さちあ
sachia hase

関西の人・まち(11)


コーヒーの香りとともに 〜フランソア喫茶室〜


 京都の文化は社寺仏閣ばかりではない。視点を変えてみれば、無形の文化が思いがけないところで培われていることに気づくだろう。京都を担う人々に愛された喫茶店もその一つである。サロン的雰囲気を漂わせる「場」の中に確かな文化が息づいている。

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 京都四条河原町にほど近い、高瀬川に添った一角に、通りの喧騒をはなれて、「フランソア喫茶室」がある。現在の店長は、今井香子さん。創業者立野正一さんと、この店の代表をつとめる正一さんの妻、立野留志子さんの娘さんである。

 画家を目指していた創業者の立野正一さんは、武者小路実篤、志賀直哉らの白樺派の自然主義文学に影響をうけ、白樺派の崇敬の的だったフランソア・ミレーの名をこの喫茶室につけた。創業は昭和9年。店内は、ステンドグラスからの柔らかな光と、イタリアン・バロック様式の荘重な調度品を照らすシャンデリアでほのかに明るい。 

 奥 の部屋に続くレースのカーテンをくぐると、そこにはピカソ、シャガールらのリトグラフや、ロートレックの絵画がある。また日本で初めて銅版画に成功し、平 賀源内らとも親交のあった司馬江漢が、日本画の顔彩にごま油をまぜて描いた油彩画などの貴重な作品が飾られている。天井には船舶で使われていたアール・ ヌーボー調のステンドグラスが印象に残る。  

 太平洋戦争の予兆が濃く なり始める昭和11年、反戦雑誌「土曜日」(これはフランスの人民戦線の発行していた雑誌「金曜日」にちなんでいる)が手に入る数少ない場所として左翼系 知識人たちが集まった。 昭和22年には、奥の部屋で、ミレー書房という書店が始められた。当時はめずらしかったマルクスの『資本論』などの左翼系の書物 を多く置いていた。2年余りでミレー書房は店を閉じる。店長が独立して三月書房を開店することになったためである。

   エコール・ド・パリで活躍した画家藤田嗣治は戦時中日本に帰国していた際によく訪れた。後に「私が日本を見捨てたのではない。日本が私を見捨てたのだ」 との言葉を残し、パリに戻り帰化した彼は、クラシックの流れる店内で何を思っていたのだろうか。お客としては新劇人を代表する宇野重吉、また桑原武夫など 京都学派と言われている三高・京大の学生や先生たちがいた。 

 今井さんの代になってからも、映画監督の新藤兼人、山田洋次、俳優竹中直人らが通う。また哲学者鶴見俊輔は家族の方と訪れることが多い。ノーベル文学賞の大江健三郎の姿を見かけた人もいる。 

 京都の名所として、近年は東京や全国からの観光客も訪れる。「文化とは長い伝統がつくりあげるもの。伝統を否定したところには、文化は生まれないのです」と、今井さんは言う。平成14年、喫茶店としては初めて、国の有形文化財に指定された。 

 開 店当初からコーヒーの淹れ方は変っていない。豆はコロンビア、ジャワロブスター、ブラジルサントス、モカ、それらを5種類の仕方で焙煎するという。「コー ヒーは難しいです」。温度、蒸らし加減、湯の落とし方で味が決まる。おすすめはエヴァミルクと生クリームのホイップを浮かべたブレンドコーヒー550円。 矢内原伊作が同志社大学を離れる際に贈った、ジャン・コクトーの自筆の手紙のあるコーナーで、飲んだコーヒーの味は深みのあるほろ苦さだった。 

 創 立者の理念を受け継いできた老舗。続けてきた中で、有形無形の親からの恩恵を強く感じる、と今井さんは語った。コーヒーを飲みながら交わされる会話や議 論。朝は室内楽、午後からはシンフォニー、夜おそくになるとシャンソン。時間帯にあわせて選ばれたクラシック音楽の流れる中、静かに伝統を守り継ぐ人の姿 がここにもあった。慌ただしい日常から離れて、ひととき文化と伝統の香りを味わってみてはいかがだろうか。


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