫌うアメリカでさえ、そう答えた人は28%しかいなかったという。」

テレビを見ている患者さんが感じ取ったのは、こうした社会の雰囲気のようなものなのかも知れない。
国会議員の人たちも、社会の流れに乗るだけではなく、変えるべきところには、積極的に挑戦してもらいたいと思う。
少なくとも人から生きる希望を奪うことだけはやめてもらいたいものだ。



1月X日



ある人が、診察中に「私はうまれつき小心者です。どうしたら良いでしょう」と聞いた。
患者さんが混んでいたので、うまく答えは出なかった。
後から、どういう風に返事したらよいか考えていて、江戸時代の盤珪禅師の言葉を思い出した。
Wikipediaによれば、次のようであった。

「ある僧が短気な性格で悩んでいた。
生まれつきの短気で、意見されても直らないという。
そこで盤珪に相談に行く。
 禅師いわく、そなたはおもしろいものに生まれついたの。今もここに短気がござるか?あらば只今ここへお出しゃれ。直してしんじょうわいの。
 僧いわく、ただ今はござりませぬ。なにとぞ致しました時には、ひょっと短気が出まする。
 禅師いわく、然らば短気は生まれつきではござらぬ。何とぞしたときの縁によって、ひょっとそなたが出かすわいの。(中略)人々みな親の生み付けてたもったは、仏心ひとつで余のものはひとつも生み附けはしませぬわいの。と答えたという。

つまり、生まれつきの小心などというものはない。
短気なものもいないということになる。
それを親の責任にするとは何事かということなのだろう。

自分の力ではどうにもならないと思っていても、
それが案外自分の思いこみであるということも多いのではあるまいか。
病気が治るためには、そういう宿命観を捨てるという勇気が必要だろう。



1月X日


黒柳召波という俳人に「憂きことをくらげに語る海鼠かな」という句がある。
ちょっととぼけた味があって、ユーモラスな句だ。
ナマコに悩みがあって、くらげにそれをしゃべるというのも意外だが、
そういうこともあるかもしれない。
逆に言えば、人間の悩みなんてそういうものだという示唆にも読める。
「憂きこと」は「浮くこと」にも通じるし、何となくフワフワした感じである。
浮世という感じだろうか。
クラゲは水に浮いていて、ナマコは海底に沈んでいる。
クラゲは軽薄で、ナマコは重苦しい。
クラゲはナマコの悩みを聞いても、ふわふわしているだけじゃなかろうか。
ナマコは浮かない顔になってしまうだろうなあ。
クラゲは「海月」とも表現する。
ナマコは「海鼠」だから、「憂きことをくらげに語る海鼠かな」は海月に海鼠が語る図になる。
陸に上がれば海がとれて、月を見上げる鼠ということになる。
何だか雰囲気が変わって、面白いと思う。
海の中の話より、切実感が増すというものだ。

黒柳召波は与謝蕪村と同門の俳人だった。
蕪村の方が11才年上だった。
蕪村の句に「思うこといわぬさまなる海鼠かな」という句がある。
召波は蕪村の句をひねったのかも知れない。
召波と蕪村はどういう関係だったのだろうか。
どっちがクラゲで、どっちが海鼠だったのか。

1月X日


 年賀状を頂いて、見ていたら何人かの方から「今年で90歳になりました」という文面が見つかった。
わたしが20代で受け持ちをした患者さんや患者さんの家族の方からだった。
考えてみれば、わたしが20代の頃にすでに50代だった方や、患者さんの親御さんでその年齢であった方もあるので、
不思議でも何でもないが、そんな年齢になってしまったのかと思った。
 わたしの記憶の中では、その人たちはまだ50代か、せいぜい60代のイメージしかないのに。
 同年配の知人と話していて、「50代のときはまだまだと思っていたけれど、60代になると賞味期限切れみたいな気分だ」という話が出た。
なるほどそうかも知れない。
 しかし、90代の方からの年賀状には、「これからです」と書いてあって、ある年齢を過ぎるとまた元気になるものなのだろうか。
 そう言えば、95才の方の話を聞いていたときに、「お釈迦さんも80代で死んでしまったからなあ。もう少し生きていれば、もっと深まっただろうに
惜しいことだ」という感想を聞かされた。
 まあ、奥深いというか、何というか。
 そういうわけで、今年もよろしく。



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