さちあ
sachia hase

関西の人・まち(16)


めやみ地蔵尊〜仲源寺〜

 世に病気平癒を祈って建てら れた寺はたくさんあるが、お参りすれば目の病気に効くといわれている寺をご存知だろうか。めやみ地蔵尊とよばれる延命地蔵大菩薩が祀られている仲源寺は、 京都四条通り、鴨川を越えて東にある。土産物屋や飲食店が軒を連ねる中にぽっかりと空いた、線香の香り漂う小さな信仰の空間である。

 昔、錦小路に住む、宗円、妙昌という信仰の篤い老夫婦がいた。宗円はあるとき目を患って盲目となる。妙昌の夢に、仲源寺にお参りし、閼伽水を汲んで目につけるとよいと出て、そのようにすると目が見えるようになった、と寺の略縁起に記されている。

 本尊は参道を入ってすぐ、正面のお堂の中にある坐像である。丈六(約2.4メートル)の大きな仏像は表情に品があってやさしい。

  この地蔵尊は、元来は水害などの原因となる雨を止める地蔵であったようだ。「鎌倉時代、安貞二年(1228年)京都は大洪水にみまわれた。加茂川は決壊 し、夥しい死者がでる。中原朝臣為兼という役人が、ほうぼうで溺れ人を助けた際、あるところだけ水かさが減って、流れ込んだ人が助かっているのに気づく。 そこには、大変古びた小堂があり、なかに大仏のおさめられていることが分かる。じきに雨が止む。功徳を感じた朝廷は、この小堂を勅願所となした。為兼の苗 字中原に人と水を配し、仲源寺と名づけられた。」これが仲源寺の始まりである。略縁起によればこの仏像は、寄木造を発明した彫刻の名匠、定朝上人によって 造られたものである。「凡そ諸仏菩薩の中に、地蔵菩薩の如き有縁の仏はあらじ」と、丹誠38ヶ月かかって造られたという。

  そののちこの仏像は雨止み地蔵尊と名づけられ、祇園社や知恩院への参詣者がにわか雨を避けて寄る寺となった。目を病むのに効く仏となったのは、雨宿りの参 詣者たちが「雨やめやめ」と唱えるところから「めやめ」となり「めやみ」すなわち「目疾み」地蔵尊となったとの風説がある。

 桃山時代にできた入り口の唐門に「雨奇晴好」という文字が掲げてある。「降るもよし、晴るるもよし」。悲運、逆境のときもこれを克服し、行き詰らない、自由自在の活躍をする力がこの地蔵菩薩へ参拝することによって授かる、という意味である。


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