ブータン密教探訪の旅 写真
「幸せですか?」と聞いたら97lの人が「幸せです」と応える国ブーン
世界で一番幸せな国と言われている国「ブータン」
そんな世界に行ってみたいと今回の旅を企画しました。
そして、平成24年8月20日(21日)夜中の24:30関空を出国
ブータン王国に向かいました。
21日 9:05(日本との時差はー3時間)バンコクを経由してパロ空港到着。
標高2400b、空気澄んでいます。暑いのですが、何ともいえず爽やか。空気が澄んでいます。
いよいよブータン探訪の旅の始まりです。
現地添乗兼、案内のシュラブさんと合流。早速ブータンの首都「ティンプー」の町へ出発。
バスで2時間余り、約60キロの道程を経てティンプーに到着。
第3代国王を記念した「メモリアル・チョルデン」を見学。庭にはたくさんの老人がおられ、マニ車の前で休憩中。朝夕涼しくなるとこの仏塔の周りを時計回りに回ってお参り、一日中此処で過ごす人もいるそうです。
ブータンの国技は「弓道」昔ながらのブータン式弓も盛んですが、最近はアーチェリーも盛んだそうで、調度競技大会があり、見物ができました。
織物工場と紙漉工場を見学して、ホテル「プンツォペルリ」到着。14時20分。
小休止の後、王国政庁であり、夕刻、ブータン佛教の総本山「タショチョ・ゾン」見学に向かう。此処には、ブータンの国会と、王宮があり、現国王夫妻もこの地におられる。昨夜からの飛行機旅、今日は早めに夕食・就寝。
22日 6:30 起床 7:00 朝食(バイキング) 7:50 ホテルを出発
プナカへ向かう。途中、標高3100bのドチュラ峠へ
ここからは、冬の晴天日には、アンデスの山並みが遠望できるとのこと。残念ながら今日は雲の中。108つの仏塔(ドルクワンゲルチョルデン)を見物して山を降りる。
11:00過ぎ 冬の都「プナカ」に到着
ホテルで昼食の後、男川・女川の二つの川に挟まれた「ブナカ・ゾン」を見学
美しい橋と、お城の取り合わせを満喫。此処の中心は観音様と、ランジュン・カサパニと言うお坊さんがおまつりしてあった。
屋根の上を風が吹き抜けるという風光明媚な「ウヲンディフォダン・ゾン」を見学の予定であったが、残念ながら、今年6月漏電のため火災に遭い、現在入場禁止。
遠くの展望地点から眺めるだけであった。白い壁には茶色くなった焼け跡も見とれ、行けなかったことは、大変残念であった。
遅めの昼食の後、緑多い田んぼの中を散策。民家に入り、おやつだという、お米を煎った食べ物をゲット。日本のポン菓子のようで、大変美味しかった。
後は、ティンプーへ戻るのみ。來た道をバスで3時間ほど。無事ホテルに到着。
23日 8:50ホテルを出発。パロへ向かう
途中、ティンプー郊外の高台にあり、町を見下ろしている「キンヤルボジャン」という大仏さんを見学。この大仏様は最近建てられ、近い将来、此処には色々な国から佛教施設が集まり、お堂が建てられ、人々に幸せを願う場所と成るそうである。
パロの、クラフト・バザールへ。此処は最近ブータン以外の国の人の手に依り造くられた物が、ブータンの物として売られていることに危機感を持った国が、ブータン人の手だけに依って造られた物だけを売る市場として整備したところである。民族衣装・民芸品・衣服・食べ物等が、200bほどの道ばたに店を出している。
買い物を終え、郵便局へ。珍しい自分だけの切手を造り、エアメール投函に備える。
パロへ向け、ホテルを出立、昼食の後、約2時間でパロ到着。博物館と、宝石の山の城という意味を持つ「パロ・ゾン」を見物。
ブータンの一般的・伝統的な民家を訪問。
可愛い奥さんと女の子がお出迎え。三階建てで、一階は牛が飼われていた。二階は住居とご主人家族の居間。三階は仏間と、お客さんを泊める部屋。立派な仏間で自家製のお酒と、おつまみ、お菓子を頂く、お酒は焼酎に似ているが、だいぶんきつい。お菓子も残念ながら口に合わなかった。その後で、ブータン式弓矢を体験。2本の竹を真ん中で合わせ、1,5bくらいの弓を貸して貰う。矢も竹で造った簡単な物。それでも、引くには相当力が要る。日本の弓と違って、弓の左側に矢をつがえるらしいが、我々は慣れた右側につがえた。正式には的まで50b位の距離らしいが、初めてのこと20b位から射てみる。思った以上に難しい。10数本試みたが、2本だけ的から少し離れたところに着くが、後は、遠く離れて命中とはほど遠い結果。一寸自信が有っただけに、誠に残念であった。
ホテルで夕食。明日の登山に備え、早めの就寝。
24日
6:00 起床 6:30 朝食 7:00出発
この日は、早朝4:30。「こけこっこー」と言うニワトリの声で目が冷めた。
鶏の声を聞いたのは何十年前であったか?
生憎の曇り空だが、まず降ることはあるまい。
予定では、10:00頃出発であったが、天候を考え(昼から、雨が降ることが多いらしい)早めに出発することにした。往復6時間半位を予定している。
7:50登山口に到着。下から目的地「タクツアン僧院」が見える。雲の中、はるかに遠い。
羽田さん・野村さん・鈴木さん・看谷さん・中西さん・そして私、6人で、いよいよ登詣の始まり。途中で野村さんが引き返し、約1時間で「タクツアン僧院」がよく見えるレストランに到着。鈴木さんは此処から下山。4人で向かうことになった。途中大勢の人と行き違い、馬で登る人もあった。1時間半ほど山道を登り、目の前に「タクツアン僧院」が見えた。ここからが正念場。300段くらいの下り階段と、250段くらいの上り階段を経て、ついに到着。「タクツアン僧院」は、パロ郊外に有り、8世紀ブータンに佛教を広めた「パドマ・サンババ(グリ・リンポチェ)」が寅の背にまたがりこの地に飛来し、洞くつに籠もり修行を重ね、8変化を行い、ブータン佛教の祖と成った地で有る。この寺院の中心には、修行をしたという洞窟があり、その上にこのお寺が建っている。年に一度だけこの洞窟が開かれ、一般の人も拝むことができると言う。
今回一番の見所で、3時間余、きつい登山後だけに、一層すばらしい景色であった。
1時間ほど参拝して、下山。12時前にはレストハウスに戻っていた。レストランについて昼食中、思いもよらず、スコール。もうすこし遅かったら、ずぶ濡れになっていたところ。よかった、良かった。
1:30登山口に戻る。 予定では三時頃下山。相当速いペースであった。
思ったより早く帰れたので、2時間ほどの休息の後、市内観光へ。
市内の中心街で買い物を・・・
今回の旅の最後に、1300年以上前に立てられたという「キチュラン寺院」参拝。このお寺は、「パドマ・サンババ(グリ・リンポチェ)」が、現在の佛教を広める前からの古いチベット仏教の寺院である。本堂の前にはブータンでは珍しい(ミカン)の木が2本あった。パロでは(ミカン)は育たないらしいが、不思議なことにこの地にだけ育っているという。此のミカンは仏様へのお供え物と言うことで、誰も実を取ることがない。本堂のご本尊(お釈迦様)の前の床に、二つの穴があった。此は昔チベットの高僧が五体倒地を続け、その足跡が穴として残った物だそうです。すごい信仰・執念の一言です。
最後の夜、現地添乗員さんの好意で、(松茸)を頂く。日本の物と比べ、少し臭いが少ないように思うが、立派な(松茸)満足の夕食であった。
25日
やっぱり鶏の声で起床。昨日、予定では9:30頃のフライトであったが、午後2時からに変更との知らせがあった。バンコク空港での時間を思うと良かったと思っていたところ、又、もとの朝出発に変更。
6:30起床 7:15 朝食 8:00 ホテルを出て空港へ向かう。
空港のフロントで一騒動。荷物を預け、乗り込むばかりになっていたのに、また2時のフライトに変更された。幸い、添乗員(道家さん)の機転でバスが残っており、思わぬ追加の観光をすることと成った。
そこは、パロの実験農場を起点に、ブータンで高収入を期待できる日本米品種の導入や普及。換金作物であるリンゴ・アスパラガス等の栽培指導を行い日本の農業技術を指導し、人々から慕われた「西岡京治」さんの記念碑ブータン第4代国王からブータン最高の栄誉である「ダショウ」の称号を授与された。ダショウは、通常、各省次官・県知事等に授与される称号で、外国人として此の称号を授与されたのは彼しか射ない。更にブータン国籍を持つ外人も彼だけである。
昼食の後、いよいよ最後、パロ空港へ
予定通り15:00前、ブータンを出国した。
19:00バンコク国際空港
26日 9:00無事に関空帰国できた。
お陰様で、今回の旅も大きなトラブルもなく、無事に遂行できたのは、参加いただいた6名と、添乗の道家さん、更に現地添乗のシュラブさんのお陰と感謝している。
申し訳ないが、数ヶ寺ブータンのお寺(お城)を見学したが、写真を見ただけでは、どこのお寺であるかわからない。チベットの寺院もそうであったが、どこも同じような造りで区別が付かない。かろうじて写真を撮った日時に確認で、区別できる。
この旅で学んだこと(シュラブさんの話)
1,現国王・前国王の「経済発展より心の発展を」という政策が行き渡り、
国の文化・遺産を守り、自然を守るというスタンスが続いています。更に、 国土の60l以上の自然を守ることが憲法で決められ、有る地方では、渡 り鳥飛来の池を守るため、池の上に電線を引かず、遠回りしてやっと電気 が付いたという村もあるそうです。
1,ブータンは仏教国、「パドマ・サンババ(グリ・リンポチェ)」がチベッ ト仏教を持ち込み更に、ブータン佛教に発展、以降敬虔な仏教国になった。
此の国の人々は、心から仏教の教えを信じ、生活の中に活かしている。
国民みんなが輪廻転生を信じているため、決して悪いことはしない。
町の中に犬がたくさんいて、人や車の往来に なんの行動も起こさず平気で寝そべってい る。これは、犬は次の代、人間に生まれ変わ ると信じられているからである。また。、鳩 もたくさんいる。お坊さんの生まれ変わりと いう説明にはちょっと違和感を感じた。
決して生き物を殺さない。殺生は一番罪であ るから。昔は魚も食べなかったそうだ。万が一動物を殺すことになったと きは、豚や鶏より、牛を殺す方が良いという。何故なら、大きい為に多く の人にその肉を分けられるからとか?
一寸矛盾を感じた。でも最近はインド・中国から肉(牛・鶏・ブタ等)を 食料として輸入しているらしい。自分で殺さなければ良いのだという考え にも違和感を感じた。
1,ブータンの文盲率(読み書きできない人)は60パアセンと以上とか、昔 はもっと低かったであろう。このため、お寺の壁には極彩色の曼荼羅・お 釈迦様の一生・六道輪廻の図等が描かれ、布教の一助と成っている。
これを改善する為、教育が推進され、学校にかかる費用はすべて無料であ る。更に高度な教育を受けさせるために留学等も全て国が保証してくれる。
1,ブータンにはお墓が一つもない。遺体は火葬し、全て川に流される。
形があるものを残しておくと、亡くなった人は輪廻(成仏?)出来ないし、 残った者もいつまでも心に残ってしまい忘れることができない。亡くなっ た人には思い残すことなく、早く次の世界に生まれ変わって欲しいという ことらしい。
お墓は一つもない、代わりに、山や畑の近く、家の近く等に白い旗を立て て、故人の冥福を祈っている。
1,ブータンには養老院がない。なぜなら、親は最後まで子供が面倒を見るの が当たり前と言うことだ。こんな当たり前のことが日本ではできていない。 残念である 勿論びょうきになれば、びょういんにゆきちりょうをうけ る。医療費(入院・薬・治療等)は全て無料。それでも病院に入れないで、 家で介護するという。
1,チベットの寺院はお城を兼ねていることが多い。とくに都市部ではほとん どそうである。役所と寺院が同居している。
5日間の旅では、本当のブータンを知ることができるはずありません。
思っていた以上に、車が走り、携帯電話が普及。新しい文化・文明があっという間に押し寄せ、ブータンの文化を侵略しようとしている。勿論国民もそれを望んではいないであろうが、何時までも此の幸せが続くことを祈りたい・・・・
幸せの国とはどんな国か?
どうしたら幸せになれるのか?
でも、皆さんは既に気付いているはずです。
日本人はたくさんの知識を持っています。
でもその使い方、智恵を働かすことが下手です。知っているだけで、行動に移していないのです。もし行動に移せたら、幸せって何かが分かると思います。
本当の幸せとは何かを知っているはずです。ただ自分が幸せであることに気付いていないだけです。
日本に帰り、日々の生活が、いかに幸せであるかに気付きたいと思いました。