聖書研究

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詩篇  78:1-42(口語訳)

 類型:67節以下から、ユダの選び、シオンの選び、ダビデの選びが出てくる。シオンの歌のようであるが、全体から言うとシオンに関することは一部分で、多くは民族の神への反逆が言われている。エフライム(北イスラエル)批判のようであるが、出エジプトの記述からすれば、北だけではなく、全イスラエルの罪、不信仰、反逆が語られる。結論的に言うなら、イスラエルの選びはどこに立っているのか、ということを教訓的に語りながら、選びの謎について語っている(2節)。それは、39節のような、肉であり、風のような民であることを想起する神の忍耐に他ならない。

 アサフ:歴代1−25:1、 6:39にダビデとの関連ででてくるが関係ないであろう。

1〜8 教訓 神の教え、おきて、戒めをイスラエルの歴史と共に思い起こすこと。この詩篇には、申命記詩家の影響があるといわれているが、神の戒めへの姿勢が問われている。申命11:26〜。 「そうすればあなたがたは生きることができる」とも言われ、掟が未来にもつながっていることを示す。

4,5節。
 先祖たちの不信仰とその歴史も、神の言葉に生きることを教訓として勧めている。

9〜42 イスラエルの不信仰、神への反逆が、出エジプトの時に戻して、繰り返し語られています。
 エフライム:具体的には分からない。サムエル上4の、北の聖所シロを中心とした時代の敗北、信仰の腐敗を考えたのかもしれないが、それ以後は、出エジプト途上に舞台を移すので、対象は全イスラエルとなる。


11:くすしきみわざを忘れた/18おのが欲のために/18神を試みた/22進ぜず、信用しなかった/30欲を離れず/33くすしきみわざを信じなかった/36へつらい、偽りを言った/  
その人間の罪に、神は忍耐を持って答えられ続ける。

30「食物がまだ口の中にあるのに、欲にとらわれた」
貧しくて罪を犯し、豊かで罪を犯してとどまることを知らない。申命記8:11〜

25節の「人は天使のパンを食べた」と語られていますが、皆さんはここをどのように読まれたでしょうか。神からの特別な恵みを受けながら、人の魂は貧しいのです。「人は天使のパンを食べた」!

39:神の赦しの根拠は、人が「ただ肉であって、過ぎ去れば再び帰り来ぬ風であることを思い出された」という神の認識である、と述べています。何と悲しい認識でしょうか。愛するものを、ただそのように見る以外に赦しの根拠がないとは。神の悲しみが語られてはいないでしょうか。実は、このことは、創世記8:21〜でも語られていたことです。

 私たちは、赦しがあるからいいではないか、ということはできない。この神の思いの前で、私たちは絶句するほか無い。このような愛によってのみ、私たちは神の御心の中に置かれているのです。