さちあ
sachia hase



関西の人・まち(2)

修験の里

                        
 ドン、ドン、ドドン・・・・・・。
 桜の花びらが散りつもった山道が続く中、如意輪寺の方角に足を向けると、正午を告げる太鼓の音が聞こえてくる。修験道の寺が点在する吉野の、さまざまな加持祈祷などの行事は遠くの方で小さくまた大きく響く。
 近鉄京都駅から電車で一時間五十三分。奈良県吉野郡吉野町では、桜の見ごろを過ぎてはいたがウグイスがしきりに鳴いている。あまりたくさん鳴くので、拡 声器で流しているのかと思うほどだ。一時間ばかり山道を行くと、上千本の入り口に着く。人影はまばらになり、白髪まじりの男の人が運動靴をはいて紙袋を片 手に一人、山菜を摘んでいる。少し山に入れば、ヨモギ・ゼンマイ・ウドなどが採れるそうである。
 金峯山寺は、修験道の一宗派である金峯山修験本宗の総本山でり、吉野山の中腹にあって参詣者が途絶えることがない。仁王門をくぐり境内に入ると、正面に は蔵王権現を本尊とする国宝・蔵王堂(本堂)があり、右手には修験道の開祖役行者を祀るお堂、そして左手には菅原道真を祀った天満宮がある。修験道は、山を人が死んで帰るところとして神聖視する神道的性格と、修行を通じて成仏しようとする仏教的性格の入り混じったものであるから、本山も神仏習合の社寺となるのであろうか。
 導く師と従う弟子の関係が強い千日間の山岳修行は厳しく、途中で亡くなったりする山伏の死体が、奥千本の西行庵付近で発見されることもあったという。修 行の結果、彼らは貴族・庶民を問わず病を治してやったり未来を予言したりする不思議な力を得、信仰を集めた。現代にあっても彼らの力に対する信仰はなお息 づいている。
 三年前に得度したという金峯山寺の僧侶・堰口永教さん(25)は、「僕では分かることも少ないですが」と笑いながら明朗な口調で現在も活躍している山伏のことを語ってくれた。紺の作務衣姿の堰口さんは、一目見ていらない葛藤がない人という印象をうける。
 修験道には、京都・山科の醍醐寺三宝院を本山とする真言宗系の当山派と、京都・聖護院を本山とする天台宗系の本山派、そして吉野を本山とする金峯山修験 本宗がある。それぞれの宗派が独立した宗教体系を持つ。宗派間の争いは血で血を洗うがごときものであったろう。「宗派は独立しているけれども、ここ数年は 三派合同で役行者にまつわる行事を行ったりするんですよ」そう語る堰口さんの視線は澄んでいた。また、普段は普通の仕事をしながら僧職についている人も多 いという。堰口さんは剃髪していたがそうでない人もいる。
 寺務所は本堂脇の階段を下ったところにあって、戸口には中の人を呼ぶための小さな鐘が置いてある。見知らぬ人が来ても常に丁寧に対応してくれるのだが、信仰に裏づけられたきびきびとした空気に、身の引き締まる思いがする。
 蔵王堂の下に、焼栗を売る店がある。標準語で「いらっしゃいませ」と言う他の店とは対照的に、「はーい焼栗いらねえかあ、焼栗ー」と若い男の人が文字通 り額に汗を流して栗を焼いている。栗は毎年、吉野の山から採ってくる。二十個ほど並んだ一袋五百円の赤い紙の袋を一袋買った。むいてもらった栗は噛みしめ ると山の味がした。






「関西の人・まち」・目次に戻る   

エディット・パルク Copyright(C)2001