幽冥の友

                           木本圭司



本田タケシは自室の寝床で、横になっていた。
枕もとの時計の針は午後の九時前をさしている。
熟睡していた。
不意に部屋の扉がノックされた。
「タケシ、電話よ」
母の声である。
強引に眠りから引き戻されたタケシは不快感いっぱいで電話の受話器を耳に当てた。
相手は悪友のミツルからだった。
タケシ、ミツルらはバイク乗りのグループを組んでいる。
いわゆる暴走族である。
メンバー全員、十六から十八の若者達だ。 当初、メンバーは五人であったが、昨年の今頃、一人が事故で死んでいる。
受話器の向こう側の声は、なにか物凄くパニックに陥っていた。
支離滅裂の言葉をポンポンわめき散らしている。
「落ちつけよ、ミツル。最初からゆっくり話せ。いったい、どうしたんだ」
ミツルの話す声は奇妙に震えている。
「きょ、今日は、ユウジの命日だろ・・」 タケシは、それを聞いてハッとした。
そうなのだ。
今日は奴の命日なのだ。
昨年の今頃、この蒸し暑い季節に、奴は一人で旅立った。
タケシは仲間の命日を失念していた自分を恥じた。
ユウジはコーナーの連続する峠道を攻めるのが好きな奴だった。
暴走族と言うより、むしろ走り屋だ。
町の中を我が物顔で走り回るより、峠道でいかに速くバイクを走らせる技術を磨くことのほうが奴には重要だった。
将来はレーサーを夢見ていたのに違いない。 グループの中では一番速くバイクを走らせることができた技量の持ち主だった。
そして、タケシとユウジは妙にうまがあった。
それなのにユウジの命日を忘れるなんて。 時間の経過とは残酷なものだ。
「それで、どうしたんだよ」
「部屋を真っ暗にしてよ、蝋燭一本だけ明かりを灯しておいてよ、そこでノリオと二人でアンパンしていたんだ。十分くらい経ったかな、蝋燭の明かりの向こうに突然、影が闇の中から浮いてきたんだ。さきにノリオがそれに気づいた。そして、ノリオが言うんだ。小さな声で。「ユウジだ。ユウジがそこに」俺も見たんだ。確かにあの影はユウジだった。能面みたいな顔で、ユウジは俺たちを見つめていた。怖かったよ、物凄く怖かった。その場から立ち去りたかった。一刻も早く。しかし、それができないんだ。体が金縛りなんだよ。生きた心地がしなかった。そのうち、ノリオが絶叫したんだ。ユウジって。その瞬間奴の姿はふっとかき消えた。怖かったよ。タケシ、すぐに来てくれ。カズには、もう電話したんだ、お願いだ。来てくれよお・・・」 ミツルは脅えた声でそれだけを一気にしゃべった。
「来てくれよお。タケシぃ・・・」
「わかった。今、行くから、待っとけ。じゃあな」
タケシは受話器を置いた。

ミツルの家に、タケシがバイクで駆けつけたのは、午後十時前だった。
その五分くらい前にカズも到着している。 タケシはミツルの脅えた顔を見るなり、一言言った。
「シンナーのやりすぎで、どうせ幻覚でもみたんだろ」
ミツルは物凄い表情でその言葉を否定した。 「ノリオも見たんだ。幻覚じゃねえよ」
「どう思う?」
タケシはカズに視線を向けた。
カズはニヤリと唇の端を歪めた。
「霊の存在を俺は否定しないよ。しかし、肯定もしないけど」
「俺もそれだ。・・・しかし、命日にこんなことがな。」
「俺は霊の存在を信ずる。奴はミツルは、きっとまだ、走りたいんだ・・・」
ノリオが真面目な顔をして言った。
その言葉を最後に、四人の空間に沈黙が漂った。
二人は脅えて、二人は毅然としている。
「なあ」
カズの言葉が沈黙を破った。
「これから、バイクで行ってみないか。ユウジの事故現場まで・・・」
カズは皮肉ったらしく言った。
それを聞いてミツルは悲鳴を上げる。
「俺は行かないっ厭だっ絶対厭だ」
「俺もだめだ、行きたくない。あんな所」 ノリオがぼそぼそと言う。
「よし」
タケシがカズに視線を向ける。
「行ってみるか」
「おう。弔い走りだ」
カズが笑顔でうなずいた。

二台のバイクはユウジが死亡した事故現場へ向けて峠道を疾走していた。
初夏の生暖かい風を体で斬るように疾走する。
峠道には町中のように街頭などなく、バイクのヘッドライトの明かりだけが頼りである。 ヘッドライトが無気質のアスファルトを手前に吸い込むように照らし続けている。
そして、少し霧が出ている。
カズが先頭を走っている。
赤色に点灯しているバイクの尾燈だけが、その存在を強調していた。
二台のバイクはかなりハイペースで疾走している。
途中、何台かとろとろ走っている四輪を抜いた。
霊、霊なんて本当にこの世に存在するのか。 存在するのかもしれない。
闇に包まれた峠道を駆け抜けながら、タケシはふと、そう思った。
人間は死んだらどうなるのだろう。
死んだら無になるのか。
死んだら霊になるのか。
霊になるとして、ならば霊とはどういうものだ?
わからない。わからない。
人間とは何だ?
わからない。
そう思索しているうちに、二台のバイクはユウジが死亡した事故現場に到着した。
そこは下り坂の急カーブである。
死亡した現場のガードレールに小さな花束が供えてあった。
ユウジの家族のものが供えたのであろう。 ユウジはこのカーブを攻めていて、一人であの世へ行ってしまった。
自損事故である。
一人で事故をして、一人で死んだ。
話ではバイクはぐちゃぐちゃ、傷だらけのヘルメットがユウジの死体のそばに転がっていて、耳から脳漿が大量に出ていたらしい。 即死だった。
タケシとカズの二人は事故現場で合掌した。 ユウジについて、成仏してくれとか、そんな気持ちでタケシは手を合わせたのではない。 何を想って合掌してたらいいのかわからなく、ただ、無心に合掌するだけである。
「ユウジ成仏しろよ・・・」
カズはあらかじめ持って来ていた、缶ビールを現場あたりに注ぎながら、今は亡き者に語る。
「行くか」
同時に二人は言った。

夜の峠道を二台のバイクが疾走する。
少し霧が出ている。
前方を走るカズのバイクの尾燈が視野に入っている。
この族のメンバーの中では、カズが一番肝っ玉がでかいな。その次が俺。次はノリオ。ミツルは一番小心者だ。
そんなことを思いながら、タケシはバイクのハンドルを握っている。
突然、霧が濃くなってきた。
タケシは、はっとした。
霧が濃い前方のバイクの尾燈が二つ確認できるのである。
一台は、カズのバイクだ。
もう一台は、もう一台の尾燈は何だ。誰なんだ。
ほんの今までこの道を走っているのは、カズと俺の二人だけではなかったか。
あれは・・・。
あれは、ユウジ・・・。
奴の走り方だ。
タケシはそれをみても不思議に恐怖感はわかなかった。
反対に、すこし嬉しい感じがした。
ユウジ・・・、またおまえと一緒に走れて嬉しいよ・・・。
タケシはヘルメットの中で微笑した。
山逢いの峠道に、二台だけのバイクのエンジン音が木霊していた・・・。


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