飯沼万里子
mariko iinuma

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時 々 雑 録

第1回〜第8回
 第9回〜

飯沼万里子:1942年生まれ。専門は17世紀英文学。京都光華女子大学で英文学を担当。2007年退職。

第8回   2016年11月11日

 
                      長岡京室内楽アンサンブル

 長岡京室内アンサンブルの演奏を長岡京記念文化会館で聴いた。ずいぶん高名だからすでにその名前は知っていた。だが初めて演奏を聴いたのである。素晴らしいものであった。
 曲目はグリーグの『ホルベ組曲』、チャイコフスキーの『弦楽セレナーデ』、ヴィヴァルディの『四季』である。
 どの曲もよく知られた有名なものなのだろうけれど、音楽について詳しくない私はグリーグの『ホルベ組曲』ははじめて聴くものであった。しかし最初の弦の響きにたちまち曲の中へと誘い込まれてしまった。哲学的な楽章もあったけれど、楽しい曲調は最後まで持続して、曲の中に浮遊させてくれた。よい心地のままグリーグについて考えた。私が父親に電蓄を買ってもらったのは高校1年生の時であった。その頃はまだLPの時代である。少しずつレコードを増やしていったけれど高校生の私のコレクションはそんなに豊かではなかった。その中にグリーグの『ペール・ギュント』があった。本当によく聴いた。今もその中のどの楽曲のほんの少しのフレーズを耳にしても『ペール・ギュント』だとわかる自信はある。そういう訳でグリーグは私の中に埋め込まれていたから『ホルベ組曲』もすんなりと聞くことができたのかもしれな
い。
 チャイコフスキーの『弦楽セレナーデ』も本当に楽しく聴くことができた。第2楽章は誰もが一度は耳にしたことのあるワルツである。大層心地よく、裾の長いドレスを着て、この曲に乗っていつまでも踊っていたいと思わせてくれる曲である。ワルツを踊っている気分になりながら、チャイコフスキーのことを思い出していた。勿論チャイコフスキーのLPも持っていた。それも2枚。あまりにもありきたりだけれど、
『白鳥の湖』と『くるみ割り人形』である。どちらもバレー音楽であるから楽しんで聴くことができたが『くるみ割り人形』の方が好きだった。主人公の少女が見せてもらう様々な妖精の踊りの曲の一つ一つが個性的だったからである。「アラビアの踊り」「中国の踊り」「ロシアのコサックダンス」「花のワルツ」などどれもそのタイトルにふさわしかった。『くるみ割り人形』は舞台も見ていたから、曲を聴きながら
踊りも頭の中で楽しめたのだった。
 『四季』はさらに私が大きくなってから親しんだ曲である。バロック音楽が日本でもごく普通に聞かれるようになるのはかなり後のことである。そして私は成長するにつれて、違った音楽にも興味を持つようになっていった。ロック世代ではないけれども、ボブ・ディランの『風に吹かれて』を歌った世代である。
 『四季』はすでに私が働くようになって、自分のお金でCDを買ったのである。CDプレイヤーも自分で買った。自分のお金で買えるとなると、ちょっと面白そうなCDを見つけるとすぐに買ってしまった。様々な分野の音楽のものを手当たり次第という感じで買った。大きなCDラック2つをいっぱいにして、さらに買い続けたから、部屋中CDだらけになった。『四季』はそんな中の1枚でイ・ムジチのものである。しかし高校生の私がひたすらLPを聴いたようには聴かなかった。それでも覚えやすい曲であったから、特に「春」は自分で出だしは口ずさめる。
 最近2つのラックに入るだけのものを残して、ほかのCDは思い切って処分した。こうして私は改めて音楽を楽しめるようになった気がする。長岡京室内アンサンブルを聴こうという気持ちになったのもそのせいだろうと思う。指導者の森悠子氏のもとで若い演奏者がのびのびと弾いているのは本当にすばらしかった。『四季』の4つの季節はそれぞれ別々の若いヴァイオリニストの方々が担当された。ご自身心から楽しんで弾いておられた。そのようにして届けられる音楽は聴き手をも楽しくさせるのだと納得のいくひと時であった。


第7回   2016年10月10日

                       「藤飯治平の絵画」

 藤飯治平展が開かれている。藤飯治平(ふじいじへい・1928〜2005)といってもどのような画家か知らない方の方が多いのではないだろうか。彼はいわゆる美術団体には全く属すこともなく大きな公募展に作品を出すこともなかったからである。ネットで藤飯治平を調べると、仁川学院の藤飯治平記念館のことが出てくる。彼はここの小学校の図画工作の先生をしていた。その縁で彼の作品の多くのものを仁川学院が所有しているのである。
 彼は独学であったといってよいだろう。自分の作品は画廊で展示することで世に問い、生涯毎年個展を開き続けた。毎回十数点の作品が展示されるが、その中に必ず大画面の作品が一つある。いつもテーマは同じで、バベルの塔が描かれていた。バベルの塔が何であるかはご存じだとは思うが、簡単に説明したい。旧約聖書の『創世記』に出てくる物語である。人々はだんだんおごり高ぶるようになり、高い塔を建ててそこを町としようと考え、石を積み上げて大きな塔を建てていく。神はそれをご覧になり、人間の高慢さを罰するために、それまではすべての人間が同じ言葉を話していたのだが、様々な言葉を話すように変えてしまわれるのである。人々はお互いに意思が通じなくなってしまい、塔の建設は不可能になってしまう。塔の建設をあきらめて、人々はあちこちへと散っていった。こうして様々な言葉を話す人々ができたという。打ち捨てられた塔は崩れていったに違いない。バベルの塔は様々な画家たちによって描かれてきたが、最も有名なのはペーテル・ブリューゲルのものであろう。画面の中央には盃をさかさまにしたような形の巨大な塔が立っている。それはいくらか歪み、下から順に積み重ねられたパネル状の段の多くの部分が剥がれ落ちている。塔は海辺の近くに立っており、船も見える。王らしき人が付き従う人々とともに視察に来ており、石工たちは土下座している。
 いくつも描かれた藤飯治平のバベルの塔の一つを見てみよう。その塔は明らかにブリューゲルの作品の影響を受けている。画面の中央にそびえたっている塔はやはり盃をさかさまにしたような形である。十七か十八段の層をなして、土台から最上階へと建築されている。各層は城壁を思わせる建築様式で建てられており、一つずつ形式は違う。古代ローマの様式から始まって、ゴシック、ロマネスク、バロックと順に積み重なり最上階は多分ニューヨークの摩天楼である。堅牢な作りであるはずなのに、どの層にも崩れている部分が見える。最上階の現代の建築物さえ、すでに崩壊しつつあることが見て取れる。背後に少し覗いている建築物はサン・ピエトロ寺院であったり、サグラダ・ファミリアであったりする。色は茶のヴァリエイションとグレーのヴァリエイションである。描写は実に細密で、線の一本もおろそかにはされていな
い。この塔を描くのは長い時間と根気、そして何より優れた構想力が必要であろう。人は一人もいない。荒涼とした地に塔だけがそびえたっていて、崩れようとしている。
 このような作品を他の誰が描いただろう。このように堂々として静かで沈黙の中から見る者に語りかけてくる作品を。この作品を見ていただきたい。藤飯治平の作品は10月23日まで阪神電車の岩谷駅を下車して南へすぐにあるBBプラザ美術館で見ることが可能である。60数点の作品の中に、リトグラフのものを含めて4つのバベルの塔を見ることができる。他にも旧約聖書から題材をとった廃墟の絵画が数点ある。それらも是非見ていただきたい。

                                     BBプラザ美術館のHPは、http://bbpmuseum.jp/

第6回   2016年9月5日

「高山右近と南蛮音楽」

 「高谷右近と南蛮音楽」という音楽会にいってきた。場所は芦屋のカトリック教会である。演奏される音楽にふさわしい場所であった。  阪急の芦屋川駅から川沿いに南へ下ったのであるが、本当に懐かしかった。私は高校生時代このようにして浜辺に近いところにある高校へ通ったからである。教会は眺めるだけで入ったことがなかったので、入ること自体に興味があった。丸みを帯びた薄茶色の天井は温かみがあった。窓はいわゆる絵画的なステンドグラスではなくて、細長い窓には青と白のガラスがすっきりと配置されていた。祭壇には十字架があり、キリストの磔刑の像があった。プロテスタントの教会では十字架があっても、キリストの磔刑の像はない。ああ、カトリックの教会だと納得がいった。
 まず高山右近についてのお話があった。音楽家の方なのだが、高山右近に興味を持たれて詳しく調べておられる方が話された。高山右近については16世紀の戦国時代のいわゆるキリシタン大名であるということぐらいしか知らない。彼が高槻の城主であったこととか、結局はキリスト教を捨てることをしなかったためにマニラに追放されたことは知っている。今年彼は福者に叙されている。彼が殉教者であり、キリスト教のために尽くしたと認められたからである。確かに彼はセミナリオ(キリスト教を学ぶ学校)を作った。そこでは少年たちによる合唱隊が聖歌を歌ったに違いない。
 休憩ののちにいよいよ「南蛮音楽」を聴くこととなった。8曲演奏されたのであるが、すべてマリアを主題にしたものであった。いわゆる詠唱である。ソプラノ、アルト、テノール、バスの4人の歌手の方たちと楽器担当5人の方たちによって演奏された。楽器はヴィオラ・ダ・ガンバが2つ、コルネット、ドゥルツィアン、小型のオルガンである。コルネットは我々がブラス・バンドで見るものとは違って、大きな角笛のような形をしていて、穴を指で押さえて音を出すものである。ドゥルツィアンは我々が知っているバスーン、ファッゴットである。ヴィオラ・ダ・ガンバもご存じないかもしれない。これはチェロの床に付けて支える部分がないものを想像していただきたい。従って膝で胴体を挟んで演奏することになる。ガンバとは足のことである。中央にオルガンが置かれ、その他の楽器が配される。歌手の方々はその後ろに並ばれたり、横に立たれたり前に来られたりする。聖歌は天へ上るようにしり上がりに高くなる曲調である。歌詞は短いのだが繰り返し歌われることで盛り上がっていく。一人の歌手がまず歌いだすと、少し遅れて次の歌手が歌いだす。つまりもしソプラノが歌いだすとすると、すぐに同じ歌詞でアルトが続いて歌いだす。印刷物が配られ、ラテン語の歌詞と日本語訳が載せられていたから、歌詞の出だしはわかるのだが、残念ながら歌詞をたどることはできなくなってしまう。声が混然一体となってしまうのだ。いわゆるポリフォニーである。しかし生で聞くポリオフォニーは本当に美しかった。
 実はこれらの音楽はちゃんとした作曲家によって作られている。無知な私でも知っている名前、例えばモンテヴェルディがあった。彼ははじめてオペラを作曲した人として知られている。宗教曲だけではなく王侯貴族のために歌やアリアも作曲している。俗な世界にも貢献しているのである。芦屋川沿いに駅へと道をたどりながら、高山右近は今日私が聞いた詠唱を、彼が建てたセミナリオで少年たちの聖歌隊が歌うのを聴いたのだろうか、織田信長や豊臣秀吉はもしかしたらはるばる日本にやってきた遠い国からの歌手によって恋心を歌うアリアを聴いたのだろうかなどと思い、疑問は尽きなかった。

第5回  2016年7月8日

             「Lascia qu’io Pianga」

 前回触れた“Lascia qu’io pianga”についてもう少し書いてみたい。

 前回書いたように、この曲はヘンデルのオペラ『リナルド』の中のアリアである。キリスト教徒であるアルミレーナはサラセン軍に捕らえられるが、サラセン軍を率いるアルガンテに言い寄られる。そのことを悲しんで歌うのがこの曲である。その内容は「私に涙を流させてください、私を自由の身にしてください、私を憐れんでください」というもので、残酷な運命をひたすら嘆き悲しむ。このアリアは19世紀のオペラの中のアリアのように激しくドラマティックに歌い上げられるものではなくて、実に穏やかに流れていく。

 しかし音楽について書くというのは至難の業なので、別の手段を使わせていただきたい。これを読んで下さる方はコンピューターを使っていらっしゃると思うので、YouTubeで曲名を打ち込んでいただきたい。日本語で「私を泣かせてください」と入れていただいてもいい。これでこの曲を聴いていただけると思う。

 チェチーリア・バルトリの美しい歌声を聴かれるかもしれない。日本人の歌手の歌声かもしれない。しかしどこかをクリックすると、ドラマ仕立ての映像が出てくる。これは『カストラート』(原題はファリネッリ)という映画の一場面である。

 18世紀のヨーロッパでは最も美しいソプラノの声を持っていたのはカストラートと呼ばれる男性歌手であった。そしてファリネッリはその中でも最も有名な歌手であった。そのファリネッリの生涯を描いた映画からのものである。この場面はファリネッリが”Lascia qu’io pianga”を舞台で歌うというだけのものであるが、彼の歌声にすっかり魅了されている観客の反応が同時に描かれている。また華やかな衣装に化粧も施しているファリネッリの姿も一見の価値がある。背景の孔雀が仕掛けで少しずつ羽を広げていくのも面白い。しかもこの短い間にカストラートとなるべく運命づけられた少年のファリネッリが去勢手術を受けるところも描かれている。類まれなボーイソプラノを持ったためにその歌声を生涯保つべく男性の大人になることを阻まれたのである。

 音楽は神にささげられるものであった。教会の中で歌うことができるのは男性だけである。そしてソプラノの歌声を担当するのは少年であった。その声が貴重だと思えるものであった時の少年の運命はむごいものであったということである。カストラートとは文字通り「去勢された」という意味であり、そうしてまで美しい歌声を神にささげたいと考えた18世紀のヨーロッパの音楽的思考には驚かされる。映画のファリネッリの声は女性のソプラノの声と男性のカウンターテナー(裏声を使ってソプラノの音域をうたう男性歌手)の声の合成であるという。

 ところで、『ザ・テノール』という映画を見た。実在する韓国の歌手で、見事なテナーでヨーロッパの劇場でオペラを歌っていた男性が喉頭がんの手術で声を失ってしまう。彼に歌声を取り戻させるために日本人のマネージャーが奔走するというストーリーである。このマネージャーの下で働く若い女性がいる。彼女はロックに打ち込んでいるのだが、夜の酒場の場面でギターを弾きつつ”Lascia qu’io pianga”を歌う。これはこの女性の精神面を表すのにぴったりだと思った。というのも、19世紀のアリアで満ちているこの映画の中で、少し時代をさかのぼった曲をさりげなく明るくロック調で歌うのだ。ロックだけではなくもっと深い音楽の知識を持っているこの女性はしっかりマネージャーを支えていくのである。

第4回 2016年6月6日

             「マリオネットによるオペラ『リナルド』」

 マリオネット(操り人形)が演じているヘンデルのオペラ『リナルド』のDVDを友人が貸してくれた。音楽について書く自信は全くないのであるが、ここで紹介したい。
 まず『リナルド』というオペラを全然知らなかったが、マリオネットが演じるということに興味がわいた。このDVDではイタリアのミラノのマリオネット劇団が専用の立派な舞台において演じている。かなりの人数の劇団員がいて、皆優れた技術を持っている。ただ感情表現も肉体的な動きも文楽の人形ほどには十分とはいえない。はっきりいってぎこちない。それでも口は開くようになっているので、せりふならぬ歌に合わせて口は動く。戦士たちが剣を抜いて戦うべきところが多々あるのにそれはできない。指は動かないのだ。戦闘の場面はあるが、最初から剣を手に持たせている。しかし衣装は豪華で、場面の転換もうまい。キリスト教徒軍とサラセン人軍の戦いでは人形たちが入り乱れるのだが、その時に少しだけ人形遣いたちが細かく糸を操るところも見せてくれる。オペラなのですべてが歌で表現されるが、担当したヨーロッパの様々な国籍の歌手が最後に全員登場し、観客の拍手を受けている。
 先に書いたように、『リナルド』を知らなかった。しかしリナルドという名前からどういう内容かは推測できた。この人物はルネサンスに書かれた多くのロマンスにおいて活躍をする騎士である。そういうロマンスの中にタッソ―の『エルサレム解放』があるが、『リナルド』はその一部を借りてきている。ヘンデルは18世紀の作曲家であるが、題材をルネサンスのロマンスに求めたのである。
 この作品では更に古い中世に時代がとられていて、十字軍がイスラム教徒から聖地エルサレムを解放する戦いが舞台である。総大将のゴッドフリードは娘のアルミレーナを伴って戦場に来ている。十字軍に加わった騎士リナルドは手柄を立てればアルミレーナと結婚する約束になっている。サラセン軍の総大将はアルガンテであり、恋人で女魔術師のアルミ―ダを伴っている。アルミ―ダは魔術を使ってアルミレーナを虜にする。リナルドはアルミレーナを救おうと単身サラセンの陣地に乗り込むが、かえって捕らえられる。ゴッドフリードはキリスト教徒の魔法使いとともに全軍を率いてサラセン軍に戦いを挑み、勝利する。アルミレーナもリナルドも無事に生還し、アルガンテ、アルミーダそしてサラセン軍はキリスト教徒に回心し、「めでたしめでたし」で幕を閉じる。
 このようなストリーであるから、このオペラは殺気立ったものではないし、ましてや人形劇ともなると何とものどかな舞台である。人形劇は楽しいが、私は音楽を知らないので十分に音楽を楽しんだとは言えない。ところが突然知っているメロディーが聞こえてきたのである。それは”Lascia qu’io pianga”という曲だ。このイタリア語のタイトルは『私を泣かせてください』とか『涙の溢るるままに』と訳されている。あるいは『涙のアリア』とも呼ばれている。もし聞かれたら、ああ知っている、と思われるだろう。結構バックグラウンドミュージックとして使われる曲なのだ。
 『リナルド』では、サラセン側に捕らえられたアルミレーナがアルガンテに言いよられて、捕らえられた上にこのような目にあう自分を嘆きこの曲を歌う。よく知っている曲であったが、このような場面で歌われるとは知らなかった。そういう意味で腑に落ちることになったし、この曲を聴くことができたことに十分に満足している。『リナルド』がどういうものであるのかを知ったこともうれしかった。よい経験だった。

第3回 2016年5月6日

                     「夷酋列像」

 「夷酋列像」(いしゅうれつぞう)を見る機会を得た。「夷酋列像」とは、18世紀末に松前藩の家老であった蠣埼波響(かきざきはきょう)が藩主の命によって描いた12人のアイヌの首長の肖像画である。
 この作品の存在は知っていたが、どこにあるのかも知らなかった。3月にこの作品の展示があるというニュースを観たが、すぐに忘れてしまった。思い出したのは4月の終わりである。コンピューターの検索を重ねて、やっと万博記念公園の中にある国立民族学博物館において展示がなされていることを突き止めた。しかしこの作品の原画だと目されているフランスのブザンソン美術考古博物館蔵の画像の展示は4月19日までだったという。2月25日から展示は始まっていたのである。悔しい思いはしたが、4月29日に出かけて行った。蠣崎波響の他の作品、この画像の数多くの模写、この作品から由来した画像などを見ることができた。一応満足している。
 
この作品は、北海道、当時の蝦夷の北東部で起こった「クナシリ・メナシの戦い」をきっかけとして
描かれている。。この戦いは劣悪な条件の下で働かされたアイヌの人々の反乱であった。和人が多く殺された。このとき戦うことを諫め、この戦いを治めた12人の首長の功績を多として彼らの画像を描くことが行われたのである。
 全身像が描かれており、彼らは正装をしている。中国製の絹の衣装をまとっているのである。そこには鮮やかな模様が描かれている。髪は当時の和人が髷を結っていたのとは違って、自然になでつけて首の後ろでまとめている。長い髭を生やしており鼻の下にも髭があるので、顔は鋭い目と鷲鼻が目立つ。12人のうちに女性は一人だけである。首長として選ばれているので若くはないが、髪は黒い。他はすべて男性であり、2人は白髪である。胸を張っている姿勢の者は少ない。体を曲げているかひねっている。その中で最も堂々としているのがツキノエである。彼は中国製の床几に腰をかけている。深紅の衣装を身に着けており、裾に青海波が描かれ、藍色の雲や白い波状の模様もちりばめられている。更にその上に黒のロシア製の外套を重ねている。黒い髪、黒いひげ、黒い外套と深紅の衣装の対照が実に鮮やかである。彼の眼光は鋭い。優れた肖像画である。
 イコトイも人目をひく。彼は立っており左手に槍を抱えている。やはり黒い髪、黒い髭である。彼は龍の模様が描かれた焦茶色の衣装を身に着け、深紅の外套を重ねている。彼の場合も深紅と焦茶色の対照が鮮やかである。眼光は鋭い。しかし彼は少し身をかがめているのである。そして裸足である。ツキノエはブーツ状の靴を履いている。イコトイにはツキノエほどの威厳は感じられない。他の人物たちも動物を配されたり、弓を引いたりと様々な工夫が凝らされた興味深い人物画になっているが、ツキノエほどの威厳はない。それはこの人々が和人にとっては異質な人々であり、同等な存在ではないことを示さねばならなかったからであろう。ツキノエはぎりぎり和人と同等な存在になり得ている。
 しかし実に緻密に描かれ、色鮮やかな衣装をまとったこれら人々は見事に存在感を示しており、強い力で我々に迫ってくる。蠣崎波響はこの肖像画の意図がどこにあったかは別として、素晴らしい仕事を成し遂げたのである。

国立民族博物館:特別展「夷酋列像」

第2回 2016年3月22日

                    草間彌生 魂のおきどころ

 安曇野と松本市に行く機会を得た。素晴らしい体験だったが、一つのことについてだけ書く。松本市で松本市美術館を訪れた。そこで草間彌生の作品に出合った。美術館の2階の多くの部分が彼女のために使われていた。草間彌生の名前を知っている人は水玉模様の大きなかぼちゃを思い浮かべるかもしれない。その草間彌生である。まず美術館の外側の入り口の近くに彼女の巨大なインスタレイションがある。赤に黄色の水玉、濃いピンクに白の水玉、紫に白の水玉の巨大なチューリップを思わせる花々が展示されている。葉や茎も緑色に黄色の水玉が付けられている。花も葉もうねっている。巨大といったが、花は2階に、いやもっと上に達するほどの大きさである。私たちは草間彌生の作品に出合う覚悟をしなければならない。彼女のコーナーへ入ると黒っぽいプラスチックのかぼちゃの変形に出合う。その物体には水玉の穴が点々と開いている。てっぺんにはグレーに小さい黒の水玉の付いたへたが載っている。ここからは草間彌生ワールドが広がるのだ。多くの彼女の原色の作品群に出合ったために、すべての作品を覚えてはいない。次々と狭い空間の部屋へ入っていく。壁も天井もプラスチックのパネルでおおわれている部屋がある。一つ一つのパネルは縦の線、横の線あるいは斜めの線で埋められている。それらの線は波型になっていたりよろめいていたりする。渦巻きに埋められているパネルもある。たくさんの人の横顔が書かれているパネルもある。圧倒的な線の多さは尋常ではない。次の部屋には床に二つの大きな浅い箱が置かれていて、それぞれの箱の中には赤に白の水玉の布によって作られた指状のものが無数に植えられている。それらの指は様々な方向にくねっている。次には広い廊下のような空間に出る。そこには7個ほどの銀色に赤や青や黄色や様々な色の水玉が描かれたくねる円錐形の物体が置かれている。それらは踊っている。結構大きい。人間の腰に至る高さの物、人間と同じ高さの物がある。この廊下の果ての壁には凸面鏡がかかっている。それはファン・アイクの『アルノルフィ二夫妻の肖像』の背後の壁にかかっている鏡とそっくりである。ファン・アイクの鏡には夫妻の部屋に入ってくる人物が映っているが、この鏡にはこの廊下にあるうねる物体が映っている。そしてこの鏡は無数のうねる金色の指状の物に取り囲まれているのである。この鏡は私の物、と草間彌生が言っているかのように。天井も壁も床も鏡張りの部屋もある。そこに入ると我々は無数のシャンデリアに取り囲まれる。天井にも足元にもシャンデリアがある。居心地の悪い空間である。最後にたどり着いた部屋も鏡張りである。その部屋は緑色と黄色の電球をいくつも組み合わせて作られたオブジェに占領されていたように思うのだが記憶が定かではない。そこには美術館の女性がいて、我々の一人一人を小さい部屋へと招いてくれる。無数の緑色と黄色の電球のオブジェにぐるりと取り囲まれる。しかし40秒しか留まることはできない。そういう指示がされている。その部屋から出て草間彌生から解放されたとき我々はほっとする。しかししばらく歩くと美術館の窓から入り口にあったインスタレイションの巨大な花を否応なく眺めることになる。草間彌生体験は強烈である。心地の良いものではない。しかしたった一人の女性がこの異次元を生み出していることを思うと人間の力というものに納得させられるのである。その女性は今もこの空気を我々と一緒に呼吸している。

松本市美術館 特集展示:草間彌生


第1回 
2016年2月17日

ジョルジョ・モランディ展    

 ジョルジョ・モランディ展を見てきた。ジョルジョ・モランディは20世紀にその作品を発表し続けた画家である。イタリアのボローニャに生まれ、生涯をボローニャとその近郊のグリッターナで過ごし、1963年に亡くなっている。

 作品は兵庫県立美術館で展示された。1月17日までなら無料のチケットを持っていたのに、風邪でどうしてもいけなかった。今週いっぱいでおしまいだと気がせくまま出かけたのだった。

 いい展示だった。ゆっくりと心が寛いだ。「終わりなき変奏」という副題が付いていた。そう考えてもいいのかもしれない。彼の初期の作品、四つの器がテーブルの上に等間隔で並んでいる作品は多分すべての始まりである。画面は右から白い茶碗様の物体、白い瓶、黒っぽい筒、白と黒の中間の色の球状の物体で構成されている。赤や青や緑といった色彩はない。黒っぽいテーブル(テーブルと認識できる)、黒っぽい後ろの壁、そして四つの物体、それだけの画面である。四つの物体を器といっていいのかどうか。しかし見る者はなじみのある物と受け取るだろう。この作品から出発して80点の『静物』という作品群が見る者を待ち受けている。三つだけ「コーヒーポットのある」といったヴァリエーションが付くが、最初の作品からすべて『静物』である。そしてどの画面もそこには瓶やポットや水差しや先のつぼまった器が七つないし八つ並んでいる。どの器も写実的に立体感のあるフォルムと丁寧な陰影を与えられているわけでは全くない。色のヴァリエーシオンはある。黒、白、黄、茶、橙色。しかし鮮明な色ではなく、彩度を抑えた不透明な地味な色である。陰影はほとんどない。しかしすべての物体、すべての器は存在感を持っている。見る者はどの器もなじみのあるものと受け取るだろう。自分の家のテーブルにあるものと同じようにそれらをいとおしく思うだろう。それらは多分テーブルに置かれている。後ろは壁であるらしい。そういったことは判然としない。モランディ自身は円筒、円錐、直方体といった形を描きたかっただけらしいけれど。画布はどれもちょうどいい大きさで、自分の家の壁に空間があれば、そこに置きたいと思うくらいの大きさといってもいいかもしれない。ほんの少しのヴァリエーションでこのような作品が80点も並んでいたら、退屈すると考えるかもしれない。でも全くそうではない。一つひとつ眺めて、次に移っていく作業がとても楽しい。はっきり言って、こんなに楽しい美術展ははじめてだった。最後の方に10点ほどの『風景』があったのには驚いた。さらに10点ほどの『花』もあったのである。それらはモランディという画家を人間としてとらえさせてくれた。心から満足感を覚えた美術展であった。

兵庫県立美術館:ジョルジョ・モランディ展』

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