相原奈津江
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 ソシュール『一般言語学講義』のご紹介 

ソシュールの一般言語学講義をより身近なものにして頂くために、小松英輔編(原テキストの掘り起し)『一般言語学第一回講義』、『一般言語学第二回講義』、『一般言語学第三回講義』を順次抜粋して掲載していきます。この掲載がソシュールの一般言語学講義を理解する上での一つの目安でしかないのをご了承下さい。

一般言語学第二回講義(1908-1909年)
リードランジェによる講義記録からの抜粋

11/5・12

11/16

11/23

11/26

11/30
 12/3

12/7

12/10

12/14

12/17

12/21

1909/1/11

第1回(目次は以下の通りです。抜粋は日付けごとに頁を新しくしますが、同じ日に行なわれた講義はそのまま続けていきます)

目次

リードランジェによる講義記録
一般言語学
〔1908年11月5日〕………………………………………………………13
〔1908年11月12日〕………………………………………………………23
〔1908年11月16日〕……………………………………………………… 29
〔1908年11月23日〕………………………………………………………35
〔1908年11月26日〕………………………………………………………41
〔1908年11月30日〕………………………………………………………47
〔1908年12月3日〕………………………………………………………53
〔1908年12月7日〕………………………………………………………59
〔1908年12月10日〕………………………………………………………65
〔1908年12月14日〕………………………………………………………73
〔1908年12月17日〕………………………………………………………81
〔1908年12月21日〕………………………………………………………89
〔1909年1月11日〕………………………………………………………97
〔1909年1月14日〕………………………………………………………107
〔1909年1月18日〕………………………………………………………115
〔1909年1月21日〕………………………………………………………123
一般言語学の序論としてのインド・ヨーロッパ言語学の概要[1]…133
一般言語学の序論としてのインド・ヨーロッパ言語学の概要[2]…173


〔1908年11月5日〕(13頁)

                            一般言語学
                          ――――――――――
 言語学はその原理、その方法、その全体の探究において、まったく単純ではありません。というのも、ラングが単純ではないからです。一見してすぐに正反対なのがわかりますが、私たちにはラングが掌中にあるように思えます。おそらくはあまりにも近すぎるのでしょう。そこに一つの錯覚があるのです。(マックス・ミューラーによれば遮蔽幕ですが、むしろ(ソシュールの)、それによって他の対象を捉えることが出来る望遠鏡です)。ラングは厄介なコントラストをなしていて、片方だけでそれを捉えようとする人には、不安定なパラドックスを差し出します。ラングの諸語以上に恣意的なものがあるでしょうか。
…略… (13頁)。ですから、この恣意的な選択には、もっと固定された何かがあるようにも思えます。ところが、そうした隅々までの固定があるにもかかわらず、何世紀も前のラングが私たちには理解できないのです。もう一つのパラドックスとしては、
 話すためにラングの器官を使う必要があるのでしょうか。聾唖者……。                              ですから、ラングの中には多くの側面があって、しばしば矛盾します。ラングはどこにも分類できませんし、比較し得る対象もありません。

第2回(14頁)

 特別な何かがあるのを証明するためには、この50年間の言語学を考えれば十分です。…略… (14頁)。1840年から1860年頃の学者たちの、言語的な対象の性質に対する空想的で、神話的な観念には驚かされます。ですから、この対象は、それほど単純ではないのです。
 先人たちの視点を改良した1875年頃の世代でさえも、輝かしい領域の発見からは、はるかに懸け離れていました。最も基本的な問題でさえ、誰もが合意するような明晰な方法からはほど遠いのです。
 困難さの理由として。                                                    どの角度から取り上げても、ラングには、常に対応し合っている二重の側面があります。どこまで行っても、一方は他方によってしか価値がありません。というのも、人が口にした音節は、音の中に、耳が知覚するものの中にはないのでしょうか。あります。
…略… (14頁)。というわけで、ラングを音に還元しようとすれば、口腔の調音から切り離すことが出来ず、また反対に、聴覚印象を切り捨てれば、声音の組織の動きも明確には出来ないのです。この対応が一つの罠なのです。二重性に気付かないか、どちらか一方だけを対象としてしまいます。…略… (14、15頁)。ラングを作るのは、声音の音なのでしょうか。それは道具――そしてまた、この語が罠なのです。このように呼ぶことで音に独立性を与えてしまうのは危険です――なのですが、思考と無関係ではなく、それ自体では存在できない思考のための道具なのです。ここにもまた、恐るべき対応があります。
 声音が意味と正確に結び付いていて、一定のものでなければ、語ではありません。音と意味を同時に取り入れなければ、形態とは何かが言えないほどであって、その対応が言語的なものには認められるのです。

第3回(15頁〜16頁)

        A 複合単位        複合単位
       
  聴覚−声音的    心理的で、生理的

 しかし、これは一人の個人を観察した場合であり、自分自身の中で考えられているラングです。この複合単位は、少なくとも二人の個の間に、その領域を見い出さなければなりません。
…略…。この二重の複合単位を用いるには、少なくとも二人の個が必要です。…略…。結局、ラングが受け入れられるのは、社会生活によってでしかありません。

 ラングの中には、ですから、対応し合う二重の側面が常にあります。…略…。(16頁)

 というわけで、ラングが生きている領域を考えれば、常に個人的なラングと社会的なラングがあることになります。…略…。ラングの最も本質的、かつ最も真正な席がどこにあるのかを問えば、次のものとの区別が必要になります。ランガージュ(=個人の中で考えられるラング、話すために準備された力、能力、器官でしかなく、個人が一人っきりに放っておかれれば、決してラングには到達しないでしょう)。つまり、ラングとは、際立って社会的なものなので、出発点が何であろうと、全員の出来事になる時にしか、どんな言語的な出来事も存在しないのです。…略…。(16頁)

第4回(17頁)

〈定義〉。というわけで、ラングは次のようになります。諸個人のランガージュ能力の使用を可能にするために、社会的な集合体が必然的に採用した一つのまとまった制度です。ランガージュの能力は、ラングとは明確に異なる出来事であって、ラングがなければ行使できません。
〈定義〉。パロールは、
ラングという社会的な制度の方式に従って、その能力を実現する個人の行為を指しています。社会的な制度が認めるものを実現化するという観念が、パロールの中にはあります。

 …略…。私たちはラングを個人と社会の中で考えてきました。しかし、社会はさまざまであり、同じラングを持ってはいません。それは地理的に相違しています。相違には二つの種類があります。
1)相対的な相違。統一性の中の相違。…略…。(18頁)                                    2)根本的な相違。…略…。(18頁) 思考の表現の基本が、諸
ラングの間で異なっています。民族という問題があり、そして私たちは民族学との関連が現われはじめるのを見ます。

第5回(18頁)

 この相違は、ラングが提供する厄介な二重の側面の一つではありません。…略…。相違は他のものの産物であり、ラングの他の側面に還元すべきで、ラングの根本的な側面ではない、と私たちにははっきりと感じられます。…略…。ラングは時間と共にある出来事です。ラングは歴史を持っているので、これが物事を語る最も単純な方法です。この事実はとても単純に思えるのですが、言語学の初期において、あまりにも多くの錯誤に陥ったのは、歴史的な視点がほとんど考慮されていなかったからです。この視点は、また別の行き過ぎをもたらしてしまったので、今日では、別の意味で戦わなければなりません。ラングとは、時間の関係とはまた別の事柄なのです。…略…。(18〜19頁)ですから、その二つの側面を分けることが大切なのです。瞬間の中で起こっていることと、時間の中、次々と打ち続く時代の中で起こっていることの二つをです。これらの二つの面は、異なる二つの学問分野を構成しています。…略…。というわけですから、時間の中を進んでいく法則ともう一つの静態的なものとを区別することです。

第6回(19頁)

…略…。(19頁)時間の中でのラングの分類は、ラングが書かれるものでなければ可能ではありません。…略…。ですから、エクリチュールの重要性は否定できませんが、書かれるラングと話されるラングとの混同は、初期における数えきれないほどの、かつまた幼稚な過ちの原因でした。…略…。とすれば、いずれにしても、これら二つの能力は、脳の中で隣り合っている二つの領野にあることになります。ですから、エクリチュールとラングとの関係をおろそかにすべきではありません。とはいえ、話されるラングだけが言語学の対象であるのを忘れてはなりません。それどころか、書かれなかった諸ラングの歴史に、私たちは何も異常なものを見出せません。決して書かれることのなかったラングこそが、正規のものなのです。書かれるラングが話されるラングに与える影響は計りしれず、(ある選択に導かれて、書かれる諸語だけが頻繁に保存され、その発音が損なわれます。…略…。)

第7回(20〜21頁)

…略…。書かれるラングと話されるラング、これらもまた、ラングの対応の一つであり、二重の側面の一つです。その対応において、記号の体系の二重性に出くわします。…略…。この対応は、悲しむべき結果をもたらしましたし、今もなおそうです。書かれる語から人が満足に解放されることはないでしょう。…略…(20〜21頁)。

書かれたラングだけが、文学的なものになるのです。ラングにとってエクリチュールの重要性は、無視できません。あたかも、言語学とは文献の学問ではないのだろうか、と問われていたようにです。…略…。「エクリチュールが日常化された時」各ラングのグループの中に、地域の諸方言と並んで無視できないラングの型が、すなわち正規のものとされる書かれるラングが創造されます。ラングには書かれるとすぐに人工的な何かが混ざりますが、それをラング自体と切り離すことは出来ません。…略…。エクリチュールは文学の芸術的な発展と共にありますから、その結び付きのために、私たちはもう一度、文学でもある書かれたラングを考慮に入れざるを得ないのです。

〔1908年11月12日〕(23頁)

第8回

 言語学に場を与えようとして、ありとある方面からラングをピックアップしてはなりません。…略…。分析的な道は、決して何ものにも到達しませんでした。私たちは総合的な道を辿るでしょう。感覚に本質的に現われ出るものを取り上げるべきで、その時にこそ、ラングに真の場を与えることが出来るのです。

 …略…。ラングはまずもって記号の体系ですから、記号やその法則等が何から出来ているのかを教える記号の学問が必要なのは、明らかではないでしょうか。…略…。それらは、記号学となるでしょう。(意味論とは何の関係もありません。…略…。)諸記号によって形成された体系のすべての種類を、ラングが含んでいないこともまた明白です。ですから、言語学よりももっと広範なラングの学問が存在すべきなのです。…略…。しかし、すぐさま言わなければならないのは、ラングがこの学問の重要な部門を占めていることです。すなわち、ラングが一般的なパターンになるでしょう。…略…。理論的には、一つの特殊なケースでしかないでしょう。…略…。(24頁)この記号論理的なグループは、言語学そのものと同等に存在する権利を持っていて、研究するに相応しいと判断され、予めその場を要求しているのです。

第9回(24頁)

  エクリチュールにおいて、私たちはラングの体系とよく似た記号の体系の中にいます。主な特徴は、次のようなものです。
1)記号の恣意的な特徴。
…略…。
2)記号の純粋にネガティヴで、かつ差異的な価値。
…略…。
3)エクリチュールの価値が働くのは、一定の体系の中では、限られた分量の、その対立によってでしかありません。諸価値は対立的であって、対立によってしか価値ではないのです。
…略…。

4)記号の生産手段がまったく関与していないこと。…略…。26〜24頁

 エクリチュールには、一連の付随的な特徴がまだまだあります。
1)エクリチュールは、さまざまな構成員間の契約である共同体の一致を前提としています。…略…。
2)エクリチュールは恣意的な事柄の上に、合意の上に根拠を持ってはいますが、しかし、 個人においては何も変えられず、また同時に、共同体全体もどうすることも出来ません。…中略…。原初の自由意志的な契約は、最初の世代を過ぎた時から、もはや自由意志的なものではなくなるのです。残された世代はそれを受動的に受け入れるのです。

第10回(26頁)

 これらの二つの特徴は、ラングの中にも見られます。1)社会的な契約。それが存在しているのは明白ですが、私たちが原初の一致のままに留まることが出来ないのも明らかであって、それがいわゆる空理空論に過ぎないからです。完全に自由な契約が生まれたと看做されたのであれば、すぐさま二番目の特徴の前にいるのが理解されます。後に続く世代は、どんな時であってもその契約を何も変えることが出来ません。

 どこまでも詳細に比較を推し進めることが可能であって、…中略…(27頁)、他の記号の体系とラングの体系との間に、さらなる類似を見つけることも出来るでしょう。…中略…。ですから、ラングの周辺を描くべき輪が実際に何であったとしても、一つの学問分野を成立させるために、人間に固有の社会的行為が、私たちの前に十分にあるのは明白です。そして、そうした出来事のすべてが、一つの学問分野の対象となり、すなわち心理学や社会学に属している学問の一部門の対象となるでしょう。…中略…。記号論理的なさまざまな体系の中で、ラングを特別な一体系とすることは、私たちが明確にしておかなくてはなりません。そして、もし私たちがラングを位置付けることが出来て、初めてそれが天から降って湧いたものと思わなくなったとすれば、それは私たちがラングを記号学に結び付けたからだ、ということに、改めて思い至るべきなのです。

続く

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