イザナイザクラ -1-
私は人を誘惑する男なのだそうです。 痴漢にあった数など、もう数えられません。 相手は女の人だったことも、男の人だったこともありました。 強姦されそうになったこと、されてしまったこともあります。 警察に捕まったものは、決まって言うのです。 “あいつが誘ったんだ!”と。 自分では、そんな覚えはありません。 けれど、この異常な回数を考えると、やはり私がそういう態度をとっていたのかもしれない、と思います。 高校生のときに、親友がいました。 私は友達として、彼のことをとても尊敬していましたし、大切に思っていました。 そして私は彼もそうだ、と思っていました。 その彼が、ある日言いました。 「お前が好きだ」と。 私はそれを、自分の都合のいいように受けとめました。 “友人として好きだ”という意味に。 だから“今さら”と思いながらも、「俺も」と応えたのです。 次の瞬間、その友達は私に抱きついてきました。 そして、私の唇に彼のそれを押し付けると、舌を挿入してきました。 私は彼に対して、性的な欲求を抱いたことはありませんでした。 だから、気持ち悪くなって…彼を強く突き飛ばしました。 彼は目を見開いて言いました。 「どういうことだ!?」 泣きそうになっている私を見て、彼は激昂しました。 「今さら嫌って言うのか!?お前、誘ってたじゃねーか。いつも色っぽい目で俺を見て、今も俺のこと好きって!!」 「ち…違…」 「そういう意味の“好き”じゃなかったって!?ざけんじゃねー」 彼は私を押し倒し、何の準備もなく自分のもので私を貫きました。 私は絶望的な気分で、彼の迸りを受けとめました。 彼はその後も、学校や彼の家で私を抱きました。 私はもう、抵抗する気も起きませんでした。 嫌悪感はしばらく続きましたが、やがて行為の最中目を閉じていると、相手のことを忘れられることに気付きました。 ただ、快感が認識されるのみ。 私は入れられて舐められて、感じていました。 私は、好きでもない男を相手に欲情しているキタナイ肉塊でした。 高校三年の夏休み。 彼との関係に終止符を打つときがやってきました。 行為の現場を彼の母親に見つかってしまったのです。 彼の母親は、私の母親に猛然と抗議しに来ました。 私が誘ったために、自分の息子がこのような道に走った、と。 彼は母親の言葉を否定していましたが、元々は彼自身が私に言った言葉です。 彼がそう思っていない、とは思えませんでした。 私を庇ってくれようとしたのでしょう。 私は大変申し訳ない気分になりました。 私の母親はそれまでに何度も“お前の息子が誘った”という言葉を聞いていました。 母はただひたすら、彼の母親に頭を下げ、すぐに私を高校から退学させました。 そして、この田舎の寺に入れました。 なんでも住職が母方の遠い親戚だとか。 私はひたすら俗の部分を棄てるよう努力しました。 住職は、無理に自分を変えようとしなくてよい、と仰ったのですが、私はこの卑しい自分を変えたかったのです。 言葉遣いを改め、和服を普段着とし、日々寺の雑用をこなしました。 寺に入ってから三年。 穏やかな毎日でした。 接触を持つ人間といえば、ほとんど住職と、その娘さんの透子さんだけでした。 特別な日以外は、人が来ることも少ない小さな寺です。 けれど、たまにお参りに来る人もいます。 ホラ、足音が…。 砂利を踏んで歩いてくる男は、珍しく若者のようでした。 遠くの彼と少し目が合ったような気がして、私は軽く会釈すると道に背を向け、地面に散った桜の花びらを掃きました。 この西安寺という寺の桜の多さはちょっとしたもので、別名桜寺とも呼ばれているほどです。 私はこの季節、暇さえあれば箒を持ち、表の掃除をしていました。 風がサーッと通り過ぎ、上を見上げると桜の花びらがヒラヒラと舞い落ちてきます。 見上げていると、その桜吹雪に巻き込まれるような気がします。 私にとってその眩暈を起こしそうな感覚は、麻薬によるもののように背徳的な快楽でした。 もっとも、私は麻薬の味を知らないのですが。 私はこの時も、その桜の舞う幻想的な風景に、我を忘れて見入っていました。 「綺麗ですね」 声がスッと意識の中に入り込んできて、私は夢見心地のまま声のした方を振り返りました。 桜の中に男が一人。 男は私と目が合うと、ニッコリと笑いました。 「こんにちは。庄司隆と言います」 「あ…橘です」 ボーッとしていた私は、相手に名乗られて、条件反射で自分まで応えてしまいました。 男は、私と同い年くらいでしょうか。 けれど、私よりも遥かにがっちりと良い体躯をしており、明るく活発そうな印象。 「お寺の方ですか?透子さんはご在宅でしょうか?」 「あ…」 言われて、私は自分の受け答えを恥じました。 相手は何も、自分の名前を言うことで私の名前を聞こうとしていたワケではなかったのです。 ただ、透子さんへ取り次いでもらうために名乗っただけ。 私は少し顔が熱くなるのを感じました。 それが相手に見えないように下を向いた私に、庄司さんは不審に思ったのでしょう。 「橘さん?」 促すように、名前を呼ばれて私は慌てて顔を上げました。 「あ、透子さんに御用なんですね。先程帰って参りましたので、今は家にいるかと…」 「ありがとうございます」 男は丁寧に頭を下げて、寺の奥にある家のほうへ向かいました。 ………。 私は少し男の後姿を見送ったあと、思い出したように箒を持つ手を動かし始めました。
2000.05.07 脱稿
|