この日記は、医院での診療の様子をお伝えするものです。ホームページを見て、受診した患者さんから、日頃の診察の様子や、医者がどんなことを考えているかがわかると、受診する時の参考になるということで、このコーナーを開設しました。
6月X日
医院の熱帯魚が卵を産みました。
4種類ほどいるので、どれが産んだのかわかりません。
どの魚も知らん顔をしています。
生まれた子供は、1〜2ミリの大きさ、形はオタマジャクシみたいです。
親魚と一緒にしていたら、子供をパクッと食べてしまいました。
親なのか、それとも別の種類なのかわかりません。
とりあえず、別の水槽に移すことにしました。
でも、こんな小さなものが、大きな魚になるのかと思うと実に不思議です。
熱帯魚屋さんに相談すると、エサはベビーフードにしないといけないと言われて、またびっくり。
色々なことがあるんだなあと思いました。
6月X日
当院の受診者の2/3ぐらいは、インターネット経由です。
詳細にホームページをチェックしてから受診される方には、
あそこがホームページと違うと指摘される方もあります。
インターネットのおかげで、初診の方は他の医院より多いかもしれません。
でも、継続受診の方は、割合的には少なくなってしまう感じです。
簡単に見つけられると、なあんだということになるのでしょうか。
やっぱり、苦労の果てにやっと、納得のいく医療機関を見つけたという方が、
満足が行くものかもしれません。
良い医療機関というものは、本当のところは評判になりにくいです。
患者が押し寄せて、自分の面接時間が減ってはかなわないからです。
良い医療機関を、特に精神科の場合は、患者さんはみんな秘密にしているものですね。
それに医者との相性もありますし。
当院は、ひやかし受診でもかまわないという考えでいます。
自分に納得にいく医療機関にたどりつく飛び石の一つでよいと思っています。
インターネットは、飛び石のガイドブックのようなものですね。
目的地は、やはり身をもって自分で見つけるのが一番でしょう。
6月X日
成年後見制度の鑑定に行きました。
90歳のおばあさんで、痴呆が進んで、何を言ってるのかわからない。
それでも、質問には時々答えてくれる。
答えはむちゃくちゃなんだけど。
断定する力はなかなかなものです。
その上、意味もなく突然歌になる。
「汽笛一声新橋を・・・」その元気な歌声に、いや〜。
これからですよ。
いよいよ。という気分になる。
惚けたからって、どうだって言うんです。
それ、元気よく。「汽笛一声新橋を〜♪〜」
う〜ん。
私が惚けても、こんなに元気よく歌を歌えるかなあ。
いろいろと考えさせられる一日でした。
関係ないですが、コンピューターは思ったよりも簡単に回復しました。
でも、データのバックアップのし忘れで、かなりいろいろ無くなりました。
6月X日
ハードディスクの処理速度が速くなると言うソフトをインストールしたところ、
逆に処理が遅くなりました。
色々調整しても、変わりません。
しょうがないので、ソフトをアンインストールしました。
すると、インターネット・エクスプローラがHPを表示しなくなりました。
どれだけやっても無理です。
WindowsXPには、設定を過去に戻すことができるので、それで処理してみましたが、
やればやるほど、動かなくなり、しまいにはメールの接続もできなくなりました。
結局、出発点にもどして、やっとメールがつながりましたが、HPは表示できないままです。
ブラウザとしては、インターネット・エクスプローラの他にオペラというソフトを使っていましたので、
それで何とかHPは見られますが、インターネット・エクスプローラと関連づけられたソフトがいくつかあるので、
それらが動きません。
一太郎のインターネット・デスクとか、ウイルス定義のファイルダウンロードとか。
まずは、インターネット・エクスプローラの上書きを考えました。
パソコン雑誌の付録にあるだろうと考えましたが、見ると、インターネット・エクスプローラのバージョン6は
ソフトが完全なものでないということで、掲載されていません。
オペラでサイトからダウンロードしようと思いましたが、インターネット・エクスプローラが動かないと、バージョンアップのダウンロードもできません。
インターネット・エクスプローラのバージョン6を削除したうえで、バージョン5をインストールしバージョン6にバージョンアップしようと考えました。
ところが、インターネット・エクスプローラのバージョン6の削除ができません。削除できないので、バージョンの低いバージョン5をインストールはできません。
結局、WindowsXPを再インストールするしかないようです。
うまく動いていれば、WindowsXPは便利なのですが、動きがおかしくなるとWindowsXPは対応しにくいなあと思います。
新しいものに、すぐに手を出すのは考え物なんでしょうね。
6月X日
私は、入院したことが二回あります。
一回は交通事故で、もう一度は胆石の時です。
交通事故にあったのは、大学生の時です。
友人の運転する軽自動車の助手席に乗っていて、ダンプと側面衝突したのです。
車はそのまま廃車になったので、かなりの事故でした。
友人の方は、異常なかったのですが、私は意識を失ってしまいました。
救急車の到着が遅いので、別の車に乗せられて病院へ向かいましたが、途中で救急車がやってきて、乗り換えも面倒だと言うことで、救急車の先導で病院へ向かったそうです。
と言っても、私は意識がなくて、覚えていません。
病室についたころから意識はもどりました。
結局は単なる脳震盪だったのです。
しかし、診断がつくまでは色々と検査をされました。
私は手の一部に擦過傷があって、
布団をまくられたり、またかけられたりすると、その傷に布団がさわって、
痛くてたまりません。
「うーん」
などと言っていました。
「あいたたた」と言うと、看護婦さんが布団をまくって見るのですが、
「なあんだ。単なるかすり傷じゃないの」と言われておしまいです。
「痛くてたまらないのです。」と訴えても、「内臓破裂かもしれないと心配しているのに、こんなかすり傷ぐらいがんしなさい。」と言われておしまいです。
意識は戻ったというものの、ぼんやりして身体の自由は利きません。
ただ、痛みだけがあるのです。
とうとう何人目かの看護婦さんに、やっとバンドエイドをはってもらって、安心しました。
痛みは一瞬にして消えました。
やれやれ。
医者や看護婦にとっては、頭部外傷と言えば、救命がまず問題で、
見えるか見えないかの擦過傷など取るに足らないことかもしれません。
でも、動くことのできない患者にとっては、その苦痛はとても大きなものです。
こんなことは、自分が患者になってみないとわかりませんね。
5月X日
暗くなってから、医院からの帰り道、疎水縁を通ったら、何人かの人が疎水の暗闇を覗いています。
見ると、青白く蛍が飛んでいました。
もう、そんな季節なのだなあと思いました。
一年の経つのも早いものです。
しばらく、私も覗いていました。
灯りがついたり消えたりするようにして、ふわふわと飛んでいます。
ずいぶん以前のことを思い出しました。
ある夏の夜のことです。
近所の人が、蛍狩りに行って、足を滑らせて、小川にはまってしまったのだそうです。
足を傷つけて、その後が痛いので、見て欲しいというのです。
灯りの下で見ましたが、何も変化はありませんでした。
押しても、さわっても変化がないので、様子を見てくださいと言いました。
次の日、近所の人から、その人は夜中に救急病院に入院したと聞かされました。
何でも、夜になって足が腫れてきて、痛みもひどく、救急病院を受診したら、
まむしの歯形があったので、入院になったとのこと。
私が見たときは、何も見えなかったのになあと思いましたが、
見落としです。
でも、まむしの歯形なんて見たことがないので
たぶん見てもわからなかったでしょう。
それに蛇にかまれるなんて、想像もしませんでした。
皆さん、蛍狩りには気をつけましょう。
思わぬことがあるかもしれませんから。
5月X日
外来に通っている患者さんにバスの運転手さんがいらっしゃいます。
この前、診察の時に、「先生、横断歩道でないところを渡っちゃいけませんよ。」と言われました。
バスの運転席から見られたらしいです。
どこから監視されているかわからないなあと思いました。
乗用車の運転手の顔を見ることはあっても、バスの運転手のチェックはちょっとしませんからね。
5月X日
医院のデイケアから一泊旅行に行きました。
一日目は鳥羽水族館。
二日目はパルケエスパーニャがメインです。
感想としては、パルケエスパーニャのジェットコースターが一番人気でした。
結局、人間は恐いものが好きなのかなあ。
以前、大峰山の覗きというのをやったことがあります。
綱で身体を結わえて、崖からつるすのです。
谷底を覗かせるので、覗きというのでしょう。
江戸時代などは大流行で、関西の若者は、それを経験しないと大人として認められなかった。
昔のジェットコースターみたいなものでしょうか。
考えてみれば、昔から人間は同じようなことをしているのかもしれません。
5月X日
バスの話を書いていたら、高校生のころのことを思い出しました。
私の通学していた高校は、市街地から少し離れていました。
バス通学です。
ある日、台風のやってきた日に、バスで高校の門前に着いたら、台風のため休校でした。
土砂降りの雨の中に降りるのは嫌なので、そのまま終点まで乗って、折り返しで帰ろうと考えました。
終点まで15分ぐらいバスに乗って、引き返しました。
ところが、さっき10分ぐらい前に通った橋が、ありません。
私たちが通った後に、濁流に流されてしまったのです。
びっくりですね。
それから、そのバスは、日頃のバス路線とまったく違う道を通って、市街地へ出たのでした。
おもしろかったねえ。
5月X日
バスの話を書いたら、北海道のバスの中でのお話を紹介されました。
吹雪続きで、路線バスが遅れて、それに文句を言ったら、運転手が突然バスを止めて、
時間通り来て欲しいのなら、市民の力で地下鉄を作れという演説が始まって、
一時間以上も動かなかったとか。
バスの運転手というのは、ストレスが溜まっているのかなあ。
この前、バスの運転手が道を間違えて、関係ない方向へ行ってしまって、
あとから気付いて、バスが突然Uターンしました。
バスのUターンというのは初めて経験しました。
運転手は笑っていましたが、ストレスがあるんでしょうかね。
少し前ですが、医院の前で交通事故がありました。
救急車が来ましたが、目の前に医療機関があるのに、声もかかりません。
患者さんが、「先生馬鹿にされていますね。」と言いました。
救急車から頼りにされても困るのですが、目の前というのもねえ。
こういうのはストレスですね。
5月X日
今日は、バスに乗っていたら、誰かが下車のボタンを押しました。
しかし、停留所で止まったのに、誰も降りません。
すると、運転手が怒り出して、「誰が押したのだ!」と叫んで、運転席から出て、
乗客に向かった、「こら!誰じゃ!バスが遅れるじゃないか!」と怒鳴りました。
乗客は、シーンとして、車内はすごい緊迫感がただよいました。
運転手が今すぐにでも、ボタンの指紋を採って、犯人を捜すのではないかと感じました。
このまま、バスが運行中止になるのじゃないかと思ったくらいです。
でも、しばらくして運転手は運転席に戻りました。
それにしても、まあ、よくもここまで怒ることができるものだと、驚きました。
しかし、日常とすこし違ったことが起こると、新鮮な気分になりますね。
5月X日
五月の連休に入って、ちょっと一息です。
連休に入る前には、新しい患者さんも多くて、かなり忙しく感じました。
連休は良いのですが、終わってからも、患者さんが増えるので、連休前後は過労気味になります。
こんなことなら、休みなどない方が良いなあと思うこともあります。
でも、連休の間に医院を開いていても誰も来ないだろうし、だいたい職員が納得しません。
ある大学生が、自分の通学している大学は、祭日でも授業があると文句を言っていました。
ゴールデンウィークじゃないらしい。
そんなに勉強しなくてもねえ。
私の行っている大谷大学は、連休は通しになります。
病院で働いていた頃は、長期に休んでも、代わりの先生がいたので、何とかなりました。
結構、外国旅行もしていました。
チベットへ行ったり、2週間近くも休んでいました。
でも、開業してからは、長期に休めるのは年末年始ぐらいです。
代打がいませんからね。
そういう緊張からか、ここ4年間は風邪などで仕事を休んだことがありません。
4月X日
この4月から大谷大学で講義を行っています。
と言っても、診療の傍らにやるのは大変で、なるべく負担にならないようにしています。
今日は、消防署の救急隊員の方に、救急処置の実習をやっていただきました。
人形相手に人工呼吸や心マッサージなどをやるのです。
処置をうまくやると、コンピューターが結果を知らせてくれます。
実技にあたった学生さんも、結構熱心にやっていました。
ところが、ある学生さんが、「たとえ人形でも、マウス・ツー・マウスは不潔だ。」と言って、途中で帰っちゃいました。
一回ごとアルコールで消毒しているのに、それでもダメみたいです。
私の経験ですが、以前、緊急処置で、心マッサージをしたら、吐血と嘔吐で、口から噴水のように血があふれて、しぶきが顔にかかったことがありました。
めがねをしているので、目には入らず、口も閉じていたので、問題なしでしたが、思いがけなかったなあと思います。
マウス・ツー・マウスは不潔だという人は、そういう状況には耐えられないでしょうね。
そういうことで、あまり潔癖な人は、医者にはなれませんね。
4月X日
患者さんから感謝の言葉を受けることが少ないのは、精神科医療の特徴かもしれません。
河合隼雄さんの本の中に、治療が終わったときに感謝の言葉を述べられるのは、余裕のある人で、
大変な問題を抱えた人は、感謝の言葉を述べることができないと書かれていました。
私の経験でも、心から感謝の言葉を述べて、これからもよろしくと言った患者さんで、続けて受診した人はありません。
感謝の言葉がそのまま終結でした。
ある意味で味気ないですが、精神科医療というものは、そういう余裕のない人のためのものなのです。
感謝の言葉を求める人は精神科医療に携わらない方が良いでしょう。
4月X日
私の趣味の一つは、座禅です。
夜寝る前に線香をつけて、わずかの時間ですが座ることを楽しんでいます。
その線香を立てるのに香炉を使っています。
これまで、いくつかの香炉を使ってきましたが、どれもあまり気に入りません。
なかなか気入った品物というものはありません。
たまたま、今度、唐三彩の香炉を入手しました。
どうでしょうか。
1300年ぐらい前のものだとか。
立派なもので、どうも、位負けですね。
最近は中国の都市開発が盛んで、ビルを建てるために土地を掘ると、あらゆる所から、文化財が出てくるらしい。
それで、昔なら数十万円〜数百万円もしたような陶器などが嘘のような値段で手に入るようです。
バブル崩壊後、安くても売れないため、一層値が下がっているとか。
それで、こんな立派な香炉が目の前にあるわけです。
4月X日
医院では、各種学校の実習生を受けいれています。
実習機関が少ないためか、大阪の学校からの学生さんもあります。
医療機関は、治療を行うだけでなく、医療従事者の教育も、その重要な仕事だと考えています。
学生さんからは、よく「精神科に向いている人はどんな人ですか?」「私は精神科に向いているでしょうか?」という質問を受けます。そういう時に私が返事するのは、「技術の進歩というのは、その技術が向いている人にも、向いていない人にも、同じような結果が得られるように工夫していく中で得られるものです。特別な才能のある人にだけ使えるような技術や知識は、不十分な技術や知識なのです。」ということです。
精神科の医療が特殊なものであるということは、決して褒めたことではありません。
また、そんな状況を変えられずにいて、これで良しとはとても言えないと思います。
4月X日
桜の季節もあっという間にすぎて、今はハナミズキの淡い色を眺める季節です。
雨の中にひっそりと咲いているハナミズキのピンクの色が、清楚に感じられます。
私の若いころは、こんなにもハナミズキの木が町の中で見られたようには思えません。
時代の変化でしょうか。
もともとは北米の花だったように思います。
それが日本の町に広がっていく。
実に良いなあと思います。
「はなみずき
初恋の日も
雨なりき」
3月X日
先日、患者さんから「前の病院で、『あなたは防弾チョッキだ』と言われたのですが、何のことですか?」と聞かれて返答に困った。
その後、考えていて、「あなたはボーダーチックだ」と言われたのではないかと思った。
精神科医の皆さん、患者さんに理解できない言葉は使わないようにしましょう。
同僚が困ります。
3月X日
いつも覗いているお寺の本堂の前庭に、木蓮の木があります。
毎年、今頃に白い花がこぼれるように咲くのですが、今年は花を付けません。
そういう年なのでしょう。
申し合わせたように、どの枝にもつぼみがないのです。
生命というものは不思議なものですね。
でも、別の公園で白い木蓮の花を見つけました。
雨の降っている夜でした。
「木蓮の
花のみ白き、
雨の夜」
3月X日
今日は、外来の患者さんから、ホームページに自分のことを「女好き」とか「ハナの下が長い」なんて書くのは品位がないと注意されました。
もう少し、配慮が必要ですとのこと。
どんな患者さんが見ているかわからない。
そういう人のことも考えて欲しいというのです。
これは反省が必要だなあと感じました。
「では、どういう表現なら品位が保てて、適切な表現なのでしょうか?」
「ちゃんと、自分はスケベですと書けばいいのです。」
「・・・」
3月X日
ある精神医療関係の集会に出たら、閉鎖拘禁的な精神病院の実情について激しい批判がありました。
私が精神科医になった1970年代には、そういう問題が大きく取り上げられていました。
実際、精神科病棟の状況はひどいものでした。
あれから30年。
どれだけ変化があったのでしょう。
表面は変わっても、根っこが本当に変わったのでしょうか。
私たちが批判した、精神病院の経営者と同じような年齢に、自分がなってみると、そう簡単に物事が変えられないことも感じます。
その当時の人々もそれなりに努力していたのでしょう。
今、自分たちのやっていることが、若い人たちに根本的に批判されるとしたら、自己弁護は難しいなあと思います。
私は、地域の診療所で、デイケアなどをやっていますが、それが理想の医療だとは思っていません。
こういうことをやっていれば、いつかその土壌から、花を咲かせる人が現れないだろうかと思うばかりです。
残念ながら、私たちはやらねばならないことに対して、無力、無知でありすぎます。
3月X日
ある患者さんが、お父さんの俳句として、「土入れて、もう一度咲け、春の庭」という句を紹介してくれました。お父さんが亡くなって、ずいぶん経つそうです。
ある時、その俳句が、子供であるその患者さんの回復を願った句であることに気付きました。
「土入れて、もう一度咲け、春の庭」
子供思いの、良いお父さんだったのでしょう。
その思いを感じ取りました。
でも、良い親というのは、子供にとって重荷であることもあります。
何とか希望に答えないといけない思いが出てきますからね。
人と人との関係は本当に難しいですね。
2月X日
先日、家族会で講演を行いました。講演後、自由討論となりました。
そこで、家族の口から出たのは、精神障害者を抱えた家族の苦労話でした。
それぞれの家族のお話は、語るうちに涙なみだのお話になっていきました。
日頃、医院で家族から聞いている話とは、まったくモードが違います。
医者が目の前にいるから遠慮するとか、婉曲な表現にするということがまったくなく、本当に直接的な内容でした。
私達・医師は診察室に座って、患者さんや家族の皆さんから、「よろしくお願いします」と言われる場面をむかえることが多いです。
そのため、患者さんや家族からはそれなりに感謝されているだろうと感じてしまうことが多いです。
しかし、治療がなかなか実を上げず、不満や失望を感じている患者さんや家族が存在していることは否めません。
むしろ、そういう人の方が多いかもしれません。
現在の治療の限界というしかありません。
そういう限界を目の当たりにすることは、つらいことですが、ちゃんと見つめていくことが私たちの責任でもあるでしょう。
2月X日
今日は、入院中の患者さんのお見舞いに行きました。
病院の面会室に入りましたが、しばらく話すと、特に話すことも思いつかず、黙っていました。
面会室には3〜4人の患者さんがいたのですが、だれも何もしゃべらず、ただ沈黙の時間だけが流れていました。
まるで、時間が止まったような感じでした。
ある種の古代的な時間だろうか。
私は精神病院に勤めていた頃、こんな時間を良く感じていたなあと思いました。
開業してからは、忙しすぎて、ぼんやりする時間もありません。
いつも何やかややっています。
しかし、ただそれだけではなく、精神病院の中に流れている時間の中には、精神病の人の感じている時間の流れがあるのじゃないかなあと思いました。
診療所の中には、もしかしたらそういう時間が少ないのではないか。
だとすると、医院を利用している精神病の患者さんにとっては、少しあわただしい気分がするのではないかなあ。
ちょっと、注意が必要かもしれないなあと思いました。
それにしても、私には精神障害者のそばにいる方が、安心できる面もあるのかなあと思ったりしたことです。
2月X日
精神障害者の犯罪に関するコーナーをホームページの中に作りました。この問題に関心を持っておられる方の積極的な投稿をお願いします。
2月X日
先日、精神障害者の犯罪というシンポジウムにシンポジストとして参加しました。
ところが今日の朝日新聞に、精神障害者のうち犯罪を犯す可能性のある人を、無制限で収容するという制度が作られるという話が載っていました。
専門家の意見では、そういった予想を立てることは不可能とされているのに、法律の力でそういうことを実施しようとするのは、実に乱暴なことだと思います。
もしその判断が間違っていたとしたら、だれがその責任を取るのでしょう。
また、責任を取れるのでしょうか。
この問題については、ホームページの中に、特別コーナーを作ろうかなと考えています。
何か、お考えのある方のご意見を求めます。
よろしく。
2月X日
医学生だった頃、麻酔科の先生からこんな話を聞かされたことがあります。
それも手術中のことでした。
「麻酔科の医療が一番、医療の原点です。まず、私たちが関わっているとき、患者には意識がないので、何をされたかわからないので、感謝をする人など一人もいない。だから患者が経済力、政治力など持っていようといなかろうと、差別の起こりようがない。だいたい、麻酔科医が仕事をしていることすら知らない患者がほとんどです。だからよけいなことなど考えなくてもよいのです。ただ、病んだ人としての患者に対していけばよい。」
やがて、手術が終了して、患者は意識を取りもどしました。
そして、患者は周囲を見舞わして、執刀医を捜しました。
そして、目配せをして、「ありがとうございました」と丁寧にお礼をしました。
麻酔科医を見ても、その医者に自分が世話になったというふうはありませんでした。
それは当然のことです。
私も病院にいる頃は、自分の患者の手術の時など、麻酔の手伝いをしたことがありますが、手術終了と同時に覚醒するなどと言う芸当などできるわけがありません。
それで、あの先生はすごかったなあと思います。
その先生の教えは、患者から名医だと感じられたり、言われたりするようでは、駄目だということです。
結論は、早く通院する必要がなくなって、通院していたことも忘れて、誰かに「良い精神科医はいませんか?」と聞かれたときに、ごく自然に「さあ〜」と返事できるのが理想ですね。
1月X日
精神鑑定の仕事で、ある病院を訪ねたところ、偶然、四年前に私の勤めていた病院から転院していった患者さんに会った。
いやあー懐かしいなあ。としばらく話をしている内に、私が主治医をしているころの思い出になった。
転院することになった事情には、私の至らなさも関係していた。
それで、その後の四年間退院できないままに入院生活が続いていて、そういうことになったのも、私自身が情けない気がして、いささかしょんぼりしてしまった。
話をしている内に、私は今も自分が精神病院に勤めていて、面接している気分に戻ったりした。
それで、感じたことは、病院で仕事をしているころは、なんと言っても、精神病院の病棟での生活が仕事のベースに流れていたなあと言うことだ。
その生活を、どう思おうと、ともかく面接の底を流れるものとして、共有、共感していた。
診療所での仕事に移って、そういう共感するものが、患者との間でも、スタッフとの間でも薄くなっているなあと思った。
そのことには、良い面もあれば、悪い面もあるだろう。
いずれにしても、戻れない世界だなあと思った。
たとえそれが、良くない日々であったとしても、懐かしさはあるわけだ。
彼と見つめ合って、照れくさいような、切ないような気分を味わっていた。
別れ際に、彼が「楽しく行かなきゃねえ。何をするにしても」と言った。
何だか、私が申し訳なさそうにしていたことへの励ましのような気がした。
そして、私が彼と過ごした病院での二十年ぐらいの歳月の中で、彼がいつも見せていたにやりとした笑い顔を見せてくれた。
1月X日
最近引っ越しをした患者さんからこんなことを言われました。
「今度引っ越しをしたら、前より調子が良くなりました。よく考えたら、先生の医院に近くなったのですよ。前より医院に0.5kmぐらい近づいたのかなあ。大したことないようだけど、それだけ安心なんですね。」
本当かなあと疑ってしまいましたが、患者さんの立場に立つとそういうこともあるのかもしれません。
私などはいつも、医者などは用が済んで、ぽいと捨てられるのが理想だと思っているのですが、一生使い切りたいという患者さんもあるようです。
そう言えば、二年前ぐらいのことですが、ある患者さんが貸家からマイホームを購入して引っ越ししたのですが、どういう基準で選んだのですかと尋ねたら、「先生の医院から近いことが一番です」と言われて、これじゃ医院は簡単に引っ越しはできないなあと思ったことでした。
中井久夫先生の言葉に、医者の使命の一つは、できるだけ長生きすることというのがあった。
存在するだけでも、精神科の主治医は意味を持つのだろう。
できることなら、なるべく近くに住んでいることかなあ。
1月X日
今年は年賀状に、名前も住所も書いてないものが三通ほどありました。
普通の手紙だと消印があるので、それでだいたいのことがわかりますが、年賀状は消印もないので、まったくわかりません。
せめて、個人的コメントなどあれば参考になるのですが、パソコンで印刷したデザインだけだとヒントになりません。
どうしてこういう現象が今年は多いのでしょうか。
1月X日
私の趣味の一つは、写真です。
診察中でも、患者さんから写真を撮ってくださいと言われると、パチリと取ってしまうのです。
学校に入学したから記念にパチリ。
表彰されたから記念にパチリ。
やっと嫌な職場を辞められたからパチリ。
そういう写真が結構たまりましたが、公開する予定も、可能性もないので、デジタル画像が増えているだけです。
先日、クスリのセールスに来てた女性に、そういう話をしていたら、私も撮ってくださいと言われて、パチリと撮りました。
職業活動だから、公表してもかまわないでしょう。と、許可はもらっています。
頼んでもいないのに、Vサイン。それとも、じゃんけんのはさみかな。
1月X日
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今年は何人かの方から電子年賀状をいただきました。
やがては、すべての年賀状が電子年賀状になってしまうかもしれませんね。
それでは少し味気ない気もします。いかがでしょうか。
新年は、1月4日から平常通りの診療を行っています。
新鮮な思いでお会いできると良いですね。
では、この一年の、みなさまのご多幸とご健康をお祈りします。