ぐ る ぐ る 日 記





(2001,6,20到着分)


ぐるぐる日記(仮)

6月20日

天気が悪い為か、調子悪いです。
それはさておき、最近、電車を利用する事が多いのですが、ちょっと、怖いです
。色々、事件があるからというのもありますが、乗っていると、「あってもおか
しくない」ような雰囲気の時が多々あるからです。昔は、電車の中で寝る事もあ
りましたが、今は、一人で乗っているときは寝れません。
やたらと、「携帯電話の電源をお切りください」というアナウンスが流れるので
すが、さすがに、一時期のように車内で携帯で話しまくっているところは目立た
なくなりましたが、みんな、メールしてるのでしょうか、携帯をを手に、かちゃ
かちゃやってるのが多いです。なんか、異様な光景でもあります。まあ、静かで
すが・・。
話は変わりますが、わたくしは、「優先座席」というものが、嫌いです。「体の
不自由な方、お年寄りには席を譲りましょう」というのが、納得いかない。「体
の不自由な方」というのは、外見上わかる場合と、解らない場合があると思うの
です。「気分が悪くなった」「貧血」等々、見た目では解らない病気を抱えてい
る人はたくさんいます。自己申告するわけにもいかないし、そういう人は席を譲
ってもらえない訳です。まあ、昔足をケガして、松葉杖をついていたときも、譲
ってもらえたことはないですが・・。
わたくしは何かと体調が良くないので、座れるときは優先座席にでも座ります。
でも、「若いモンが・・」という、視線、つぶやきは特にお年寄りと呼ばれる方
々から、頂きます。一体、何歳からを「お年寄り」というのか解りませんが、明
らかに、わたくしよりもお元気そうな年輩の方々が、優先座席で大声でしゃべり
まくっているのをみると、ちょっと、複雑な気分・・。
だから、というわけでもないのですが、わたくしは、明らかに「座らなければ電
車に乗れない」心身状態の時は乗らない事にしています。元気なときは、席が空
いていても、座らない。しんどい時は、座れたら、席は譲らない。
ちょっと、意地になってはいるのですが、偽善的な、キャッチフレーズがきらい
なのですね。一見、良いことを言ってるように見えますが、そのために不自由な
思いや、傷ついている人もいる、ということです。
ついでに言ってしまうと、「献血」のお誘い、あれも・・なのです。区役所や駅
前で献血車がきて、よくやっていますが、献血車前で、たくさんの人が、「ご協
力お願いしまーす!!!」と、大声で呼び込んでおります。
一度、呼び込みのおじさんに目を付けられ、何度も何度も言われました。「人の
為になることだから」と。確かにそうでしょうが、わたくしは、献血できるほど
の血がないのです。しようにも、できないのです。輸血してもらったことがある
ので、献血者には、感謝しておりますが、多分、そういうことをしようと思う人
は、呼び込みされなくてもしてくれるだろうし、献血ということがどういうこと
なのかの説明もきちんとせずに呼び込みばかりに力をいれるから、健康診断がわ
りに、献血する人がでてくるんじゃあないのかな・・と、思ったりしました。結
局、献血しなかったわたくしは、罪悪感を感じたりしました。
世の中には色々な人がいるんですよね・・。

(コメント)
善意を評価するような社会のようで、そこでの善意は作られたもの、促されたものである色合いが強いですね。善意を示すことを強要されているような、そんな雰囲気がありますね。正しいとなると、そちらに雪崩を打つような感じですね。こいうことが、一度方向を変えると、どういうことになるのか、不安にさせられることは確かにありますね。また、ご意見をお寄せ下さい。



(2001、6,17到着分)


ぐるぐる日記(仮)

6月16日

毎日、TVや色んなとこで、池田市の事件の事ばかりでもうオナカ一杯って感じです。
ニュースは、国会の事とかスポーツの事が気になるので見ますが、もう、次々色々出てくる、容疑者の方の裏話みたいなものが。基本的にマスコミのいうことは殆ど信じないので、今回もそういう目で見てはいますが、腹の立つ事はたくさんあります。
障害者手帳について、書こうと思っていたのですが、時期的に勘違いされると困るのでやめます。
ただ、容疑者の方が、色んな罪から逃れるために障害者手帳を取得した、というような報道はちょっと、と思いました。わたくしも、精神障害者手帳を持っています。
でも、黄門様の印籠じゃああるまいし、そういう利用法はあり得ないと思います。仮に、容疑者の方が、そういう目的を持っていたとしても、申請するには個人ではできないことです。当然。
でもね、TVで言ってることを聞いてると、そういうものを知らない方々には、「障害者手帳」というものに違った認識を与えてしまう言い方なんですね。ただでさえ、知らない人が多いのに。
だから最近、地下鉄に乗るときなんかに手帳をみせるのですが、すごく、嫌な雰囲気を感じます。
精神障害者関係の所に、嫌がらせの電話が多くなったと聞きました。「精神障害者は死刑にしろ」とか、そういうのらしいです。多分、何もなくてもそういう電話をしてくる人はいるのでしょうが、今こうして毎日「精神障害者」が、悪いように報道などされていたら、差別や偏見は強くなっていく一方だと感じます。
精神障害者とよばれるには、医師の診断があってのことで、それには、精神科なり、病院に行くということで、症状があっても、ちょっと奇怪な行動が多くても、病院に行かなければ、診察を受けなければ、精神障害者とはよばれないのかな・・とふと思いました。ということは、「隠れ精神障害者」は、一杯いたりして、TVで、偉そうに言ってる人もそうだったりして・・?
今回珍しく思ったのは、容疑者の家族があまり責められていない感じという点です。大概の場合、「親の責任」だの、家族ぐるみで非難されて、家族は雲隠れせざるを得なくなるのに、今回は堂々とでてきてますね、お父さん。インタビューうけたり、部屋や日記を公開したりと。まあ、家族に対する責任追及というのは、わたくし的には酷な気がいつもしてるのでいいのですが、今回のお父さんの出方には驚きました。マスコミの方々は、みんなが興味をそそるような情報を提供してくれる人にはやさしいのですね。犯罪を犯した者の家族が社会から締め出されている(又はそれに近い環境におかれる)のも、マスコミに責任が大いにあるということが良くわかった、といったとこです。

最近、わたくしは調子が悪いので、色々なことに過敏になっているのかも。だから、よけいに、精神障害者に対する誤解されるようなこととか、間違ったこととか、おおげさに言うのはやめて欲しいと切に思うのです。

(コメント)
 池田小学校事件の報道には、疑問を感ずることが多いですね。どの点に疑問の強調を置くかは、人によって違うでしょう。確かに障害者手帳の扱い方についても、疑問を感じますね。ただ、今回の容疑者の扱いは、政治的なものや世論の動向にそって、精神障害者から、責任能力のある人間、また触法精神障害者、その後は、詐病という具合に、診断が二転三転していて、専門的診断より、社会的診断が先行しているように思います。そのたびに、関係者がイライラしたり、疎外感を感じたり、引っかき回されています。もう少し感情を抑えて、冷静に対応してもらいたいです。また、ひとつの事実を報道しても、それがどういう影響を与えるか、もっと考慮してもらいたいですね。


(2001,6,11到着分)


ぐるぐる日記(仮)

久しぶりの更新です。というか、わたくし自身の生活様式に変化があったことと、ある日、本屋で「ぐるぐる日記」という本(著者は申しませんが)があるのを見かけて、「むむ・・・」となってしまい、ストップ状態でした。
で、「さて」と、リニューアル編にしようと思ってなんか色々考えているうちに、自分でもわかんなくなってきたので、とりあえず、(仮)とゆうことで。
なんか、いいタイトルないですかねえ・・?
今までとは、ちょっと違った感じになります。(多分)
どうぞ、宜しくお願い致します。



6月10日
ニュースはあまり好きではないので、TVはよくみますが、ニュースは普段はみません。でも、今日はとことんみてしまいました。
やっぱり、池田で起こった事件の事が気になるというところで、なのですが。
精神障害者だから、という訳ではなく、そういう精神障害が絡んでいる(かもしれない)場合のメディアの伝え方というのが非常に気になるなあ、といった感じです。
まあ、とことんみたわりには、事件の事はよく解りません。
当然。
ただ、やけに、「精神科入院」とか、「通院」とか、それにまつわるちょっとおかしな行動とでもいうのでしょうか、そういうところを妙に大きく伝えている感じを受けました。
なんか、「中学時代の同級生」とか、そういう人がやたらでてきて色々言うし、(でもみんな首から下の映像)実父まで出てきてなんかゆってましたねえ。
みんな共通して「変な人だった」とかそういう感じなんですけど、まあ、実際そうだったのかもしれませんが、そこで、「精神疾患」を絡めてくるとこが、嫌な感じです。
絶対言うんですよ、「なんでそんな人を野放しにしておいたのか」って。
でも、世の中、変な人なんて一杯いるんじゃあないですか、なにをもって「ヘン」というかにもよりますが。
精神科に通院している人がみんな変な人だと、どこかいいたげなんですね。
でも、「女優の○○さんが、パニック障害を克服」とかは、美談風なんですね。
精神障害者と、そうでない人の境界なんて、すごく曖昧だと思いますが、あるとするならその両者の間にいはゆる「差別、偏見」は存在するのは仕方ない。
でも、精神障害を抱える人たちの間でも、「差別、偏見」は、やっぱり、あると思います。
まあね、凶悪事件が起こるたびに、精神障害者に対する風当たりが強くなるから、「精神科に通院してるからって、一緒にされちゃかなわない」と思うのも仕方ない事かとも思いますが。
正直、こういう事件が起こると、複雑な気分ですね・・。
だって、精神障害を抱える者としては、関わりはなくとも、関係ないとも思えないですよ。やっぱりね。

(コメント)
 何か理解できない事件が起こると、その背景に精神障害というものがあるということになると、すべてをそれに結びつけてしまうのは、奇妙なことです。「精神科に通院中」という報道は、何かを説明している感じがするのかもしれませんが、「歯科医院に通院中」とか「アデランスに相談中」などというのと、本当に違うのでしょうか。




(2001,3,8到着分)


しあわせぐるぐる まいにちぐるぐる アタマぐるぐる

「ぐるぐる日記」


「社会」って、なんなんでしょう?と、最近特に考えます。
何らかの「障害」を抱える人は、よく聞く言葉だと思います。「社会参加」というヤツです。何年か前は、「社会復帰」という風にいわれていましたが、まあ、あんまり意味合いとしては、変わらない様に思います。言葉の意味は違っても、内容が、です。
精神障害を抱える者としては、「社会参加を目指す」という「目標」になっているのですが・・。
わたくし自身の考えに過ぎませんが、障害をもった人も、もっていない人も、全部を含めて「社会」というのは成り立っていると思うので、「社会参加」という言葉には、いまいち抵抗を感じます。仕事をしていないと、社会に参加していないことになるのでしょうか?
確かに、生産活動に参加していないと、なんとなく社会に関わっていない様に感じることはあります。でも、生きている限り、何らかの形で社会とは、関わっていると思うのです。
たとえば、買い物をする、という行動だけでも、お店に行って、お金を払って、商品を買う訳ですから、お店の店員さんと、話はしなくとも関わったことになると思いますし、お金を払うということは、経済循環に、関わっている訳です。
外出できない、としても、TVをみたり、パソコンを使ったりしている事も、もっといえば、食事をしていることも、ぐるぐる周り回って、何らか社会との接点となる、と思うのです。
でも、実際、仕事をしていなかったり、精神科に通院している精神障害者というのは、肩身の狭い思いをすることがとても多いのです。仕事をしていても、障害を抱えている人は、同じだとは思いますが。
まず、周囲の人の理解を得る、ということが大変難しいことです。昔に比べたら随分とマスコミやなんかのお陰で、いはゆる「差別」の様なものは減ってきているのかもしれませんが、その逆効果として、「差別」というより「区別」されているように感じます。
よく、なにか、不可解な事件が起こると、その起こした人物が「精神障害者か」ということに、注目されています。そして、「精神科通院歴があった(ある)」となると、なんとなくみんな納得しているような、もっと踏み込んで言えば、「どうしてそんな危険な人物を野放しにしておくのか」というような。
日々の生活の中でも、そういう人々の反応というのは伝わってきますから、障害を抱える者も、「社会が悪い」とも、言いたくなってくるのでしょう。そしてますます、隔たりのようなものができてきてしまうのでしょうか。
少し話はずれますが、わたくし個人の体験ですが、国や、市というレベルで、嫌な思いばかりしています。区役所というのは、本当にどうなってるのかなあと思うくらい訳が分からないところです。
無職で、障害年金の申請をしているわたくしのところにも、きちんと、市・府民税の支払い通知書が送られてきます。免除してもらおうと申請に行っても、「何々の書類をもってきて下さい」で、持っていくと、「何々の書類が足りません」と、絶対1回では済みません。何度も足を運んでその度に違うことを言われ、職員の対応もバラバラ・・。そうしているうちに支払い期日がきてしまい、督促状は、素早く送られてきます。国民保険に関しても、何度も何枚も書類を持っていってやっと、保険料が引き下げられたと思ったら、世帯合併した途端、10倍以上の額に変更され、理由を聞いても、はっきりした答えは返ってこず・・。
障害年金に関して言えば、国レベルのシステム的な事だと思いますが、障害を持った人が、一人で申請の手続きをやり遂げるのは無理です。わたくしは全て、家族に委任してやってもらいましたが、書類を全部揃えるのに約半年かかりました。その間の苦労は、絶対に、わたくし一人ではできないことだな、と思います。あちこちに書類をもらいに行ったり、書類を書いてもらったり、説明したり。ものすごい労力がいります。わたくしは、一つだけ、自分で申請の書類を書きましたが、それはもう、大変な苦痛な作業でした。そうして、なんとか、申請に至ったものの、まだ、不備があるとかで、送り返されてきたりで、審査の方はいつ結果がでるのやら、といったところです。
障害があって、働けない、となると、経済的に困ります。だから、障害年金の申請をしている訳です。なのに、こんなにややこしいシステムで、申請しなければならないというのは、納得のいかないことです。審査にも、時間がかかる。その間も、日々生活していかなければならない、となると、本当にどうしましょう、と途方にくれることです。
身近なところから、理解してもらう事も大変なのですから、国や、都道府県レベルで、理解してもらおうというのは、非常に今の現状では、難しい気がしてなりません。これが、「社会」というものなのでしょうか。
人ごとだから、と思っていても、いつ、自分がそういう立場におかれるかというのは、わからないものなんですが・・・・。

(コメント)
社会復帰というのはどういうことなんでしょうかね。昔は、社会人なんていう言葉があって、学生を終わると、社会の一員になるという受け止め方がありました。社会人というのは、学生の次のものだったのですね。仕事をしていた人が、一時ずっこけて、その後で仕事に戻るのを、社会復帰と呼んだのです。仕事をしている人が、一応の目標だったわけです。このごろは、社会人入試とか言うのがあって、目指す大学に入るために、とりあえず社会人になっておくという選択があったりして、もう社会人は目標ではないですね。それに、フリーターなぞというものも一般化して、モデルになるような人々もずいぶん少なくなりました。
 今になって思うと、社会人ではなく会社人で、社会復帰でなく会社復帰でしたねえ。



(2001,2,6到着分)

しあわせぐるぐる まいにちぐるぐる アタマぐるぐる ぐるぐるぐるぐる

「ぐるぐる日記」Act.13


やどかりの身分で、二ヶ月近くも更新しないという、失礼なことになってしまい、やどぬし様より、じんわりと「消滅」の危機を伝えられ・・。
書きたくない訳ではなく、書けずにいたという、言い訳をしてみました。
さてさて、最近本当にぐるぐるしてしまっているわたくしです。
「答えのないもの」に「答え」を求めること、というのは、ぐるぐるしてしまいます。わかっていながらも、答えを探したり、追求したりしているうちに、自分自身や、時には、他人をも追い詰めている事に気付き・・。
何人かの人に、わたくしの「欠点」として、「答えのないものに答えを求める」と、指摘されたことがあり、むむ・・と、なるのですが・・。
生きている中では、生活している中では、「答えのないもの」だらけで、当然であって、その、「答え」というのも、絶対的、普遍的なものなんて、あり得ない訳で。結局、不安だから、「答え」を欲しがるのかもしれません。
昔に比べると、年齢的にも、時代的にも、選択肢が多くあるのですね。「個性を尊重」「個人主義」というのは、「なんでもアリ」と捉えることもできるので、自分自身の中にしっかりとしたものがないと呑み込まれてしまったり、方向性を見失ったり・・という事態に陥りかねない。
と、書いているわたくし自身、今、かなり見失っています。
やりたいことがない訳ではなく、できない環境という訳でもない。でも、何故かフリーズ状態なのです。
以前友人が言っていたことで、「誰でも大きくジャンプする前というのは、止まったり、しゃがんだりするのだから、何もできない時というのは、ジャンプする準備段階なんだよ」と。
その、準備段階が、時間にすると、長かったり短かったり、人によって、状況によって、違ってくるとは思いますが、やっぱり、不安な時期であって当然なのかなあと思います。自分がこれからどうなっちゃうんだろう・・と、途方に暮れたりもします。
その友人は、今かなり大きな「ジャンプ」中です。もちろん、彼女にもしゃがんでいた時期があり、不安を抱えながら止まっていた時期があります。でも、ジャンプしている今、だんだん不安になってきたようです。「何処にどのように着地するんだろう、いつ着地するんだろう」という、不安です。
そういう時々に、「答え」というのが、欲しくなるのかな・・と思ったりしています。確実なものが欲しいといったところでしょうか。
こういう時は、開き直って、じっくり自分自身と向き合いながら、時期を待つのも手かな・・というか、そうするしかないのかな・・。
結局ぐるぐるしているのでした。

(コメント)

 「星の王子さま」に大事なものは目に見えないという言葉がありましたが、大事な問いには答がないものでしょう。そういう問いにぶつかることが人間的成熟の条件ではないでしょうか。うちの医院には、ことあるごとに、「僕どうなるの?」とつぶやく男性がいるのですが、見ていると日々成熟しているように思えます。





(2000,12,23到着分)

しあわせぐるぐる まいにちぐるぐる アタマぐるぐる 

「ぐるぐる日記」Act.12


20世紀も、残すところあとわずかとなりました。世紀をまたいで生きるという経験はそうそうできるものではないので、貴重な事なのでしょうが、全く実感のない、わたくし。
小さい頃から、なんとなく、自分は早死すると思っていたので。根拠もなくですが。もし、生き続けたとしても、1999年には、終わるだろうと、ノストラダムスを真剣ではないですが、なんとなく信じていたので、まあ、しんどい時やなんか、「もうすぐ、1999年だし、それまでがんばろうかな」と思ったりして、「困った時のノストラダムス」って、とこでしょうか。でも、1999年も、2000年も、地球は滅びることなく、わたくしも生き続けております。ノストラダムスの予言ももうあてにはすまい。そうなると、先の事も考えねば。
前回に引き続き、「夢」についてなのですが、先日、あるドラマを見ていて、「むむ」となりました。内容はさておき、1シーンで。
てっちゃんという、大工見習いをしている男性が、小学校低学年ぐらいの男の子に、「将来の夢はなんや?」と、聞くんですが、男の子は、「パイロット」とか、答えるわけです。で、、男の子が「てっちゃんは、将来の夢は?」と、聞き返すんです。てっちゃんは、寂しそうに、「夢なあ・・昔はぎょうさんあったけど、削られて削られて、今はもうほとんど残ってへん」
確かに、小さい頃は、色んな夢を持てるんですが、成長と共に、現実と直面して、だんだん、夢が減っていく気もします。小学校の卒業文集やなんかに書いていた夢を叶えられた人って、割と少ないような・・。がんばっても、無理な事というのは、たくさんある・・、と言ってしまうとみもふたもない感じですが。
学生時代は、バンドを組んで、「ミュージシャンになるぜ!!!」とか、熱く語り合っていた仲間も、今は、サラリーマン、楽器に触れることもなく。まだ、ギター弾いてるのは、オレだけか・・。とか、よくある話ではないですか。わたくしの弟も、高校時代、「オレは世界にはばたくミュージシャンになるからな!!!」と、バンドを組んで、かなり、盛り上がっていたのですが、今では、家業を継ぐべくちゃくちゃくと、地味に大学生活を送っております。彼が、それで満足しているようにも思いませんが、「就職、キビシイしな、まあ、家継いどいたら、安泰やし」と言っているとこを見ると、現実との兼ね合いの結果なのでしょう。
夢というのは、常に現実との対極線上にあるものなのかもしれません。というか、対極にあってこそ、夢なのかもしれません。現実や、現状と検討した上で、「こうありたい」というのは、希望であり、目標でもある。夢というのは、「手が届くか、届かないか」といったところにある、ものなのかなあ・・と。ある一定の年齢になると、「将来の夢」をきかれることは、殆どなくなります。でも、常になんらかの「夢」があるのは、良いことだと思います。それが、叶えられるかどうかは、別として。叶わなければ、叶えられなければ意味がない、というものでは、ないと思うのです。叶うかどうかというのは、結果でしかないのですから、例えがんばらなかったとしても、夢を持って生きているというだけで、意味はあると、思います。
「夢」について、書こうと思ったのは、前回のように考えるきっかけがあり、世紀末にもふさわしいかと思ったからですが、大変難しすぎて、一番時間をかけて、考え書いたものの、内容としては、中途半端な感じになってしまいました。とりあえず、わたくしの夢は、もっと、良い文章が書けること、でしょうか。
この、やどかりコーナーを見てくださっている方に、感謝しつつ、来年も、どうぞ、宜しくお願い致します。

追伸:「お便りコーナー」に感想があって、嬉しかったです。ありがとうございました。

(コメント)

私のこどもが小さいときに「大きくなったら、何になる?」と聞いたら、「大きくなったら、ゾウさんになる」と返事しました。そのころ、テレビにおかあさんと一緒という番組があって、その中の体操の歌に、「大きくなってゾウさんになれ、小さくなってアリさんになれ」という歌詞があったのです。それで、その歌詞そのままを言ったのでしょうが、「大きくなったら、ゾウさんになる」という返事もなかなかでしょう。
その話を、そのころ務めていた病院の医局で昼食の時間にしたところ、聞いていた先生が突然笑いだし、食べていたご飯が、テーブルに吹きこぼれたことがありました。本当に噴飯ものですね。人騒がせなこどもです。


(2000,12,4到着分)

しあわせぐるぐる まいにちぐるぐる アタマぐるぐる ぶつぶつぐるぐる

「ぐるぐる日記」Act.11


風邪でダウン。寝ながらぐるぐる考えたりして、そういう時は脈絡のないことなんぞ考えたりもしますが・・。
以前書いたようにお守り作りを、続けていますが、年始に向けて注文が多いらしくこちらに依頼される仕事も増えてきて、「なるべく早く」というコメントつきが増えてきました。それにともない、形やなんかも、バリエーションが増えてきました。
先日、「大至急」というのがきて、ふむふむ、と作ってるうちに、ふと、よく見ると・・。
小さいコバン型で、パステルカラーで、ちょうど中央の辺りに金色で、「夢」とデカデカと、刺繍されていて・・・。
最初はあまり気にしていなかったのですが、50個くらい作ったところでなんか、「お守りに、夢って、かいてあっても・・」と思い始め、100個くらい作ってバーッと並べてあると、なーんか不愉快な気分になってきました。のほほんと歩いている時にいきなし見知らぬ人に腕を掴まれ、「今の生活で良いのか?君の夢はなんだ??其れでよいのかー???」とか、問われているような、そういう気分です。
「大至急」なので、家族に手伝ってもらっていると、「夢か・・」「夢ねえ・・」とか、つぶやいていたりして。
ふと、友達のことを思い出しました。
彼女は、小さい頃から、先生になりたいと思っていました。「金八先生になりたい」と。「金八先生」好きで、ビデオも全部揃え、金八先生の語録もバッチリ。かなりのマニアです。
まあ、只の憧れで終わらせず、見ていると割と苦労をして、「先生」と呼ばれるようになりました。と、いっても、まだ、教師という職業に就けたとは、言い切れない・・教員採用試験に、合格していないのです。(採用試験にも、問題があるように話を聞くと思いますが)でも、産休や、病休の先生の代理の先生を、あちこちの中学や、高校でしています。担任ももったりして、大変そうでしたが、楽しそうでもありました。
その彼女も、今は、ため息をついています。
今は、中学の先生ですが、「金八先生も、もうあかん・・」と。要は、時代の流れというか、「最近の子は・・」というと、自分がすごく歳をとったようで、嫌なのですが・・。病休の、先生の代理として、先生をしていますが、初日から、「これは、病気にも、なる・・」と、納得したようで。
彼女は、「先生になりたい」という夢は、叶えられつつあるのですが、「金八先生のような」という面では、かけ離れていきつつあるらしく、その点納得いかないらしく、悩んでいます。
うーん、それは、「サザエさん」の頃合いかな、と、思いました。
小さい頃から「ドラエもん」と、「サザエさん」を、見ていて、最近ふと思ったのですが。
「ドラエもん」は、かなり、道具に煮詰まってきている感じがするのです。「未来の世界のネコ型ロボット」ですから、「夢のある」道具をだしてくれなきゃ困る訳です。「便利」だけでも困る。でも、これは、かなりうろ覚えなのですが、小さい頃見ていた中で、「ハンディいとでんわ」という、道具があったような。
いとでんわの糸のないやつみたいなので、持っていると離れてても、会話ができるという・・「わあーすごい」と、思った覚えがありますが・・今、ドラエもんが、それを出しても、「それって、ケータイじゃん」。
携帯電話の方が、しかも便利です。今や小学生でも、持っていたりするのですから。そういうとこで、ドラエもんは、ちょっと、煮詰まってる感じです。
「サザエさん」の方は、全く時代を無視するでもなく、かなり、うまくのっているように思います。やっぱり、公衆電話がいつまでも赤電話だと不自然じゃあないですか。でも、マスオさんが、携帯とか持っていたら、なんか、がっかりするじゃあないですか。
その辺の、頃合いだと思うのです。
時代にのりつつも、サザエさんのスタイルは、崩さない。カツオはやっぱり、TVゲームではなくグローブを欲しがるし、未だ「オヤツはー?」とか、言ってます。波平さんも、屋台で、飲んだりしている。屋台のオデン屋なんて、見たことないけど、サザエさんの中では不自然じゃない。
時代の移り変わりや、流行って、本当に早いスピードで進んでいくので、うまく生きていくには、やっぱり、この、サザエさんの頃合いかな・・と。
「金八先生」も、確かに今見るとちょっと、という感じもします。どの辺の頃合いでいけば、いいのでしょうね・・・。
でも、「金八世代」なので、やっぱりあの暑苦しくもあるキャラが、好きです。

「夢」とかかれた、お守りに追われつつ、寝込みながら、夢についての考えはぐるぐる続く・・・(予定)。

(コメント)

私も風邪気味で、苦しい毎日です。ティッシュのお世話になっていて。またたく内に、くずかごがティッシュの山。これで地球の森林資源の一部を破壊しているなあと反省しています。
でも、鼻の穴の粘膜というのは、こちらの意志通りには働いてくれないので、しょうがないですね。今度生まれるときは、もっと強靱な鼻粘膜の持ち主に生まれたいですねえ。これが私のささやかな(?)夢でしょうか。問題の小判型のお守りを買ってみようかな。どこにいけば買えるのでしょうか。???・・・はてはてむむー。



(2000,11,17到着分・18コメント追加)

しあわせぐるぐる まいにちぐるぐる アタマぐるぐる がんばれぐるぐる

「ぐるぐる日記」Act.10



わたくしがパソコンを使い始めて、4ヶ月になります。全くの初心者なのです。
パソコンが、出回り流行りだしたときすでに乗り遅れてしまい、もういいや、と思っていました。だから、みんながネットがどうとか、ホームページがどうとか話していても、てんでさっぱり、解らなかったし、解ろうともしませんでした。基本的に、電話より手紙派なので、パソコンがあれば便利なのかも・・とは思いましたが、乗り遅れた以上、今更もういいや、という感じでした。
メールに関しては、PHSや、携帯から送れると知っていましたが、そういうものを持ち始めたのも人々より遅かった方なので、機能を把握できず、使っていませんでした。元々機械ものに弱いので、あまりさわりたくないのです。すぐ、何かあるとイライラして、叩けば直る、と叩いて壊すので、さわらないのが一番でした。
しかしながら、昨年の夏、入院することとなり、絶対安静状態で暇だったので、メールに手を出してみることにしました。(本当は病院で使ってはいけないのですが)暇だったこともあり、かなりハマッってしまい、訳の分からないメル友までつくってしまいました。やりとりとしては、知らない人ですし、一応自己紹介のようなものはしているものの、本当かどうかもわからない妙な関係ですから、「今日は暑いです」とか「今から仕事です」とか、どうでもいいような事ばかりで、すぐに、フェイドアウトしていくのですが。
でも、とりあえず、周りの人が皆パソコンを持っていても、メールのやりとりさえできれば、それで充分でした。
時に、高倉健さんが、パソコンのCMをしているのを見て、やや欲しい熱が高まったりもしましたが、ちょっと買う、という値段でもないので、知らんぷりしていました。
それが、この夏、我が家に降ってわいたように、パソコン一式が、やってきました。(何故か、健さんのCMしていたパソコンでした)さてさて、とパソコンに取り掛かる決意をしまして、箱を開けるや、もう、はてはて?という状態。何がなんだか全くわからないのです。
とりあえず、セットアップというのでしょうか、動く状態にしてもらいました。あとは、説明書とにらめっこ・・しようにも、書いてある言葉が解らないのです。(未だにかなりあやしいです・・)パソコンするからには、インターネットもしたい。そこで、よく店先なんかに置いてある、プロバイダーの「簡単お申し込みCD−R0M」をもらってきて、プロバイダー契約に挑戦。
ところが、全然簡単ではありませんでした。今思うとかなり訳の分からない事をしてしまったがために、ややこしくなったと思うのですが、契約までに丸一日費やしました。途中何度パソコンを叩きそうになったことか。
そして、やっとのことで、インターネットもできるようになった途端、パソコンが全く動かなくなり、誰に聞いても「知らない」と言われるようなエラー表示が。「なんで、日本語ちゃうねん!!」「なんで、ここが悪いとか、いってくれへんの!!」と泣きながら色々してみても、ちっとも動かずで、さすがに、もう疲れ切って、ほっとくことにしました。見かねた家族が修理に出そうと、1週間後に修理に出しに行く日の朝、ふと電源を入れると何事もなかったかのように動きだし、「よかった、よかった」と、今に至りますが、その時の現象はナゾのままです。
いまでは、パソコンなしではちょっと・・というくらいフルに活用してはいますが、やはり、納得のいかない事や、イライラはしょっちゅうです。文章を打ち込んでいて突然全部消えてしまったり、意味不明なエラー表示や警告文があらわれたり。
用語が難しすぎるのです。何を言ってるのかがさっぱりわからないし、なんで突然こんなことに?ということが多い。でも、相手は機械ですから、何を言ってみても融通なんてききません。
最近も、ネットに接続するとき、「回線がビジーです」が、2,3回続くと「モデムが検出されません」と、つないでくれなくなります。とりあえず、電源を落とすと復活しますが、何故でしょう?
この「ぐるぐる日記」も、よく文字化けしています、何故でしょう?
ネットを開けて普通に見ていると突然「このプログラムは不正な処理を行ったので強制終了します」と、閉じてしまわれます、何をしたというのでしょう?

まだまだ、疑問だらけのパソコン生活です。
そして、やっぱり、手紙は手書きしている今日この頃です。突然消えることもないですし。

(コメント)
コンピューターが便利だなんて誰が言ったのだ。OSはしょっちゅうバージョンアップするし、それにつれてハードも変えなくちゃいけないし。やたらフリーズするし、知らない内にウイルスは侵入するし、大事な時にプリンターが動かなくなるのが当然みたいだし。ひどいときには、Windowsを一日三回も入れ直したこともある。これを欠陥商品と呼ばずして何をそう呼ぶのか。とんでもない金食い虫だと思っても、いまさら使用を取りやめるわけにも行かない。こんなものを作ったのは、誰かの陰謀としか考えられない。そうではござらぬか、おのおのがた。

(コメントのコメント)
うちの主人は会社でパソコンをさわっていますが、Windowsを一日三回入れ直すなん
て序の口です。やれあっちのパソコンが調子悪い、こっちのパソコンが調子悪いなん
て振り回されて。でも、まだ会社のパソコンならまだいい。お客さんの家に行ってパ
ソコンの調整やらされると、訳がわからん。しかしWindowsならどうにか大丈夫。Mac
だったらもう頭真っ白。マイクロソフト関連の研修には行かされるし、試験を受けな
きゃいけないし、資格も取らなくてはならないし。時にはパソコン教室の先生なんて
いう仕事も舞い込んでくる状態であります。
ちなみに、主人の会社はパソコン関係の会社でもなければ、ソフト関連の会社でもあ
りません。なのになんでこんなにパソコンに翻弄されるのか。もうほとんどテクノス
トレス、ノイローゼ寸前です。
ぐるぐるさんに、先生。趣味でやってる分には、まだましだと思いましょうよ。
  (5963)




(2000,11,14到着分)

しあわせぐるぐる  アタマぐるぐる まいにちぐるぐる はてはてぐるぐる
 「ぐるぐる日記」Act.9


最近、わたくしの周りで「第二次結婚ブーム」が到来してきているようです。「第一次」の時は、わたくしがまだ、仕事をしていた時で、主に子供ができたので慌てて結婚・・というパターンが多く、また主に、披露宴、二次会の、「どう考えても、人数合わせかなあ・・」という感じで駆り出されておりました。
しかし、今回は、ちょっと、違っていまして、なにかと複雑な相談、というか、ちょっと聞いて!的な感じで、聞かされるこちらが、「はてはて、むむぅー」となることが多いのです。
お付き合い歴6年の2人がいまして、彼女の方から、ため息つきつき、「どうしたらいい?」電話。
わたくしと、そのお二人とのお付き合いは、半年程ですが、仲良さげで、もうかなり前から結婚話もでている、とのことでした。ところが、彼女いはく、「彼とは結婚したくない」と。
というのは、彼が、以前精神的に調子が悪くなり、仕事もできず、精神科に通っていた時期があったというのです。その時は、彼女がかなり支えになってがんばっていたようで、彼も、「彼女のお陰で治った」と、今は仕事に精を出しています。しかし、彼女はその時かなりしんどかったのでしょうか、くわしくは解りませんが、「また、ああいう事になったら絶対彼とはやっていけない」と宣言しています。そうなると、彼も必死です。彼女はどこかで、「また、調子悪くなるかもしれない」と思い続けて、少しずつ彼への気持ちが遠のいていってしまい、彼のことが嫌いではないけれど、他に好きな人ができてしまいました。そして、彼に一旦別れを告げたのですが、数日後彼の友人より電話で「振られたせいで、落ち込んで、毎日お酒に浸かっていて、どうしようもない」と。彼女にしてみると、「もう関係ない」と思いつつも、嫌いではないので、気になる、自分のせいでまた精神的に悪くなってしまったら・・と連絡をしてしまいました。彼は必死ですから、高価な指輪を贈り本格的にプロポーズ。彼女は、そのままずるずると、いはゆる「二股」の状態に。彼女はどうしても、彼とは結婚できないと いう。でも彼はそんな彼女の気持ちを知らないので、着々と結婚にむけて準備中。彼女は「本当の気持ち」を言うとまた彼の調子が悪くなるのでは、と言えず、途方にくれていました。そうして「どうしたらいい?」と。かなり疲れた様子。
何故、また、精神科に通うようなことになったら彼とやっていけないのか、はっきりとは、解りませんでした。でも、彼女の気持ちが解らないでもなかったので、はてはて、と思いつつ、とりあえず、今は色んな事の答えがでないのだから、あまり考え込んでもねえ・・とか、言って電話を置きました。
ところが、一週間後、彼の友人より「2人の結婚の日が決まった」と聞き、びっくり。彼女に電話しました。すると、二股で付き合っていたもう一人の彼に振られてしまった、もう、疲れたし、話がどんどん進んでいくので結婚することにした、と。「本当に結婚するの?」ときいても、彼女自身がそう言うのだから、どう言っていいのか解らず、はてはて、むむぅーと、なりました。

もう一つ、3年の結婚生活に半年程前にピリオドをうった彼の話です。離婚は、奥さんの方から突然切り出されました。その、奥さんは結婚して1年目ぐらいに、精神疾患にかかり、精神科に通院したり、入院したりでした。しかし、彼は、不思議なくらい奥さんの病気に関して全く無関心でした。そして、思いあまった奥さんが、離婚を切り出したそうです。「もう、一緒にやっていけない」と。彼にとっては突然の話で、驚いたようですが、一旦言い出したらきかない奥さんだったようで、彼はあっさりと離婚しました。しかし、彼は、またきっと自分の所に戻ってくると信じていたようです。ところが2ヶ月程前、元奥さんより、「もう彼がいるし、あなたと結婚することは、二度とない」とはっきりと言い渡されました。(離婚した時にも言われていた様ですが)びっくり、がっくりした彼はヤケ酒を飲み、合コンへ。そこで、知り合った女の子と流されるように付き合い始め、つい先日、「結婚する」との電話が。なんでも、バツイチと聞いた彼女が、元奥さんにやきもちを焼き結婚をせまってきたそうなのです。「で、その彼女のこと、好きなの?」と聞くと、「わからん」と。「バツイチは、結婚 できにんって、言われるし、結婚しようかなーと思って」・・・またしても、どう言っていいか解らず、はてはてむむうーです。
「結婚」って、何なんでしょう。この2件は、特例なのか、よくある話なのか解りません。両方とも、少しですが精神疾患が関係していたので、考え込んでしまいました。
わたくしの祖母は、親に「この人と結婚しなさい」と言われ、結婚式当日に初めて祖父とご対面だったそうですが、昔では、よくある事なのでしょうか。わたくしの実母は、田舎育ちで、京都という地に憧れ、それだけで実父と結婚しました。2人とも、「顔も見たくない」と、別居、離婚騒動を繰り返し、祖父は亡くなりましたが、今に至っています。

本当に、「結婚」って、何なんでしょう。「ゴール」ではなく「スタート」。新たに「家族」を造り上げていく、そういうもの?
わたくしは、模索中です。


コメント)
 結婚について、次のように考えています。結婚しないより、結婚した方がよい。続けられるものなら、続けた方がよい。しかし、離婚をさけることに絶対的な価値があるとは思わない。一言で言えば、「まあ、いろいろあっていいのじゃない。」ということです。それ以上のことは、いくら考えてもわかりませんねえ。友人から、結婚について相談されたこともありますが、後から考えて、適切な話をできたなあということはありません。しょせん、他人の結婚の内実なんてわかりませんねえ。そうそう、自分のこともわかりませんよねえ。





(2000,11,1到着分)

しあわせぐるぐる  アタマぐるぐる まいにちぐるぐる ぐるぐるやってみようパート1
 「ぐるぐる日記」Act.8



寒くなってまいりました。暑いのも嫌ですが、寒けりゃ寒いで、動きが鈍くなるわ、外出するにも一苦労で。
だいたい、今の時期はどのくらい厚着すればいいのかで、かなり悩みます。建物の中は、割と暖かいし、でも、外は寒いし・・。
最近街を見回すと、長袖Tシャツ一枚の人から、セーター、マフラーもしてる人まで。色々ですね。

そして、寒がり、外出苦手の無職のわたくしにぴったりなお仕事が舞い込んできました。
内職、です。
市内のはずれにある、その会社(?)に行って来ました。一見、普通の民家のようですが、扉を開けると、ダンボールの山、山・・。人より高く積み上げられていて、地震が来たら、確実にダンボールなだれが起こりそうです。みなさんなんとなく、いい感じの活気があって、親切な方ばかりでした。
仕事内容は、「これぞ内職」といいたくなるような・・。「お守り作り」です。見渡すと、全国あちこちの色々なお守りが分解された状態で、積み上げられています。わたくしのお仕事は、よく車なんかにくっついている、吸盤つきのお守り作り。ばらばらの状態のお守りを、「〇〇神宮」とか書かれている方が裏、「交通安全」とか書かれている方が表で、中に、「これが、神さんですから、忘れないで入れてください」と言われた神・・というか、紙きれを入れて貼り合わせる。そして、周囲をまたぐるりと紐で貼り付けてきゅっとしばってできあがり。文章だと簡単そうですが、まあ、簡単ですが、結構コツがいるというか、気は使います。お守りだし。
そして、1個7円也。ちなみに、わたくし、実家が寺でして、(かなりビジネスな寺です)ちょっと、裏事情とか、知っていたりするものですから、思わず、「7円スタートか・・・。いやでも、このバラバラ状態を作った人もいるわけだから・・・」とか、経済の流通経路のようなものを垣間見たような・・・。まあでも、とりあえず、わたくしが貼り合わせたお守りが、どこか遠くの神社やお寺に送られ、色んな人が色んな思いを込めて、買い求める訳ですから、少し嬉しい気もします。

わたくしも、お守りをもっています。それは、大切な唯一の家族が、名刺サイズの紙に、「怪我しないように」「いじめられないように」等、書いて、カードケースに入れてくれた物です。外出が苦手で、よく怪我をしたりするわたくしに、ある時、作ってくれました。
わたくしにとっては、何よりも大切で、効き目のあるお守りです。
お守りって、そういうものだと、思います。

そういえば、Dr.から、バリ島で購入したという、「魔よけ」を頂いたことがあります。現地の方が手作りされたものらしいです。バナナの皮にすごく細かい丁寧な絵が書かれていました。日本で言うところの「お守り」だとしたら、はるかに心がこもっているように思います。
そして、確かに、「魔」は、避けて行っているようです・・・Dr.の念かもしれませんが・・・。

(コメント)
 私の故郷では、家を新築するとトイレに男女の人形をお守りとして埋めることになっていました。なかなか、いい感じの風習だと思います。私もお守り収集みたいなことをやった経験がありますが、結論としては、お守りというのはその場限りの使い捨てを本質とするものだと思います。永久不滅のお守りなんて、効果が乏しいでしょう。内職で作る、張り合わせのお守りなんて、良いんじゃないですかねえ。



(2000,10,27到着分)

しあわせぐるぐる  アタマぐるぐる まいにちぐるぐる
 「ぐるぐる日記」Act.7


とうとう、「やどかり」になってしまいました。今までは、1クリックで開けたページも、2クリック必要となり、果たして開いてくださる方は、おられるのでしょうか・・とやさぐれている間にDr.が「診察日記」なんてコーナーをはじめたりして、負けじと書いております。そもそも、この「ぐるぐる日記」は、わたくしが気の向くまま、ココロの赴くままに書いているものですから、「やどかり」で良いのでしょう。
そして、ふと思い出したのですが、「ぐるぐる日記」をはじめに送ったときに、「医院のホームページがあまりにも更新されていないのではないか?これでは、見る人も減ってしまうでしょう。医院の事とか、書きますね」と、言ったことを思い出しました。これは、全くの余計なお世話で医院のホームページは、割と皆様に愛されているようですね。しかし、言ったからには、やはり、医院のことを書こうと思います。わたくしからみた、つかさき医院ですので、独断と偏見も含まれております。また、他のコーナーをあまり見ていませんので、他のコーナーの方がつかさき医院について、よくわかるかも、しれません。(Dr.の検閲も入りますので、一部伏せ字が入るかも、しれません)
わたくしと、つかさき医院とのお付き合いは、そんなに長い方ではないと思います。「診察日記」にあるように、わたくしも、病院ぐるぐる派で、流れ流れてたどり着いて、何故か、居着いてしまっているという感じです。
つかさき医院は、北山大橋を西に歩いていくとあるのですが、マンションの1Fだからか、うっかり見落としそうになります。特に車だと解りにくいです。2,3軒隣に、動物病院があって、最初そっちに行きかけてしまいました。わりと、きれいな感じの医院で、入りやすいです。
入るとすぐ、待合室になっておりまして、左斜め前方に受付があり、美しい受付の方が、声をかけてくださいます。Dr.の好みでしょうか、事務長さんをはじめ、つかさき医院の女性スタッフの方々はみな、美しいです。受付右に廊下があり、少し行くと診察室、面接室とあり、つきあたりにデイケア室があり、デイケアのメンバーさん方が集まっておられます。時々、奥から笑い声や拍手が聞こえてきて何事かと思う方もおられるかもしれませんが、デイケアです。
つかさきDr.は、わたくしから見ると、診察以外の時間に診察室にいないDr.です。Dr.というと、常に診察室にいるような気がしますが、つかさきDr.は違います。うろうろしています。若しくは、デイケア室にて、ゲームなぞ、されています。(もちろん空き時間のことです)Dr.なりの、その時々にブームがあるらしく、「マリオカート」「ぷよぷよ」など、TVゲームから、ジグソーパズルなど。去年のクリスマス前には、のこぎりで木を切るような素晴らしい音色を医院中に響かせて、ヴァイオリンで、「きよしこのよる」を・・・。(素晴らしすぎて、何の曲かわかりませんでした)診察室には、骨董品というのでしょうか、小さめの置物やなんかがたくさんあって、「いいでしょう、これ」と、ひそかに自慢されてしまいます。かなり、色んな事に関して物知りなDr.なので、わたくしが、パソコンをはじめた時なんぞ、診察は、パソコンの話で終わってしまったという事もありました。でも、普段はそういう感じでも、イザという時、わたくしにとっては、かなり頼れるDr.です。つかさき医院自体とてもアットホームな雰囲気なので、そうぁw)いΕ。璽蕕北イ・譴董△弔・気O絮,膨民,靴討い襪里 ・發靴譴泙擦鵝・・w)挺凾タはしきりに、目標や方針となると、「美男美女をつくること」といわれます。詳細は、このホームページのどこかに載っていると思いますが、ココロの病気に関して、「治す」と意気込んだりすることは、それ自体しんどいことのような気がします。だから、ココロが楽になれば、きっと「美男美女」に自然となっていくのだろう・・・と、なんとなく受け止めています。
つかさき医院は、すごく「敷居の低い」精神科だと思います。堅苦しさや息苦しさはありません。沈んだ気持ちで診察に行って、帰りには少し笑えている時もあります。(Dr.のギャグにうけている訳ではありません)そして、多分いつのまにか、つかさき医院に行かなくなる日が、来るような、わたくしにとっては、そういうところ、です。

今回は、脈絡のない文章になってしまいました・・。Dr.の魔力のせいでしょうか。

(コメント)
医院を開設したときは、患者も少なく、いつもデイケア室で、テレビゲームなどやっておりましたなあ。まばらな外来患者という状況でした。ゲームに熱中していて、外来の患者さんが来ているのに、コントローラーから指を離せませんでした。見るに見かねた患者さんから、「先生、外来の患者さんが待っていますよ」と言われて、それでも指を離せず、「先生!患者ストップ」などと言われていました。今は、とてもゲームをやれる状態ではありません。昔なつかしいです。



(2000,10,9到着分)

しあわせぐるぐる  アタマぐるぐる まいにちぐるぐる
 「ぐるぐる日記」Act.6


さて、前回わたくし大変な不眠に悩まされ・・と申しておりましたが、一体どうしたことか、一転しまして、只今過眠に悩まされております。
眠りすぎ、というやつです。「よかったじゃないか、寝られるようになって」と言われそうですが、根本的なところで解決はしておりません。なんでも、「すぎる」のはあんまりよろしくないようです。睡眠に求めるポイントとして、やはり、「すがすがしい目覚め」とか、「満足感」ってところのような気がしまして、時間的なものというのは、二の次なのかなあ・・と思う今日この頃。
特に眠剤を飲み過ぎている訳でもなく、なにかしら、ずるずる眠いのです。無理に起きてみてもまたソファーで眠ってしまっている始末。
まあ仕方ないや、とカラダにまかせて過ごしていたところ、ネット上のニュース欄にて、こんな記事を発見しました。
「睡眠を、一日9時間以上とっている人は、6〜7時間の人に比べて癌での死亡率が40〜50%高く、全体的な死亡率も60〜70%高い」と某大学の研究による、らしいのですが。一体どんな研究で、どんな理由なのかまでは載ってなかったので、くわしくは解りませんが、「そんな・・・」と、言いたくもなります。
わたくし、昔から睡眠に関して随分悩まされてきました。でまあ、自分なりに様々工夫もしてみたり、してきた訳ですが、こればっかりは本当に難しい問題でナミダの一つも流れるような苦労もありつつ、まだ悩まされている訳です。
一般的に、「睡眠不足」は、まずろくなことがありません。身体もしんどいし、集中力も判断力等々鈍ってきます。それは、よーくわかります。しかし、今度は、9時間以上眠ると「死亡率が高い」ですと?!
もうそれなら、色々進歩してきている事ですし、「6時間で目が覚める薬」とか「睡眠快適枕6時間用」とか、作って欲しいと切に思うのです。

話はそれますが、「眠れない」というのはわりと誰に言っても「かわいそうに」「大変だねえ」と返ってきますが、「眠りすぎちゃって」というのは、「いいんじゃないの」というような返答が多いです。しんどいのはどちらもしんどいのですが・・。
そう考えると、共感、同情してもらえる病気、症状と冷たい反応の返ってくるものとの違いってなんでしょうか。
低血圧はどちらかというと、遅刻の理由としても認められるし、大変だねえ派が多いと思われます。
一方、高血圧はどうでしょうか。・・・・・。(あくまでもこれはわたくし考です)しんどさは、大変さはどちらも病気ですから同じ。でも、イメージ的なものなのですかねえ。
やっぱり、「精神科に通ってる」といった時と「内科に通ってる」っていった時では違いますね、反応は。
まあ、同情してもらう必要はないのですが、社会生活において、病気を抱えている者は、理解してもらえないとかなり辛いものがありますね。今仮にわたくしが仕事をしていたりして、お休みするとします。「不眠で・・」は通用するかもしれませんが、「過眠で・・」は、「甘えるな!!」ってとこでしょう。

病気というのは、やはり経験した者でないとわからない・・想像はできても・・。

(コメント)
病気は経験した人でないとわかりません。それも一理ありますね。
 私も耳の怪我をしたとき、絆創膏の跡をふき取るのにベンジンを使われて、それが耳の穴に入って、痛いのなんのって、ッギャーという所を我慢していたら、(これは医者の見栄ですね)、自然に涙が流れ出してきました。ところが、それを見た看護婦さんが、ベンジンをしみ込ませたガーゼ片手に、「あら、先生。泣いているの」と笑ったのです。本当に嫌ですね。
 でも、出産経験がないと産婦人科医になれないとか、胃全摘の経験がないと外科医になれないとなると、医者になるのも一苦労ですね。精神科医はやはり精神病院に入院しないと、資格なしといことになるんでしょうね。



(コメントのコメント)(2000,10,12到着分)
あまりに強引すぎると思うんですが。
なんかもうヤケクソ!というのが伝わってくるようなコメントで、笑わせてもらいました。
真夜中にコメント書かない方がいいですよ、先生。。。



(2000,10,2到着分)

しあわせぐるぐる  アタマぐるぐる まいにちぐるぐる
 「ぐるぐる日記」Act.5


はあ〜・・お久しぶりです。
朝晩涼しくなって参りまして、もうめっきり秋です。
過ごしやすい時期なのかもしれませんが、わたくしはこの一ヶ月余、かなりの不眠に悩まされております。
よくあることなのですが・・眠れないのは辛いですなあ。当然人間ですから、全く眠れない訳ではないのですが、「寝た気がしない」「寝たい時に寝られない」というのが、かなり辛い訳です。
「うーん・・眠れない」
となると、とりあえずよくいわれるような方法、ホットミルクを飲むだの、リラックスする音楽を聴くだの、お香を焚くだの、してはみますが、眠れない。昼間、軽く運動してみたりもして、身体を疲れさせてみても、小難しい本を読んだりして頭を疲れさせてみても、眠れない。
疲れているのに眠れないと余計にしんどいものです。
「ううう・・・眠れない」
こうなってくると、もう、眠剤をのんだところで、眠れない。わたくしの場合、特に薬が効かないか効きすぎるかなので、コントロールしづらいわけです。
そこでもう、究極の選択として、眠くなるまで起きていてはどうか、ということになりました。仕事している訳でもないし。
「そのうち眠たくなるだろう」といわれても、ココロもカラダも寝たい、というときは、だんだんイライラしてきてますます眠れない。
こういう時に、隣でぐうぐう寝ている人がいようものなら、更にイライラしてしまう。(その人に罪はないのですが・・)
とりあえず、仕方なく朝昼晩時間の区切り無く生活してみることにしました。
するとまあ、全くよろしくない結果に。某一日:6時から12時まで寝る。19時から0時まで寝る。確かに、睡眠はとれているようにみえますが、「ああよく寝た」という感じもなく。起きている時間も、なんだかだるいし、しんどいし。上記の翌日。0時に起きる。10時から19時まで寝る。4時から9時まで寝る。一体、どこが一日の区切りなのでしょう。まさに、生活がぐるぐるです。当然、食生活にも影響が出てきます。
大失敗・・・。
やはり、夜寝るしかないようですなあ。
昔、不規則勤務をしていた時がありまして、夜勤があったのですが、昼間どんなに寝ても、どことなく身体がしんどかった覚えがあります。
そういうものなのだな、と思って、なんとかするしか、ないようです。
そして現在、眠剤を使っての、夜中睡眠確保挑戦中。
なかなか、うまくいきません。
「ああよく寝た」と、早く言いたい今日この頃。ほんとうに、しんどいですねえ、眠れないのは・・・・。

(コメント)
これだけきびしい不眠ですと、やはり精神科医のご厄介になることが必要なのではないでしょうか。何、もうかかっているって。そりゃことですね。あとは、羊の数でも数えるしかないですね。あのめちゃくちゃチャンネルのある有線放送にも、羊を数えるチャンネルがあるんですね。あんなの聞く人がいるのかなあと思っていましたが、あなたのような人のためにあることがわかりました。


(2000,9,4到着分)
しあわせぐるぐる  アタマぐるぐる
 「ぐるぐる日記」Act.4

わたくしは現在、無職です。無職歴半年余。
しかしなかなか、無職とは言いづらいもので・・・。

先日も、国勢調査に先立って、町内の人が訪ねてきて職業を問われました。気の小さいわたくしは「無職」と堂々と言えず・・・。
方々で、何するにも職業を聞かれるこの世の中。
懸賞ハガキ一枚出すにも、アンケートにお答えするにも職業欄があります。またそれが大抵年齢の後だから余計に無職と書きにくくなる。
さて、わたくしの周りには、精神科に通院しているしていないに関わらず、社会的な肩書きを持たない人(いはゆるフリーター、無職)が何人もおります。よく言われる「いい年をして・・」という人たちですが、皆堂々としたもんです。
無職の者はまず、クレジットカードがつくれない。住むところをかりるにも、携帯電話をかりるにも一苦労・・etc・・・。「うそも方便」や知恵をはたらかさないと生活していけません。
わたくしの知人の一人は自ら「自称アーティスト」「自称〇〇評論家」などと勝手に名乗っています。間違ってはいませんが、社会的には全く認められません。
少し話はそれますが、その彼は無職の上、運転免許証を持っていないという事で、行動に生活にかなり様々な制限を受けたり、面倒な事になっています。
運転免許証がないということは、ただ車を運転できないというだけではなく、イコール身分証明書がないという事になってしまうのです。生活していく上で、身元を証明せねばならない事は多々あります。レンタルビデオ屋の会員にもなれないという事態が起こってくるのです。
そこで彼は、常に健康保険証を持ち歩き、それでも事足りない時はわざわざ住民票をとりにいく羽目になっているのです。
レンタルビデオ屋で保険証を見せるというのはかなり、違和感のあるものです。
運転免許証=身分証明書というのは何か間違っているような気がしますが、いかがなものでしょうか。必要ないので免許はいらない、という選択肢が阻害されているような。

それにしても、「無職」というのは、どうしてこんなに肩身の狭い思いをするのかなあ。考え方にもよるとは思いますが、あえて無職を選んでいる人もいれば、やむを得ずという人も仕方なくという人もいるでしょう。
経済中心のこの世の中では、経済的生産活動に参加していない者は生きづらく構成されているわけですなあー。

さて、国勢調査が来るまでに、適当な職名を考えねば・・・。
 
(コメント)

このコメントを書く精神科医も運転免許がなく、古本を売りに行くときには健康保険証を使っています。顔写真がないのに信用されてるんでしょうかねえ。
さて、東京の作業所で、通所者向けに職員証を発行している所がありました。そういうのも手かなあ。もちろん、写真入りです。
ホームページの中に、職業として「青年失業家」を名乗っている人がいました。これ参考になるかなあ。



(2000,8,28到着分)

しあわせぐるぐる  アタマぐるぐる  ココロもぐるぐる
「ぐるぐる日記」Act.3


こう毎日暑いと、それだけでイライラもしてきますが、イライラも、ぶつける先がないと、ぐるぐる回り続けることとなります。
人から見たら大したことない出来事も、調子の悪い時に立て続けに起こると、それは、大したことに発展してしまうものなのです。

先日、愛用自転車に「放置自転車は撤去してください」と、住んでいるマンションの管理会社から張り紙されていました。
指定の自転車置き場に置いていたのに、です。というのも、この自転車置き場が住人数に見合わない狭さで、どうやって置いても、少しはみ出してしまうのです。「放置してないし、この狭い自転車置き場でどうしろというのだ?!」と、アタマにきたのですが、そんなことぐらいでわざわざ苦情を言うのも何やら大人げない気が・・・。
そうすると、その憤りはぐるぐると回り続けてしまう訳です。
現在、わたくしは、障害年金の申請というものを、行っています。この手続きの、ややこしいこと、大変なこと・・・。
(障害年金の申請については、後日またくわしく書きたいと思っております)
本当に大変で、「何でこんなに苦労しなあかんのか、何のための、誰のための障害年金なのだ?!」と、アタマにきたのですが、しかし、この苦情は何処に言えばいいのやら・・・。突き詰めると、国なのかなあ・・・。
そうすると、その憤りもぐるぐると回り続けてしまう訳です。
色んな事が重なって、ぐるぐる回る憤りに耐えかねて、イライラ時の頓服でも服用しようかと思うと、ふと、「何でこんな事で薬の量が増えるのだ?!」と、また、ぐるぐる、イライラ。
もう寝逃げ(注:寝て現状より逃げてしまうこと)だー!!と思うと、ふと、「ワタシはこうして逃げてばかり・・・・」と、また、ぐるぐる、イライラ。
さて、何処までぐるぐるし続けるのでしょう、この、やっかいな「やり場のない怒り」それは時として、自分や身近にいる人に、向いたり向けられたりもしますが、うまく解消できる方法はないのだろうか・・・と思う今日この頃。

でも、このぐるぐるは、全く無意味なものでも、ないんですよね・・?!
早く、涼しくなって欲しいなあ。


(コメント)

言うまいと思えど今日の暑さかな。ですなあ。ワープロで入力していたら、こんな表現ができました。井鵜間意図主江戸京の圧魚。まあなんか、押し寿司を作っている感じですかね。


(2000,8,23到着分)

アタマぐるぐる しあわせぐるぐる
「ぐるぐる日記」Act.2


某地に静養に行って来ました。いいところでした。
クーラーなんていらないくらい、涼しいし、空も広くて、空気もからっとしてて、とってもきれい。
京都の夏は、何年いても慣れない蒸し暑さで、しんどいですねぇー。もわーっとしてて。
上を見上げても、建物がたくさんで、空は切り取られた写真の様に狭くしか見えません。
京都という街は、果てしなく不思議な所だと思います。
閉鎖的であり、開放的である。
狭い狭い土地に、学校や、ホテルや、デパートなどなどたくさんつくって、京都駅も、あんなになっちゃって。
道上を走ってた電車も、どんどん地下にもぐってしまって。
京都の良さって何なんでしょう。
確かに、重要文化財はいっぱいあって、修学旅行のメッカですが、京都人で、何人ぐらいの人が本当に清水寺とか、銀閣寺とか、行ったことがありますでしょうか。
そういえば、京都人、っていうのも京都で生まれ育っただけでは、京都人ではないんですな。五代住んで、はじめて、京都人の称号がもらえる。
狭い道、やたらと多い車(特に、タクシー、バス)、「うなぎの寝床」とよばれる家・・・・。いったい、京都に災害がおこったら、どうなるんでしょう??

1200年の歴史の街、京都。
一体、何処へ向かおうとしてるんでしょうか??

そうそう、あんなほこりっぽくて、情緒もなにもない、鴨川四条〜三条辺りの川床料理、一定間隔ごとにいるカップル見つつ食べて、そんなに、良いものなのかなあ。

(コメント)

京都人に関しては伝説が多いですね。やはり1000年の都だからでしょうかね。日本で最初に路面電車が走った町だとか。新しい物好きなんですねえ。古いような新しいような。それとも新しい物好きというのは、昔からの伝統なのかもしれません。




(2000.8.13到着分)

ぐるぐる日記


世の中、全てぐるぐる循環して動いています。ぐるぐる循環して、みんな生きています。どこまでも、果てしなくぐるぐる。そして、わたくしのアタマもぐるぐる。カラダもぐるぐる。ココロもぐるぐる。

「ぐるぐる日記」Act.1
本日、本屋で話題の本のとこを見ていたら、なんとも、訳の分からない本の多いこと多いこと。
なんか、自分の苦労話の本とか、「五体不満足」系の本。まあ、こういうのが売れるんだから、確信犯的にわざとだしてるならそれもありかと思うけど。みんな、人の不幸が好きなんだなあ。
まあ、それはよいとして。
少し前に、伏見区醍醐でおきた殺人事件、犯人は、飛び降り自殺してしまった、事件。あの、殺された小学生の両親が書いた本があって、ちょこっと立ち読みして、なんか、不愉快、腑に落ちない。
なんかね、犯人は自殺してしまったから、怒りのやりどころもないのかもしれんけどね、犯人の家族に「人生かけて償え」って、ちょっとなあ、、、。家族にそこまでの責任があるのかなあと。家族もある意味被害者ではないのかなあ。家族って、どこまで付き合っていかなあかんのかなあ。そうなると、家族って、なんとなく、お互いわるさしないように見張り合ってる集団のようだなあ。
あと、まあ、どんなややこしい事件のあとにも言われるけどね、「精神科通院してた(してる)」。そこで、「ああやっぱり」と。で、「どうして、そんな人を野放しにしてたのか」みたいな。またそこで、「家族の責任」。なんだかんだいっても、精神科に通院してるって、そういうことなのだな、社会的には。
どう思おうとそれは個人の勝手だし、多数決では、精神科患者はそう見られるのだから、それは、仕方のないことかもしれないと思う。ただ、なにが腑に落ちないかって、そういうことを「被害者」というだけで、堂々と本にしてしまえること。それを、「あらかわいそう」なんていいつつ、読む人がいるということ。同情からなんでも共感してしまうこと。
被害者のかく本とか、不幸、苦労話本って、あまりの無意味な自己主張の強さに怖くなる。一種の、言葉の暴力になってる時もあるし、売るための戦略みえみえって気がする。そういうとこにむやみやたらに精神疾患を持ち出さないで欲しいなあ、とつくづく思う次第であります。

そうそう、「精神科主治医の仕事」って、いい本だなあ〜。著者は、誰でしたかね?


(コメント)

昔、北海道に住む女性から、「ぐるぐる通信」という通信が不定期で送れてきていました。何でも、ある時自分の名前を「めぐる」と変えてしまって、それで「ぐるぐる通信」を発行することにしたとか。
ぐるぐるというのは、幸せが巡って来るというおまじないだとのことでした。この日記の著者にも幸せが巡ってくるといいですね。


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