xx そういう関係2 xx
― ねじれの関係 ― 2
大学で”出て行く”と告げられたその日、俺が家に帰るとすでに織のものは部屋から消えていた。 中身のない本棚や、ベッドは残っていたが、衣服など身の回りの物がなくなると、部屋の半分はガラーンとしていて、物足りなさを感じた。 急に空腹感を感じ、キッチンへと向かう。 冷蔵庫を開けると、野菜や飲み物が入っていた。 どれも俺が買ってきたものではない。 出て行くなら、自分の痕跡を残すな! 理不尽な怒りだということは、自分でも分かっていた。 けれど…何か、たまらない…。 ふと、下のほうを見ると、皿に入った豆腐が水分を失って萎びていた。 あの織が出て行った日の夕食に出るはずだったのだろうか。 俺は外食やコンビニ弁当で今日まで食いつないでいたので気付かなかったのだ。 その豆腐を見ていたくなくて、速攻ゴミ箱に捨てた。 そして、トマトを一つ取り出して軽く流しで洗ってかじりつく。 やたらと、酸味がきつかった。
織はあれ以来、必要最低限にしか俺に近づかなくなった。 露骨に避けるでもなく、友人たちの前ではごく普通に話もした。 けれど、二人でいることはなくなった。 今までどれだけ、織が俺といるために努力していたかが、分かった。 俺の行動はいつもと変わらなかった。 女であれ、男であれ、誰かしら一緒にいることが多かった。 そして、たまに一人になったとき”こんなとき、前は織と一緒にいたな…”と思うのだ。 たまたま俺が一人になるとき、織が空くわけがない。 織はその何倍もの時間を俺と一緒にいるために、使ってくれていたのだと知った。 何でやめちまうんだ? 俺のことが嫌いになったのか? いや、それはあり得ない。 俺はすぐに自分の考えを否定した。 長い付き合いの中で、織の俺への気持ちに、俺は信頼を抱くまでになっていた。 どれだけ周りに、勝手だとか、傲慢だとか言われようとも、俺のこの信頼は揺るぎはしないのだ。 だから”どうして?”という疑問ばかりが残る。 どうして俺のことが好きなのに、俺から離れようとするのだろう? 俺は織の気持ちを推測しようとしては、失敗していた。 浅井の言葉は、このとき俺の頭からは完全に消えていた。 俺の心を本当に分かるのは俺だけ、ということを忘れて…俺は間違った道に入り込み、迷っていたのだった。
グルグルと思考は空回りする。 ムシャクシャして、俺は最近ますますいろいろな女の所へ入り浸っていた。 家に帰りたくない、というのもあった。 あそこにいると、どうしても前にその空間に当たり前のものとして存在したいたヤツのコトを思わずにはいられなかった。 女といて機嫌をとるのにも疲れてきて、仕方なく家に帰ろうと、校門へ向かって歩いていると、少し先で織と浅井が笑いながら会話しているのが見えた。 俺はしばらくボーッとその光景を眺めていたが、やがて織が手を振って門を出て行くとハッと我にかえった。 俺はテクテクと浅井の所まで歩いて行き、後ろから膝カックンを食らわせてやる。 不意をつかれて、浅井は一瞬体を沈ませた。 「なーんーで、俺でなくお前が、あいつと二人でいるんだよ?」 体勢を整えた浅井は呆れた顔をしながら、俺の額を手の裏ではたいた。 「お前なぁ…。俺に当たるなよ。自分が悪いんだろう?」 「はぁ?悪くねーよ」 「いいかげん、そのジコチューな考え方やめろって。……しかし…」 そこで、言葉を切って浅井は俺の顔をマジマジと見る。 「お前も消耗してきてんなー。顔がすさんでるぞ」 髪をかきまわされて、俺はその手を払いのけた。 そのまま背を向けた俺の首に浅井の腕が巻きつく。 「仕方ないな。親切な俺が助け舟をやろう。ホレ、喫茶店行くぞ。お前のオゴリな」 耳元で言われて、何で俺が?と思うが、自分一人では今の状況が動かせない気がして、藁にもすがる思いで大人しく浅井について行くことにする。 俺たちは、喫茶店の窓に面する席に向かい合って腰掛けた。 店の中は一人で本を広げて勉強している客が多くて静かだった。 話が話だけに、俺たちは顔を寄せ合って、BGMに溶け込む程度まで声をおとして話すことにする。 飲み物の注文を終え、ふと窓の外に目をやる。 少し向こうから、何の偶然か織が歩いてくるのが見えた。 俺の視線を追って、浅井も織の姿を認識したようだった。 「本屋に寄ってから帰るって言ってたからなぁ」 店の窓はマジックミラーになっているため、織の方からはこちらが見えない。 俺たちは何となく、織が店の方へ近づいてくるのを見守った。 店の前辺りで、織は突然後ろを振り返った。 誰かに声を掛けられたらしい。 見ると、同じ授業をとっているヤツだったか…俺にも見覚えがある女たちだった。 一緒にどこかへ言おうと誘われいるようだ。 しきりに女の子たちの目が媚びている。 織は軽く眉を上げ、首を振ると何か言っている女の子たちに背を向けて再び歩き出す。 残された女の子たちは、織の態度の悪さに憤慨しあっているようだ。 「何だ?あいつ、機嫌悪いのか?」 織のあんない冷たい顔は見たことがなかった。 「どういうことだ?普通だろ?」 俺と同じく、視界から消えて行く織を目で追っていた浅井が応えた。 「どこが?」 「お前、もしかして、知らない?あいつ、どうでもいいと思ってるヤツには、すっげー無関心な態度とるぞ」 そんな織は見たことなかった。 いや、俺が織のことを見ようとしなかったのか。 あいつのことを、他人から知らされることに、不快感がわきあがる。 「そのかわり、あいつは一度人を認めると、とても大事にする。あれだけの容姿だしな。あいつのお近づきになりたかったヤツは腐る程いるさ。実際行動に移して、あいつが心に迎え入れたのはほんの一握りだろう。俺はお前の友達ってことで、あいつの懐に入れてもらえた。ラッキーだったね」 「あいつが、それ程のもんかよ?」 「またそういう言い方する!」 パッコーン。 浅井の丸めた雑誌が俺の頭に振り下ろされる。 てめ!さっき雑誌をテーブルに置いたのはこのためかよ!? 浅井は俺の非難の目を黙殺し、話を続ける。 「織のそばは居心地が良くなかったか?じゃぁ、お前、どうしてずっとあいつと一緒にいたんだ?あいつと一緒に住んでたんだ?」 「…織が一緒に居たがったから」 パッコーン! くっそー。 「違うだろ?お前は人が望んだからって、そうしてやるような優しい男じゃないんだよ」 「ずいぶんな、言いようだな」 「じゃぁ、なにか?俺が”お前と一緒に住みたい”と言えば、お前はOKするか?」 「…嫌だ。ぜってー、部屋で女同士が鉢合わせするぞ」 言うと、浅井はいや〜な顔をした。 「…ゴホン。それはともかく…前にも言ったけど、もっと自分に向かい合ってみろよ。そして、織に対する執着心がどこからくるのか、考えろ」 「どこから手をつけりゃぁ、いいんだよ!あいつを好きか?そんな問いにならすぐ答えられる。好きだよ!それを言ったところでどうなる?そんなことくらい、あいつは分かってるハズだ。俺は嫌いなヤツをそばに置いたりなんかしない!」 言ってから、浅井のこともそばに置いていることに気付いてギョッとする。 まぜっかえすなよ〜。 俺の思いを知ってか知らずか、浅井はそこには触れず、真顔で答える。 「そうだな。問題は”どれだけ好きか”なんだ」 「そんなの、どーやって計るんだよ?」 バシバシ。 今度は二度叩きやがった。 怒! 「自分で考えるクセつけろよ。織はお前が女の子と関係を持ち続ける限り、戻って来はしないだろう。もう分かるだろう?あいつはお前を好きだ。お前が何をしても。だからって、お前が何をしても傷つかないワケじゃないんだよ。傷ついても、それを言わないだけ」 それ以上は、言われなくても分かった。 織は俺が女の子と一緒にいるのを見るたびに、傷ついてきた。 俺は織を抱いていたし、織は俺に抱かれていた。 それだけで、織がどういう風に俺を好きかなんて、分かっていた。 なのに、俺は織が傷ついてるなんて考えもしなかったのだ。 いや、知っていたのかもしれない。 どこか俺のサディスティックな気持ちが、働いていたのかもしれなかった。 何にせよ、俺は織を傷つけ続け、女を家に上げたことで織の傷ついた心をさらにえぐるようなマネをしたのだ。 織は俺との約束を心の支えにしていただけに、その攻撃は倍増された。 傷つくのが嬉しいワケがない。 織は耐えられなくなって、俺から離れた…。 …どうしたらいい? 眉根を寄せた俺に浅井は噛んで含めるように言った。 「お前が決めなきゃいけねーのは、女の子とつきあうのを取るか、女の子すべてを捨てて織を取るか」 「女と寝るのをやめろって?そんなのできねーよ」 俺はこれまで関係してきた女たちに、心慰められた経験を思い浮かべた。 「じゃ、織をあきらめるんだな」 大学にいる間はいい…。しかし、離れ離れになるとあいつは俺のことをだんだんと昔の思い出にしてしまうのだろう。そんなの…。 「…いやだ」 バシ。 今度は横から叩かれる。 「バーカ。それじゃダメだって言ってんだろ?考えろ。これで前よりずいぶん考えやすくなったハズだ。後は、この二択に答えを出すだけ」 俺にとって、そばに織がいなくなるのと、女がいなくなるの、どちらが辛い? そんなの…横に並べて比べてしまえば、すぐに答えは出た。 織が俺から離れてしまうのを思うと、俺は心臓が絞られるような気になるのだ。 複数の女の子たちと織を比べて、織を取ろうとする自分に、俺は驚きを禁じ得なかった。 こんなに…あいつが大事だなんて…知らなかった。 「織をとる…」 ボソリと呟いた俺に、浅井は満面の笑顔を向けた。 「協力する」 言った浅井と俺はガッチリ手を握り合った。 しかし…。 「何で、そんなに俺と織のコト、気にかけてくれるんだ?」 「織が好きだから」 ひょうひょうと言ってのけた浅井に今までバコバコやってくれたお返し、とばかりにテーブルの下で足を蹴ってやる。 「絶対、織はやらねーんだからな!!」
俺は家に帰って、今までのムシャクシャは寂しさを怒りに変えていたのだと気付いた。 持ち主の帰ってこないベッドに俺は身を横たえた。 織…お前と、ヤりたい…。 手を下着の中へ潜らせ、俺は自分のモノをしごいた。 俺の腕の中で喘いだ織。 俺の愛撫に、身をくねらせ俺を興奮させてくれるのだ…。 早く…帰って来い…。 俺は織を想って果てた。 マスターベーションであるが故の虚しさが俺を襲う。 絶対にもう一度、俺はあいつをこの腕に取り戻すのだ、と思った。
xx 交わる関係へつづく xx 2000.03.10 脱稿 |