悲劇の名馬−ライスシャワー

ライスシャワー
1995年6月、京都競馬場で行われた宝塚記念。
かつてテンポイントが故障したのと同じ第3コーナーで、ライスも故障、予後不良となって帰らぬ馬となってしまった。


ライスシャワー全戦績

 
日時名称場所距離騎手単勝人気タイム
91年 8月10日新馬戦新潟1000m水野3.1 58.6
91年 9月 1日新潟3歳SGV新潟1200m菅原114.31:11.7
91年 9月21日芙蓉SOP中山1600m水野3.71:36.1
92年 3月29日スプリングSGU中山1800m柴田政68.9121:51.7
92年 4月19日皐月賞GT中山2000m的場59.0122:02.8
92年 5月10日NHK杯GU東京2000m的場25.02:03.4
92年 5月31日ダービーGT東京2400m的場114.1162:28.5
92年 9月27日セントライト記念GU中山2000m田中勝6.52:13.6
92年10月18日京都新聞杯GU京都2200m的場7.12:12.2
92年11月 8日菊花賞GT京都3000m的場7.33:05.0
92年12月27日有馬記念GT中山2500m的場4.92:34.1
93年 2月21日目黒記念GU東京2500m的場3.52:32.8
93年 3月21日日経賞GU中山2500m的場1.82:35.8
93年 4月25日天皇賞・春GT京都3200m的場5.23:17.1
93年 9月19日オールカマーGU中山2200m的場1.82:13.6
93年10月31日天皇賞・秋GT東京2000m的場3.01:59.6
93年11月28日ジャパンカップGT東京2400m的場1412.82:25.9
93年12月26日有馬記念GT中山2500m的場10.92:32.1
94年 2月13日京都記念GU阪神2200m的場6.62.18.3
94年 3月20日日経賞GU中山2500m的場4.12:32.8
94年12月25日有馬記念GT中山2500m的場17.72:33.1
95年 2月12日京都記念GU京都2200m的場2.72:12.5
95年 3月19日日経賞GU中山2500m的場1.92:42.3
95年 4月23日天皇賞・春GT京都3200m的場5.83:19.9
95年 6月 4日宝塚記念GT京都2200m的場6.0−−−

生涯成績:25戦6勝。うちGT・3勝。
第107回天皇賞・春の3:17.1の記録は、今も天皇賞3200mのレコードである。(ウソ。マヤノトップガンが抜いたもんな)


ライスシャワーのなにが凄いのか・・・それは「黒の刺客」だから

 ライスシャワーは悪役に徹した。4歳クラシック戦線では、ダービーで100倍を越す不人気ながら2着。
菊花賞では、未だ無敗で、当時では史上5頭目のクラシック三冠馬(皐月・ダービー・菊の全てを勝つこと)
となるはずのミホノブルボンを最後の直線で破った。
 5歳になると、現役最強馬で、親子3代天皇賞制覇を既に成し遂げ、3年連続天皇賞・春制覇をたくらみ、
故障あけながらもステップレースの産経大阪杯を圧勝したメジロマックイーンを、これまた最後の直線で差し
きり、その「刺客」たる地位を不動のものとしていった。
 それから2年間、勝ち星がなかったが、7歳、引退レースとも言われた天皇賞・春で、今度は主戦・的場騎
手の、見事な先行策で勝利し、これでGT・3勝を達成。考えてみると全て京都競馬場での達成となった。
 その年は阪神大震災の影響から、通常なら阪神競馬場で行われる「宝塚記念」が、京都競馬場で行われるこ
ととなり、京都競馬場に相性のいいライスシャワーは出走することになった。そして、第3コーナーの坂で、
死んでいったのである。
 今、京都競馬場のパドックの北側(京阪電鉄寄り)には、ライスシャワーの記念碑が建っている。あの刺客
はもう帰ってこない。しかし、ファンの胸の中では、永遠に、マックイーンと、ミホノブルボンと一緒に、走
り続けているだろう。


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