「地雷を踏んだらサヨウナラ」 主演 浅野忠信
この映画は、実在の戦場カメラマン、一ノ瀬泰三の日記、あるいは家族の証言を元にしてつくられた映画である。一ノ瀬は佐賀県出身、日大芸術学部写真学科を卒業後、単身ベトナムに乗り込み、フリーのカメラマンとして活躍後、1973年アンコール・ワットを目指し、そして、消息を絶った。
戦場というフィールドの中には、軍隊・兵士だけではなく、さまざまな人間が存在している。私はそんな人々の中で、いわゆる「戦場カメラマン」という人々にものすごい関心を寄せている。その戦争とは全く無関係の国籍・人種・目的を持ちながら、何故、彼らは、命を危険にさらしながらひたすらに、シャッターを押し続けるのか?
ある戦場カメラマンはこんな事を言っている。
「ファインダーを覗いているうちに恐怖心は薄れてゆく。弾丸が自分だけを避けてゆく。神が自分だけを守ってくれるように思うんだ。」
映画の中でも主人公は弾丸が飛び交い、迫撃弾が近くで爆発する中、あるいは従軍している軍隊の兵士が撃たれ、倒れる中でもひたすらにシャッターを押し続ける。人が死んでゆく悲惨な瞬間を彼は獲物を捉えるかのようにして、フィルムに収める。そして、その写真が認められれば、その写真が新聞や雑誌の一面を飾り、多額の報酬と名声を得ることになる。彼らにとって戦闘に遭遇するということは、生命を危険にさらすことではなく、富と名声を得るかも知れない千載一遇のチャンスなのだ。この映画では、そのことを戦争に対するアンビバレンスなニュアンスやアイロニーも含めながら描いている。
映画の中で主人公は、次第にアンコール・ワットに魅せられてゆく。そして、危険を承知の上で単身アンコール・ワットに向かい、ゲリラに捕獲される。そして、ジャングルの中を逃走し、突然ジャングルが開けた向こうに壮大なアンコール・ワットが姿を現す。その時、主人公はこれ以上無い至福の表情を浮かべる。
映画はここで終わる。
この映画を見て、私個人の一つの疑問として、はたして、一ノ瀬泰三はアンコールワットにたどり着けたのか?ということだ。この映画の最後
に主人公が浮かべた表情を思い出すたびに、一ノ瀬泰三はアンコール・ワットに辿り着いたことを願わずにはいられない。
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