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 前回までの主な掲載記事

2017年9月11日
 東北大震災が起こってから今日で6年半がたちました。被災された方たちにお悔やみ申し上げます。ところで、『時々雑録』第12号に『伊東マンショの肖像画』という記事を掲載させていただきましたが、先日の新聞に「天正遣欧使節の一人ミゲル棄教説覆る?」という記事が掲載されていました。『伊東マンショの肖像画』の中で記述されている“千々石ミゲル”のことです。「…千々石ミゲルの墓とされる石碑(長崎県諫早市)の地下から、キリスト教で祈祷の時に使う聖具「ロザリオ」とみられるガラス玉が見つかった。ミゲルは帰国後、キリスト教を捨てたとされてきたが、覆る可能性があるという…」当時つまり江戸時代は、キリスト教弾圧が厳しく、弾圧に屈せず死んでいった信者、切支丹であることを隠して生きてきた人も多かったと言います。記事によると、ミゲルは「4人の中で唯一棄教したとされてきた」そうですが、一体どのような生活をして、どのような思いで一生を過ごしてきたのでしょうか。『一般言語学第二回講義』1909/1/11、第10回をお送りします。

2017年8月21日
 五山送りが終り待ちかねた秋。夕方にはひぐらしが鳴き、虫も耳をすませば遠慮しながらささやき始め、もう秋かと思ってこおどりして喜んだのですが、まだ暑さは続きそうでほとほと疲れる毎日です。『遠望』の感想が寄せられました。該当頁からご覧下さい。

2017年7月29日
 第12回「時々雑録」は 『伊東マンショの肖像画』です。一度は聞いた事のある名前。歴史の教科書に出ていて、名前はよく知っていても、それ以上は知らないという名前ですが、今回の「時々雑録」で少しわかり、またそれ以上に、いったい渡欧してどんな文化を見、どんな気持ちになったのか、また初めて出会った「日本人」がどのように見られたのか、書き手と一緒に考えてみたい気持ちになる記事です。

2017年7月14日
 京都に用事で出ました。コンチキチとお囃子が聞こえて来ました。明後日16日はもう宵山です。この暑さに夏がはやく終らないかと思っていますが、これからが本格的な夏日を迎えるのかと思うと、恐ろしくなります。『遠望』の感想が寄せられました。該当頁からご覧下さい。

2017年7月1日
 近くの田んぼの土が地割れしていて、稲が水を欲しがって、梅雨を待っているようでしたから、雨が降ってよかったなどと喜んでいましたが、いざ梅雨に入ったと聞くと、鬱陶しさで辟易しています。あじさいに雨がよく似合うのですが……。『一般言語学第二回講義』1909/1/11、第9回をお送りします

2017年6月2日
 木々の梢越しに見える空は深く、久しぶりの爽やかな五月晴れを味わいました。来週は、西日本は梅雨に入るとか……。このいっときを楽しみたいと思います。『遠望』を読まれた方からの感想が弊社に送られてきました。左の『遠望』欄から、ご覧下さい。

2017年5月29日
  『遠望』を読まれた詩人がブログに感想を書かれたを知り、その感想を掲載しました。無断で掲載しましたことをここでお詫び申し上げます。また、弊社のために「関西の人・まち」(左欄をご参照下さい)を寄稿して下さっていた方の「遠望」の感想も記載しました。

2017年5月17日
 第11回『時々雑録』は、いつもと少し趣きの違う『鎌倉河岸捕物控』という小説で、佐伯泰英の人気シリーズということです。30巻も続くことに読者でない私は驚いてしまうのですが、『時々雑録』の『鎌倉河岸捕物控』の最後に、「この作品を読むとき感じる懐かしさというのは、二度と戻らない江戸の町を惜しむ気持ちから来るのかもしれない」と言っていますから、過ぎ去った(あるいは出会ったこともない)江戸に郷愁を感じさせる内容なのかもしれません。『一般言語学第二回講義』1909/1/11、第8回をお送りします。 『遠望』の感想が寄せられました。今回は詩人として多くの詩を出され、賞も沢山受賞した方です。、

2017年4月24日
 先日、山の会の人たちについて、近くの山を歩いてきました。いつも西に落ちてゆく夕日を眺めながら、あの山はどこまで続いているのだろうと不思議に思っていました。先日の山は、西山古道から、水無瀬渓谷にいたる山道で、尾根には薄むらさきの花のみつばつつじが真盛り、渓谷には黄色のやまぶきとしゃがの群生。ときおり遠い町が京都が見渡せました。そして、大阪府島本の若山神社に着きました。京都府と大阪府にまたがる山は阪急電車やJRからも見渡せます。阪急「水無瀬」駅、JR「島本」駅は、後鳥羽上皇の離宮があったところで、後鳥羽上皇の歌に「見渡せば みなもとかすむ水無瀬川 夕べはあきとなむ思ひけむ」があります。後鳥羽上皇が山深くにも分け入ったなら、春もよしと言ったことでしょう。『遠望』の感想が寄せられました。今回は詩人として多くの詩を出され、賞も沢山受賞した方です。

2017年4月17日
  『遠望』の感想が寄せられました。詩の感想ばかりでなく、本の装丁や編集に対しての感想が寄せられて、しかも褒めていただけると、編集者としては、うれしくなります。出版するまではなかなか自信がもてないもので、外部からの感想はとても貴重です。

2017年4月4日
 駅近くの商店が数軒並んだ軒下をぼんやり歩いていましたら、目の前をさっと横切る黒い影。影を追って見上げると、つばめが数羽すばやく飛び交っています。毎年、同じ軒下に巣を作っているのですが、もうそんな季節なのかと驚きました。桜では春を知っても、つばめに季節を感じる自分に驚いてしまいました。店では、つばめのするままにして、糞の落ちる通路には段ボウルを敷き、つばめが帰る頃にあとかたづけをしています。巣はまだ出来かけですが、まもなく完成された巣からかわいい雛が口をひろげて、親の運んでくるえさを待つ姿が見られるでしょう。通行人は、親が留守にしている間、巣から首をのばした雛をしばし見上げて足早に通り過ぎます。邪魔しないように。『遠望』の感想が寄せられました。『境界の詩歌』の読者でもあるようで、大変貴重な感想を書いて下さいました。

2017年3月27日
 
彼岸が過ぎて、もう春と思ったのですが風の冷たさに厚手のコートも片付けられません。待ち望んでいる桜の蕾はまだまだしっかり閉ざしていて、開花は来週まで待つしかありません。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第7回をお送りします。「連合」と「連辞」の特徴について大変分かりやすく説明した講義です。

2017年3月21日
 
『遠望』の読者からぞくぞくと感想が寄せられました。その中には高名な詩人もおられます。1冊の書籍には、著者ばかりでなく様々な思いが詰まっているのだと感心しています。

2017年3月14日
 今回の「時々雑録」は、映画、『彼らが本気で編むときは、』の紹介です。とてもおもしろそうです。

2017年3月3日
  梅もほころび、春、と言いたいのですが、まだ寒い日が続いています。『遠望』のカバーに使わせていただきました銅版画の作者・新野耕司氏から著者に感想が寄せられました。書籍案内の『遠望』の頁に掲載しました。弊社では、カバーのデザインの多くは弊社自身が作成しますが、書籍によっては著者のご意見をお聞きし、それに基づいて作成する場合もあります。既刊書の『境界の詩歌』は、『遠望』の著者・内藤恵子氏のご希望でご自身が買われて部屋に飾られていた小清水漸氏の作品を使わせて頂きました。今回も著者からのご希望で、新野耕司氏の銅版画を使わせていただきました。本の作成ではカバーはとても苦労します。カバーはその本の顔です。ですから、読者からカバーがよかった、というお言葉をきくとうれしくなります。 次回発行する、『支え合い、学び合いで育つ「わたし」』では、若いデザイナーに作成していただきます。弊社の今までの雰囲気と違うデザインになるのではないかと思います。ご期待下さい。

2017年2月22日
 先日、「遠望」を読まれた方からの感想を掲載しましたが、今日3人の方からの感想が寄せられました。前回同様、左の欄からリンクをして該当頁をご覧下さい。

2017年2月8日
 2月4日発売の「遠望」を読まれた方から早速感想が寄せられました。左の欄からリンクをして該当頁をご覧下さい。

2017年1月30日
 新年になってはや1ヵ月が経とうとしています。ろうばいが咲き始めて春を感じさせます、と言いたいのですが、まだまだ寒く、春を今か今かと待っています。「時々雑録」第9回『台湾旅行』をお届けします。写真を加えましたが、少しぼんやりしています。お許し下さい。

2017年1月17日
 何十年ぶりかのここ長岡京市での大雪。真っ白に変貌した世界を見に、西山の中腹まで行きました。生憎、比叡山も大文字も見えませんでしたが、真向かいにある伏見桃山城がくっきり見え、三川が合流して大阪湾までゆったりと流れて行く淀川が美しく映えていました。ところで、今日は阪神淡路大震災から22年目。寝ぼけながらも、落ちた数個のコップを拾い、真っ暗やみの中で、前の棟のボッと付いて消えた明かりをぼんやり見ながら、何ごとも無かったように床に入り、あたりが明るくなった頃、起きてテレビをつけると、神戸では、黒い煙が三本高く上がっていて、これから何が始まるか予感した朝でした。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第6回をお送りします。

2017年1月1日
 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。2月には、左の欄でお知らせしましたように、内藤惠子氏の『遠望』を刊行します。今まで書きためておいたという詩とエッセイは、昭和の匂いを漂わせ、時代が変わり、考えも風景も違う現代では懐かしさを感じさせます。

2016年12月8日
 観光地化した寺や神社から観光客が去った後、紅葉が華やかさに落ち着きを添えながら、冬の訪れを待っています。足下の道は紅葉した葉に埋められていて、その中をかさかさ音を立てながら歩くのもいいものです。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第5回をお送りします。

2016年11月11日
 
酷暑の夏、すぐに寒気に襲われ秋はなくなってしまったのかと思いましたが、桜の葉が色付き、かえでも美しくなって来ました。黄色に色付いたいちょうの足下にはぎんなんが強烈な匂いをはなっています。それも秋。秋、秋、秋づくしです。「時々雑録」第8回『長岡京室内楽アンサンブル』をお届けします。

2016年11月3日
 
日差しの中に、すでに冬の訪れを感じさせる季節の変わり目。これからが紅葉を楽しませてくれるはずですが…。いつか春も秋もなくなってしまいそうな、四季ではなく、二季になってしまうかもしれないとそんな不安を抱えながら、秋を感じ取っています。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第4回をお送りします。

2016年10月10日
 
「時々雑録」第7回は「藤飯治平」という画家の作品の話です。画家自身もその作品も知らないのですが、現代社会にも通じる「バベルの塔」をモティーフにした作品に興味がわいてきました。

2016年10月3日
 
10月に入っても台風の影響か、暑さがじりじり体に食い込んできます。一度姿を見せた秋は、一体どこに隠れてしまったのでしょうか。来年になりますが、新刊を2点出ます。1点目は、詩とエッセイ集で、タイトルは『遠望』。著者は『境界の詩歌』の内藤惠子氏です。2点目は、左記の「刊行予定」(タイトルが変わりましたが、『支え合い、学び合いで育つ「わたし」――人生を広げる生涯発達モデル――』です。御期待下さい。

2016年9月21日
 今年は台風が矢継ぎ早やに襲い、日本全域が台風の通過点になってしまいました。テレビの画面上のテロップで、いつか通り過ぎた集落や川、山の名を見ては、気候のよい時の穏やかな美しい風景を思い出し一変したかもしれない姿を想像していました。何ごともないことをお祈りします。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第3回をお送りします。

2016年9月5日
 時々雑録」、第6回目、「高山右近と南蛮音楽」をお届けします。切支丹が隠れて信仰を守り続けたということは知っていましたが、そこに音楽があったということは思いもしなかったので、今回の「高山右近と南蛮音楽」の話はとても興味深いものでした

2016年9月1日
 朝晩、爽やかな風が家を吹き抜け、夕方には虫の声。もう秋か、とほっとしていたのですが、今日のこの暑さ…。夏が舞い戻ったかと思うと、恐ろしいほどです。台風10号による東北、北海道の方にお見舞い申し上げます。水のこわさは暑さどころではないと思っています。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第2回をお送りします。

2016年8月5日
 障害者施設を襲った事件は多くの人に衝撃を与えましたが、私には、明るくて素直で礼儀正しかった人物がなぜあのような考えに到ったか不思議でなりません。そこで私なりに考えているうちに、メルロ・ポンティ著『眼と精神』の中の「心理的硬さ」を思い出しました。その一部分を引用してみます。…「心理的硬さ」とは、「物とか人物を検討するばあい、相互に符合しないような特徴はなかなか認めたがらず、ものを述べるにも、つねに単純で断定的で結論的な見解に達しようとする人の態度…/「硬い」幼児は、自分の二重な態度に気づかず、往々にして、自分の望まないおのれの部分を外部に投影しがしち…/自分が望んでもおらず、むしろ恥ずかしく思っているおのれの部分を投影する…/自分の中に極端に激しい葛藤を持ちあわせている被験者こそが、まさに、外的事物をみるばあい、特殊で両義的・相克的・混合的な性格の状況があることを認めたがらぬ人…/彼が感情的に両極的であればあるほど、ますます彼は事物やその視像の中に両義性があることを認めまいとする…/感情的両極性こそ、知的両義性の拒否を要求する当のもの。上記の「心理的硬さ」をこの事件と結び付けていいかどうかわかりませんが、他者を受け入れる事は自分の中の両義性を見つめる事のような気がします。『一般言語学第二回講義』は、翌年1909/1/11、第1回となります。

2016年7月21日
 先日永六輔が、続いて大橋巨泉が亡くなり、「昭和」が終ったと言われていますが、「昭和」とはどんな時代だったのだろうと思っています。「昭和」を映し出す展示品のある場所に行き、懐かしさを覚えるとはいえ、「昭和」とはどんな時代だったのか、永六輔や大橋巨泉で終ってしまった「昭和」とは何かを考えています。 『一般言語学第二回講義』の12/21、第9回を掲載します。今回は、形態とは何か、文法とは何かを説明しています。その論はいずれ第三回講義に繋がります。

2016年7月8日
 
数日前から蝉が鳴き始め、いよいよ夏の到来を感じます。「時々雑録」、第5回目の「Lascia qu'io Pianga」をお届けします。

2016年7月2日
 『境界の詩歌』の著者・内藤恵子氏へ感想文がよせられましたので、掲載します。本へのお礼と著書の感想なのですが著者と同年代の方が書く文体が今の時代とかなり違っていることに新鮮な驚きを感じます。また、その時代にどのような書物が読まれていたかがわかり、面白いことです。

2016年6月16日
 『一般言語学第二回講義』の12/21、第8回を掲載します。ソシュールは、「話す主体」ということばを何度も確認するように語っていますが、そのもっともわかりやすく言い換えている箇所は、今回引用しました『存在するものとは、感じられているもののことです』という箇所です。ソシュールが、“発話/言語体系を、「瞬間凍結」されたもの”とみなし、“発話/言語体系を物象化=物神化してしまった”と批判する人もいます。しかし、それがまったく間違った見解であることが、今回の引用部分でもわかると思います。

2016年6月6日
 小雨降る夕暮れ時、一軒の家の玄関先に薄紫色の百日草が植えられた鉢が置かれていました。暗がりの中にほのかに浮かびあがる百日草。確かに薄紫のあじさいも雨の夕暮れ時に似合います。どうしてもその色の百日草がほしくなり、あちこちの花屋さんに聞いてみましたが、そのような色の百日草はないと言います。ところが、一軒の花屋に同じ色の百日草が売られたのです。店の人に聞くと、色は作り手の好みで作られるだが、薄紫色の百日草は珍しいとのこと。早速数鉢買って、プランターに並べましたが、暗闇が迫る夕暮れにほんのり浮かび上がる薄紫は、百日草という名前とは裏腹に、なんともはかなげです。『時々雑録』第4回は、「マリオネットによるオペラ『リナルド』です。マリオネットが子どものものばかりと思っていたのですが、このようなものもあるのかと思いました。

2016年5月19日
 桜の、心がざわめく季節が終り新緑が落ち着きを取り戻し、爽やかな風が快さを運んでき、木々がゆらゆらと揺れています。そんな季節もつかのま、梅雨はすぐそこにしのびよってきています。『一般言語学第二回講義』の12/21、第7回を掲載します。

2016年5月6日
 『時々雑録』第3回は、国立民族学博物館で開催されている特別展『夷酋列像」(いしゅうれつぞう)』です。「蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界」という副題がついています。大変面白そうですが、残念ながら、5月10日でこの特別展は終りだそうです。

2016年4月9日
 桜はどこでどのように咲いていても美しい。先日、背割堤に桜を見に行きました。八幡市と大山崎の間を流れる淀川は、桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となっって大阪湾に流れます。その合流地点を三川合流といい、天王山や向いの石清水八幡宮のある男山からその姿がよくわかります。その内の二本の川の間に、象の鼻のように長く延びた堤を背割堤といい、桜のトンネルが1キロほど続いています。堤の少し下がったところの遊歩道から長く続く満開の桜を見あげるのもすばらしい。遥かに見える天王山に、うっすら淡い桃色にところどころ染めているのは、景色を彩る傍役の桜。そして、桜が散りはじめると、山はまぶしい緑に染まります。『一般言語学第二回講義』の12/21、第6回を掲載します。

2016年3月22日
 
そろそろ桜が開花の季節。丹波では、枯れ木にほんの一つ二つとの白い花をつけていました。遠くから見ると、小さな紙切れが引っ掛かっているのではないかと思うほど、目立たなくひっそりと。今回の『時々雑録』は、現在松本市美術館で開催されている『草間彌生 魂のおきどころ』についてです。

2016年3月4日
 3月に入り、日ざしに暖かさを感じるようになりました。梅が咲き、もくれんの蕾はいまや弾けそうに、時を待っています。『一般言語学第二回講義』の12/21、第5回を掲載します。

2016年2月22日
 ソシュールは1913年2月22日に亡くなりました。22日はソシュールの命日に当たります。師の没後の1916年には弟子であるセシュエ、バイイが編纂したソシュール著『Coursdelinguistique generale』がパイヨ社から刊行されました。ちょうど100年前のことです。ソシュール自身が書き残した纏まったものはほとんどなく、『Cours de linguistique generale』は、ソシュール死後、セシュエとバイイが、講義に臨んだ生徒たちから聞いたり、講義記録ノートを参考にして纏めたものですが、ソシュールの言語理論として世界に広まり、日本では1928年に小林英夫訳の『言語学原論』(のちに『一般言語学講義』)として刊行されました。しかし、そのまとめ方に疑問を持ったのが小松英輔氏です。小松氏は、直接生徒たちの講義ノートを掘り起こし、パーガモン社から『PREMIER COURS DE LINGUISTIQUE GENERALE』『DEUXIEME COURS DE LINGUISTIQUE GENERALE』『TROISIEME COURS DE LINGUISTIQUE GENERALE』として、英語の対訳をつけて刊行したのです。 その経緯と内容の詳細は、小松英輔著『もう一人のソシュール』に書かれています。また、弊社は上記の三講義を日本語に訳しました。出版案内からご参照下さい。

2016年2月17日
 新しいゲスト・飯沼万里子さんに『時々雑録』という題で寄稿していただくことになりました。専門は英文学。特に17世紀の英文学に精通しています。ソシュール『一般言語学第一回講義』では、多くの助言をいただきました。文学ばかりでなく、絵画・劇・音楽など多彩な趣味をもたれ、特に文楽には造詣が深く、大阪にある国立文楽劇場に毎年数回足を運ぶほどの文楽ファンです。興味深い話をたくさん聞かせていただけそうです。左の『時々雑録』の欄をご参照下さい。

2016年2月3日
 『一般言語学第二回講義』の12/21、第3回を1月15日に掲載しましたが、お知らせが遅れました。申し訳ありません。今回、第4回をお送りします。ソシュールの迷いながら講義を進めていく姿に共感を覚えます。

2016年1月15日
 この17日で、阪神淡路大震災から21年になります。午前5時46分で止まったままの我が家のステレオ内の時計は引っ越しの時に消えてしまいましたが、17日が近づくと、大きな揺れに跳び起き、茶ダンスから転げ落ちてこなごなになった数個のコップをまたぎ、玄関の重いドアを開けたのを思い出しました。非常時、避難口は玄関しかありませんので、日頃から脳裏に浮かべていた咄嗟の行動でした。踊り場には誰も出てきていません。それから、何が起こったかを見るため、ベランダへ回ったのですが、暗闇の中の向いの棟に明かりが1つ2つぼんやりともっているばかりでした。その明かりは、なんとなく不安げでしたが、あまりにも静かでした。何もなかったと安堵して床についてしばらくすると、東京から心配げな電話がかかり、テレビをつけると神戸の町にもくもくと上がる黒い炎が映し出されていて、ようやくことの重大さを知りました。まもなく、電話が通じなくなり電車も止まったまま、外からの情報はテレビのみ。ひたすらテレビを見ていました。人のためにたいしたことも出来ずにいた自分をいつも反省していますが、そのような非常時に咄嗟に何ができるか…。非常時を日頃考えておけばいいのか、考えています。

2016年1月1日
 明けましておめでとうございます。昨年は、戦後70年ということで「戦争」に関するニュースが多く報道され、話題になりました。多くの人がこの70年間日本が平和であったことを感謝したと思います。しかし、一見穏やかに見えた「平和」という海も、その底には激しく渦巻いているところもあり、それが大きなうねりとなって海の表面に現れ出る気配を感じさせることもありました。海の底深くまで穏やかであることを祈りたいと思います。

2015年12月30日
 とうとう年の瀬という慌ただしい気分になってきました。街に出て、店の棚に並んだおせち用の品を見ると、驚くほど高くなっています。簡素をモットーに生きてきたのですが、モットーではなく、そうせざるを得ないのを痛感しました。弊社は、来年、新刊書として、「生涯発達」関連の、幼児に焦点をあてた1册を出す予定です。まだ、タイトルは仮題にすぎませんが、幼児と接する大人達がどう向かえばいいのかを問う内容となっています。来春刊行の予定ですが、ご期待下さい。『一般言語学第二回講義』の12/21、第2回を掲載します。

2015年11月26日
 先日、友人から滋賀県膳所の義仲寺再建にまつわる「義仲寺昭和再建史話」をいただきました。あちこちの寺を尋ねていると、かろうじて存在しているという寺を目にします。一体どのように維持されているのか気になっていました。義仲寺には、源義仲の墓所だけでなく、芭蕉の墓所もあるそうです。寺が甦るにはそれなりの理由があるようですが、国の重要文化財などに指定された仏像などがあったり、桜・紅葉の名所となれば、世間の注目も集まり、人が多く訪れ、それなりに潤っています。以前訪れた事のある高月の大円寺では、戦国時代、村の人々が兵火から千手観音様を守るために近くの川に沈めて隠したとか。戦さも終り、観音様を元に戻したが、泥だらけであまりにお気の毒と思った村人たちが、きれいに洗ったために、国の重要文化財には指定されなかったと聞きました。木の素材が現れた、比類のない美しい観音様に思えるのですが……。『一般言語学第二回講義』の12/21、第1回を掲載します。

2015年11月7日
  内藤恵子著『境界の詩歌』の感想がドイツから送られてきました。翻訳を心掛ける人は、その難しさを実感し、苦労に共感するようです。左の「出版案内」をクリックし『境界の詩歌3』頁をご参照下さい。

 2015年11月6日
 「図書館」で思い出すのは、ソシュールを訳す時に頻繁に利用したことです。近くの小さな図書館には、不思議と分厚いギリシャ語辞典、古典ギリシャ語辞典、ラテン語辞典などがあり、ずいぶん参考になりました。世田谷の小さな図書館は、献本だと思いますが、古い辞書や年代物の言語学関係の本が揃っていて、ここも随分利用しました。もちろん、それでは十分でなく、公共図書館から紹介された、ソシュール資料の揃った大学図書館にも通いました。公共図書館に、私が必要とするすべての資料が揃っていたら、もう少し時間を割くことも出来たと思います。しかし、手元に置いておきたい本、夜中でも本棚から取り出せる本は買うことにしています。本に囲まれていると不思議と落ち着きます。『一般言語学第二回講義』の12/17、第6回を掲載します。

2015年10月21日
 先週、東京で行なわれた「全国図書館大会」の中の「出版と図書館」という分科会に出席しました。出版社から見た図書館、図書館側からの現状の話。出版社として、また図書館利用者として、これからの図書館のあり方を考えるにはとてもよい機会でした。公共図書館から民間企業への委託が試みられる昨今、多くの公共図書館が変っていかなければという姿勢が見られるのですが、思い切った変化を成し遂げた図書館では、蔵書に偏りがあり決して利用者が満足いくものではないという所もあるようです。図書館が今までのようにただ並べておくだけではなく、多くの利用者が活用できる図書館でありたいとの姿も見えました。そのような図書館の条件として、司書の能力も問われるということでしたが、予算が不足している地方の公共図書館では、専門ではないアルバイトに頼らざるをえない現実もあるようです。一体理想的な図書館とはどんな図書館だろうと考えています。『一般言語学第二回講義』の12/17、第5回を掲載します。

2015年10月1日
 秋、あちこちで運動会の黄色い声援と軽快な音楽が流れて来ます。ついつい我もと走ってしまうような弾んだリズム。夜になると、虫がすぐそばで鳴いています。田んぼは稲刈りが真っ盛りです。『一般言語学第二回講義』の12/17、第4回を掲載します。

2015年9月10日
 今回の大雨・洪水による被害では、関東、東北の方々にお見舞い申し上げます。『一般言語学第二回講義』の12/17、第3回を掲載します。

2015年9月2日
 昨日は防災の日でした。子どもの頃、小学校の秋の始業式には、必ず防火訓練をしました。前にのばした左腕に右手をかけ、前後に列を組んで、校庭に出たのを思い出します。しかし、私の防災日は1月7日です。その日はパックの中を点検します。近くの小学校では、小学生だけでなく自治会の人たちも手伝って井戸掘りをしました。長岡京には山からのきれいな水が地下を流れているそうです。サントリービールが大山崎の水を発見したのも美味しい水が出るからです。『一般言語学第二回講義』の12/17、第2回を掲載します。

2015年8月26日
 秋の知らせを告げる「ひぐらし」が鳴くようになりました。あまりの暑さにクーラーなしではいられなくなってしまいましたが、やっとクーラーから解放されると、ほっとしています。 『一般言語学第二回講義』の12/17、第1回を掲載します。今回は、通時的なものと共時的なものとを分けることの意味が説明されています。二つを分けたことのソシュールへの批判もありますが、この頁を読めば理解できるのではないでしょうか。

2015年7月29日
 『一般言語学第二回講義』の12/14、第4回を掲載します。前回と同じく、事例によって説明する箇所が多くありますが、省略してしまいました。理解しにくいところも多いかと思いまが、本文をご参考下さい。

2015年7月10日
 
『一般言語学第二回講義』の12/14、第3回を掲載します。事例など省略してわかりにくいところも多いかと思います。本文をご参考にして下さい。

2015年6月18日
 
『一般言語学第二回講義』の12/14、第2回を掲載します。事例は省略しました。

2015年6月10日
 
『琉球諸語の保持を目指して』(ココ出版)、二章『「言語」と「方言」――本質主義と調査倫理をめぐる方法論的整理』に、ソシュールの言語論が参考にされています。詳細は、『一般言語学第三回講義 増補改訂版』の頁に一部ですが掲載しました。左欄の「出版案内」からご覧下さい。

2015年6月8日
 関西は梅雨に入りましたが、天気のよい日があったり、気温の低い日があったりして爽やかな日があり、ジメジメした不快感がないのが救われます。『一般言語学第二回講義』の12/14、第1回を掲載します。“共時的なもの”“通時的なもの”の説明に入ります。

2015年5月20日
 五月晴れということばが良く似合う季節です。梅雨、猛暑の夏の前のひとときを味わっています。 『一般言語学第二回講義』の12/10、第4回を掲載します。「価値」の問題が出てきました。「価値」を一言で説明することは難しい事ですが、講義の中で読みすすめていくと少しずつ理解できてくると思います。

2015年5月7日
 昨日、一人の読者の方から電話がありました。『一般言語学第一回講義』の在庫はなくなったのかという問い合わせでした。ご自分はすでに求められているということですが、あるネットショップでは在庫切れとなっていて、絶版を心配されたようです。よい本なので頑張って、という励ましのお言葉でした。その方は英語学、言語学が専門で、弊社の3回にわたる『一般言語学講義』が一番わかりやすいと誉めて下さいました。不躾と思いお名前をお聞きしませんでしたが、ここでお礼を申し上げます。 弊社の本は、大型書店の棚に並べられています。またネットでも注文できます。しかし一部のネットショップで仕入れが滞っているようです。その場合は弊社に、お電話、Fax,メールでご注文いただければすぐお送りします。お振込方法など詳細は、お手数ですが左欄の『本のご注文』の頁をご参照下さい。 『一般言語学第二回講義』の12/10、第3回を掲載します。

2015年4月28日
 『一般言語学第二回講義』の12/10、第2回を掲載します。ソシュールの言う通時性と共時性という二つの視点がここで説明されるのですが、その二つを分けてしまう事にとても苦悩しているのがわかります。

2015年4月17日
 『一般言語学第二回講義』の抜粋は、日付けが変わり、12/10になります。その第1回分を掲載します。パトワのノートはほぼ同じ内容なので省略します。

2015年3月27日
 
『一般言語学第二回講義』の抜粋、12/7の第7回分を掲載します。前回と同じく「同一性」を語っている箇所ですが、今回はリードランジェと同じく講義に出席したパトワのノートの「同一性」を記載した箇所も掲載しました。

2015年3月20日
 先日東京から来た友人と鴨川のほとりでお弁当を広げたとたん、バサッという音とともにさっと姿を消した黒い影。頭上を見上ると、何羽ものとんびが大きくうねりながら旋回しています。そう言えば、御所のベンチでおにぎりを口に入れかけたとたん、とんびに持って行かれたという話を思い出し、友とあわててお弁当を挟み込むように隠しながら食べました。京都では、外で食べる時はとんびが狙っています。用心して下さい。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第6回分を掲載します。「同一性」の問題は難しいところです。

2015年3月7日
 
京都府が東日本大震災後、福島からの避難民を受け入れた事で、その人々を支援するNPO法人「和」や、「ほっこり通信」をご紹介しました。支援はイベントという形で何度も行なわれていますが、今回「キッチン和」で行なわれた交流は、「和」や「ほっこり通信」の活動だけでなく、スタッフ各々が行なっている活動の報告でした。話を聞いて特に印象に残ったのは、彼らが、自分の生活を守りながら、自分のできる範囲の支援をする、ということでした。役にたちたい、けれど何もできないと悩みながら参加し、小さな事かもしれないがこれなら自分も出来そうだと安心したお母さんもいました。報告は、リンク頁から知ることができます。

2015年2月12日
 立春を過ぎて階下の満開のろうばいの匂いが風に快く舞っていますが、相変わらず厳しい寒さが続いています。インフルエンザも猛威を振っています。道端に芽を出し始めたつくしを見ながら、ひたすら春を待っています。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第5回分を掲載します。  

2015年1月19日
 今回のフランスのテロ事件に関して、「言論の自由」ということがどういうことかを考えさせられました。確かに言論の自由は守らなければいけないと思いますし、反対を唱えるための手段としてのテロ行為は絶対許されません。しかし、「風刺画」には違和感を持ちました。風刺画とは、思わずクスクスと笑ってしまうユーモアがなければいけないのではないでしょうか。それが欠けているだけでなく、その人達の信じている神を侮辱し、彼らを侮蔑しているのです。フランスは多くの異文化をもつ人達を受け入れて来たはずですが、あのような事件で、異文化、他者を排斥していくのではないかと案じています。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第4回分を掲載します。

2014年1月1日
  明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。今年は、高木和子著:『「生涯発達心理学」が必要とする新しい「発達 の概念一大人の発達を記述する視点の提案一』(仮題)を発行予定です。

2014年12月22日
 先日「徹子の部屋」に招待されたある女優が二人の娘(上は3才ぐらい、下は1才半)の話をしていた。下の子は『プカプカプー』としか言えない。母親は何を言っているのかわからないが、上の娘にはわかるらしく、「今怒っているんだよ」と通訳してくれるという。下の子が自分の意志を伝える音の出る「言葉」がたった一つ、『プカプカプー』なのだが、それがいろいろな意味(数えるほどだと思う)になるというのはどういうことか。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第3回分を掲載します。

2014年12月2日
 今年は、紅葉がことのほか美しく、また暖かく、秋がいつまでも続くのではないかと思っていましたが、 師走に入ったとたん、冬の景色になりました。色鮮やかだった桜、銀杏、かえでの葉は、冬支度に忙しい木の枝に見捨てられたようにソシュールは「それぞれの社会は、同じ言語(ラング)を持っていません」と言っています。自分の話す〈言語〉が「共通語」(「標準語」)であり、日本全国どこでも使えて(と思い)、無意識に使用していることが多かったのですが、それが異〈言語〉だと思わされる時がしばしばあります。まずは関西に来た時です。「標準語」が普及しているためか、周囲の人達は私が話す〈言語〉に合わせてくれているので、不自由なく、無意識にまた、無自覚に会話を交わしていましたが、時折、不快な顔をする人がいるのに気づきました。『言語』を考えるようになって、私の話す〈言語〉は「標準語」であり、周りが私に合わせてくれているが、威圧的で高飛車な〈言語〉だと受け取ってるのではないかと感じるようになりました。それを思わせる時がありました。福井から京都へ帰る電車で隣にいた人と話した時です。その人とは旅の話をしていたのですが、突然「関東の人でしょう」と少しとがめるような口調で言って、「自分は芦屋に住んでいる」と言いました。その人は決して「関西ことば」で話していたようには思われませんでしたが、突然そのように切り込まれると、私の〈言語〉がこの関西とは違って、きっと威圧的に思ったに違いない、と逆に私自身が緊張してしまいました。もっとも私の話す〈言語〉は決して「標準語」でないことは、時々周囲に指摘される音便の使い方、イントネーションでわかります。しかし、ここ関西では〈中央言語〉である「標準語」なのです。といって、東京へ行って、電車の中で、若者特に高校性の言葉を耳にすると、ぽんぽん叩かれるような威勢のいい、こちらが畏縮するようなリズムで、異〈言語〉に囲まれている事を意識せざるを得ません。ところで北陸線の電車の隣席の人が言った「関東の人」と一括りにするのも間違いだと思います。北関東の群馬と栃木(母は栃木生まれで、私の〈言語〉には栃木の〈言語〉が混ざっています)、茨城、また埼玉も横浜も〈言語〉が違います。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第1回分を掲載します。

2014年11月14日
 ソシュールは「それぞれの社会は、同じ言語(ラング)を持っていません」と言っています。自分の話す〈言語〉が「共通語」(「標準語」)であり、日本全国どこでも使えて(と思い)、無意識に使用していることが多かったのですが、それが異〈言語〉だと思わされる時がしばしばあります。まずは関西に来た時です。「標準語」が普及しているためか、周囲の人達は私が話す〈言語〉に合わせてくれているので、不自由なく、無意識にまた、無自覚に会話を交わしていましたが、時折、不快な顔をする人がいるのに気づきました。『言語』を考えるようになって、私の話す〈言語〉は「標準語」であり、周りが私に合わせてくれているが、威圧的で高飛車な〈言語〉だと受け取ってるのではないかと感じるようになりました。それを思わせる時がありました。福井から京都へ帰る電車で隣にいた人と話した時です。その人とは旅の話をしていたのですが、突然「関東の人でしょう」と少しとがめるような口調で言って、「自分は芦屋に住んでいる」と言いました。その人は決して「関西ことば」で話していたようには思われませんでしたが、突然そのように切り込まれると、私の〈言語〉がこの関西とは違って、きっと威圧的に思ったに違いない、と逆に私自身が緊張してしまいました。もっとも私の話す〈言語〉は決して「標準語」でないことは、時々周囲に指摘される音便の使い方、イントネーションでわかります。しかし、ここ関西では〈中央言語〉である「標準語」なのです。といって、東京へ行って、電車の中で、若者特に高校性の言葉を耳にすると、ぽんぽん叩かれるような威勢のいい、こちらが畏縮するようなリズムで、異〈言語〉に囲まれている事を意識せざるを得ません。ところで北陸線の電車の隣席の人が言った「関東の人」と一括りにするのも間違いだと思います。北関東の群馬と栃木(母は栃木生まれで、私の〈言語〉には栃木の〈言語〉が混ざっています)、茨城、また埼玉も横浜も〈言語〉が違います。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第1回分を掲載します。

2014年10月25日
 やっと秋になってほっとしています。といっても、「秋」ってなに?と、今さらながら簡単に使っていることに戸惑いを感じています。あの恐ろしいほどの暑さが消え、涼しく、凌ぎやすくなったから、空が澄んでいるから、虫が鳴き始めたから(といっても、とうに虫は鳴くのをやめ、空も雲で覆われています)、木々が色付き始めたから、ということでしょうか。しかし、確実に「秋」を感じています。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第7回分を掲載します。

2014年10月6日
 
台風18号が猛威をふるっていますが、被害が大きくならないことを祈ります。先日に引き続き、内藤惠子著『境界の詩歌』への批評を『境界の詩歌 3頁』に掲載します。ご覧下さい。

2014年10月4日
 『ほっこり通信 from Kyoto』については2012年にすでにご説明し、リンク頁からもその詳細を見ることが出来ますが、その福島の避難家族のお母さんが働ける場として京都七条通りに、レストラン&カフェ『キッチンnagomi』をこの9月にリニューアルしたということで、早速出掛けていきました。折しも、支援者の中心になっている人がいらしていて、避難先の京都での苦労や震災で突然変わってしまった人生をおくっている家族のことを話してくれました。店は京都の民家をリフォームしたということですが、太い梁が見える天井の高い二階は広い和室になっていて、小さな子連れのお母さん達が気兼ねなく食事をたのしめるようなスペースになっています。避難者は「ここ京都に永住すると決意した人」「帰りたいと思っている人」「まだどうしていいかわからない人」といて、それでもともかく子どものためになんとかしたいと思っている人ばかりで、たとえ生活できるほどの収入でなくても働き口があることで支えられ、前向きになっていく人に、ほっとするとその支援者の方は言っていました。『キッチンnagomi』のHPは、リンク頁を参考にして下さい。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第6回分を掲載します。

2014年9月15日
 内藤惠子著『境界の詩歌』への批評が送られてきました。「出版案内」の『境界の詩歌 3頁』からご覧下さい

2014年9月13日
 友人に誘われて、「ミクロポディウム」を見に行きました。ミクロポディウムとはハンガリー語で「小さな舞台」という意味だそうです。ハンガー人の人形遣いがたった一人で、手のひらにのるような小さな人形を音楽に合わせて暗い舞台で操るのですが、人形は息を吹き込まれたかのように、舞台の上で、手や脚を自在に、しなやかに、曲げたりのばしたりして、躍ります。表情のなかった顔は、たちまち喜び、悲しみを表し始めます。後ろで操作する人形遣いは黒い服に身を包み、暗闇の中に埋没し、まるで文楽の黒子のようです。しかし、彼は黒子とは違って、操っている手だけは隠さず、わざわざ見せているそうです。それは、人形を通して、操っている自分と観客を結びつけたいという思いからだとか。しかし、私は、音楽に陶酔してたった一人で躍っている人形の、妖艶で孤独な姿に魅入っていました。

2014年9月3日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第5回分を掲載します。

2014年8月20日
 関西は再度大雨災害にみまわれました。京都市内でも大変だったようです。テレビを見る時にはどこでどのような警報が出ているかを気にするようになりました。日頃よく通る小さな川沿い、山の斜面に建っている住宅を思い浮かべ、大丈夫だったかと案じる毎日です。長岡京市では二つの川が淀川に流れ出ていますが、昔はよく氾濫したようです。大雨というと、西の山から溢れ出た水がどんな風な道を辿って流れて行くか想像でき、あの住宅地は大丈夫だろうか、あの土手は、あのガード下は、あの裏山にはほんの小さな流れがあった、池もあったと心配したり、あの地区は大丈夫だろうと市の職員でもないのに、あれこれ考えたりしています。いつものように、『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第4回分を掲載します

2014年7月29日
 
この10日ほど、回線の不具合でインターネット、メールが出来ませんでした。御迷惑をおかけし申しわけありませんでした。インターネットをいつも利用していたものですから、本当に不便でした。手持ち無沙汰の毎日でしたが、慣れると他のことに時間をうまく使うようになりました。とはいえ、今日、回線工事が無事終了し、メールが届き、インターネットが出来るようになって、こんなにうれしいことはありません。遅くなりましたが、『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第3回分を掲載します。

2014年6月19日
 
近くの川にホタルが戻って来ました。かつては、田んぼにも小さな水辺にもホタルが飛びかっていました。夜更けに見に行き、ついでに一匹、手のひらに包んで、蚊屋の中に放し、そのぼんやりとした光をしばらく楽しみましたが、そのはかなさにあわれを感じ、しばらくしてもとの田んぼに返しにいきました。田んぼは宅地になり川は汚染され、ホタルを見ることもなくなったのですが、川をきれいにする努力が実を結び、2、3年前からこの時期にホタル鑑賞の夕べが催されるようになりました。しかし、小さくなった田んぼにはもう姿を現わすことはありません。同じく、地を揺るがすような鳴き声の牛蛙もまったく聞こえません。どこに行ってしまったのか。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第2回分を掲載します。

2014年6月2日
 6月始めというのにとうとう京都では30度を越えてしまいました。道路の照り返しの中、ひっそり静まり返った住宅地を歩いていると、窓が少し開いていて、簾の中でひっそり暑さに耐えている人の気配を感じます。いよいよ夏の始まりです。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第1回分を掲載します。

2014年5月14日
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、11/30の第5回分を掲載します。

2014年4月26日
 JR長岡京駅前の建物で「本当のフクシマ 写真展」が催されました。福島原発事故から3年が経過。しかし74人の小児甲状腺がんの発症が伝えられているそうです。健康被害はこれからも拡大されるのではないかと危惧し、フクシマの現実と原発事故の避難者の声を伝え、政府にこのような健康被害の現実を認めさせ、希望するすべての人に放射能健康診断の実施等の必要な政策をとらせるという目的で「放射能健康診断100万人署名運動京都実行委員会」が写真展をこの小さな町でも行なったということです。子供たち、孫たちの未来を考え、また、関西の北部にある原発が万一事故になった時のことを考えると、原発再稼働に危機感を持っていましたので、この写真展で危機感はさらに大きくなりました。微力だとは知りながら、見に行き、説明に耳を傾ける事で同じ気持ちであるという姿勢を示せたのではないかと思います。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、11/30の第4回分を掲載します。

2014年4月4日
 桜が満開になり、風が心地よく感じられる季節にようやくなりました。桜の木の、特に老木の威厳のある姿には圧倒されます。あちこちの枝が朽ち果て、ぼろぼろに傷付いた老体が残る枝を必死に支えてあでやかな可憐な花々を空一面に咲かせている姿は、華やかであると同時にあわれを感じさせます。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、11/30の第3回分を掲載します。

2014年3月11日
 3年前の今日、午後2時46分、パソコンに向っていた時、奇妙な揺れを感じ、天井の蛍光灯から下がっている紐を見上げると、紐が無気味に右に左に揺れています。ただ事ではないと思い、別部屋に向い、あわててテレビを付けますと、叫ぶようなテレビ局の人の声と同時に東北三陸沖を震源とする大地震の映像が流れていました。まもなく白いしぶきをあげて沖合いから押し寄せる津波。みるみるうちに船を海岸の樹木を家を車を飲み込んで、押し流していく光景が映し出されました。東北に大地震、津波が襲い原発事故が起って3年が経ちました。阪神淡路大地震から19年、関西では大地震がないという過った知識での安心感は1995年1月17日の朝方に襲った大地震で覆され、それ以来少しの揺れにも敏感になっていましたので、蛍光灯の紐の揺れを地震の合図にしていたのです。しかし、まさか東北の地震の揺れがこの関西で感じるとは思ってもいませんでした。淡路、神戸は完全とはいえないまでも復興しましたが、それは東日本大震災に比べると災害地の範囲が小さく津波もなく原発事故もなかったからだと思います。いまだ復興がままならない東北に一日でも早く復興が叶えられますよう願っています。

2014年2月10日
 大雪に見舞われた東京。ニュースで雪道で足をとられて怪我をしそうな人を見ると、思わずわが事のように声をあげてしまいます。女性は長靴では仕事は出来ない、また通勤には電車などの利用で長靴は鬱陶しいということでどうしてもヒールをはいて出勤してししまいますが、私も駅までのほんの少しの雪道を普段の数倍の時間をかけて歩き、結局靴を一足だめにしてしまうことが多々ありました。しかし、転んで捻挫とか腰を打ったという話をよく聞きました。お気を付け下さい。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋は、11/30の第1回分を掲載します。

2014年1月21日
 毎日寒い日が続いています。天気予報を見ると、日本海側はいつも雪だるまマークですが、京都南西部、特に長岡京市は比較的温暖で、雪が降る事はめったにありません。しかし、一昨日、朝窓を開けたら、道路も木も車の上も真っ白でした。昼近くにはもう溶けてしまっていましたが。 大雪に見舞われた地域の苦労が大変なものだと思います。屋根の雪下ろしを見ていますと、積もらない屋根あるいは瓦はないものかと考えてしまいます。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋は、11/26の第3回分を掲載します。

2014年1月1日
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

2013年12月28日
 今年もあと数日となりました。今年中と思っていた新刊が間に合いませんでしたが、来年は刊行できるように頑張りたいと思います。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋は、11/26の第2回分を掲載します。

2013年12月6日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、11/26の第1回分を掲載します。なお、講義記録にはリードランジェのノートばかりでなく、ゴーチエ、ブシャルディのノートからの引用も含まれていますので、抜粋の箇所もリードランジェだけでなく、他2人の生徒のノートも含まれています。

2013年11月6日
 立命館大学名誉教授であった西川長夫氏が先月28日にお亡くなりになりました。拙著『ソシュールのパラドックス』の第2部の『「日本語」を再審する』では共感して下さり、氏の『戦争の世紀を越えて』(256頁)に「日本語教育について私が最も大きな示唆を受けた文章」と誉めて下さいました。また『一般言語学第三回講義』の訳の下書きを読んで戴いた時は、名もない私どもの訳と刊行への挑戦を喜ばれ、「―解題として―甦るソシュール』を書く事を快く引き受けて下さいました。残念ながら『一般言語学第三回講義』の初版・再版は絶版となり、増補改訂版では頁数の関係で掲載できませんでしたが、西川氏の最後のご著作『植民地主義の時代を生きて』(平凡社)の著作目録(591頁)に、[2003年]として掲上されています。氏のお言葉にどれほど勇気づけられたかわかりません。ご冥福をお祈りします。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、11/23の第4回分を掲載します。

2013年10月17日
 空は冴え渡り、ようやく「秋」という季節になりました。せっかく猛暑の夏から秋を迎えた今になって台風が各地をかき回しています。被害を蒙られた地域の人々にはお見舞い申し上げます。少し遅くなりましたが、『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、11/23の第3回分を掲載します。

2013年9月24日
 台風18号は「いままでに経験しなかったような」被害を京都にもたらしました。「嵐山、渡月橋」がテレビで大きく映されましたが、その下流の、嵐山から続く桂川、宇治から流れる宇治川、木津から来る木津川、三川が合流する大山崎もあと一mほど水かさが増せば、氾濫して、福知山のように大きな被害をもたらしたにちがいありません。平安京の前に都が置かれていた長岡京は、川の氾濫が原因で平安京に遷都したと言われているようですが、川は人を呼び寄せ、集落を作る所でもありますが、一つの都市を消滅させ、人の移動を余儀なくさせてしまうということを思い起こさせてくれました。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、11/23の第2回分を掲載します。

2013年9月3日
 
9月1日、関東大震災の時の映像や体験をした人の話がニュースで取り上げられていました。その映像を見て、※『江東ふるさと文庫』3巻「古老が語る江東区の災害」の震災編の編集の手伝いをしたことを思い出しました。関東大震災を体験した人達の話をまとめたものです。    ※発行:昭和62年東京都江東区。 その時の人達の生々しい話で受けた印象を先日9月1日のテレビ映像で思い出しました。古老の話の中で今でも強烈に覚えているのは、「空飛ぶトタン板」。トタン板が竜巻のように舞い上がり、空気をきって急降下する。それが人を襲う。福知山の花火の時の露天の爆発事故も規模は違っても同じように悲惨なことです。どのような災害も本当に恐ろしいものです。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、11/23の第1回分を掲載します。

2013年8月12日
 残暑お見舞い申し上げます。暑さが厳しい毎日ですが、立秋の前日、ひぐらしが哀し気に一度だけ鳴きました。秋の知らせは早すぎたと思ったのか、その後鳴く声を耳にしませんが、昨夜はどこからともなくジージーと虫の声がささやかに鳴いていました。猛暑の中でも、秋はもうそこに来ているのでしょうか。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第13回(11/16分の頁では第3回)を掲載します。

2013年8月1日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第12回(11/16分の頁では第2回)を掲載します。

2013年7月10日
 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第11回(1908年11月16日から〕を掲載します。

2013年6月24日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第10回を掲載します。

2013年6月7日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第9回を掲載します。

2013年5月22日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第8回を掲載します。今回から日付けが変わり、〔1908年11月12日〕の授業ですが、第8回は、第7回に続けて同じ頁に掲載しました。

2013年5月5日
 
世界的なソシュール文献学者である小松英輔氏が長い闘病生活の後、昨日、逝去されました。御冥福をお祈り致します。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第7回を掲載します。

2013年4月17日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第6回を掲載します。

2013年3月25日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第5回を掲載します。

2013年3月14日
 『境界の詩歌』に読後感が寄せられました。今回は、特に第2部の「教育学的論考」や「女性学」についての内容に強い印象を受けたという感想でした。出版案内の「境界の詩歌 3」に掲載しました。

2013年3月7日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第4回を掲載します。

2013年2月26日
 
今日は2・26事件から77年目に当たります。事件の日、目の前で教育総監である父・渡辺錠太郎氏を殺された娘・和子さんが最近書かれた『置かれた場所で咲きなさい』の中の言葉は多くの人の心を打ちました。ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんについては、藤浪みや子がその著書『土の器 み旨のままに』(2002年12月弊社刊。婦人之友・昭和三十九年二月号からの転載)の中ですでに書いています。「カトリック系の大学で三十六才の若い女性学長、始めて誕生」というニュースに、婦人之友社の命で渡辺和子さんと会い、「“愛されるより愛す人に”二・二六事件で父を失った渡辺和子学長を訪ねて」という記事にまとめたものです。『土の器 み旨のままに』のご注文は、弊社へ直接お申し込み下さい。残部僅少ですので、在庫がなくなりましたら、お許し下さい。

2013年2月22日
 今日2月22日はソシュール没後100年目に当たります。しかし100年経っても、残された膨大なメモなどの多くはまだ未整理のままです。弊社刊行の『一般言語学第三回講義/増補改訂版』最終頁(282頁)に掲載しました「自筆講義メモ」のようなソシュール自身の思索過程がよくわかるメモが整理され、活字化されることを待ち望んでいます。また、神話、アナグラム等に関する自筆原稿が掘り起される日を心待ちにしています。

2013年2月18日
 JRで一区間の切符を買うと、その値段で琵琶湖一周できる大回りというシステムを使い、昨日、琵琶湖一周をしてきました。琵琶湖の東岸は東海道線や新幹線が走っていて、早くから開けた所ですが、西岸は比良山系などが湖岸に迫っているためか、鉄道の開発が遅れ、琵琶湖の北部に行く湖西線ができたのは1974年でした。しかし、それが幸いしてか、雄大な自然がすぐそばに見られます。特に比良駅までくると、西に比良山系が迫り、その雪景色は湖北まで続きます。山の幾重にもなった稜線は墨で一筆描きしたように波を打っています。湖西線が琵琶湖最北端の近江塩津駅に着くころには車内の人もまばらになり、土地の人が寒そうにマフラーに顔をうずめている姿に出合います。そこから北陸本線で南下し東岸の長浜を過ぎて、米原から東海道線を南に下ると、彦根、草津の町の人達が乗り込んで賑やかな車内になりますが、琵琶湖対岸の夕日に照らし出される雪の比良山系がはるか彼方に連なり、大自然をたった360円(一区間を往復買わなければなりませんが)で満喫することができてすがすがしい気持ちで帰路につきました。                    『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第3回を掲載します。前回(第1、第2回)同様、左の「ソシュール『一般言語学講義』のご紹介」からご参照下さい。

2013年2月1日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第2回を掲載します。(第2回は、同頁の第1回のあとに掲載しています。)前回(第1回)同様、左の「ソシュール『一般言語学講義』のご紹介」からご参照下さい。

2013年1月15日
 
『一般言語学第一回講義』に引き続き『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋を行なっていきます。第二回講義では、同じ日に行なわれた講義は同頁に少しずつ続けていきます。また、後半で掲載されているパトワの講義記録は省略します。日付けが変わった時には新しい頁を設けます。同じ日の講義が同頁に長く続く時もあり読みにくいかと思いますが、ご容赦下さい。左の「ソシュール『一般言語学講義』のご紹介」からご参照下さい。

2013年1月1日
  明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い致します。京都、大阪、神戸地区や東京の書店さん、大学生協さんには時々ご挨拶に行きます。しかし、他の地域の書店さんなどにはなかなかご挨拶に伺えません。申し訳なく思っております。弊社の書籍で、カバー・帯の色があせていたり、破損しているものがありましたら、どうか弊社に電話またはファックスでご連絡下さい。新しいものをすぐお送りします。また、ご購入されたお客さまも、気がつかれましたら、お手数ですがご連絡下さい。京都ジュンク堂BAL店がこの一月でビル改装のため、一時閉鎖されるそうです。弊社の本を贔屓にして下さっている方もたくさんいらっしゃいました。一時的とはいえ、とても残念です。ソシュール関係の書籍はジュンク堂京都店、大垣書店四条店、三条店、京都店、ブックファースト河原町店、京都駅アバンティ、にあります。どうかご利用下さい。『一般言語学第一回講義』に引き続き、『一般言語学第二回講義』の要約を再開します。

2012年12月4日
  先日、立命館大学人間科学研究所『育ちあいグループ』(立命館大学名誉教授高木和子氏)が主催する“「大人としての発達」における「育ちあい」「支えあい」”の講演会に出席しました。午前中は、東京の東久留米市の自宅を解放して、親と幼児が集える空間を作り、現在「わはは生活育児研究所」を主宰している浜名紹代氏の講演“子育てを楽しいものにするために”。午後は参加者達―司会:渋谷郁子氏(鈴鹿短期大学、臨床心理士)、コメンテーター:浅野敬子氏(至学館大学)・川島由里子氏(京都、ゆりかご保育園)、片山伸子氏(東京福祉大学)、吉本朋子氏他、などによる「これからの研究と視点の展開」という会でした。幼児に関わっている人達と接するのは初めての事で、現場というものがどんなものか、どんな問題があるのかを垣間見、その問題の解決の一助になるために力を注いでいる人達のなまの声を聞きました。参加者の共通するテーマは「育ちあい」、つまり子育てと同じように大人である親も育つ、育てられるという意識が大切ということでした。しかし、親が子どもに育てられているということを認識し受け入れるのは大変難しいことだとも思いました。

2012年10月25日
 去る10月20、21日に日本フランス語フランス文学会秋季大会が神戸大学で行なわれました。二日目の21日にはワークショップの一つとして「ソシュール没後100年・100年の言語学」をテーマに、コーディネーターに金澤忠信氏(香川大学)、パネリストとして、加賀野井秀一(中央大学:『思想史・言語学史上におけるソシュールの位置づけ(20世紀)』)、鈴木隆芳氏(大阪経済大学:『ソシュールの音声学と構造言語学の音韻論』)阿部宏氏(東北大学:『パンヴェニストのソシュール批判』)、最後に、『もう一人のソシュール』で序文を書かれた松澤和宏氏(名古屋大学:『Ecrits de linguistique generale(Gallimard,2002)の校訂上の問題点とソシュールにおける(順序)の問題』)が講演されました。

2012年10月24日
 事務所を下記に移転しました。〒617-0822 京都府長岡京市八条が丘 2-2-12-206 電話番号等は変わりません。Tel&Fax 075-955-8502 <cogito@mbox.kyoto-inet.or.jp>  http://web.kyoto-inet.or.jp/people/cogito/ インターネット接続が遅れました。大変ご迷惑をおかけしました。

2012年9月11日
 晩になると、虫の声が高らかに鳴き、ようやく秋、と頭では感じますが、昼の猛暑には皮膚の感覚が夏を告げています。虫の感覚と皮膚感覚が早く一致するように願うばかりです。小松英輔著『もう一人のソシュール』で序文を書かれた、ソシュール研究者である名古屋大学大学院教授の松澤和宏氏が「『一般言語学草稿』の校訂と注釈」という研究成果を発表されています。「1996年にソシュール自身の手による草稿が発見され、それ以前に発見されていた草稿と共に『一般言語学草稿』(ガリマール、2002年)が刊行された。しかしながらこの版は数多くの判読上の誤りを含み、50頁にのぼる草稿を無視している。本研究の目的は注釈を付した文献学的な校訂版を作成し、ソシュールの沈黙に関わる問題を検討することであった。すなわち、なぜソシュールは理論的体系の試みを放棄したのか、という問題である。本計画は、草稿の解読に伴う困難のために完全には実現できなかったが、草稿が我々に示すのは一般理論の構築の不可能性を表現しているもう一人のソシュールであることが明らかになった。」ソシュール研究の目的は「一般理論をめぐるソシュールの謎めいた沈黙のなかにひそんでいる〈思想の劇〉を厳密に復元することにある」ということです。そのため、「ソシュールの理論的考察に関する草稿の厳密な校訂版を作成し、クロノロジーに即して提示すること」ということです。いまだ掘り起されていない草稿が発掘され、新しいソシュール論が展開されればと期待しています。

2012年8月13日
 
オリンピックが終りました。年々開会式や閉会式のはでで贅を尽くした催しに、これからの開催国は限定されてしまうのではないかといやな気持ちでいたのですが、いつの間にか試合や会場の盛り上がりに引き込まれ、翌日放映される結果だけでは飽き足らなくなって、この数日間は一晩中起きて、試合の経過を一喜一憂しながら楽しみました。感動したシーンはたくさんあったのですが、もっとも感動したのは、「なでしこジャパン」のメダル授与に登場した選手達の姿です。前の選手の両肩に手をあて、ダンスでもするように進み、表彰台に立った時は隣と手を結んでウェーブをして観客への感謝を表し、喜びを共にする。その爽快さは、それまでの人並み以上の練習の苦労と金メダルを逃した悔しさを心の奥に仕舞い、銀メダルを素直に喜び、その喜びを応援者と共に分かち合うというしゃれた心遣いから出て来たものでしょう。かつては、オリンピック参加は「日本」という国を背負って立つという使命感と必ずメダルを獲得しなければという悲愴感が漂っていましたが、今は応援してくれた「家族・仲間・応援者」への感謝が溢れていました。一人ではなし得ないということを選手自身が知っていて、それが感謝の言葉になっているのでしょう。そうした姿に感動しました。 

2012年7月9日
 『ほっこり通信 from Kyoto』を編集している人と知り合う機会がありました。発刊した目的は、「放射能の不安を抱えている被災地に向けて、京都の避難情報を集めフリーペーパーにして提供することによって、被災者に京都の情報を届け、支援者とを結ぶ役割を果たす」ということです。今回3号には、避難された人達、特に母親の声、親子と支援者の絆を深める行事など、多くの情報が掲載されています。東日本はここ京都では遠く感じられますが、この通信誌を読むと、避難されている母親がどんな気持ちで、知らない土地で過ごしているか、少しですがわかります。詳細は以下のHPをご覧下さい。

http://ameblo.jp/hokkori-kyoto/entry-11135814872.html

2012年7月3日
 『ソシュールのパラドックス』を読んだ方から感想が寄せられました。該当頁に掲載しましたのでご覧下さい。

2012年6月27日
 先日ある会に出席しました。その時、一人の女性に強く引き付けられました。いつも黙ってニコニコしているその人が周囲がどっと笑うと、隣の友人にいぶかし気な顔を向けます。するとその人がすぐメモ用紙に説明を書きます。女性はうなずいて、うれしそうな顔をします。周りも話のおかしさにもう一度笑い出します。女性は、三年前に突発性難聴で左の耳が聞こなくなり、その後右の耳も少しずつ聞こえなくなっている。補聴器でなんとかわかる程度、ということを知りました。聞こえなくなってから手話を覚えようとしたそうですが、年で覚えるのにかなり苦労するということでした。補聴器の具合はどうかと聞きましたら、遠くの声も近くの声も同じように聞こえるため、ざわざわとした雑音のようであまり効果はないということでした。耳とは不思議なものだと思いました。私たちは、遠くの声は遠くに聞こえ、耳をそばだてれば誰の声か識別でき、何を言っているのかわかります。同じ言葉でも、調子が変われば何を意味しているのかわかります。耳の聞こえない友人を思い出しました。彼は子どもの頃耳が聞こえなくなったそうですが、口話法を覚え、口の動きを見て理解できるので、日常生活には不自由しないということです。目の前で対話する場合、意志の疎通は完全で、私も彼と話す時、耳が聞こえないと思ったことはありません。 一体、耳とはどのような構造になっているのでしょうか。耳と同じ効果をもつ補聴器が開発されればと思います。

2012年6月5日
 2日、同志社女子大学で行なわれたドナルド・キーン氏の講演『日本、京都への思い』を聞きに行きました。同大学内のアーモスト館開館80周年記念講演会ということで、同志社と縁の深いキーン氏が招かれたのです。『Poesie auf der Grenze』の著者内藤恵子氏は、キーン氏に献本したいと思いながら、ご住所がわからず手元に置いたままでした。今回の講演会を知った内藤氏がこの際に直接手渡しできればというので同行しました。しかし、キーン氏は、ご高齢のこともあり、講演が終わるとすぐ控え室にお入りになってしまい、秘書の方に著書を無事に託せたのは2.30分過ぎてからでした。 内藤氏も弊社もなんらかのご感想を頂けたらと期待していますが、どのような本でも感想をいただくのは本当に難しいことだとも知っています。

2012年5月12日
 『メールフォーム』頁にトラブルが生じ、メールでのご注文ができなくなりました。ご迷惑をおかけして申しわけありませんでした。『本のご注文』として作り直しました。エディット・パルクに直接ご注文の場合は、左記の『本のご注文』頁をご利用下さい。

2012年4月2日
 東京に住む友人が京都では桜はもう咲き始めたかと聞いて来ました。昨日すでに咲き始めたところもありましたが、多くはまだまだ蕾がかたいままでした。ところが今日、この暖かさに蕾も大きくふくらみ、今週末には咲き始めるのではないかと思うほどでした。もっとも地域によって開花の時期がかなり異なります。また友人は、MY桜があるかと聞きました。どこよりも家の近くに一本だけある大きな桜が一番好きだそうです。そこで私もそのような桜があるか思いだして見ました。雨に濡れて真っ黒なごつごつした幹に数枚のうす桃色の花びらを付け、見上げれば空に敷き詰められた花がそぼ降る雨に一枚一枚と散ってしまう桜を愛でるのがMY桜と気づきました。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第43回目を掲載しました。今回で『一般言語学第一回講義』の要約は終りです。

2012年3月19日
 今はどこに行っても梅が満開ですが、山の稜線に一本だけひっそり咲く枝垂れ梅は、誰に愛でられるわけでもないのに、健気に咲いていて、いとおしさもひとしおです。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第42回目を掲載しました。

2012年3月2日
 前回に引き続き、岡本夏木著『ことばと発達』について共感を覚えた箇所を引用します。というのも、対象が子ども/留学生と違いがあるにせよ、著者の言う問題の一つが拙著『ソシュールのパラドックス』の後半の「『日本語』を再審する」で指摘した問題と同じだったからです。岡本氏は二次的ことば獲得の過程での子どもの葛藤の一つに〈標準語〉の問題を挙げています。「児童期とは、子どものことばがおとな社会のことばにさらされ、それへの同化を強く求められる場ではなかろうか。」「二次的ことばでは、(略)文字言語の獲得が大きい役割をになってくる。子どもは話しことばと書きことばの二重言語生活者となる。」「子どもが二次的ことばの教育で要求されるのは、新しい用法や媒体だけでなく、子どもがそれまでに自己の中に育ててきた言語、すなわち母語とは異なった言語の使用を迫られてくる点である。「標準語」(最近は「共通語」ともいう)とよばれ、時には「正しい日本語」という衣をよそおって登場することばである。」「学校が求めてくる書きことばの教育とは、それまでの一次的話しことば(またはその発展したもの)を、新しく文字という媒体によって表現することを学ばされるのではなく、標準語という新しいことばを、新たに習得した文字によって綴ることなのである。」二次的ことばを学んで行く小さな心の中はどうなっているのかあらためて不思議さを感じると同時に、おとな社会の一員である私の無自覚を問わされているような気がします。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第41回目を掲載しました。

2012年2月14日
  岡本夏木著『ことばと発達』を読み、驚き学んだところが沢山がありました。幼児のことばには一次的ことばと二次的ことばがあり、前者は母親など身近な人と向き合い接して語ることば、後者は学校へ行って不特定の人の中で使うことばだと、著者はことばを発達の観点から二つの種類に分けて述べています。著者は言います。『二次的ことばの出発は、このように子どもによって程度の差こそあれ、そこには当惑や混乱をもたらすし、またそれを克服しながらこの新しいことばを行使してゆくためには、意識的な注意の集中と緊張や努力が強く求められてくる』『こうした子どもが直面する新しい課題性と、それに伴う困難やとまどいに、おとなたちはどれだけ気づいているのだろうか』と。私自身もこのような、多くの『子ども』が経験するであろう『苦闘』に気付いていなかったと思っています。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第40回目を掲載しました。

2012年1月24日
 
西から北にかけての山々や、北にひときわ高く聳える愛宕山も今日は真っ白に雪化粧。山の裾野はもう春の準備なのか、産毛のような木々の枝が被っています。時折雲間から漏れる朝日で、淡いピンク色に染まる白い肌の山。暖冬であったこの数年忘れていた景色でした。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第39回目を掲載しました。

2012年1月6日
 『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』)の感想が寄せられました。該当頁よりご覧下さい。

2012年1月1日
 新年おめでとうございます。今年はよい年でありますように。

2011年12月30日
 今年も余すところ2日となりました。地震や津波、原発事故という大きな悲しい出来事が続きました。私は関東出身で、東日本には縁が深く、いつも気になりながら、あまり力にはなれませんでした。一方で、なでしこジャパンには元気をもらいました。来年はよい年であることを祈っております。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第38回目を掲載しました。

2011年12月15日
   ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第37回目を掲載しました。

2011年11月30日
  ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第36回目を掲載しました。

2011年11月16日
  出版ニュース社刊『出版ニュース』(2011年11月中旬号)に「もう一人のソシュール」が紹介されました。出版案内の該当頁からご覧頂けます。

2011年11月10日
  京都西山の麓にある光明寺は春は桜、秋は紅葉として有名で、シーズンともなると大型バスが近くの道路に巨大な姿で並び始めるようになりました。光明寺を通り過ぎて竹林を脇目に、善峰へ向う農道のような狭い道から遥か幾重にも重なった西山を望むと、中麓のところどころに煙が立ちのぼり、のどかな風景が広がります。しかし、「にそと」という京都第二外環道路が出来るため、山が寸断され、今工事中です。明智光秀が本能寺へ向うため、引き返したという老の坂から南北へ向う道路はいつも車が渋滞していたのですが、「にそと」ができれば渋滞が緩和されるというので数十年ほど前から計画されていたようです。トラック輸送をしている知人は大阪に行くのも京都北部へ行くのも早くなると喜んでいますから、のどかな田園風景が壊れると嘆いてばかりもいられません。森林が削られ山肌が露わになってコンクリートの橋桁が打ち付けられていく姿を見ると、ついこの間の風景がどんなであったか思い出せません。このようにして新しい景色に慣れ、惜しむ気持ちは薄らいいでいくのでしょう。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第35回目を掲載しました。

2011年10月22日
   ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第34回目を掲載しました。『一般言語学第一回講義』は例の多い文章で、例を省略しながら、抜粋するのはとても困難で、誤解のないように充分伝えられるかどうか、いつも心配しています。不可解なところ、疑問のところがありましたら、本体の『一般言語学第一回講義』をご覧下さい。

2011年10月5日
 秋をのがすまいと、車で京都の北部へ。稲刈りを終えた田んぼ、、鬱蒼とした杉木立、小さな集落をあっという間に過ぎ、平地に出る。遠くに聳える山の麓から立ち上がる煙。すでに藻抜けの殻になって道端にころがっている栗のいが。渓谷沿いに車一台がやっと通れるほどの幾重にも曲がった道を上っては下る。出合うのはツーリングを愉しむ革ジャンバーの列、たった一人で、走っていくバイク。我身に試練を課しているようにきつい傾斜の道を、ひたすら走る自転車。爽やかな風や山や煙りの匂い。猛暑だったからこそ味わえる秋の香り。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第33回目を掲載しました。

2011年9月20日
 
 『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』の感想が寄せられました。該当頁より御覧下さい。『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』御希望の方は、メールあるいはお手紙でお申し込み下さい。

2011年9月17日
 
 1992年早稲田大学で行われました国際シンポジーム「SAUSSURE AND LINGUISTICS TODAY」(ソシュール言語学とその現代性)に関する論文集(デ・マルロ・菅田茂昭編集、1995年、BULZONI EDITORE)を早稲田大学教授菅田茂昭氏よりいただきました。その著作集の中に小松英輔氏の論文:「LES DEUX PSYCHOLOGIES DE LA THEORIE SAUSSURIENNE」が掲載されています。『もう一人のソシュール』の「小松英輔著作一覧」(311頁)には未記載のものでした。菅田茂昭氏にあらためてこの場でお礼申し上げますとともに、『もう一人のソシュール』をご購入された方には御面倒をおかけしますが上記の追加をお願いします。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第32回目を掲載しました。

2011年9月2日
 
前回8月17日の、ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第31回目を掲載しましたが、第30回と同じ内容を紹介してしまいました。本当に申しわけありません。今回の第31回は「インド・ヨーロッパ諸言語の家族の内的、及び外的歴史の概要」についてです。前回の第30回、第31回の内容が重複し、申し訳ありませんでした。お詫び致します。訂正しておきましたので、御覧下さい。

2011年8月17日
 
昼も夜もまだ厳しい暑さがつづいているのですが、蝉の声と共に、秋の虫がひそかに鳴き始めました。そのどこか違う心細いジージーという音色に耳をすませると、不思議とうんざりしている夏を惜しむ気持ちと、秋の気配を感じて感慨深い気持ちになります。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第31回目を掲載しました。 

2011年8月8日
 
『もう一人のソシュール』の書評が、図書新聞第3026号に掲載されました。その一部を該当頁に引用しましたので、ご覧下さい。

2011年8月5日
 
暑中お見舞い申し上げます。『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』の感想が寄せられました。該当頁から御覧下さい。

2011年7月29日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第30回目を掲載しました。次回はいよいよ後半の「インド・ヨーロッパ諸言語の家族の内的、及び外的歴史の概要」に入ります。『もう一人のソシュール』はお陰さまで売れ行き好調です。書店に在庫がない場合は、弊社にファックスあるいはメールでご注文下さい。

2011年7月14日
 京都では7月に入るとあちこちで祇園祭のコンチキチとお囃子の音が流れてきます。祇園祭が終ればいよいよ夏。例年そうだったのですが、この数年、梅雨が短く、今年はすでに梅雨明けしてしまいました。今週の始めにはジージーと蝉が鳴き出しました。猛暑にうんざりしながら、何故か懐かしい気持ちで聞き入っていました。※ソシュール『『一般言語学講義』のご紹介ページに『一般言語学第一回講義』第29回目を掲載しました。『もう一人のソシュール』を送った方々から「ソシュール研究の内実が問われるのではないか」などの感想をいただいています。読後感、書評などが寄せられましたら、その都度掲載していきます。※『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』の感想が寄せられました。該当頁から御覧下さい。

2011年6月24日
 
小松英輔著『もう一人のソシュール』がいよいよ発売されます。全国の有名書店で購入できます。品切れ等の場合は弊社にメールまたはファックスでご注文下さい。『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』の購読御希望の方は、該当頁に書いてある通り、140円切手同封の上、弊社にご注文下さい。お送り致します。ソシュール『『一般言語学講義』のご紹介ページに『一般言語学第一回講義』第28回目を掲載しました。

2011年6月15日
 
小松英輔著『もう一人のソシュール』の発売は6月26日です。大変お待たせしました。名古屋大学大学院教授松澤和宏氏の序文の一部を掲載します。出版案内よりご覧下さい。内藤惠子著『Die Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』が6月22日に刊行されます。詳細は出版案内よりご覧下さい。

2011年5月23日
 
ソシュール『『一般言語学講義』のご紹介ページに『一般言語学第一回講義』第27回目を掲載しました。小松英輔『もう一人のソシュール』はもう少しお待ち下さい。

2011年4月30日
 
小松英輔『もう一人のソシュール』の刊行は5月半ば頃になります。予定より遅くなり、申し訳ありません。詳細は左記の出版案内からご覧下さい。

 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに『一般言語学第一回講義』第26回目を掲載しました。

2011年4月12日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに『一般言語学第一回講義』第25回目を掲載しました。 

2011年3月28日
 
国際的評価の高い日本のソシュール研究の第一人者小松英輔氏によるソシュール原典資料の訳と論考と掘り起しを一冊にした『もう一人のソシュール』を5月に刊行します。詳細は、左記の出版案内の頁と、そこからリンクされた関連ページを御覧下さい。

2011年3月16日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第24回目を掲載しました。

 この近辺のスーパーマーケットでは、すでに懐中電灯、電池、水、トイレットぺーパー、ティッシュペーパーなどが売り切れていました。おそらく、計画停電がなされている大都市に住む家族などのために送るためではないかと思います。しかし、何故トイレットぺーパーかとちょっと頭をかしげています。かつて阪神淡路大震災を経験した人達が、トイレットぺーパーの必要性を感じたからかもしれません。先日の大地震が起った時刻は正確には3月11日午後2時46分でした。下記の時刻を訂正します。申し訳ありませんでした。

2011年3月14日
 
謹んで地震災害のお見舞いを申し上げます。3月11日午後2時45分、京都南西部の長岡京市の自宅でパソコンに向っていましたら、ゆらゆらと大きな揺れを感じました。めまいと思っていましたら、蛍光灯の紐が大きく揺れています。異常を感じ、即座にテレビを付けましたら、東北地方で8.8の地震があったと報道されています。その後、30分ほどは、この家でも電灯の紐がぶきみに揺れたり、止まったり。地震の恐ろしさは関西まで伝わってきました。阪神淡路大震災の経験から地震に備えて日頃いろいろなものを準備しているのですが、津波の時には何も役にたたないことを知りました。被災された方々にはあらためてお見舞い申しあげます。

2011年2月21日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第23回目を掲載しました。

2011年1月27日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第22回目を掲載しました。

2011年1月21日
 
内藤恵子著『境界の詩歌』に感想文が寄せられました。『境界の詩歌 3』に掲載しましたので、御覧下さい。

2011年1月5日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第21回目を掲載しました

2011年1月1日
 
あけましておめでとうございます。フェルディナン・ド・ソシュールの『一般言語学第一回講義』、『一般言語学第二回講義』、『一般言語学第三回講義』の編者、小松英輔氏によるソシュールの自筆原稿の掘り起しなどを一冊にまとめた『ソシュール自伝』を今春刊行します。御期待下さい。

2010年12月24日
 
『ソシュールのパラドックス』を読んだ方からご感想をいただきました。該当ページの1に掲載しました。

2010年12月17日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第20回目を掲載しました。

2010年12月1日
 
広瀬典丈・さちよの作品展が行われます。 1)「いけばなスペース第3回いけばな展」12月11日〜13日 於:名古屋市有松町並み保存地区 2)「広瀬典丈・さちよ作陶展」11月29日〜12月7日 於:松坂屋名古屋店 ※12月1、2、6日は広瀬さちよ氏自らが説明 ※12月3、4、5、7日は広瀬典丈氏自らが説明

2010年11月25日
 
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第19回目を掲載しました。

2010年11月24日
 
11月4日に引き続き、内藤恵子著『境界の詩歌』への感想、及び批評が著者のドイツの知人から寄せられましたので、『境界の詩歌 その3』に掲載しました。その下に、参考として著者の日本語訳が掲載してあります。左の「出版案内」から御覧下さい。

2010年11月4日
 
内藤恵子著『境界の詩歌』への感想が寄せられましたので、該当ページに掲載しました。左の「出版案内」から御覧下さい。

2010年10月4日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第18回目を掲載しました。今回は言語(ラング)と言葉(パロール)の関係と違いが述べられ、言葉(ランガージュ)の研究には大事なものだと強調されています。『一般言語学第一回講義』の訳では「言葉」をランガージュとパロールと区別するため、ルビを打っていますが、ご紹介頁の17回、18回では、わかりやすく、「ランガージュ」、「パロール」と書きました。

2010年10月4日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第17回目を掲載しました。

2010年9月14日
 
ようやく涼しい風が吹き、日ざしも和らいで来ました。秋の訪れをこれほど待ち望んだことはなかったような気がします。西山の裾野では、煙がぼんやり漂い、すでに稲刈りの季節を迎えています。                                                    ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第16回目を掲載しました。

2010年8月25日
 相変わらずの猛暑ですが、昼間、関西では熊ゼミのやかましい声が我がもの顔に鳴いていますが、その声に混じって、みんみんゼミの声が聞こえ、夕方にはそれまでの熱風と少し違う風が家の中に流れ込み、それまでひっそりしていた虫の鳴き声も聞こえて、待ちに待っていた秋に近づいたかと感じました。 クーラーなしの生活がどれほどありがたいかとしみじみ思っています。ヒートアイランド現象の一つにクーラーの室外機から出る熱風が考えられると思うのですが、外に勢いよく流れ出る熱風を涼風に変える機械が発明されると、年々きつくなる暑さもかなり抑えられるのではないかと真剣に考えています。   ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第15回目を掲載しました。

2010年8月10日
 残暑お見舞い申し上げます。連日35度以上の天気が続いていましたが、今日は台風の影響か、いつもの真っ赤に燃えた空が黒い雲に覆われ、時々激しい雨が熱したコンクリートの建物を冷やし、少しほっとしています。しかし蒸し暑さは相変わらずです。9月まで厳しい暑さが続くようです。お身体を大切にして下さい。/ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第14回目を掲載しました。

2010年7月20日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第13回目を掲載しました。

2010年7月5日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第12回目を掲載しました。今回の「IIの影響。文法的な影響」の項のみならず、これからも例がたくさん紹介されますが、HPでは内容が理解出来る程度の例のみにしぼり、他の多くの例は割愛しました。理解しにくいところは本文をお読み下さればと思います。

2010年6月29日
 著者に『境界の詩歌』に対しての感想が送られてきましたので、『境界の詩歌』の頁に掲載しました。出版案内からご欄下さい。

2010年6月21日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第11回目を掲載しました。

2010年6月7日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第10回目を掲載しました。

2010年5月25日
 『境界の詩歌』の I、Schwierigkeiten der Uersetzung japanischer Gedichte (日本語詩のドイツ語への翻訳の難しさ)の「Vorwort」(序文)をドイツ語のまま掲載しました。出版案内の『境界の詩歌』からお開き下さい。

2010年5月17日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第9回目を掲載しました。

2010年4月28日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第8回目を掲載しました。

2010年4月7日
 『境界の詩歌』に対して読後感が二通送られて来ました。該当ページに掲載しましたので、御覧下さい。送って下さいましたU氏、物部様、貴重なご批評をありがとうございました。

2010年3月23日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第7回目を掲載しました。

2010年3月5日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第6回目を掲載しました。

2010年2月9日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第5回目を掲載しました。

2010年1月18日
 ラテン語・ギリシア語の専門家であるという、友人の知人から『ソシュールのパラドックス』の読後感ならびに質問をいただきました。その方に直接ご返答と思っていましたが、その方の事情で、ご返答は保留のまま現在にいたってしまいました、その読後感、質問を該当頁に掲載しておきます

2010年1月12日
 
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。『境界の詩歌』に関する感想を掲載しました。該当ページから御覧下さい。

2009年12月3日
 『境界の詩歌』ページに随時掲載していきますので、御覧下さい。

2009年11月30日                                                        ソシュールの一般言語学講義をより身近なものにして頂くために、弊社で刊行している『一般言語学第一回講義』、『一般言語学第二回講義』、『一般言語学第三回講義』を順次抜粋して、ソシュール『一般言語学講義』の紹介ページに掲載していきます。抜粋に伴う誤解を避けるためにあえてコメントは致しません。コメントによってさらなる誤解が生じるかもしれないからです。百人いれば百人の要約がなされることでしょう。この掲載がソシュールの一般言語学講義を理解する上での一つの目安でしかないのをご了承下さい。

2009年11月12日                                                       広瀬典丈・さちよ作陶展が開かれます。12月2日(水)〜9日(水)豊橋丸栄7階 美術画廊詳細は、リンクページから御覧下さい。

2009年11月12日                                                       第2回―有松町並み保存地区 町屋にいける―『Ikebna Space いけばな展』が下記のように開催されます。11月21日(土)〜23日(月)名古屋市緑区有松町並み保存地区

2009年11月9日                                                        内藤惠子著『境界の詩歌』が完成しました。大変お待たせしました。全国有名書店でお求めできますが、弊社刊行本はすべて少部数ですので、品切れ等でご迷惑をおかけするかもしれません。悪しからずご了承下さい。なお、直接のご注文も扱っております。メール、またはファックスでお申し込み下さい。

2009年9月7日 広瀬典丈・さちよ作陶展が下記のように開催されます。9月18日(金)〜24日(木仙台 FUJISAKI  本館6階 美術工芸サロン   詳細はリンク頁より広瀬典丈・広瀬さちよホームページを御覧下さい。

2009年8月31日                                                        内藤惠子著『境界の詩歌』のドイツ語の論文は、著者がその後の頁で補足的に説明しているので、ドイツ語が読めない人でもどんなことが書かれているか理解できる。ドイツにドイツ文学を学ぶために留学して、論文の指導教授から与えられたテーマは日本語詩歌(万葉集、古今和歌集、新古今和歌集、俳句など)のドイツ語への翻訳作品の検討。しかし、翻訳ということの困難に直面していた著者が、日本語詩歌をドイツ語で論評することを選んだのはおもしろい。それが、ドイツ語の論文のタイトル『Schwierigkeiten der Uersetzung japanischer Gedichte』 (日本語詩のドイツ語への翻訳の難しさ)となった。                                                                  2009年7月28日                                                        内藤惠子著『境界の詩歌』。詩歌は言語の壁を超えられるのか。古典的詩歌の翻訳の可能性と不可能性。女性を巡る文化の相違。若き日、ドイツ語で書かれた論文の他、日本語で書かれた最新の評論まで11編を収録。独と和との異色の評論集。9月中旬発売予定。

2009年7月1日                                                        『出版ニュース』、7月上旬号13頁に「ソシュール理解の基本文献」という題で弊社のソシュール『一般言語学第三回講義 増補改訂版』が紹介され  ました。内容は『一般言語学第三回講義 増補改訂版』の頁に掲載されています。

2009年6月8日                                                        「一般言語学第一回講義リードランジェによる講義記録」、「一般言語学第二回講義リードランジェ・パトワによる講義記録」、「一般言語学第三回講義増補改訂版コンスタンタンによる講義記録+ソシュール自筆講義メモ」を寄贈したジュネーブ公共大学図書館から、それに対する礼状が6月4日に来ました。「日本でのソシュール思想を理解する上で力になることを嬉しく思い、あなた方の重要な仕事にお礼を言います」とのことです。ジュネーブ公共大学図書館の蔵書はHPから検索できますので、弊社のリンクの頁をご利用下さい。

2009年5月5日                                                        ソシュール著『インド・ヨーロッパ諸語における母音の原初体系に関する覚え書き』(1879年)がフランス国立図書館のwebサイトで閲覧できます。リンクページを御覧下さい。

2009年5月7日                                                        ソシュール『一般言語学第三回講義 増補改訂版』及び『ソシュールのパラドックス』に関しての感想をいただきました。『一般言語学第三回講義 増補改訂版』の頁に掲載しましたので、ご覧下さい。

2009年4月14日                                                        各小売り店鋪でご迷惑をおかけしていますが、弊社は小部数出版です。『一般言語学第一回講義』、〈増補改訂版〉『一般言語学第三回講義』はまだ在庫がございます。お急ぎ下さい。

2009年3月23日                                                            〈増補改訂版〉『一般言語学第三回講義』に対して、読者カードが送られて来ましたので、掲載します。左の〈増補改訂版〉『一般言語学第三回講義』の感想・批評ページからリンク出来ます。

2009年3月5日                                                       コンスタンタンによる講義記録に、ソシュールの自筆講義メモを加えた〈増補改訂版〉『一般言語学第三回講義』が完成しました。より重層的に、より精確に幻の講義が再現されることでしょう。是非、書店でお求め下さい。

2009年2月27日                                                       書籍には必ずISBNと分類コードをつけるが、ソシュールの場合、哲学か言語学かで分類を迷わされる。哲学と言語学は明らかに違う分野だが、「ソシュールの思想」が問題にされる限り、哲学と看做され、そう受け取られる傾向があるのは否定できない。第一回から最後の三回講義まで、ソシュールは従来の言語学への批判から講義を始め、言語についての哲学を述べる。しかし、「言語」を哲学的に考えようとしたわけではない。彼はひたすら言語学を位置付けようとしていたのだ。当然、私たちは言語学の分類(C1080)に入れた。ソシュールの嫌っていたのは抽象的という言葉であり、重視していたのは観察と調査だった。ソシュールが講義の中で、「私たち」という時、哲学者のではなく、言語学者の「私たち」を指している。彼は言語学の講義を行ったのだ。Linguistique(言語学・言語なるもの)とは何か? にもかかわらず、その視点の卓抜さが実に哲学的であるというこの避け難いパラドックス。増補改訂版『第三回講義』、少し遅れそうです。申し訳ありません。

2009年1月28日                                                       『一般言語学第三回講義』増補改訂版がいよいよ刊行されます。発売予定日は3月3日です。左の『〈増補改訂版〉一般言語学第三回講義』 をリンクして、ご参照下さい

2009年1月1日                                                       『一般言語学第三回講義』はすでにお知らせしましたように、品切れとなりましたので、今春、増補改訂版を出す予定です。『一般言語学第三回講義』をより重層的に理解するために、残されていたソシュールの自筆講義メモをあらたに加え、それに併せて微 妙な異動がわかるように、コンスタンタンによる講義記録の旧訳を全面的に見直しました。                                                     また、日本の俳句、短歌をドイツ語に訳す難しさをドイツ語でまとめた内藤恵子氏の論文 ・批評等の作品も現在作成中です。今夏刊行の予定です。

2008年12月13日                                                      奈良の室生寺からの帰り、阿騎野という所のとある店で、一枚のパンフレットが目についた。柿本人麻呂が、「ひんがしののにかぎろひのたつみえてかへりみすればつきかたぶきぬ」を詠んだという丘で、「万葉集」を語ろうと書かれていた。どんなところか興味をそそられ、足を伸ばして寄ってみた。奈良にはなにげなく古墳があったり、万葉の時代を今もなお偲んでいる人たちがいると思うとおもしろい。『日本語を再審する』に、古典は明治に作られたと書いたら、万葉の世界の存在を信じている友人にひどく憤慨されたが、スポーツをしている声が響く体育館の横に再現された丘で古典の世界を味おうとするのはおもしろい。ロマンの正体とは、果たして何だろうか。                                             「街路が造り直されます。同じ街路なのです。」ソシュール『一般言語学第二回講義』より。

2008年10月20日                                                      マンガン鉱の閉坑:先日、朝日新聞で紹介された、京都府京北町の山奥にある「丹波マンガン記念館」を訪ねた。様々な製品の原料としてのマンガンの採掘は明治28年頃から始まったが、その作業の多くは、朝鮮人と被差別部落の人々が担っていたという。特に最盛期の戦争中は強制連行された朝鮮人が過酷な労働にあたった。関西にはそのようなマンガン採掘場が多々あるようだが、訪れた丹波のマンガン鉱床は日本に留まった朝鮮人の一人(李貞鎬さん)が、鉱山の鉱業権(山自体は他の所有者だという)を買い求めて採掘を続けていたという。その後マンガンの需要がなくなり、閉山に追いやられた。

若い頃から過酷な採掘をしていた李貞鎬さんはいつも「自分の墓はいらん。ここがわしの墓や」と家族に言っていたという。息子の李龍植さんはその意志を実現するため、歴史を後世に残すため、私財を投じて記念館を作った。家族の話では、坑道の中で作業がどのようになされていたか一目でわかるように、寝そべるようにしてしか進めなかった坑道を広げ、採掘や運搬している姿のマネキンを置き、天井や壁から沁み出る水を脇に流す溝を作り、女性が担った飯場を再現して、当時の状況がわかるようにしたという。また、坑道の出口に展示場を作り、採掘されたマンガンやマンガンから利用される電池、レール等々を置いた。その記念館もまもなく閉館するという。行政の援助もなく家族だけで20数年維持し続けて来たが、年々見学者が減り、その維持に限界を感じたのだという。現在、坑道は人が入らないように完全に密閉し、日本政府に手渡す手続きをしているという。

2代目館長である三男李龍植さんが、マンガン鉱山の歴史を書き残すため、採掘に携わった人達の話を聞きに朝鮮半島にまで足をのばして体験者の話を聞いているという。しかし、朝鮮半島に帰った多くの人が胸を患ってすでに亡くなっていたり、日本での過酷な労働の記憶を胸の奥にしまい込み、家族にはまったく語っていないため、聞き取りはかなり難しく、3年前から続けられている作業はいつ完成されるかわからないという。展示場には多くの労働者の体験談が掲載されていてそのことで被害者意識が強すぎるという非難が多く寄せられていたようだが、加害者意識や被害者意識を越えたところで歴史は見られなければいけないと思う。

2008年6月12日                                                       小学校で、アフガニスタンは米の原産地と習った。中央アジアは砂漠と山ばかりと思っていたので以外だった。紛争前のアフガニスタンの映像を見ると、確かに緑豊かな土地であったのがわかる。ペシャワール会はその緑の大地に戻そうと、川から水を引くための潅漑を何十年もかけて準備していき、一部は完成していた。国家事業ではなく、個人の延長のような団体によって行動し、地道に続けてきたことに賛同して、会員になり、わずかであるが、会費を払っている。会員になると、「ぺシャワール会報」が送られてくる。今回は、殺害された伊藤和也氏の追悼号だった。

 この事件では、かつてのように「自己責任」という非難は聞かれず、彼を悼む声の方が多いようだ。テレビの報道で見る限り、現地でも伊藤和也氏の死を嘆く姿が心に残る。しかし、会報を読めば、ペシャワール会がアフガンで活動を続けていくことに日本社会で非難の声があることがわかる。ペシャワール会が恐れているのは、自分たちの活動が政治的に利用されることのようだ。彼らの活動を支持するにせよ非難するにせよ、それを政治的に回収することは彼らの活動を無化するに等しいだろう。丸腰で、武器をもたない平和こそが真の平和作りであると信じている彼らに賛辞を惜しまない。

                                                      

2017年3月27日
 
彼岸が過ぎて、

2017年4月4日

 駅近くの商店が数軒並んだ軒下をぼんやり歩いていましたら、目の前をさっと横切る黒い影。影を追って見上げると、つばめが数羽すばやく飛び交っています。毎年、同じ軒下に巣を作っているのですが、もうそんな季節なのかと驚きました。桜では春を知っても、つばめに季節を感じる自分に驚いてしまいました。店では、つばめのするままにして、糞の落ちる通路には段ボウルを敷き、つばめが帰る頃にあとかたづけをしています。巣はまだ出来かけですが、まもなく完成された巣からかわいい雛が口をひろげて、親の運んでくるえさを待つ姿が見られるでしょう。通行人は、親が留守にしている間、巣から首をのばした雛をしばし見上げて足早に通り過ぎます。邪魔しないように。『遠望』の感想が寄せられました。『境界の詩歌』の読者でもあるようで、大変貴重な感想を書いて下さいました。

2017年3月27日
 
彼岸が過ぎて、もう春と思ったのですが風の冷たさに厚手のコートも片付けられません。待ち望んでいる桜の蕾はまだまだしっかり閉ざしていて、開花は来週まで待つしかありません。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第7回をお送りします。「連合」と「連辞」の特徴について大変分かりやすく説明した講義です。

2017年3月21日
 
『遠望』の読者からぞくぞくと感想が寄せられました。その中には高名な詩人もおられます。1冊の書籍には、著者ばかりでなく様々な思いが詰まっているのだと感心しています。

2017年3月14日
 今回の「時々雑録」は、映画、『彼らが本気で編むときは、』の紹介です。とてもおもしろそうです。

2017年3月3日
  梅もほころび、春、と言いたいのですが、まだ寒い日が続いています。『遠望』のカバーに使わせていただきました銅版画の作者・新野耕司氏から著者に感想が寄せられました。書籍案内の『遠望』の頁に掲載しました。弊社では、カバーのデザインの多くは弊社自身が作成しますが、書籍によっては著者のご意見をお聞きし、それに基づいて作成する場合もあります。既刊書の『境界の詩歌』は、『遠望』の著者・内藤恵子氏のご希望でご自身が買われて部屋に飾られていた小清水漸氏の作品を使わせて頂きました。今回も著者からのご希望で、新野耕司氏の銅版画を使わせていただきました。本の作成ではカバーはとても苦労します。カバーはその本の顔です。ですから、読者からカバーがよかった、というお言葉をきくとうれしくなります。 次回発行する、『支え合い、学び合いで育つ「わたし」』では、若いデザイナーに作成していただきます。弊社の今までの雰囲気と違うデザインになるのではないかと思います。ご期待下さい。

2017年2月22日
 先日、「遠望」を読まれた方からの感想を掲載しましたが、今日3人の方からの感想が寄せられました。前回同様、左の欄からリンクをして該当頁をご覧下さい。

2017年2月8日
 2月4日発売の「遠望」を読まれた方から早速感想が寄せられました。左の欄からリンクをして該当頁をご覧下さい。

2017年1月30日
 新年になってはや1ヵ月が経とうとしています。ろうばいが咲き始めて春を感じさせます、と言いたいのですが、まだまだ寒く、春を今か今かと待っています。「時々雑録」第9回『台湾旅行』をお届けします。写真を加えましたが、少しぼんやりしています。お許し下さい。

2017年1月17日
 何十年ぶりかのここ長岡京市での大雪。真っ白に変貌した世界を見に、西山の中腹まで行きました。生憎、比叡山も大文字も見えませんでしたが、真向かいにある伏見桃山城がくっきり見え、三川が合流して大阪湾までゆったりと流れて行く淀川が美しく映えていました。ところで、今日は阪神淡路大震災から22年目。寝ぼけながらも、落ちた数個のコップを拾い、真っ暗やみの中で、前の棟のボッと付いて消えた明かりをぼんやり見ながら、何ごとも無かったように床に入り、あたりが明るくなった頃、起きてテレビをつけると、神戸では、黒い煙が三本高く上がっていて、これから何が始まるか予感した朝でした。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第6回をお送りします。

2017年1月1日
 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。2月には、左の欄でお知らせしましたように、内藤惠子氏の『遠望』を刊行します。今まで書きためておいたという詩とエッセイは、昭和の匂いを漂わせ、時代が変わり、考えも風景も違う現代では懐かしさを感じさせます。

2016年12月8日
 観光地化した寺や神社から観光客が去った後、紅葉が華やかさに落ち着きを添えながら、冬の訪れを待っています。足下の道は紅葉した葉に埋められていて、その中をかさかさ音を立てながら歩くのもいいものです。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第5回をお送りします。

2016年11月11日
 
酷暑の夏、すぐに寒気に襲われ秋はなくなってしまったのかと思いましたが、桜の葉が色付き、かえでも美しくなって来ました。黄色に色付いたいちょうの足下にはぎんなんが強烈な匂いをはなっています。それも秋。秋、秋、秋づくしです。「時々雑録」第8回『長岡京室内楽アンサンブル』をお届けします。

2016年11月3日
 
日差しの中に、すでに冬の訪れを感じさせる季節の変わり目。これからが紅葉を楽しませてくれるはずですが…。いつか春も秋もなくなってしまいそうな、四季ではなく、二季になってしまうかもしれないとそんな不安を抱えながら、秋を感じ取っています。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第4回をお送りします。

2016年10月10日
 
「時々雑録」第7回は「藤飯治平」という画家の作品の話です。画家自身もその作品も知らないのですが、現代社会にも通じる「バベルの塔」をモティーフにした作品に興味がわいてきました。

2016年10月3日
 
10月に入っても台風の影響か、暑さがじりじり体に食い込んできます。一度姿を見せた秋は、一体どこに隠れてしまったのでしょうか。来年になりますが、新刊を2点出ます。1点目は、詩とエッセイ集で、タイトルは『遠望』。著者は『境界の詩歌』の内藤惠子氏です。2点目は、左記の「刊行予定」(タイトルが変わりましたが、『支え合い、学び合いで育つ「わたし」――人生を広げる生涯発達モデル――』です。御期待下さい。

2016年9月21日
 今年は台風が矢継ぎ早やに襲い、日本全域が台風の通過点になってしまいました。テレビの画面上のテロップで、いつか通り過ぎた集落や川、山の名を見ては、気候のよい時の穏やかな美しい風景を思い出し一変したかもしれない姿を想像していました。何ごともないことをお祈りします。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第3回をお送りします。

2016年9月5日
 時々雑録」、第6回目、「高山右近と南蛮音楽」をお届けします。切支丹が隠れて信仰を守り続けたということは知っていましたが、そこに音楽があったということは思いもしなかったので、今回の「高山右近と南蛮音楽」の話はとても興味深いものでした

2016年9月1日
 朝晩、爽やかな風が家を吹き抜け、夕方には虫の声。もう秋か、とほっとしていたのですが、今日のこの暑さ…。夏が舞い戻ったかと思うと、恐ろしいほどです。台風10号による東北、北海道の方にお見舞い申し上げます。水のこわさは暑さどころではないと思っています。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第2回をお送りします。

2016年8月5日
 障害者施設を襲った事件は多くの人に衝撃を与えましたが、私には、明るくて素直で礼儀正しかった人物がなぜあのような考えに到ったか不思議でなりません。そこで私なりに考えているうちに、メルロ・ポンティ著『眼と精神』の中の「心理的硬さ」を思い出しました。その一部分を引用してみます。…「心理的硬さ」とは、「物とか人物を検討するばあい、相互に符合しないような特徴はなかなか認めたがらず、ものを述べるにも、つねに単純で断定的で結論的な見解に達しようとする人の態度…/「硬い」幼児は、自分の二重な態度に気づかず、往々にして、自分の望まないおのれの部分を外部に投影しがしち…/自分が望んでもおらず、むしろ恥ずかしく思っているおのれの部分を投影する…/自分の中に極端に激しい葛藤を持ちあわせている被験者こそが、まさに、外的事物をみるばあい、特殊で両義的・相克的・混合的な性格の状況があることを認めたがらぬ人…/彼が感情的に両極的であればあるほど、ますます彼は事物やその視像の中に両義性があることを認めまいとする…/感情的両極性こそ、知的両義性の拒否を要求する当のもの。上記の「心理的硬さ」をこの事件と結び付けていいかどうかわかりませんが、他者を受け入れる事は自分の中の両義性を見つめる事のような気がします。『一般言語学第二回講義』は、翌年1909/1/11、第1回となります。

2016年7月21日
 先日永六輔が、続いて大橋巨泉が亡くなり、「昭和」が終ったと言われていますが、「昭和」とはどんな時代だったのだろうと思っています。「昭和」を映し出す展示品のある場所に行き、懐かしさを覚えるとはいえ、「昭和」とはどんな時代だったのか、永六輔や大橋巨泉で終ってしまった「昭和」とは何かを考えています。 『一般言語学第二回講義』の12/21、第9回を掲載します。今回は、形態とは何か、文法とは何かを説明しています。その論はいずれ第三回講義に繋がります。

2016年7月8日
 
数日前から蝉が鳴き始め、いよいよ夏の到来を感じます。「時々雑録」、第5回目の「Lascia qu'io Pianga」をお届けします。

2016年7月2日
 『境界の詩歌』の著者・内藤恵子氏へ感想文がよせられましたので、掲載します。本へのお礼と著書の感想なのですが著者と同年代の方が書く文体が今の時代とかなり違っていることに新鮮な驚きを感じます。また、その時代にどのような書物が読まれていたかがわかり、面白いことです。

2016年6月16日
 『一般言語学第二回講義』の12/21、第8回を掲載します。ソシュールは、「話す主体」ということばを何度も確認するように語っていますが、そのもっともわかりやすく言い換えている箇所は、今回引用しました『存在するものとは、感じられているもののことです』という箇所です。ソシュールが、“発話/言語体系を、「瞬間凍結」されたもの”とみなし、“発話/言語体系を物象化=物神化してしまった”と批判する人もいます。しかし、それがまったく間違った見解であることが、今回の引用部分でもわかると思います。

2016年6月6日
 小雨降る夕暮れ時、一軒の家の玄関先に薄紫色の百日草が植えられた鉢が置かれていました。暗がりの中にほのかに浮かびあがる百日草。確かに薄紫のあじさいも雨の夕暮れ時に似合います。どうしてもその色の百日草がほしくなり、あちこちの花屋さんに聞いてみましたが、そのような色の百日草はないと言います。ところが、一軒の花屋に同じ色の百日草が売られたのです。店の人に聞くと、色は作り手の好みで作られるだが、薄紫色の百日草は珍しいとのこと。早速数鉢買って、プランターに並べましたが、暗闇が迫る夕暮れにほんのり浮かび上がる薄紫は、百日草という名前とは裏腹に、なんともはかなげです。『時々雑録』第4回は、「マリオネットによるオペラ『リナルド』です。マリオネットが子どものものばかりと思っていたのですが、このようなものもあるのかと思いました。

2016年5月19日
 桜の、心がざわめく季節が終り新緑が落ち着きを取り戻し、爽やかな風が快さを運んでき、木々がゆらゆらと揺れています。そんな季節もつかのま、梅雨はすぐそこにしのびよってきています。『一般言語学第二回講義』の12/21、第7回を掲載します。

2016年5月6日
 『時々雑録』第3回は、国立民族学博物館で開催されている特別展『夷酋列像」(いしゅうれつぞう)』です。「蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界」という副題がついています。大変面白そうですが、残念ながら、5月10日でこの特別展は終りだそうです。

2016年4月9日
 桜はどこでどのように咲いていても美しい。先日、背割堤に桜を見に行きました。八幡市と大山崎の間を流れる淀川は、桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となっって大阪湾に流れます。その合流地点を三川合流といい、天王山や向いの石清水八幡宮のある男山からその姿がよくわかります。その内の二本の川の間に、象の鼻のように長く延びた堤を背割堤といい、桜のトンネルが1キロほど続いています。堤の少し下がったところの遊歩道から長く続く満開の桜を見あげるのもすばらしい。遥かに見える天王山に、うっすら淡い桃色にところどころ染めているのは、景色を彩る傍役の桜。そして、桜が散りはじめると、山はまぶしい緑に染まります。『一般言語学第二回講義』の12/21、第6回を掲載します。

2016年3月22日
 
そろそろ桜が開花の季節。丹波では、枯れ木にほんの一つ二つとの白い花をつけていました。遠くから見ると、小さな紙切れが引っ掛かっているのではないかと思うほど、目立たなくひっそりと。今回の『時々雑録』は、現在松本市美術館で開催されている『草間彌生 魂のおきどころ』についてです。

2016年3月4日
 3月に入り、日ざしに暖かさを感じるようになりました。梅が咲き、もくれんの蕾はいまや弾けそうに、時を待っています。『一般言語学第二回講義』の12/21、第5回を掲載します。

2016年2月22日
 ソシュールは1913年2月22日に亡くなりました。22日はソシュールの命日に当たります。師の没後の1916年には弟子であるセシュエ、バイイが編纂したソシュール著『Coursdelinguistique generale』がパイヨ社から刊行されました。ちょうど100年前のことです。ソシュール自身が書き残した纏まったものはほとんどなく、『Cours de linguistique generale』は、ソシュール死後、セシュエとバイイが、講義に臨んだ生徒たちから聞いたり、講義記録ノートを参考にして纏めたものですが、ソシュールの言語理論として世界に広まり、日本では1928年に小林英夫訳の『言語学原論』(のちに『一般言語学講義』)として刊行されました。しかし、そのまとめ方に疑問を持ったのが小松英輔氏です。小松氏は、直接生徒たちの講義ノートを掘り起こし、パーガモン社から『PREMIER COURS DE LINGUISTIQUE GENERALE』『DEUXIEME COURS DE LINGUISTIQUE GENERALE』『TROISIEME COURS DE LINGUISTIQUE GENERALE』として、英語の対訳をつけて刊行したのです。 その経緯と内容の詳細は、小松英輔著『もう一人のソシュール』に書かれています。また、弊社は上記の三講義を日本語に訳しました。出版案内からご参照下さい。

2016年2月17日
 新しいゲスト・飯沼万里子さんに『時々雑録』という題で寄稿していただくことになりました。専門は英文学。特に17世紀の英文学に精通しています。ソシュール『一般言語学第一回講義』では、多くの助言をいただきました。文学ばかりでなく、絵画・劇・音楽など多彩な趣味をもたれ、特に文楽には造詣が深く、大阪にある国立文楽劇場に毎年数回足を運ぶほどの文楽ファンです。興味深い話をたくさん聞かせていただけそうです。左の『時々雑録』の欄をご参照下さい。

2016年2月3日
 『一般言語学第二回講義』の12/21、第3回を1月15日に掲載しましたが、お知らせが遅れました。申し訳ありません。今回、第4回をお送りします。ソシュールの迷いながら講義を進めていく姿に共感を覚えます。

2016年1月15日
 この17日で、阪神淡路大震災から21年になります。午前5時46分で止まったままの我が家のステレオ内の時計は引っ越しの時に消えてしまいましたが、17日が近づくと、大きな揺れに跳び起き、茶ダンスから転げ落ちてこなごなになった数個のコップをまたぎ、玄関の重いドアを開けたのを思い出しました。非常時、避難口は玄関しかありませんので、日頃から脳裏に浮かべていた咄嗟の行動でした。踊り場には誰も出てきていません。それから、何が起こったかを見るため、ベランダへ回ったのですが、暗闇の中の向いの棟に明かりが1つ2つぼんやりともっているばかりでした。その明かりは、なんとなく不安げでしたが、あまりにも静かでした。何もなかったと安堵して床についてしばらくすると、東京から心配げな電話がかかり、テレビをつけると神戸の町にもくもくと上がる黒い炎が映し出されていて、ようやくことの重大さを知りました。まもなく、電話が通じなくなり電車も止まったまま、外からの情報はテレビのみ。ひたすらテレビを見ていました。人のためにたいしたことも出来ずにいた自分をいつも反省していますが、そのような非常時に咄嗟に何ができるか…。非常時を日頃考えておけばいいのか、考えています。

2016年1月1日
 明けましておめでとうございます。昨年は、戦後70年ということで「戦争」に関するニュースが多く報道され、話題になりました。多くの人がこの70年間日本が平和であったことを感謝したと思います。しかし、一見穏やかに見えた「平和」という海も、その底には激しく渦巻いているところもあり、それが大きなうねりとなって海の表面に現れ出る気配を感じさせることもありました。海の底深くまで穏やかであることを祈りたいと思います。

2015年12月30日
 とうとう年の瀬という慌ただしい気分になってきました。街に出て、店の棚に並んだおせち用の品を見ると、驚くほど高くなっています。簡素をモットーに生きてきたのですが、モットーではなく、そうせざるを得ないのを痛感しました。弊社は、来年、新刊書として、「生涯発達」関連の、幼児に焦点をあてた1册を出す予定です。まだ、タイトルは仮題にすぎませんが、幼児と接する大人達がどう向かえばいいのかを問う内容となっています。来春刊行の予定ですが、ご期待下さい。『一般言語学第二回講義』の12/21、第2回を掲載します。

2015年11月26日
 先日、友人から滋賀県膳所の義仲寺再建にまつわる「義仲寺昭和再建史話」をいただきました。あちこちの寺を尋ねていると、かろうじて存在しているという寺を目にします。一体どのように維持されているのか気になっていました。義仲寺には、源義仲の墓所だけでなく、芭蕉の墓所もあるそうです。寺が甦るにはそれなりの理由があるようですが、国の重要文化財などに指定された仏像などがあったり、桜・紅葉の名所となれば、世間の注目も集まり、人が多く訪れ、それなりに潤っています。以前訪れた事のある高月の大円寺では、戦国時代、村の人々が兵火から千手観音様を守るために近くの川に沈めて隠したとか。戦さも終り、観音様を元に戻したが、泥だらけであまりにお気の毒と思った村人たちが、きれいに洗ったために、国の重要文化財には指定されなかったと聞きました。木の素材が現れた、比類のない美しい観音様に思えるのですが……。『一般言語学第二回講義』の12/21、第1回を掲載します。

2015年11月7日
  内藤恵子著『境界の詩歌』の感想がドイツから送られてきました。翻訳を心掛ける人は、その難しさを実感し、苦労に共感するようです。左の「出版案内」をクリックし『境界の詩歌3』頁をご参照下さい。

 2015年11月6日
 「図書館」で思い出すのは、ソシュールを訳す時に頻繁に利用したことです。近くの小さな図書館には、不思議と分厚いギリシャ語辞典、古典ギリシャ語辞典、ラテン語辞典などがあり、ずいぶん参考になりました。世田谷の小さな図書館は、献本だと思いますが、古い辞書や年代物の言語学関係の本が揃っていて、ここも随分利用しました。もちろん、それでは十分でなく、公共図書館から紹介された、ソシュール資料の揃った大学図書館にも通いました。公共図書館に、私が必要とするすべての資料が揃っていたら、もう少し時間を割くことも出来たと思います。しかし、手元に置いておきたい本、夜中でも本棚から取り出せる本は買うことにしています。本に囲まれていると不思議と落ち着きます。『一般言語学第二回講義』の12/17、第6回を掲載します。

2015年10月21日
 先週、東京で行なわれた「全国図書館大会」の中の「出版と図書館」という分科会に出席しました。出版社から見た図書館、図書館側からの現状の話。出版社として、また図書館利用者として、これからの図書館のあり方を考えるにはとてもよい機会でした。公共図書館から民間企業への委託が試みられる昨今、多くの公共図書館が変っていかなければという姿勢が見られるのですが、思い切った変化を成し遂げた図書館では、蔵書に偏りがあり決して利用者が満足いくものではないという所もあるようです。図書館が今までのようにただ並べておくだけではなく、多くの利用者が活用できる図書館でありたいとの姿も見えました。そのような図書館の条件として、司書の能力も問われるということでしたが、予算が不足している地方の公共図書館では、専門ではないアルバイトに頼らざるをえない現実もあるようです。一体理想的な図書館とはどんな図書館だろうと考えています。『一般言語学第二回講義』の12/17、第5回を掲載します。

2015年10月1日
 秋、あちこちで運動会の黄色い声援と軽快な音楽が流れて来ます。ついつい我もと走ってしまうような弾んだリズム。夜になると、虫がすぐそばで鳴いています。田んぼは稲刈りが真っ盛りです。『一般言語学第二回講義』の12/17、第4回を掲載します。

2015年9月10日
 今回の大雨・洪水による被害では、関東、東北の方々にお見舞い申し上げます。『一般言語学第二回講義』の12/17、第3回を掲載します。

2015年9月2日
 昨日は防災の日でした。子どもの頃、小学校の秋の始業式には、必ず防火訓練をしました。前にのばした左腕に右手をかけ、前後に列を組んで、校庭に出たのを思い出します。しかし、私の防災日は1月7日です。その日はパックの中を点検します。近くの小学校では、小学生だけでなく自治会の人たちも手伝って井戸掘りをしました。長岡京には山からのきれいな水が地下を流れているそうです。サントリービールが大山崎の水を発見したのも美味しい水が出るからです。『一般言語学第二回講義』の12/17、第2回を掲載します。

2015年8月26日
 秋の知らせを告げる「ひぐらし」が鳴くようになりました。あまりの暑さにクーラーなしではいられなくなってしまいましたが、やっとクーラーから解放されると、ほっとしています。 『一般言語学第二回講義』の12/17、第1回を掲載します。今回は、通時的なものと共時的なものとを分けることの意味が説明されています。二つを分けたことのソシュールへの批判もありますが、この頁を読めば理解できるのではないでしょうか。

2015年7月29日
 『一般言語学第二回講義』の12/14、第4回を掲載します。前回と同じく、事例によって説明する箇所が多くありますが、省略してしまいました。理解しにくいところも多いかと思いまが、本文をご参考下さい。

2015年7月10日
 
『一般言語学第二回講義』の12/14、第3回を掲載します。事例など省略してわかりにくいところも多いかと思います。本文をご参考にして下さい。

2015年6月18日
 
『一般言語学第二回講義』の12/14、第2回を掲載します。事例は省略しました。

2015年6月10日
 
『琉球諸語の保持を目指して』(ココ出版)、二章『「言語」と「方言」――本質主義と調査倫理をめぐる方法論的整理』に、ソシュールの言語論が参考にされています。詳細は、『一般言語学第三回講義 増補改訂版』の頁に一部ですが掲載しました。左欄の「出版案内」からご覧下さい。

2015年6月8日
 関西は梅雨に入りましたが、天気のよい日があったり、気温の低い日があったりして爽やかな日があり、ジメジメした不快感がないのが救われます。『一般言語学第二回講義』の12/14、第1回を掲載します。“共時的なもの”“通時的なもの”の説明に入ります。

2015年5月20日
 五月晴れということばが良く似合う季節です。梅雨、猛暑の夏の前のひとときを味わっています。 『一般言語学第二回講義』の12/10、第4回を掲載します。「価値」の問題が出てきました。「価値」を一言で説明することは難しい事ですが、講義の中で読みすすめていくと少しずつ理解できてくると思います。

2015年5月7日
 昨日、一人の読者の方から電話がありました。『一般言語学第一回講義』の在庫はなくなったのかという問い合わせでした。ご自分はすでに求められているということですが、あるネットショップでは在庫切れとなっていて、絶版を心配されたようです。よい本なので頑張って、という励ましのお言葉でした。その方は英語学、言語学が専門で、弊社の3回にわたる『一般言語学講義』が一番わかりやすいと誉めて下さいました。不躾と思いお名前をお聞きしませんでしたが、ここでお礼を申し上げます。 弊社の本は、大型書店の棚に並べられています。またネットでも注文できます。しかし一部のネットショップで仕入れが滞っているようです。その場合は弊社に、お電話、Fax,メールでご注文いただければすぐお送りします。お振込方法など詳細は、お手数ですが左欄の『本のご注文』の頁をご参照下さい。 『一般言語学第二回講義』の12/10、第3回を掲載します。

2015年4月28日
 『一般言語学第二回講義』の12/10、第2回を掲載します。ソシュールの言う通時性と共時性という二つの視点がここで説明されるのですが、その二つを分けてしまう事にとても苦悩しているのがわかります。

2015年4月17日
 『一般言語学第二回講義』の抜粋は、日付けが変わり、12/10になります。その第1回分を掲載します。パトワのノートはほぼ同じ内容なので省略します。

2015年3月27日
 
『一般言語学第二回講義』の抜粋、12/7の第7回分を掲載します。前回と同じく「同一性」を語っている箇所ですが、今回はリードランジェと同じく講義に出席したパトワのノートの「同一性」を記載した箇所も掲載しました。

2015年3月20日
 先日東京から来た友人と鴨川のほとりでお弁当を広げたとたん、バサッという音とともにさっと姿を消した黒い影。頭上を見上ると、何羽ものとんびが大きくうねりながら旋回しています。そう言えば、御所のベンチでおにぎりを口に入れかけたとたん、とんびに持って行かれたという話を思い出し、友とあわててお弁当を挟み込むように隠しながら食べました。京都では、外で食べる時はとんびが狙っています。用心して下さい。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第6回分を掲載します。「同一性」の問題は難しいところです。

2015年3月7日
 
京都府が東日本大震災後、福島からの避難民を受け入れた事で、その人々を支援するNPO法人「和」や、「ほっこり通信」をご紹介しました。支援はイベントという形で何度も行なわれていますが、今回「キッチン和」で行なわれた交流は、「和」や「ほっこり通信」の活動だけでなく、スタッフ各々が行なっている活動の報告でした。話を聞いて特に印象に残ったのは、彼らが、自分の生活を守りながら、自分のできる範囲の支援をする、ということでした。役にたちたい、けれど何もできないと悩みながら参加し、小さな事かもしれないがこれなら自分も出来そうだと安心したお母さんもいました。報告は、リンク頁から知ることができます。

2015年2月12日
 立春を過ぎて階下の満開のろうばいの匂いが風に快く舞っていますが、相変わらず厳しい寒さが続いています。インフルエンザも猛威を振っています。道端に芽を出し始めたつくしを見ながら、ひたすら春を待っています。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第5回分を掲載します。  

2015年1月19日
 今回のフランスのテロ事件に関して、「言論の自由」ということがどういうことかを考えさせられました。確かに言論の自由は守らなければいけないと思いますし、反対を唱えるための手段としてのテロ行為は絶対許されません。しかし、「風刺画」には違和感を持ちました。風刺画とは、思わずクスクスと笑ってしまうユーモアがなければいけないのではないでしょうか。それが欠けているだけでなく、その人達の信じている神を侮辱し、彼らを侮蔑しているのです。フランスは多くの異文化をもつ人達を受け入れて来たはずですが、あのような事件で、異文化、他者を排斥していくのではないかと案じています。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第4回分を掲載します。

2014年1月1日
  明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。今年は、高木和子著:『「生涯発達心理学」が必要とする新しい「発達 の概念一大人の発達を記述する視点の提案一』(仮題)を発行予定です。

2014年12月22日
 先日「徹子の部屋」に招待されたある女優が二人の娘(上は3才ぐらい、下は1才半)の話をしていた。下の子は『プカプカプー』としか言えない。母親は何を言っているのかわからないが、上の娘にはわかるらしく、「今怒っているんだよ」と通訳してくれるという。下の子が自分の意志を伝える音の出る「言葉」がたった一つ、『プカプカプー』なのだが、それがいろいろな意味(数えるほどだと思う)になるというのはどういうことか。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第3回分を掲載します。

2014年12月2日
 今年は、紅葉がことのほか美しく、また暖かく、秋がいつまでも続くのではないかと思っていましたが、 師走に入ったとたん、冬の景色になりました。色鮮やかだった桜、銀杏、かえでの葉は、冬支度に忙しい木の枝に見捨てられたようにソシュールは「それぞれの社会は、同じ言語(ラング)を持っていません」と言っています。自分の話す〈言語〉が「共通語」(「標準語」)であり、日本全国どこでも使えて(と思い)、無意識に使用していることが多かったのですが、それが異〈言語〉だと思わされる時がしばしばあります。まずは関西に来た時です。「標準語」が普及しているためか、周囲の人達は私が話す〈言語〉に合わせてくれているので、不自由なく、無意識にまた、無自覚に会話を交わしていましたが、時折、不快な顔をする人がいるのに気づきました。『言語』を考えるようになって、私の話す〈言語〉は「標準語」であり、周りが私に合わせてくれているが、威圧的で高飛車な〈言語〉だと受け取ってるのではないかと感じるようになりました。それを思わせる時がありました。福井から京都へ帰る電車で隣にいた人と話した時です。その人とは旅の話をしていたのですが、突然「関東の人でしょう」と少しとがめるような口調で言って、「自分は芦屋に住んでいる」と言いました。その人は決して「関西ことば」で話していたようには思われませんでしたが、突然そのように切り込まれると、私の〈言語〉がこの関西とは違って、きっと威圧的に思ったに違いない、と逆に私自身が緊張してしまいました。もっとも私の話す〈言語〉は決して「標準語」でないことは、時々周囲に指摘される音便の使い方、イントネーションでわかります。しかし、ここ関西では〈中央言語〉である「標準語」なのです。といって、東京へ行って、電車の中で、若者特に高校性の言葉を耳にすると、ぽんぽん叩かれるような威勢のいい、こちらが畏縮するようなリズムで、異〈言語〉に囲まれている事を意識せざるを得ません。ところで北陸線の電車の隣席の人が言った「関東の人」と一括りにするのも間違いだと思います。北関東の群馬と栃木(母は栃木生まれで、私の〈言語〉には栃木の〈言語〉が混ざっています)、茨城、また埼玉も横浜も〈言語〉が違います。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第1回分を掲載します。

2014年11月14日
 ソシュールは「それぞれの社会は、同じ言語(ラング)を持っていません」と言っています。自分の話す〈言語〉が「共通語」(「標準語」)であり、日本全国どこでも使えて(と思い)、無意識に使用していることが多かったのですが、それが異〈言語〉だと思わされる時がしばしばあります。まずは関西に来た時です。「標準語」が普及しているためか、周囲の人達は私が話す〈言語〉に合わせてくれているので、不自由なく、無意識にまた、無自覚に会話を交わしていましたが、時折、不快な顔をする人がいるのに気づきました。『言語』を考えるようになって、私の話す〈言語〉は「標準語」であり、周りが私に合わせてくれているが、威圧的で高飛車な〈言語〉だと受け取ってるのではないかと感じるようになりました。それを思わせる時がありました。福井から京都へ帰る電車で隣にいた人と話した時です。その人とは旅の話をしていたのですが、突然「関東の人でしょう」と少しとがめるような口調で言って、「自分は芦屋に住んでいる」と言いました。その人は決して「関西ことば」で話していたようには思われませんでしたが、突然そのように切り込まれると、私の〈言語〉がこの関西とは違って、きっと威圧的に思ったに違いない、と逆に私自身が緊張してしまいました。もっとも私の話す〈言語〉は決して「標準語」でないことは、時々周囲に指摘される音便の使い方、イントネーションでわかります。しかし、ここ関西では〈中央言語〉である「標準語」なのです。といって、東京へ行って、電車の中で、若者特に高校性の言葉を耳にすると、ぽんぽん叩かれるような威勢のいい、こちらが畏縮するようなリズムで、異〈言語〉に囲まれている事を意識せざるを得ません。ところで北陸線の電車の隣席の人が言った「関東の人」と一括りにするのも間違いだと思います。北関東の群馬と栃木(母は栃木生まれで、私の〈言語〉には栃木の〈言語〉が混ざっています)、茨城、また埼玉も横浜も〈言語〉が違います。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第1回分を掲載します。

2014年10月25日
 やっと秋になってほっとしています。といっても、「秋」ってなに?と、今さらながら簡単に使っていることに戸惑いを感じています。あの恐ろしいほどの暑さが消え、涼しく、凌ぎやすくなったから、空が澄んでいるから、虫が鳴き始めたから(といっても、とうに虫は鳴くのをやめ、空も雲で覆われています)、木々が色付き始めたから、ということでしょうか。しかし、確実に「秋」を感じています。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第7回分を掲載します。

2014年10月6日
 
台風18号が猛威をふるっていますが、被害が大きくならないことを祈ります。先日に引き続き、内藤惠子著『境界の詩歌』への批評を『境界の詩歌 3頁』に掲載します。ご覧下さい。

2014年10月4日
 『ほっこり通信 from Kyoto』については2012年にすでにご説明し、リンク頁からもその詳細を見ることが出来ますが、その福島の避難家族のお母さんが働ける場として京都七条通りに、レストラン&カフェ『キッチンnagomi』をこの9月にリニューアルしたということで、早速出掛けていきました。折しも、支援者の中心になっている人がいらしていて、避難先の京都での苦労や震災で突然変わってしまった人生をおくっている家族のことを話してくれました。店は京都の民家をリフォームしたということですが、太い梁が見える天井の高い二階は広い和室になっていて、小さな子連れのお母さん達が気兼ねなく食事をたのしめるようなスペースになっています。避難者は「ここ京都に永住すると決意した人」「帰りたいと思っている人」「まだどうしていいかわからない人」といて、それでもともかく子どものためになんとかしたいと思っている人ばかりで、たとえ生活できるほどの収入でなくても働き口があることで支えられ、前向きになっていく人に、ほっとするとその支援者の方は言っていました。『キッチンnagomi』のHPは、リンク頁を参考にして下さい。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第6回分を掲載します。

2014年9月15日
 内藤惠子著『境界の詩歌』への批評が送られてきました。「出版案内」の『境界の詩歌 3頁』からご覧下さい

2014年9月13日
 友人に誘われて、「ミクロポディウム」を見に行きました。ミクロポディウムとはハンガリー語で「小さな舞台」という意味だそうです。ハンガー人の人形遣いがたった一人で、手のひらにのるような小さな人形を音楽に合わせて暗い舞台で操るのですが、人形は息を吹き込まれたかのように、舞台の上で、手や脚を自在に、しなやかに、曲げたりのばしたりして、躍ります。表情のなかった顔は、たちまち喜び、悲しみを表し始めます。後ろで操作する人形遣いは黒い服に身を包み、暗闇の中に埋没し、まるで文楽の黒子のようです。しかし、彼は黒子とは違って、操っている手だけは隠さず、わざわざ見せているそうです。それは、人形を通して、操っている自分と観客を結びつけたいという思いからだとか。しかし、私は、音楽に陶酔してたった一人で躍っている人形の、妖艶で孤独な姿に魅入っていました。

2014年9月3日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第5回分を掲載します。

2014年8月20日
 関西は再度大雨災害にみまわれました。京都市内でも大変だったようです。テレビを見る時にはどこでどのような警報が出ているかを気にするようになりました。日頃よく通る小さな川沿い、山の斜面に建っている住宅を思い浮かべ、大丈夫だったかと案じる毎日です。長岡京市では二つの川が淀川に流れ出ていますが、昔はよく氾濫したようです。大雨というと、西の山から溢れ出た水がどんな風な道を辿って流れて行くか想像でき、あの住宅地は大丈夫だろうか、あの土手は、あのガード下は、あの裏山にはほんの小さな流れがあった、池もあったと心配したり、あの地区は大丈夫だろうと市の職員でもないのに、あれこれ考えたりしています。いつものように、『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第4回分を掲載します

2014年7月29日
 
この10日ほど、回線の不具合でインターネット、メールが出来ませんでした。御迷惑をおかけし申しわけありませんでした。インターネットをいつも利用していたものですから、本当に不便でした。手持ち無沙汰の毎日でしたが、慣れると他のことに時間をうまく使うようになりました。とはいえ、今日、回線工事が無事終了し、メールが届き、インターネットが出来るようになって、こんなにうれしいことはありません。遅くなりましたが、『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第3回分を掲載します。

2014年6月19日
 
近くの川にホタルが戻って来ました。かつては、田んぼにも小さな水辺にもホタルが飛びかっていました。夜更けに見に行き、ついでに一匹、手のひらに包んで、蚊屋の中に放し、そのぼんやりとした光をしばらく楽しみましたが、そのはかなさにあわれを感じ、しばらくしてもとの田んぼに返しにいきました。田んぼは宅地になり川は汚染され、ホタルを見ることもなくなったのですが、川をきれいにする努力が実を結び、2、3年前からこの時期にホタル鑑賞の夕べが催されるようになりました。しかし、小さくなった田んぼにはもう姿を現わすことはありません。同じく、地を揺るがすような鳴き声の牛蛙もまったく聞こえません。どこに行ってしまったのか。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第2回分を掲載します。

2014年6月2日
 6月始めというのにとうとう京都では30度を越えてしまいました。道路の照り返しの中、ひっそり静まり返った住宅地を歩いていると、窓が少し開いていて、簾の中でひっそり暑さに耐えている人の気配を感じます。いよいよ夏の始まりです。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第1回分を掲載します。

2014年5月14日
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、11/30の第5回分を掲載します。

2014年4月26日
 JR長岡京駅前の建物で「本当のフクシマ 写真展」が催されました。福島原発事故から3年が経過。しかし74人の小児甲状腺がんの発症が伝えられているそうです。健康被害はこれからも拡大されるのではないかと危惧し、フクシマの現実と原発事故の避難者の声を伝え、政府にこのような健康被害の現実を認めさせ、希望するすべての人に放射能健康診断の実施等の必要な政策をとらせるという目的で「放射能健康診断100万人署名運動京都実行委員会」が写真展をこの小さな町でも行なったということです。子供たち、孫たちの未来を考え、また、関西の北部にある原発が万一事故になった時のことを考えると、原発再稼働に危機感を持っていましたので、この写真展で危機感はさらに大きくなりました。微力だとは知りながら、見に行き、説明に耳を傾ける事で同じ気持ちであるという姿勢を示せたのではないかと思います。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、11/30の第4回分を掲載します。

2014年4月4日
 桜が満開になり、風が心地よく感じられる季節にようやくなりました。桜の木の、特に老木の威厳のある姿には圧倒されます。あちこちの枝が朽ち果て、ぼろぼろに傷付いた老体が残る枝を必死に支えてあでやかな可憐な花々を空一面に咲かせている姿は、華やかであると同時にあわれを感じさせます。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、11/30の第3回分を掲載します。

2014年3月11日
 3年前の今日、午後2時46分、パソコンに向っていた時、奇妙な揺れを感じ、天井の蛍光灯から下がっている紐を見上げると、紐が無気味に右に左に揺れています。ただ事ではないと思い、別部屋に向い、あわててテレビを付けますと、叫ぶようなテレビ局の人の声と同時に東北三陸沖を震源とする大地震の映像が流れていました。まもなく白いしぶきをあげて沖合いから押し寄せる津波。みるみるうちに船を海岸の樹木を家を車を飲み込んで、押し流していく光景が映し出されました。東北に大地震、津波が襲い原発事故が起って3年が経ちました。阪神淡路大地震から19年、関西では大地震がないという過った知識での安心感は1995年1月17日の朝方に襲った大地震で覆され、それ以来少しの揺れにも敏感になっていましたので、蛍光灯の紐の揺れを地震の合図にしていたのです。しかし、まさか東北の地震の揺れがこの関西で感じるとは思ってもいませんでした。淡路、神戸は完全とはいえないまでも復興しましたが、それは東日本大震災に比べると災害地の範囲が小さく津波もなく原発事故もなかったからだと思います。いまだ復興がままならない東北に一日でも早く復興が叶えられますよう願っています。

2014年2月10日
 大雪に見舞われた東京。ニュースで雪道で足をとられて怪我をしそうな人を見ると、思わずわが事のように声をあげてしまいます。女性は長靴では仕事は出来ない、また通勤には電車などの利用で長靴は鬱陶しいということでどうしてもヒールをはいて出勤してししまいますが、私も駅までのほんの少しの雪道を普段の数倍の時間をかけて歩き、結局靴を一足だめにしてしまうことが多々ありました。しかし、転んで捻挫とか腰を打ったという話をよく聞きました。お気を付け下さい。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋は、11/30の第1回分を掲載します。

2014年1月21日
 毎日寒い日が続いています。天気予報を見ると、日本海側はいつも雪だるまマークですが、京都南西部、特に長岡京市は比較的温暖で、雪が降る事はめったにありません。しかし、一昨日、朝窓を開けたら、道路も木も車の上も真っ白でした。昼近くにはもう溶けてしまっていましたが。 大雪に見舞われた地域の苦労が大変なものだと思います。屋根の雪下ろしを見ていますと、積もらない屋根あるいは瓦はないものかと考えてしまいます。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋は、11/26の第3回分を掲載します。

2014年1月1日
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

2013年12月28日
 今年もあと数日となりました。今年中と思っていた新刊が間に合いませんでしたが、来年は刊行できるように頑張りたいと思います。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋は、11/26の第2回分を掲載します。

2013年12月6日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、11/26の第1回分を掲載します。なお、講義記録にはリードランジェのノートばかりでなく、ゴーチエ、ブシャルディのノートからの引用も含まれていますので、抜粋の箇所もリードランジェだけでなく、他2人の生徒のノートも含まれています。

2013年11月6日
 立命館大学名誉教授であった西川長夫氏が先月28日にお亡くなりになりました。拙著『ソシュールのパラドックス』の第2部の『「日本語」を再審する』では共感して下さり、氏の『戦争の世紀を越えて』(256頁)に「日本語教育について私が最も大きな示唆を受けた文章」と誉めて下さいました。また『一般言語学第三回講義』の訳の下書きを読んで戴いた時は、名もない私どもの訳と刊行への挑戦を喜ばれ、「―解題として―甦るソシュール』を書く事を快く引き受けて下さいました。残念ながら『一般言語学第三回講義』の初版・再版は絶版となり、増補改訂版では頁数の関係で掲載できませんでしたが、西川氏の最後のご著作『植民地主義の時代を生きて』(平凡社)の著作目録(591頁)に、[2003年]として掲上されています。氏のお言葉にどれほど勇気づけられたかわかりません。ご冥福をお祈りします。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、11/23の第4回分を掲載します。

2013年10月17日
 空は冴え渡り、ようやく「秋」という季節になりました。せっかく猛暑の夏から秋を迎えた今になって台風が各地をかき回しています。被害を蒙られた地域の人々にはお見舞い申し上げます。少し遅くなりましたが、『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、11/23の第3回分を掲載します。

2013年9月24日
 台風18号は「いままでに経験しなかったような」被害を京都にもたらしました。「嵐山、渡月橋」がテレビで大きく映されましたが、その下流の、嵐山から続く桂川、宇治から流れる宇治川、木津から来る木津川、三川が合流する大山崎もあと一mほど水かさが増せば、氾濫して、福知山のように大きな被害をもたらしたにちがいありません。平安京の前に都が置かれていた長岡京は、川の氾濫が原因で平安京に遷都したと言われているようですが、川は人を呼び寄せ、集落を作る所でもありますが、一つの都市を消滅させ、人の移動を余儀なくさせてしまうということを思い起こさせてくれました。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、11/23の第2回分を掲載します。

2013年9月3日
 
9月1日、関東大震災の時の映像や体験をした人の話がニュースで取り上げられていました。その映像を見て、※『江東ふるさと文庫』3巻「古老が語る江東区の災害」の震災編の編集の手伝いをしたことを思い出しました。関東大震災を体験した人達の話をまとめたものです。    ※発行:昭和62年東京都江東区。 その時の人達の生々しい話で受けた印象を先日9月1日のテレビ映像で思い出しました。古老の話の中で今でも強烈に覚えているのは、「空飛ぶトタン板」。トタン板が竜巻のように舞い上がり、空気をきって急降下する。それが人を襲う。福知山の花火の時の露天の爆発事故も規模は違っても同じように悲惨なことです。どのような災害も本当に恐ろしいものです。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、11/23の第1回分を掲載します。

2013年8月12日
 残暑お見舞い申し上げます。暑さが厳しい毎日ですが、立秋の前日、ひぐらしが哀し気に一度だけ鳴きました。秋の知らせは早すぎたと思ったのか、その後鳴く声を耳にしませんが、昨夜はどこからともなくジージーと虫の声がささやかに鳴いていました。猛暑の中でも、秋はもうそこに来ているのでしょうか。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第13回(11/16分の頁では第3回)を掲載します。

2013年8月1日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第12回(11/16分の頁では第2回)を掲載します。

2013年7月10日
 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第11回(1908年11月16日から〕を掲載します。

2013年6月24日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第10回を掲載します。

2013年6月7日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第9回を掲載します。

2013年5月22日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第8回を掲載します。今回から日付けが変わり、〔1908年11月12日〕の授業ですが、第8回は、第7回に続けて同じ頁に掲載しました。

2013年5月5日
 
世界的なソシュール文献学者である小松英輔氏が長い闘病生活の後、昨日、逝去されました。御冥福をお祈り致します。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第7回を掲載します。

2013年4月17日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第6回を掲載します。

2013年3月25日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第5回を掲載します。

2013年3月14日
 『境界の詩歌』に読後感が寄せられました。今回は、特に第2部の「教育学的論考」や「女性学」についての内容に強い印象を受けたという感想でした。出版案内の「境界の詩歌 3」に掲載しました。

2013年3月7日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第4回を掲載します。

2013年2月26日
 
今日は2・26事件から77年目に当たります。事件の日、目の前で教育総監である父・渡辺錠太郎氏を殺された娘・和子さんが最近書かれた『置かれた場所で咲きなさい』の中の言葉は多くの人の心を打ちました。ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんについては、藤浪みや子がその著書『土の器 み旨のままに』(2002年12月弊社刊。婦人之友・昭和三十九年二月号からの転載)の中ですでに書いています。「カトリック系の大学で三十六才の若い女性学長、始めて誕生」というニュースに、婦人之友社の命で渡辺和子さんと会い、「“愛されるより愛す人に”二・二六事件で父を失った渡辺和子学長を訪ねて」という記事にまとめたものです。『土の器 み旨のままに』のご注文は、弊社へ直接お申し込み下さい。残部僅少ですので、在庫がなくなりましたら、お許し下さい。

2013年2月22日
 今日2月22日はソシュール没後100年目に当たります。しかし100年経っても、残された膨大なメモなどの多くはまだ未整理のままです。弊社刊行の『一般言語学第三回講義/増補改訂版』最終頁(282頁)に掲載しました「自筆講義メモ」のようなソシュール自身の思索過程がよくわかるメモが整理され、活字化されることを待ち望んでいます。また、神話、アナグラム等に関する自筆原稿が掘り起される日を心待ちにしています。

2013年2月18日
 JRで一区間の切符を買うと、その値段で琵琶湖一周できる大回りというシステムを使い、昨日、琵琶湖一周をしてきました。琵琶湖の東岸は東海道線や新幹線が走っていて、早くから開けた所ですが、西岸は比良山系などが湖岸に迫っているためか、鉄道の開発が遅れ、琵琶湖の北部に行く湖西線ができたのは1974年でした。しかし、それが幸いしてか、雄大な自然がすぐそばに見られます。特に比良駅までくると、西に比良山系が迫り、その雪景色は湖北まで続きます。山の幾重にもなった稜線は墨で一筆描きしたように波を打っています。湖西線が琵琶湖最北端の近江塩津駅に着くころには車内の人もまばらになり、土地の人が寒そうにマフラーに顔をうずめている姿に出合います。そこから北陸本線で南下し東岸の長浜を過ぎて、米原から東海道線を南に下ると、彦根、草津の町の人達が乗り込んで賑やかな車内になりますが、琵琶湖対岸の夕日に照らし出される雪の比良山系がはるか彼方に連なり、大自然をたった360円(一区間を往復買わなければなりませんが)で満喫することができてすがすがしい気持ちで帰路につきました。                    『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第3回を掲載します。前回(第1、第2回)同様、左の「ソシュール『一般言語学講義』のご紹介」からご参照下さい。

2013年2月1日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第2回を掲載します。(第2回は、同頁の第1回のあとに掲載しています。)前回(第1回)同様、左の「ソシュール『一般言語学講義』のご紹介」からご参照下さい。

2013年1月15日
 
『一般言語学第一回講義』に引き続き『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋を行なっていきます。第二回講義では、同じ日に行なわれた講義は同頁に少しずつ続けていきます。また、後半で掲載されているパトワの講義記録は省略します。日付けが変わった時には新しい頁を設けます。同じ日の講義が同頁に長く続く時もあり読みにくいかと思いますが、ご容赦下さい。左の「ソシュール『一般言語学講義』のご紹介」からご参照下さい。

2013年1月1日
  明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い致します。京都、大阪、神戸地区や東京の書店さん、大学生協さんには時々ご挨拶に行きます。しかし、他の地域の書店さんなどにはなかなかご挨拶に伺えません。申し訳なく思っております。弊社の書籍で、カバー・帯の色があせていたり、破損しているものがありましたら、どうか弊社に電話またはファックスでご連絡下さい。新しいものをすぐお送りします。また、ご購入されたお客さまも、気がつかれましたら、お手数ですがご連絡下さい。京都ジュンク堂BAL店がこの一月でビル改装のため、一時閉鎖されるそうです。弊社の本を贔屓にして下さっている方もたくさんいらっしゃいました。一時的とはいえ、とても残念です。ソシュール関係の書籍はジュンク堂京都店、大垣書店四条店、三条店、京都店、ブックファースト河原町店、京都駅アバンティ、にあります。どうかご利用下さい。『一般言語学第一回講義』に引き続き、『一般言語学第二回講義』の要約を再開します。

2012年12月4日
  先日、立命館大学人間科学研究所『育ちあいグループ』(立命館大学名誉教授高木和子氏)が主催する“「大人としての発達」における「育ちあい」「支えあい」”の講演会に出席しました。午前中は、東京の東久留米市の自宅を解放して、親と幼児が集える空間を作り、現在「わはは生活育児研究所」を主宰している浜名紹代氏の講演“子育てを楽しいものにするために”。午後は参加者達―司会:渋谷郁子氏(鈴鹿短期大学、臨床心理士)、コメンテーター:浅野敬子氏(至学館大学)・川島由里子氏(京都、ゆりかご保育園)、片山伸子氏(東京福祉大学)、吉本朋子氏他、などによる「これからの研究と視点の展開」という会でした。幼児に関わっている人達と接するのは初めての事で、現場というものがどんなものか、どんな問題があるのかを垣間見、その問題の解決の一助になるために力を注いでいる人達のなまの声を聞きました。参加者の共通するテーマは「育ちあい」、つまり子育てと同じように大人である親も育つ、育てられるという意識が大切ということでした。しかし、親が子どもに育てられているということを認識し受け入れるのは大変難しいことだとも思いました。

2012年10月25日
 去る10月20、21日に日本フランス語フランス文学会秋季大会が神戸大学で行なわれました。二日目の21日にはワークショップの一つとして「ソシュール没後100年・100年の言語学」をテーマに、コーディネーターに金澤忠信氏(香川大学)、パネリストとして、加賀野井秀一(中央大学:『思想史・言語学史上におけるソシュールの位置づけ(20世紀)』)、鈴木隆芳氏(大阪経済大学:『ソシュールの音声学と構造言語学の音韻論』)阿部宏氏(東北大学:『パンヴェニストのソシュール批判』)、最後に、『もう一人のソシュール』で序文を書かれた松澤和宏氏(名古屋大学:『Ecrits de linguistique generale(Gallimard,2002)の校訂上の問題点とソシュールにおける(順序)の問題』)が講演されました。

2012年10月24日
 事務所を下記に移転しました。〒617-0822 京都府長岡京市八条が丘 2-2-12-206 電話番号等は変わりません。Tel&Fax 075-955-8502 <cogito@mbox.kyoto-inet.or.jp>  http://web.kyoto-inet.or.jp/people/cogito/ インターネット接続が遅れました。大変ご迷惑をおかけしました。

2012年9月11日
 晩になると、虫の声が高らかに鳴き、ようやく秋、と頭では感じますが、昼の猛暑には皮膚の感覚が夏を告げています。虫の感覚と皮膚感覚が早く一致するように願うばかりです。小松英輔著『もう一人のソシュール』で序文を書かれた、ソシュール研究者である名古屋大学大学院教授の松澤和宏氏が「『一般言語学草稿』の校訂と注釈」という研究成果を発表されています。「1996年にソシュール自身の手による草稿が発見され、それ以前に発見されていた草稿と共に『一般言語学草稿』(ガリマール、2002年)が刊行された。しかしながらこの版は数多くの判読上の誤りを含み、50頁にのぼる草稿を無視している。本研究の目的は注釈を付した文献学的な校訂版を作成し、ソシュールの沈黙に関わる問題を検討することであった。すなわち、なぜソシュールは理論的体系の試みを放棄したのか、という問題である。本計画は、草稿の解読に伴う困難のために完全には実現できなかったが、草稿が我々に示すのは一般理論の構築の不可能性を表現しているもう一人のソシュールであることが明らかになった。」ソシュール研究の目的は「一般理論をめぐるソシュールの謎めいた沈黙のなかにひそんでいる〈思想の劇〉を厳密に復元することにある」ということです。そのため、「ソシュールの理論的考察に関する草稿の厳密な校訂版を作成し、クロノロジーに即して提示すること」ということです。いまだ掘り起されていない草稿が発掘され、新しいソシュール論が展開されればと期待しています。

2012年8月13日
 
オリンピックが終りました。年々開会式や閉会式のはでで贅を尽くした催しに、これからの開催国は限定されてしまうのではないかといやな気持ちでいたのですが、いつの間にか試合や会場の盛り上がりに引き込まれ、翌日放映される結果だけでは飽き足らなくなって、この数日間は一晩中起きて、試合の経過を一喜一憂しながら楽しみました。感動したシーンはたくさんあったのですが、もっとも感動したのは、「なでしこジャパン」のメダル授与に登場した選手達の姿です。前の選手の両肩に手をあて、ダンスでもするように進み、表彰台に立った時は隣と手を結んでウェーブをして観客への感謝を表し、喜びを共にする。その爽快さは、それまでの人並み以上の練習の苦労と金メダルを逃した悔しさを心の奥に仕舞い、銀メダルを素直に喜び、その喜びを応援者と共に分かち合うというしゃれた心遣いから出て来たものでしょう。かつては、オリンピック参加は「日本」という国を背負って立つという使命感と必ずメダルを獲得しなければという悲愴感が漂っていましたが、今は応援してくれた「家族・仲間・応援者」への感謝が溢れていました。一人ではなし得ないということを選手自身が知っていて、それが感謝の言葉になっているのでしょう。そうした姿に感動しました。 

2012年7月9日
 『ほっこり通信 from Kyoto』を編集している人と知り合う機会がありました。発刊した目的は、「放射能の不安を抱えている被災地に向けて、京都の避難情報を集めフリーペーパーにして提供することによって、被災者に京都の情報を届け、支援者とを結ぶ役割を果たす」ということです。今回3号には、避難された人達、特に母親の声、親子と支援者の絆を深める行事など、多くの情報が掲載されています。東日本はここ京都では遠く感じられますが、この通信誌を読むと、避難されている母親がどんな気持ちで、知らない土地で過ごしているか、少しですがわかります。詳細は以下のHPをご覧下さい。

http://ameblo.jp/hokkori-kyoto/entry-11135814872.html

2012年7月3日
 『ソシュールのパラドックス』を読んだ方から感想が寄せられました。該当頁に掲載しましたのでご覧下さい。

2012年6月27日
 先日ある会に出席しました。その時、一人の女性に強く引き付けられました。いつも黙ってニコニコしているその人が周囲がどっと笑うと、隣の友人にいぶかし気な顔を向けます。するとその人がすぐメモ用紙に説明を書きます。女性はうなずいて、うれしそうな顔をします。周りも話のおかしさにもう一度笑い出します。女性は、三年前に突発性難聴で左の耳が聞こなくなり、その後右の耳も少しずつ聞こえなくなっている。補聴器でなんとかわかる程度、ということを知りました。聞こえなくなってから手話を覚えようとしたそうですが、年で覚えるのにかなり苦労するということでした。補聴器の具合はどうかと聞きましたら、遠くの声も近くの声も同じように聞こえるため、ざわざわとした雑音のようであまり効果はないということでした。耳とは不思議なものだと思いました。私たちは、遠くの声は遠くに聞こえ、耳をそばだてれば誰の声か識別でき、何を言っているのかわかります。同じ言葉でも、調子が変われば何を意味しているのかわかります。耳の聞こえない友人を思い出しました。彼は子どもの頃耳が聞こえなくなったそうですが、口話法を覚え、口の動きを見て理解できるので、日常生活には不自由しないということです。目の前で対話する場合、意志の疎通は完全で、私も彼と話す時、耳が聞こえないと思ったことはありません。 一体、耳とはどのような構造になっているのでしょうか。耳と同じ効果をもつ補聴器が開発されればと思います。

2012年6月5日
 2日、同志社女子大学で行なわれたドナルド・キーン氏の講演『日本、京都への思い』を聞きに行きました。同大学内のアーモスト館開館80周年記念講演会ということで、同志社と縁の深いキーン氏が招かれたのです。『Poesie auf der Grenze』の著者内藤恵子氏は、キーン氏に献本したいと思いながら、ご住所がわからず手元に置いたままでした。今回の講演会を知った内藤氏がこの際に直接手渡しできればというので同行しました。しかし、キーン氏は、ご高齢のこともあり、講演が終わるとすぐ控え室にお入りになってしまい、秘書の方に著書を無事に託せたのは2.30分過ぎてからでした。 内藤氏も弊社もなんらかのご感想を頂けたらと期待していますが、どのような本でも感想をいただくのは本当に難しいことだとも知っています。

2012年5月12日
 『メールフォーム』頁にトラブルが生じ、メールでのご注文ができなくなりました。ご迷惑をおかけして申しわけありませんでした。『本のご注文』として作り直しました。エディット・パルクに直接ご注文の場合は、左記の『本のご注文』頁をご利用下さい。

2012年4月2日
 東京に住む友人が京都では桜はもう咲き始めたかと聞いて来ました。昨日すでに咲き始めたところもありましたが、多くはまだまだ蕾がかたいままでした。ところが今日、この暖かさに蕾も大きくふくらみ、今週末には咲き始めるのではないかと思うほどでした。もっとも地域によって開花の時期がかなり異なります。また友人は、MY桜があるかと聞きました。どこよりも家の近くに一本だけある大きな桜が一番好きだそうです。そこで私もそのような桜があるか思いだして見ました。雨に濡れて真っ黒なごつごつした幹に数枚のうす桃色の花びらを付け、見上げれば空に敷き詰められた花がそぼ降る雨に一枚一枚と散ってしまう桜を愛でるのがMY桜と気づきました。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第43回目を掲載しました。今回で『一般言語学第一回講義』の要約は終りです。

2012年3月19日
 今はどこに行っても梅が満開ですが、山の稜線に一本だけひっそり咲く枝垂れ梅は、誰に愛でられるわけでもないのに、健気に咲いていて、いとおしさもひとしおです。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第42回目を掲載しました。

2012年3月2日
 前回に引き続き、岡本夏木著『ことばと発達』について共感を覚えた箇所を引用します。というのも、対象が子ども/留学生と違いがあるにせよ、著者の言う問題の一つが拙著『ソシュールのパラドックス』の後半の「『日本語』を再審する」で指摘した問題と同じだったからです。岡本氏は二次的ことば獲得の過程での子どもの葛藤の一つに〈標準語〉の問題を挙げています。「児童期とは、子どものことばがおとな社会のことばにさらされ、それへの同化を強く求められる場ではなかろうか。」「二次的ことばでは、(略)文字言語の獲得が大きい役割をになってくる。子どもは話しことばと書きことばの二重言語生活者となる。」「子どもが二次的ことばの教育で要求されるのは、新しい用法や媒体だけでなく、子どもがそれまでに自己の中に育ててきた言語、すなわち母語とは異なった言語の使用を迫られてくる点である。「標準語」(最近は「共通語」ともいう)とよばれ、時には「正しい日本語」という衣をよそおって登場することばである。」「学校が求めてくる書きことばの教育とは、それまでの一次的話しことば(またはその発展したもの)を、新しく文字という媒体によって表現することを学ばされるのではなく、標準語という新しいことばを、新たに習得した文字によって綴ることなのである。」二次的ことばを学んで行く小さな心の中はどうなっているのかあらためて不思議さを感じると同時に、おとな社会の一員である私の無自覚を問わされているような気がします。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第41回目を掲載しました。

2012年2月14日
  岡本夏木著『ことばと発達』を読み、驚き学んだところが沢山がありました。幼児のことばには一次的ことばと二次的ことばがあり、前者は母親など身近な人と向き合い接して語ることば、後者は学校へ行って不特定の人の中で使うことばだと、著者はことばを発達の観点から二つの種類に分けて述べています。著者は言います。『二次的ことばの出発は、このように子どもによって程度の差こそあれ、そこには当惑や混乱をもたらすし、またそれを克服しながらこの新しいことばを行使してゆくためには、意識的な注意の集中と緊張や努力が強く求められてくる』『こうした子どもが直面する新しい課題性と、それに伴う困難やとまどいに、おとなたちはどれだけ気づいているのだろうか』と。私自身もこのような、多くの『子ども』が経験するであろう『苦闘』に気付いていなかったと思っています。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第40回目を掲載しました。

2012年1月24日
 
西から北にかけての山々や、北にひときわ高く聳える愛宕山も今日は真っ白に雪化粧。山の裾野はもう春の準備なのか、産毛のような木々の枝が被っています。時折雲間から漏れる朝日で、淡いピンク色に染まる白い肌の山。暖冬であったこの数年忘れていた景色でした。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第39回目を掲載しました。

2012年1月6日
 『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』)の感想が寄せられました。該当頁よりご覧下さい。

2012年1月1日
 新年おめでとうございます。今年はよい年でありますように。

2011年12月30日
 今年も余すところ2日となりました。地震や津波、原発事故という大きな悲しい出来事が続きました。私は関東出身で、東日本には縁が深く、いつも気になりながら、あまり力にはなれませんでした。一方で、なでしこジャパンには元気をもらいました。来年はよい年であることを祈っております。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第38回目を掲載しました。

2011年12月15日
   ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第37回目を掲載しました。

2011年11月30日
  ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第36回目を掲載しました。

2011年11月16日
  出版ニュース社刊『出版ニュース』(2011年11月中旬号)に「もう一人のソシュール」が紹介されました。出版案内の該当頁からご覧頂けます。

2011年11月10日
  京都西山の麓にある光明寺は春は桜、秋は紅葉として有名で、シーズンともなると大型バスが近くの道路に巨大な姿で並び始めるようになりました。光明寺を通り過ぎて竹林を脇目に、善峰へ向う農道のような狭い道から遥か幾重にも重なった西山を望むと、中麓のところどころに煙が立ちのぼり、のどかな風景が広がります。しかし、「にそと」という京都第二外環道路が出来るため、山が寸断され、今工事中です。明智光秀が本能寺へ向うため、引き返したという老の坂から南北へ向う道路はいつも車が渋滞していたのですが、「にそと」ができれば渋滞が緩和されるというので数十年ほど前から計画されていたようです。トラック輸送をしている知人は大阪に行くのも京都北部へ行くのも早くなると喜んでいますから、のどかな田園風景が壊れると嘆いてばかりもいられません。森林が削られ山肌が露わになってコンクリートの橋桁が打ち付けられていく姿を見ると、ついこの間の風景がどんなであったか思い出せません。このようにして新しい景色に慣れ、惜しむ気持ちは薄らいいでいくのでしょう。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第35回目を掲載しました。

2011年10月22日
   ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第34回目を掲載しました。『一般言語学第一回講義』は例の多い文章で、例を省略しながら、抜粋するのはとても困難で、誤解のないように充分伝えられるかどうか、いつも心配しています。不可解なところ、疑問のところがありましたら、本体の『一般言語学第一回講義』をご覧下さい。

2011年10月5日
 秋をのがすまいと、車で京都の北部へ。稲刈りを終えた田んぼ、、鬱蒼とした杉木立、小さな集落をあっという間に過ぎ、平地に出る。遠くに聳える山の麓から立ち上がる煙。すでに藻抜けの殻になって道端にころがっている栗のいが。渓谷沿いに車一台がやっと通れるほどの幾重にも曲がった道を上っては下る。出合うのはツーリングを愉しむ革ジャンバーの列、たった一人で、走っていくバイク。我身に試練を課しているようにきつい傾斜の道を、ひたすら走る自転車。爽やかな風や山や煙りの匂い。猛暑だったからこそ味わえる秋の香り。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第33回目を掲載しました。

2011年9月20日
 
 『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』の感想が寄せられました。該当頁より御覧下さい。『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』御希望の方は、メールあるいはお手紙でお申し込み下さい。

2011年9月17日
 
 1992年早稲田大学で行われました国際シンポジーム「SAUSSURE AND LINGUISTICS TODAY」(ソシュール言語学とその現代性)に関する論文集(デ・マルロ・菅田茂昭編集、1995年、BULZONI EDITORE)を早稲田大学教授菅田茂昭氏よりいただきました。その著作集の中に小松英輔氏の論文:「LES DEUX PSYCHOLOGIES DE LA THEORIE SAUSSURIENNE」が掲載されています。『もう一人のソシュール』の「小松英輔著作一覧」(311頁)には未記載のものでした。菅田茂昭氏にあらためてこの場でお礼申し上げますとともに、『もう一人のソシュール』をご購入された方には御面倒をおかけしますが上記の追加をお願いします。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第32回目を掲載しました。

2011年9月2日
 
前回8月17日の、ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第31回目を掲載しましたが、第30回と同じ内容を紹介してしまいました。本当に申しわけありません。今回の第31回は「インド・ヨーロッパ諸言語の家族の内的、及び外的歴史の概要」についてです。前回の第30回、第31回の内容が重複し、申し訳ありませんでした。お詫び致します。訂正しておきましたので、御覧下さい。

2011年8月17日
 
昼も夜もまだ厳しい暑さがつづいているのですが、蝉の声と共に、秋の虫がひそかに鳴き始めました。そのどこか違う心細いジージーという音色に耳をすませると、不思議とうんざりしている夏を惜しむ気持ちと、秋の気配を感じて感慨深い気持ちになります。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第31回目を掲載しました。 

2011年8月8日
 
『もう一人のソシュール』の書評が、図書新聞第3026号に掲載されました。その一部を該当頁に引用しましたので、ご覧下さい。

2011年8月5日
 
暑中お見舞い申し上げます。『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』の感想が寄せられました。該当頁から御覧下さい。

2011年7月29日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第30回目を掲載しました。次回はいよいよ後半の「インド・ヨーロッパ諸言語の家族の内的、及び外的歴史の概要」に入ります。『もう一人のソシュール』はお陰さまで売れ行き好調です。書店に在庫がない場合は、弊社にファックスあるいはメールでご注文下さい。

2011年7月14日
 京都では7月に入るとあちこちで祇園祭のコンチキチとお囃子の音が流れてきます。祇園祭が終ればいよいよ夏。例年そうだったのですが、この数年、梅雨が短く、今年はすでに梅雨明けしてしまいました。今週の始めにはジージーと蝉が鳴き出しました。猛暑にうんざりしながら、何故か懐かしい気持ちで聞き入っていました。※ソシュール『『一般言語学講義』のご紹介ページに『一般言語学第一回講義』第29回目を掲載しました。『もう一人のソシュール』を送った方々から「ソシュール研究の内実が問われるのではないか」などの感想をいただいています。読後感、書評などが寄せられましたら、その都度掲載していきます。※『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』の感想が寄せられました。該当頁から御覧下さい。

2011年6月24日
 
小松英輔著『もう一人のソシュール』がいよいよ発売されます。全国の有名書店で購入できます。品切れ等の場合は弊社にメールまたはファックスでご注文下さい。『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』の購読御希望の方は、該当頁に書いてある通り、140円切手同封の上、弊社にご注文下さい。お送り致します。ソシュール『『一般言語学講義』のご紹介ページに『一般言語学第一回講義』第28回目を掲載しました。

2011年6月15日
 
小松英輔著『もう一人のソシュール』の発売は6月26日です。大変お待たせしました。名古屋大学大学院教授松澤和宏氏の序文の一部を掲載します。出版案内よりご覧下さい。内藤惠子著『Die Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』が6月22日に刊行されます。詳細は出版案内よりご覧下さい。

2011年5月23日
 
ソシュール『『一般言語学講義』のご紹介ページに『一般言語学第一回講義』第27回目を掲載しました。小松英輔『もう一人のソシュール』はもう少しお待ち下さい。

2011年4月30日
 
小松英輔『もう一人のソシュール』の刊行は5月半ば頃になります。予定より遅くなり、申し訳ありません。詳細は左記の出版案内からご覧下さい。

 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに『一般言語学第一回講義』第26回目を掲載しました。

2011年4月12日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに『一般言語学第一回講義』第25回目を掲載しました。 

2011年3月28日
 
国際的評価の高い日本のソシュール研究の第一人者小松英輔氏によるソシュール原典資料の訳と論考と掘り起しを一冊にした『もう一人のソシュール』を5月に刊行します。詳細は、左記の出版案内の頁と、そこからリンクされた関連ページを御覧下さい。

2011年3月16日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第24回目を掲載しました。

 この近辺のスーパーマーケットでは、すでに懐中電灯、電池、水、トイレットぺーパー、ティッシュペーパーなどが売り切れていました。おそらく、計画停電がなされている大都市に住む家族などのために送るためではないかと思います。しかし、何故トイレットぺーパーかとちょっと頭をかしげています。かつて阪神淡路大震災を経験した人達が、トイレットぺーパーの必要性を感じたからかもしれません。先日の大地震が起った時刻は正確には3月11日午後2時46分でした。下記の時刻を訂正します。申し訳ありませんでした。

2011年3月14日
 
謹んで地震災害のお見舞いを申し上げます。3月11日午後2時45分、京都南西部の長岡京市の自宅でパソコンに向っていましたら、ゆらゆらと大きな揺れを感じました。めまいと思っていましたら、蛍光灯の紐が大きく揺れています。異常を感じ、即座にテレビを付けましたら、東北地方で8.8の地震があったと報道されています。その後、30分ほどは、この家でも電灯の紐がぶきみに揺れたり、止まったり。地震の恐ろしさは関西まで伝わってきました。阪神淡路大震災の経験から地震に備えて日頃いろいろなものを準備しているのですが、津波の時には何も役にたたないことを知りました。被災された方々にはあらためてお見舞い申しあげます。

2011年2月21日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第23回目を掲載しました。

2011年1月27日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第22回目を掲載しました。

2011年1月21日
 
内藤恵子著『境界の詩歌』に感想文が寄せられました。『境界の詩歌 3』に掲載しましたので、御覧下さい。

2011年1月5日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第21回目を掲載しました

2011年1月1日
 
あけましておめでとうございます。フェルディナン・ド・ソシュールの『一般言語学第一回講義』、『一般言語学第二回講義』、『一般言語学第三回講義』の編者、小松英輔氏によるソシュールの自筆原稿の掘り起しなどを一冊にまとめた『ソシュール自伝』を今春刊行します。御期待下さい。

2010年12月24日
 
『ソシュールのパラドックス』を読んだ方からご感想をいただきました。該当ページの1に掲載しました。

2010年12月17日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第20回目を掲載しました。

2010年12月1日
 
広瀬典丈・さちよの作品展が行われます。 1)「いけばなスペース第3回いけばな展」12月11日〜13日 於:名古屋市有松町並み保存地区 2)「広瀬典丈・さちよ作陶展」11月29日〜12月7日 於:松坂屋名古屋店 ※12月1、2、6日は広瀬さちよ氏自らが説明 ※12月3、4、5、7日は広瀬典丈氏自らが説明

2010年11月25日
 
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第19回目を掲載しました。

2010年11月24日
 
11月4日に引き続き、内藤恵子著『境界の詩歌』への感想、及び批評が著者のドイツの知人から寄せられましたので、『境界の詩歌 その3』に掲載しました。その下に、参考として著者の日本語訳が掲載してあります。左の「出版案内」から御覧下さい。

2010年11月4日
 
内藤恵子著『境界の詩歌』への感想が寄せられましたので、該当ページに掲載しました。左の「出版案内」から御覧下さい。

2010年10月4日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第18回目を掲載しました。今回は言語(ラング)と言葉(パロール)の関係と違いが述べられ、言葉(ランガージュ)の研究には大事なものだと強調されています。『一般言語学第一回講義』の訳では「言葉」をランガージュとパロールと区別するため、ルビを打っていますが、ご紹介頁の17回、18回では、わかりやすく、「ランガージュ」、「パロール」と書きました。

2010年10月4日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第17回目を掲載しました。

2010年9月14日
 
ようやく涼しい風が吹き、日ざしも和らいで来ました。秋の訪れをこれほど待ち望んだことはなかったような気がします。西山の裾野では、煙がぼんやり漂い、すでに稲刈りの季節を迎えています。                                                    ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第16回目を掲載しました。

2010年8月25日
 相変わらずの猛暑ですが、昼間、関西では熊ゼミのやかましい声が我がもの顔に鳴いていますが、その声に混じって、みんみんゼミの声が聞こえ、夕方にはそれまでの熱風と少し違う風が家の中に流れ込み、それまでひっそりしていた虫の鳴き声も聞こえて、待ちに待っていた秋に近づいたかと感じました。 クーラーなしの生活がどれほどありがたいかとしみじみ思っています。ヒートアイランド現象の一つにクーラーの室外機から出る熱風が考えられると思うのですが、外に勢いよく流れ出る熱風を涼風に変える機械が発明されると、年々きつくなる暑さもかなり抑えられるのではないかと真剣に考えています。   ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第15回目を掲載しました。

2010年8月10日
 残暑お見舞い申し上げます。連日35度以上の天気が続いていましたが、今日は台風の影響か、いつもの真っ赤に燃えた空が黒い雲に覆われ、時々激しい雨が熱したコンクリートの建物を冷やし、少しほっとしています。しかし蒸し暑さは相変わらずです。9月まで厳しい暑さが続くようです。お身体を大切にして下さい。/ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第14回目を掲載しました。

2010年7月20日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第13回目を掲載しました。

2010年7月5日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第12回目を掲載しました。今回の「IIの影響。文法的な影響」の項のみならず、これからも例がたくさん紹介されますが、HPでは内容が理解出来る程度の例のみにしぼり、他の多くの例は割愛しました。理解しにくいところは本文をお読み下さればと思います。

2010年6月29日
 著者に『境界の詩歌』に対しての感想が送られてきましたので、『境界の詩歌』の頁に掲載しました。出版案内からご欄下さい。

2010年6月21日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第11回目を掲載しました。

2010年6月7日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第10回目を掲載しました。

2010年5月25日
 『境界の詩歌』の I、Schwierigkeiten der Uersetzung japanischer Gedichte (日本語詩のドイツ語への翻訳の難しさ)の「Vorwort」(序文)をドイツ語のまま掲載しました。出版案内の『境界の詩歌』からお開き下さい。

2010年5月17日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第9回目を掲載しました。

2010年4月28日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第8回目を掲載しました。

2010年4月7日
 『境界の詩歌』に対して読後感が二通送られて来ました。該当ページに掲載しましたので、御覧下さい。送って下さいましたU氏、物部様、貴重なご批評をありがとうございました。

2010年3月23日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第7回目を掲載しました。

2010年3月5日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第6回目を掲載しました。

2010年2月9日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第5回目を掲載しました。

2010年1月18日
 ラテン語・ギリシア語の専門家であるという、友人の知人から『ソシュールのパラドックス』の読後感ならびに質問をいただきました。その方に直接ご返答と思っていましたが、その方の事情で、ご返答は保留のまま現在にいたってしまいました、その読後感、質問を該当頁に掲載しておきます

2010年1月12日
 
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。『境界の詩歌』に関する感想を掲載しました。該当ページから御覧下さい。

2009年12月3日
 『境界の詩歌』ページに随時掲載していきますので、御覧下さい。

2009年11月30日                                                        ソシュールの一般言語学講義をより身近なものにして頂くために、弊社で刊行している『一般言語学第一回講義』、『一般言語学第二回講義』、『一般言語学第三回講義』を順次抜粋して、ソシュール『一般言語学講義』の紹介ページに掲載していきます。抜粋に伴う誤解を避けるためにあえてコメントは致しません。コメントによってさらなる誤解が生じるかもしれないからです。百人いれば百人の要約がなされることでしょう。この掲載がソシュールの一般言語学講義を理解する上での一つの目安でしかないのをご了承下さい。

2009年11月12日                                                       広瀬典丈・さちよ作陶展が開かれます。12月2日(水)〜9日(水)豊橋丸栄7階 美術画廊詳細は、リンクページから御覧下さい。

2009年11月12日                                                       第2回―有松町並み保存地区 町屋にいける―『Ikebna Space いけばな展』が下記のように開催されます。11月21日(土)〜23日(月)名古屋市緑区有松町並み保存地区

2009年11月9日                                                        内藤惠子著『境界の詩歌』が完成しました。大変お待たせしました。全国有名書店でお求めできますが、弊社刊行本はすべて少部数ですので、品切れ等でご迷惑をおかけするかもしれません。悪しからずご了承下さい。なお、直接のご注文も扱っております。メール、またはファックスでお申し込み下さい。

2009年9月7日 広瀬典丈・さちよ作陶展が下記のように開催されます。9月18日(金)〜24日(木仙台 FUJISAKI  本館6階 美術工芸サロン   詳細はリンク頁より広瀬典丈・広瀬さちよホームページを御覧下さい。

2009年8月31日                                                        内藤惠子著『境界の詩歌』のドイツ語の論文は、著者がその後の頁で補足的に説明しているので、ドイツ語が読めない人でもどんなことが書かれているか理解できる。ドイツにドイツ文学を学ぶために留学して、論文の指導教授から与えられたテーマは日本語詩歌(万葉集、古今和歌集、新古今和歌集、俳句など)のドイツ語への翻訳作品の検討。しかし、翻訳ということの困難に直面していた著者が、日本語詩歌をドイツ語で論評することを選んだのはおもしろい。それが、ドイツ語の論文のタイトル『Schwierigkeiten der Uersetzung japanischer Gedichte』 (日本語詩のドイツ語への翻訳の難しさ)となった。                                                                  2009年7月28日                                                        内藤惠子著『境界の詩歌』。詩歌は言語の壁を超えられるのか。古典的詩歌の翻訳の可能性と不可能性。女性を巡る文化の相違。若き日、ドイツ語で書かれた論文の他、日本語で書かれた最新の評論まで11編を収録。独と和との異色の評論集。9月中旬発売予定。

2009年7月1日                                                        『出版ニュース』、7月上旬号13頁に「ソシュール理解の基本文献」という題で弊社のソシュール『一般言語学第三回講義 増補改訂版』が紹介され  ました。内容は『一般言語学第三回講義 増補改訂版』の頁に掲載されています。

2009年6月8日                                                        「一般言語学第一回講義リードランジェによる講義記録」、「一般言語学第二回講義リードランジェ・パトワによる講義記録」、「一般言語学第三回講義増補改訂版コンスタンタンによる講義記録+ソシュール自筆講義メモ」を寄贈したジュネーブ公共大学図書館から、それに対する礼状が6月4日に来ました。「日本でのソシュール思想を理解する上で力になることを嬉しく思い、あなた方の重要な仕事にお礼を言います」とのことです。ジュネーブ公共大学図書館の蔵書はHPから検索できますので、弊社のリンクの頁をご利用下さい。

2009年5月5日                                                        ソシュール著『インド・ヨーロッパ諸語における母音の原初体系に関する覚え書き』(1879年)がフランス国立図書館のwebサイトで閲覧できます。リンクページを御覧下さい。

2009年5月7日                                                        ソシュール『一般言語学第三回講義 増補改訂版』及び『ソシュールのパラドックス』に関しての感想をいただきました。『一般言語学第三回講義 増補改訂版』の頁に掲載しましたので、ご覧下さい。

2009年4月14日                                                        各小売り店鋪でご迷惑をおかけしていますが、弊社は小部数出版です。『一般言語学第一回講義』、〈増補改訂版〉『一般言語学第三回講義』はまだ在庫がございます。お急ぎ下さい。

2009年3月23日                                                            〈増補改訂版〉『一般言語学第三回講義』に対して、読者カードが送られて来ましたので、掲載します。左の〈増補改訂版〉『一般言語学第三回講義』の感想・批評ページからリンク出来ます。

2009年3月5日                                                       コンスタンタンによる講義記録に、ソシュールの自筆講義メモを加えた〈増補改訂版〉『一般言語学第三回講義』が完成しました。より重層的に、より精確に幻の講義が再現されることでしょう。是非、書店でお求め下さい。

2009年2月27日                                                       書籍には必ずISBNと分類コードをつけるが、ソシュールの場合、哲学か言語学かで分類を迷わされる。哲学と言語学は明らかに違う分野だが、「ソシュールの思想」が問題にされる限り、哲学と看做され、そう受け取られる傾向があるのは否定できない。第一回から最後の三回講義まで、ソシュールは従来の言語学への批判から講義を始め、言語についての哲学を述べる。しかし、「言語」を哲学的に考えようとしたわけではない。彼はひたすら言語学を位置付けようとしていたのだ。当然、私たちは言語学の分類(C1080)に入れた。ソシュールの嫌っていたのは抽象的という言葉であり、重視していたのは観察と調査だった。ソシュールが講義の中で、「私たち」という時、哲学者のではなく、言語学者の「私たち」を指している。彼は言語学の講義を行ったのだ。Linguistique(言語学・言語なるもの)とは何か? にもかかわらず、その視点の卓抜さが実に哲学的であるというこの避け難いパラドックス。増補改訂版『第三回講義』、少し遅れそうです。申し訳ありません。

2009年1月28日                                                       『一般言語学第三回講義』増補改訂版がいよいよ刊行されます。発売予定日は3月3日です。左の『〈増補改訂版〉一般言語学第三回講義』 をリンクして、ご参照下さい

2009年1月1日                                                       『一般言語学第三回講義』はすでにお知らせしましたように、品切れとなりましたので、今春、増補改訂版を出す予定です。『一般言語学第三回講義』をより重層的に理解するために、残されていたソシュールの自筆講義メモをあらたに加え、それに併せて微 妙な異動がわかるように、コンスタンタンによる講義記録の旧訳を全面的に見直しました。                                                     また、日本の俳句、短歌をドイツ語に訳す難しさをドイツ語でまとめた内藤恵子氏の論文 ・批評等の作品も現在作成中です。今夏刊行の予定です。

2008年12月13日                                                      奈良の室生寺からの帰り、阿騎野という所のとある店で、一枚のパンフレットが目についた。柿本人麻呂が、「ひんがしののにかぎろひのたつみえてかへりみすればつきかたぶきぬ」を詠んだという丘で、「万葉集」を語ろうと書かれていた。どんなところか興味をそそられ、足を伸ばして寄ってみた。奈良にはなにげなく古墳があったり、万葉の時代を今もなお偲んでいる人たちがいると思うとおもしろい。『日本語を再審する』に、古典は明治に作られたと書いたら、万葉の世界の存在を信じている友人にひどく憤慨されたが、スポーツをしている声が響く体育館の横に再現された丘で古典の世界を味おうとするのはおもしろい。ロマンの正体とは、果たして何だろうか。                                             「街路が造り直されます。同じ街路なのです。」ソシュール『一般言語学第二回講義』より。

2008年10月20日                                                      マンガン鉱の閉坑:先日、朝日新聞で紹介された、京都府京北町の山奥にある「丹波マンガン記念館」を訪ねた。様々な製品の原料としてのマンガンの採掘は明治28年頃から始まったが、その作業の多くは、朝鮮人と被差別部落の人々が担っていたという。特に最盛期の戦争中は強制連行された朝鮮人が過酷な労働にあたった。関西にはそのようなマンガン採掘場が多々あるようだが、訪れた丹波のマンガン鉱床は日本に留まった朝鮮人の一人(李貞鎬さん)が、鉱山の鉱業権(山自体は他の所有者だという)を買い求めて採掘を続けていたという。その後マンガンの需要がなくなり、閉山に追いやられた。

若い頃から過酷な採掘をしていた李貞鎬さんはいつも「自分の墓はいらん。ここがわしの墓や」と家族に言っていたという。息子の李龍植さんはその意志を実現するため、歴史を後世に残すため、私財を投じて記念館を作った。家族の話では、坑道の中で作業がどのようになされていたか一目でわかるように、寝そべるようにしてしか進めなかった坑道を広げ、採掘や運搬している姿のマネキンを置き、天井や壁から沁み出る水を脇に流す溝を作り、女性が担った飯場を再現して、当時の状況がわかるようにしたという。また、坑道の出口に展示場を作り、採掘されたマンガンやマンガンから利用される電池、レール等々を置いた。その記念館もまもなく閉館するという。行政の援助もなく家族だけで20数年維持し続けて来たが、年々見学者が減り、その維持に限界を感じたのだという。現在、坑道は人が入らないように完全に密閉し、日本政府に手渡す手続きをしているという。

2代目館長である三男李龍植さんが、マンガン鉱山の歴史を書き残すため、採掘に携わった人達の話を聞きに朝鮮半島にまで足をのばして体験者の話を聞いているという。しかし、朝鮮半島に帰った多くの人が胸を患ってすでに亡くなっていたり、日本での過酷な労働の記憶を胸の奥にしまい込み、家族にはまったく語っていないため、聞き取りはかなり難しく、3年前から続けられている作業はいつ完成されるかわからないという。展示場には多くの労働者の体験談が掲載されていてそのことで被害者意識が強すぎるという非難が多く寄せられていたようだが、加害者意識や被害者意識を越えたところで歴史は見られなければいけないと思う。

2008年6月12日                                                       小学校で、アフガニスタンは米の原産地と習った。中央アジアは砂漠と山ばかりと思っていたので以外だった。紛争前のアフガニスタンの映像を見ると、確かに緑豊かな土地であったのがわかる。ペシャワール会はその緑の大地に戻そうと、川から水を引くための潅漑を何十年もかけて準備していき、一部は完成していた。国家事業ではなく、個人の延長のような団体によって行動し、地道に続けてきたことに賛同して、会員になり、わずかであるが、会費を払っている。会員になると、「ぺシャワール会報」が送られてくる。今回は、殺害された伊藤和也氏の追悼号だった。

 この事件では、かつてのように「自己責任」という非難は聞かれず、彼を悼む声の方が多いようだ。テレビの報道で見る限り、現地でも伊藤和也氏の死を嘆く姿が心に残る。しかし、会報を読めば、ペシャワール会がアフガンで活動を続けていくことに日本社会で非難の声があることがわかる。ペシャワール会が恐れているのは、自分たちの活動が政治的に利用されることのようだ。彼らの活動を支持するにせよ非難するにせよ、それを政治的に回収することは彼らの活動を無化するに等しいだろう。丸腰で、武器をもたない平和こそが真の平和作りであると信じている彼らに賛辞を惜しまない。

                                                      

2017年1月30日
 新年

 2月4日発売の「遠望」を読まれた方から早速感想が寄せられました。左の欄からリンクをして該当頁をご覧下さい。

2017年1月30日
 新年になってはや1ヵ月が経とうとしています。ろうばいが咲き始めて春を感じさせます、と言いたいのですが、まだまだ寒く、春を今か今かと待っています。「時々雑録」第9回『台湾旅行』をお届けします。写真を加えましたが、少しぼんやりしています。お許し下さい。

2017年1月17日
 何十年ぶりかのここ長岡京市での大雪。真っ白に変貌した世界を見に、西山の中腹まで行きました。生憎、比叡山も大文字も見えませんでしたが、真向かいにある伏見桃山城がくっきり見え、三川が合流して大阪湾までゆったりと流れて行く淀川が美しく映えていました。ところで、今日は阪神淡路大震災から22年目。寝ぼけながらも、落ちた数個のコップを拾い、真っ暗やみの中で、前の棟のボッと付いて消えた明かりをぼんやり見ながら、何ごとも無かったように床に入り、あたりが明るくなった頃、起きてテレビをつけると、神戸では、黒い煙が三本高く上がっていて、これから何が始まるか予感した朝でした。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第6回をお送りします。

2017年1月1日
 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。2月には、左の欄でお知らせしましたように、内藤惠子氏の『遠望』を刊行します。今まで書きためておいたという詩とエッセイは、昭和の匂いを漂わせ、時代が変わり、考えも風景も違う現代では懐かしさを感じさせます。

2016年12月8日
 観光地化した寺や神社から観光客が去った後、紅葉が華やかさに落ち着きを添えながら、冬の訪れを待っています。足下の道は紅葉した葉に埋められていて、その中をかさかさ音を立てながら歩くのもいいものです。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第5回をお送りします。

2016年11月11日
 
酷暑の夏、すぐに寒気に襲われ秋はなくなってしまったのかと思いましたが、桜の葉が色付き、かえでも美しくなって来ました。黄色に色付いたいちょうの足下にはぎんなんが強烈な匂いをはなっています。それも秋。秋、秋、秋づくしです。「時々雑録」第8回『長岡京室内楽アンサンブル』をお届けします。

2016年11月3日
 
日差しの中に、すでに冬の訪れを感じさせる季節の変わり目。これからが紅葉を楽しませてくれるはずですが…。いつか春も秋もなくなってしまいそうな、四季ではなく、二季になってしまうかもしれないとそんな不安を抱えながら、秋を感じ取っています。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第4回をお送りします。

2016年10月10日
 
「時々雑録」第7回は「藤飯治平」という画家の作品の話です。画家自身もその作品も知らないのですが、現代社会にも通じる「バベルの塔」をモティーフにした作品に興味がわいてきました。

2016年10月3日
 
10月に入っても台風の影響か、暑さがじりじり体に食い込んできます。一度姿を見せた秋は、一体どこに隠れてしまったのでしょうか。来年になりますが、新刊を2点出ます。1点目は、詩とエッセイ集で、タイトルは『遠望』。著者は『境界の詩歌』の内藤惠子氏です。2点目は、左記の「刊行予定」(タイトルが変わりましたが、『支え合い、学び合いで育つ「わたし」――人生を広げる生涯発達モデル――』です。御期待下さい。

2016年9月21日
 今年は台風が矢継ぎ早やに襲い、日本全域が台風の通過点になってしまいました。テレビの画面上のテロップで、いつか通り過ぎた集落や川、山の名を見ては、気候のよい時の穏やかな美しい風景を思い出し一変したかもしれない姿を想像していました。何ごともないことをお祈りします。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第3回をお送りします。

2016年9月5日
 時々雑録」、第6回目、「高山右近と南蛮音楽」をお届けします。切支丹が隠れて信仰を守り続けたということは知っていましたが、そこに音楽があったということは思いもしなかったので、今回の「高山右近と南蛮音楽」の話はとても興味深いものでした

2016年9月1日
 朝晩、爽やかな風が家を吹き抜け、夕方には虫の声。もう秋か、とほっとしていたのですが、今日のこの暑さ…。夏が舞い戻ったかと思うと、恐ろしいほどです。台風10号による東北、北海道の方にお見舞い申し上げます。水のこわさは暑さどころではないと思っています。『一般言語学第二回講義』の1909/1/11、第2回をお送りします。

2016年8月5日
 障害者施設を襲った事件は多くの人に衝撃を与えましたが、私には、明るくて素直で礼儀正しかった人物がなぜあのような考えに到ったか不思議でなりません。そこで私なりに考えているうちに、メルロ・ポンティ著『眼と精神』の中の「心理的硬さ」を思い出しました。その一部分を引用してみます。…「心理的硬さ」とは、「物とか人物を検討するばあい、相互に符合しないような特徴はなかなか認めたがらず、ものを述べるにも、つねに単純で断定的で結論的な見解に達しようとする人の態度…/「硬い」幼児は、自分の二重な態度に気づかず、往々にして、自分の望まないおのれの部分を外部に投影しがしち…/自分が望んでもおらず、むしろ恥ずかしく思っているおのれの部分を投影する…/自分の中に極端に激しい葛藤を持ちあわせている被験者こそが、まさに、外的事物をみるばあい、特殊で両義的・相克的・混合的な性格の状況があることを認めたがらぬ人…/彼が感情的に両極的であればあるほど、ますます彼は事物やその視像の中に両義性があることを認めまいとする…/感情的両極性こそ、知的両義性の拒否を要求する当のもの。上記の「心理的硬さ」をこの事件と結び付けていいかどうかわかりませんが、他者を受け入れる事は自分の中の両義性を見つめる事のような気がします。『一般言語学第二回講義』は、翌年1909/1/11、第1回となります。

2016年7月21日
 先日永六輔が、続いて大橋巨泉が亡くなり、「昭和」が終ったと言われていますが、「昭和」とはどんな時代だったのだろうと思っています。「昭和」を映し出す展示品のある場所に行き、懐かしさを覚えるとはいえ、「昭和」とはどんな時代だったのか、永六輔や大橋巨泉で終ってしまった「昭和」とは何かを考えています。 『一般言語学第二回講義』の12/21、第9回を掲載します。今回は、形態とは何か、文法とは何かを説明しています。その論はいずれ第三回講義に繋がります。

2016年7月8日
 
数日前から蝉が鳴き始め、いよいよ夏の到来を感じます。「時々雑録」、第5回目の「Lascia qu'io Pianga」をお届けします。

2016年7月2日
 『境界の詩歌』の著者・内藤恵子氏へ感想文がよせられましたので、掲載します。本へのお礼と著書の感想なのですが著者と同年代の方が書く文体が今の時代とかなり違っていることに新鮮な驚きを感じます。また、その時代にどのような書物が読まれていたかがわかり、面白いことです。

2016年6月16日
 『一般言語学第二回講義』の12/21、第8回を掲載します。ソシュールは、「話す主体」ということばを何度も確認するように語っていますが、そのもっともわかりやすく言い換えている箇所は、今回引用しました『存在するものとは、感じられているもののことです』という箇所です。ソシュールが、“発話/言語体系を、「瞬間凍結」されたもの”とみなし、“発話/言語体系を物象化=物神化してしまった”と批判する人もいます。しかし、それがまったく間違った見解であることが、今回の引用部分でもわかると思います。

2016年6月6日
 小雨降る夕暮れ時、一軒の家の玄関先に薄紫色の百日草が植えられた鉢が置かれていました。暗がりの中にほのかに浮かびあがる百日草。確かに薄紫のあじさいも雨の夕暮れ時に似合います。どうしてもその色の百日草がほしくなり、あちこちの花屋さんに聞いてみましたが、そのような色の百日草はないと言います。ところが、一軒の花屋に同じ色の百日草が売られたのです。店の人に聞くと、色は作り手の好みで作られるだが、薄紫色の百日草は珍しいとのこと。早速数鉢買って、プランターに並べましたが、暗闇が迫る夕暮れにほんのり浮かび上がる薄紫は、百日草という名前とは裏腹に、なんともはかなげです。『時々雑録』第4回は、「マリオネットによるオペラ『リナルド』です。マリオネットが子どものものばかりと思っていたのですが、このようなものもあるのかと思いました。

2016年5月19日
 桜の、心がざわめく季節が終り新緑が落ち着きを取り戻し、爽やかな風が快さを運んでき、木々がゆらゆらと揺れています。そんな季節もつかのま、梅雨はすぐそこにしのびよってきています。『一般言語学第二回講義』の12/21、第7回を掲載します。

2016年5月6日
 『時々雑録』第3回は、国立民族学博物館で開催されている特別展『夷酋列像」(いしゅうれつぞう)』です。「蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界」という副題がついています。大変面白そうですが、残念ながら、5月10日でこの特別展は終りだそうです。

2016年4月9日
 桜はどこでどのように咲いていても美しい。先日、背割堤に桜を見に行きました。八幡市と大山崎の間を流れる淀川は、桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となっって大阪湾に流れます。その合流地点を三川合流といい、天王山や向いの石清水八幡宮のある男山からその姿がよくわかります。その内の二本の川の間に、象の鼻のように長く延びた堤を背割堤といい、桜のトンネルが1キロほど続いています。堤の少し下がったところの遊歩道から長く続く満開の桜を見あげるのもすばらしい。遥かに見える天王山に、うっすら淡い桃色にところどころ染めているのは、景色を彩る傍役の桜。そして、桜が散りはじめると、山はまぶしい緑に染まります。『一般言語学第二回講義』の12/21、第6回を掲載します。

2016年3月22日
 
そろそろ桜が開花の季節。丹波では、枯れ木にほんの一つ二つとの白い花をつけていました。遠くから見ると、小さな紙切れが引っ掛かっているのではないかと思うほど、目立たなくひっそりと。今回の『時々雑録』は、現在松本市美術館で開催されている『草間彌生 魂のおきどころ』についてです。

2016年3月4日
 3月に入り、日ざしに暖かさを感じるようになりました。梅が咲き、もくれんの蕾はいまや弾けそうに、時を待っています。『一般言語学第二回講義』の12/21、第5回を掲載します。

2016年2月22日
 ソシュールは1913年2月22日に亡くなりました。22日はソシュールの命日に当たります。師の没後の1916年には弟子であるセシュエ、バイイが編纂したソシュール著『Coursdelinguistique generale』がパイヨ社から刊行されました。ちょうど100年前のことです。ソシュール自身が書き残した纏まったものはほとんどなく、『Cours de linguistique generale』は、ソシュール死後、セシュエとバイイが、講義に臨んだ生徒たちから聞いたり、講義記録ノートを参考にして纏めたものですが、ソシュールの言語理論として世界に広まり、日本では1928年に小林英夫訳の『言語学原論』(のちに『一般言語学講義』)として刊行されました。しかし、そのまとめ方に疑問を持ったのが小松英輔氏です。小松氏は、直接生徒たちの講義ノートを掘り起こし、パーガモン社から『PREMIER COURS DE LINGUISTIQUE GENERALE』『DEUXIEME COURS DE LINGUISTIQUE GENERALE』『TROISIEME COURS DE LINGUISTIQUE GENERALE』として、英語の対訳をつけて刊行したのです。 その経緯と内容の詳細は、小松英輔著『もう一人のソシュール』に書かれています。また、弊社は上記の三講義を日本語に訳しました。出版案内からご参照下さい。

2016年2月17日
 新しいゲスト・飯沼万里子さんに『時々雑録』という題で寄稿していただくことになりました。専門は英文学。特に17世紀の英文学に精通しています。ソシュール『一般言語学第一回講義』では、多くの助言をいただきました。文学ばかりでなく、絵画・劇・音楽など多彩な趣味をもたれ、特に文楽には造詣が深く、大阪にある国立文楽劇場に毎年数回足を運ぶほどの文楽ファンです。興味深い話をたくさん聞かせていただけそうです。左の『時々雑録』の欄をご参照下さい。

2016年2月3日
 『一般言語学第二回講義』の12/21、第3回を1月15日に掲載しましたが、お知らせが遅れました。申し訳ありません。今回、第4回をお送りします。ソシュールの迷いながら講義を進めていく姿に共感を覚えます。

2016年1月15日
 この17日で、阪神淡路大震災から21年になります。午前5時46分で止まったままの我が家のステレオ内の時計は引っ越しの時に消えてしまいましたが、17日が近づくと、大きな揺れに跳び起き、茶ダンスから転げ落ちてこなごなになった数個のコップをまたぎ、玄関の重いドアを開けたのを思い出しました。非常時、避難口は玄関しかありませんので、日頃から脳裏に浮かべていた咄嗟の行動でした。踊り場には誰も出てきていません。それから、何が起こったかを見るため、ベランダへ回ったのですが、暗闇の中の向いの棟に明かりが1つ2つぼんやりともっているばかりでした。その明かりは、なんとなく不安げでしたが、あまりにも静かでした。何もなかったと安堵して床についてしばらくすると、東京から心配げな電話がかかり、テレビをつけると神戸の町にもくもくと上がる黒い炎が映し出されていて、ようやくことの重大さを知りました。まもなく、電話が通じなくなり電車も止まったまま、外からの情報はテレビのみ。ひたすらテレビを見ていました。人のためにたいしたことも出来ずにいた自分をいつも反省していますが、そのような非常時に咄嗟に何ができるか…。非常時を日頃考えておけばいいのか、考えています。

2016年1月1日
 明けましておめでとうございます。昨年は、戦後70年ということで「戦争」に関するニュースが多く報道され、話題になりました。多くの人がこの70年間日本が平和であったことを感謝したと思います。しかし、一見穏やかに見えた「平和」という海も、その底には激しく渦巻いているところもあり、それが大きなうねりとなって海の表面に現れ出る気配を感じさせることもありました。海の底深くまで穏やかであることを祈りたいと思います。

2015年12月30日
 とうとう年の瀬という慌ただしい気分になってきました。街に出て、店の棚に並んだおせち用の品を見ると、驚くほど高くなっています。簡素をモットーに生きてきたのですが、モットーではなく、そうせざるを得ないのを痛感しました。弊社は、来年、新刊書として、「生涯発達」関連の、幼児に焦点をあてた1册を出す予定です。まだ、タイトルは仮題にすぎませんが、幼児と接する大人達がどう向かえばいいのかを問う内容となっています。来春刊行の予定ですが、ご期待下さい。『一般言語学第二回講義』の12/21、第2回を掲載します。

2015年11月26日
 先日、友人から滋賀県膳所の義仲寺再建にまつわる「義仲寺昭和再建史話」をいただきました。あちこちの寺を尋ねていると、かろうじて存在しているという寺を目にします。一体どのように維持されているのか気になっていました。義仲寺には、源義仲の墓所だけでなく、芭蕉の墓所もあるそうです。寺が甦るにはそれなりの理由があるようですが、国の重要文化財などに指定された仏像などがあったり、桜・紅葉の名所となれば、世間の注目も集まり、人が多く訪れ、それなりに潤っています。以前訪れた事のある高月の大円寺では、戦国時代、村の人々が兵火から千手観音様を守るために近くの川に沈めて隠したとか。戦さも終り、観音様を元に戻したが、泥だらけであまりにお気の毒と思った村人たちが、きれいに洗ったために、国の重要文化財には指定されなかったと聞きました。木の素材が現れた、比類のない美しい観音様に思えるのですが……。『一般言語学第二回講義』の12/21、第1回を掲載します。

2015年11月7日
  内藤恵子著『境界の詩歌』の感想がドイツから送られてきました。翻訳を心掛ける人は、その難しさを実感し、苦労に共感するようです。左の「出版案内」をクリックし『境界の詩歌3』頁をご参照下さい。

 2015年11月6日
 「図書館」で思い出すのは、ソシュールを訳す時に頻繁に利用したことです。近くの小さな図書館には、不思議と分厚いギリシャ語辞典、古典ギリシャ語辞典、ラテン語辞典などがあり、ずいぶん参考になりました。世田谷の小さな図書館は、献本だと思いますが、古い辞書や年代物の言語学関係の本が揃っていて、ここも随分利用しました。もちろん、それでは十分でなく、公共図書館から紹介された、ソシュール資料の揃った大学図書館にも通いました。公共図書館に、私が必要とするすべての資料が揃っていたら、もう少し時間を割くことも出来たと思います。しかし、手元に置いておきたい本、夜中でも本棚から取り出せる本は買うことにしています。本に囲まれていると不思議と落ち着きます。『一般言語学第二回講義』の12/17、第6回を掲載します。

2015年10月21日
 先週、東京で行なわれた「全国図書館大会」の中の「出版と図書館」という分科会に出席しました。出版社から見た図書館、図書館側からの現状の話。出版社として、また図書館利用者として、これからの図書館のあり方を考えるにはとてもよい機会でした。公共図書館から民間企業への委託が試みられる昨今、多くの公共図書館が変っていかなければという姿勢が見られるのですが、思い切った変化を成し遂げた図書館では、蔵書に偏りがあり決して利用者が満足いくものではないという所もあるようです。図書館が今までのようにただ並べておくだけではなく、多くの利用者が活用できる図書館でありたいとの姿も見えました。そのような図書館の条件として、司書の能力も問われるということでしたが、予算が不足している地方の公共図書館では、専門ではないアルバイトに頼らざるをえない現実もあるようです。一体理想的な図書館とはどんな図書館だろうと考えています。『一般言語学第二回講義』の12/17、第5回を掲載します。

2015年10月1日
 秋、あちこちで運動会の黄色い声援と軽快な音楽が流れて来ます。ついつい我もと走ってしまうような弾んだリズム。夜になると、虫がすぐそばで鳴いています。田んぼは稲刈りが真っ盛りです。『一般言語学第二回講義』の12/17、第4回を掲載します。

2015年9月10日
 今回の大雨・洪水による被害では、関東、東北の方々にお見舞い申し上げます。『一般言語学第二回講義』の12/17、第3回を掲載します。

2015年9月2日
 昨日は防災の日でした。子どもの頃、小学校の秋の始業式には、必ず防火訓練をしました。前にのばした左腕に右手をかけ、前後に列を組んで、校庭に出たのを思い出します。しかし、私の防災日は1月7日です。その日はパックの中を点検します。近くの小学校では、小学生だけでなく自治会の人たちも手伝って井戸掘りをしました。長岡京には山からのきれいな水が地下を流れているそうです。サントリービールが大山崎の水を発見したのも美味しい水が出るからです。『一般言語学第二回講義』の12/17、第2回を掲載します。

2015年8月26日
 秋の知らせを告げる「ひぐらし」が鳴くようになりました。あまりの暑さにクーラーなしではいられなくなってしまいましたが、やっとクーラーから解放されると、ほっとしています。 『一般言語学第二回講義』の12/17、第1回を掲載します。今回は、通時的なものと共時的なものとを分けることの意味が説明されています。二つを分けたことのソシュールへの批判もありますが、この頁を読めば理解できるのではないでしょうか。

2015年7月29日
 『一般言語学第二回講義』の12/14、第4回を掲載します。前回と同じく、事例によって説明する箇所が多くありますが、省略してしまいました。理解しにくいところも多いかと思いまが、本文をご参考下さい。

2015年7月10日
 
『一般言語学第二回講義』の12/14、第3回を掲載します。事例など省略してわかりにくいところも多いかと思います。本文をご参考にして下さい。

2015年6月18日
 
『一般言語学第二回講義』の12/14、第2回を掲載します。事例は省略しました。

2015年6月10日
 
『琉球諸語の保持を目指して』(ココ出版)、二章『「言語」と「方言」――本質主義と調査倫理をめぐる方法論的整理』に、ソシュールの言語論が参考にされています。詳細は、『一般言語学第三回講義 増補改訂版』の頁に一部ですが掲載しました。左欄の「出版案内」からご覧下さい。

2015年6月8日
 関西は梅雨に入りましたが、天気のよい日があったり、気温の低い日があったりして爽やかな日があり、ジメジメした不快感がないのが救われます。『一般言語学第二回講義』の12/14、第1回を掲載します。“共時的なもの”“通時的なもの”の説明に入ります。

2015年5月20日
 五月晴れということばが良く似合う季節です。梅雨、猛暑の夏の前のひとときを味わっています。 『一般言語学第二回講義』の12/10、第4回を掲載します。「価値」の問題が出てきました。「価値」を一言で説明することは難しい事ですが、講義の中で読みすすめていくと少しずつ理解できてくると思います。

2015年5月7日
 昨日、一人の読者の方から電話がありました。『一般言語学第一回講義』の在庫はなくなったのかという問い合わせでした。ご自分はすでに求められているということですが、あるネットショップでは在庫切れとなっていて、絶版を心配されたようです。よい本なので頑張って、という励ましのお言葉でした。その方は英語学、言語学が専門で、弊社の3回にわたる『一般言語学講義』が一番わかりやすいと誉めて下さいました。不躾と思いお名前をお聞きしませんでしたが、ここでお礼を申し上げます。 弊社の本は、大型書店の棚に並べられています。またネットでも注文できます。しかし一部のネットショップで仕入れが滞っているようです。その場合は弊社に、お電話、Fax,メールでご注文いただければすぐお送りします。お振込方法など詳細は、お手数ですが左欄の『本のご注文』の頁をご参照下さい。 『一般言語学第二回講義』の12/10、第3回を掲載します。

2015年4月28日
 『一般言語学第二回講義』の12/10、第2回を掲載します。ソシュールの言う通時性と共時性という二つの視点がここで説明されるのですが、その二つを分けてしまう事にとても苦悩しているのがわかります。

2015年4月17日
 『一般言語学第二回講義』の抜粋は、日付けが変わり、12/10になります。その第1回分を掲載します。パトワのノートはほぼ同じ内容なので省略します。

2015年3月27日
 
『一般言語学第二回講義』の抜粋、12/7の第7回分を掲載します。前回と同じく「同一性」を語っている箇所ですが、今回はリードランジェと同じく講義に出席したパトワのノートの「同一性」を記載した箇所も掲載しました。

2015年3月20日
 先日東京から来た友人と鴨川のほとりでお弁当を広げたとたん、バサッという音とともにさっと姿を消した黒い影。頭上を見上ると、何羽ものとんびが大きくうねりながら旋回しています。そう言えば、御所のベンチでおにぎりを口に入れかけたとたん、とんびに持って行かれたという話を思い出し、友とあわててお弁当を挟み込むように隠しながら食べました。京都では、外で食べる時はとんびが狙っています。用心して下さい。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第6回分を掲載します。「同一性」の問題は難しいところです。

2015年3月7日
 
京都府が東日本大震災後、福島からの避難民を受け入れた事で、その人々を支援するNPO法人「和」や、「ほっこり通信」をご紹介しました。支援はイベントという形で何度も行なわれていますが、今回「キッチン和」で行なわれた交流は、「和」や「ほっこり通信」の活動だけでなく、スタッフ各々が行なっている活動の報告でした。話を聞いて特に印象に残ったのは、彼らが、自分の生活を守りながら、自分のできる範囲の支援をする、ということでした。役にたちたい、けれど何もできないと悩みながら参加し、小さな事かもしれないがこれなら自分も出来そうだと安心したお母さんもいました。報告は、リンク頁から知ることができます。

2015年2月12日
 立春を過ぎて階下の満開のろうばいの匂いが風に快く舞っていますが、相変わらず厳しい寒さが続いています。インフルエンザも猛威を振っています。道端に芽を出し始めたつくしを見ながら、ひたすら春を待っています。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第5回分を掲載します。  

2015年1月19日
 今回のフランスのテロ事件に関して、「言論の自由」ということがどういうことかを考えさせられました。確かに言論の自由は守らなければいけないと思いますし、反対を唱えるための手段としてのテロ行為は絶対許されません。しかし、「風刺画」には違和感を持ちました。風刺画とは、思わずクスクスと笑ってしまうユーモアがなければいけないのではないでしょうか。それが欠けているだけでなく、その人達の信じている神を侮辱し、彼らを侮蔑しているのです。フランスは多くの異文化をもつ人達を受け入れて来たはずですが、あのような事件で、異文化、他者を排斥していくのではないかと案じています。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第4回分を掲載します。

2014年1月1日
  明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。今年は、高木和子著:『「生涯発達心理学」が必要とする新しい「発達 の概念一大人の発達を記述する視点の提案一』(仮題)を発行予定です。

2014年12月22日
 先日「徹子の部屋」に招待されたある女優が二人の娘(上は3才ぐらい、下は1才半)の話をしていた。下の子は『プカプカプー』としか言えない。母親は何を言っているのかわからないが、上の娘にはわかるらしく、「今怒っているんだよ」と通訳してくれるという。下の子が自分の意志を伝える音の出る「言葉」がたった一つ、『プカプカプー』なのだが、それがいろいろな意味(数えるほどだと思う)になるというのはどういうことか。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第3回分を掲載します。

2014年12月2日
 今年は、紅葉がことのほか美しく、また暖かく、秋がいつまでも続くのではないかと思っていましたが、 師走に入ったとたん、冬の景色になりました。色鮮やかだった桜、銀杏、かえでの葉は、冬支度に忙しい木の枝に見捨てられたようにソシュールは「それぞれの社会は、同じ言語(ラング)を持っていません」と言っています。自分の話す〈言語〉が「共通語」(「標準語」)であり、日本全国どこでも使えて(と思い)、無意識に使用していることが多かったのですが、それが異〈言語〉だと思わされる時がしばしばあります。まずは関西に来た時です。「標準語」が普及しているためか、周囲の人達は私が話す〈言語〉に合わせてくれているので、不自由なく、無意識にまた、無自覚に会話を交わしていましたが、時折、不快な顔をする人がいるのに気づきました。『言語』を考えるようになって、私の話す〈言語〉は「標準語」であり、周りが私に合わせてくれているが、威圧的で高飛車な〈言語〉だと受け取ってるのではないかと感じるようになりました。それを思わせる時がありました。福井から京都へ帰る電車で隣にいた人と話した時です。その人とは旅の話をしていたのですが、突然「関東の人でしょう」と少しとがめるような口調で言って、「自分は芦屋に住んでいる」と言いました。その人は決して「関西ことば」で話していたようには思われませんでしたが、突然そのように切り込まれると、私の〈言語〉がこの関西とは違って、きっと威圧的に思ったに違いない、と逆に私自身が緊張してしまいました。もっとも私の話す〈言語〉は決して「標準語」でないことは、時々周囲に指摘される音便の使い方、イントネーションでわかります。しかし、ここ関西では〈中央言語〉である「標準語」なのです。といって、東京へ行って、電車の中で、若者特に高校性の言葉を耳にすると、ぽんぽん叩かれるような威勢のいい、こちらが畏縮するようなリズムで、異〈言語〉に囲まれている事を意識せざるを得ません。ところで北陸線の電車の隣席の人が言った「関東の人」と一括りにするのも間違いだと思います。北関東の群馬と栃木(母は栃木生まれで、私の〈言語〉には栃木の〈言語〉が混ざっています)、茨城、また埼玉も横浜も〈言語〉が違います。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第1回分を掲載します。

2014年11月14日
 ソシュールは「それぞれの社会は、同じ言語(ラング)を持っていません」と言っています。自分の話す〈言語〉が「共通語」(「標準語」)であり、日本全国どこでも使えて(と思い)、無意識に使用していることが多かったのですが、それが異〈言語〉だと思わされる時がしばしばあります。まずは関西に来た時です。「標準語」が普及しているためか、周囲の人達は私が話す〈言語〉に合わせてくれているので、不自由なく、無意識にまた、無自覚に会話を交わしていましたが、時折、不快な顔をする人がいるのに気づきました。『言語』を考えるようになって、私の話す〈言語〉は「標準語」であり、周りが私に合わせてくれているが、威圧的で高飛車な〈言語〉だと受け取ってるのではないかと感じるようになりました。それを思わせる時がありました。福井から京都へ帰る電車で隣にいた人と話した時です。その人とは旅の話をしていたのですが、突然「関東の人でしょう」と少しとがめるような口調で言って、「自分は芦屋に住んでいる」と言いました。その人は決して「関西ことば」で話していたようには思われませんでしたが、突然そのように切り込まれると、私の〈言語〉がこの関西とは違って、きっと威圧的に思ったに違いない、と逆に私自身が緊張してしまいました。もっとも私の話す〈言語〉は決して「標準語」でないことは、時々周囲に指摘される音便の使い方、イントネーションでわかります。しかし、ここ関西では〈中央言語〉である「標準語」なのです。といって、東京へ行って、電車の中で、若者特に高校性の言葉を耳にすると、ぽんぽん叩かれるような威勢のいい、こちらが畏縮するようなリズムで、異〈言語〉に囲まれている事を意識せざるを得ません。ところで北陸線の電車の隣席の人が言った「関東の人」と一括りにするのも間違いだと思います。北関東の群馬と栃木(母は栃木生まれで、私の〈言語〉には栃木の〈言語〉が混ざっています)、茨城、また埼玉も横浜も〈言語〉が違います。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/7の第1回分を掲載します。

2014年10月25日
 やっと秋になってほっとしています。といっても、「秋」ってなに?と、今さらながら簡単に使っていることに戸惑いを感じています。あの恐ろしいほどの暑さが消え、涼しく、凌ぎやすくなったから、空が澄んでいるから、虫が鳴き始めたから(といっても、とうに虫は鳴くのをやめ、空も雲で覆われています)、木々が色付き始めたから、ということでしょうか。しかし、確実に「秋」を感じています。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第7回分を掲載します。

2014年10月6日
 
台風18号が猛威をふるっていますが、被害が大きくならないことを祈ります。先日に引き続き、内藤惠子著『境界の詩歌』への批評を『境界の詩歌 3頁』に掲載します。ご覧下さい。

2014年10月4日
 『ほっこり通信 from Kyoto』については2012年にすでにご説明し、リンク頁からもその詳細を見ることが出来ますが、その福島の避難家族のお母さんが働ける場として京都七条通りに、レストラン&カフェ『キッチンnagomi』をこの9月にリニューアルしたということで、早速出掛けていきました。折しも、支援者の中心になっている人がいらしていて、避難先の京都での苦労や震災で突然変わってしまった人生をおくっている家族のことを話してくれました。店は京都の民家をリフォームしたということですが、太い梁が見える天井の高い二階は広い和室になっていて、小さな子連れのお母さん達が気兼ねなく食事をたのしめるようなスペースになっています。避難者は「ここ京都に永住すると決意した人」「帰りたいと思っている人」「まだどうしていいかわからない人」といて、それでもともかく子どものためになんとかしたいと思っている人ばかりで、たとえ生活できるほどの収入でなくても働き口があることで支えられ、前向きになっていく人に、ほっとするとその支援者の方は言っていました。『キッチンnagomi』のHPは、リンク頁を参考にして下さい。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第6回分を掲載します。

2014年9月15日
 内藤惠子著『境界の詩歌』への批評が送られてきました。「出版案内」の『境界の詩歌 3頁』からご覧下さい

2014年9月13日
 友人に誘われて、「ミクロポディウム」を見に行きました。ミクロポディウムとはハンガリー語で「小さな舞台」という意味だそうです。ハンガー人の人形遣いがたった一人で、手のひらにのるような小さな人形を音楽に合わせて暗い舞台で操るのですが、人形は息を吹き込まれたかのように、舞台の上で、手や脚を自在に、しなやかに、曲げたりのばしたりして、躍ります。表情のなかった顔は、たちまち喜び、悲しみを表し始めます。後ろで操作する人形遣いは黒い服に身を包み、暗闇の中に埋没し、まるで文楽の黒子のようです。しかし、彼は黒子とは違って、操っている手だけは隠さず、わざわざ見せているそうです。それは、人形を通して、操っている自分と観客を結びつけたいという思いからだとか。しかし、私は、音楽に陶酔してたった一人で躍っている人形の、妖艶で孤独な姿に魅入っていました。

2014年9月3日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第5回分を掲載します。

2014年8月20日
 関西は再度大雨災害にみまわれました。京都市内でも大変だったようです。テレビを見る時にはどこでどのような警報が出ているかを気にするようになりました。日頃よく通る小さな川沿い、山の斜面に建っている住宅を思い浮かべ、大丈夫だったかと案じる毎日です。長岡京市では二つの川が淀川に流れ出ていますが、昔はよく氾濫したようです。大雨というと、西の山から溢れ出た水がどんな風な道を辿って流れて行くか想像でき、あの住宅地は大丈夫だろうか、あの土手は、あのガード下は、あの裏山にはほんの小さな流れがあった、池もあったと心配したり、あの地区は大丈夫だろうと市の職員でもないのに、あれこれ考えたりしています。いつものように、『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第4回分を掲載します

2014年7月29日
 
この10日ほど、回線の不具合でインターネット、メールが出来ませんでした。御迷惑をおかけし申しわけありませんでした。インターネットをいつも利用していたものですから、本当に不便でした。手持ち無沙汰の毎日でしたが、慣れると他のことに時間をうまく使うようになりました。とはいえ、今日、回線工事が無事終了し、メールが届き、インターネットが出来るようになって、こんなにうれしいことはありません。遅くなりましたが、『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第3回分を掲載します。

2014年6月19日
 
近くの川にホタルが戻って来ました。かつては、田んぼにも小さな水辺にもホタルが飛びかっていました。夜更けに見に行き、ついでに一匹、手のひらに包んで、蚊屋の中に放し、そのぼんやりとした光をしばらく楽しみましたが、そのはかなさにあわれを感じ、しばらくしてもとの田んぼに返しにいきました。田んぼは宅地になり川は汚染され、ホタルを見ることもなくなったのですが、川をきれいにする努力が実を結び、2、3年前からこの時期にホタル鑑賞の夕べが催されるようになりました。しかし、小さくなった田んぼにはもう姿を現わすことはありません。同じく、地を揺るがすような鳴き声の牛蛙もまったく聞こえません。どこに行ってしまったのか。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第2回分を掲載します。

2014年6月2日
 6月始めというのにとうとう京都では30度を越えてしまいました。道路の照り返しの中、ひっそり静まり返った住宅地を歩いていると、窓が少し開いていて、簾の中でひっそり暑さに耐えている人の気配を感じます。いよいよ夏の始まりです。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、12/3の第1回分を掲載します。

2014年5月14日
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、11/30の第5回分を掲載します。

2014年4月26日
 JR長岡京駅前の建物で「本当のフクシマ 写真展」が催されました。福島原発事故から3年が経過。しかし74人の小児甲状腺がんの発症が伝えられているそうです。健康被害はこれからも拡大されるのではないかと危惧し、フクシマの現実と原発事故の避難者の声を伝え、政府にこのような健康被害の現実を認めさせ、希望するすべての人に放射能健康診断の実施等の必要な政策をとらせるという目的で「放射能健康診断100万人署名運動京都実行委員会」が写真展をこの小さな町でも行なったということです。子供たち、孫たちの未来を考え、また、関西の北部にある原発が万一事故になった時のことを考えると、原発再稼働に危機感を持っていましたので、この写真展で危機感はさらに大きくなりました。微力だとは知りながら、見に行き、説明に耳を傾ける事で同じ気持ちであるという姿勢を示せたのではないかと思います。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、11/30の第4回分を掲載します。

2014年4月4日
 桜が満開になり、風が心地よく感じられる季節にようやくなりました。桜の木の、特に老木の威厳のある姿には圧倒されます。あちこちの枝が朽ち果て、ぼろぼろに傷付いた老体が残る枝を必死に支えてあでやかな可憐な花々を空一面に咲かせている姿は、華やかであると同時にあわれを感じさせます。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋の、11/30の第3回分を掲載します。

2014年3月11日
 3年前の今日、午後2時46分、パソコンに向っていた時、奇妙な揺れを感じ、天井の蛍光灯から下がっている紐を見上げると、紐が無気味に右に左に揺れています。ただ事ではないと思い、別部屋に向い、あわててテレビを付けますと、叫ぶようなテレビ局の人の声と同時に東北三陸沖を震源とする大地震の映像が流れていました。まもなく白いしぶきをあげて沖合いから押し寄せる津波。みるみるうちに船を海岸の樹木を家を車を飲み込んで、押し流していく光景が映し出されました。東北に大地震、津波が襲い原発事故が起って3年が経ちました。阪神淡路大地震から19年、関西では大地震がないという過った知識での安心感は1995年1月17日の朝方に襲った大地震で覆され、それ以来少しの揺れにも敏感になっていましたので、蛍光灯の紐の揺れを地震の合図にしていたのです。しかし、まさか東北の地震の揺れがこの関西で感じるとは思ってもいませんでした。淡路、神戸は完全とはいえないまでも復興しましたが、それは東日本大震災に比べると災害地の範囲が小さく津波もなく原発事故もなかったからだと思います。いまだ復興がままならない東北に一日でも早く復興が叶えられますよう願っています。

2014年2月10日
 大雪に見舞われた東京。ニュースで雪道で足をとられて怪我をしそうな人を見ると、思わずわが事のように声をあげてしまいます。女性は長靴では仕事は出来ない、また通勤には電車などの利用で長靴は鬱陶しいということでどうしてもヒールをはいて出勤してししまいますが、私も駅までのほんの少しの雪道を普段の数倍の時間をかけて歩き、結局靴を一足だめにしてしまうことが多々ありました。しかし、転んで捻挫とか腰を打ったという話をよく聞きました。お気を付け下さい。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋は、11/30の第1回分を掲載します。

2014年1月21日
 毎日寒い日が続いています。天気予報を見ると、日本海側はいつも雪だるまマークですが、京都南西部、特に長岡京市は比較的温暖で、雪が降る事はめったにありません。しかし、一昨日、朝窓を開けたら、道路も木も車の上も真っ白でした。昼近くにはもう溶けてしまっていましたが。 大雪に見舞われた地域の苦労が大変なものだと思います。屋根の雪下ろしを見ていますと、積もらない屋根あるいは瓦はないものかと考えてしまいます。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋は、11/26の第3回分を掲載します。

2014年1月1日
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

2013年12月28日
 今年もあと数日となりました。今年中と思っていた新刊が間に合いませんでしたが、来年は刊行できるように頑張りたいと思います。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋は、11/26の第2回分を掲載します。

2013年12月6日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、11/26の第1回分を掲載します。なお、講義記録にはリードランジェのノートばかりでなく、ゴーチエ、ブシャルディのノートからの引用も含まれていますので、抜粋の箇所もリードランジェだけでなく、他2人の生徒のノートも含まれています。

2013年11月6日
 立命館大学名誉教授であった西川長夫氏が先月28日にお亡くなりになりました。拙著『ソシュールのパラドックス』の第2部の『「日本語」を再審する』では共感して下さり、氏の『戦争の世紀を越えて』(256頁)に「日本語教育について私が最も大きな示唆を受けた文章」と誉めて下さいました。また『一般言語学第三回講義』の訳の下書きを読んで戴いた時は、名もない私どもの訳と刊行への挑戦を喜ばれ、「―解題として―甦るソシュール』を書く事を快く引き受けて下さいました。残念ながら『一般言語学第三回講義』の初版・再版は絶版となり、増補改訂版では頁数の関係で掲載できませんでしたが、西川氏の最後のご著作『植民地主義の時代を生きて』(平凡社)の著作目録(591頁)に、[2003年]として掲上されています。氏のお言葉にどれほど勇気づけられたかわかりません。ご冥福をお祈りします。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、11/23の第4回分を掲載します。

2013年10月17日
 空は冴え渡り、ようやく「秋」という季節になりました。せっかく猛暑の夏から秋を迎えた今になって台風が各地をかき回しています。被害を蒙られた地域の人々にはお見舞い申し上げます。少し遅くなりましたが、『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、11/23の第3回分を掲載します。

2013年9月24日
 台風18号は「いままでに経験しなかったような」被害を京都にもたらしました。「嵐山、渡月橋」がテレビで大きく映されましたが、その下流の、嵐山から続く桂川、宇治から流れる宇治川、木津から来る木津川、三川が合流する大山崎もあと一mほど水かさが増せば、氾濫して、福知山のように大きな被害をもたらしたにちがいありません。平安京の前に都が置かれていた長岡京は、川の氾濫が原因で平安京に遷都したと言われているようですが、川は人を呼び寄せ、集落を作る所でもありますが、一つの都市を消滅させ、人の移動を余儀なくさせてしまうということを思い起こさせてくれました。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、11/23の第2回分を掲載します。

2013年9月3日
 
9月1日、関東大震災の時の映像や体験をした人の話がニュースで取り上げられていました。その映像を見て、※『江東ふるさと文庫』3巻「古老が語る江東区の災害」の震災編の編集の手伝いをしたことを思い出しました。関東大震災を体験した人達の話をまとめたものです。    ※発行:昭和62年東京都江東区。 その時の人達の生々しい話で受けた印象を先日9月1日のテレビ映像で思い出しました。古老の話の中で今でも強烈に覚えているのは、「空飛ぶトタン板」。トタン板が竜巻のように舞い上がり、空気をきって急降下する。それが人を襲う。福知山の花火の時の露天の爆発事故も規模は違っても同じように悲惨なことです。どのような災害も本当に恐ろしいものです。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、11/23の第1回分を掲載します。

2013年8月12日
 残暑お見舞い申し上げます。暑さが厳しい毎日ですが、立秋の前日、ひぐらしが哀し気に一度だけ鳴きました。秋の知らせは早すぎたと思ったのか、その後鳴く声を耳にしませんが、昨夜はどこからともなくジージーと虫の声がささやかに鳴いていました。猛暑の中でも、秋はもうそこに来ているのでしょうか。『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第13回(11/16分の頁では第3回)を掲載します。

2013年8月1日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第12回(11/16分の頁では第2回)を掲載します。

2013年7月10日
 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第11回(1908年11月16日から〕を掲載します。

2013年6月24日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第10回を掲載します。

2013年6月7日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第9回を掲載します。

2013年5月22日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第8回を掲載します。今回から日付けが変わり、〔1908年11月12日〕の授業ですが、第8回は、第7回に続けて同じ頁に掲載しました。

2013年5月5日
 
世界的なソシュール文献学者である小松英輔氏が長い闘病生活の後、昨日、逝去されました。御冥福をお祈り致します。 『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第7回を掲載します。

2013年4月17日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第6回を掲載します。

2013年3月25日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第5回を掲載します。

2013年3月14日
 『境界の詩歌』に読後感が寄せられました。今回は、特に第2部の「教育学的論考」や「女性学」についての内容に強い印象を受けたという感想でした。出版案内の「境界の詩歌 3」に掲載しました。

2013年3月7日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第4回を掲載します。

2013年2月26日
 
今日は2・26事件から77年目に当たります。事件の日、目の前で教育総監である父・渡辺錠太郎氏を殺された娘・和子さんが最近書かれた『置かれた場所で咲きなさい』の中の言葉は多くの人の心を打ちました。ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんについては、藤浪みや子がその著書『土の器 み旨のままに』(2002年12月弊社刊。婦人之友・昭和三十九年二月号からの転載)の中ですでに書いています。「カトリック系の大学で三十六才の若い女性学長、始めて誕生」というニュースに、婦人之友社の命で渡辺和子さんと会い、「“愛されるより愛す人に”二・二六事件で父を失った渡辺和子学長を訪ねて」という記事にまとめたものです。『土の器 み旨のままに』のご注文は、弊社へ直接お申し込み下さい。残部僅少ですので、在庫がなくなりましたら、お許し下さい。

2013年2月22日
 今日2月22日はソシュール没後100年目に当たります。しかし100年経っても、残された膨大なメモなどの多くはまだ未整理のままです。弊社刊行の『一般言語学第三回講義/増補改訂版』最終頁(282頁)に掲載しました「自筆講義メモ」のようなソシュール自身の思索過程がよくわかるメモが整理され、活字化されることを待ち望んでいます。また、神話、アナグラム等に関する自筆原稿が掘り起される日を心待ちにしています。

2013年2月18日
 JRで一区間の切符を買うと、その値段で琵琶湖一周できる大回りというシステムを使い、昨日、琵琶湖一周をしてきました。琵琶湖の東岸は東海道線や新幹線が走っていて、早くから開けた所ですが、西岸は比良山系などが湖岸に迫っているためか、鉄道の開発が遅れ、琵琶湖の北部に行く湖西線ができたのは1974年でした。しかし、それが幸いしてか、雄大な自然がすぐそばに見られます。特に比良駅までくると、西に比良山系が迫り、その雪景色は湖北まで続きます。山の幾重にもなった稜線は墨で一筆描きしたように波を打っています。湖西線が琵琶湖最北端の近江塩津駅に着くころには車内の人もまばらになり、土地の人が寒そうにマフラーに顔をうずめている姿に出合います。そこから北陸本線で南下し東岸の長浜を過ぎて、米原から東海道線を南に下ると、彦根、草津の町の人達が乗り込んで賑やかな車内になりますが、琵琶湖対岸の夕日に照らし出される雪の比良山系がはるか彼方に連なり、大自然をたった360円(一区間を往復買わなければなりませんが)で満喫することができてすがすがしい気持ちで帰路につきました。                    『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第3回を掲載します。前回(第1、第2回)同様、左の「ソシュール『一般言語学講義』のご紹介」からご参照下さい。

2013年2月1日
 
『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋、第2回を掲載します。(第2回は、同頁の第1回のあとに掲載しています。)前回(第1回)同様、左の「ソシュール『一般言語学講義』のご紹介」からご参照下さい。

2013年1月15日
 
『一般言語学第一回講義』に引き続き『一般言語学第二回講義』(リードランジェの講義記録)の抜粋を行なっていきます。第二回講義では、同じ日に行なわれた講義は同頁に少しずつ続けていきます。また、後半で掲載されているパトワの講義記録は省略します。日付けが変わった時には新しい頁を設けます。同じ日の講義が同頁に長く続く時もあり読みにくいかと思いますが、ご容赦下さい。左の「ソシュール『一般言語学講義』のご紹介」からご参照下さい。

2013年1月1日
  明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い致します。京都、大阪、神戸地区や東京の書店さん、大学生協さんには時々ご挨拶に行きます。しかし、他の地域の書店さんなどにはなかなかご挨拶に伺えません。申し訳なく思っております。弊社の書籍で、カバー・帯の色があせていたり、破損しているものがありましたら、どうか弊社に電話またはファックスでご連絡下さい。新しいものをすぐお送りします。また、ご購入されたお客さまも、気がつかれましたら、お手数ですがご連絡下さい。京都ジュンク堂BAL店がこの一月でビル改装のため、一時閉鎖されるそうです。弊社の本を贔屓にして下さっている方もたくさんいらっしゃいました。一時的とはいえ、とても残念です。ソシュール関係の書籍はジュンク堂京都店、大垣書店四条店、三条店、京都店、ブックファースト河原町店、京都駅アバンティ、にあります。どうかご利用下さい。『一般言語学第一回講義』に引き続き、『一般言語学第二回講義』の要約を再開します。

2012年12月4日
  先日、立命館大学人間科学研究所『育ちあいグループ』(立命館大学名誉教授高木和子氏)が主催する“「大人としての発達」における「育ちあい」「支えあい」”の講演会に出席しました。午前中は、東京の東久留米市の自宅を解放して、親と幼児が集える空間を作り、現在「わはは生活育児研究所」を主宰している浜名紹代氏の講演“子育てを楽しいものにするために”。午後は参加者達―司会:渋谷郁子氏(鈴鹿短期大学、臨床心理士)、コメンテーター:浅野敬子氏(至学館大学)・川島由里子氏(京都、ゆりかご保育園)、片山伸子氏(東京福祉大学)、吉本朋子氏他、などによる「これからの研究と視点の展開」という会でした。幼児に関わっている人達と接するのは初めての事で、現場というものがどんなものか、どんな問題があるのかを垣間見、その問題の解決の一助になるために力を注いでいる人達のなまの声を聞きました。参加者の共通するテーマは「育ちあい」、つまり子育てと同じように大人である親も育つ、育てられるという意識が大切ということでした。しかし、親が子どもに育てられているということを認識し受け入れるのは大変難しいことだとも思いました。

2012年10月25日
 去る10月20、21日に日本フランス語フランス文学会秋季大会が神戸大学で行なわれました。二日目の21日にはワークショップの一つとして「ソシュール没後100年・100年の言語学」をテーマに、コーディネーターに金澤忠信氏(香川大学)、パネリストとして、加賀野井秀一(中央大学:『思想史・言語学史上におけるソシュールの位置づけ(20世紀)』)、鈴木隆芳氏(大阪経済大学:『ソシュールの音声学と構造言語学の音韻論』)阿部宏氏(東北大学:『パンヴェニストのソシュール批判』)、最後に、『もう一人のソシュール』で序文を書かれた松澤和宏氏(名古屋大学:『Ecrits de linguistique generale(Gallimard,2002)の校訂上の問題点とソシュールにおける(順序)の問題』)が講演されました。

2012年10月24日
 事務所を下記に移転しました。〒617-0822 京都府長岡京市八条が丘 2-2-12-206 電話番号等は変わりません。Tel&Fax 075-955-8502 <cogito@mbox.kyoto-inet.or.jp>  http://web.kyoto-inet.or.jp/people/cogito/ インターネット接続が遅れました。大変ご迷惑をおかけしました。

2012年9月11日
 晩になると、虫の声が高らかに鳴き、ようやく秋、と頭では感じますが、昼の猛暑には皮膚の感覚が夏を告げています。虫の感覚と皮膚感覚が早く一致するように願うばかりです。小松英輔著『もう一人のソシュール』で序文を書かれた、ソシュール研究者である名古屋大学大学院教授の松澤和宏氏が「『一般言語学草稿』の校訂と注釈」という研究成果を発表されています。「1996年にソシュール自身の手による草稿が発見され、それ以前に発見されていた草稿と共に『一般言語学草稿』(ガリマール、2002年)が刊行された。しかしながらこの版は数多くの判読上の誤りを含み、50頁にのぼる草稿を無視している。本研究の目的は注釈を付した文献学的な校訂版を作成し、ソシュールの沈黙に関わる問題を検討することであった。すなわち、なぜソシュールは理論的体系の試みを放棄したのか、という問題である。本計画は、草稿の解読に伴う困難のために完全には実現できなかったが、草稿が我々に示すのは一般理論の構築の不可能性を表現しているもう一人のソシュールであることが明らかになった。」ソシュール研究の目的は「一般理論をめぐるソシュールの謎めいた沈黙のなかにひそんでいる〈思想の劇〉を厳密に復元することにある」ということです。そのため、「ソシュールの理論的考察に関する草稿の厳密な校訂版を作成し、クロノロジーに即して提示すること」ということです。いまだ掘り起されていない草稿が発掘され、新しいソシュール論が展開されればと期待しています。

2012年8月13日
 
オリンピックが終りました。年々開会式や閉会式のはでで贅を尽くした催しに、これからの開催国は限定されてしまうのではないかといやな気持ちでいたのですが、いつの間にか試合や会場の盛り上がりに引き込まれ、翌日放映される結果だけでは飽き足らなくなって、この数日間は一晩中起きて、試合の経過を一喜一憂しながら楽しみました。感動したシーンはたくさんあったのですが、もっとも感動したのは、「なでしこジャパン」のメダル授与に登場した選手達の姿です。前の選手の両肩に手をあて、ダンスでもするように進み、表彰台に立った時は隣と手を結んでウェーブをして観客への感謝を表し、喜びを共にする。その爽快さは、それまでの人並み以上の練習の苦労と金メダルを逃した悔しさを心の奥に仕舞い、銀メダルを素直に喜び、その喜びを応援者と共に分かち合うというしゃれた心遣いから出て来たものでしょう。かつては、オリンピック参加は「日本」という国を背負って立つという使命感と必ずメダルを獲得しなければという悲愴感が漂っていましたが、今は応援してくれた「家族・仲間・応援者」への感謝が溢れていました。一人ではなし得ないということを選手自身が知っていて、それが感謝の言葉になっているのでしょう。そうした姿に感動しました。 

2012年7月9日
 『ほっこり通信 from Kyoto』を編集している人と知り合う機会がありました。発刊した目的は、「放射能の不安を抱えている被災地に向けて、京都の避難情報を集めフリーペーパーにして提供することによって、被災者に京都の情報を届け、支援者とを結ぶ役割を果たす」ということです。今回3号には、避難された人達、特に母親の声、親子と支援者の絆を深める行事など、多くの情報が掲載されています。東日本はここ京都では遠く感じられますが、この通信誌を読むと、避難されている母親がどんな気持ちで、知らない土地で過ごしているか、少しですがわかります。詳細は以下のHPをご覧下さい。

http://ameblo.jp/hokkori-kyoto/entry-11135814872.html

2012年7月3日
 『ソシュールのパラドックス』を読んだ方から感想が寄せられました。該当頁に掲載しましたのでご覧下さい。

2012年6月27日
 先日ある会に出席しました。その時、一人の女性に強く引き付けられました。いつも黙ってニコニコしているその人が周囲がどっと笑うと、隣の友人にいぶかし気な顔を向けます。するとその人がすぐメモ用紙に説明を書きます。女性はうなずいて、うれしそうな顔をします。周りも話のおかしさにもう一度笑い出します。女性は、三年前に突発性難聴で左の耳が聞こなくなり、その後右の耳も少しずつ聞こえなくなっている。補聴器でなんとかわかる程度、ということを知りました。聞こえなくなってから手話を覚えようとしたそうですが、年で覚えるのにかなり苦労するということでした。補聴器の具合はどうかと聞きましたら、遠くの声も近くの声も同じように聞こえるため、ざわざわとした雑音のようであまり効果はないということでした。耳とは不思議なものだと思いました。私たちは、遠くの声は遠くに聞こえ、耳をそばだてれば誰の声か識別でき、何を言っているのかわかります。同じ言葉でも、調子が変われば何を意味しているのかわかります。耳の聞こえない友人を思い出しました。彼は子どもの頃耳が聞こえなくなったそうですが、口話法を覚え、口の動きを見て理解できるので、日常生活には不自由しないということです。目の前で対話する場合、意志の疎通は完全で、私も彼と話す時、耳が聞こえないと思ったことはありません。 一体、耳とはどのような構造になっているのでしょうか。耳と同じ効果をもつ補聴器が開発されればと思います。

2012年6月5日
 2日、同志社女子大学で行なわれたドナルド・キーン氏の講演『日本、京都への思い』を聞きに行きました。同大学内のアーモスト館開館80周年記念講演会ということで、同志社と縁の深いキーン氏が招かれたのです。『Poesie auf der Grenze』の著者内藤恵子氏は、キーン氏に献本したいと思いながら、ご住所がわからず手元に置いたままでした。今回の講演会を知った内藤氏がこの際に直接手渡しできればというので同行しました。しかし、キーン氏は、ご高齢のこともあり、講演が終わるとすぐ控え室にお入りになってしまい、秘書の方に著書を無事に託せたのは2.30分過ぎてからでした。 内藤氏も弊社もなんらかのご感想を頂けたらと期待していますが、どのような本でも感想をいただくのは本当に難しいことだとも知っています。

2012年5月12日
 『メールフォーム』頁にトラブルが生じ、メールでのご注文ができなくなりました。ご迷惑をおかけして申しわけありませんでした。『本のご注文』として作り直しました。エディット・パルクに直接ご注文の場合は、左記の『本のご注文』頁をご利用下さい。

2012年4月2日
 東京に住む友人が京都では桜はもう咲き始めたかと聞いて来ました。昨日すでに咲き始めたところもありましたが、多くはまだまだ蕾がかたいままでした。ところが今日、この暖かさに蕾も大きくふくらみ、今週末には咲き始めるのではないかと思うほどでした。もっとも地域によって開花の時期がかなり異なります。また友人は、MY桜があるかと聞きました。どこよりも家の近くに一本だけある大きな桜が一番好きだそうです。そこで私もそのような桜があるか思いだして見ました。雨に濡れて真っ黒なごつごつした幹に数枚のうす桃色の花びらを付け、見上げれば空に敷き詰められた花がそぼ降る雨に一枚一枚と散ってしまう桜を愛でるのがMY桜と気づきました。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第43回目を掲載しました。今回で『一般言語学第一回講義』の要約は終りです。

2012年3月19日
 今はどこに行っても梅が満開ですが、山の稜線に一本だけひっそり咲く枝垂れ梅は、誰に愛でられるわけでもないのに、健気に咲いていて、いとおしさもひとしおです。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第42回目を掲載しました。

2012年3月2日
 前回に引き続き、岡本夏木著『ことばと発達』について共感を覚えた箇所を引用します。というのも、対象が子ども/留学生と違いがあるにせよ、著者の言う問題の一つが拙著『ソシュールのパラドックス』の後半の「『日本語』を再審する」で指摘した問題と同じだったからです。岡本氏は二次的ことば獲得の過程での子どもの葛藤の一つに〈標準語〉の問題を挙げています。「児童期とは、子どものことばがおとな社会のことばにさらされ、それへの同化を強く求められる場ではなかろうか。」「二次的ことばでは、(略)文字言語の獲得が大きい役割をになってくる。子どもは話しことばと書きことばの二重言語生活者となる。」「子どもが二次的ことばの教育で要求されるのは、新しい用法や媒体だけでなく、子どもがそれまでに自己の中に育ててきた言語、すなわち母語とは異なった言語の使用を迫られてくる点である。「標準語」(最近は「共通語」ともいう)とよばれ、時には「正しい日本語」という衣をよそおって登場することばである。」「学校が求めてくる書きことばの教育とは、それまでの一次的話しことば(またはその発展したもの)を、新しく文字という媒体によって表現することを学ばされるのではなく、標準語という新しいことばを、新たに習得した文字によって綴ることなのである。」二次的ことばを学んで行く小さな心の中はどうなっているのかあらためて不思議さを感じると同時に、おとな社会の一員である私の無自覚を問わされているような気がします。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第41回目を掲載しました。

2012年2月14日
  岡本夏木著『ことばと発達』を読み、驚き学んだところが沢山がありました。幼児のことばには一次的ことばと二次的ことばがあり、前者は母親など身近な人と向き合い接して語ることば、後者は学校へ行って不特定の人の中で使うことばだと、著者はことばを発達の観点から二つの種類に分けて述べています。著者は言います。『二次的ことばの出発は、このように子どもによって程度の差こそあれ、そこには当惑や混乱をもたらすし、またそれを克服しながらこの新しいことばを行使してゆくためには、意識的な注意の集中と緊張や努力が強く求められてくる』『こうした子どもが直面する新しい課題性と、それに伴う困難やとまどいに、おとなたちはどれだけ気づいているのだろうか』と。私自身もこのような、多くの『子ども』が経験するであろう『苦闘』に気付いていなかったと思っています。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第40回目を掲載しました。

2012年1月24日
 
西から北にかけての山々や、北にひときわ高く聳える愛宕山も今日は真っ白に雪化粧。山の裾野はもう春の準備なのか、産毛のような木々の枝が被っています。時折雲間から漏れる朝日で、淡いピンク色に染まる白い肌の山。暖冬であったこの数年忘れていた景色でした。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第39回目を掲載しました。

2012年1月6日
 『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』)の感想が寄せられました。該当頁よりご覧下さい。

2012年1月1日
 新年おめでとうございます。今年はよい年でありますように。

2011年12月30日
 今年も余すところ2日となりました。地震や津波、原発事故という大きな悲しい出来事が続きました。私は関東出身で、東日本には縁が深く、いつも気になりながら、あまり力にはなれませんでした。一方で、なでしこジャパンには元気をもらいました。来年はよい年であることを祈っております。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第38回目を掲載しました。

2011年12月15日
   ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第37回目を掲載しました。

2011年11月30日
  ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第36回目を掲載しました。

2011年11月16日
  出版ニュース社刊『出版ニュース』(2011年11月中旬号)に「もう一人のソシュール」が紹介されました。出版案内の該当頁からご覧頂けます。

2011年11月10日
  京都西山の麓にある光明寺は春は桜、秋は紅葉として有名で、シーズンともなると大型バスが近くの道路に巨大な姿で並び始めるようになりました。光明寺を通り過ぎて竹林を脇目に、善峰へ向う農道のような狭い道から遥か幾重にも重なった西山を望むと、中麓のところどころに煙が立ちのぼり、のどかな風景が広がります。しかし、「にそと」という京都第二外環道路が出来るため、山が寸断され、今工事中です。明智光秀が本能寺へ向うため、引き返したという老の坂から南北へ向う道路はいつも車が渋滞していたのですが、「にそと」ができれば渋滞が緩和されるというので数十年ほど前から計画されていたようです。トラック輸送をしている知人は大阪に行くのも京都北部へ行くのも早くなると喜んでいますから、のどかな田園風景が壊れると嘆いてばかりもいられません。森林が削られ山肌が露わになってコンクリートの橋桁が打ち付けられていく姿を見ると、ついこの間の風景がどんなであったか思い出せません。このようにして新しい景色に慣れ、惜しむ気持ちは薄らいいでいくのでしょう。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第35回目を掲載しました。

2011年10月22日
   ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第34回目を掲載しました。『一般言語学第一回講義』は例の多い文章で、例を省略しながら、抜粋するのはとても困難で、誤解のないように充分伝えられるかどうか、いつも心配しています。不可解なところ、疑問のところがありましたら、本体の『一般言語学第一回講義』をご覧下さい。

2011年10月5日
 秋をのがすまいと、車で京都の北部へ。稲刈りを終えた田んぼ、、鬱蒼とした杉木立、小さな集落をあっという間に過ぎ、平地に出る。遠くに聳える山の麓から立ち上がる煙。すでに藻抜けの殻になって道端にころがっている栗のいが。渓谷沿いに車一台がやっと通れるほどの幾重にも曲がった道を上っては下る。出合うのはツーリングを愉しむ革ジャンバーの列、たった一人で、走っていくバイク。我身に試練を課しているようにきつい傾斜の道を、ひたすら走る自転車。爽やかな風や山や煙りの匂い。猛暑だったからこそ味わえる秋の香り。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第33回目を掲載しました。

2011年9月20日
 
 『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』の感想が寄せられました。該当頁より御覧下さい。『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』御希望の方は、メールあるいはお手紙でお申し込み下さい。

2011年9月17日
 
 1992年早稲田大学で行われました国際シンポジーム「SAUSSURE AND LINGUISTICS TODAY」(ソシュール言語学とその現代性)に関する論文集(デ・マルロ・菅田茂昭編集、1995年、BULZONI EDITORE)を早稲田大学教授菅田茂昭氏よりいただきました。その著作集の中に小松英輔氏の論文:「LES DEUX PSYCHOLOGIES DE LA THEORIE SAUSSURIENNE」が掲載されています。『もう一人のソシュール』の「小松英輔著作一覧」(311頁)には未記載のものでした。菅田茂昭氏にあらためてこの場でお礼申し上げますとともに、『もう一人のソシュール』をご購入された方には御面倒をおかけしますが上記の追加をお願いします。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第32回目を掲載しました。

2011年9月2日
 
前回8月17日の、ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第31回目を掲載しましたが、第30回と同じ内容を紹介してしまいました。本当に申しわけありません。今回の第31回は「インド・ヨーロッパ諸言語の家族の内的、及び外的歴史の概要」についてです。前回の第30回、第31回の内容が重複し、申し訳ありませんでした。お詫び致します。訂正しておきましたので、御覧下さい。

2011年8月17日
 
昼も夜もまだ厳しい暑さがつづいているのですが、蝉の声と共に、秋の虫がひそかに鳴き始めました。そのどこか違う心細いジージーという音色に耳をすませると、不思議とうんざりしている夏を惜しむ気持ちと、秋の気配を感じて感慨深い気持ちになります。ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第31回目を掲載しました。 

2011年8月8日
 
『もう一人のソシュール』の書評が、図書新聞第3026号に掲載されました。その一部を該当頁に引用しましたので、ご覧下さい。

2011年8月5日
 
暑中お見舞い申し上げます。『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』の感想が寄せられました。該当頁から御覧下さい。

2011年7月29日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、『一般言語学第一回講義』第30回目を掲載しました。次回はいよいよ後半の「インド・ヨーロッパ諸言語の家族の内的、及び外的歴史の概要」に入ります。『もう一人のソシュール』はお陰さまで売れ行き好調です。書店に在庫がない場合は、弊社にファックスあるいはメールでご注文下さい。

2011年7月14日
 京都では7月に入るとあちこちで祇園祭のコンチキチとお囃子の音が流れてきます。祇園祭が終ればいよいよ夏。例年そうだったのですが、この数年、梅雨が短く、今年はすでに梅雨明けしてしまいました。今週の始めにはジージーと蝉が鳴き出しました。猛暑にうんざりしながら、何故か懐かしい気持ちで聞き入っていました。※ソシュール『『一般言語学講義』のご紹介ページに『一般言語学第一回講義』第29回目を掲載しました。『もう一人のソシュール』を送った方々から「ソシュール研究の内実が問われるのではないか」などの感想をいただいています。読後感、書評などが寄せられましたら、その都度掲載していきます。※『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』の感想が寄せられました。該当頁から御覧下さい。

2011年6月24日
 
小松英輔著『もう一人のソシュール』がいよいよ発売されます。全国の有名書店で購入できます。品切れ等の場合は弊社にメールまたはファックスでご注文下さい。『Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』の購読御希望の方は、該当頁に書いてある通り、140円切手同封の上、弊社にご注文下さい。お送り致します。ソシュール『『一般言語学講義』のご紹介ページに『一般言語学第一回講義』第28回目を掲載しました。

2011年6月15日
 
小松英輔著『もう一人のソシュール』の発売は6月26日です。大変お待たせしました。名古屋大学大学院教授松澤和宏氏の序文の一部を掲載します。出版案内よりご覧下さい。内藤惠子著『Die Funktion der Monologe in Goethes Drama"Iphigenie auf Tauris"』(境界の詩歌(補遺)日本語訳 『ゲーテの古典劇「タウリスのイフィゲーニエ」における独白の機能』が6月22日に刊行されます。詳細は出版案内よりご覧下さい。

2011年5月23日
 
ソシュール『『一般言語学講義』のご紹介ページに『一般言語学第一回講義』第27回目を掲載しました。小松英輔『もう一人のソシュール』はもう少しお待ち下さい。

2011年4月30日
 
小松英輔『もう一人のソシュール』の刊行は5月半ば頃になります。予定より遅くなり、申し訳ありません。詳細は左記の出版案内からご覧下さい。

 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに『一般言語学第一回講義』第26回目を掲載しました。

2011年4月12日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに『一般言語学第一回講義』第25回目を掲載しました。 

2011年3月28日
 
国際的評価の高い日本のソシュール研究の第一人者小松英輔氏によるソシュール原典資料の訳と論考と掘り起しを一冊にした『もう一人のソシュール』を5月に刊行します。詳細は、左記の出版案内の頁と、そこからリンクされた関連ページを御覧下さい。

2011年3月16日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第24回目を掲載しました。

 この近辺のスーパーマーケットでは、すでに懐中電灯、電池、水、トイレットぺーパー、ティッシュペーパーなどが売り切れていました。おそらく、計画停電がなされている大都市に住む家族などのために送るためではないかと思います。しかし、何故トイレットぺーパーかとちょっと頭をかしげています。かつて阪神淡路大震災を経験した人達が、トイレットぺーパーの必要性を感じたからかもしれません。先日の大地震が起った時刻は正確には3月11日午後2時46分でした。下記の時刻を訂正します。申し訳ありませんでした。

2011年3月14日
 
謹んで地震災害のお見舞いを申し上げます。3月11日午後2時45分、京都南西部の長岡京市の自宅でパソコンに向っていましたら、ゆらゆらと大きな揺れを感じました。めまいと思っていましたら、蛍光灯の紐が大きく揺れています。異常を感じ、即座にテレビを付けましたら、東北地方で8.8の地震があったと報道されています。その後、30分ほどは、この家でも電灯の紐がぶきみに揺れたり、止まったり。地震の恐ろしさは関西まで伝わってきました。阪神淡路大震災の経験から地震に備えて日頃いろいろなものを準備しているのですが、津波の時には何も役にたたないことを知りました。被災された方々にはあらためてお見舞い申しあげます。

2011年2月21日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第23回目を掲載しました。

2011年1月27日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第22回目を掲載しました。

2011年1月21日
 
内藤恵子著『境界の詩歌』に感想文が寄せられました。『境界の詩歌 3』に掲載しましたので、御覧下さい。

2011年1月5日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第21回目を掲載しました

2011年1月1日
 
あけましておめでとうございます。フェルディナン・ド・ソシュールの『一般言語学第一回講義』、『一般言語学第二回講義』、『一般言語学第三回講義』の編者、小松英輔氏によるソシュールの自筆原稿の掘り起しなどを一冊にまとめた『ソシュール自伝』を今春刊行します。御期待下さい。

2010年12月24日
 
『ソシュールのパラドックス』を読んだ方からご感想をいただきました。該当ページの1に掲載しました。

2010年12月17日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第20回目を掲載しました。

2010年12月1日
 
広瀬典丈・さちよの作品展が行われます。 1)「いけばなスペース第3回いけばな展」12月11日〜13日 於:名古屋市有松町並み保存地区 2)「広瀬典丈・さちよ作陶展」11月29日〜12月7日 於:松坂屋名古屋店 ※12月1、2、6日は広瀬さちよ氏自らが説明 ※12月3、4、5、7日は広瀬典丈氏自らが説明

2010年11月25日
 
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第19回目を掲載しました。

2010年11月24日
 
11月4日に引き続き、内藤恵子著『境界の詩歌』への感想、及び批評が著者のドイツの知人から寄せられましたので、『境界の詩歌 その3』に掲載しました。その下に、参考として著者の日本語訳が掲載してあります。左の「出版案内」から御覧下さい。

2010年11月4日
 
内藤恵子著『境界の詩歌』への感想が寄せられましたので、該当ページに掲載しました。左の「出版案内」から御覧下さい。

2010年10月4日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第18回目を掲載しました。今回は言語(ラング)と言葉(パロール)の関係と違いが述べられ、言葉(ランガージュ)の研究には大事なものだと強調されています。『一般言語学第一回講義』の訳では「言葉」をランガージュとパロールと区別するため、ルビを打っていますが、ご紹介頁の17回、18回では、わかりやすく、「ランガージュ」、「パロール」と書きました。

2010年10月4日
 
ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第17回目を掲載しました。

2010年9月14日
 
ようやく涼しい風が吹き、日ざしも和らいで来ました。秋の訪れをこれほど待ち望んだことはなかったような気がします。西山の裾野では、煙がぼんやり漂い、すでに稲刈りの季節を迎えています。                                                    ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第16回目を掲載しました。

2010年8月25日
 相変わらずの猛暑ですが、昼間、関西では熊ゼミのやかましい声が我がもの顔に鳴いていますが、その声に混じって、みんみんゼミの声が聞こえ、夕方にはそれまでの熱風と少し違う風が家の中に流れ込み、それまでひっそりしていた虫の鳴き声も聞こえて、待ちに待っていた秋に近づいたかと感じました。 クーラーなしの生活がどれほどありがたいかとしみじみ思っています。ヒートアイランド現象の一つにクーラーの室外機から出る熱風が考えられると思うのですが、外に勢いよく流れ出る熱風を涼風に変える機械が発明されると、年々きつくなる暑さもかなり抑えられるのではないかと真剣に考えています。   ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第15回目を掲載しました。

2010年8月10日
 残暑お見舞い申し上げます。連日35度以上の天気が続いていましたが、今日は台風の影響か、いつもの真っ赤に燃えた空が黒い雲に覆われ、時々激しい雨が熱したコンクリートの建物を冷やし、少しほっとしています。しかし蒸し暑さは相変わらずです。9月まで厳しい暑さが続くようです。お身体を大切にして下さい。/ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに第14回目を掲載しました。

2010年7月20日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第13回目を掲載しました。

2010年7月5日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第12回目を掲載しました。今回の「IIの影響。文法的な影響」の項のみならず、これからも例がたくさん紹介されますが、HPでは内容が理解出来る程度の例のみにしぼり、他の多くの例は割愛しました。理解しにくいところは本文をお読み下さればと思います。

2010年6月29日
 著者に『境界の詩歌』に対しての感想が送られてきましたので、『境界の詩歌』の頁に掲載しました。出版案内からご欄下さい。

2010年6月21日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第11回目を掲載しました。

2010年6月7日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第10回目を掲載しました。

2010年5月25日
 『境界の詩歌』の I、Schwierigkeiten der Uersetzung japanischer Gedichte (日本語詩のドイツ語への翻訳の難しさ)の「Vorwort」(序文)をドイツ語のまま掲載しました。出版案内の『境界の詩歌』からお開き下さい。

2010年5月17日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第9回目を掲載しました。

2010年4月28日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第8回目を掲載しました。

2010年4月7日
 『境界の詩歌』に対して読後感が二通送られて来ました。該当ページに掲載しましたので、御覧下さい。送って下さいましたU氏、物部様、貴重なご批評をありがとうございました。

2010年3月23日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第7回目を掲載しました。

2010年3月5日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第6回目を掲載しました。

2010年2月9日
 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介ページに、第5回目を掲載しました。

2010年1月18日
 ラテン語・ギリシア語の専門家であるという、友人の知人から『ソシュールのパラドックス』の読後感ならびに質問をいただきました。その方に直接ご返答と思っていましたが、その方の事情で、ご返答は保留のまま現在にいたってしまいました、その読後感、質問を該当頁に掲載しておきます

2010年1月12日
 
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。『境界の詩歌』に関する感想を掲載しました。該当ページから御覧下さい。

2009年12月3日
 『境界の詩歌』ページに随時掲載していきますので、御覧下さい。

2009年11月30日                                                        ソシュールの一般言語学講義をより身近なものにして頂くために、弊社で刊行している『一般言語学第一回講義』、『一般言語学第二回講義』、『一般言語学第三回講義』を順次抜粋して、ソシュール『一般言語学講義』の紹介ページに掲載していきます。抜粋に伴う誤解を避けるためにあえてコメントは致しません。コメントによってさらなる誤解が生じるかもしれないからです。百人いれば百人の要約がなされることでしょう。この掲載がソシュールの一般言語学講義を理解する上での一つの目安でしかないのをご了承下さい。

2009年11月12日                                                       広瀬典丈・さちよ作陶展が開かれます。12月2日(水)〜9日(水)豊橋丸栄7階 美術画廊詳細は、リンクページから御覧下さい。

2009年11月12日                                                       第2回―有松町並み保存地区 町屋にいける―『Ikebna Space いけばな展』が下記のように開催されます。11月21日(土)〜23日(月)名古屋市緑区有松町並み保存地区

2009年11月9日                                                        内藤惠子著『境界の詩歌』が完成しました。大変お待たせしました。全国有名書店でお求めできますが、弊社刊行本はすべて少部数ですので、品切れ等でご迷惑をおかけするかもしれません。悪しからずご了承下さい。なお、直接のご注文も扱っております。メール、またはファックスでお申し込み下さい。

2009年9月7日 広瀬典丈・さちよ作陶展が下記のように開催されます。9月18日(金)〜24日(木仙台 FUJISAKI  本館6階 美術工芸サロン   詳細はリンク頁より広瀬典丈・広瀬さちよホームページを御覧下さい。

2009年8月31日                                                        内藤惠子著『境界の詩歌』のドイツ語の論文は、著者がその後の頁で補足的に説明しているので、ドイツ語が読めない人でもどんなことが書かれているか理解できる。ドイツにドイツ文学を学ぶために留学して、論文の指導教授から与えられたテーマは日本語詩歌(万葉集、古今和歌集、新古今和歌集、俳句など)のドイツ語への翻訳作品の検討。しかし、翻訳ということの困難に直面していた著者が、日本語詩歌をドイツ語で論評することを選んだのはおもしろい。それが、ドイツ語の論文のタイトル『Schwierigkeiten der Uersetzung japanischer Gedichte』 (日本語詩のドイツ語への翻訳の難しさ)となった。                                                                  2009年7月28日                                                        内藤惠子著『境界の詩歌』。詩歌は言語の壁を超えられるのか。古典的詩歌の翻訳の可能性と不可能性。女性を巡る文化の相違。若き日、ドイツ語で書かれた論文の他、日本語で書かれた最新の評論まで11編を収録。独と和との異色の評論集。9月中旬発売予定。

2009年7月1日                                                        『出版ニュース』、7月上旬号13頁に「ソシュール理解の基本文献」という題で弊社のソシュール『一般言語学第三回講義 増補改訂版』が紹介され  ました。内容は『一般言語学第三回講義 増補改訂版』の頁に掲載されています。

2009年6月8日                                                        「一般言語学第一回講義リードランジェによる講義記録」、「一般言語学第二回講義リードランジェ・パトワによる講義記録」、「一般言語学第三回講義増補改訂版コンスタンタンによる講義記録+ソシュール自筆講義メモ」を寄贈したジュネーブ公共大学図書館から、それに対する礼状が6月4日に来ました。「日本でのソシュール思想を理解する上で力になることを嬉しく思い、あなた方の重要な仕事にお礼を言います」とのことです。ジュネーブ公共大学図書館の蔵書はHPから検索できますので、弊社のリンクの頁をご利用下さい。

2009年5月5日                                                        ソシュール著『インド・ヨーロッパ諸語における母音の原初体系に関する覚え書き』(1879年)がフランス国立図書館のwebサイトで閲覧できます。リンクページを御覧下さい。

2009年5月7日                                                        ソシュール『一般言語学第三回講義 増補改訂版』及び『ソシュールのパラドックス』に関しての感想をいただきました。『一般言語学第三回講義 増補改訂版』の頁に掲載しましたので、ご覧下さい。

2009年4月14日                                                        各小売り店鋪でご迷惑をおかけしていますが、弊社は小部数出版です。『一般言語学第一回講義』、〈増補改訂版〉『一般言語学第三回講義』はまだ在庫がございます。お急ぎ下さい。

2009年3月23日                                                            〈増補改訂版〉『一般言語学第三回講義』に対して、読者カードが送られて来ましたので、掲載します。左の〈増補改訂版〉『一般言語学第三回講義』の感想・批評ページからリンク出来ます。

2009年3月5日                                                       コンスタンタンによる講義記録に、ソシュールの自筆講義メモを加えた〈増補改訂版〉『一般言語学第三回講義』が完成しました。より重層的に、より精確に幻の講義が再現されることでしょう。是非、書店でお求め下さい。

2009年2月27日                                                       書籍には必ずISBNと分類コードをつけるが、ソシュールの場合、哲学か言語学かで分類を迷わされる。哲学と言語学は明らかに違う分野だが、「ソシュールの思想」が問題にされる限り、哲学と看做され、そう受け取られる傾向があるのは否定できない。第一回から最後の三回講義まで、ソシュールは従来の言語学への批判から講義を始め、言語についての哲学を述べる。しかし、「言語」を哲学的に考えようとしたわけではない。彼はひたすら言語学を位置付けようとしていたのだ。当然、私たちは言語学の分類(C1080)に入れた。ソシュールの嫌っていたのは抽象的という言葉であり、重視していたのは観察と調査だった。ソシュールが講義の中で、「私たち」という時、哲学者のではなく、言語学者の「私たち」を指している。彼は言語学の講義を行ったのだ。Linguistique(言語学・言語なるもの)とは何か? にもかかわらず、その視点の卓抜さが実に哲学的であるというこの避け難いパラドックス。増補改訂版『第三回講義』、少し遅れそうです。申し訳ありません。

2009年1月28日                                                       『一般言語学第三回講義』増補改訂版がいよいよ刊行されます。発売予定日は3月3日です。左の『〈増補改訂版〉一般言語学第三回講義』 をリンクして、ご参照下さい

2009年1月1日                                                       『一般言語学第三回講義』はすでにお知らせしましたように、品切れとなりましたので、今春、増補改訂版を出す予定です。『一般言語学第三回講義』をより重層的に理解するために、残されていたソシュールの自筆講義メモをあらたに加え、それに併せて微 妙な異動がわかるように、コンスタンタンによる講義記録の旧訳を全面的に見直しました。                                                     また、日本の俳句、短歌をドイツ語に訳す難しさをドイツ語でまとめた内藤恵子氏の論文 ・批評等の作品も現在作成中です。今夏刊行の予定です。

2008年12月13日                                                      奈良の室生寺からの帰り、阿騎野という所のとある店で、一枚のパンフレットが目についた。柿本人麻呂が、「ひんがしののにかぎろひのたつみえてかへりみすればつきかたぶきぬ」を詠んだという丘で、「万葉集」を語ろうと書かれていた。どんなところか興味をそそられ、足を伸ばして寄ってみた。奈良にはなにげなく古墳があったり、万葉の時代を今もなお偲んでいる人たちがいると思うとおもしろい。『日本語を再審する』に、古典は明治に作られたと書いたら、万葉の世界の存在を信じている友人にひどく憤慨されたが、スポーツをしている声が響く体育館の横に再現された丘で古典の世界を味おうとするのはおもしろい。ロマンの正体とは、果たして何だろうか。                                             「街路が造り直されます。同じ街路なのです。」ソシュール『一般言語学第二回講義』より。

2008年10月20日                                                      マンガン鉱の閉坑:先日、朝日新聞で紹介された、京都府京北町の山奥にある「丹波マンガン記念館」を訪ねた。様々な製品の原料としてのマンガンの採掘は明治28年頃から始まったが、その作業の多くは、朝鮮人と被差別部落の人々が担っていたという。特に最盛期の戦争中は強制連行された朝鮮人が過酷な労働にあたった。関西にはそのようなマンガン採掘場が多々あるようだが、訪れた丹波のマンガン鉱床は日本に留まった朝鮮人の一人(李貞鎬さん)が、鉱山の鉱業権(山自体は他の所有者だという)を買い求めて採掘を続けていたという。その後マンガンの需要がなくなり、閉山に追いやられた。

若い頃から過酷な採掘をしていた李貞鎬さんはいつも「自分の墓はいらん。ここがわしの墓や」と家族に言っていたという。息子の李龍植さんはその意志を実現するため、歴史を後世に残すため、私財を投じて記念館を作った。家族の話では、坑道の中で作業がどのようになされていたか一目でわかるように、寝そべるようにしてしか進めなかった坑道を広げ、採掘や運搬している姿のマネキンを置き、天井や壁から沁み出る水を脇に流す溝を作り、女性が担った飯場を再現して、当時の状況がわかるようにしたという。また、坑道の出口に展示場を作り、採掘されたマンガンやマンガンから利用される電池、レール等々を置いた。その記念館もまもなく閉館するという。行政の援助もなく家族だけで20数年維持し続けて来たが、年々見学者が減り、その維持に限界を感じたのだという。現在、坑道は人が入らないように完全に密閉し、日本政府に手渡す手続きをしているという。

2代目館長である三男李龍植さんが、マンガン鉱山の歴史を書き残すため、採掘に携わった人達の話を聞きに朝鮮半島にまで足をのばして体験者の話を聞いているという。しかし、朝鮮半島に帰った多くの人が胸を患ってすでに亡くなっていたり、日本での過酷な労働の記憶を胸の奥にしまい込み、家族にはまったく語っていないため、聞き取りはかなり難しく、3年前から続けられている作業はいつ完成されるかわからないという。展示場には多くの労働者の体験談が掲載されていてそのことで被害者意識が強すぎるという非難が多く寄せられていたようだが、加害者意識や被害者意識を越えたところで歴史は見られなければいけないと思う。

2008年6月12日                                                       小学校で、アフガニスタンは米の原産地と習った。中央アジアは砂漠と山ばかりと思っていたので以外だった。紛争前のアフガニスタンの映像を見ると、確かに緑豊かな土地であったのがわかる。ペシャワール会はその緑の大地に戻そうと、川から水を引くための潅漑を何十年もかけて準備していき、一部は完成していた。国家事業ではなく、個人の延長のような団体によって行動し、地道に続けてきたことに賛同して、会員になり、わずかであるが、会費を払っている。会員になると、「ぺシャワール会報」が送られてくる。今回は、殺害された伊藤和也氏の追悼号だった。

 この事件では、かつてのように「自己責任」という非難は聞かれず、彼を悼む声の方が多いようだ。テレビの報道で見る限り、現地でも伊藤和也氏の死を嘆く姿が心に残る。しかし、会報を読めば、ペシャワール会がアフガンで活動を続けていくことに日本社会で非難の声があることがわかる。ペシャワール会が恐れているのは、自分たちの活動が政治的に利用されることのようだ。彼らの活動を支持するにせよ非難するにせよ、それを政治的に回収することは彼らの活動を無化するに等しいだろう。丸腰で、武器をもたない平和こそが真の平和作りであると信じている彼らに賛辞を惜しまない。

                                                      

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