『開国  愚直の宰相・掘田正睦』(佐藤雅美著、講談社、1995)

 アメリカとの通商条約を結んで、尊皇攘夷運動の火に油を注いだ存在というと、井伊直弼が思い浮かぶ。しかし、実際にアメリカの全権使節と交渉に当たったのは、井伊直弼が大老になる前に、政権の座にあった堀田正睦であった。この小説は、全体が堀田正睦とハリスとの交渉経過とその批准をめぐる政治ドラマである。ロマンなどはほとんどなく、やっかいな交渉と、色々な人物の思惑、権力欲などのうごめく姿が、絵巻物のように書き連ねられていく。そうした政治のプロセスに関心のない方には、退屈きわまりない物語であろう。司馬遼太郎の小説に親しんでいる人には、爽やかで元気をもたらすような人間が登場しないので、物足りなさを感じさせるかも知れない。
 堀田正睦は、旧例墨守の無理難題を主張する反対派を説き伏せて、条約締結に動いていくのであるが、相手となるハリスが必ずしも人間的に優れた人物ではなく、交渉現場は罵り合いと駆け引きの交錯の場であった。
この退屈でもある過程が、作品の中心、大黒柱となっている。外野席からの雑音を封ずる目的で、勅許をもらおうとしたことが、孝明天皇の権力欲に火をつけ、結果的に違勅の条約締結に踏み切ることになってしまった。このことによって、堀田は失脚、井伊直弼に権力を手渡すことになった。その後は、安政の大獄、桜田門外の変と明治維新へ向けて、政局は転がり落ちていく。その過程で、通商条約の通貨交換規定が、経済の混乱を招き、急激なインフレによって、武士階級の生活を困窮させ、幕府の政治責任を問わせることになった。
 堀田正睦は、通商条約を締結したものの、その業績を評価されることもなく、また、失脚したため、その後の混乱の責任を問われることもなかった。歴史の表層を見る限り、注目されない人間だろう。しかし、彼が歴史の重みを背負って動いた人物であることは疑いない。そういう目立たない人物に光を当て、長編小説に編み上げたところに、著者の手柄があるだろうと思う。また、政治はその任にある人に総合的目配りと長期的見通しを要求するだけでなく、それらを支える忍耐を不可欠のものとし、同時に決して報われるものでないことを、具体的な物語として、表現することに成功していると思える。
この本は、最近講談社文庫に入れられた。
(2001,11,3)



『白亜紀に夜がくる』(ジェームズ・ローレンス・パウエル著、寺嶋英志・瀬戸口烈司訳、青土社、2001)

 今から6500万年前に、恐竜をはじめとして、すべての種の70%が死滅した。その理由は長く古生物学の謎とされてきた。その謎に対して、大きな隕石が地球に衝突したことが原因であるという仮説を提出したのが、アルヴァレス父子であった。父は物理学者、息子は地質学者で、古生物学者ではなかった。二人は白亜紀と第三期の地層の間に、K−T境界層という粘土の地層が挟まれていて、その地層には他の層より30〜160倍も多いイリジウムがあることを発見したのである。イリジウムは地球上には存在しにくい物質で、隕石によく見られる物である。その物質が、世界各地のK−T境界層から発見されたことから、その当時、地球に激突した隕石のかけらが、霧や雲のように地球を覆い、やがて何年もかけて、地球に降り注いだものだと考えた。そして、K−T境界層には多量の煤や灰が含まれていること、またそこを境にして、生物の構成が大きく変わることなどから、隕石の激突によって、地球は一時火の玉につつまれ、生物のほとんどが死滅してしまったと考えたのである。
 この仮説に対して、敢然とたちむかったのがオフィサーとドレークの二人で、イリジウムの意義付けをはじめ、あらゆる観点からこの仮説を批判したのである。論争はやがて、揚げ足取りや皮肉・当てこすり最後は人格非難へと発展していった。その論争の過程を丁寧にたどったのが、この本である。細々した専門的な事実も、わかりやすく説明してあるので、議論の流れを自然にたどることになり、科学的な議論のしかたも身に付くという仕組みである。
 最初は、大隕石の激突によって、生物が死滅するという話など、奇をてらった話ではないかと思うが、読んでいく内に、それが単なる偶然ではないと考えられるようになってくる。地球上の生物は、およそ2600万年ごとに死滅するサイクルをもっているらしいこと。同じ頃に大隕石が地球に激突しているらしことが示される。そしてそれを機会に生命の進化が進むらしいのである。太陽は3000万年ごとに銀河面を横切るので、その時になんらかの重力場の変化が起こり、太陽系の彗星や小惑星の軌道に変化をあたえ、それが隕石の激突を生んでいる可能性がある。そうなると、生物の進化を支配しているのは、実は銀河の渦巻きの運動の結果ということになる。なんとも刺激的な話である。
 たまには、こうした専門を離れたはなしに触れて見るのもおもしろい。
(2001,9,30)




『非営利組織の経営』(P・F・ドラッカー著、上田惇生・田代正美訳、ダイヤモンド社、1991)

 ボランティアの組織や福祉関係の組織に関わっていて、時々気になるのは、その運動や組織の硬直、腐敗をどうやって予防するのかということである。善意によって、自発的意志で運営されている組織に、一定の基準を課すと言うことは、その運動を阻害することになるのではないか。そういうことを考えると問題を指摘したり、批判したりすることをためらってしまう。
 この本は、ボランティア活動が社会に深く根をはっているアメリカの経験をふまえて書かれたものである。ドラッカーの本は、『断絶の時代』『傍観者の時代』『マネージメント』などを読んだことがある。経営学の本を書いているだけでなく、社会問題への関心も深い人だとは思っていたが、こうした活動にも目を向けていることを知って、愉快に思った。アメリカの社会の活力や懐の深さを感じたからである。アメリカの豊かさは、実はこうしたパイオニア精神やボランティア精神によって、支えられているものなのだろう。
 内容もそれぞれ教えられることが多かった。たとえば、非営利活動、ボランティア活動であっても、最高の水準のものを求めるべきであること、経済的なリスクを背負わない人は責任ある立場に立たせてはならないこと、非営利機関は人間変革を目的とするものであることなど。いくつもあげられる。プラグマティックに実行可能なことを次々とこなしていく姿勢など爽やかなものを感ずる。
 組織の目的を示さないこと、存続そのものを目的とすること、成果を検討できない運動などに対する批判には厳しいものがある。
 ところがこうした共感も読み終えて、2〜3日すると、奇妙な変質をしてしまった。それはニューヨークの同時多発テロの影響である。ドラッカーの姿勢は確かに正しいのだろうが、この世には成果を簡単に計れないものもあるだろう。そういうものに対して、こうした成果を迫る姿勢というものは、非常に抑圧的になるのではないか。時には破壊的になるのではないかということである。
 目標を掲げて、その実現のために多くの人の叡智を集める、人々のネットワークを作る。それはそれでよいのだが、たとえそれで目標が迅速に達成されても、それは目標の正しさを証明するものにはならない。たとえて言えば、ドラッカーの方法で、少年の犯罪を防止する教育システムを作ることができるかもしれないが、同じように効率的にユダヤ人を強制収容所に送りこもこともできるのではないか。
 まあ、そういう留保を感じつつも、刺激される本であるから、ボランティア活動や福祉活動を行っている人には是非読んでもらう価値がある本だと思う。
 (2001,9,30)


『ミルトン・エリクソン 子どもと家族を語る』(ジェイ・ヘイリー編、 森俊夫訳、金剛出版2001)

 ミルトン・エリクソンを囲んで、グレゴリー・ベイトソン、ジェイ・ヘイリー、ジョン・ウィークランドが彼の治療技法を聞き出そうという趣向の本である。肩の張らない、仲間内の話し合いなので、話題も結構飛んでしまうが、その分思考が刺激されて、想像が広がる本だ。
 何と言っても、エリクソンのアプローチがおもしろいし、斬新で何度もハッとさせれる。こういう本を読むと、治療者の天賦の才能というものは、努力で磨いたり高めたりできるものではないと言うことを痛感させられる。
 足が太いと思いこんでいる娘の足を知らない振りして踏んづけて、「あなたが人並みに足が太ければ、間違って踏むことなんかなかったのに」と言って、相手の思いこみを一瞬にしてこわしてしまうという話がある。また、自分を美しくないと思いこんでいる娘を面接するときに、わざと視線を外して、「あなたほど魅力的な人はいない。ちゃんと見られないくらいです」ということを表現して、たったそれだけのことで、外出恐怖を治してしまう。数え上げればきりがない。そうした実例が次々と紹介されていく。少し自己顕示的なところもあるが、その分率直な表現が出ていておもしろい。
 こういうエピソードを読んで、まねしようと思っても決してうまく行かないだろうと言うこともよくわかる。これらは、本当にエリクソンならではのものだと思う。エリクソンのカリスマ性を感ずるし、細かなエピソードを読むと、エリクソンがシャーマン的な資質を持っていたこともよくわかる。ヘイリーはエリクソンの技法に、禅の智慧と共通したものを感じているが、人間的器量の大きな人のすることは、心理療法であろうと宗教的な境地の表現であろうと、大差はないということだろうか。
 やっぱりかなわない人がいるなあと、素直に甲を脱げると言うことは、気持ちの良いものだ。
(2001,8,13)

『医療における精神療法の技法』(M.バリント&E.バンリント著、山本喜三郎訳、誠信書房、2000)

 バリントによる一般診療科の医師向けにかかれた精神療法の技法書である。この基礎になっているのは、バリント夫妻が、精神療法に関心をもっている一般科の医師と行ったケース検討の積み重ねである。読んでいくと、イギリスでのホームドクターの仕事ぶりが感じられる。
 バリントがこの本を書いた背景には、一般診療科の医師が精神療法を行うことによって、精神科と一般科の断絶が埋められるだろうし、そのことが患者にとっても、医学医療にとっても、価値をもつということを感じたからだろう。
 この本を読んで行くに従って、バリントの考えた方向性を生み出そうとした人々が集団として、1960年代のイギリスには存在したことを感じ取れる。
 バリントが一般開業医を重視したのは、かれらが地域の患者を長期に観察することができたこと、精神症状を訴えた患者が精神療法によってどのような効果を得たかを、多面的に観察することが可能だったことによる。そこに一般医、開業医による観察の価値を見いだしたのである。
 精神科医のところを受診した患者が、治療によって本当に良くなったかどうかは、経過を見ないとわからない。精神症状を訴えなくなった代わりに、身体疾患になるとか、一見精神症状と関わりのない生活上のトラブルに巻き込まれて、治療どころではなくなっているというような事情は、特殊精神科の診察室にいてはわからないのである。
 外来治療で治したと思っていたら、別の病院に入院していたなどということは、ごくありふれたことである。そういう可能性を持ちながら、治ったとか治らないとか言っていても、空論のようなものである。
 この本を読んでいると、精神科医と言っても、本当のところは正常な、一般の人がどのような人生をたどっているかを、ほとんど知らないことに気づく。そういう基礎的なことを知らないのに、特殊な病気をかかえた人の人生に関わり、評価を下す仕事をしてしまうのだから、怖ろしいと言えば言えるだろう。この本を読むと、自分たちの仕事が、大きな制限を受けていることを感ずる。それで、どうすべきかまでは出てこないが、取りあえずは、そういう自覚から出発すべきだろう。また、精神科診療所が地域にできることによって、一般診療科の医者にしかわからなかったことの一端に、精神科医が触れることができる条件ができていくのかも知れない。
(2001,7,22)

『旅のはじめに』(ダイアナ・トリリング著、野島秀勝訳、法政大学出版局、1996)

 1930代から40代にかけてアメリカで活躍した文芸評論家、ライオネル・トリリングの伝記であり、その妻ダイアナ・トリリングの自叙伝でもある。
 伝記というものは、対象となる人と著者が個人的な濃密な関係であればあるほど、おもしろい。伝記の対象となる人の人生と、著者の人生とが共鳴、交感し合うところが味わい深くなるからである。
 この伝記は、夫婦の共同作品と言っても良いだろう。それもダイアナの晩年、視力を失った状態で、すでに亡くなった夫の若き日を思い出しながら、記憶に基づく口述筆記によって書かれたというのだから、一層その感が強い。
 30〜40年代のアメリカの知識階層の生活のありようが、きめ細かく述べられている。そのころのアメリカの知識階層というのは、ユダヤ人に他ならなかった。アメリカの知識層が、権力とも資本とも相対的に独立できたのは、ヨーロッパを追われたユダヤ人が、タルムードの考察に示されるような論理的思考を駆使して、ヨーロッパで作り上げられなかった、思想の世界を作ろうとしたからだという。
 ライオネルもダイアナも精神分析を受けている。特にダイアナはパニック障害の治療として、長期の分析を受けていて、その事実は周囲の人にも知られていたらしい。ライオネルはその事実を隠していたが、彼の症状が軽かったということもあろう。その治療経過を読むと、分析家は教育分析を受けていないし、転移の処理などにも荒っぽいところが感じられる。二人は色々な治療者に治療を受けているが、その様子を読むと、精神分析が社会的に認められなくなっていくのもわかる気がする。ダイアナは精神分析理論などあまり信じていなかったらしい。そこはライオネルとの違いである。しかし、ダイアナは治療者としての関わりの価値を認めている。理論が荒唐無稽でも、癒しへの姿勢は価値を持つというのである。その経験から言えることとして、治療者が患者を残して死ぬことの外傷というものは、非常に大きいらしい。われわれ治療者は、ともかく長生きする必要があるのだろう。精神科医は短命、自殺や離婚が多いと言われている。心しないといけないところだろう。
 30〜40代のアメリカのユダヤ人知識層は、ほとんどがマルクス主義者であったようだ。ソビエトの現実を知るに従って、マルクス主義を離れて、反スターリン的社会主義に接近したらしい。その立場は、戦争は相手がどういう国であれ、帝国主義戦争であり、反戦こそが正しいというものである。ところが、この姿勢はアメリカの第二次大戦参戦によってくずれ、戦後のマッカーシズムによって、消滅してしまったらしい。かくして、マルクス主義の影響は消え去り、非マルクス的社会主義の可能性もなくなった。しかし、1940年代のアメリカにおけるマルクス主義の影響力が、第二次大戦後の世界像形成を規定するのに、大きな力を持ったらしい。
 このあたりの経緯は、当事者の証言に触れることによって、生き生きとしたものとして感じられる。世界史の現場に立つような印象を持つことができるのではないだろうか。
(2001,7,10)


『コトリと息がきれたら嬉しいな』(榎本栄一述、櫛谷宗則記、探究社、2001)


 宇治の山の中で、座禅三昧の日々を送っておられる櫛谷宗則さんから、榎本栄一さんの聞き書き集『コトリと息がきれたら嬉しいな』をお贈りいただいた。
 榎本さんは、現代の妙好人とでも呼べる方で、短いけれど心に残る沢山の詩を作っておられる。私も櫛谷さんのご縁で、一度お宅へうかがって、信仰をめぐるお話しを伺ったことがある。その榎本さんが脳出血で倒れられた後、長い療養生活をおくって亡くなられた。榎本さんの晩年の様子を、聞き書きの形でまとめたのが、この本である。
 本の題名のように、老いの果てに、静かに消えていくように死を迎えようとしている心境が、淡々と描かれている。90才を越えて、老いの中で、生きるでもなく、死ぬでもなく、ただ何ものかの光の中にひたされている。そういう人を前にすると、ただ感心して、自足してしまうものだろう。しかし、そこに止まらず、榎本さんの境涯を、言葉として掬いとった櫛谷さんの力量を感じないわけにはいかない。
 死を前にして、淡々とした心境になるということは、理解しやすいことかもしれない。しかし、その姿を十分に描き出すのは、決して容易なことではない。斉藤茂吉の晩年の歌には、何が何だかわからない意味不明の歌がある。痴呆の症状なのか、死からの光に照らされた心境なのか、それらの混ざり合ったおぼろな闇がそこにある。榎本さんの言葉は、茂吉の歌に似ているが、はるかに透明で、光に満ちている。榎本さんがお元気なころからおつき合いをされていた櫛谷さんだからこそ、その消え入るようなおぼろな光をとらえられたのだろう。
 小さな本だけれど、こころに残る言葉が詰まっている。是非、みなさんにも読んでいただきたい。

「 老衰ねんぶつ

 ここまでくると
 ながれる水のように
 ふく風のように
 ほのかに ひかりながら
 この老衰の いのちが
 じねんに阿弥陀さまの ふところへ
 かえるようでございます      」

(2001,6,17)



『映し世のうしろ姿』(藤原新也著、新潮社、2000)

 その人の著作が出るたびに必ず読むという作家を、読書が好きな人は何人か持っているものだと思う。私には、藤原新也がその一人に当たる。しかし、本は原則的に購入しないという主義なので、この本も図書館で見つけた。
 藤原新也が日本の読者の前に現れたのは、インド放浪記をひっさげてだった。そこには、ゴミや砂埃、動物の死体や糞尿、道ばたで寝ころぶ乞食の姿などが、それらを支えるインドの大地と共に描かれていた。そして、そこから現代の日本の姿が、はっきりと映し出されていた。藤原新也は日本におけるインドブームの走りのような存在だった。その後、彼は全東洋を横断したり、チベット、中国、韓国、台湾、アメリカなどを訪れて、多くのすぐれたレポートを提供してくれた。それらの土地に身を置くことによって、そこから日本の状況を照射する視点を浮かび上がらせたのだ。
 藤原新也は現在は、房総半島の南に居をかまえ、心の赴くままに、山へ登り、海に釣り糸をたれて、日々を過ごしている。そこから、日本の状況を照らし出すのだが、その時のセンサーになっているのは、テトラポットにくっついた貝がら、コンビニに入り込んだ蝶々、網に引っかかるウミガメなど、色々な生き物である。そこに目を置くことによって、日本の豊かさ、貧しさの現実を浮かび上がらせるのである。その内容が「映し世のうしろ姿」ということになる。
 人はだれであっても、そうしたセンサーをどこかに持って、生きているものだろう。戦後日本のセンサーはもっぱら金儲けだっただろう。今の日本は、そう言ったセンサーを見失っているのではないだろうか。藤原新也の文章にそう言ったことを感じた。
(2001,5,8)

『正法眼蔵新講 上』(伊福部隆彦著、壮神社、1987)

 『禅の教えるもの』を読んでから、インターネットの古本屋で探して購入したのが、この本。探すものが分かっているときは、インターネットは実に便利だ。
 期待しながら、読み出したが、本当に期待を裏切らない内容だった。道元に関する本は多いし、正法眼蔵の解説書も多いが、なかなか原本のレベルに達しない。読んでいて、原文と解説文の文章の勢いがまるで違う。そのため、ちぐはぐな感じがして、読むに耐えないのである。ところが、伊福部の本は、そうしたレベルの差を感じさせない域に達している。実に畏るべきことだと思う。明らかに、行の裏付けがあるからだろう。そもそも、伊福部は神道系から老子へと進んだ人なので、道元を宗派の開祖としてあがめる必要もなければ、とらわれる意味もない。そういう立場だからこそ、自由に、かつありのままの姿を評価できているのだろう。宗派の立場なら、考えられないような、本文の誤記の指摘なども何カ所か見られている。
 伊福部の正法眼蔵を読む立場は、釈尊、老子、道元の三角形を意識する立場である。道元は明らかに老子の流れの中にいて、そのことによって釈尊に迫っている、時には越えているという捉え方である。この仏教と道教を自由に行き来して、考察を加えていく立場が、伊福部の真骨頂と言えるところではないだろうか。そして、そのことが説得力を持つのである。
 仏道を行じながら、正法眼蔵を読む。正法眼蔵を読みながら、仏道を行ずる。それらの練り上げの中から、一言一句を理解していく。誤記の指摘も、その中から自然に生じたものであろう。
 『正法眼蔵新講 上』となっているが、下の発行はされていないようだ。読者が少ないのだろうか。残念なことだ。
 伊福部の存在は、本当に偶然知り得たことだけれど、先人畏るべしと思うこと切である。
 (2001,3,20)

『禅の教えるもの』(伊福部隆彦著、学風書院、1955)

 この本は、古本市で一冊100円という具合で積み上げられていたものだ。伊福部という人は知らなかったので、半信半疑で読み出したが、これがおもしろい。内容は日本人の禅語録の中から、抜粋したものに解説を加えたものである。その解釈のしかたは、独自の経験、見識から導かれている。そのことは、一般の宗教書には見られないものである。ほとんどの宗教書というのは、宗派の宣伝文書であるか、開祖の著書の水増しであるにすぎない。著者が自分の所属する集団への帰属表明であったり、自分の行ってきた修業を再確認するだけのことである。そこにはパイオニア精神というものが全く感じられない。言ってみれば著者の独自の宗教体験から、構成されたものは、ほとんどないのである。
 この本は、それら三流本とは一線を画している。伊福部はもともと神道系の人物である。それでいながら、禅宗の著書に独自の読み方をしているばかりでなく、実に説得力がある。それは、自分なりに修業を続けてきたからであるが、それだけでなくその修業を自分なりに構成してきたからであろう。宗教書がつまらないのは、宗教者が自分の行ってきた修業を頭から信じ込んで、疑いを持たないからである。自分の宗教体験より伝統を重んじてしまう。そういうことで、生きた宗教が生まれるわけがない。
 宗教書を読むとき、自分が悟りに至っているかどうかをどう表現されているかがポイントだ。ところが、多くの宗教書は、自分などはそういうレベルに達していないと傲慢なほど自己卑下するか、おれは悟っていると増上漫になっているかである。自分の境涯を卑下もせず、おごりもせずに表現できる力量などほとんどない。伊福部のこの本は、そういう希有な本だと思える。昭和18年に書かれて、再版に当たって内容を変えていないらしいが、戦争体制下で神道系の人が書いたものなのに、皇国史観の影響がほとんどないことにも驚く。
彼の著書をもっと読みたいので、今は古本屋をめぐって探しているところである。
(2001,3,11)

『孔子伝』(白川静著、中公文庫、中央公論社、1991)

 孔子に関する本のほとんどは、孔子を聖人君子の代表と考えて、その言動のすべてをありがたがる傾向がある。深読み、思い入れ、ひいきの引き倒しではないかと思えることすらある。孔子の行動のすべてを、揺るがない正義と取ってしまうと、孔子が春秋戦国の混乱の中で、世に受け入れなかったことを、正義は世に受け入れられないという風に理解することになる。では、儒教が中国の国教のように位置づけられるようになったのは、どう理解すべきか。ここらで、全体的な理解が取れなくなっていってしまう。
 白川静の「孔子伝」はそうした、ひいきの引き倒しとは無縁である。等身大の孔子像に迫ったものと言えるだろう。孔子が亡命と彷徨に明け暮れた背景の、政治状況を読み込んで行く手法は、綿密なものだと思える。孔子が世に入れらなかった聖人というより、理想をいだきながら、それを活かす政治的力量を持てなかった人物として浮かび上がってくる。そのことから孔子だけでなく、孔子の生きた時代の背景が立体的なものとして顕れてくる。これらすべては、白川静の学問的力量のなせるワザだろう。この著作が、大学闘争の混乱の中で、全共闘学生の姿を意識しながら書かれたものであることも、この本に骨太の印象をもたらしている。
ひさしぶりに、おいしい料理を食べた後のような満足感を感じることが出来た。
(2001,3,11)


『臨床日記』(シャーンドル・フィレンティ著、森茂起訳、みすず書房、2000)


 幼児期の性的外傷というものは、幼児のファンタジーであるというのが、フロイト以下精神分析派の正統の考えだと理解してきたが、最初の段階から、それは事実であり、現実的な愛によってしかその体験を修正できないと考えた治療者がいたということを、この本を読むまでは知らなかった。
 フィレンティがそのような患者を治療しながら、日々の体験を記録したものがこの『臨床日記』である。よくも、ここまで壮絶な治療をしたものだと思う。心を深く傷つけられた患者を治療するには、治療者が患者を分析するだけでなく、患者もまた治療者を分析すべきだというレベルにまで到達し、それを実践したというのだから、通常の治療者の想像の域を超えている。そういう実践を可能にした地平というのは、いやしくも治療に関わった者から見れば、治療者の自殺行為にしか見えないだろう。こうしたアプローチがフィレンティ自身の命を縮めたことは疑いない。
 それにしても、こうした実践を前にすると、これ以上の新しい実践などと言うものはありえないのではないかと思う。後世畏るべしという言葉があるが、先人畏るべしと思ってしまう。
(2001,2,3)



『淀川長治の遺言』(荒井魏著、岩波書店、1999)

 その人がなくなってから、生前会っておきたかったなあと思う人がある。淀川長治という人もそんな人の一人だ。私にそんなチャンスがあったものかどうか、解らないけれど。
 荒井魏という人は、毎日新聞の出版局に籍を置いて、映画のムックの編集に関与した。その企画を実現する上で淀川長治と親しく接するようになり、1998年に彼が亡くなってから、その肉声を残せるものならと、その印象をまとめてみたいと思ったという。書名が『淀川長治の遺言』となったゆえんである。
 淀川長治が、前向きに生きることに情熱をもったこと、気配りができて、粋な生き方を求めたこと、いつも明るく、ユーモアを大切にしたこと、そんなことが次々と紹介される。もちろん、いつでもそんな風である人はいないだろう。そんなことはわかっていたとしても、彼はそうなろうと努力し続けた人だと信じられる。言うなれば、生きることへのプロ意識を持っていたということだろうか。彼の信条は「苦労歓迎」「他人歓迎」「私はかって嫌いな人に会ったことがない」の三つだったという。それが生きた信条としてあったことが、色々なエピソードの中から立ち上がってくる。そうしたエピソードを残そうという思いを著者に引き起こしたのも、淀川が著者を亡くなってからも刺激し続けているからだろう。
 淀川長治と言えば、あのテレビの映画番組の最後に繰り返された「サヨナラ、サヨナラ」の言葉が思い浮かぶが、この本を読んでいると、そこかしこで、直接彼から語りかけられるような感じがする。この本の中にあるのは、書かれた言葉というより、文字化したビデオのようなものである。そういう現象が起こるのも、それだけ、淀川長治という人の存在感が強いからだろう。また、そうした印象を作るために、彼自身が研鑽を積んでいたのだろうと思える。
 名医の定義として、医者が亡くなってからも患者の心の中にあって、いつまでも治療し続けるということをあげる人がある。彼は亡くなった後も、色々な人の心の中にとどまって、生きることへの勇気を刺激している。そんな彼のあり方の中に、名医の定義と共通したものがあることを感じないわけにはいかない。
(2000,11,26)



『火宅の人』(檀一雄著、新潮社、1975)

 「リツ子」の続編とも言うべき作品。主人公。桂は作者の分身でもあろう。「リツ子」は青春期の終わりを描いたものだとすれば、「火宅の人」は中年期のもだえを伝えようとしている。しかし、完成まで、20年近くを要したところに、いわばテーマの処置の難しさもあったのだろう。四人の子どもをかかえ、小説家として仕事に油の乗っているはずの、主人公は生来一所に住むことができないという旅情のようなものに惹かれて、若い新劇女優と出奔、同棲生活をはじめる。人気作家としての多額の収入がその奔放な生活を支えていたが、そのための原稿に追われながら、流転浪々の日々を続ける姿が描かれる。最初から、離婚と再婚が配慮されていなかったため、やがてその生活が破綻することは、明らかだったろう。しかし、この作品の完成を待つようにして、檀一雄は亡くなってしまったように、その破局を作品としてまとめ上げることが困難であったのだろう。作品の途中に、長期の海外旅行が挟まれ、恋人からの分離が伏線として張られているものの、筆の勢いがなくなっていくことは否めない。
 私も「立派な(?)」中年だが、自分でそのことを一番強く感じたのは、あるとき若い女性の髪が風にながれているのを見て、それが輝いて見えた時だった。若い女性を、自分と別世界の存在として、感じていることを知ったのだ。それはある日突然やってきた。そして、自分の人生が折り返し点を過ぎて、死に向かって降りて行きつつあることを自覚した。自分の生が、誕生と死に挟まれて、限られた線分として、見えてきたのだ。そして、その制限された時間の中に、盛り込めない欲望や衝動があることも感じた。そして、どこかでそれらがあふれ出る危険をも現実的なこととして予感した。多くの人は、人生に対する智恵や断念によってそれらを封じ込めるのかもしれない。しかし、何かの偶然が、その堰を切って落とすとき、人が老いていくことへの抵抗が、その一点にむけて集中してくるだろう。
この奔流にどうやって結末をつけるのか。それは、それぞれの人の生き様であろう。
小説の中では、たき火の火勢が衰えるように、周囲の闇が急に襲いかかるように、結末が描かれている。それを説得力があると見るか、見ないかはそれぞれの読み方だが、私は完成度をこめて描ききるのは至難だと感じた。
(2000,11,20)



『コレデオシマイ』(山田風太郎著、角川春樹事務所、1996)

 山田風太郎は、東京医専を卒業したので、本来は医者となるべき立場だった。ところが、大学在学中に発表した小説が評価され、卒業と同時に小説家になってしまった。医者でありながら、小説家だとか歌人、漫画家、映画監督、etc色んな人がいるが、それぞれに医者であることの根っこのようなものを残している。一番強く感ずるのは、生命に対する繊細な感受性、またそのことによって傷ついた影のようなものの存在。また、自分の観察力を誇る傾向、特殊な知識を持っているという自負なども感ずる。職業を天職と重ねて感じ取る面もあるだろう。そのため、医者になろうと途中で挫折した人には、これらの傾向が屈折して現れる。

 ところが、山田風太郎にはそんなものが全く感じられない。彼にとって、医者というのは別に特殊な職業でもなんでもないようだ。禁酒や禁煙をすすめる医者は、人生の潤いを否定する、親切だが分からず屋のばあさんのようなものだし、失禁の処理をする看護婦は、「えらいもんだな。あんなこと、男にはやれんわ」と賛美される。とても、同業者を見る目ではない。
 おまけに、生命に対する畏敬の念などもなきがごとしである。「人間は65歳になれば定年だ。もう死んでもよい。」と言われると、そうかなあと思ってしまう。何しろ、そこには力みや衒いというものが全くないからだ。自分のことを、酒ばかり飲んで惚けてしまったので、アル中ハイマーだと呼んでいる。これなんかも、医学知識などにこだわらない感覚だからこそ言える言葉だろう。
 この本は、山田風太郎が死ぬ前に、少しまとまった話を聞いておこうという企画で生まれた本だろう。結果的に奇妙な遺書みたいな本ができた。題も「コレデオシマイ」。これは勝海舟の臨終の言葉らしい。
 プライドなどには無縁で、おいしいものを食べて、お酒によって、好きな小説を書いて、ちゃらんぽらんに生きて、ある日階段から足を滑らせるようにして、死んでしまう。そんな気分の中にいる人の世界がこの本の中にはある。
 人間にとって一番悲しいことは、綺麗な女優が年をとっていくのを見ることだとも書いてある。こんなおとぼけを読んでみるのも、たまには命の洗濯になると思う。
(2000,11,10)



『われらをめぐる海』(レイチェル・カースン著、日下実男訳、ハヤカワ文庫、早川書房、1977)

この本も古本屋で100円で買ったもの。レイチェル・カースンは「沈黙の春」の作者としてで著名である。最初の出版は、1950年であるため、内容的には古いところもある。現在では小学生でも知っている、プレートテクニックスが全く登場しない。しかし、このテーマに触れるところを読んでも、先入見や教条とまったく無縁に記述してあるので、知識の古さは感じても、考え方の古さは感じられない。彼女がいかにそれらのこわばりから無縁な人であったかがよくわかる。
 この本を書いた頃、カースンは海洋生物学者であったので、書かれてある内容は、科学的な事実の報告である。しかし、それらの記述のしかたは、この著作全体を一つの叙事詩に作り上げていると言って良い。筆は、地球が上に初めて海がうまれた時から、大海原を流れる巨大な潮流、夜の波濤を彩る夜光虫の光、深海に降り積もるプランクトンの雪、くじらと巨大イカの格闘、などなど、海に関するあらゆる時空に広がっている。わずかな表現にも詩的な香りが感じられる。簡潔でありながら、ふくらみの多い言葉。それらが読者にゆたかなイメージを
もたらす。あたかも大海原を浪のうねりに乗せられて、漂っているかのようである。この本は単なる科学的事実の報告集ではなく、こちらの身体感覚を刺激するメッセージが込められている。そこには、カーソンの生命観が感じられる。それがやがて、「沈黙の春」に発展していく、発想の根でもある。エコロジーとは、そうした身体を含めた感覚を基礎に持つものなのだと思った。
 私はアメリカ文学に現れる自然描写の中に、おなじ香りを感ずることがある。たとえばソローの「ウエールデン」の中に描かれた風景の一つを思い出す。、森の小屋に住んでいて、遙か彼方の教会から響いてくる鐘の音を聞くところの描写に、同じような透明な感覚を受ける。カーソンの豊かさの中には、アメリカ文化の可能性が含まれているのだろうと思う。それはどこかで、アメリカの大地に住み続けたネーティブアメリカンの感じ取っていた生命観につながるものだろう。
 カーソンは56歳で、独身のまま亡くなったらしい。彼女が自分の子どもを持っていたなら、そこからどんな感覚が広がっていったか、とても惜しい気がするのは、私だけではないだろう。
 (2000,11,5)


『リツ子その愛・その死』(檀一雄著、新潮文庫、新潮社、1993)

家の近所にコミックショックという古本屋があって、新刊以外の文庫本は一律100円である。ときどきのぞいて、ピックアップしておいて、暇ができると読むことにしている。
この本も、そうして買っておいたものだ。小説とは言うものの、主人公はほとんど著者自身といってよいだろうし、物語の骨格は実際に起こったことだろう。主人公は、戦争末期の昭和19年の春、3歳の息子と27歳の妻をおいて、陸軍の報道班員として中国を旅行する。一年後、帰国した彼を待っていたのものは、結核を発症して寝込んでいる妻の姿だった。収入がとだえたなかで、住居の確保、食料の調達にも困難を極める。看病のために、助けを求めるべき、近親者との関係もこじれ、耐え難い日々が続く。病状の進行と共に、病人は気まぐれとなって、周囲を困らせる。救いとなるのは、幼い子どものあどけない言動である。それらの日常が、およそ感傷を感じさせない、淡々と押さえられた表現でつづられる。
 逃れがたい妻の死を予感しながら、主人公は中国で見た戦死した日本兵や中国人の姿を思い浮かべる。また、看病のために移り住んだ海岸の部落では、そこ住む人々が、自然の中で黙々と働くすがたが見つめられている。何事も無いように見える世界にも、耐え難い困難があり、人はその現実を声高に叫ぶことなく、生き抜いていくエピソードも散りばめられている。しかし、妻の死後、嫁入り道具の返還を求める義母など、とても善人とは思えない大俗物も、同じように描き出されている。
 妻の闘病生活と死を描いた小説でありながら、日々の営みを意味するその時代の風景と、さらにその背後に広がる自然と生命の営みを描ききっている傑作だと思う。
 文庫本の解説にある次のような描写にこころから共感できる。
「『リツ子 その愛・その死』全編の、愛と死と生との楽想は、死のクライマックスと、そのあとの光明に満ちた一節によって、パイプオルガンの響きがいつまでも消えないような余韻を残す。」(小島千加子)
 こんな本に出会えるのだから、読書の喜びというものは何物にも代え難いと思う。
 (2000,11,3)

(この本は今のところ絶版のようです。絶版の文庫本は、「ふるほん文庫やさん」を利用して探すと良い。注文予約もできるので、待っていると見つかったときに連絡してもらえる。価格も1500円ぐらいまで)



『愛という奇蹟』(ラム・ダス編著、大島陽子・片山邦雄訳、パワナスタ社、2000,本体2300円)

最近は、本屋へ行くと精神世界と呼ばれる分野の本が随分たくさん発行されていることに気づく。いかがわしいものから、真剣なものまで、どれが本物なのか、見当もつきにくい。しかし、これだけの供給があるということは、それなりの需要もあるのだろうし、考えてみれば、大変なことだなあと思う。私なりに、興味に駆られて、そんな本の一部を読んでみたが、この人は信頼できそうだと感じたのは、ラム・ダスである。
 そのラム・ダスの本が今度新しく出た。『愛という奇蹟』という本で、出版社は初めて名前を聞くパワナスタ出版である。一読して、ラムダスの遺著かなあと思った。また、過去に読んできたラム・ダスの本がここに上り詰めたとも思った。「ビー・ヒア・ナウ」「覚醒への旅」「キャナイヘルプ」など日本で翻訳された本の要約が、こめられていると思った。
 この本は、ラム・ダスのグルであるマハラジの伝記である。しかし、一般の伝記と違って、編年体でもないし、小説のような構成もなされていない。多くの人の見聞きした、エピソード集である。そのエピソードの中に、ラム・ダス自身の体験が織り込んである。エピソードは、すべて断片にすぎない。特別な注意を払わなくても、すぐに気づくような矛盾を含んだエピソードもたくさんある。一体、何を言いたいのかわからないエピソードすらある。それらのエピソードを追っていくと、自然にマハラジという人間の輪郭が見えてくる。この本はそういう構成になっているのである。
 似たような本を探すとすると、それは禅語録という呼ばれているような唐や宋時代の中国の本になるだろう。しかし、それらの本に比べると、『愛という奇蹟』は軽い語り口である。禅語録は漢字表現の堅さがある上、色々な注釈がついて、自由に読めない面がある。同じような本であっても、そんな堅苦しさがないのが良い。それに、同時代に生きた人の言行録なので、親しみやすさもある。今でも、インドにはこんな人がいるのだろうと思わせてくれる。
 最近読んだ中の本では、まずはおすすめの本である。
(2000,10,23)



元に戻る