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関西の人・まち(5) 戎橋のこと
2003年、阪神タイガースの優勝騒ぎで5000人以上のファンが下を流れる道頓堀川に飛び込み、水死者も出た戎橋(えびすばし)。今年も飛び込み防止
の柵を越えて何人か飛び込んだ。この橋はかつてグリコの看板やストリート・アートで有名だったが、現在、警察が犯罪撲滅キャンペーンと称して巡回する中、
急ピッチで架け替え工事が行われている。大阪ミナミの中心地にあり、付近にはブランド店が軒を連ね、昼夜を問わず買い物客であふれている。別名「ひっかけ橋」ともいいナンパの名所でもあるこの橋に、どんな歴史があるのだろうか。
戎橋の名は南へ下ったところに位置する今宮戎神社への参道として賑わったことに由来する。また、道頓堀川南岸が歌舞伎・浄瑠璃(あやつり芝居)の劇場街 であったことから、一名操橋(あやつりばし)とも称した。現在も道頓堀一丁目の松竹座や難波四丁目の新歌舞伎座にその名残をとどめる。 北詰から北上すると心斎橋筋、南下すると戎橋筋となる。ともに江戸時代から、大阪の繁栄を背に、本屋街として栄えたのが前者、今宮戎神社の参拝客目当て の食べ物屋が多く現在のたたずまいと似ているのが後者である。東に位置する日本橋との間には、芝居の櫓が五箇所につらなり、春先から師走まで浪花の一奇と されるほどの繁盛ぶりだった。 当時、道頓堀川は三軒屋川、木津川と合流して河口に至った。土砂で河口が浅くなり、潮の干満によって当時の舟行きが左右されたことが、浮世草子にみられる。
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