自動炊飯器感謝の日


先日ふと「自動炊飯器感謝の日」というのをつくってみたらどうかなと思いつきました。
その日は自動炊飯器を使わず、鍋あるいはお釜、飯盒を使いガスあるいは薪、炭等の燃料でご飯を炊くのです。

私のいいかげんな記憶が正しければ、、、
数年前、ある豪雪地域で送電線が切れて一週間ほど電気が来なくなった事故が有りました。
それだけなら大した事は無かったのですが、その後の調べのなかに非常に興味深い報告を発見しました。
電気が来なくなった間どの家庭でも御飯を炊けなかったというのです。
プロパンガスの地域でしたのでガスは出ます。水道も被害を受けていないので水も出ます。
それなのになぜ御飯が炊けないのだ?と思いました。
その理由は自動炊飯器が普及した結果、それ以外の方法でご飯を炊く技術が失われていることだったのです。

水とガスが有りますのでインスタント食品を加熱して食べられます。
飢えて困ったとの話は無かったそうです。
毎日、米の御飯を食べている日本人がコンピューター制御の炊飯器無しではご飯を炊くこともできなくなっているという事実に私は驚きました。
年配の方から「昔はご飯を炊くために朝早く薪に火をおこし、それは大変な仕事だった。」「今の自動炊飯器は前日にセットしておけば、朝寝ていても決まった時刻に温かな御飯が炊けている。今になって思うとよくあんな大変なことを毎日やっていた物だと自分でも信じられないくらいです。」と昔の話を聞いています。
自動炊飯器自体は日本人の発明した偉大なる文明の利器だと私は思っています。
一家の主婦の過酷な労働をやわらげ、現代生活になくてはならない物となっています。
しかし、人間が行っていたどのような作業を肩代わりしてくれているのかを忘れて、それが当たり前だと思うようになったとき、本来人間の幸福を追及するために作られた物が、思わぬしっぺ返しをするのです。
私たちは多くの文明の利器に囲まれて生活しています。
基本的に使いやすく自動化された機器の存在に私は異論は唱えません。
ただ、それを使う人間はその機械が本来自分がやるべきどのような作業を肩代わりしてくれているのかを忘れてはいけないと思っています。


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