史郎


史郎は無言でキャンバスにむかい、絵筆を熱心に走らせていた。
史郎の視線はキャンバスと四つ切りの写真の間を往復している。
若い女性の写真だ。
美人である。
史郎はこの写真の女性に恋をしている。
それは片思いである。
史郎は生活保護で暮らしている。
身寄りは近くにはいない。
両親は遠くに暮らしている。
音信は滅多にない。
史郎は孤独であった。
そして精神障害者である。
史郎は十代の後半に発病し、それから精神病院の入院生活を余儀なくされた。
史郎は今や四十手前。
病気で入退院を繰り返し、最近になって娑婆にでられるようになった。 長い入院生活であった。
史郎は退院して一人でアパート暮らしをするようになってから、絵画教室に通うようになった。
主治医の勧めである。
史郎はもともと美術に興味を持っていたのでコンスタンスに教室に通った。
それが症状の安定にプラスだったのかもしれない。
史郎は一人暮らしを安定して暮らす事が出来た。
史郎は二週間に一回精神科の外来に通っている。
精神病の安定化には薬の服薬が欠かせない。
薬を中断すると症状の再発の可能性が高い。
史郎は診察の後、自分の入院していた病棟のナースステーションへ遊びに行く。
婦長をはじめ看護士や看護婦が優しく接してくれる。
その看護婦の中に写真の彼女がいる。
彼女の名前は喜代子と言った。
史郎は理由をいろいろこじつけて喜代子の姿をコンパクトカメラに収めることができた。
喜代子は若い。
年ははっきり知らないが二十代前半である。
史郎はその写真をもとに喜代子の肖像画を描いてプレゼントするつもりである。
時計が午前一時を指している。
肖像画は八割がた出来ている。
ナース姿の喜代子がこっちをむいて微笑んでいる。
言い出来になるだろう。
これならきっと、彼女は喜んでくれるに違いない。
史郎は浮き浮きしながら寝床に就いた。
部屋の窓のカーテンの隙間から月光が差し込んでいる。
史郎はスムーズに眠りに就いた。
翌日、外来の診察日だった。
薬の受取を史郎は待合で缶コーヒーを飲みながら待っていた。
今日は患者が多く待合は一杯である。
史郎は遠くから歩いてくる二人のナースに気ずいた。
一人は年配の看護婦でもう一人は喜代子である。
二人は会話しながら廊下を歩いている。
二人は史郎の姿に気がつかない。
待合が患者で一杯だからだ。
二人の会話が史郎の耳に入る。
史郎は愕然とした。
自分の耳を疑った。
彼女等は精神病棟の入院患者たちをキチガイと呼び捨てにし、史郎の聞くに堪えない話をしていた。
これが現実か。
史郎は裏切られた気持ちで一杯だった。
あんなに奇麗な女性が・・・。
それなのに、それなのに。
ひどい、ひどい、ひどい。
史郎はゆらりと椅子から立ち上がった。
そして薬をうけとらずに家に帰った。
家に帰ると史郎は布団にもぐり込んだのであった。
その日以来史郎の姿を町でみた者はいなかった。
一ヵ月後、史郎のアパートに福祉関係の職員が訪ねてきた。
史郎の名前を呼んでノックをする。
いくら名前を呼んでも反応がない。
異変を感じた職員は大屋さんに来てもらって史郎の部屋の鍵を開け中に入った。
中に史郎はいなかった。
布団が出したままになっている。
台所は洗っていない食器が積まれている。
不思議だ。
中から鍵が掛かっていたのに、部屋の中には史郎の姿はなかった。
蒸発・・・・。
不思議な蒸発。
職員は部屋の片隅に置いてある油絵に気がついた。
喜代子の肖像画。
うまいな。
職員は感心した。
うん?
絵をよく見ると喜代子の後ろに男性の姿が描かれている。
あ。
職員は唸った。
絵の男性は史郎であった。
これは僕の推測であるが、純粋な気持ちの持ち主の史郎は現実の惨さに耐えられなくて、なんらかの方法で絵の世界に入っていったのではないか。 それは自殺とかではなく、もっと希望のある方法で。
彼は絵の世界で幸福に暮らしているのであろう。
なぜなら絵の史郎はとてもすばらしい笑みを浮かべているのだから。
 

   おわり



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