DUNCAN's PROFILE
生まれて初めて自主的に音楽に接したのは、小学校の時に小遣 いを貯めて買った
『アホの坂田』のシングルレコードでした。(^^;
同時期、やりたいと言った覚えもないまま妹が習っていたオル ガンの先生になし崩し的に師事。
この頃教わったことは何一つ身についていないし憶えてもおり ません。☆バキ\(ーーメ
もう名前すら覚えていないのですが、先生、誠に申し訳ない。
m(__)m
んで、自主的に楽器に触ったのが中学2年の時に触れたギ ター。
歌本に載っていた左手のコードフォームがヘンな書き方をして いたため、
ネックを上から押さえるという、世にも奇妙な奏法をあみ出し てしまいました。
数ヶ月の間はそれで練習しておりましたとさ。(^^;;;
中学卒業時、予餞会でベースを弾く人間がいなかったため、急 遽借りた楽器で練習。
ところがところが、これが楽しかったのですねェ。(^^)
手の大きな僕には太い弦と、広い弦幅がありがたかったし、何 よりサウンドの土台を支える
快感 (*^o^*)
が、たまらなかったのです。
高校時代、学校の文化祭にバンドで出る段取りをしたのです が、当時
いっしょにバンドをやっていた他校のギタリストを内緒で出演 させ、
大問題に。(^^;
新設バリバリの公立高校だったので、けっこう厳しかったので す。えらく怒られてしまった。
これとは別に「渡辺 大之伸」と出会い、上とは別のバンドをやっており、自費制作で
シングルをレコーディング。その時のギターが何と「茶々丸」 こと藤村幸宏。
当時の彼はジェフ・ベックに狂っておりました。(^^)
当時の写真見たい?(^^; ――――→ ここ
19歳の時にレギュラー職業ベーシストとして、京都のとある ディスコにデヴュー。
お金が無く、「バンスキング」を地でいっておりました。
で、そのディスコバンドのバンマスがブルーズ・ハーピストの GOMAさん。
当時はコンガを叩きながらSoulを歌っておられました。 (^^)
音楽的なアドヴァイスはもちろん、東京に連れていってもらっ たり、
すごくお世話になりました。
m(_ _)m
’84年、プログレッシヴ・ロックバンド「フロマージュ」、
ファンクグループ「UNIT-4」に参加、
生まれて初めて「ツアー」なる物を体験しました。
えっと、広島、北九州、博多、東京が2回・・・だったかな?
この時に今で言うインディーズレーベルからアルバムをレコー ディングしております。
(ONDINE / Fromage BELLE ANTIQUE9458)
’86年、ラテントリオ「エルマノス・ミシナ」に参加、2年 間在籍。
ラテンのスタンダードをてんこ盛り叩きこまれました。
しかしこれはとても有意義だったなぁ。
教訓:芸は身を助く
’90年、
「アリヨ」こと、有吉須美人さん (6年間シカゴで活躍していたブルーズピアニスト)
の結成したブルーズバンド 「アリヨズシャッフル」のレギュラーベーシストとなり、
シカゴのブルーズ ・ゴスペルヴォーカリスト、故ヴァレリー・ウェリントンの
ジャパンツアーに参加。
高円寺JIROKICHIでのLIVEをメインにしたCDが 出ていますが、入手は困難かも。
("SHUFFLE" / Ariyo's Shuffle
UKProject UKCP-1014)
また、’91年のブルースカーニバルにもヴァレリーと共に参 加、ツアーに同行。
「花博」のステージでもやりました。
何よりヴァレリーとプレイできた事、彼女と出会えた事が、僕 のプレイを変えました。
優れたシンガーのサポートとは、これほど楽しいことなのだ、 と。
残念ながら彼女は’93年1月に夭折してしまいました。
まだ30代半ばでした。
この場をお借りして彼女への感謝のメッセージを残しておきま す。
Dear Valerie,
You'd really inspire me.
You gave me a lot of important things to play music.
Thank You very much You were there.
May God bless your soul.
ヴァレリー、本当にありがとう。
そして、ヴァレリーと引き合わせてもらえたアリヨさんにも、
本当に感謝しています。
’92年、 古谷 充さん、東原 力哉さんなどのそうそうたるメンバーからなる
ラテンユニット「ザ・トランジション・ハバナジャム」に参 加。
何とヴォーカリストとして。(^^;;;
「うっそぉ〜〜〜〜っ!」
って感じやったなぁ。
この時確信したのが「僕はフロントマンには向いてない」って 事。
あんなにMCのへたくそなフロントはまずおらんやろ。 (ToT;
古谷さん、力哉さん、田中裕士、神田さん、メンバーの皆様、
ご迷惑おかけしました。
m(__)m
同時期、京都ブルース連盟会長多田 タカシ等と、「アコースティック・ブルーズナイト」結成。
これ以前にも多田さんやハルちゃん(田中晴之)とはブルーズ をやっていましたが。
インディーズですが、CDをリリースしております。
("Roku-De-Nashi"/
Tada Takashi & Acoustic Blues Night KIBRE Records KBCD1901)
大体この辺やと思うのですが、元BlueHearts、現↑TheHigh-Lows↓の
甲本ヒロト君と仲の良いアリヨさんを介して、アリヨさんと共に
彼のソロ・アルバムのレコーディングに参加することが出来ま した。
富士山のふもと、山中湖から沼津ヘ抜ける途中にあるスタジオ で、合宿状態。
松本照夫さん(Dr.元West Road B.B.)や三宅伸治さん(Gt.)らと、
4日間で3曲をあげました。
楽しかったなぁ、バンガローに泊まって。
・・・ところが、これがまだリリースされていないのです。
(T◇T)ドドォ
’95年、渡辺 大之伸、Funky松田、Jaye公山、Silky藤野の4名からなる
ソウルコーラスグループ、「The All Nations」に参加。
これがJAYEさん、SILKYさんとの出会いでした。
『やっぱりいたんやなぁ、日本でもこんなに歌える人たち が。』
「目からうろこ」状態で、しかもそういう凄いシンガーたちと 共演できたのもうれしかったです。
で、間もなくJAYEさんがSamCookeフ
リークであることも判明、これもうれしかった。(^^)
その後すぐに、ブラザー・トムさんの音頭で始まったユニッ ト、
「REALBLOOD」の関西部隊にも入隊。(笑)
REALのお陰で日本全国津々浦々、色々なところでプレイさ せていただいてます。
トムさんに感謝。m(_ _)m
Jayeさんのソロワークや、「Jay'sMass Choir」 でもBASSを弾かせてもらえるようになり、
アマチュア時代に何度か共演させていただいたっきりのCHAKA姉さんとも再会、
何度も同じステージを踏ませていただきました。\(^O^) /
’98年5月にJMCのデヴュー・アルバム 『JOY』 が、P-VINE レコードから
リリースされています。
( "JOY"/
Jaye's Mass Choir P-VINE Records PCD-2542)
んで、んでです!!
僕の今までの音楽人生の中で文句なく1番のイヴェントは、 ’97年。
ある日アリヨさんから電話があって、Chicago在住のギ タリスト、
菊田俊介さんからの紹介で、大御所
「The Staple Singers」
が、日本でのツアーメンバーを探している、とのこと。
『やりますっ!やらせて下さいっ!!!』
と、お願いして、ブルーノート大阪で6日間、
彼らと一緒にプレイさせていただきました。
(T◇T)カンルイ
この時は『ギタリストもいない』との事だったので、 GUTTI谷口さんにお願いしちゃいました。
GUTTIさん、ありがとうございました。
(^^)
Staple一家は本当に気さくで良い人たちで、末っ子で リードシンガーのMavisは、
プリンスなどとも共演している物凄いシンガーなのですが、な んかもう
「大阪のおばちゃん」状態。
(わ〜〜〜すんません!m(_ _)m>Mavis)
で、僕がSam Cookeがアイドルだ、と言ったら、Staple家とSamの実家とは
2ブロック程しか離れていないことや、L.CCooke (Samの弟)とは歳が近く、
「L.Cはあたしのボーイフレンドやってんでぇ!」
などと、も〜ホンマにたまらん事をおっしゃってました。 (@@;
’99年、念願のREAL BLOODのファーストCD、
ミュージカル "Miracle Blind Boys"のサウンドトラックの
レコーディングにも参加、今に至る、と。
("REALBLOOD"
/ REAL BLOOD Masara (真皿) REAL-1999)
(Miracle Blind Boys / Blue Oyster
0000-000)
ま、こんなもんです。(^^;Aフキフキ
長くなっちゃいました、最後までお読みいただいてありがと う。