シベリア抑留日本人墓地慰霊団参に参加して 目次
 
それは、バルチザンスクの村外れ、夏草茂り、秋の草花が咲き並ぶ原野にあった。 コンクリートの固まりの上に、無惨に鉄筋が見えて・・・ 予定通り8月23日の6時40分頃、飛行機は、小雨の降るウラジオストックの空港に着いた。入国手続きを終え、7時半頃からホテルまではバスで移動。バスは、雨の中を1時間あまりでホテルベルサイユへ。途中、大きな事故を目撃。車3代程が横転している。緯度が高いせいか9時半を過ぎてもまだ明るい。こじんまりしたホテル。しかしバス風呂の湯が出ない。10時遅めの夕食。外は雨。明日の予定を話すのも、晴雨両方の準備を。

 翌朝24日、10時出発。

 途中、お供えの花を自由市場で購入して、いよいよウラジオストック日本人墓地へ。  小高い丘の上、草しげり、秋の花が咲くロシア人の墓地の奥に、日本人墓地の墓標はあった。 曇り空ながら雨は無し。予定通り修法法要を奉行。お花・ロウソク・お線香を供え、日本から持ってきた、日本国国旗・日本酒・お酒等のお供え物で荘厳し、抑留日本人慰霊法要は始まった。 道場偈・勧請から、式が始まると、あたかも読経の声を待っていたかのように、一陣の風が・・・式も進み、修法が始まり、追悼の疎が読まれると、亡くなった方達の涙雨か、空からしとつく雨が袖を濡らした。お題目の太鼓と共に、風が巻、衣の裾を翻させる。抑留され無念の死を迎えられた人々の喜びが、私たち慰霊団団員全員の心に伝わってきた。1時間程の慰霊法要も無事終わり、ここにお参りできた感激を胸にバスに戻った。雨が降り出す。もう10分遅かったら・・・  市内を観光して、2時頃に、レストランで昼食。ここから3時間ほど、バルチザンスクの日本人墓地へ。途中自由市場でトイレ休憩。おいしそうな焼き肉?のにおいが漂う。 村へ着いたのは、5時30頃。小さな静かな村だった。大通りを過ぎ、やっと通れる程の未舗装の道を、村の中へバスは進む。小さな家が並んでいる。 現地のガイドさんは、3年程前に一度来ているとか。 しかし、村民を見つけて道を聞いても、場所が分からない。 細い道を行ったり来たり。やっと、村人を乗せて、案内してもらう。草深い湿原のような所を右へ左へ、白足袋が泥に汚れて真っ黒。 それは、バルチザンスクの村外れ、夏草茂り、秋の草花が咲き並ぶ原野にあった。コンクリートの固まりの上に、無惨に鉄筋が見えて・・・ 周りには微かに墓地の跡らしい石が見える。それにしても墓標もなく、ここがそうだとは言えない? ガイドさんも以前来た時とは印象が違うという。 ともかく、ここで法要をと決めるが、こんな道の悪い所に皆が来るのは大変だ。どうしよう? 時間も遅くなり、日没も近い、暗くなる前に法要が出来るだろうか?そこへ、変化の人か、車に乗った人が一人、わざわざ降りてきて、て少し遠回でも道沿いに行けるきれいな道を案内してくれる。よかった・・・もう時間は7時近く、早速周りを荘厳し、法要を始める。こんなところにと思うと涙が出る。風が静かに吹き、読経の声が周りの草花を揺るがす。亡くなった人々が肩を寄せ合い、お経の声に耳を傾けているかのように・・・ ここは、数年前、日本から遺骨収集団が来て、遺骨を収集し終わり、終わったからと言うことで、慰霊碑が壊されたらしい。そんなことで良いのだろうか? 今でもきっと、うっそうと茂った草の中に待っている方が居るだろうに。三月後にこの近くに、また遺骨の収集団が来るらしい。そこもまた、このような姿になってしまうのだろうか?  遺骨収集の意味をもっと考えてほしい。法要も無事終了。亡くなった方達も守ってくたのだろう。バスに戻るまで明るさも残っていた。ここから1時間余り、バスでナホトカの街へ。 
午後10時前、ナホトカ到着。
夕食の後バスタブへ。ここでもお湯が出ない。黄色い水でシャワーだけ。
抑留者の方を思えば贅沢は言えない。

 25日 10時出発
今日は郊外の小高いところにあるナホトカの日本人墓地へ。
ここは、柵に囲われた日本人抑留者だけ広い墓地。
見渡す限り、ご遺体の埋葬を示すお墓が並んでいる。その数600有余。この地は、日本への引き揚げ船の港があったところ。抑留者が日本を目の前にして、本当に無念の思いを抱いて亡くなられたところ。 まずは荘厳。心地よい風に乗って読経と木剣の音が響き渡る。施餓鬼旗を並べ、散華の花びらが舞う。日本から持参の日本酒・水・散華を出来るだけみんなのお墓に供えてあげる。もっと持ってくれば良かった。

ナホトは日本人抑留者の引き上げ港。
今は、港の跡もなく、海のそばまで寄れないが、この港からたくさんの日本人が帰国されたと思うと、本当に良かったと思う反面、帰れずに亡くなられた人々の無念さがいっそう悲しく思われる。

19時49分発 ナホトカ発のシベリア鉄道。終点のウラジオストックまで、約14時間の旅。寝台車と食堂車で遅くまで語り合う。途中の駅には、近所のおばさん達がイクラや、パン・果物・その他色々な物を並べて売っている。商魂たくましい。車窓からは果てしなく続く野と、白樺の林。 少し色づいた木々と、白や薄青い草が咲いているのが見える。まるで日本の秋を見ているようだ。

26日11時 ウラジオストック到着
ホテルで遅めの朝食の後、日本人墓地へ。日本と同じように、墓地の近くに花屋さんが並び、色とりどりの花を売っている。それぞれにお供えの花を購入し、お墓前へ。ここは街から近く交通の便も良いせいか、最近日本から墓参団が来たのか、地元の方が供えられたのか。墓碑に前にはすでにたくさんの花が供えてあった。 今までの三カ所とはちょっと違う雰囲気。しかし、やっぱりこにも埋葬の跡はあった。 法要中、後ろでたくさんの方がお参りされていた(見ていた)街の墓地にはこんなにもたくさんの方がお参りされるのに、ウラジオストックや、ましてバルチザンスクのような田舎の村には、誰がお参りされるのだろう
法要後、昼食をすませ、市内観光と、アムール川遊覧。
 市内には戦争博物館もあり、戦車が並んでいた。街で買い物を済ませ、夕食のためにホテルへ。 明日はいよいよ帰国。5日間の旅も残すところあとわずか。シベリアにもこんな所があるのかという日本風の食堂へ。ここから見えるハバロフスクの街並みはすばらしい眺め。まさに絶景かな絶景かなの世界。
 最後の夜を迎え、解団式と串カツとジャガイモニンジンの煮物・酢の物・茶碗蒸しも付いて、アサヒビールで乾杯。
料理はおいしいし、ビールもうまい。日本と何にも変わらない。旅の感激と、抑留者の方達を思って話が弾む 食事のあと、ご婦人方は最後の?買い物へ あちこちで買い物をして居られたようだがまだまだ足らないよう今夜の泊まりは、ベルサイユホテル。新しくできたホテルということで楽しみに。昨夜は列車の旅で風呂にも入れず。今夜はゆっくりとバスタブに浸かってと思いきや、やっぱりお湯が出ず、水シャワーで就寝。

27日5時起床7時半出発 帰国の途へ。ハバロフスク空港から地方航空を使ってウラジオストック空港へ
この飛行機の小さな事。27人の団参メンバーでほぼ満席。わずか1時間程の搭乗にもかかわっらず、無事に着けることを祈るのみ。
シベリアの地、真冬は零下35度にもなり真夏は35度以上になるという。

 何年にも渡りこの地で苦労された抑留日本人の人達。幸いにも無事帰国された方。収容所で、また原野で亡くなられた方。たくさんの日本人がこの地で苦労されていた。その事実がひしひしと身に迫る5日間の旅行でした。
明後年また予定されているとのこと。是非再びこの地を訪れたいと思った
12時40分ハバロフスク空港離陸・12時40分全員無事帰国。
  良かった