関西の人・まち(10)
「生野区の教会を訪ねて」 《3》
(質問者)家
族というものがありますけれど、こういうのが本当の家族だっていうのはありますか。先ほどの分ち合いということを、家族の中で行えるかというと、私の家族
ではちょっと自信がないというか、その、このように育ったのは自分ですけれど、そのように育てた親を恨む気持ちとか、兄弟の中でも競争があったりとか。家
族がうまくいっていた時代というのは何がうまくいっていたんでしょう。一緒に暮らすだけで相当ストレスがあるっていうのは何が原因なんだろうって。
(中村)「あ
のね、あの分かりませんけれども、1つは、戦後、やっぱり日本が走ってきた方向に、どこか間違っている点が、あると思いますね。戦前は、その、富国強兵み
たいな、明治維新から来て軍国主義に入っていくわけですよね。そしてそれで挫折するわけです。で、その後は経済大国になって、経済の方に邁進して、「会社
のために」とか。ひたすら、働く。働くことには意義があるし、大切なことだし、その結果得るものも素晴らしいものなんだけど、どこかで、何かを忘れてきて
いるというか失くして来ている。で、その国のなかで、貧しい人は幸いであると。我々は豊かになれば、幸せになると思って、確信して、何もなくした世代は、
少なくとも、うちの子供たちには、こういうひもじい思いをさせないようにという風に頑張らなくちゃいけない世代で、そして勉強もさせるというように、一生
懸命やってきた。ほんとにそれが、今の日本を築いた。日本沈没という映画がきてますけれども、それは地震による沈没ではなく精神的に今の日本は沈没す
る。」
(中村)「一
週間くらい前でしたか、ワーキングプアという、NHKで観たんですけれども、全然知らなかった。ぼやあっとなんとなくね、分かってはいたのだけれども、例
えば釜が崎ってご存知ですか。野宿している人たちがいて、増えてきているし。働いても働いても、その、人として、社会からね、切り捨てられていく社会があ
るんですね。すごい競争社会です。昔はある意味では日本は一番こう平等な社会だったんだと思いますね。そんなに失業者もいないし、貧しい人はそれなりに生
活保護などをもらっていてね。日本は、その日本の中だけであればよかったけれども、アジアとか世界とかいうレベルで見たときに、自分だけが金持ちになっ
た。自分だけがという世界を作った。そのときに、例えばおいしいマグロを食べるとか、おいしいバナナを安くするとか、南の方の人たちの資源を搾取している
んだから。そこにどれだけの思いやりというか配慮があるでしょうか。島国だけでやっていればよかったのにね。」
(中村)「そ
ういう、社会全体の向きというか構造というかその中で、家庭というか家族がだんだんだんだん破壊されていって、小さな、力のない家族が落ちこぼれていって
しまう。昔は大家族があったでしょう。子どもが何人もいておじいちゃんおばあちゃんがいて、仕事というか、何か難しい苦しいことがあったとしても、人間的
には支え合う一つの世界、学びあう世界、与えあう世界。そういう家族とか家庭とかあったんでしょうけれども、それがどんどんどんどん失われていったんだと
おもうんですよ。今は余裕がなくて、最近、子どもを殺す、そういう事件があったでしょ。ある意味であの人たちは、あのお母さんとかね、もう悪魔憑きみたい
な気もしますけれども、ある意味で被害者であって、社会からの。」
(中村)「40
年も前なんだけど、心理学者の有名な人で、京大の先生がTV講座をやっていて、『家庭の病理』ということを言っていて、家庭が4〜5人いてお父さんとお母
さんがいて子どもがいると。そしてその中のひとりの子どもが、暴走族となる。それはもう家族を壊していく張本人と見られていますけれども、でもある意味で
みれば、そういう暴走族になる子どもを家族が作っているんだと。そうでしょうね。ひょっとしたらこの暴走族になったのはこの家族の中の被害者じゃないか。
なるほどなあと思いました。それはまあ『家族の病理』というタイトルでしたけれど。別のところでは、看護婦さんが老人ホームでおばあちゃんをこう支えてい
るという、そういう写真があって、で『誰が誰を支えてますか』と言うんですよね。そしたら看護婦さんがおばあさんを支えていると、見かけには。でも心理的
には、看護婦さんはこのおばあちゃんから生きがいをもらっている。支えられている。」
(中村)「そ
ういう、次元でものを見、対処できる社会になっていればいいんですけれども、競争社会で、美徳のない社会。で本当はそこに宗教者の役割があるんだろうと思
うんですけれども、私たち宗教者は関わりを生かしきれていないという面があると思います。だから宗教者の罪も大きいですよ。ひょっとしたら一番大きいかも
しれない。つまり、神を示す責任のある人が、神を隠してしまっている。神を殺してしまっている。2000年前の出来事が繰り返されている。今も同じでしょ
う。イスラエルとアラブの争いとかね。で、貧しい人たちはね、素朴に信じてるんですよ。ほんとにそこで、神と出会い、神に支えられて生きているんですけれ
ども、宗教者であれ政治家であれ、権力の座についている者たちがこの世界を傷つけている。そういう構造がある。」
(質問者)「私も会社に入って、利益を追求しようとしているわけですが。」
(中村)「利益は追求しすぎないことが大切です。そして得た利益は分かち合うことです。」
(質問者)「今日はお忙しいところをどうもありがとうございました。」
(2006年8月31日に収録)
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