『西遊記』を考える


1,はじめに

 明代の四大奇書と呼ばれている『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』『三国志演技』のうち、中国本土を離れて、アジア全土で最も読まれているものは『西遊記』であろう4)。『西遊記』は遡ると、宋代に作られた玄奘三蔵の取経物語が、長い時間をかけて肉付けされていったものである3)。つまり、異本が極めて多く、固有名詞を持った作者を限定することができないのである。それだけ、多くの改訂者の想像力を刺激するテーマを提供していたからであろう。
 では読者にとって、『西遊記』のおもしろさはどこにあるのか、一つはその登場人物の多彩さにあろう。12)主人公の玄奘三蔵、孫悟空、猪八戒、沙悟浄の組み合わせの妙もある。それぞれの個性が詳細に描き出されている。臆病で、お人好しの玄奘、かんしゃく持ちでプライドの高い孫悟空、大飯ぐらいので欲張りの猪八戒。性格のはっきりしない沙悟浄など。物語の展開のなかで、それらの個性が織りなすものは、時にはドタバタ劇に近い混乱を引き起こす。そういう中で、妖怪相手に繰り出す孫悟空の暴れぶりは、痛快この上ない。伸縮自在の金箍棒、にこ毛を一吹きすれば、無数の孫悟空が飛び出す。悟空は、うんかや蠅、蛾から、虎や大鷲、あらゆる妖怪にまで変身することが出来る。ねむり虫を取りだして前後不覚に相手を眠らせることも出来る。これに対する妖怪も、おどろおどろしい姿で現われ、想像を絶するような奇想天外の武器を振り回す。さすがの孫悟空も、しばしば窮地に陥り、九死に一生を得るといった具合なのである。とらわれた玄奘を救い出すために、孫悟空は人間界ばかりでなく、天界や西天、南海を?斗雲に乗って駆けずり回る。毎回同じような展開のように見える妖怪退治も、荒唐無稽とも思えるような狂言回しによって、飽きることなく読み進めることができる。
 しかし、『西遊記』を読み終わったとき、これらの荒唐無稽と思えるものが、一つの秩序を構成しているように感じられるのである。もし、そうした構造を持っていなければ、何百年と読み継がれてこなかったであろう。この小論で検討してみたいのは、この『西遊記』の中に流れている秩序がどういう構造であるかという点である。奇想天外な幻想世界と思えるものの中に、意外な教えが潜在しているということなのである。

2,孫悟空の修行

 猿集団のリーダーとして過ごしていた孫悟空が、この世の無常を感じて、「不老長生の法を学びとり、閻魔の災いを免れよう」と決意するところから『西遊記』は始まる。そして、取経の旅を終えて、如来から闘戦勝仏とされることで終わるのであるから、物語全体が求法成仏の物語であるととらえるのが自然なことだろう。だとすると、孫悟空の修行にまずは注目する必要があろう。しかし、これまで『西遊記』研究の視点は、猿の民話や出現する妖怪の伝説等には注目しても、求法の物語としてとらえる視点ははなはだ弱いものだった6,10)。
 孫悟空の修行過程は、須菩提祖師の元での修行から始まっている。この修行を巡るエピソードは、中国禅の確立者・六祖恵能の伝記である『六祖壇経』から取られたものが多いのである。この事実は、過去、どの研究者からも指摘されたことがないものである。それを具体的に見てみたい。
 最初の師匠への弟子入りの経過、修行の過程、そこを離れるいきさつなどを、『六祖壇経』と比較してみたい。(これらのエピソードがすべて取り入れられるのは、元代の宗寶本(延祐3年・1291年)からである。しかし、10世紀の敦煌本にはすでにエピソードの1,2,4,6に類するものが見られるので、『西遊記』に『六祖壇経』が影響された可能性はない10)。)
1,恵能は旅館のお客が唱えるお経を聞いて、その縁で師匠の存在を知る。悟空は、ある人の唱える詩を聞いて、その縁で師匠の存在を知る。それぞれ、師匠の境地を知ることができたという設定になっている。
2,恵能は母一人子一人で、薪を売って一家を支えている。悟空がその詩を聞いた人物は、母一人子一人の境遇で、薪を売って一家を支えている。
3,恵能は師匠のところで入門の際に問答をする。そのとき、南方の人間は悟れるかどうかを議論するが、恵能は「仏性」に南北なしと主張する。悟空も入門の際に師匠と議論する。そのとき「おまえの性は何か」と問われて問答する。ともに「性」をめぐる議論である。
4,恵能は師匠からその力量を認められ、個別指導を受けるが、他の弟子の手前、あからさまには伝えられず、夜三更に訪ねてくるように知らせるため、師匠が杖を三回突く。これに対して、悟空も師匠から、同じように個別指導を受けるが、夜の三更に訪ねてくるように知らせるため、顔を三回たたかれる。
5,恵能は自分の境涯を証明する方法として先輩弟子の神秀と共に詩を作るが、その詩の中に「身はこれ菩提樹」「菩提これ樹にあらず」という表現の違いが表れている。これは身体を菩提樹という樹木にたとえる表現である。この詩によって恵能は、師匠から認められる。悟空は自分の姿を松の木に変え、師匠からその境地を認められる。
6,恵能は師匠からその境地を証明された後、すぐにその地を去るように師匠から勧められる。先輩同僚の嫉妬をかって、身が危ないと判断されたためである。悟空も、松の木に変じる力を師匠から認められた後、「かならず害がおよび、命さえもどうなるかわからぬ」と師匠の元から立ち去ることを求められる。
 細かな違いはあるが、『六祖壇経』に親しんでいるものにとって、悟空が師匠のもとで修行した姿は、恵能が師匠のもとで修行した様子と二重写しになっていることが簡単に見て取れる。それも単なる剽窃ではなく、当然『六祖壇経』を知っているものとしての表現である。
 そう思うと、悟空が猿として設定されることも、恵能が最初弟子入りを頼んだとき、師匠から「南方の人間は悟れない。彼らは獣のようなものだから」と言われたことと関連づけられていることがわかる。
 これらの事実からとらえられるのは、悟空が須菩提祖師の指導による修行によって、深い境地に達していたという前提が、作品全体の基礎になっているということである。悟空の修行期間も、師匠を見つけるのに7〜8年、本格的修行が10年に及ぶ。三蔵と共にする取経の旅が15年であることを考えると、この期間の長さは注目に値するものである。六祖恵能が五祖弘忍のもとを去るという段階の境地が想定されているとすれば、それは宗教者として十分一家を為すという段階である。『西遊記』における孫悟空の境地が、そうした高度のレベルであるということをふまえておかないと、その後の物語の展開が正しくとらえられないだろう。恵能は弘忍の元を離れて、法を説き始めるまで15年間、山の民の間に入ってその境地を練っていた。それは悟りの境地を得た後の、悟後の修行と呼ばれている。孫悟空の取旅が15年であるということは、悟後の修行であることを暗示している。
 さて、この他に恵能以外の禅者のエピソードと共通する描写がいくつか見られる。
 たとえば、須菩提のところにやってきた悟空は、その場で歩いてみるように言われる。これは?山霊祐という禅僧が、その力量を発見された時のエピソードを踏まえたものであろう17)。歩く姿を見ることによって、その人の境地を知るという方法である。
 また、修行の途中、悟空は修行期間を問われて「何年経ったかわからない。ただ七回桃を食べた」というほど、修行に集中している。これは、山に籠もって修行した大梅という有名な禅者の言葉を踏まえたものであろう。大梅は同じような質問に「只四山青くして又た黄なるを見るのみ。」と答えている6)。こういうわずかな言葉にも、禅との関連とその修行の厳しさが見て取れるのである。しかし、これらの場面には固有名詞が出てこないので、禅の歴史に関心がなければ見落とされてしまうエピソードである。
 何故、『六祖壇経』や禅者のエピソードとの関連が気づかれなかったのだろうか。ここに『西遊記』研究の盲点が示されているのである。
 1,『西遊記』の研究は、物語の時代的変遷を追うものが多い。3、9)しかし、元代の作品は、最初の部分が欠落していて、孫悟空の出身等が不明である。そのため、考察が不十分になってしまったと考えられる。
 2,『西遊記』の登場人物の研究は、その固有名詞を手がかりにしたものが多い。しかし、ここで関連性を指摘した恵能や『六祖壇経』と言った固有名詞は、『西遊記』の中には登場しない。(恵能の別名である曹渓という言葉は第8回、50回に登場するが、詩の一節のため注意を引かなかったのであろう)そのために、関心がはらわれなかったと思われる。
 3,『西遊記』は、取経の物語をベースにしているのだから、当然仏教との関連を重視されるべきだと思うが、日本の研究では道教や民間信仰との関連で考察されることが多い。5,13,14,16)そうした思想、宗教の実態や中国文化での役割の紹介という意味を持っているだろう。それに比べ、仏教との関連は常識的な意味づけとして、関心が向かいにくかったのではないか。
 4,修行による認識の深化という東洋的モデルが意識されていないため、『西遊記』のような作品が修行過程との関連で理解されない。つまり『西遊記』のエピソードが、断片の寄せ集めだとしかとらえられないのである。このことから、修行過程を表した古典的な作品であるような、『六祖壇経』との関連性にすら気づかないという現象が、起こったのであろう。
 まずは、孫悟空の境地が高いものであったと想定されていることを確認しておきたい。

3、天界での大暴れ

 須菩提祖師の下を去った孫悟空は故郷の山へ戻る。そこは悟空のいない間に、すっかり寂れ、周囲からの略奪にあっている。悟空はまず、それらの侵略者と戦い、独立と自由を回復する。修行の結果得た悟空の力は、周囲に並ぶものがないため、独壇場の様相を呈している。悟空は取り巻きの猿たちのもたらす情報から、竜宮に隠されている武器を手に入れたりする。悟空に宝物を奪われた王などは、天界に苦情を伝えることになるが、結果的に悟空の存在を、天界に知らせることになる。ところが、天界は悟空に制裁を加えるのではなく、天界での仕事を与えることで懐柔しようとする。最初に与えられたのは、弼馬温という仕事である。悟空は天界に位置を占めたことで得意がるが、仕事の内容が馬飼いであることを知って、癇癪をおこして、下界へ戻ってしまう。下界では、取り巻きが悟空を「斉天大聖孫悟空」と呼ぶので、それを自称するようになる。
 天界では再度、悟空を懐柔すべく、「斉天大聖孫悟空」の称号を追認した上で、天界での最高の位を与えると言うことになる。しかし、これも形式だけのものであり、結局、悟空を怒らせてしまう。その結果、悟空は天界の不老不死の果物・蟠桃を食べて、どんな攻撃を受けてもはねつけるような身体となってしまう。最後は天界中を大騒ぎさせるような、大暴れしてしまう。天界のいかな兵力も悟空を取り押さえることはできない。そして、観世音菩薩や如来の出動によって、やっと悟空は取り押さえられのである。
 天界での大暴れと、如来による五行山への封じ込めまでの過程は、悟空が求めた事態によって、展開しているのではない。孫悟空が、取り巻きの意見を聞いて、「それもそうかも知れない」と行動している内に、全体の事態が封じ込めの方向へ動いていくのである。天界での出来事も、悟空が求めて、そうなったというより、天界と下界を行き来している内に、悟空の力が次第にパワーアップして、知らず知らずのうちに、周囲を巻き込んで、大きな事態となっていくのである。これらは言ってみれば、自然発生的な展開なのである。須菩提祖師のもとでの修行の結果得た能力が、周囲のエネルギーを吸収して、とめどなく発展していったのである。その大暴れぶりは、悟空の自我肥大、自己顕示欲、我執、物欲、幼児的万能感などの全面展開と言ってもよい。天界の頂点にまで上り詰めた、文字通りの有頂天の状態である。この光景こそ、「悟り」に触れた人間がまず最初に陥る、魔境である。
 この状態が実は、仏の世界の英知に比べ、いかに限界があるものかは、釈尊の手から出られなかった、悟空の神通力にもっともよく表現されている。
 悟空は、岩山の下敷きとなって、幽閉される。このことは、悟空が玄奘三蔵の弟子となって、インドへ旅立つ前提である。つまり、「悟り」の入り口にたって感ずる万能感が、本当の悟りによって根本的にうち砕かれたとき、初めて「法」を求める過程が始まるのである。天界での大暴れの段階では、「悟り」のエネルギーが自我に吹き込まれているだけで、自我のくびきを逃れているわけではない。自我の制約を逃れるためには、想像を越えた労苦をなめなければならないのである。
 玄奘から封印を解かれた孫悟空は、すでに暴れ者の化け物猿ではない、法を求める求道者、行者となっている。この変化を中野美代子は不自然なものと考え、「反体制的なあばれもののサルのお話やら、仏法を求めるまじめな求法のサルのお話やら、それぞれまったく別のお話の系譜があって、いつのまにか複雑に混じり合って、『西遊記』物語に流れこんできたにちがいありません。」15)と解釈しているが、修行過程と境地の深まりという観点から言うと、ごく自然な変化と言わなければならない。
 その具体的な例の一つを、江戸時代の禅僧白隠の修行過程に見ることが出来る。白隠は自分ほど悟った者はいないと、悟りをぶらさげて正受老人のもとを訪ねる。しかし、正受老人から、その境地を認められず、自慢の鼻をねじ上げられる。反発を繰り返して、そのたびにののしられ、ついに頭を下げるのだが、そこからが白隠禅師の本当の修行の始まりなのである。頭を下げるまでの白隠の姿は、「悟り」の一端に触れた有頂天、増上慢の姿である。天界で暴れていた孫悟空の姿と同じである。2)

4,取経の意味

 玄奘が教典を得るために旅をしなければならなくなった理由は、『西遊記』の最後に近くなってやっと明らかとなる(81回)。それは、釈迦の第二の弟子であった金蝉長老が、釈迦の説法の途中で居眠りした報いなのである。金蝉長老の生まれ変わりである玄奘は、その償いのために、困難な取経の旅を行わなければならなかったのである。
 その旅に同伴する、悟空以下のメンバーも、それぞれ償いの行為として旅に参加している。それは天界で行われた蟠桃会での不祥事に関わることである。孫悟空はその場で大暴れをしている。元は天蓬元帥であった猪八戒は、そこで嫦娥に戯れている。元は捲簾大将であった沙悟浄は、蟠桃会で玻璃の杯を割ってしまう。それらの行為のために天界を追われ、償いとして玄奘の旅に同伴し、許しを得ようとするのである。
 取経の旅で起こる困難は、妖怪が玄奘を食べようとして襲いかかってくるか、または妖怪が玄奘を性的対象として求めてくるかの形を取っている。諸妖怪にとって、玄奘の肉は不老長寿のもととされている。また美男の玄奘は、性的対象として限りない欲望をかき立てる存在となっている。これらの困難の意味は、孫悟空が求めたのと同じ不老長寿の欲望を妖怪が持っているということと、猪八戒が女性に求めた欲望と同じものを、妖怪が持つということを意味している。玄奘一行の対決する妖怪は、それぞれ悟空や猪八戒が過去に持った欲望の現時点での体現者でもある。つまり、彼らが対決しているのは、過去の己の欲望であり、現在の欲望でもありうるのである。それも己の存在の核のような欲望なのである。孫悟空が「不老長生の法を学びとり、閻魔の災いを免れよう」というところから修行に入ったことを思い起こす必要がある。
 不老長寿をもたらす果実としての蟠桃と、不老長寿をもたらす肉塊としての玄奘を結びつけるものとして、人参果(24〜26回)がある。これは果実でありながら、人間の赤ん坊の形をしており、あまりにも人間に似ているため、玄奘はそれを食べることを拒否するほどである。人参果は一つ食べると4万7千年も生きられる、不老長寿をもたらすものとして蟠桃と共通しており、人間の身体の形をしているという意味で、玄奘の肉体と共通している。人参果は蟠桃と玄奘を結びつけるイメージを作っている。人参果が現われて、そこから初めて三蔵の肉が不老長寿につながるという話が出てくる(27回)ことにも注意が必要であろう。『西遊記』の中には、このように結びつくはずのないものを結びつける移行のイメージが散りばめられているので、エピソードのすべてが象徴的にうけとめられることになる。妖怪が玄奘の肉を食べるという残虐な行為も、作品中の多彩な出来事の中にとけ込んでいってしまう。
 同じようなことが性的対象としての玄奘についても言える。玄奘の身体が不老長寿をもたらす肉体と見なされる場合は、孫悟空の欲望と絡んでくるのに比べて、性的対象としての玄奘の場合は、一方で猪八戒の欲望と他方で玄奘の両親の運命と絡んでくるのである。
 玄奘の肉体に不老長寿の効果があるという話が出る前に人参果があるように、玄奘の女難の始まる直前には、その水を飲んだ者が妊娠するという子母河が出てくる(53回)。ここで妊娠するのは、三蔵と猪八戒だけである。次の回で一行は女性たちから「人種が来た!」と呼ばれることになる。猪八戒は登場のはじめから食欲と性欲の強い存在と想定されているので、ここでは玄奘を猪八戒の共通性が暗示されていることになる。
 さて、玄奘の両親のことである。玄奘の父親・陳光蕋は官吏登用試験に合格した後、大臣の娘・温嬌から婿選びの鞠を当てられ、結婚することになる。光蕋は任地へ向かう船の中で、暴漢・劉洪に川へ投げ込まれて殺害される。妊娠中の温嬌は子供を守るため、劉洪の脅しに従って、光蕋に成りすました劉洪と任地へ同行する。誕生直後の玄奘は、温嬌の手で川へ流され、運良く拾われた僧によって育てられる。やがて、成長した玄奘は出生の秘密を知り、母と再会し父の仇をうつ。このエピソードの中の、婿選びの鞠投げ、水に投げ込んでの殺害、他人になりすまして妻を奪うという話は、『西遊記』の中で別の形で現れてくる。(37〜39回、68〜71回、95回)三蔵一行は、それぞれのエピソードにからむ難局を解決していくのだが、そのたびに玄奘の出生の因縁を解きほぐしていくことになる。
 取経の旅は、玄奘の旅である。孫悟空は雲に乗って飛ぶことができるのだから、単に誰かがお経を取りに行くことだけが目的なら、何も歩いていく必要はないわけだ。玄奘自身が歩いて旅を全うする必要があった。妖怪が出る可能性があっても、表街道を進んでいかなければならない。三蔵は「行くさきざきで難に会い、いたる所で災いを受ける運命にある。」(31回)のである。三人の弟子は、それを助けることができるだけである。玄奘は前世で釈迦の教えを軽視した金蝉長老であったときの因縁をそのような形で解消しなければならなかったのである。
 
5,魔の問題

 次ぎに、『西遊記』に登場する妖怪を個別に見ていきたい。
13回までの大唐の世界では、妖怪は出てこない。大唐を離れる段階の最後に、双叉嶺に住む虎の精の寅将軍が出てきて、異世界への緊張が高まっていく。
16〜17回の黒大王は、黒風山黒風洞に住む黒熊の怪であった。観音に捕らえらたあとは、落伽山の裏山の守山神となる。
20〜21回の黄風大王は八百里黄風嶺の怪であり、もとは霊山のふもとに住むネズミだった。
27回の白骨夫人は白虎嶺の怪である。
28〜31回の黄袍怪は、碗子山波月荘に住み、もとは二十八星の星宿・奎木狼である。
32〜35回の金角、銀角は平頂山蓮花洞に住む妖怪の兄弟で、もと太上老君の金炉、銀炉の番をする童子であった。
37〜39回の全真教道士の本性は、文殊菩薩の青毛獅子である。
40〜43回の紅孩児、は、枯松澗火雲洞の妖怪であり、牛魔王の子である。捕らえられた後は観音の善財童子となる。
47〜49回の霊感大王は通天河の水怪であり、観音が飼っていた金魚が逃げて精となったものである。最後に観音の魚籃に生け捕りになる。
50〜52回の独角?大王は、もと太上老君に飼われていた青牛である。
53回は如意真仙は牛魔王の弟である。
55回の女怪は、毒敵山琵琶洞に住むさそりの精である。
57〜58回の偽悟空は、その正体が六耳??であることを如来に看破される。
59〜61回の羅刹女は牛魔王の妻であり、紅孩児の母である。
60〜61回の玉面公主は、牛魔王の思いもので、その正体は玉面狸である。
62〜63回の九頭?馬は乱石山碧波潭に住む万聖竜王のむすめ婿で、その正体は九頭虫である。
66回の老人、仙女などは、檜、柏、松、竹などの妖精である。
65〜66回の黄尾大王は小雷音寺に住む妖怪で、もとは弥勒菩薩の磬をあずかる黄尾童子である。
69〜71回の賽太歳は、麒麟山に住む妖怪で、もとは観音菩薩乗用の金毛のおおかみである。
72〜73回の盤糸洞の女怪は蜘蛛の精である。
73回の百目魔王は黄花観に住む怪道士で、その正体は七尺におよぶ大むかでである。
74〜77回の三人の魔王の一番目は文殊菩薩の青獅子の精、二番目は普賢菩薩の白象の精、三番目は鳳凰が生んだ大鵬である。
78〜79回の比丘国国丈は柳枝坡精華洞に住む妖怪で、その正体は南極星乗用の鹿である。
80〜83回の地湧夫人は陥空山無底洞に住む女怪で、もとは「金鼻白毛老鼠精」と呼ばれた天界の妖精である。
88〜90回の九霊元聖は竹節山盤桓洞に住んでおり、その正体は、太乙救苦天尊の乗用である九つの頭の獅子である。
91〜92回の辟寒大王は青竜山玄英洞に住む妖怪で、正体は犀の精である。
93〜95回の天竺国王女は毛頴山に住む兎の怪で、その正体は太陰星君(月の神)の広寒宮で仙薬を搗いていた玉兎である。
 『西遊記』に登場する旅の妨害者は、一部を除いて妖怪のたぐいである。それも天界諸神仏の眷属である。これらはすべて、何らかの形で悟りに触れた存在である。例外的に第44〜46回に出てくる虎力大仙、鹿力大仙、羊力大仙、の存在がある。これらはもとは黄毛虎、白毛鹿、羚羊である。しかし、単なる獣なのではなく、「一場の苦行を積み、獣の身から抜け出たもの」である。第55回に現れる蠍の化け物も、「雷音寺にまぎれ込んで仏の教えを聞き、経などを談じていた」というもので、ただ単に年月を経たというようなものではない。一度は修行したり、教えを聞いたりして悟りの一端に触れているのである。これにあてはまらないものとして、66回の樹木の精霊や73回のムカデがある。しかし、これも年を経て何らかの体験をもっているだろう。
 では何故、悟りの一端に触れた存在が妖怪となって、三蔵たちの旅を妨害するのであろうか。一部には菩薩が色々な因縁から意図的に送り込んだ場合もある。(39回)しかし、こうした目的論的にだけ考えるのは、浅い理解となってしまうだろう。それを解明するには、『西遊記』の中に何度か表現されている「悟りが深ければ、それだけ魔も強くなる」という考えに注目する必要がある。それは、「道徳高く隆なれば魔障また高く」(40回)「道は高さ一尺なれど魔は高さ一丈」(51回)「道高きこと一尺なれば魔千丈」(61回)などの表現である。これらの言葉は、「道高ければすなわち魔盛んなり。故にすべからくよく魔事を識るべし。」11)という『天台小止観』の言葉と同質であり、悟りと魔が密接な関係にあることを示している。
 『天台小止観』は『摩訶止観』と並んで、天台大師智が座禅の作法と用心を詳細に明らかにしたものである。書かれたのは中国の隋代である。それ以後、禅の境地は多彩に発展していったが、体験の意味を体系的に明らかにしたものとして、これ以上のものは、その後書かれていない。「魔」を考えるには、これらの著作を研究することが不可欠である。「魔」とは、仏法求道に励む行者に現われ、修行を阻害するあらゆる現象のことを指しているのだから、修行者にとって「魔事を識る」ということは極めて重要なことである。『天台小止観』には次のような言葉も見られる。「魔が人心に入るとき、・・あるときは諸の邪なる、禅定、智慧、神通、陀羅尼を得しむ。説法し教化するに人みな信伏すれども、後にすなわち大いに人の出世の善事を壊し、および正法を破壊す。」これは、魔が修行者に入り込むと、一時的には修行者に智慧、神通力を与え、周囲の人々を信服させることもあるということである。『西遊記』に登場する妖怪が多くの手下を連れている意味が明らかになるだろう。また、取経の旅に出る前の孫悟空の作っていた集団も、そのような質のものであったのである。
 日本で書かれたもののうち、「魔」に触れた古典として南北朝時代に夢窓疎石の著わした『夢中問答』18)がある。その中に次のような表現がある。「魔王は欲界の第六天にあり、これを天魔と號せり。よのつねの天狗などいへるは即ち魔民にあたれり。彼の魔王は三界の衆生を眷属と思へり。この故に佛道に入る者をば、これを障礙するなり。然るを則ち世事にのみ執着して、佛法修行の等閑なる人は、生死を出づる事あるまじき故に、天魔これを障礙せず。」つまり、修行が進んだ行者にのみ、魔は現われてくるのである。また、魔王、妖怪は天と関わっているのである。「魔は皆飛行自在を得て、身より光を放ち過去未来の事を知りて、佛菩薩の形を現し、法門をとくこと弁論とどこはりなし。」「学道の人修練の功のつもるに随って、行徳も日来にはかわり、霊験も余人にはすぐれたる事あり。此の人もし其の小智小験にほこりて、高慢の心を起こす時は、魔道に入る事疑いなし。」孫悟空が一定の修行を終えて、「修練の功」がつもったからこそ、「霊験も余人にはすぐれ」、天界で大暴れすることにつながったのである。取経の旅で出現する妖怪が天界と関係を持っている理由もまた同じである。そういう妖怪だけが三蔵を害することができる。単なる妖怪は、三蔵をとらえても食べることはできない(13回)のである。
 宗教の本質の考察に、魔の解明を不可欠と考える阿部正雄も「魔界に入りうる者は、一たび仏界に入った者である。魔界は仏界の以前に現前するのではない。仏界の以後にこそ現前する。仏界をつきぬけることによって初めて魔界に入りうるのである。」1)と指摘している。これらの思索はすべて、瞑想を実践している禅の流れから来ていることに注意が必要であろう。

6,妖怪、魔の退治

 まず、『西遊記』の中に書かれた心と魔の関係について触れてみたい。「心生ずれば、もろもろの魔性生じ、心滅すれば魔性もまた滅する。」(13回),「菩薩も妖精も、みなこれ一念より起こるもの。もし本来の姿を論ずれば、みな無に属するのじゃ。」(17回)などと述べられている。『夢中問答』には「真実修道の人は、佛界をも愛せず魔界をも怖れず。若しかやうに用心して証得の想をもなさず、退屈の心をも生ぜずば、諸障自ら消滅すべし。」と述べられている。
 第50回で、悟空が地面に円を描き、その中に三蔵を入れて、ここから出なければ魔におそわれないと述べたのも、平等一枚の禅定の世界に止まれば魔も出現しないと述べたもので、このことから言えば当然のことだろう。このエピソードは、禅の世界でしばしば描かれる円相(たとえば、碧巌録69則など。7))と関連しているであろう。 
 では、『西遊記』の中の妖怪はどのようにして、退治されたのかを見ていこう。『西遊記』の中では、妖怪の正体がわかることが、妖怪を鎮める最大の手がかりなのである。妖怪が出現すると、孫悟空はこれとまずは、物理的な力で対決しようとする。それでかなわないときは、弟子三人が力を合わせる。しかし、それでも解決しないときは、土地の神を呼び出して、正体を知ろうとする。さらに、明らかにならないときは、天界や西天、南海の菩薩、如来のところにまで尋ねていく。妖怪はその正体がわかると、比較的に簡単に退治されてしまう。その弱点や対処法がわかってしまうからである。これらは「心滅すれば魔性もまた滅する。」ということにつながるであろう。58回のにせ悟空は、その正体を指摘されるだけで神通力を失ってしまう。
 ここで興味深いことは、仏が乗っている動物や飼っている動物が、飼い主のふとした油断からその場を離れ下界に降りて、妖怪として害をなす場面が何度も出てくることである。孫悟空が戦って、絶対かなわないと見た妖怪が、おっとり刀で登場した菩薩の手であっけなく連れ去られるのである。天界の一日は、下界の一年ということになっているので、神仏がちょっと目を離したすきに起こることの影響は極めて大きい。大悟を得たはずの仏ですら、その眷属をすべて支配できているわけではないのである。
 『西遊記』の中では、魔の根絶ということが求められてもいないし、可能だとも思われていない。妖怪が徹底殲滅されるという例はわずかである。ほとんどが、元の天界の場所へ戻っていくだけである。孫悟空が妖怪に最後のとどめを刺そうとすると、菩薩が現われて、妖怪を召使いにしたいといった感じで連れ去る場面もある。(16〜17回、40〜42回)また、自分の飼っていた動物が逃げ出したことがわかって連れ戻しに来ても、特に制裁を加えようとする様子は見られない。(28〜31回、37〜39回、47〜49回、50〜52回、68〜71回、74〜77回、78〜79回、88〜90回、93〜95回)たとえば、観音菩薩が「わたしの顔に免じて、あっさり許してやってもらいたい。」とすますだけである。(71回)神仏の世界は多元的世界であって、その中には魔の存在が含まれているのである。『夢中問答』の中の「魔境を怖れてこれに入らぬ方便を求むる。即ちこれ魔境なり。」という言葉を紹介しておきたい。魔の入り込まない、つまり善だけの世界を求めることは、一つの迷いであるという端的な表現であろう。「妖魔を恐れて命を惜しみ・・・・どうして西天に仏を拝することができましょう。」(43回)というわけである。

7,『西遊記』の世界

 『西遊記』の世界には無限の運動が孕まれていると言っても良い。大きな流れとしては、玄奘三蔵と三人の弟子が幾多の苦労のはてに、めでたくお経を手に入れて、お話としては終わるわけだが、妖怪は退治されたとは言うものの、元の天界へもどっただけにすぎず、いつ監視の目を盗んで下界におりて来るともわからない。
 また、取旅の途中に、孫悟空が観音菩薩や諸神仏のところに相談に訪れても、仏も結構多忙な生活を送っているらしく、蓮の台の上に静かに座っているだけではない。社交活動も忙しいし、自分の飼っていた動物や魚などが逃げ出して、それをもらい下げに行ったりもしなければならない。
 玄奘や孫悟空が仏の位に登ったとしても、それですべてが安定し、固定してしまうとは思えないのである。
 仏の活力は、邪悪なものへいつ脱線するかわからないような、妖怪を従えることによって、成り立っている。孫悟空の場合も修行の結果、神通力を持つと、天界の側から誘いがあって、天界の秩序に組み込まれていく。孫悟空も、天界に組み込まれることを求め、それに従う。天界に入ることによって、一段とエネルギーを得て、魔として害をなす可能性も高まっていく。やがて、その秩序にも当てはまらないほどに力を持つと、如来や菩薩が登場し、その力をねじ伏せてしまう。妖怪は仏に従うことによって、活動の暴走が制御されるのである。逆に仏は妖怪を押さえ込むことで、自分の活動の幅を広げていく。しかし、油断すると妖怪はそのくびきを逃れて、暴走してしまうであろう。これらの相互関係は、永久に続く運動である。悟りと迷い、智慧と煩悩の関係である。
 この関係を一人の人間の精神活動と考えれば、欲望や衝動が妖怪にあたり、仏はそれらを制御する智慧の働きになろうか。集団で有れば、妖怪は異端的な要素、仏は主流派的な要素となろう。それらが相互に刺激しあい、転化しあうダイナミズムを表現したものとして、『西遊記』の世界を見ることができる。この決着することのない、運動がはらまれているところに、『西遊記』の魅力があると言えるだろう。
 このダイナミックな運動の起こる場は下界・現実界である。天界でミスを犯すと、下界へおとされて、償いをさせられる。天界の動物が物欲を起こして、下界へ降りてくる。そういう動きがある。悟りに触れることによって魔が作られ、下界へ降りることによって妖怪が発生する。悟りに近づけば近づくほど、妖怪の破壊力は強くなる。天界で生じた矛盾、トラブルは下界でしか解決されない。修行が出来るのも、償いができる下界・現実界でしかないのである。ここにあるのは単純な善悪二元論ではない。『西遊記』の中では、表面上は勧善懲悪の世界であるが、その実は善悪はもつれ合って、相互に転化しあっているのである。
 このような相互転換の動きは、既に見たように、一つのテーマが形を変えて何度も登場するところにも現れている。妖怪は下界と天界を結びつける働きをするとき、その意味が明らかになる。妖怪の行動は天界と下界の両方に影響を与えている。妖怪のもたらす混乱が同じような繰り返しでありながら、微妙な変化を持っていることによって、相互転換にふくらみができている。
 『西遊記』の中では「夢」の働きも、妖怪と同じような意味を持っている。夢の中で実行したことが、現実に影響を与える。そういう話が語られることによって、夢と現実の境界が越えられる。その時、天界と下界の境界を越えることへの違和感も薄れるのである。夢の世界を持ち出すことで、これらの相互転換の構造は、極めて受け入れやすくなっている。『西遊記』が各種エピーソードの羅列のように見えながら、全体を読み続けることで、一見虚構とも見える世界を受け入れやすくし、ひいては善悪二元論といった単純な世界像を越えた、ダイナミックな世界をかいま見せてくれるのである。『西遊記』はそうした世界が修行のプロセスを通じて見えてくるということを示している。そして、それが普遍的な意味を持つものであることを、同時に伝えてくれるのである。

7,まとめ

 『西遊記』のおもしろさは仏魔一如の世界を見せてくれるところである。孫悟空の誕生と大暴れには、悟りに触れた存在がどのようにして、魔となっていくか、妖怪となっていくかが表現されている。それが如来によってねじ伏せられ、長い時間を岩山に封じ込められるところには、有頂天、増上漫の世界から抜け出すことの困難が示されている。取経の旅には、魔を生み出す根本になっている「不老長寿」を求める欲望等が、どのように解消されていくかが繰り返し描かれる。これらの運動は終わることのない、プロセスである。そしてこの世界像は大乗仏教の提出している世界像なのである。過去の研究において、『西遊記』を修行過程の深まりと関連づけて考える視点は、はなはだ乏しいものであった。それは東洋的智慧を深めていく方法論に対する関心の乏しさの結果である。
 『西遊記』を読む楽しさは、この世界像の中で遊び回る楽しさだろう。一見妖怪退治の物語のように見えながら、深い哲理を示しているようで、結局のところは娯楽作品のようでいて、単純な読後感に終わらない。その点が、長い時間をかけて読み継がれてきた理由であろう。また、東洋的智慧の懐の深さであろう。インドで生み出された仏教思想が、中国にわたって大乗仏教の花をひらいたというその成果でもあろう。そういう観点から見ると、『西遊記』が中国とインドを結びつける旅を中心として作られていることにも、大きな意味があるのである。
 『西遊記』は悟りに近づいた存在が、身に引き受けなければならない問題を示している。およそ政治力、経済力、地位や名誉など、力とエネルギーを得た者がどういう運命を背負い、それを克服していかなければならないかにも、大きな示唆を与えてくれるものである。それが『西遊記』は覚醒の書であると言われる所以であろう。19) 


注)この小論の基礎となっているのは『西遊記』のテキストのうち、清代に作られた『西遊真詮』(平凡社刊)8)である。

文献)
1)阿部正雄、非仏非魔、法蔵館、2000、
2)伊豆山格堂、白隠禅師 遠羅天釜、春秋社、1985,
3)磯辺彰、『西遊記』形成史の研究、創文社、1993
4)磯辺彰、『西遊記』受容史の研究 、多賀出版、1995、 
5)入谷仙介、『西遊記』の神話学、中公新書、中央公論社、1998
6)入矢義高監修、景徳伝灯録三、禅文化研究所、1993,
7)入矢義高、溝口雄三、末木文美士、伊藤文生訳注、碧巌録(中)、岩波文庫、岩波書店、1994
8)太田辰夫、鳥居久靖訳注、西遊記、平凡社、1972
9)太田辰夫、西遊記の研究、研文出版、1984
10)駒沢大学禅宗史研究会編著、慧能研究、大修館書店、1978、
11)関口真大訳註、天台小止観、岩波文庫、岩波書店、1974、
12)武田雅哉、猪八戒の大冒険、三省堂、1995
13)中野美代子、孫悟空の誕生、玉川大学出版部、1980
14)中野美代子、西遊記の秘密、福武書店、1984
15)中野美代子、孫悟空はサルかな?、日本文芸社、1992
16)中野美代子、西遊記、岩波新書、岩波書店、2000、
17)西村恵信訳注、無門関、岩波文庫、岩波書店、1994
18)夢窓国師、佐藤泰舜校訂、夢中問答、岩波文庫、岩波書店、1934,
19)林語堂、坂本勝訳、人生をいかに生きるか、講談社学術文庫、講談社、1979




                       元へ戻る